禁止 - みる会図書館


検索対象: <自己発見>の心理学
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1. <自己発見>の心理学

いのて問題は解決てきなかった。人間 (person) としてはヨコの関係ても、役割 (role) とし てはタテの関係。これを是認するのが組織人の常識てある。タテ関係ということは禁止・ こ対して有しているかが自明とい , フことてある。 命令・教示をする権限と責任を誰が誰 ( 禁止・命令してよいとき、わるいとき ところて教師と学生の役割関係もタテてある。ということは教師は学生に禁止・指示・ 教示する権限と責任があるということてある。ては教師は権威主義者か。そうてあるとき とそ , フてないときがある。 と宣言し、 授業開始時に、「出席率が七割以下のものにはレポ 1 ト提出の資格を与えない」 異議あるものは申し出よとつけ加え、全員の学生が納得した場合は、契約が成立したと解 ところが何の契約もせず、学期末試 せられる。それゆえ、これは権威主義とはいわない。 : 」と一方的におしつける場合、これを 験の直前にいきなり「出席率七割以下のものは : 権威主義という。権威主義をこう定義すれば、すべての禁止・命令・指示・教示が権威主 義に起因していると解するのはイラショナル思考てある。 ては教師、親、上司が禁止・命令・指示・教示をせず放っておいても生徒や部下が成長 オ・・るのはい」 - フい - フし J 」カ 学習生活におけるビリーフ

2. <自己発見>の心理学

あれは権威主義てあり、やがては軍国主義に通じると詰問した参加者がいた。 戦後の教育は児童中心とか来談者中心という美名のもとに、禁止・命令を何かよくない ことのように田 5 った。子どもの自主生・自発性を尊重せよというのてある。私にいわせる と、こういう教育を受けた子どもが今ては四十歳前後の中堅教師となり、しまりのない教 育をしているのてある。 子どもに自由を ! をモット ーにした・・ニイルのサマーヒル学園ても禁止・命令・ 指示はきちんとしているのてある。すべての教育は社会化てある。現実原則の学習てある。 つまり、遅刻するな、敬語をつかえ、期限まてに商品を納めよ、定刻に試験場に出頭せよ、 借金は返せ、病欠のときは勤務先に報告せよ、という具合にきちんと躾をすることが教育 てある。 どうぞお気に召すままにー というのは心理療法の世界のことてあって、学校や企業や 社会生活一般ては通用しないセリフてある。にもかかわらず、教育や研修の場て受講生尊 重という美名のもとに、 何も注意しない講師がいる。 これは禁止・命令するだけの見識がないか、見識はあっても自己主張するだけの自我の つよさがないか、禁止・命令をすることを抑圧・抑制する心的機制 ( 例ー罪障感 ) が働いてい るか、禁止・命令しない方が自主性・自発性が育っと信じているかてある。 学習生活におけるビリーフ

3. <自己発見>の心理学

ナースは患者に「ーせよ」「ーするな」と禁止・命令するが、これをもって権威主義者だ 評する人はいない。教師、親とて同じてある。 なぜ禁止・命令かーータテ関係 禁止・命令・教示すべきてはないというビリーフを検討する第二の観点は、組織心理学 の立場てある。どんな集団 ( 例ー学校・企業 ) ても役割はタテに並んている。権限の大なるも のから小なるものへ、責任の大なるものから小なるものへ、といった順番に、タテに並ぶ のが組織の常識てある。すべての役割がヨコに並び、全員が「私」「あなた」と同好会気分 になってしま - フと組織の活性ヒは方げられる。 彳物がタテに並んているということは、誰は誰に禁止・命令・教示する権限と責任を有 しているか、誰は誰に対して中間報告する義務 ( 責任 ) があるかが周知徹底しているという ことてある。このタテ関係がはっきりしている組織は、これからも栄える組織てある。禁 止・命令・教示をしない野球監督のチームが春や夏の甲子園に出場することは皆無といっ てよい 昭和四十年代の大学紛争時、タテ関係になじまない教授会は何回会議を開いても、誰が 誰に何を命令するのか、誰が誰 ( こきちんと経過報告をすべきなのか、それがはっきりしな 9.

4. <自己発見>の心理学

理由はともかく、学習者に禁止・命令しない教師がいたら、それは怠慢な教師てある。 禁止・命令・指示を必要とするときは、ためらうことなかれ。これが結論てある。ては なぜそういう結論を出すのか。それが本稿のメインテーマてある。 社会化 なぜ禁止・命令か 子どもの自主性・自発性を尊重する人は受身的な教育態度になる。非審判的・許容的雰 囲気に人をおいておけば、放っておいても人間は成長する、という考えが戦後の日本の教 育を支配した。 私の見るところ、放っておいても自発的に老人に席をゆずる少年にはならない。席をゆ ずるのはどこかてそういう行為が善てあると教わったからてある。あるいは、放っておい 親孝行な人は、親孝行は善てある、とどこかて教 ても自発的に親孝行するものてはない。 わったからてある。 すなわち人間の態度 ( 例ー偏見 ) 、価値観 ( 例ー信仰 ) 、感情 ( 例ー義憤 ) 、行為 ( 例ー野球 ) 、思 考 ( 例ー解釈 ) はいずれも後天的な学習の結果てある。何の刺激もなく放置しておけば、自 然と野球選手になったり、精神分析者になったりするわけてはない。 教師や親は絶えず禁止・命令・教示 ( インストラクションの訳語。教えること ) をしないことに

5. <自己発見>の心理学

効とは、教育目標達成のための行動変容の役に立っという意味てある。 私は禁止・命令・指示・教示の連続する教育と、自己裁量の多い教育の両方を体験した。 前者は陸軍幼年学校て、後者はアメリカの大学院て。当時の私はそれぞれの教育に充分満 足していた。そして今も全く当時と同じ評価をしている。両方の教育に共通していたのは、 教育者が「どうすれば自分の学生のためになるか」という発想から動いていたことてある。 その後私は教師やカウンセラーをしてみて、大雑把ながらこういうふうに仮設を立てて 幼少期の教育は概して禁止・命令・指示・教示を多くし、ヤング・アダルト以降はこれ を徐々に減少させ、自由裁量を多くするのがよいのてはないか。 おとなの集団を教育するときても、導入部分は禁止・命令・指示・教示をきちんとして おき、軌道にのったら、少しずつ自由裁量の余地を多くしていくのがよいのてはないか。 「ーの方がよいのてはないか」という意味は、その方が自主性・自発性は育つのてはない か、という意味てある。ただし前述したように神経症の心理療法の場合は、始めから許容 的・非審判的雰囲気を体験してもらうのが好ましいと思われる。教育と心理療法の異同を 明確にしておく必要がある。 学習生活におけるビリーフ

6. <自己発見>の心理学

くれないといって怒ったり、落ち込んだりする。 たとえばレバノンの詩人が言ったよ , フに、子どもは母から (from mother) 生まれてきた のてはなく、母を通して (throughmother) 生まれてきた。それゆえに母の所有物てはない 母が所有権を行使して支配すべきものてはない。わが子てもそうてある。ましてや人の子 に対して、あなたは私の欲するとおりに考え、感じ、行動すべきてあるというのは全く非 現実的てある。 ては以上の所説からすると、親や教師は子どもの教育がてきないのか。上司は部下の躾 がてきないか。そんなことはない、次の条件があれば人の行動にある方向を期待してもよ 1 契約が成立している場合。通院してくる高血圧の患者に医師やナースは「塩分をひか えめにせよ」と指導する。治療契約が成立しているからてある。街頭ての通りすがりの人 には何も言わない。 レ 幻禁止・命令・要請の役割を分担していることが社会的に認められている場合。プー や海水浴場監視の学生アルバイトは五十歳の男性に対しても必要ならば禁止・要請する。 子に対する親の躾も同じ原理てある。 ③当人が現況に困っている場合。ある方向を持った行動を当人に期待するのは当人のた しつけ 社会生活におけるビリーフ

7. <自己発見>の心理学

1 モチベーションが高いとき ( 興味か必要性の何れかがあるとき ) 。 図レディネス ( 予備知識 ) があるとき。 ミドル・マネジメント ( 例ー班長 ) が育っているとき。 ④伝統・慣習・集団規範が定まっているとき。つまりその組織があるていどの歴史を有 しているしトさ。 5 教育機能と凝集力がその集団にあるとき。子どもは仲間から影響を受ける。 ⑥生徒や部下にあるていどの能力がある場合。 私の師、霜田静志 ( 一八九〇ー一九七三。ニイル、チゼック、マンセルの紹介者。精神分析家。多摩 美術大学教授 ) がかって「叱らぬ教育」を提唱したところ、子どもをわがまま放題にする親が 続出したことがある。「自由」ということばを戦時中 ( 第一一次世界大戦 ) は使えなかったのて、 「叱らぬ教育」と称したまてて、霜田の本意は「自由主義教育の提唱」にあった。叱るとか 叱らないとかの教育技法を強調したわけてはなかった。ところが「叱らぬ」ということば にこだわった親が多かったのてある。 同じことが現今の教育思潮についても言える。「禁止・命令・指示・教示はすべきてない」 とドグマティックに考えないて「禁止・命令・指示・教示が教育上有効だと思うときには 使い、有害無益のときには使わない」と心のなかて決めておけばよい 。ところて教育上有

8. <自己発見>の心理学

一人前になるとは世の中の禁止・命令 ( 現 は生徒や子どもを一人前にすることはてきない。 実原則 ) を身につけることてある。そのプロセスを社会化という。ところが受容とか共感的 理解とか愛とか赦しという美名のもとに、ニコニコしているだけては、わがまま者、世門 知らず、非常識の人間に育てあげる率が高い。社会化はてきない てはニイルやロジャーズやルソーやエレン・ケイの唱えた自由主義、個人尊重思想は否 一」 - フい - フ田 5 目 5 定さるべき思想なのか。否定さるべき思想てはないが万能の思想てはない は抑圧的、権威主義的文化に人間が押しつぶされそうな時代においては意味がある。つま り自分の考えや感情を殺して生きてきたのて、抑圧から解放することによって自分をとり 戻せるからてある。 いくら管理主義の時代・ たといっても封建時代や軍国主義時 ところが今の時代はちがう。 代にくらべるとずっと自由てある。したがってこういう時代に唱える自由は放縦になりが ちてある。 本当の自由主義は、他者の迷惑にならない限りにおいて自分のありたいようなあり方を する権利があるという思想てある。それゆえに、生徒や子どもが他人の迷惑になる言動を とった場合、教師や親は間髪を入れずに「禁止・命令」する方がよい。てないと現実原則 を学習しないからてある。 学習生活におけるビリーフ

9. <自己発見>の心理学

第三章学習生活におけるビリーフ ハウッーよりは理論や原理や理念を学ぶべきである スキルも学問のうちである : : : 学問のよしあし 理論なしには技術もない : : : 技術尊重論への警告 2 ーー自主性・自発性を尊重すべきである なぜ禁示・命令か 社会化 : ・ : なぜ禁示・命令かーーータテ関係 : 禁止・命令してよいとき、わるいとき 3 ーーー暗記式の勉強はすべきではない 暗記なければ思考なし : : : 暗記なければ感情なし : : : 暗記なければ行動なし 4 ーーー頭のわるい人間は人生で高望みすべきではない 頭のよしあしふたっ : : 一般化のしすぎ : : : 頭のよしあしの変化 : ・ 「それゆえに」の検討

10. <自己発見>の心理学

ノーかと迫る方式の方が効果的のように思う。 教育は神経症者への心理療法とは異なる。現実原則の学習が主になる。神経症者へのむ 理療法は現実原則の学習解除が主となる。これを識別しないと、心理学が教育に導入され し」い - フ一」し」、刀↓の . り・ - フ るにつれ、教育の場がしまらなくなる いわゆる、教育の荒廃 たとえば私がカウンセリングの実習のときスー バイサー ( アメリカ人の教授 ) に「こと ばの壁が邪魔して : : : 」と弁解しようとした瞬間「弁解はするな、下手な英語をフルに使 ってやってみろ」と指示された。これが私の「己を恃むにしかず」の気概をつよめてくれ た。あのときファーカー教授が「うん、なるほど。それはそうだ」と支持的に応答をして いたら、私は甘えん坊になったと思う。相手がおとなても子どもても、男生ても女性ても、 教育をする側は、ここぞというときには是々非々をはっきり示す勇気と倫理を有している のがよい 禁止・命令・教示を権威主義だと思う人がいる。これはまちがいてある。権威主義とは 教師が自分の利益のために、理屈に合わないことを、無理にさせる傾向のことてある。生 徒や子どもの人生にとって有益て、かっ理屈にかなっていること ( 実証されていること、論理 性のあること ) てあれば、それを指示・命令したからといって権威主義とはいわない。医師や 学習生活におけるビリーフ