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検索対象: TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車
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1. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

側面中央の予備大転輪用ラックの部分。ティスクプレーキからのゴム ホースが引出されている。試作車の写真である。 わ感 力、つ ャよ ム車 ゴの 気ロ ので 気る 空ま 冷るあ いて真 てれ写 つらの を付ア 形がペ 原輪ム よ大ブ 側輪 体のる 車こい′き なおっ くな入 オ。カ える帯第気。 ( い第い、 でて強 工さの : ッこ本 とテで 部メャを : 央イイ 中ッタ 面もム 車体側面前部。小転輪にも形が違ったものがいくつかあったようで、 写真の小転輪もそれぞれ形が異なっている。最終生産型は小転輪が一 個減って 3 個のものもあった。 28 27 監付空気取入口。ラジェーター用の冷却空気は一方通行であった。ェンジン室 右側に付けられた田枚羽根の大型ファン 2 個によって冷却空気は強力に送り 込まれ、ラジェーターを通過して左側の格子から放出される。

2. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

解説協力 = 菊池晟 編集 = 毛利兼治 企画編集 = タミャニュース編集室線図 = 青島敏行 進行 = 横溝賢治・田宮民 印刷 = 株中央興業 1 部・ 200 円 TAMIYA ・ PLAST ℃ MODEL CO 株式会社田宮模型 静岡市小鹿 628 628. OSHIKA SHIZUOKA-CITY, JAPAN 電話 ( 86 ) 5105 郵便番号 422 TELEPHONE 0542 86.5105 ー 8 ー朝コ 1 剄■・ スプロケットホイール 。 0 。 後面 0 0 0 ・キャタビラ張力調整装置 ラジェーター給水口 マフラー 0 0 0 っ 冷却水交換用ロ 0 0 0 0 アイドラーホイール リーフスプリング懸架ロードホイール 発電機用工ンジンマフラー 7 .92E 同軸機銃 ラジェーター冷却用空気取入口 ク、ラッ′く スリット型のぞき窓 ポールマウント式機銃架 通信手用ハッチ 7.92 ”機銃 シ冫ャッキ 車内換気用ェアクリーナー 《Ⅳ号戦車 H 型主要テータ》 全長 : 7015E 車体長 : 5930E ( シェルツェン装備 . 3350E ) 全幅 : 2880mE 全高 : 2680Em 戦闘重量 : 25 トン 工ンジン : マイ / 、ツ / 、 1 20 T R M 水冷 V 型 1 2 気筒ガソリンエンジン 排気量・ 1 1867CC 最高出力 : 300PS / 3000 「 pm 最大トルク : 80kgm/2150rpm 最大速度 : 38 / h 航続距離・路上 180 路外 120 主砲 : 7 m 戦車砲 48 口径・ KWK40 7.92E 機銃 x 2 ( 車体及び砲塔 ) フック 0 0 0 0 0 48 口径 75E 戦車砲 (KWK40) 排気管 0 0 0 0 0 プレーキ冷却用空気取入口 プレーキ点検用ハッチ 0 0 0 操従士用ノ、ツチ 生産台数・ 3 , 073 台 コマンダーズキューボラ 、工。ン、ンン室カ′、一 - ラジェーター冷却用空気排出口 べンチレーター ライト 砲手用クラッペ ( のぞき窓 ) 消火器 雑のう箱 M34 ・ 7.92E 機銃 予備転輪・予備転輪ラック 工スケーブハッチ ラジェーター冷却用空気排出口 ロ 0 ◎ 0 ◎ 0 0 ◎ 0 。◎ プレーキ用排気ファンカバー ジャッキ据えつけ台 シャックノレ 操縦士用前方視察窓 0 0 0 0 0 0 前面

3. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

円 44 年。ツェーン・ラート・フアプリク社のアウグスプルク工場が試作した自動変速機 付き車輛である。正しくは液体変速機付きといった方がよい。現在、自動車で用いられ ている、、 / ンクラッチ″自動変速機の元祖とでもいえるだろう。 車体後部のドライプスプロケット。直径 550 ミリである。液体変速器の原理は、扇風機 と向い合せに羽根車を置き、扇風機を廻すと羽根車も回転することを利用して、空気の このやトーマ″装置は一個の歯車も用いなかった。 変りに液体を用いたと考えればよい。 。 48 48 50 車体後部を完全に改造した液体変速機付 4 号 H 型戦車。実際のテスト結果は、ほとんど 残っていなかったようだ。後に米軍はア / ヾディーンに持ち帰ってテストをした。ドイツ 車車輛の中でも珍車の一つである。 - よヨに二一 - ツ この試作車は、液体変速機で動いただけでなく、砲塔の旋回も、砲の上下もすべて油圧 装置を用いた念の入れようであった。ドイツ技術陣の夢を適えさせたドイツ軍兵器局と ともに ドイツ人気質をよく現わした車輛である。 12

4. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

無線手兼機関銃手用のハッチである。上面装甲板にすれすれで飛んで来る敵弾から / 、ツ チと蝶番を守るため、小型の防盾が三方を囲っている。 H 型には下のような形の防盾と 2 種が混在したと思われる。 この写真は見るべき物が多い。前述の操縦士用ペリスコープのニつの窓が見える。それ に砲手用のクラッペも開いている。ポールマウント型前方固定機銃の銃眼、ぶ厚いカラ ーなどよくわかる。自動変速機付Ⅳ号である。 操縦士用のハッチ附近。砲塔基部を守るパイサーの一部が見える。ハッチの右にある三 角な板の中心の孔は、ハッチを立てた時に操縦士が前方を見る小窓である。自動変速機 付き試作車の車体。 スペャー用履帯の付いている下の部分にトランスミッションがあり、その左右にクラッ チと、ティスクプレーキが付けられている。操縦士用窓の前にある半円筒型のものは、 ティスクプレーキ冷却用の空気取入口である。

5. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

物 e 預 am 可 w Ⅳ AustH の 薬を持っていると思ったのか、我々の突進ぶ だ。だが幸運であった。敵は、わが戦車が弾 た。緊張の一瞬であった。戦車は全速で進ん ドルを握る手に冷汗がにしんでくるのを感じ 1 吾した。厳寒の車内で、べリスコープのハン すでに弾が無く、敵弾の標的になることを覚 照準していることは間違いない。わが戦車は、 台の T 34 戦車を発見した。敵戦車が、我々を 200 メートルの稜線上に待ちかまえている数 に見えた。ところが、 この時、 10 時の方向約 ほとんど損害なしに目標の村に突入できるよ 停止射撃で正確にそれを破懐した。我々は、 最大発射で敵を圧倒した。敵戦車に対しては ない。機関銃で間に合うものは、全戦車とも 入る。徹甲弾は必要最少限にしなければなら 雪を蹴立てて進撃を開始した。敵のラインに 戦車はうなり、青白い排気を残して全速力で うす暗い灰色の空に緑の信号弾が上った。全 甲弾はもとより、榴弾さえ撃ちつくしていた 中隊は先陣となったが、わが戦車は 75 ミリ徹 とし、残る 3 個中隊を後衛とした。我々第 8 隊に伝えた。残弾の多い 2 個戦車中隊を前衛 た。第 2 大隊長 Dr. べーケ少佐は、戦法を各中 関銃弾だけで敵戦車に立向わねばならなかっ 残弾を有する小数の戦車を先頭にし、他は機 分の弾薬を使い果していた。そのため、まだ あった。我々は午前中の戦闘で、すでに大部 し、第 1 大隊を敵の包囲から解放することで ネ・クームスキーへ損害をかえりみすに突進 た。それは第 1 大隊が防禦しているヴレチェ 手短かに戦況を聞いた。作戦行動が決定され 我々中隊長は、ただちに連遂長の下に集まり ならなかったからである。 ことの意味は、きわめて重大と言わなければ この連絡をとった ますあり得ない。あえて、 保できる可能性があるならば、救援の要求は 性格を持っレーヴェ少佐のことだ、陣地が確 からの救援要求の無線であった。古武士的な めのでき事は、第 1 戦車大隊長レーヴェ少佐 沈滞した士気を一度に吹きとばされた。ーっ 言葉に対し、緊張したように見えた。我々は 元気づけられた。大隊長は、我々以上にこの この言葉を聞いて腹を立てる以上に 我々は、 「ただ前進あるのみ。突撃せよ / 』。 『あの戦いぶりを恥と思え / 』。 「今日の戦いぶりは何たることか』。 たのた 次のように戦いぶりを酷評し、我々を叱日宅し までやってきたことであった。そして無線で た ーっは、連隊長が指揮戦車で我々の戦線 「この時、我々を発奮させる二つの事が起っ りに戦意を失ったのか。稜線を下って後退し たのだ′ 残弾のある戦車に追撃を命しる。 T 34 は 2 台 撃破され、他は敗走した。我々はただちに部 落に突入し、第 1 戦車大隊本部を見つけ出し た。本部の将校は全員負傷し、下士官が指揮 して辛くも死守していたのだ。彼らの戦車は いたるところに放棄され、炎上していた べーケ少佐から新しい命令の無電がとどく。 止まらすに部落の東端まで突進し、確保せよ というのだ。雪におおわれた村の家々は、人 影なく、すべて炎上していた。そして路上に は敵、味方の死傷達が横たわり、救いを求め ていた。そこには凄惨な戦いの場が広がって いた・ これは 1942 年 12 月 15 日、スターリングラード に包囲されたバウルス大将麾下の第 6 軍を救 援せんものと激戦を続けていたドイツ第 6 戦 車師団、第 11 戦車連隊第 2 大隊の戦闘日誌で この大隊は、フランスで再編成され、 ある。 当時、最新鋭であった長砲身 75 ミリ砲を装備 したⅣ号戦車 G 型 24 台を保有していた これ は、ロンメルの指揮するアフリカ軍団が、工 ル・アラメインの前日肖戦とも言うべき、エル ムファルフア、リッジの戦いにⅣ号 F 2 型を 登場させたのと同しく、対ソ戦に多数登場し てくる改良型Ⅳ号戦車の流れの呼び水とでも 言うべきものであった。そして第 2 次世界大 戦の大転機と言われた、スターリングラード とエル・アラメインの戦闘に登場してきた長 砲身 75 ミリ砲装備のⅣ号戦車、これこそドイ ツの運命を背負って最後まで戦い抜いた一人 の老英雄の登場にも似た姿であった。英雄の 出現、それは常に希望とそして悲劇を象徴す るからである。 Ⅳ号戦車の開発史は、ドイツ戦車部隊の興亡 の歴史と同一であった。 たた・一一つ一星うところ があるとすれば、Ⅳ号戦車は誕生の当時から 最後の大攻勢となったアルデンヌの戦いまで いつも地味な存在に甘んじなければならなか った点であった。Ⅲ号戦車が主戦闘戦車とし て開発されたのに対して、短砲身 75 ミリ砲に 象徴されるように、当初は支援戦車として開 発された。そして長砲身の強力な主砲を持っ た時は、ドイツ軍の苦闘の始まる時でもあっ た。また構造的、形態的な面から見ても、Ⅳ 号戦車は地味な戦車であった。 パンサーやタ イが一のような圧倒的な強さは感じられない。 しかし、Ⅳ号戦車を細部にわたって見てゆく 時、ドイツ軍の戦車に対する一貫した考想と これを設計したクルップ社の兵士に対する細 かな配慮を十分に汲みとることができる。 ドイツ戦車の最大の特長は、集団戦に適する ように作られていたことである。その第 1 が 3 名用砲塔の採用であった。車長は機械操作 に忙殺されることなく、敵状を観察 な決断を下すことができた。次に無線電話の 使用であった これは中隊レベル、大隊レベ ルを使いわけられた中隊長車から指揮戦車ま で、戦況を把握しながら連繋プレーを行い、 強力な敵も持てる力をフルに集中して各個撃 破し得る基盤となったのである。これらの考 想は このⅣ号戦車の設計の基本となり、当 時としては短砲身ながら強力な 75 ミリ砲の高 性能炸薬弾と共に、支援戦車として十分に活 躍し、結果的には電撃戦という花を咲かせた のである。 多角形の車体は、形態的には平乢なものであ った。そして前後左右にハッチの多いことも この戦車の特徴であった。 ッションやプレ キの点検ハッチからエンジン交換用の大型 点検ハッチまで、車体だけでエスケーブハッ チを含めると 7 ヶ所も見い出せる。 この車体 構造は、Ⅳ号戦車が最後まで戦車兵達に強く 支持された理由でもあった。車輛の保守と部 品交換など修理に便利だったのである。特に 工ンジンの交換は短時間で行えたという。 れは現在の西ドイツ主力戦車の特徴にもなっ ている。ドイツ技術の地味ながら堅実な面は 大転輪とそのサスペンションにも見ることが できる。ドイツ兵器局は、当初、トーション ーを推薦した。しかしクルップ社の技術陣 は、古風なボギー式リーフスプリングを頑と してゆすらす、ついには兵器局が折れてⅣ号 の特徴ある堅実にして強固な転輪が生れたの である。 Ⅳ号戦車が最高度に訓練された技術兵として の戦車兵達から愛された理由は、もうーっあ った。それはエスケープノ、ツチか、多かった とであリ、車体及び砲塔を合わせると各兵士 あて 1 っすつの専用ハッチを持っているので ある。そこには、人命尊重の精神があった。 Ⅳ号戦車は、ドイツ戦車技術の精髄から生ま れた戦車であった。よく考えられ、最高の技 術を駆使して作られた。だからこそ、主砲の 強化をはしめとする数次にわたる改良を受け られるキヤノヾシティの大きさを持ち、常にド イツ兵のよき友でいられたのであろう。Ⅳ号 戦車は、ドイツ戦車兵と技術陣との血の通い 合った戦車であった ドイツ軍のワークホー ス ( 軍馬 ) と呼ばれるのも当然だろう。Ⅳ号 戦車は、ドイツ戦車部隊と興亡を共にした栄 光と悲劇の戦車なのである。 ( 戦史研究家菊地晟 )