3 ホンダもヤマいしマシン作ってるんだからね、 辻本自信、ガードナーとの対決 本はこの第 6 戦以降、連勝を亜ね、 、に日 ) ってを桒しみにしていたのた。鈴鹿 8 再びチャンピオン争し 孑、よ一 =-: 対勺な差をもって收 ~ 、 いったのてある。 「今シーズン、カワサキがて第 1 戦 2 & 4 は辻本のデイトナ参 本各勺に走り出したてしよ。これ戦てカードナーの独曾易と化して いる。そのガードナーに辻本は , お ておもしろくなるかなと田 5 ってた ら、後半になってヤマハが出なく選、て約 2 秒の差をつけたのだった。 ・川こなってガード なってね。やつばり、淋しいよね。そして、たみ ホンダもヤマハもいいマシン作っナーはプラクティス中の転倒によ てるんだから、 4 メイカー揃ってるケガてのみをキャンセル。 拍子抜けした辻本に、今度はプレ やりたかったな」 ッシャーが襲いかカた 辻本のためのステージ 押し寄せるプレッシャー 1 クラスの辻本にはライバレ 「ここまてきたら、セッケンを守 かいないと一一高っても過一言てはない 出ればっという戦いぶりは、辻んなきゃいいよい、最終戦てタイ 本の実力とヨシムラのマシンを持トルが決まるっていうプレッシャー ってすれば当然うなすける結果ては確かにありましたよね。ても、ス あろうか、、とーーーロうタート ~ 則はほとんど気にならなか 2 大ワークスマシンのポテンシャったんだよね。それて、調子よく ルが全日本てフルに生かされてい走ってて、タイヤが少し滑り出し ないのもまた事実だ。このようなてきたころかな、ジワジワとフレッ シャーがかかってきてね。転んだ 状况において、辻本は、同じヨシ らいかんとかね。結局、レースの ムラの大そして島田進とポイ 方は手堅くやりましたけどね」 ントを敷しく奪い合う。 プレッシャーを感じながらも終 「チャンビオンを意識したのは、 第 9 、川戦あたりかな。それまて始落ち着いたライディングてレー スをリードした辻本は、このレー とにかく 1 戦単位てしか考えてい スも勝利を得て自らのチャンビオ なかったからね。絶対一何けると、 ンに花を添えたのだ う確信はなかったけど、ていねい スターティング・クリッドに並 に走れば何とかなるんとちゃ - フか んだレースをすべて優勝て飾った と思った程度やね」 第 9 戦筑波と第川戦菅生てはポ辻本。そのレース運びは結果的に ール・トウ・フィニッシュを飾り、完璧に近いものとなった。 「全戦全勝というのは、予想して ポイントランキングてもつい 学にこし」し」い - フレよ。りキ目面示・ごっご。 ップに立った。最終戦となる日本 て辻本のを阻止てきるの特にケガしてからはチャンビオン は隹しいと田 5 ってたから、とにか ごナ、、ご。さらにエントリ は大島だ くひとつずつ勝って行こうという 表には・ガードナー、昨年ヨシ ムラのマシンを駆っていたシーズンに入る前に決めていたこ とをやっただけだからね」 の喜多の名前がある。 淡々と語る辻本の表情には、シ 「ガードナーが走るって聞いてた ーズン ~ 則には見ることがてきなか からね、 8 耐の雪辱だと気合が入 った自信に満ちた輝きがある。デ ってたんやけど、直前て走らなく イトナ参戦、鈴鹿 8 耐 3 位、全日 なって、何か拍子抜けしてそのま まレースの方もスタートしたって本。辻本はまさにスタータム 感じごっご へと駆け登った。 ゼッケンを守んなきやって、
' 86 年のロードレースシーンも、今、ようやくその終焉を迎えた。期待通りの成績を残せなかった顔、予想以上の活躍をした顔、 さまざまな青が今シーズンを物語っている。日本の顔が世界へ世界の顔カ旧本へど 86 年は話題にこと欠かないシーズンでもあった。 P わ 0 ね / 田口顕ニ渡辺正和高橋明渕本智信東広幸 ' 86 年の反省・ ' 87 年への抱負・① チャンピオン不在のステージでゼッケンをひとっ落としたシーズン。 今年はタレント業になっちゃったね。来年は本職を全うするよ。 を 第 水谷勝 今となっては非力だと言わざ ・みずたにまさる るを得ないと格闘し、全 昭和年田月 7 日生まれ愛知県出身 ー 76m 、スズキ契約ライダー 日本選手権ランキング 3 位に甘 祐年初レース。年 < 級昇格年 < んじ、世界参戦も思うよう 級 7508 クラスチャンビオン、年 に走れなかった水谷勝。 > 型 4 < 級 5008 クラスチャンビオン、 気筒のニューマシンの開発が遅年 < 級 5008 クラス 3 位。 れている中て水谷は耐えるシ ーズンを強いられた。 かし、今シーズンのタイトルを 与えられたマシンで走る かけた残り 2 戦て水谷は連続の 「ニューマシン ? 開発は進ん転倒リタイヤを喫し、タイトル てはいるけど、今は目の前にあどころかゼッケンさえ守ること るこいっ (xe=) て走るしか かてきなかった。 ないよ。ケえられたマシンて走入ョ年はどっちかと一一朝フとタレ る。これは乗る側としては当然ント業だったからね。練習の時 のことたよ」 間も少なかったしね。本職は走 今シーズンも水谷は、ウォル ることだから、来年は本職を全 ター・ウルフカラーに包まれた - フす・るよ。」っと」 スクエア 4 マシン、フ全日本選手権の合い間を縫っ ルシーズンを戦った。平が世界て世界に挑戦した水谷は、 に去ったあとのこのクラスて最そこて常に真剣に取り組むこと 高位のゼッケンをつけることに の大切さを改めて痛感したと言 なった水谷は木下、八代の 2 台う。水谷ほどのべテランか再認 の Z(-ræと河崎が駆るを識せざるを得なかった単純明解 迎え討たねばならない なその方法論は、来シーズン、 「マシンは去年とほば同じ状態ニューマシンの登場より具現化 わなんだけど、 1 年多く経験積んされるに違いない てる分、タイムが伸びなきゃい 「保が自分自身に厳しくなれば けないんだよね、本当は。ても、周囲もそういう目て見てくれる 何となく気を抜いた走りをしててしよう。あいつ、今年は真剣 る気がするんだよなあ」 に勝ちに行ってるぞってね」 昨シーズン、最終戦まて平と 平をやつつけたいね チャンピオンを争っていた時の 緊張感が今はないという水谷は来シーズン < 級Ⅱ年目を迎え それても 2 勝を挙げている。し る歳の水谷は今、新たなる挑 戦を試みようとしている。年 に 5 0 0 8 クラスチャンビオン を穫得して以来、平に木下に苦 杯をなめさせられている水谷の 意気込みはかなりのものだ。 「世界の平をまず、やつつけた いね。新しいマシンてね」
33 。 レ驫第町日いい オーダーしてから待っこと約一年半、今年 6 月についに手に入れた念源頁のクレマー・ポルシェ。 400 馬力のパワーで、 280k 可 h はゆうにオーバー 「やっとノルマを達筬てきた。自のの、彼にとってはとても会心の 分になんられた義務を 3 年目にし勝利といえるものてはなかった。 てやっと果たし終えたという感じ だね。僕にはチャンビオンをる向かい風と逆転颪芬 義務があったから・・ : : 」 しかし、それから 2 週間後の 4 4 年ぶりに全日本 500 8 クラ スのチャンピオンに返り咲いた木月日、 3 戦目の鈴鹿は、「結果的 に ( チャンピオンの ) 決め手とな 下は、現在の心境をこのように語 ってみせた ったレース」となった。 シーズン前、平の世界フル 木下の予選タイムは 2 分片秒 5 エントリーを知り、「も - フ、オレし 89 てポール - ホジション等。↓ かいないな。これ、てチャンビオンして、宿敵水谷のタイムは 2 分 をれんようじゃ、ヤ、ハイな」と 秒 906 て予選 2 位。木下のそれ 田 5 ったとい - 一 ' , 木下。 まての鈴鹿におけるベストタイム しかし、シーズン開幕戦を迎えが 2 分秒台中盤だったこともあ るに当たり、彼のコンディション って、木ドは本に勝てると田 5 っ は決してベストといえるものては 学ノ」し、 ところが、レースが始まってみ なかった。昨年川月、マシンのテ スト中に転倒、右手に被ったダメ ると、なかなかタイムが上がらな い。結果、水谷との抜きっ抜かれ ージは依然尾を引き、握力はわす ( まてしか戻っていなかつの激烈なトップ争いが延々と続 き、とても「楽に勝てる」どころ 「シーズンか始まったら、そんなてはなくなってしまった。 レース当日、ストレイトての向 こと一言ってられないよね」とい - フ ものの、満足なアクセルワークや い風を老して、ファイナル・レ ブレーキングがてきるわけもなく、 シオのセッティングを加速市視に 開幕戦のビッグ 2 & 4 。ては、トッ変史したのが裏目に出たのだ。タ イヤが空転し、トラクション・ロ プの平に約秒差の第 5 位。しか も、コンマ 1 秒を争う 3 立争いに スを招いていたのた 旧 , 唄 2 人のドッグファイトは 敗れての 5 位てあった。 「し」にかノ \ 、絶対にリ . 々 , イ・一 / ごけ 最終ラップにまて持ち越されるこ はしないておこうと田 5 ったんた ととなったが、木下は最後のシケ 1 度リタイアしたら、チャンピオインても、水谷に完全にプロック ン争いから一気に遠のいてしまうされてしまう。やむなく、木ドは からね。だから、どんなに調子が シケインてのラインを変え、最終 悪くても、ポイントだけはってコーナーて目いつばいアウトにつ いこうとむ懸けていたんた」 いて最後の勝負にーって出る。 「スリップにうまく入れれば、ま 2 戦目の菅生ては、トップを独 走する河崎の転倒もあって、木ド た勝機はある」と踏んだ木ドの作 は幸運なシーズン初勝利を得たも 戦は、見事に効を奏した。スリッ 3 年目にしてやっと 自分の仕事をやり遂げた という感じだね。 24
いつも全開てトライする彼のレ た佃故転んたのかわからないよ」 ースりは 6 シーズンもすこしも それても第 8 戦フランス′し 1 、ひとっしか 変わらなかった。たオ 優勝。第 9 戦イギリスて 2 ないチャンビオンの栄冠と名誉の に入賞し、シリーズチャンヒオン ためたけにト・ 卩界中の強豪が集まる に下・をかけた 厳しい世界の中て、誰よりも 第川戦スウェーデンてはレ 強く、ライダーの気迫とを ースコンディションをうまく眦み、 感じさせるラバードは、成厳ある のセッティングてレースに臨ん 走りを世界中に披露してくれた。 たラバードはれ交勝をもぎとり、シ リーズチャンビオンも司時に手中 レーストラックへ出て・灯く。 におさめたのてあった。 ーズンの 2 乂目のチャンヒオン世 「さすがにスウェーデンの時 得も「神様のおかげだね」と陽気 は緊張したね。最初から雨が降る さかこばれるラ、ハード・スマイル ことを願っていたんたこのレー を見せてくれ、、。 スがダメても、サンマリノがある 今シーズンのオーフニングてあと思っていたけど、やつばり勝ち るスペインぞは、スタート直 たかった。チャンビオンが決まっ 後の 1 コーナーてクラッシュして て、すごくハイな、最高の気分だ しま - フか、のスタート筆故によ ったよ。嬉しかった : りレースが・甲断され、ラバードは 叔単となる第Ⅱ戦サンマリノ セカンドマシンによる再スタート ても彼はトッフを信じられな ぞ市な 1 を挙げご。 いスヒー「ぞ独走。ところが、ヒッ 第 2 戦イタリア位、奩実 トクルーのペースダウンのサイン にポイントをねてい く。そしてを見たとたんにクラッシュしてし 第 3 戦西ドイツては回目のまう ースディをポール・トウ・フィ クラッシ 「残念だったけど : ニッシュて飾った。続く第 4 戦オ ュのあとは、ひたすらヤマハが勝 ーストラリアも圧勝。誰の目っことを祈っていたタタヒコ にも十ラバードの速タイラが勝ってくれたのてほんと さに追いつく者はいないと田 5 わせ ・フに〕しかったね。今シーズンは、 る决調なすべり出しを見せていた。 世界の中て 3 人にしかワえら れないファクトリーマシン N が、第 5 戦ューゴスラビア ー、一ナてトッフ ては、日反 ~ 伐〔毛から ~ し 250 を手に入れることがてきて、 に〕り・中・ " っし」い - フ一フハー・ヾ・・らーし、 大いに満足している。それはヤマ ノから」信頼されているとい・フこと 冉れ技を ( じなから、その次のラ 、、と田じ - フからね。その、にチャ ノフ、てクラッシュしてしまう スタートを切るがマシンの不調てンヒオンという形て応えられて、 、ンーズ ほんと - フによかったしし、 リタイアフライドを茉く芻つけ られたラバードは、レーストラッ ンを過ごせたと思っている」 彼の思いきりのいいフリリアン クを離れると、涙を流して悔しが トな走りは、いつも輝きを放って く第 6 戦オランタに易気 いる。そして、独走態勢のレース な笑顔て現われた彼は独走てチェてあっても、他のライダー ッカーを気けた。そして山の第 7 のかな希望の光を投げかけてくれ 戦ベルギーては、またしても る。それは、いっ彼がクラッシュ クラッシュし、ノーポイントに。 してもおかしくない 常に限界の 「きっと集中力が足りなかったん ライディングをしているからた 天下無敵の韋。 ラバードには妥協という言葉は存在しない。どんな時でも全開て発り、限界まて政めまくる。これこそ彼の速さ叫て市、去そしてまた魅力である。今年、実質上彼を止めることのできたライダーはひとりとして存在しなかった / M w 63 、一
態勢は万全てあった。さらにポ テンシャルを高めた新年型 250 は、幾甞又かのテストにより、 誇戦の 1 年を戦い抜くだけの力量 か証明されていた。そして片山に -2 、一フ ' ノノ ヾレとも成り得るが、頼 もしきチームメイトも加わった。 長谷川、村の両ライダーてある。 「よくヤマハ三羽ガラスといわれ 片山信一一のチャンビオンへの道 のりは、楽なものてはなかった。 もちろん、昨シーズン終了の時点 て片山がランキ て小林大に続い ング 2 位てあったことからすれば、 チャンピオン候補の筆頭というこ とになるのだろ - フか、何といって も 2 5 0 3 クラスは全クラスの中 ても激戦区てある。まともに全戦 にエン、にリ・、ーーし′し , 0 、い」 - フい - フ士料 果になるか、最後まてわからない というのが、ここ数年の展開だ。 しかもその上に片山はシーズン 突入を前にして、大きな事故に巻 き込まれてしまった。不安、あせ りかっきまとったのたかどうや らシーズン開幕には間に合った。 「あの時期は、あせらなかった、 といつごら、虚になります。ても とにかく開、き皐阯るしかなかった」 そして激動の年 250 のシ ーズンが始まったのだ。 片山は、例年のように目標をか かげた。それはいつもの目標とまっ たく同じものてあったが、その意 味には大きな違いがあった。 「ゼッケンよりひとっても上の成 飆を残すこと」 つまりセッケン 2 をつけている 片山にとって、今年はチャンビオ ンをとること。それ以外の目標は なかったのてある。 ていろいろ比較されますけど、僕 らの中には、そんな意識はありま せん。ライ、ハルというよりは中間 てす」 片山はそう語る。それてはやは り、当面のライバルはホンダ勢な のか ? し ( え、とくにホンタも意識は しません」 これまた片山はきつばりと否定 した。つまり片山にとって、まだ 特定の者だけに目を奪われてはい られなかったのだ。とにかく自分 カどこまて行けるのかも全く未知 数だったわけなのだから。 第 1 戦になるてあろうはずの筑 波が中止となり、菅生からこのク ラスはスタートした。菅生 2 位、 続く 2 戦目の鈴鹿も 2 位てあった。 この 2 戦、片山の前を走っていた のは、仲間の長谷川てある。 「あいっとは、今年 1 年一緒にな ってこのマシンを造ってきた。序 盤てあいつが勝っていた日も、や はりは速い。あとは自分が もっともっと腕を上げれば、一番 高いところへ立てるんだ」と片山 は信じてきた。次を見てろ、次は 必ず : ・・ : 。そうやって自分に言い 聞かせて迎えた第 3 戦て片山はま たもう一度、失意の底に突き落と されることになっ、、。 3 戦目の筑波。第 1 コーナーて 片山は転倒。鎖骨を折ってしまっ たのてある。 「ドーンと落ち込みました。入院 して 2 、 3 日はノーポイントのレ ースをしてしまったことの海しさ をいやというほど未わいました。 そして次に訪れたのが、ひょっと ー ) た、・ら、ム一・ / 年一 ) 一の↓ 6 ↓へ ? フ終「 つや 0 わってしまうのてはないたろうか いや、もう走れなくなってしまう のては、という恐怖てした」 病室のべッドの上というのは、 ライダーをキリキリのところまて ・ら・、より 追いつめてい 不安 : ・ : ・。今まぞ築いてきたもの がグラグラと音を立てて歪み始め たのだ。 「ただ僕の救いは、こののんびり とした生各てしたね。はじめのう ちはべッドの中て負の方向ばかり 考えていたものの、時間が立つに つれて開き直ってしまうんてすね。 まあ、 ( いやって。次に全力を出 し切れば、それて満足なんじゃな いかって・ 。こんな開き直りの うまさが、僕の数少ない武器なの かもしれませんね」彼の笑いが確 かにそのまま後半戦へつながった。 「今年一番印象に残っているレー スはやはり初勝利の筑波てすね」 2508 クラスの 5 ラウンド目に あたる筑波。ここて片山は級に なってはじめて優勝した。 彼の走り方て今年になって大き く変わった点は、レースの状況を 士一眦めるようになったことてある 「とにかく人よりも ~ 則てレースを 進めていくことがとても肝腎なん ペースがまったく分から ないて、たたやみくもに頭に立っ ていてはどたん場の勝負どころて 抜かれてしま - フ。誰かを先に頭に しておいて、その後につけて走る、 という計算もてきるようになった」 後半戦に入り、覇権の行方は長 谷川との一騎打ちという様相を呈 してきた。 ~ も自分てはポイントを計算し なから走ることごけはしなかった。 あれやると走りがセコくなるんて 亠 9 。とにか , ・ 4 払ばないこと。そし て自分の持てる力をフルに出し切 って走ること、それて勝てなけれ ば、相手の方が速いんた、と物り 切れますから」 片山は 2 5 0 クラスにライタ し」い - っ .0 隹 間のカの差はない が優勝しても決して不思議てはな そんなこわいクラスだという 7 戦目に当たる菅生。ここて片 山は宀亠な走りて今季 2 勝目。一 方、長谷川は 8 位と順位を落とし た。初めて片山はランキング 1 位 となった。そして迎えた日本。 「外人ライダーを見て多少ガク然 としました。はじめて走るコース て僕らがいつも出すタイムを軽く 超えてしまうんてすから」 ラバードらの走りの違いを目の 当たりにしながらも片山は、初タ イトルに向かって着実に進んてい く。それはまさしく彼ならてはの 確かな足どりてあった。そして念 願のチャンビオン度得。 「実感はまだ : : 。、、ごし・目宀見は 持たなければ、と田 5 っています。 来年 ? もちろん今年よりひとっ ても上へという目標に違いはあり ません。そして最後はあのガク とさせられた人たちの中て走って みたいてすね」 123
やっぱり淋しいよね。 鈴鹿サーキット、 6 8 ノ平 9 月凵日 午後 1 時分。辻本聡は全日本最 終戦日本において、 7 万人の 大観衆が見守る中、クラスの 2 年連続のチャンビオンを決める べく、チェッカーをくぐった。辻 本は今年もまた最終戦てチャンピ オンを決定するという、 決して楽 てはないシーズンを送ったのてあ る。 「今シーズンはプレッシャーなん て感じたことはなかったんだけど っ 0 ~ 広につける。 ね、最後の最後て感じたなあ」 「それまて『やめとけ、やめとナ 思わぬアクシデントの穎末って言ってたおやっさんがね、予 選順位を見て『おまえにまかせる』 今シーズンの辻本は、チャンピって急に能度がかわっちゃって、 オンを穫りに行く立場から、守るそれじゃ走ろうってことてね」 立場へと変更を〈戝なくされたわ 完治しないままの左足首の痛み けてあるが、シーズン当初はディを抑えてスターティング・グリッ フェンディング・チャンビオンと についた辻本は、いつになくリ してのプレッシャーなどのかけら ラックスした様子だった。 7 月の も見せず、逆にチャレンジャーて鈴鹿 8 耐の前哨戦と言われている あった昨シーズン以上の攻めの走 200 、 1 時間分と りを見せていた。 このレースは長い戦いになる。 ところが、全日本第 4 戦て思わ ぬアクシデントが辻本にふりかか 「とにかくマイベースて」 る。 3 クラスのプラクティスて、 2503 クラスのタイムを出して「長丁場だから、しんどいかなっ やろうと果敢に攻めていたというて田 5 ったんやけど、逆に長丁場だ 辻本は逆バンクて転倒。このアクからいろんなことがあるてしよ。 シデントて左足首骨折、全冶 3 カ転ばんようにマイ・ペースて走っ 月の診断を下されてしまった。そてね、最後に勝負しようと思って して、このレースはもちろん、続走ったから気は楽やったね」 く第 5 戦もキャンセル。デイトナ 勝っことだけを考えて攻めの走 遠征て第 1 戦を欠場しているため、りをしようとしていた辻本は、こ 計 3 戦をノーポイントて終わるこの左足首骨折により、「勝っため」 ととなる。この時点て 2 年連続チということに変わりはないものの、 ャンビオン穫得の可能性は一時的その方法論を徐々に変えつつあっ たのてある。 に遠のいてしまった。 「入院前も退院後も、勝負に関し 「ケガの方も体力の方もまったく どうなるかわからんこともあって、 ては勝っことだけを考えたね。だ から、とにかくレースに出たかった」すごい令静に走ってましたよ。友 そして、とにかく練習走行だけ かれてもね」 てもという辻本の強い希望て第 結履レースの方はトップを狙 6 戦鈴鹿 200 のためにサーキえる主力ライダーが次々と脱落し ット入りする。練習走行を問題なていく中、終始マイベースを守っ く済ませた辻本はプラクティスてた辻本が優勝を飾る。そして、辻 ( ト 'ÅmP'b 0 SATOSHI TSUJIMOTO ャ シ ッ レ プ ね ま わ わ 0 28
グラブの表は、まさにライダーの皮膚感覚の感触をダイレクトに伝えてくれるメッセンジャー ポイス・オプ・サイレンス。その微弱なるノヾイプレイション 速いものは美しい。その論理は脇役たちにまで及ぶ。チャンビオンのヘルメットは美しく、そして存在感が滲む 84 0 4 介
レースに取り組む姿勢は、プライベイターのそれと何ら変わらない、真剣そのものだ / A M 趣味といえばレースをすることぐらい。ラバードにとっては、レースが生活そのものなのだ / ゝ M サーキットでは何をやっても絵になる男、それがラハードだ / A M ベネズエラの山の中、トレール ても激戦中の激戦といわれる 25 レースが雨かもしれないし、いっクトと思える走りをするしかない 車て遊んていた歳の少年がジョ 03 クラスてシリーズチャンビオもベストて走れるとよ具らよ、 : ド・オ ( 力のさ。マシンの差があることは分 かりきったことだったからね。ポ ニー・チェコットにれてロードンを度得してからだった。 1 秒のらね。それがいっかは役に立つは レースを始めた。そして爲年のべ 間に予選を勝ち抜いた人以上のずだと思っているから : ールポジションをとった時はびつ 、不ズエラ世界 GP2508 クラスライターカひしめき、周回ごとに 僕は、器用じゃよ、 オ ( カら、八上開 くりしたよ。てもすごく ~ 暑しかっ た、けい」 , ね」 に初出場、 2 位を得し、一躍注大バトルを演じた年シーズンのていくしかないんだ。それが昔か 目を集める。少年の名はカルロス王者として、彼の名は不動のものらのやり方なんだ」 彳の歩のこもったレースぶりは となったのだ。 ・アルベルトラバード・ジョーンズ。 8 年シーズンをランキング 3 位ファンを魅了し続けた。 「初めての世界は何もかも華「シーズンまては、 250 8 クて終え、迎えた新年シーズンはフ 「ベストをつくすだけ。勝てるか やかて : : : 。特に印象に残って、 ラスはフライベイトライダーの登レディー十の参入勝てないかは走ってみなければ誰 るのはケニー 十ノ学ノ 竜門だっ ' 、。誰てもがんばればひの中、ファクトリーマシン相手に にも分からないよ。ヤマハのマシ ツナギもマシンもピカビカに輝いよっとすると勝てるんじゃないか互角の戦いを見せ、 2 度の勝利とンて走って、テストライダーとし て、まるて映画スターを見ているっていうムードが一番強いシーズ 5 度のポールポジションを度得した。ての意味を背負って走れるのが嬉 ような気分だったね。あの世界ンだった。ファクトリーマシンが 「自分てもポールポジションをと しいんだ。それがいずれは生産車 は僕にとって大きなチャンスだ 一台も走っていなかったからね」れるとは田 5 っていなかった。直線べースにフィードバックされてい った。ポイントを得ることがてき 彼の走りから伝わるレースへのスビードては 7 も違っていたか く、それが 250 8 の在り方だ 思っているんだ。そして、勝てれ て、次の年から『ベネモト』のサポ熱は、見る者の心をとらえて離らね。タイムを縮められるのはコ ートを受けてを〕転戦することさない ーナーしかないんた。スタッフが 、最高だ。自分のいが残らな カてきるようになったんたからね」 「僕はいつも全開てトライする。 そんなに無理に攻めることはない いレースをする。自分の中て納得 カルロス・ラバード、この陽気雨が降ろうが風がどんなに強かろっていうけど、僕にてきるのはコてきて、ハッビーてあれば順位な なベネズエラの英雄の名が世界中うが、どんな状態てあろうとね。 ーナーて寝かせて、そして速く立んてどうてもいいのさ。もちろん のロードレースファンの間に圧倒マシンの状態についても同じさ。 ち上がってタイムを稼ぐ、それし常にチャンビオンを目指している 的に広まったのは、世界の中どんな状態ても全開て走る。次のかないんだ。自分自身てパーフェ けどね」 ど PO “ 全開で走れ / EB'S
・ジョイ・ダンロップ ー 952 年 2 月日生まれ、アイルラ ンド出身。身長ー 735 、体重・ 59 。 間年からレースを始め、年には世界年問の長いレースキャリアを持っぺテラ 選手権ー u-«—でチャンビオンを獲ンは、控え目な能と礼儀正しい物腰で、 得。以後、同クラスにおいて目下 3 連誰にでも好印象を与える 覇を達成中。 Joey DUNLOP ジョイ・ダンロップ マン島レースの王者、日本上陸。 公道コースに比べたら、鈴鹿なんか安全なコースだね。 に特別の秘訣などないね。マンはない イギリスの公道コース ジョイ・タンロッフといえば に比べたら、とても安全なサー 毎年 5 月に開かれる、イギリス島のあのコースを、公道サーキ ットを走ることは些長にとってはキット・ごと田 5- フよ のマン島レースの王者とし て広く知られるライター。ロー ごく自なことなんた」 4 回目の鈴鹿のレースは、た へんだったけれども、とても ドレースのオールドファンならずムア平、彼はーのワー ルドチャンビオンとして、 3 年 いレースがてきたと思ってい とも、憧れの地てあるマン島て、 、ご。ト柄な身る。日本のライターが予想以上 他を寄せつけない速さを見せつ連続の栄誉に輝し けてきた。 1 周以上、 20 体と柔和な笑顔を持っ彼は、 v-æに素晴らしかったのには正直い 一 0 以上のコーナーを持っマン島 1 チャンビオンを静かに受けとって驚いたね。ても、大勢のフ アンがレースを見に来てくれて、 の公道コースは、伝統的な川秒めている。 その ~ 則てレースがてきたことを、 ごとのマン島式スタートと危険「世界中のいろんなサーキット の高さて知られている。その難をまわってレースをするけど、本当に感謝しているよ」 いつも物静かて目立たない彼 コースの勝者はイギリスの英雄その時、その時のコンディショ として称えられ、このワンレー ンを考えて、ひとつひとっ克服は、紳十的な対応と控え目な態 してきたんだ。チャンビオンは度て、これからの抱負を語って スの賞金だけて、 1 年の生活が ほばロ本立早されるともい - フ あくまて、その結果さ。もちろ 「これからのことは、またわか 「僕はアイルランド生まれだかん喜びは感じているけどね」 : と、いろいろなレギュ ら、マン島は小さい時かられそんな彼が、今年の日本らないナ、、 親しんているコースなんだ。実 に参戦し、レースて 3 位、レイションの変更などて、ゆく 、ハイクに乗るこ 際、初めて走るライダーはコー 3 レースて優勝の成績を残し、大ゆくはスー スを覚えるのは難しいイた いにレースを盛り上げてくれた。とになると田 5 う。よくにこ だわっているといわれるけれど、 「鈴鹿のコースには特別の不満 思うな。僕がマン島。て勝っこと 僕自身としては、そういうつも りはまったくないんだ。レース かてきれば、ただそれだけてし いのさ。 も - フ 2 、 3 年はレースを続け て、勝ち続けていきたいね。引 退はそれからさ。」
( ト m ′ゝ K 日』 KINOSHIT 2 プに入って「 ( スピードが ) グッと 下が、最終戦の日本を待たす 伸びた」木下のと水谷の に 4 年ぶりのチャンピオンを決定 は、ほば同時にゴールイン。 したのてあった。 も 1 、 000 分の 1 公式の時計て 秒ま、てまったくの同タイムとなっ 世界を走るとき たが、結域軍配は木下に上がっ 平の世界フルエントリー 風を老したあまりセッティン シーズン途中からの八代の世界 グに失敗し、思わぬ苦戦を自ら招参戦、そして水谷の世界ス いてしまった木下だったが、最後ポット参戦と、今シーズン、木下 にはその風を味方につけての、実のライバルたちは相い次いて世界 にドラマティックな勝利となった。を目指したが、木下だけは攵 これて木下はトータルポイン えて全日本を戦い続けた。 ト。ポイントスタンディング 2 位 コ打きたくないといえば嘘になる の八代とは 6 ポイント差だ けれど、 1 位とれなきゃね : ムョはファクトリ ーが 6 台か 7 台走 っているわけだから、その次あた べテランの余裕と自信 りの 7 位か 8 位は絶対に走れると しかし、 3 週間後の筑波は 3 位。思う。ても、それも内容が問題だ 「もちろん勝ちたかったけれど、 と田 5 うんだ。競い合って、その結 マシンのテストも兼ねていたから、果 7 位か 8 位だったらまだいいん オけれど : 3 立てもしょ - フがないとい - フ咸」じ じ」 - フせ一丁′ \ なら、 ごった。ポイントてもある程度リ自分のコンディションをベストに ードしていて余裕があったから、 整えて、クルマももっと良くして、 そ - フ田 5 えたんたろ - フな。反にもっ マシンのセッティングやタイヤの とポイントて競っていたら、マシチョイスも ~ 一亠にてきるようにな ンのテストなんかはやってられな 自分がリしきるよう かっただろうな」 なに行かないと意味がないね。 これて 2 人の差は 4 ポイント。 参加することには音翠我はないから。 続く 5 戦目の菅生ては、 2 位て昔だったら、〃日本のレースなん フィニッシュした木下は、優勝のてみという風翻があったけれど、 八弋につし に 1 ポイント差と肉迫最近になってやっと ( 日本のレー されてしまうのだが、当の本下は、スも ) 認められるようになってき 「若い頃というのは、どんどん伸 た、か・ら , ね」 びるからね。 ただ、転んだりケガ 以前は、チャンビオンをれそ したりすることも多いんだ。紙一 うなシーズンても、最後の方のレ 重なんだよね。僕らはその前に気 ースを捨てて、ヨーロツ。ハへ護っ 4 に一 ) し」亠のつ 4 にし J い - フ づくけれどもね。今は怖いもの知 らすていい力もしれないけれど、 「今から田 5 えば、もっと ( 全日本 500 のレースというのは、そんて ) 実績を残しておけばよかった」 な甘いもんじゃないからね」と、 という木下。たか、今シーズン、 500 3 クラス参戦 1 年目の八代 5008 クラス、て 3 勝をマークし の各 5 追にも、まったく動じないと た木下は、全日本における通算穫 したところご。 得優勝回数を幻勝とし、平の持っ 結局、注目のポイント争いは、 勝の記録にわずかにあと 1 勝と 八代の世界参戦という形てケ迫った。来シーズン、歴代の全日 リがつくこととなり、 7 戦目の菅本ライダーの項点に、木下が君臨 生て今シーズン 3 勝目を飾った木するのはまず、間違いない つ