コマンダーキュボラ ( 指揮官搭 ) とハッチ用蝶番のクローズアップ。 蝶番の向うに見えるのは、 / 、ツチを立てておくための止め金である。 コマンダーキューボラから真下を見たところ。砲塔の基部を守るパイ サーがある。 この砲塔は後方を向いているので、見えるハッチは無線 手用のものである。 る包塔の上から左側工スケープ / 、ツチの方向を見たもの。シェルツェン と、うまくまとめたトビラの止め金。それに砲塔のハッチの雨ドイな ど、小さな所まで気 . を配って造られている。 H 、」型の標準型コマンダーキューボラの全景。 4 号戦車では H 型か らこのような一枚ハッチになった。手動開閉式観察窓は、ドイツ軍独 特のものであった。 前方から見たコマンダーキューボラ。プリズムの組込まれた観察窓は、 砲塔と一緒に旋回するほか、独自では旋回しない。車長はこの五つの 観察窓から敵を睨んだわけである。 2 い 20
この車輛は、その中 単な説明が記されている。 GERiAN ED ーリ TANK pzKW Ⅳ 1 今 GUN ー 0 閥 G15 盟盟 WEIGHT A x. 25 10N5 標示板 0 、今回写真集 00 ーー 0 ー。長 砲身 = 0 砲装備 0 Ⅳ号戦車 0 も 00 あ。 この車輛は 後 0 写真 0 解説にもあるように H 型å•J 型議論百出な - 。日くき 00 も 000 あ・ ) 、 H 型と J 型 00 両方 00 特徴を持ー。て 。、る。しか 0 = 判別 0 = は苦労する、逆 0 = そ . 00 特徴を見。、出す楽、一も 0 。砲塔 旋回用発電機をまわす小型 ' ' 00 ラ ーが無。、車体後部、 = れは J 型も 00 であり、 鋼管 0 = 、 0 →、 ' 一、→一 ~ 、 = 0 = 型 ク ) ような日 とは言え、 意 0 、 0 知 0 。、。実際 " 戦場 0 = " 、、傷 。、 . = 載車を修理する 0 = は、・ = とえば H 型 0 = J 型には J 型の は日型の部品しか使わない、 ことが行なわれる 部品しか使わないといー。 ぅ。補給も途絶え勝ちな前線 0 = あ - 。 = 0 機能 0 = 問題 000 ば、あ 0 合・。 00 部 とが、むしろ日 品で間に合わせるといー。 常茶飯 0000 = 0 。、 0 。酷使 0 = 耐 なければならな 0 、兵器し 0 = 、そくら 0 、 00 融通性がなければ、実用にはならな。 ーの車輛のサポートロ えるだろう。実際、 ーラー 0 = は数種 0 タイプ 0 もが見られる。 こうであー。たのか。また載場 00 変鸞 0 、も判断す 0 手 、 00 = 0 。、。大戦末期 00 ←・イ 0 窮乏し ーグ ) 大埃 状態を考えれは・、工場を出る時から 0 あー。もしれな。、し、もろん載場ー 0 け変えられた可能性はも一 , と大き。、。 は、そう 0 、一。たものだろう。 日型å•J 型 00 判断 0 、もく、標示板 0 = 0 = 次のように記されて 0 、る。 ドイ、 , 中戦車、Ⅳ号戦車、 1941 ドイ、 , で生産され・ = = 00 型 0 最後 00 も " 0 。 0 戦車 0 、第次大戦末期、 , ・ 0 捕穫 、、勝利 0 後、 00 = 合衆国 0 = 海上 輸送 000 馬力 00 、型 0 気筒 , , 0 , , 駆 . 動、。 00 = 0 ( → , ) 砲 0 、秒速 ートの初速を持つ。 塔 0 周囲 0 = 対 , 、 = ー砲用 00 防楯を装備車 体 00 面 0 = 装備 0 0 ー、、 00 " 取付金 具 0 持ー 0 。弾薬 0 = 、発分 0 携行。砲、 長 75 。。、重量約 25 トン。 ると H 型とされている。 ~ = , ( 前垂装甲板 ) 0 保守、付 0 0 、 0 、 00 、。 = 0 車体 00 号型 0 。、 0 、 0 。・ = ・ = 、実験車 0
、 , ジ 0 フラーがほ、・完全な 4 号戦車 0 後部。 = 0 車輛 は駆逐戦車な 0 で、問題 0 ジ , ネ一ター用 0 小さなフラ = 00 型 0 型、・ 00 ー = 0 因 0 = 0 車後、 = 。・ = 。 0 題 0 、砲塔 43 と 0 、う 0 、・あ 0 。」型は電動旋回砲塔でなく完全手動だらだ。 0 旋回、 00 ・ = 0 発電機用 0 ' 0 排気一付 0 、、 0 、 00 、 ーは付いていない。 ・い 0 1 ・亂ー 0 第 Gu ・一 0 、 0 第第 44 車体後部上面。工ンジンルームのルーバ このルー , く一は、 E 型からつけられた。 ァンが取付けられている。 46 ーの模様が美しい。 この裏側に大型のフ = 00 , 、イプともう一 00 孔 0 = 注意。一番左は = ジ , 0 排気管 0 、らき一 = 00 。、 0 横冷却水交換装置 0 来・ = , 、イプ、下 0 他 0 車輛交換、 0 こも - 一方通行である。 れた冷却水の入口となる。 をまとめて出している。 それぞれ排気管が通り、ラー 0 写真はプ ~ 、ァーで中央上部 0 = 排 少々つぶれたエンジンマフラー。 ーのマフラ ~ は、ニ本の支えの部分 キャタビラの張力の調整は、で説明した L 字型 , 、ンドルの 横にある 2 個のナ、 , トをゆるめ、 L 型 , 、ド ~ を回して行な われた。標示板の横の , 、、 , チはラジ = ターの給水口である。
円 44 年。ツェーン・ラート・フアプリク社のアウグスプルク工場が試作した自動変速機 付き車輛である。正しくは液体変速機付きといった方がよい。現在、自動車で用いられ ている、、 / ンクラッチ″自動変速機の元祖とでもいえるだろう。 車体後部のドライプスプロケット。直径 550 ミリである。液体変速器の原理は、扇風機 と向い合せに羽根車を置き、扇風機を廻すと羽根車も回転することを利用して、空気の このやトーマ″装置は一個の歯車も用いなかった。 変りに液体を用いたと考えればよい。 。 48 48 50 車体後部を完全に改造した液体変速機付 4 号 H 型戦車。実際のテスト結果は、ほとんど 残っていなかったようだ。後に米軍はア / ヾディーンに持ち帰ってテストをした。ドイツ 車車輛の中でも珍車の一つである。 - よヨに二一 - ツ この試作車は、液体変速機で動いただけでなく、砲塔の旋回も、砲の上下もすべて油圧 装置を用いた念の入れようであった。ドイツ技術陣の夢を適えさせたドイツ軍兵器局と ともに ドイツ人気質をよく現わした車輛である。 12
Ⅳ号戦車のバリエー 主力戦車としてのⅣ号戦車の能力は、大戦の 後半から末期には。、ちおうの限界に達しまし たが、突撃砲や駆遂戦車、自走砲のシャーシ として数多く利用され、火力支援に活躍しま した。Ⅳ号戦車の転用は、 1941 年、ヒトラー の命令によー。て試作された 105 。砲 18 型を装 備したデ、 , カー、 , ク試作駆遂戦車にはじま ります。 駆遂戦車としてⅣ号戦車から発達した最初の ものは、 F 型のシ ~ ーシを活用し、 48 口径 78 。砲 39 型または 40 型をガーゼ、 , ト式砲架に 装備した Sdkf , 162 で、生産はク ~ 、 , プ社で 19 この Sdkfz162 の火 1943 年に始められました。 力強イヒ型として現われたのが、 SdkfZ162/1Ø 形式番号を持 70 口径 75 。。砲 42 型を搭載し たⅣ号駆遂戦車。ングで 1944 年から生産され ました。また、同し 70 口径 75 。。砲を装備し、 , 、ンティングタイガーによく似た車体上部を 持 Sdkf , 162 / 2 も生産され、これらの生産台 数は総計 2200 輛以上に及びました。 突撃砲としては、Ⅲ号突撃砲によく似た型の Ⅳ号突撃砲 Sdkf , 163 があります。これは H 型 のシャーシを流用してクルップ社、ェ、 , セン 社などで作られました。突撃砲は、Ⅲ号戦車 から発達したものが数多く生産されたためⅣ 号戦車では、駆遂戦車型に比重がおかれたよ うです。Ⅳ号戦車の突撃砲として、、 = ーク なスタイルで知られて 0 、るのが、プルム ~ ア です。これはⅣ号駆逐戦車のシ ~ ーシを流用 して重火力支援用に開発されたもので、 12 ロ 径 150 。。榴弾砲を装備、 1943 年から生産され、 主としてイタリア戦線で活躍しました。また 対空戦車としては、 60 口径 37 。。対空機銃を搭 載したモー ~ ~ ワーゲ・が 1943 年から生産さ れ、 1944 年には 55 口径 20 。。 4 連装対空機銃を 6 角型のオープント、 , プ型旋回砲塔に搭載し たヴィ ~ ルヴィントが作られました。またオ ストウインドは、ヴィ ~ ルヴィンドと同様の 6 角型オープ , ト、 , プ砲塔に 60 口径 37 。。対 空機銃を搭載していました 71 口径 88 。砲を装備したナスホルン、同しく 88 。。砲を持ホル = 、 , セ、 150 。野戦榴弾砲を 装備するフ , メ ~ 、これらの自走砲は同系 車体を持ち、それぞれⅢ号及びⅣ号戦車のシ ~ ーシを流用して作られたものでよく似たス タイ ~ を持て 0 、ます。ナスホ ~ , は、 437 輛 が 1942 年末から生産され、重戦車大隊に配属 されて活躍しました。またフーメルは、 1943 年までに 666 輛が生産されて。、ます。このはか 特殊型として砲塔を取り外してトーチカとし て利用できるように計画されたホイ、 , ン、レ 、 , ヶなどが、Ⅳ号戦車の , 、リ , ーシンとし てよく知られている車輛です。 ション 13
取材して Ⅳ号戦車後期型からのバリエーション Ⅳ号突撃砲戦車プノレムペア ( 150mm 榴弾砲搭載 ) 後期型 Sturmpanzer IV Brummbär' しれながら眺めるアバディーンの風景は、美 ニューヨークからよく整備されたハイウェイ を通って 3 時間、メリーランド州のアバディ しい、平和なやさしさに満ちていました。戦 ーン戦車博物館を訪すれたのは、 3 年前の夏 火の中で酷使に耐え、傷ついた彼らにとって アバディーンは何よりのやすらぎの場所なの のことでした。仕事としてミリタリーモデル の設計に携わり、また個人的にも軍用車輛の かもしれません。 今、振り返ってみれば、初めての海外旅行で ファンである私にとって、歴史の中で活躍し もあり、無我夢中の取材旅行でした。聞くと た数々の車輛を、実際に自分の目で見ること ころによると、最近、部品が持ち去られてし は長い間の念願であり、大きな夢となってい まうケースが多く、アバディーンでの取材も ました。そのチャンスが実際に訪れたのです。 3 日間にわたるアバディーン博物館の取材。 午可が厳しくなっているとのことです。また 新しい建物も完成し、かなりのものが館内に 何という幸運でしよう。同行したのは、すで 移されたそうで、現在のアバディーンは、 に何度かアバディーンを訪すれている上司と 金型技術者の Y 君。写真で見たアバディーン の写真集の当時とは、かなり変ってしまって いるのではないかと思われます。 ( 設計 S ) が目に浮ぶ。はたして十分な取材活動ができ るだろうか。設計に役立つ資料をもれなく得 ることができるだろうか。しかし、そんな車 中での不イ安と期待は、アノヾディーンのゲート をくぐった時には、あらかたどこかへ消え失 せてしまったのです。アノヾディーンは美しい。 夏の陽に青々と輝いて広がる芝生。遠く、近 くにこんもりと繁る木立ち。美しい公園のよ うな風景の中におかれた軍用車輛群。この年 の取材は、Ⅳ号戦車をはしめ、 T 34 / 76 、 M 3 グラント、 M 3 スチュアート、そして Sdkfz 232 などを中心、とする予定でした。とは 言え、 30 輛はゆうに越える数の第 2 次世界大 戦で活躍した各国の車輛群は、すべてが大き な感動をもたらしてくれました。熱砂の北ア フリカを、また広大なロシア平原を縦横に駆 け巡る彼らの姿を思い浮べた時、一瞬、次元 のことなる歴史の世界へ引き込まれていく思 いにとらわれたのです。 野外展示ということもあって、展示車輛の状 態は決してよくありません。損傷は激しく、 赤くさびの浮いた車体は、砲口に巣を作った 鳥の汚物にまみれています。しかし、かえっ てそれが 30 年近く経過した時間の重みを感し させてくれます。そして彼らの堂々とした量 感あふれるシルエットは、圧倒的な迫力をも ってせまってくるのです。 アバディーンは 3 日とも快晴。初夏の強い日 射しを浴びての取材は、決して楽ではありま せん。取材には、体操選手のような強い体力 と軽い身のこなし、それにバランス感覚が要 求されるようです。車体の裏側にもぐり込み 体を無理にひねりながらカメラのシャッター をきる。せまいハッチに強引に体を押し込み 内部をくまなくフィルムにおさめる。砲塔に 爪先立っての車体上面の撮影、 ・・・時間が 経過するにしたがって芝生の上にはいくつも のフィルムのから箱が散乱していきます。 少しの時間も措しかった私達です。昼食をと るのも忘れ、ただ夢中でシャッターを押しま くり次から次へと巻尺で計った寸法を記入し ていきます。あわただしく時間は過ぎ、車体 の影が長く芝生の上にのびて、アバディーン にタ暮れが訪すれようとしています。散乱し たからを拾い集め、ようやく落ち着きを取 り戻した私達にヒナ鳥の鳴き声がきこえてき ました。 K V— 1 の砲塔の中からでした。不 意の陳入者に驚いたのか、親鳥の帰りを待ち わびているのか、心、よい疲労と満足感に酔い 0 0 一三ロ 〇。 ◎◎ ◎◎ ◎◎〇◎ Ⅳ号突撃砲戦車 ( 75mE48 口径砲搭載 ) Sturmgeshutz Ⅳ Stuk. 40 ( L / 48 ) Ⅳ号駆逐戦車 ( 75mm48 口径砲搭載 ) Jagdpanzr Ⅳ pak. 39 ( L / 48 ) 第 ( 0 0 ( ◎丿◎ ) ◎ : ◎ Ⅳ号対空自走砲 ( 37mm><1 ) FIakpanzer Ⅳ 3 . 7cm イ冫号・第 H 第 0 0 0 〇 ドイツⅣ号戦車 H 型 1 / 35
このアングルから見ると試作車とはいえ、 -E にあがったカノヾーを下げて、ペリスコー ペリスコープは付けられていなかったよう プで前方を見た。この車輛は試作車なので、 操縦士用の前方視察窓。敵と交戦する時は、 堂々たる . 風格がある。 正面から見た自動変速機付きの試作車である。 4 号 H 型の 48 口径 75 ミリ戦車砲の基部。左右に駐退機を備えたこの部分はガッチリと造 られ、カ / ヾーの前面装甲は 50 ミリはあろう。その右に見えるのは同軸機関銃のカバーで ある。 砲塔前面のクローズアップ。左側に砲手用のクラッペ ( のぞき窓 ) と主砲の照準器用の 小窓が見える。雨水が入らないように小さなヒサシが付いているのもおもしろい
解説協力 = 菊池晟 編集 = 毛利兼治 企画編集 = タミャニュース編集室線図 = 青島敏行 進行 = 横溝賢治・田宮民 印刷 = 株中央興業 1 部・ 200 円 TAMIYA ・ PLAST ℃ MODEL CO 株式会社田宮模型 静岡市小鹿 628 628. OSHIKA SHIZUOKA-CITY, JAPAN 電話 ( 86 ) 5105 郵便番号 422 TELEPHONE 0542 86.5105 ー 8 ー朝コ 1 剄■・ スプロケットホイール 。 0 。 後面 0 0 0 ・キャタビラ張力調整装置 ラジェーター給水口 マフラー 0 0 0 っ 冷却水交換用ロ 0 0 0 0 アイドラーホイール リーフスプリング懸架ロードホイール 発電機用工ンジンマフラー 7 .92E 同軸機銃 ラジェーター冷却用空気取入口 ク、ラッ′く スリット型のぞき窓 ポールマウント式機銃架 通信手用ハッチ 7.92 ”機銃 シ冫ャッキ 車内換気用ェアクリーナー 《Ⅳ号戦車 H 型主要テータ》 全長 : 7015E 車体長 : 5930E ( シェルツェン装備 . 3350E ) 全幅 : 2880mE 全高 : 2680Em 戦闘重量 : 25 トン 工ンジン : マイ / 、ツ / 、 1 20 T R M 水冷 V 型 1 2 気筒ガソリンエンジン 排気量・ 1 1867CC 最高出力 : 300PS / 3000 「 pm 最大トルク : 80kgm/2150rpm 最大速度 : 38 / h 航続距離・路上 180 路外 120 主砲 : 7 m 戦車砲 48 口径・ KWK40 7.92E 機銃 x 2 ( 車体及び砲塔 ) フック 0 0 0 0 0 48 口径 75E 戦車砲 (KWK40) 排気管 0 0 0 0 0 プレーキ冷却用空気取入口 プレーキ点検用ハッチ 0 0 0 操従士用ノ、ツチ 生産台数・ 3 , 073 台 コマンダーズキューボラ 、工。ン、ンン室カ′、一 - ラジェーター冷却用空気排出口 べンチレーター ライト 砲手用クラッペ ( のぞき窓 ) 消火器 雑のう箱 M34 ・ 7.92E 機銃 予備転輪・予備転輪ラック 工スケーブハッチ ラジェーター冷却用空気排出口 ロ 0 ◎ 0 ◎ 0 0 ◎ 0 。◎ プレーキ用排気ファンカバー ジャッキ据えつけ台 シャックノレ 操縦士用前方視察窓 0 0 0 0 0 0 前面
物 e 預 am 可 w Ⅳ AustH の 薬を持っていると思ったのか、我々の突進ぶ だ。だが幸運であった。敵は、わが戦車が弾 た。緊張の一瞬であった。戦車は全速で進ん ドルを握る手に冷汗がにしんでくるのを感じ 1 吾した。厳寒の車内で、べリスコープのハン すでに弾が無く、敵弾の標的になることを覚 照準していることは間違いない。わが戦車は、 台の T 34 戦車を発見した。敵戦車が、我々を 200 メートルの稜線上に待ちかまえている数 に見えた。ところが、 この時、 10 時の方向約 ほとんど損害なしに目標の村に突入できるよ 停止射撃で正確にそれを破懐した。我々は、 最大発射で敵を圧倒した。敵戦車に対しては ない。機関銃で間に合うものは、全戦車とも 入る。徹甲弾は必要最少限にしなければなら 雪を蹴立てて進撃を開始した。敵のラインに 戦車はうなり、青白い排気を残して全速力で うす暗い灰色の空に緑の信号弾が上った。全 甲弾はもとより、榴弾さえ撃ちつくしていた 中隊は先陣となったが、わが戦車は 75 ミリ徹 とし、残る 3 個中隊を後衛とした。我々第 8 隊に伝えた。残弾の多い 2 個戦車中隊を前衛 た。第 2 大隊長 Dr. べーケ少佐は、戦法を各中 関銃弾だけで敵戦車に立向わねばならなかっ 残弾を有する小数の戦車を先頭にし、他は機 分の弾薬を使い果していた。そのため、まだ あった。我々は午前中の戦闘で、すでに大部 し、第 1 大隊を敵の包囲から解放することで ネ・クームスキーへ損害をかえりみすに突進 た。それは第 1 大隊が防禦しているヴレチェ 手短かに戦況を聞いた。作戦行動が決定され 我々中隊長は、ただちに連遂長の下に集まり ならなかったからである。 ことの意味は、きわめて重大と言わなければ この連絡をとった ますあり得ない。あえて、 保できる可能性があるならば、救援の要求は 性格を持っレーヴェ少佐のことだ、陣地が確 からの救援要求の無線であった。古武士的な めのでき事は、第 1 戦車大隊長レーヴェ少佐 沈滞した士気を一度に吹きとばされた。ーっ 言葉に対し、緊張したように見えた。我々は 元気づけられた。大隊長は、我々以上にこの この言葉を聞いて腹を立てる以上に 我々は、 「ただ前進あるのみ。突撃せよ / 』。 『あの戦いぶりを恥と思え / 』。 「今日の戦いぶりは何たることか』。 たのた 次のように戦いぶりを酷評し、我々を叱日宅し までやってきたことであった。そして無線で た ーっは、連隊長が指揮戦車で我々の戦線 「この時、我々を発奮させる二つの事が起っ りに戦意を失ったのか。稜線を下って後退し たのだ′ 残弾のある戦車に追撃を命しる。 T 34 は 2 台 撃破され、他は敗走した。我々はただちに部 落に突入し、第 1 戦車大隊本部を見つけ出し た。本部の将校は全員負傷し、下士官が指揮 して辛くも死守していたのだ。彼らの戦車は いたるところに放棄され、炎上していた べーケ少佐から新しい命令の無電がとどく。 止まらすに部落の東端まで突進し、確保せよ というのだ。雪におおわれた村の家々は、人 影なく、すべて炎上していた。そして路上に は敵、味方の死傷達が横たわり、救いを求め ていた。そこには凄惨な戦いの場が広がって いた・ これは 1942 年 12 月 15 日、スターリングラード に包囲されたバウルス大将麾下の第 6 軍を救 援せんものと激戦を続けていたドイツ第 6 戦 車師団、第 11 戦車連隊第 2 大隊の戦闘日誌で この大隊は、フランスで再編成され、 ある。 当時、最新鋭であった長砲身 75 ミリ砲を装備 したⅣ号戦車 G 型 24 台を保有していた これ は、ロンメルの指揮するアフリカ軍団が、工 ル・アラメインの前日肖戦とも言うべき、エル ムファルフア、リッジの戦いにⅣ号 F 2 型を 登場させたのと同しく、対ソ戦に多数登場し てくる改良型Ⅳ号戦車の流れの呼び水とでも 言うべきものであった。そして第 2 次世界大 戦の大転機と言われた、スターリングラード とエル・アラメインの戦闘に登場してきた長 砲身 75 ミリ砲装備のⅣ号戦車、これこそドイ ツの運命を背負って最後まで戦い抜いた一人 の老英雄の登場にも似た姿であった。英雄の 出現、それは常に希望とそして悲劇を象徴す るからである。 Ⅳ号戦車の開発史は、ドイツ戦車部隊の興亡 の歴史と同一であった。 たた・一一つ一星うところ があるとすれば、Ⅳ号戦車は誕生の当時から 最後の大攻勢となったアルデンヌの戦いまで いつも地味な存在に甘んじなければならなか った点であった。Ⅲ号戦車が主戦闘戦車とし て開発されたのに対して、短砲身 75 ミリ砲に 象徴されるように、当初は支援戦車として開 発された。そして長砲身の強力な主砲を持っ た時は、ドイツ軍の苦闘の始まる時でもあっ た。また構造的、形態的な面から見ても、Ⅳ 号戦車は地味な戦車であった。 パンサーやタ イが一のような圧倒的な強さは感じられない。 しかし、Ⅳ号戦車を細部にわたって見てゆく 時、ドイツ軍の戦車に対する一貫した考想と これを設計したクルップ社の兵士に対する細 かな配慮を十分に汲みとることができる。 ドイツ戦車の最大の特長は、集団戦に適する ように作られていたことである。その第 1 が 3 名用砲塔の採用であった。車長は機械操作 に忙殺されることなく、敵状を観察 な決断を下すことができた。次に無線電話の 使用であった これは中隊レベル、大隊レベ ルを使いわけられた中隊長車から指揮戦車ま で、戦況を把握しながら連繋プレーを行い、 強力な敵も持てる力をフルに集中して各個撃 破し得る基盤となったのである。これらの考 想は このⅣ号戦車の設計の基本となり、当 時としては短砲身ながら強力な 75 ミリ砲の高 性能炸薬弾と共に、支援戦車として十分に活 躍し、結果的には電撃戦という花を咲かせた のである。 多角形の車体は、形態的には平乢なものであ った。そして前後左右にハッチの多いことも この戦車の特徴であった。 ッションやプレ キの点検ハッチからエンジン交換用の大型 点検ハッチまで、車体だけでエスケーブハッ チを含めると 7 ヶ所も見い出せる。 この車体 構造は、Ⅳ号戦車が最後まで戦車兵達に強く 支持された理由でもあった。車輛の保守と部 品交換など修理に便利だったのである。特に 工ンジンの交換は短時間で行えたという。 れは現在の西ドイツ主力戦車の特徴にもなっ ている。ドイツ技術の地味ながら堅実な面は 大転輪とそのサスペンションにも見ることが できる。ドイツ兵器局は、当初、トーション ーを推薦した。しかしクルップ社の技術陣 は、古風なボギー式リーフスプリングを頑と してゆすらす、ついには兵器局が折れてⅣ号 の特徴ある堅実にして強固な転輪が生れたの である。 Ⅳ号戦車が最高度に訓練された技術兵として の戦車兵達から愛された理由は、もうーっあ った。それはエスケープノ、ツチか、多かった とであリ、車体及び砲塔を合わせると各兵士 あて 1 っすつの専用ハッチを持っているので ある。そこには、人命尊重の精神があった。 Ⅳ号戦車は、ドイツ戦車技術の精髄から生ま れた戦車であった。よく考えられ、最高の技 術を駆使して作られた。だからこそ、主砲の 強化をはしめとする数次にわたる改良を受け られるキヤノヾシティの大きさを持ち、常にド イツ兵のよき友でいられたのであろう。Ⅳ号 戦車は、ドイツ戦車兵と技術陣との血の通い 合った戦車であった ドイツ軍のワークホー ス ( 軍馬 ) と呼ばれるのも当然だろう。Ⅳ号 戦車は、ドイツ戦車部隊と興亡を共にした栄 光と悲劇の戦車なのである。 ( 戦史研究家菊地晟 )
最終形 0 ーイドラー鋳鋼製あ 0 。トラ・ , ク。ー 0 = 内側 0 外側 0 = 差込ま、抜 0 ーな。、う . ー けられているのがわかる ( 履帯 ) を連結する ー、ドライピンが付 4 号戦車のシ一シ。生産は 3 号のトー 楽あ。う。 = 、生産 0 = ト 0 安。・ = 違 0 、 00 、 ンヨン / ヾ一方式よ 造は単純で強固であ。た。