試作 - みる会図書館


検索対象: TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車
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1. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

このアングルから見ると試作車とはいえ、 -E にあがったカノヾーを下げて、ペリスコー ペリスコープは付けられていなかったよう プで前方を見た。この車輛は試作車なので、 操縦士用の前方視察窓。敵と交戦する時は、 堂々たる . 風格がある。 正面から見た自動変速機付きの試作車である。 4 号 H 型の 48 口径 75 ミリ戦車砲の基部。左右に駐退機を備えたこの部分はガッチリと造 られ、カ / ヾーの前面装甲は 50 ミリはあろう。その右に見えるのは同軸機関銃のカバーで ある。 砲塔前面のクローズアップ。左側に砲手用のクラッペ ( のぞき窓 ) と主砲の照準器用の 小窓が見える。雨水が入らないように小さなヒサシが付いているのもおもしろい

2. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

円 44 年。ツェーン・ラート・フアプリク社のアウグスプルク工場が試作した自動変速機 付き車輛である。正しくは液体変速機付きといった方がよい。現在、自動車で用いられ ている、、 / ンクラッチ″自動変速機の元祖とでもいえるだろう。 車体後部のドライプスプロケット。直径 550 ミリである。液体変速器の原理は、扇風機 と向い合せに羽根車を置き、扇風機を廻すと羽根車も回転することを利用して、空気の このやトーマ″装置は一個の歯車も用いなかった。 変りに液体を用いたと考えればよい。 。 48 48 50 車体後部を完全に改造した液体変速機付 4 号 H 型戦車。実際のテスト結果は、ほとんど 残っていなかったようだ。後に米軍はア / ヾディーンに持ち帰ってテストをした。ドイツ 車車輛の中でも珍車の一つである。 - よヨに二一 - ツ この試作車は、液体変速機で動いただけでなく、砲塔の旋回も、砲の上下もすべて油圧 装置を用いた念の入れようであった。ドイツ技術陣の夢を適えさせたドイツ軍兵器局と ともに ドイツ人気質をよく現わした車輛である。 12

3. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

H の一部および」型の砲塔側面のエスケーブハッチ。写真⑩と見くら べてみると、これで十分だということわかる。 後方に開くトビラの厚さが違うことに注意 14 13 H 型の特長となったシェルツェン付きの砲塔の状況。厚さは 5 ミリで あったが、米車の手擲弾では、ビクともしなかったという。車体のシ 工ルツェン用ラック ( 取付け具 ) が、ほば完全な形で残っている。 試作車の車体側面とシェルツェンの付いた砲塔実際には、用無しになったスリット型 のぞき窓や、砲塔後部のピストルポートなど、そのまま残されている。この装甲板は四 43 年 3 月以降、工場を出る車輛に取付けられた。 前方に開くトビラと 15 砲塔の前部上面。いろいろな物が付いている。 ンチレーター。その後にペリスコープ用力 / ヾー ナーポール立てなどがある。 中央は頑丈な砲塔用べ その他、予備アンテ 14 砲塔の後部。ます、ピストルポートが無くなっている。それに、雑物 中央にあるのは、石包塔を吊上けるた めのフックである。 入れ用ポックスも付いていない。

4. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

側面中央の予備大転輪用ラックの部分。ティスクプレーキからのゴム ホースが引出されている。試作車の写真である。 わ感 力、つ ャよ ム車 ゴの 気ロ ので 気る 空ま 冷るあ いて真 てれ写 つらの を付ア 形がペ 原輪ム よ大ブ 側輪 体のる 車こい′き なおっ くな入 オ。カ える帯第気。 ( い第い、 でて強 工さの : ッこ本 とテで 部メャを : 央イイ 中ッタ 面もム 車体側面前部。小転輪にも形が違ったものがいくつかあったようで、 写真の小転輪もそれぞれ形が異なっている。最終生産型は小転輪が一 個減って 3 個のものもあった。 28 27 監付空気取入口。ラジェーター用の冷却空気は一方通行であった。ェンジン室 右側に付けられた田枚羽根の大型ファン 2 個によって冷却空気は強力に送り 込まれ、ラジェーターを通過して左側の格子から放出される。

5. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

無線手兼機関銃手用のハッチである。上面装甲板にすれすれで飛んで来る敵弾から / 、ツ チと蝶番を守るため、小型の防盾が三方を囲っている。 H 型には下のような形の防盾と 2 種が混在したと思われる。 この写真は見るべき物が多い。前述の操縦士用ペリスコープのニつの窓が見える。それ に砲手用のクラッペも開いている。ポールマウント型前方固定機銃の銃眼、ぶ厚いカラ ーなどよくわかる。自動変速機付Ⅳ号である。 操縦士用のハッチ附近。砲塔基部を守るパイサーの一部が見える。ハッチの右にある三 角な板の中心の孔は、ハッチを立てた時に操縦士が前方を見る小窓である。自動変速機 付き試作車の車体。 スペャー用履帯の付いている下の部分にトランスミッションがあり、その左右にクラッ チと、ティスクプレーキが付けられている。操縦士用窓の前にある半円筒型のものは、 ティスクプレーキ冷却用の空気取入口である。

6. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

Ⅳ号戦車のバリエー 主力戦車としてのⅣ号戦車の能力は、大戦の 後半から末期には。、ちおうの限界に達しまし たが、突撃砲や駆遂戦車、自走砲のシャーシ として数多く利用され、火力支援に活躍しま した。Ⅳ号戦車の転用は、 1941 年、ヒトラー の命令によー。て試作された 105 。砲 18 型を装 備したデ、 , カー、 , ク試作駆遂戦車にはじま ります。 駆遂戦車としてⅣ号戦車から発達した最初の ものは、 F 型のシ ~ ーシを活用し、 48 口径 78 。砲 39 型または 40 型をガーゼ、 , ト式砲架に 装備した Sdkf , 162 で、生産はク ~ 、 , プ社で 19 この Sdkfz162 の火 1943 年に始められました。 力強イヒ型として現われたのが、 SdkfZ162/1Ø 形式番号を持 70 口径 75 。。砲 42 型を搭載し たⅣ号駆遂戦車。ングで 1944 年から生産され ました。また、同し 70 口径 75 。。砲を装備し、 , 、ンティングタイガーによく似た車体上部を 持 Sdkf , 162 / 2 も生産され、これらの生産台 数は総計 2200 輛以上に及びました。 突撃砲としては、Ⅲ号突撃砲によく似た型の Ⅳ号突撃砲 Sdkf , 163 があります。これは H 型 のシャーシを流用してクルップ社、ェ、 , セン 社などで作られました。突撃砲は、Ⅲ号戦車 から発達したものが数多く生産されたためⅣ 号戦車では、駆遂戦車型に比重がおかれたよ うです。Ⅳ号戦車の突撃砲として、、 = ーク なスタイルで知られて 0 、るのが、プルム ~ ア です。これはⅣ号駆逐戦車のシ ~ ーシを流用 して重火力支援用に開発されたもので、 12 ロ 径 150 。。榴弾砲を装備、 1943 年から生産され、 主としてイタリア戦線で活躍しました。また 対空戦車としては、 60 口径 37 。。対空機銃を搭 載したモー ~ ~ ワーゲ・が 1943 年から生産さ れ、 1944 年には 55 口径 20 。。 4 連装対空機銃を 6 角型のオープント、 , プ型旋回砲塔に搭載し たヴィ ~ ルヴィントが作られました。またオ ストウインドは、ヴィ ~ ルヴィンドと同様の 6 角型オープ , ト、 , プ砲塔に 60 口径 37 。。対 空機銃を搭載していました 71 口径 88 。砲を装備したナスホルン、同しく 88 。。砲を持ホル = 、 , セ、 150 。野戦榴弾砲を 装備するフ , メ ~ 、これらの自走砲は同系 車体を持ち、それぞれⅢ号及びⅣ号戦車のシ ~ ーシを流用して作られたものでよく似たス タイ ~ を持て 0 、ます。ナスホ ~ , は、 437 輛 が 1942 年末から生産され、重戦車大隊に配属 されて活躍しました。またフーメルは、 1943 年までに 666 輛が生産されて。、ます。このはか 特殊型として砲塔を取り外してトーチカとし て利用できるように計画されたホイ、 , ン、レ 、 , ヶなどが、Ⅳ号戦車の , 、リ , ーシンとし てよく知られている車輛です。 ション 13

7. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集1 アバディーンのIV号戦車

4 号戦車の最大の特長は、このスプロケット ( 起動輪 ) とロードホイール ( 大 転輪 ) であろう。クルップ社は、当初ドイツ車兵器局が推薦したトーションバ 32 一方式を断わって、このボギー式を採用している。技術者の自信がうかがえるようだ。 大転輪のクローズアップ。中央の割ピン付ポルトの左に 2 個のグリスアッ プ用のポルトが見える。ドイツの車輛は戦車を含めて、グリスアップする 箇所が多く、複雑な機構とともに、整備屋泣せであったという。 33 イ 自動変速機付き試作車のアイドラー ( 案内輪 ) である。 戦車は後部起動式なので、スプロケットは後部にある。 ション・アジャスター ( 履帯緊縛調整装置 ) が見える。 フ - ン 3 4 35 部の 2 個である。 る感じもするが、又、何ともいえない頼もしさも湧いてくる。写真は最後 プレスで造られた 4 号特有の大転輪のパターン。 8 個も並ぶと少し多すぎ 美くしく揃った 4 号戦車の大転輪。この転輪は、円年から 44 年にかけて、 フォルクスワーゲン工場などで一ヶ月 6 , 000 組の割合で生産された。 36