日暮らしの連続て生きてきた人は、改めてこう問われると答えに窮する。答えに窮するよ うては転職の要件をみたしていないことになる。今の仕事がおもしろくないとか、人間関 係がわずらわしいというだけては転職の動機としては不充分てある。回避 ( ーから解放された い awayfrom) てなく希求 (toward) が主たる動機になっての転職が理想的てある。 出たとこ勝負の連続の人生になってしまうと、自分の興味や能力を意識して育てる機会 を失う。そこてふだんから自分の人生計画を練っておくことてある。人生計画に応じて職 業生活や家庭生活や社交活動や学習生活のプランづくりが定まるからてある。将来のビジ ョンがあると、今何をしておくとよいかかわかる。その行動を起こしてみると、自分の能 カ・興味がはっきりしてくる。そこて将来のビジョンに若干の修正を施すという具合にな 将来のビジョンに向かって案をもって生きていると、案に関係あることには関心を示す が、案に関係がないことは気にとめない。つまり案があると、あれにもこれにも手出しし て、まとまりがなくなるとか器用貧乏になるとかいう危険が避けられる。器用貧乏だと何 となく人の誘いにのってやってみようということになり、特に自分は何をしたいのかがは つきりしないまま、流される人生になるおそれがある。 「△「、ここ ) 生 ~ きよ」し」か「はか、らい ) てよ」とか「たるよ - フにしかたらた ( い」し」教 - ん 162
役割志向 理由のひとつ。 いくらおかしな人物とても、お互いに役割さえこなしていれば共存てき るからてある。たとえば集金係はせっせと集金してくる。会計係はその金を記録する。こ の二人がカラオケを歌うほどに仲がよくなくても、忘年会のとき離れてすわるほどに仲が わるくても、せっせと集金し、せっせと記録するという仕事の分担に忠実てあれば、一一人 の共存は可能てある。 すなわち人間関係に二種類ある。ひとつは酒を汲みかわす人間関係。これは個人として の感情交流が主になっている。もうひとつは感情抜きの役割と役割のつきあい。前者を personal relation 、後者を socialrelation という。結婚がスムーズにいっている場合とは、このふ たつがほどほどに共存している場合てある。ところがカップルによっては後者 ( 役割関係 ) が主軸になり、前者 ( 感情交流 ) が影をひそめているものがある。 これはたしかにたのしいとはいえないかーーー人によってはたのしいという人もいる 決して絶望的てはない。 職場の人間関係はソーシャル・リレーションが主軸になるのがふ つうてある。それと同じ原理を結婚にも適用てきると、 ししたいのてある 140
いのて問題は解決てきなかった。人間 (person) としてはヨコの関係ても、役割 (role) とし てはタテの関係。これを是認するのが組織人の常識てある。タテ関係ということは禁止・ こ対して有しているかが自明とい , フことてある。 命令・教示をする権限と責任を誰が誰 ( 禁止・命令してよいとき、わるいとき ところて教師と学生の役割関係もタテてある。ということは教師は学生に禁止・指示・ 教示する権限と責任があるということてある。ては教師は権威主義者か。そうてあるとき とそ , フてないときがある。 と宣言し、 授業開始時に、「出席率が七割以下のものにはレポ 1 ト提出の資格を与えない」 異議あるものは申し出よとつけ加え、全員の学生が納得した場合は、契約が成立したと解 ところが何の契約もせず、学期末試 せられる。それゆえ、これは権威主義とはいわない。 : 」と一方的におしつける場合、これを 験の直前にいきなり「出席率七割以下のものは : 権威主義という。権威主義をこう定義すれば、すべての禁止・命令・指示・教示が権威主 義に起因していると解するのはイラショナル思考てある。 ては教師、親、上司が禁止・命令・指示・教示をせず放っておいても生徒や部下が成長 オ・・るのはい」 - フい - フし J 」カ 学習生活におけるビリーフ
すべきものてある。かっとなるのは幼児性がつよすぎる。これがエンカウンター・グループ なら許容される。初めからそういう人間関係を予想して契約された人間関係だからてある。 結婚はエンカウンター・グループてはない。 職場がエンカウンター・グループてないの と同じてある。上司に向かってエンカウンター ( 正直にものを言う ) したら馘になるのと同じ て、夫婦同士がエンカウンターしたら破滅することもありうる。それゆえ、エンカウンタ ーの心意気はあった方がよいが、頭を使う必要がある。つまり、現実的な人間関係のなか にいることを忘れない方かよい 同じことは女生についてもいえる。女性も夫に父親のやさしさを期待するのて、父親の やさしさを示し得ない夫に冷たさを感じる。つまり夫に世話されたい願望がある。そこて 「夫が父親のようてあれば、それにこしたことはない」と考えた方が得てある。「夫は父親 のようてあらねばならよ、 オし」と思い込むから夫の冷たさに我慢てきないのてある。 いちばん気の利いた考え方は「配偶者は論たいのが当然てある。やさしければもうけも のてある」と当初から覚唐をきめておくことてある。 146
そういうサラリーマンに私も仕事の関係て接することがあるが、多くの場合「家庭は憩 いの港たるべきてある」とのビリーフを持っている。それゆえ、夕方帰宅しても電灯がっ いていないといやな気がする。幼児が泣くといらいらする。配偶者が台所にこもったまま て玄関に出迎えてくれないと、これてもわが家かと嘆きたくなる。要するに家庭はくつろ げる場所てあるべきだと思っているがゆえに、不决になるのてある。「家庭は憩いの港て あるにこしたことはない」とか「家庭は第二の職場てある」と考えた方が事実に則してい る。このことを一言いたし 、のてある。それが本節のねらいてある。 家庭は契約された場である いのか。それは役割と役割の関係が主軸になった人間関 なぜ家庭は憩いの港になりにく 係だからてある。恋愛は人柄と人柄がふれあう人間関係てある。生計をともにしていない し、相手の人生に責任がない。 相手が入院したからといって入院費を工面する義務はない。 町かどの花屋て二千円くらいの花を買って、ニッコリ病室に現われたら、相手は最高によ ろこんてくれる。結婚してしまうとそういうあそびの要素が少なくなり、万事シリアスに し」い A フ ) 、、ら一 なる。花を買う金があれば、ナ 1 スステーションへの土産代にした方がよい いの判断をする。 119 家庭生活におけるビリーフ
が育ってくるにつれ、本当の親子に似た人間関係が育っことも大いにあり得る。実母に向 かって娘が「そんなこと一三ロっても : : 」とたし・なめるよ - フに、姑に・回かって「お・は・の + っ ゃん、そんなことを一一 = フもんじゃありません」と反論てきるよ - フな仲になることもある。 それゆえ「今のところは : : 」と限定して考えればよいのてある。ては「今のところは : が四、五十年続いたらどうするのか。晩年になってけんか別れするよりはずっとよいては ないか。距離のある愛の方が距離のないけんかよりずっと幸福てある。 ところて同じことが「夫」と「妻の親」との関係についても言える。夫はガールフレン トの親とっきあう要領て始めは行動すればよい。 感情のきざしは幾十年もかかって生じて ′、るは亠 9 、ごし J 田んはよい。 息子ぶって無理しない方が友好関係は維持しやすい しかし、そんなことよりも、夫にとって大事なことは、自分の実母に向かって「私の妻は 私のガールフレンドてある。母さんの娘てはよ、 オし」という宣言を年に三回ずつ十年間はお にふれすることてある。洗脳することてある。この不孝息子 ! と思われた方が、妻は しい顔をしやすくなる。「ほんとにこの人は困った人てすわねえ」と姑と連合しやすくなる。 孝行息子 ( 服従的な息子 ) ほど妻と母 ( 姑 ) の仲を悪くするもののようてある。 1 5 5 家庭生活におけるビリーフ
ナースは患者に「ーせよ」「ーするな」と禁止・命令するが、これをもって権威主義者だ 評する人はいない。教師、親とて同じてある。 なぜ禁止・命令かーータテ関係 禁止・命令・教示すべきてはないというビリーフを検討する第二の観点は、組織心理学 の立場てある。どんな集団 ( 例ー学校・企業 ) ても役割はタテに並んている。権限の大なるも のから小なるものへ、責任の大なるものから小なるものへ、といった順番に、タテに並ぶ のが組織の常識てある。すべての役割がヨコに並び、全員が「私」「あなた」と同好会気分 になってしま - フと組織の活性ヒは方げられる。 彳物がタテに並んているということは、誰は誰に禁止・命令・教示する権限と責任を有 しているか、誰は誰に対して中間報告する義務 ( 責任 ) があるかが周知徹底しているという ことてある。このタテ関係がはっきりしている組織は、これからも栄える組織てある。禁 止・命令・教示をしない野球監督のチームが春や夏の甲子園に出場することは皆無といっ てよい 昭和四十年代の大学紛争時、タテ関係になじまない教授会は何回会議を開いても、誰が 誰に何を命令するのか、誰が誰 ( こきちんと経過報告をすべきなのか、それがはっきりしな 9.
息子の親を大事にするということは息子に敬意を表しているしるしになるからてある。 このサービスは情愛の発露てあるにこしたことはないが、前述したようにまずアクショ というのは私たちは上司に対して情愛はなくて ンから起こしてみるていどのことてよい も、きちんと仕えることがてきるのと同じてある。上司に対して情愛があればそれにこし たことはないが、情愛がないから論たい関係になるということもない。 要するに情愛は今すぐに湧かなくてもやむを得ないか、せめてお互いに贈悪だけは持た ない関係にするにはどうしたらよいかを考えることてある 今のところ 嫁は娘てある、姑は母てあると無理に思わなくてもよいてはないか。こういう考えに対 して、これは日本の家族主義のよさを崩壊させる思想てある、と反論する人もいると思う。 それについてはこ - フ老 / んることがてきる。 「今のところ嫁が娘、姑が母とは正直のところ感じないが、だからといってこれから、四、 五十年の間、ずっとそういう感じが続くと決まっているわけてはない 飲食をともにしたり、孫を囲んて写真を つまり、行き来をしたり、 一緒に旅行したり、 とったりという共同作業をしている - フちに、「われわれ意識」 (we-feeling といって身内の感情 ) 154
今は生涯教育の時代てあるから、おとなにとっても学習生活は縁が深くなった。そこて 学習する側、学習を指導する側の両方に関係のあるビリーフを四つとりあげた。 デューイはすべての哲学は教育哲学てあるといった。すべての哲学は人生とは何か、人 生を知るとは何か、人生をどう生きるべきかにふれている。そして教育とは人生を考える ことてある。それゆえ、すべての哲学は教育哲学といえる、と。すなわち教育は子どもだ けの間題てはない。 教育に関係するビリーフを検討するとは、デューイ風に考えると、人 生観を検討することになる。そういう前提から四つのビリーフをとりあげ検討したい。 ハウッーよりは理論や原理や理念を学ぶべきてある 学生時代に私は ( 英会話クラブ ) のメンバーてあった。ある英文学の教授にクラブの 顧間になってほしいと代表格の学生が頼みに行った。その教授は学生の申し入れを断った。 英会話は英語使いにすぎぬというのてある。私の意訳によると「英語使いとは術 ( スキル ) てあって学問てはない。 英文学クラブの顧問なら引き受けるが :
つまり結婚という人間関係はお互いに責任がある。そこは会社と同じてある。会社ては 上司がきらいだからといって辞表を出すのは稀てある。きらいても、自分の役割をお互い にはたしていれば共存てきる。それが職場の特徴てある。結婚も同じてある。きらってい てもお互いが役割をはたしている限り、人間関係は続くものてある。何の責任もはたさず、 ゴルフをしてテレビを見てビールを飲み、ときどき発する音声といえば「メシまだか ? 」 「風呂まだか ? 」ていどの役割のこなし方ては、多分配偶者がやがて去る時代てある。 それゆえ結婚しても恋愛時代のように楽しい思いがてきると思ったら大まちがいぞある。 次のような最低六つの責任をはたすことを期待されている。課長が新入社員に期待するの と同じて、期待された新入社員はいつも緊張状態にある。家庭にも社長や課長がいる。し たがって「言っていいこと、わるいこと」を頭のなかて識別した上て表現しないと家庭内 トラブルが起こる。 さて結婚すると最低六つの責任や義務をいつも頭に入れておくことてある。 1 決定に関する責任。大きな決断 ( 例ー転職、引越し ) をするときは、配偶者に相談するか、 諒承をとってからにすること。「おい、 俺は今日辞めたぞ ! 」と薮から棒に配偶者に伝える のは、役割意識が乏しい証拠てある。人生の共同経営者 ( 配偶者 ) に事前に告げておかない というのは、きわめて自己中心的てある。 120