知っ - みる会図書館


検索対象: N・P
210件見つかりました。

1. N・P

行きかう車の流れが、現実味のない世界に私を運んでゆく川の流れのような気がした。 「私、あなたが庄司とっき合ってるの知ってた。乙彦がね、庄司とあなたをパーティーで 見かけたって言って、あなたのこと、説明してくれた。会ってみたいな、と思ってた。日 本に帰ってくるの憂鬱だったけれど、あなたがいるんだ、と思ったら気持ちが明るくなっ たりした。」 「着いたわ。」 と言って萃は車を寄せた。そこは来たことのない大きな公園で、門のところから見ると うっそうと木が茂り、森のように暗かった。 「降りて、散歩しよう。」 と彼女は言った。 公園はかなり広く、入口付近の密集した木立の中を抜けていくと、突然ばっと明るく開 けた池のほとりに出た。自転車で売っている昔懐かしいアイスキャンディーを買った。お z じさんがポックスから 2 本のアイスを出して手渡しながら、あんたたち、姉妹 ? と聞い た。そうです、と笑った。古い木のべンチに座って、アイスを食べた。 本当に、湖みたいな池だった。はるか向こう岸の木々が山のように見えた。澄んだ鏡の

2. N・P

「ちょっと待って下さい。」 私はあわてて振りほどこうとしたが、その穏やかな表青とはうらはらに彼女の力は強く て、決して手を離そうとしなかった。気持ち悪いくらい、熱い手だった。 「悪いけど、知らない人と一緒にいけないわ。」 私はかなり強い口調で言った。彼女は一瞬ひるんだが、 「知り合いだってば、古い。」 と言い返してきた。このところよく聞くフレーズだった。 「だって、会ったことない」 私は言った。 「乙彦から聞いてないの ? 」 きよとん、として彼女が言った。わかった、これが乙彦の、と気づいた。あなた、と言 おうとしたら彼女は言った。 「私、あの人達と腹違いのきようだいなのよ。」 「えっ ? 」 私は意表をつかれて、そういったきり黙ってしまった。そして、やっと理解した。あの そうめい 聡明な双子がそこだけ要領を得ないしゃべり方ばかりしていた一点を。 「知らなかった。」

3. N・P

うから。もうひとりちょっとひどいマニアがいてね、自分でももう囲話目を入手している くせに、関係あるものをみんなほしがるんだ。」 「知りあい ? 」 「この間までずっと一緒に旅行してた女。一緒に帰ってきたんだけど、君のこと知ってる ようだから。」 「マニアとっき合ってるの ? 」 私が笑うと、 「うん、そういう無心な情熱に弱いんだ。」 と、彼も笑った。 「きっと、お父さんの面影にも恋してるのね、そのひと。」 「そういうの、面白くっていいよね。」 「変な人、あなたも。」 「君も、何だか古い知り合いみたいで、変な感じだよ。」 「古い知り合いよ。」 「そうだね、きっと一時期あの小説のことばっかり考えたことがあるから、共通項が多い んだ。だからこんなに話しやすいんだね。」 「今も時々考えるわ。」

4. N・P

「クーラー弱いね。」 ひざこぞう と言ってクーラーを強くした。冷気がふたりの膝小僧をさらした。 「楽しかったの。ポストン。ちょっと憂鬱で、きれいで。落ちのびてゆくにはできすぎた ところ。でも 2 人の間にある問題は、変化しなかった。当たり前。そして、お金もっきた し、どうしようかってなって、別れよう、日本へ帰るよって言われて、じゃあ私残ろうか なって : : : 言ったけど来てしまった。」 萃は言った。 「そもそもの始まりには、きようだいだって知ってたの ? 」 私は言った。 「私は知ってたのかも。」 彼女は言った。 「好きになったから、知らないことにしようと自分によく言い聞かせた。そうしたらその うち、どっちが本当だったかわからなくなったの。うそみたいだけどこれはほんと。朝起 きるじゃない ? そうするとあれ ? きようだいだっけ、そっちがうそだったんだっけ、 ってわからなくなったりした。」 「そういうものかしらねえ。」

5. N・P

8 話目はそういう話だ。離婚し、独り暮らしの荒れた生活の中で、主人公は場末のクラ プで知りあった未成年らしき娘と恋に落ちる。何度か寝てから自分の娘だったと知る。そ の娘の強烈な魅力のとりこになる。 「単にロリータつばいっていうんじゃなくって、おしまいのほうなんて、薬やお酒のせい なのか、ものすごく幻想的でしよう ? 彼女の非人間的な美しさの表現なんて、コナン・ ドイルのお兄さんが描いた人魚の絵のようで。とても好きだったなあ。」 私は言った。彼は少し照れたように、誇らしげにうなずいた。それで彼は、やつばり父 を誇りに思ってるんだわ、と感じた。 「世に出したかったわ。」 「いっか咲が、って、姉がね、きっとやるよ。やりたがってるから。」 彼は言った。 「ところで君、話目を持ってる ? 」 「ええ、庄司の形見としてもらった。」 「それ、ほしがってる人がいるから、気をつけたほうがいいよ。」 「お姉さん ? 」 気をつける、という言葉の妙な含みにびつくりしてたずねた。 「いや、姉はいいんだ。欲しければきちんと訪ねていって、コピ 1 をとらせてもらうだろ

6. N・P

「そうか、残念だったね。」 彼は言った。何かを隠していそうな様子だったが、知ったところで死人が戻ってくるわ けではないのでそれ以上突っ込まなかった。 「もう誰も、出版しようとしないわ。」 私は笑った。 のろ 「呪われてるのよ。」 「そう、日本語訳にかかわった人が 3 人も死んでる。知ってるよね ? 」 「ええ、はじめに手がけた大学教授と、下訳の女子学生、それから庄司。みんな、自殺な のね。どうして ? 」 「日本語との組み合わせなんだろうかね。姉なんて未だにそれを研究しているよ。僕は、 あの本は忘れ去られるほうがいい と思っている。死者と同じにさ。偶然じゃないんだよ。 あの本に魅かれる人、訳したいと思う人は、同じく自殺願望を秘めているんだと思う。本 のほうが呼ぶんだ。」 「こわい言い方ね。」 私は言った。 「あの本が好き ? 」

7. N・P

「今のところそれはないわ。」 私は答えた。心配なのか、そうしてほしいのか本当に見当がっかなかった。 「どうして乙彦くんはあなたのこと、私にまるでおっかない人みたいに言ったのかしら。 取って食いそうに。」 「ふたりが出会うとほら、古代の伝説みたいに、運命が動きだすって信じてるのよ、きっ と。ばかなひと。」 萃は言った。 「何もおこらないわね。」 「うん、静かね。」 黙って世の中の音を聞いた。鳥の声、子供の声、遠いチャイム。 「話目読んだ ? 」 萃が言った。 「うん、読んだ。いい小説だった。とくにラストが。」 「私も、あそこ読むと泣いちゃう。めったに会わなかったし、頭も変だったし、嫌な人だ ったけど、お父さん、ちゃんと私のこと好きだったんだなって思う。あのとおりに、知り 合ったときは娘って知らなかったんですって。お母さんに似てるな、と思ったんだって。 でも、お母さんも体売ったりしてたときもあるから、私がお父さんの子かどうか、本当に

8. N・P

「 2 ・人と、も ? ・」 私はたずねた。 「二卵性の双子だそうだ。」 「話してみたいな。」 「紹介しようか ? 」 「だって私ここでは歳ってことになってるんでしよ。小心者 ! 」 私は笑った。 「そういうこというならいいぜ、行こう、紹介してやる。」 庄司も笑った。 「いいわ、もう少し見てる、あの人達のこと。」 おもしろ この距離から見てるのが一番面白いと思った。話しかけたらじっくりと観察することが できなくなってしまう。 私が 2 人について知っていたのは、 2 人は高瀬皿男が若い頃に結婚してできた子供だと いうこと。年はだいたい私と同じ位で、 2 人が幼い頃もう高瀬皿男は家をあけていたこと。 高瀬氏の死後、彼らとその母は、日本の高瀬家に身をよせていること。 きっといろいろなことを見てきたのだろう、と思って見ていた。 2 人とも背が高く、髪が茶色かった。女の子のほうは、華奢だが色つやが良く、はじけ きやしゃ

9. N・P

すると母は言った。 「あんた、どっちかと言うと翻訳は向いてないと思うわ。」 ちみつ : どうして ? やつばり緻密じゃないから ? 」 「知ってるけど : ゞ弓 ) 、じゃなくて、親切すぎるのよ。きちんとっき合っちゃうでしょ 「何て言うか、気力弓し う、その文章に。」 母は言った。このところ気にしていたことだったので、やめてやめて、と私は思った。 「ああいうのは、どんなに冷静にやってても情が移るものだから、あんたみたいだと神経 かまいっちゃうわよ。」 「そういうものなの ? 」 「そうだと思うわよ、あの人も向いてなかったわよ、庄司さん。」 「よく、おばえてるね。」 私は言った。母は、そりゃあね、というふうにうなずいた。 「ある本に入れこんで、それを訳すというのは難しいことなのよ。私はそう思うわ。だか らといって嫌いなものだと苦痛なんだけどね。」 z 母は笑った。 「少しは、庄司さんの気持ちわかるわ。十何年もやってるのに、疲れるときあるもの。訳 って、独特の疲れ方をするのよ。」

10. N・P

「きっとすれちがったことあるわね。」 「時間ある ? お茶しない ? 」 彼が言った。時間はまだまだたつぶりあった。 「 , つん、 いい、わ 0 」 私は言った。 昼前のがらんとした喫茶店で、向かい合ってコーヒーを飲んだ。私にとって彼は物語の 中にしかいないはずの過去の人間で、こんなことがあるなんて思ってもみなかった。変な 感じだった。あらためてよく見ると、彼はずいぶん変わった。その、白いポロシャツや、 つるんとしたほほの印象とはまるで折り合わない、暗い目をしていた。はじめて会ったと きにはなかったものだった。 「乙彦さん、ずいぶん変わりましたね。」 「すごく年上の人のように思える。でも、実際は 2 っしか離れてないのよね。あなたのこ z となら何でも知ってるわ。」 「じゃ、君今、 「そうよ。」