聟ーー資料写真集 乃ーティーンのⅣ号戦車
側面中央の予備大転輪用ラックの部分。ティスクプレーキからのゴム ホースが引出されている。試作車の写真である。 わ感 力、つ ャよ ム車 ゴの 気ロ ので 気る 空ま 冷るあ いて真 てれ写 つらの を付ア 形がペ 原輪ム よ大ブ 側輪 体のる 車こい′き なおっ くな入 オ。カ える帯第気。 ( い第い、 でて強 工さの : ッこ本 とテで 部メャを : 央イイ 中ッタ 面もム 車体側面前部。小転輪にも形が違ったものがいくつかあったようで、 写真の小転輪もそれぞれ形が異なっている。最終生産型は小転輪が一 個減って 3 個のものもあった。 28 27 監付空気取入口。ラジェーター用の冷却空気は一方通行であった。ェンジン室 右側に付けられた田枚羽根の大型ファン 2 個によって冷却空気は強力に送り 込まれ、ラジェーターを通過して左側の格子から放出される。
H の一部および」型の砲塔側面のエスケーブハッチ。写真⑩と見くら べてみると、これで十分だということわかる。 後方に開くトビラの厚さが違うことに注意 14 13 H 型の特長となったシェルツェン付きの砲塔の状況。厚さは 5 ミリで あったが、米車の手擲弾では、ビクともしなかったという。車体のシ 工ルツェン用ラック ( 取付け具 ) が、ほば完全な形で残っている。 試作車の車体側面とシェルツェンの付いた砲塔実際には、用無しになったスリット型 のぞき窓や、砲塔後部のピストルポートなど、そのまま残されている。この装甲板は四 43 年 3 月以降、工場を出る車輛に取付けられた。 前方に開くトビラと 15 砲塔の前部上面。いろいろな物が付いている。 ンチレーター。その後にペリスコープ用力 / ヾー ナーポール立てなどがある。 中央は頑丈な砲塔用べ その他、予備アンテ 14 砲塔の後部。ます、ピストルポートが無くなっている。それに、雑物 中央にあるのは、石包塔を吊上けるた めのフックである。 入れ用ポックスも付いていない。
無線手兼機関銃手用のハッチである。上面装甲板にすれすれで飛んで来る敵弾から / 、ツ チと蝶番を守るため、小型の防盾が三方を囲っている。 H 型には下のような形の防盾と 2 種が混在したと思われる。 この写真は見るべき物が多い。前述の操縦士用ペリスコープのニつの窓が見える。それ に砲手用のクラッペも開いている。ポールマウント型前方固定機銃の銃眼、ぶ厚いカラ ーなどよくわかる。自動変速機付Ⅳ号である。 操縦士用のハッチ附近。砲塔基部を守るパイサーの一部が見える。ハッチの右にある三 角な板の中心の孔は、ハッチを立てた時に操縦士が前方を見る小窓である。自動変速機 付き試作車の車体。 スペャー用履帯の付いている下の部分にトランスミッションがあり、その左右にクラッ チと、ティスクプレーキが付けられている。操縦士用窓の前にある半円筒型のものは、 ティスクプレーキ冷却用の空気取入口である。
この車輛は、その中 単な説明が記されている。 GERiAN ED ーリ TANK pzKW Ⅳ 1 今 GUN ー 0 閥 G15 盟盟 WEIGHT A x. 25 10N5 標示板 0 、今回写真集 00 ーー 0 ー。長 砲身 = 0 砲装備 0 Ⅳ号戦車 0 も 00 あ。 この車輛は 後 0 写真 0 解説にもあるように H 型å•J 型議論百出な - 。日くき 00 も 000 あ・ ) 、 H 型と J 型 00 両方 00 特徴を持ー。て 。、る。しか 0 = 判別 0 = は苦労する、逆 0 = そ . 00 特徴を見。、出す楽、一も 0 。砲塔 旋回用発電機をまわす小型 ' ' 00 ラ ーが無。、車体後部、 = れは J 型も 00 であり、 鋼管 0 = 、 0 →、 ' 一、→一 ~ 、 = 0 = 型 ク ) ような日 とは言え、 意 0 、 0 知 0 。、。実際 " 戦場 0 = " 、、傷 。、 . = 載車を修理する 0 = は、・ = とえば H 型 0 = J 型には J 型の は日型の部品しか使わない、 ことが行なわれる 部品しか使わないといー。 ぅ。補給も途絶え勝ちな前線 0 = あ - 。 = 0 機能 0 = 問題 000 ば、あ 0 合・。 00 部 とが、むしろ日 品で間に合わせるといー。 常茶飯 0000 = 0 。、 0 。酷使 0 = 耐 なければならな 0 、兵器し 0 = 、そくら 0 、 00 融通性がなければ、実用にはならな。 ーの車輛のサポートロ えるだろう。実際、 ーラー 0 = は数種 0 タイプ 0 もが見られる。 こうであー。たのか。また載場 00 変鸞 0 、も判断す 0 手 、 00 = 0 。、。大戦末期 00 ←・イ 0 窮乏し ーグ ) 大埃 状態を考えれは・、工場を出る時から 0 あー。もしれな。、し、もろん載場ー 0 け変えられた可能性はも一 , と大き。、。 は、そう 0 、一。たものだろう。 日型å•J 型 00 判断 0 、もく、標示板 0 = 0 = 次のように記されて 0 、る。 ドイ、 , 中戦車、Ⅳ号戦車、 1941 ドイ、 , で生産され・ = = 00 型 0 最後 00 も " 0 。 0 戦車 0 、第次大戦末期、 , ・ 0 捕穫 、、勝利 0 後、 00 = 合衆国 0 = 海上 輸送 000 馬力 00 、型 0 気筒 , , 0 , , 駆 . 動、。 00 = 0 ( → , ) 砲 0 、秒速 ートの初速を持つ。 塔 0 周囲 0 = 対 , 、 = ー砲用 00 防楯を装備車 体 00 面 0 = 装備 0 0 ー、、 00 " 取付金 具 0 持ー 0 。弾薬 0 = 、発分 0 携行。砲、 長 75 。。、重量約 25 トン。 ると H 型とされている。 ~ = , ( 前垂装甲板 ) 0 保守、付 0 0 、 0 、 00 、。 = 0 車体 00 号型 0 。、 0 、 0 。・ = ・ = 、実験車 0
4 号戦車の最大の特長は、このスプロケット ( 起動輪 ) とロードホイール ( 大 転輪 ) であろう。クルップ社は、当初ドイツ車兵器局が推薦したトーションバ 32 一方式を断わって、このボギー式を採用している。技術者の自信がうかがえるようだ。 大転輪のクローズアップ。中央の割ピン付ポルトの左に 2 個のグリスアッ プ用のポルトが見える。ドイツの車輛は戦車を含めて、グリスアップする 箇所が多く、複雑な機構とともに、整備屋泣せであったという。 33 イ 自動変速機付き試作車のアイドラー ( 案内輪 ) である。 戦車は後部起動式なので、スプロケットは後部にある。 ション・アジャスター ( 履帯緊縛調整装置 ) が見える。 フ - ン 3 4 35 部の 2 個である。 る感じもするが、又、何ともいえない頼もしさも湧いてくる。写真は最後 プレスで造られた 4 号特有の大転輪のパターン。 8 個も並ぶと少し多すぎ 美くしく揃った 4 号戦車の大転輪。この転輪は、円年から 44 年にかけて、 フォルクスワーゲン工場などで一ヶ月 6 , 000 組の割合で生産された。 36
、 , ジ 0 フラーがほ、・完全な 4 号戦車 0 後部。 = 0 車輛 は駆逐戦車な 0 で、問題 0 ジ , ネ一ター用 0 小さなフラ = 00 型 0 型、・ 00 ー = 0 因 0 = 0 車後、 = 。・ = 。 0 題 0 、砲塔 43 と 0 、う 0 、・あ 0 。」型は電動旋回砲塔でなく完全手動だらだ。 0 旋回、 00 ・ = 0 発電機用 0 ' 0 排気一付 0 、、 0 、 00 、 ーは付いていない。 ・い 0 1 ・亂ー 0 第 Gu ・一 0 、 0 第第 44 車体後部上面。工ンジンルームのルーバ このルー , く一は、 E 型からつけられた。 ァンが取付けられている。 46 ーの模様が美しい。 この裏側に大型のフ = 00 , 、イプともう一 00 孔 0 = 注意。一番左は = ジ , 0 排気管 0 、らき一 = 00 。、 0 横冷却水交換装置 0 来・ = , 、イプ、下 0 他 0 車輛交換、 0 こも - 一方通行である。 れた冷却水の入口となる。 をまとめて出している。 それぞれ排気管が通り、ラー 0 写真はプ ~ 、ァーで中央上部 0 = 排 少々つぶれたエンジンマフラー。 ーのマフラ ~ は、ニ本の支えの部分 キャタビラの張力の調整は、で説明した L 字型 , 、ンドルの 横にある 2 個のナ、 , トをゆるめ、 L 型 , 、ド ~ を回して行な われた。標示板の横の , 、、 , チはラジ = ターの給水口である。
取材して Ⅳ号戦車後期型からのバリエーション Ⅳ号突撃砲戦車プノレムペア ( 150mm 榴弾砲搭載 ) 後期型 Sturmpanzer IV Brummbär' しれながら眺めるアバディーンの風景は、美 ニューヨークからよく整備されたハイウェイ を通って 3 時間、メリーランド州のアバディ しい、平和なやさしさに満ちていました。戦 ーン戦車博物館を訪すれたのは、 3 年前の夏 火の中で酷使に耐え、傷ついた彼らにとって アバディーンは何よりのやすらぎの場所なの のことでした。仕事としてミリタリーモデル の設計に携わり、また個人的にも軍用車輛の かもしれません。 今、振り返ってみれば、初めての海外旅行で ファンである私にとって、歴史の中で活躍し もあり、無我夢中の取材旅行でした。聞くと た数々の車輛を、実際に自分の目で見ること ころによると、最近、部品が持ち去られてし は長い間の念願であり、大きな夢となってい まうケースが多く、アバディーンでの取材も ました。そのチャンスが実際に訪れたのです。 3 日間にわたるアバディーン博物館の取材。 午可が厳しくなっているとのことです。また 新しい建物も完成し、かなりのものが館内に 何という幸運でしよう。同行したのは、すで 移されたそうで、現在のアバディーンは、 に何度かアバディーンを訪すれている上司と 金型技術者の Y 君。写真で見たアバディーン の写真集の当時とは、かなり変ってしまって いるのではないかと思われます。 ( 設計 S ) が目に浮ぶ。はたして十分な取材活動ができ るだろうか。設計に役立つ資料をもれなく得 ることができるだろうか。しかし、そんな車 中での不イ安と期待は、アノヾディーンのゲート をくぐった時には、あらかたどこかへ消え失 せてしまったのです。アノヾディーンは美しい。 夏の陽に青々と輝いて広がる芝生。遠く、近 くにこんもりと繁る木立ち。美しい公園のよ うな風景の中におかれた軍用車輛群。この年 の取材は、Ⅳ号戦車をはしめ、 T 34 / 76 、 M 3 グラント、 M 3 スチュアート、そして Sdkfz 232 などを中心、とする予定でした。とは 言え、 30 輛はゆうに越える数の第 2 次世界大 戦で活躍した各国の車輛群は、すべてが大き な感動をもたらしてくれました。熱砂の北ア フリカを、また広大なロシア平原を縦横に駆 け巡る彼らの姿を思い浮べた時、一瞬、次元 のことなる歴史の世界へ引き込まれていく思 いにとらわれたのです。 野外展示ということもあって、展示車輛の状 態は決してよくありません。損傷は激しく、 赤くさびの浮いた車体は、砲口に巣を作った 鳥の汚物にまみれています。しかし、かえっ てそれが 30 年近く経過した時間の重みを感し させてくれます。そして彼らの堂々とした量 感あふれるシルエットは、圧倒的な迫力をも ってせまってくるのです。 アバディーンは 3 日とも快晴。初夏の強い日 射しを浴びての取材は、決して楽ではありま せん。取材には、体操選手のような強い体力 と軽い身のこなし、それにバランス感覚が要 求されるようです。車体の裏側にもぐり込み 体を無理にひねりながらカメラのシャッター をきる。せまいハッチに強引に体を押し込み 内部をくまなくフィルムにおさめる。砲塔に 爪先立っての車体上面の撮影、 ・・・時間が 経過するにしたがって芝生の上にはいくつも のフィルムのから箱が散乱していきます。 少しの時間も措しかった私達です。昼食をと るのも忘れ、ただ夢中でシャッターを押しま くり次から次へと巻尺で計った寸法を記入し ていきます。あわただしく時間は過ぎ、車体 の影が長く芝生の上にのびて、アバディーン にタ暮れが訪すれようとしています。散乱し たからを拾い集め、ようやく落ち着きを取 り戻した私達にヒナ鳥の鳴き声がきこえてき ました。 K V— 1 の砲塔の中からでした。不 意の陳入者に驚いたのか、親鳥の帰りを待ち わびているのか、心、よい疲労と満足感に酔い 0 0 一三ロ 〇。 ◎◎ ◎◎ ◎◎〇◎ Ⅳ号突撃砲戦車 ( 75mE48 口径砲搭載 ) Sturmgeshutz Ⅳ Stuk. 40 ( L / 48 ) Ⅳ号駆逐戦車 ( 75mm48 口径砲搭載 ) Jagdpanzr Ⅳ pak. 39 ( L / 48 ) 第 ( 0 0 ( ◎丿◎ ) ◎ : ◎ Ⅳ号対空自走砲 ( 37mm><1 ) FIakpanzer Ⅳ 3 . 7cm イ冫号・第 H 第 0 0 0 〇 ドイツⅣ号戦車 H 型 1 / 35