3 " 30 20mm 20mm 「 20mm 対空機関砲 30 型 20mm 対空機関砲 38 型 1918 年、敗戦によってドイツは第一次大戦 を終結した。終戦後、ベルサイユ条約によっ てドイツの新型火砲の生産、設計には大幅な 制限が加えられた。その為にドイツの火器生 産会社はデンマークやスイス、スウェーデン 等にダミー会社を設立して、秘かに新兵器の 研究・開発を進めた。 2 cm F L A K ー 30 もその様な背景のもとに スイスに設立されたラインメタル・ポージッ グ社で 1920 年代木に完成された対空機関砲で あり、戦争中期まで最も多用された自衛用対 空機関砲であった。低空で侵入し攻撃して来 る敵の航空機に対しては小口径機関銃に比べ て大きな効果があげられるところから、銃単 体で地対空として、また自重 450 kg と軽量な ため車載火砲としても多用された。 通常 F L A K - 30 は 2 輪の着脱式トレーラ ーによって移動、運搬が行なわれる。発射の 際にはトレーラーから外されて接地して射撃 を行うが、非常に急を要する場合にはトレー ラーに載せたまま射撃を行うことができた。 射座を接地姿勢にすると 360 度回転が可能で あり、仰角は 90 度、俯角は 10 度である。操作 は、フレーム右側の仰俯角ハンドル、射座の前 にある方向ハンドルで行われ、共に射手自身 が行う手動式である。引金はペダル式で足で 操作する。発射は連射 ( 全自動 ) 、単射 ( 半自 動 ) の切替ができる。給弾方式は箱型弾倉で 1 つの弾倉は 20 発の容量があり、次々と交換 して射撃を続ける。その為に弾倉を装着でき る砲の左側に弾薬手が立ち弾倉を補充する。 計算上の発射速度は毎分 280 発、実際に 20 連 発の弾倉を交換して行うと毎分約 120 発が発 射可能である。弾薬には爆烈弾、徹甲弾、曳 光弾等が良く知られ、目的、用途によって使 い分けられた。 運搬用トレーラーはゾンダーアンハンガー 51 と呼ばれる Y 字型フレームを持つ製品で、 ドイツ軍で使用されるはとんどの車両によっ てけん引することができ、場合によっては馬 やケッテンクラート等でもけん引された。 FLAK - 30 は 1938 年に制定された改良型 F L A K ー 38 が出現すると生産が打ち切られ たが、その使用は戦争終結まで続けられた。 ドイツ空軍地上部隊に配備になったのは 1935 年からであったが、以来ポーランド、西部戦 線、アフリカ戦線、そして東部戦線で広く利 用され、対空兵器としての使用の他に 初速を利用して対戦車火砲としての使用もで きる万能機関砲であった。 ・ 20E 対空機関砲 30 型テーター 口径 20mm 砲身長 230Cm 450kg ( 自重 ) 重量 760 kg ( トレー フ 連射速度 120 発 / 分 ( 戦場 ) 280 発 / 分 ( 計算 ) 旋回角度 360 度 ( トレーフー上 40 度 ) 仰角 90 度 俯角 10 度 初速 900 m / 秒 7 最大射程 4800m ( 水平 ) 3670m ( 垂直 ) FLASH ELIMINATOR 消炎器 FLAKVISIER 対空照準器 TRANSMISSION (CARRIAGE TO SIGHT) 砲架・照準器同調シャフト SLIPPER 揺架 ELEVATION HAND WHEEL 仰俯角ハンドル ELEVATION ARM 照準器連動ロッド FLAK ー 30 は大変優れた対空機関砲とし て評判が良かった。しかし一面ではスペイン 内乱で試用された際、すでにその連射性能に 疑問を持つ人々がいた。低空で侵入して来る 航空機の射撃には極く短時間の内により多く の弾丸を目標に発射する必要がある。 F L A K ー 30 の連射速度は毎分 280 発 ( 計算上 ) で あり、より高い発射速度を持つ機関砲の計画 案が 1938 年に立てられた。 完成された機関砲は 2 cm F L A K ー 38 ( フ ルグアプペアカノーネ 38 ) として 1940 年前 線に出現した。 F L A K ー 38 は F L A K ー 30 を基本にモーゼル社で改良が加えられ、計算 連射速度を毎分 450 発に高められた。実際に 20 発容量の弾倉を使用しての実戦連射性能も 毎分 220 発と F L A K ー 30 の 2 倍近くになっ た。つまり F L A K ー 38 は 2 連装で F L A K ー 30 を使用するのと同等の効果が期待できる ことになった。他の重量や基本的なデータは、 ほ ( よ同しで、トレーラーもゾンダーアンハン ガー 51 、弾倉も共通で、その他、山岳部隊向 けの軽量砲架を取り付けた 2 cm ゲピルグス F L A K 38 も生産された。 1940 年の末になると更に多量の弾薬を発射 できる様に 4 丁の F L A K ー 38 を組合わせて 一台の砲架に載せたフラックフィーヤリング この 4 連装機関砲の連射速度 38 も出現した。 は毎分 1 , 400 発 ( 計算連射速度 ) 、実戦連射速 度は毎分 800 発になった。自重は単装の約 2 倍になったためにトレーラーも強化型のゾン ダーアンハンガー 52 が造られて使用された。 1940 年 FLAK ー 38 の生産が軌道に乗ると F L A K ー 30 に代って第一戦兵器として使用 され始めた。大戦終了時にドイツ軍は 17 , 589 台の 2 cm 対空機関砲を保有していた。その大 部分が F L A K ー 38 であったと言われている。 F L A K ー 30 と F L A K ー 38 の識別は外観 から比較的容易で、銃口先端部に付いている 消炎器を見れはよい。先端がラッパ状に開い ていれは 38 型、 2 段になったチュープ状なら ば 30 型である。砲架が見えれは識別はより簡 単で、弾倉装着部が大型の円形回転軸になっ ているのが 38 型である。 TRAVEL 凵 NG CLAMP 輸送用クランプ 0 F 旧 ING PEDAL (AUTO MAT ℃ ) 発射ペダル ( オートマチック ) GUNNER'S SEAT 射手座席 PLATFORM REST 接地固定脚 TRAVERSING HAND WHEEL 方向回転ハンドル FLAK ELEVATION ARM FLAKVISIER 照準器連動ロッド 38 型電子対空照準器 FLASH E 凵 MINATOR 消炎器 GRIP ストッパー付 ハンドルグリップ TRAVERSING HAND WHEEL 方向回転ハンドル ELEVATION HAND WHEEL 仰俯角ハンドル CONTAINER FOR CATCHING EJECTED CARTRIDGES 空薬莢受け SHIELD 射手防弾着 TRANSMISSION (CARRIAGE TO SIGHT) 砲架照準器 同調シャフト 0 PERSONNEL SHIELD 防弾板 0 ・ 20mm 対空機関砲 38 型データー 口径 20 mm 砲身長 225Cm 420kg ( 自重 ) 重量 740 kg ( トレー フ 連射速度 220 発 / 分 ( 戦場 ) 450 発 / 分 ( 計算 ) 旋回角度 360 度 90 度 仰角 俯角 20 度 880 m/8'J> 初速 最大射程 ( 垂直 ) 4800 m ( 水平 ) 3670 m 6 SHIELD STAY 防弾盾ステー ー共 ) ー共 ) F 旧 ING PEDAL 射手足かけ 0 GUNNER'S SEAT 射手座席 ELEVATION ARM 照準器連動ロッド PLATFORM REST 接地固定脚
の砲架内側。 FLAK ー 38 の砲架は薄い鋼 板をプレス加工し、左右 2 枚を中央部で電気 : 幇妾して成形されている。その為に軽量化が 進み、同時に F L A K ー 30 に比べて強度も増 の FLAK ー 38 仰俯角ハンドル部。砲の上 下を行うハンドルで、このハンドルも方向回 転ハンドルと同様に移動時に回転を防止する 固定用ストッパーネジが後方に付属している。 F L A K ー 38 排莢孔。 F L A K ー 38 は自 動装填砲で、いわば大型化した機関銃であり、 発射済の空薬莢は自動的に銃から排莢され、 飛び出した薬莢が周囲に散乱しない様に網に よって空薬莢を回収した。写真中央に見える 四角な板状の部品は、排莢孔から砂等の侵入 を防ぐダストカバーで、遊底が後退すると自 動的に開く。 の F L A K ー 38 方向回転ハンドル部。ハン ドルにはストッノヾー付のグリップが付いてお り、下方には移動の際にギャの空転を防ぐス ーネジがあり、これをしめるとハンド ルは動かなくなる。 の F L AK ー 38 射手足かけ、引金部分。射手 はシートに足を前方に延ばした姿勢で着座し、 右足のつま先で丁度自動車のアクセルの様に 引金を前方に押して発射を行った。写真中央 の右に白く見える四角な部品がそれである。 の上部防弾盾保持ハ 。防弾盾は写真 19 で 示した様に下方は砲架に固定され、上方は砲 身回転軸外側からパイプ状の保持バーを前方 に突出して保持固定した。 の 38 型電子対空照準器照門部。射手はこの 箱型の中英部に見える照準ガラス上に映し出 される発光式照準標示と対象物を重ね合わせ て行う。戦闘機の射撃照準器と似た型式であ った。 の右側にオフセットされた射手座席、方向 回転ハンドル、仰俯角ハンドルの位置等が良 く理解できる。 38 型電子対空照準器。この照準器は方向 回転ハンドル、仰俯角ハンドルからの情報を 受けて自動的に照準器が中央部で敵機を直視 できる様に補修正するものであり、 35 型から 大幅に進歩した型式であった。 ⑩ F L A K ー 38 弾倉。変形を防ぐ目的で多 くのリプを外面に付属させた。ーっの弾倉内 には 20 発の 2cm 口径弾薬が装填できた。 FLAK—38 射座。姿勢が最も安定する 様に背もたれの角度は自由に変えることがで きる。 取材写真 P8 ~ P13 20m 30 本格的な半地下式の防衛陣地で使用され ① る F L A K ー 30 。 F L A K ー 30 は F L A K ー 38 の原型となった対空機関砲であったが、砲 架の形や射手座席の位置等は相当異なってい た。特に射手座席は砲身の軸線上にレイアウ トされていた 大西洋の璧に設置された F L A K ー 30 。 F L A K ー 38 の制定後 F L A K ー 30 の生産は 中止され、第一線には極力新型の F L A K ー 38 が投入されたが : 拡大される戦線は更に需 要を拡大させ、終戦に至るまで使用は続けら れた。 3 後方から見た F L A K ー 30 砲架。砲身軸 線上にある射手座席、回転、仰俯角ハンドル の位置、また照準器アームの位置が砲架左側 フレーム上にある等 F L A K ー 38 との差が良 く理解できる。 現在スペインに残っている F L A K ー 30 。 ④ 砲身先端の砲身制退器や砲架の設計の差がは っきりと見える。また砲座とトレーラーの装 着法も原理的には同しだが F L A K ー 38 より 砲座が小さな点が、突出した部分によって理 解できる。 戦車資料写真集 タミヤの戦車資料写真集は、モデル作りに また、情景作りに役立てていただけます。当 時の記録写真や実車の取材写真などが豊富に 掲載された資料集です。 「 , M AN を ws 資料写真集 1 川ティーンの号” けられている。 ゾンダーアンハンガー 51 の接地固定脚を 立てた位置にセットした様子を示す。 同しくゾンダーアンハンガー 51 の接地固 定脚を運搬用に折りたたんだ様子。しかし、 車両に連結する為のジョイントは外されてい ⑩ F L A K ー 38 の弾倉部。弾倉は機関銃等 の小型火器と同じ構造で複列式に納められた 20 発の弾薬がバネ圧で押し出される。弾倉周 囲の円型は、火砲の仰腑角軸であると共に空 薬莢受けを装着する枠としても利用できた。 右側の箱状の部品は、予備弾倉を入れて置く ホルダーである。 砲架後方より見た F L A K - 38 。 35 型対 空照準器の箱型基部が見える。後期型の電気 発光式の 38 型対空照準器との差が良く分かる。 照準器下方のハンドルは方向変換用のもので、 グリップ部にはストッノヾープレーキが付いて いる。 後方から見た F L A K ー 38 。砲架右側に 寄せてレイアウトされた射座や 35 型対空照準 器の様子が良く理解できる。方向変換や砲の 傾きを変える為のハンドルは共に手動式であ るが、その動きは大変スムーズで動かし易い。 朝後方から見た F L A K ー 38 全体。防弾盾 を外した F L A K ー 38 は大変スマートで小型 に見える。また全体にパイプとプレス加工を 大幅に採用した構造は軽量化、量産化の成功 に役立った。 F L A K ー 38 弾倉装着部。 F L A K ー 38 は連射性能を高める為に斜めに切り取ったマ ガジンハウジングを砲身左側に付属しており、 スムーズな弾倉の交換が容易であった。 朝前方から見た F L A K ー 38 防弾盾。避弾 効果を上げる為にほば中央部から傾斜が上下 に付けられている。 朝 FLAK ー 38 回転砲座固定ネジ。軽量対 空砲の最大利点である機動力を充分に活用で きる様に、軽い操作で方向・仰俯角の移動が 行える設計がされていた。反面トレーラー上 に載せて移動する際の振動によって不必要に 動かない為に固定ネジが数多く取り付けられ ていた 朝後方から見た防弾盾付 F L A K ー 38 朝 F L A K ー 38 後部脚クローズアップ。 F L A K ー 38 をトレーラーから下して接地する と円盤状の石突が地面に接して砲架を安定さ せる。砲架の中央部に電気溶接工作の跡が良 く見えるのが興味深い。 FLAK ー 38 の防弾盾装着部。防弾盾は 砲架から張り出したパイプ状の部品に蝶ナッ トによって装着され、容易に取外すことがで 側面から見た F L A K ー 38 。トレーラー から外して接地した状態で Y 字型のべース各 先端からは固定脚が突出して砲架を安定させ ている。 ① ⑨ ② の 1 ー乃、ティーンのⅣ号戦車 ドイツ軍の軍馬とまで言われたⅣ号戦車をア メリカのアバディーン戦車博物館に取材した 写真集です。写真はⅣ号 H 型を中心に紹介。 サスペンション周辺や各ハッチ部分など、細 部のクローズアップ写真がⅣ号戦車のモデル 作りには欠かせない資料集です。ページ数は ロページ、 50 点の写真を収録しました。 ⑨ F L A K ー 30 左側砲架下部。 F L A K ー 30 の射手は足を砲架の左右に 1 本ずつ延はし て着座した。しかし、これだと砲架左側に立 っ弾薬手のじゃまになるので、 F L A K ー 38 は射座を砲架右側に寄せて弾薬手がより素速 く作業できるようになった。 トレーラー上の F L A K ー 30 。トレーラ ⑥ ゾンダーアンハンガー 51 は F L A K ー 30 及び 38 に共通で、どちらの火砲の輸送にも使 用できた。 20m Ⅷ 朝 TAMIYANEWS な . 第 2 ーートイツ戦場写真集 実戦での記録写真を集めた写真集です。ペー ジ数は 38 ページ、ロ 8 点の写真が収録されてい ます。第 2 次大戦中、ドイツ軍の宣伝中隊と 呼ばれる部隊が撮影したもので貴重な写真ば かりです。モデル作りにはもちろん、情景作 りの参考としてもお役立ていただけます。各 写真の簡単な解説つきです。 取材後記 火砲モデル設計の常はすべての部品が表面 に露出、複雑に組み合わさる為、その写真取 材は他の取材以上に注意深く進められます。 今回の 20mm 対空機関砲の取材は、好条件に恵 まれ予想以上の成果をあける事が出来たと思 います。比較的小型の対象物だけにカメラが 自由にとどき、その構造が理解出来ます。プ ロポーションにこれといったポイントを見つ ける事の難しいこれら火砲は、その取材写真 の一枚一枚が、形をわり出す貴重な資料とな ります。細部撮影、さらに射撃手のポジショ ンを確認する為、シートに乗ってみます。 く程、体にフィットするそのレイアウトにあ らためてこの火砲の優秀性の一端を見たよう な気がしました・ 0 3 一 - イキリス・チャーチル戦車 第 2 次大戦中のイギリスの代表的な戦車、チ ャーチル戦車の資料集です。ページ数は 26 ペ ージ。戦場での貴重な記録写真幻点の他、博 物館での取材写真 62 点、さらに、高荷義之氏 のイラスト 80 点を掲載しました。チャーチル 戦車を各タイプごとに解説しましたから発達 史も理解できることでしよう。 ② 運搬用トレーラー ゾンダーアンハンガ ー 51 上に載せられた F L A K ー 38 。 F L A K とはフルグアプペアカノーネの略で対空砲の 意味である。写真の製品は防弾板が外されて いる。トレーラーの後方には短い接地固定脚 がありトレーラーをけん引車から外してもト レーラー自体を水平に保っことができる。 の F L A K ー 38 には 35 型対空照準器が取りつ 14
つしッフボクサー 6X4 型 6 輪軽トラック 「角張った籀みたいで、獰猛な感しのトラ 、 , クが、ももうと砂煙を巻上げて近づいて 来て、くるっと向きを変える。するとさらに 何人かの若いドイツ兵が、これまた実にスマ トな身なりで手品師みたいに器用な連中だ が、あっと言う間に大砲をトラックに連結す トラックは兵士 るとステップにとび乗った。 達を両側にぶら下げたまま、フルスピードで ポドールの方へ走り去る。 キリロフスカヤ街全体が、目のとどく限り 右も左もトラックやいろんな車でぎっしり詰 っていた。車はやけに角張って様々なものを 突出し、網がかぶせられ、さらにいろんな物 がら下っていた 自動車には、それぞれ独特の顔があるもの だ。ヘッドライトで冷淡に、あるいは憤りを 込め、かと思うと悲しげに、また驚きの眼差 で、世界をしっと見つめる。今、目の前に現 れた車は、大砲を取払っていった車と同じよ うに獰猛な顔つきをしていた。こんなに自動 車を見るのは生れて初めてだった。どれもと てつもなく力強い感しで、エンジンの轟音と 排気ガスが大通りにあふれていた・ これは、ロシア生れの作家 A ・アナトーリ が、著書「 ノヾービイ・ヤール」の中で才苗いた ドイツ軍のキエフ占領当時の情景です。 11 歳だった著者の目を通して、破竹の勢い だった 1941 年 9 月頃のドイツ軍機甲部隊の活 動りが生き生きと描かれ、トラックの排気 ガスがにおってくるような気がします。 1941 年 6 月 22 日、ドイツは有名な「バルバ ロッサ」作戦を発動し、ロシアに侵入しまし この時、動員した国防軍の兵力は、兵士 3 0 0 万名、戦車 3500 台、飛行機 1800 機、附属 する車輛は、およそ 60 万台だったと言われて います。 60 万台の車輛・・ 。現在でこそ年に 850 万 台を上廻る自動車を生産し ( 1977 年 ) 、世界 第 2 位の実績を誇る日本ですが、今から 37 年 前の状況を想えば、これは驚くべき数と言え るでしよう。とは言え、当時のドイツ軍にし ても、実際はトラックの確保とやりくりに頭 をいためていたのでした。国内では、メーカ ー各社とも独自の車を造ったため種類が多く、 運用やメインテナンス、部品の補給などの面 で不都合を生していたこと。加えて優先順位 の高い戦車や装甲車のために生産が頭打とな ったからでした。軍は、この不足分を占領国 で生産されるトラックと戦場で鹵穫した連合 軍のトラックで補うこととし、何とか数を合 わせたのでした。 アナトーリ少年の見たドイツ軍は、 こうし た見本市のようなトラック群だったのです。 力強いピューシンクやメルセデス・べンツ製 のトラック、何となくやさしさのあるフォー ト。こうした中に、クルップ・ボクサーとⅡ平 ばれる多用途トラックがあったことは間違い ありません。まるで猟大が頭を低くして穫物 を狙っているような独特な風貎のこのトラッ クは、はたしてアナトーリ少年の目にはどの ように映ったことでしようか。 1929 年、ドイツ軍がナチ体制のもとに再編 1 成され、公然と軍備の拡張を始める前のこと でしたが、 6 x 4 シャーシ ( 6 輪車 4 輪駆動 ) トラックについての一般的な仕様が、旧ドイ ツ国防軍によって作成されました。 この仕様 にもとついてメルセデス・べンツやピュ / ンクー N A G など数社が 6 X 4 トラックの生 産を行いましたが、中でもその特徴あるスタ イルとメカニズムで最も知られることになっ たのが ~ クルップ L 2 H43 および L 2 H 1 4 3 でした。 クルップ L 2 H43 および L 2 H 1 4 3 は、 般にはクルップ・ボクサーと呼ばれました。 それは、エンジンが空冷式の水平対向型 4 気 筒であったためで、対向しておかれたシリン ダーの中を往復するピストンが、まるでボク サーの打ち合いを思わせることから、水平対 向工ンジンがボクサー・エンジンともⅡ平は・れ ることによるものでした。また高さが極めて 低い水平対向工ンジンは、ポンネットの高さ をごく低くデサインすることを可能にし、ク ルップ・ボクサーの外観を際立って特徴的な ものとすると共に、ドライバーにとっての月リ 方視界も素晴しいものとなったのです。この ェンジンは、後に I 号戦車に搭載されること になります。 サスペンション機構もクルップ・ボクサー の特徴でした。特にリヤ・サスペンションは それまでドイツの商用車では用いられなかっ た独立懸架で、後輪 4 輪駆動と合いまって、 すぐれた行動力を持っことになったのです。 クルップ L 2 H 43 の生産は 1934 年から始め られ、 1937 年には L 2 H 1 4 3 となりました。 L 2 H43 と L 2 H 1 4 3 は、外観的にはほとん ど同しで、機械部分が多少異なるだけでした。 クルップ・ボクサーの生産は 1942 年まで続 けられ、多数がドイツ軍に配備され、大戦を 通して各地の戦線で様々な用途に使われるこ とになるのです。その地味ながらも、戦線を 裏から支えることになったクルップ・ボクサ ーの働きぶりをこの写真集からくみ取ってい ただき、モデル作りに生かして下さい。 「バーピイ・ヤール」 A ・アナトーリ著 平田恩訳・講談社 1973 年 戦場写真 P2 ~ P6 ロシアの町はすれで小休止する擲弾兵部 隊のクルップ。防空マスクを取り付けたヘッ ドランプが良く分かる。右フェンダー上に泥 地脱出用の木材が見える。けん引用のワイヤ ーに巻きつけられている。 カゞノヾン / ヾ ② ウクライナの農婦から牛乳を受け取る乗 員。独ソ戦初期にはソピエトのコルホーズ政 策に不満を持つロシア農民はドイツ軍を解放 者と歓迎した地区もあった。巻き上がる砂煙 を防ぐ為にドライバーだけでなく乗員もゴー グルを着用している。 3 2 cm F L A K ー 30 をけん引するクルップ。 フェンダーに部隊章が描かれている。荷台側 面前方には横位置で斧が、後方にはツルハシ が備え付けられている。 0 小休止する F L A K ー 30 けん引クルップ 部隊。ロシアの町で小休止するクルップ部隊 であるが、同一装備の車両のみが写っている 興味深い一枚である。通常 F L A K けん引車 は擲弾兵部隊、機甲師団の援護の目的で協同 して行動する事が多いが、 この写真の様に F L A K けん引車のみが別行動をとっているの ① は面白い。 ロシアの明・でバリケード突破口から前進 するクルップ。車体には盛上がるはどの物資 を載せ、後方には 2 cm F L A K ー 30 をけん引 している。面白いのは戦争初期らしく乗員が 白色の砲兵作業衣を着ている点だ。敵から発 見され易いこの作業衣を戦場で着用している 写真は珍しい。 フロントグラスを立て、荷台キャンバス をかけたクルップ。ルフトノヾッフェ ( ドイツ 空軍 ) の W L ナンバープレートを付け、フェ ンダーには部隊章が描かれている。フェンダ ーの縁が白く塗られているのは夜間行動の車 幅確認用である。キャンバスをかけるとオー プンの時とはがらりと異なった外観になるの も面白い。 兵員輸送にあてられるクルップ。 W H の ナンバープレートを付けた国防軍車両。ロシ アの農村部に進出したもので、さすがに乗員 は銃を手に周囲に注意を払っており、助手席 の兵士はサブマシンガンを手にしている。 6 輪ではあるが、やはり不整地での事故に備 えポンネット前面には引っぱり出してもらう 為のワイヤーが、また上面には車輪の下に差 し込む小さな木材が積まれている。 ①進撃中の 2 cm F L A K ー 30 けん引クルッ プ。先導車らしく識別旗のフレームが左へッ ドライト後方に取り付けられている。運転席 後方には盛上がるように装具が積まれ、バン ーは曲ったままで、いかにも先を急ぐドイ ッ空軍、ルフトバッフェの地上部隊所属車両 である。 ⑨砂煙をあげて進む 2 cm F L A K ー 30 けん 引クルップ。後部荷台上には 3 本のカンバス 用支柱が立てられているが、カンノヾス自体は 一本目の支柱にベルトでまとめて止められて いる。運転席には 3 名の兵士が着座している。 ウクライナ平原を行く F L A K けん引の クルップ。乾いたステップを砂煙をあげて前 進する。最前線の車両らしく、味方の飛行機 に退却する敵側車両と間違えられて誤射、誤 爆を受けない様にポンネット上に大きく白い スワスチカ ( カギ十字 ) が描かれている。 工兵隊によって急造された仮橋を渡る F L A K けん引クルップ。この写真の車両から は色々と面白い事が分かる。ます倒したフロ ントグラスの左右上方には小型のサーチライ トが 2 灯付いており運転席側面の予備タイヤ 後方には横に倒したジェリカンが見える。荷 台に取り付けられた柄の長いシャベルの装着 も良く理解できる面白いスナップである。味 方の完全制圧地区での撮影らしく、乗員は略 帽をかぶり、けん引されている F L A K は布 カバーがかけられている。 の 2 cm F L A K ー 38 を搭載したルフトノヾッ フェ所属のクルップ。側面からのカモフラー ジュの為に木の枝を差し、また空からの偵察 に対処する目的のカモフラージュネットを左 フェンダー上に載せている。日の出やタ方の 影の長くなる時には空からの偵察で発見され やすい。その様な時にカモフラージュする必 要があれは、ネットを広げて車全体を被うと 影が、全面的にばやけて発見が困難になる。 この写真の様に開けた平原では特に必要な処 置であった。 ・西部戦線の町で警戒配備につく 2cmFL A K ー 30 搭載クルップ。対空用に開発された FLAK であるが、高い初速は対戦車火器と ① ⑥ ② ⑩ の しても戦争初期には有効であった。写真の F L A K は砲身を水平にして対敵警戒に当って いるもので、荷台外面の備品レイアウトが一 部変更され、幅の広い不整地通過板の代りに 弾薬箱が取り付けられている。 3.7cm P A K ー 36 けん引用クルップ。陣 地設営用のピアノ線コイルをポンネットの上 に載せ、火災を起こした村を通過していく。 朝 対ロシア開戦当時のクルップ。いかにも 快進撃できた開戦当初のスナップで、木の枝 でカモフラージュされてはいるカゞ、乗員はリ ラックスして小休止を楽しんでいる。後方に は破損したソ連のトラックが散乱し、後続の キューベルワーゲンやオートノヾイ部隊等が速 い進撃を象徴している。 朝対戦車砲けん引用クルップ。立てられた フロントガラス上方にワイバーが取り付けら れている事が分かるショットである。また後 輪上方の穴のあいた板は恐らく不整地通過用 の鉄板であろう。米軍では制式化された急造 不整地鉄板があったが、ドイツ軍では多用さ れなかった。 朝 3.7cm P A K ー 36 をけん引するクルップ。 国防軍の車両で、後続車は恐らく Sdkfz10 、 1 トンハーフトラックであろう。先頭のクル ップで面白いのは、ポンネット上面に対戦車 陣地構築用のピアノ線の大きな束を載せてい る点である。このピアノ線は陣地前方にコイ ルバネの様に加工して設置しておき、敵戦車 のキャタピラに巻付かせてストップさせた上 で対戦車砲を用いる正攻法の作戦に使用する。 2 cm F L A K ー 38 をけん引するクルップ。 1940 年以降はラインメタル社の F L A K ー 30 に 代りモーゼル社で改良された F L A K - 38 が 前線配備になった。寸法的には両方ともはは、 等しいが、性能的に 38 型は 30 型の約 2 倍にあ たる毎分 220 発の戦場連射速度を持っていた ウクライナの湿地に足をうばわれたクル ップ。ハーフトラックでない一番の弱点は足。 一度湿地に突込むと他の車に助けを求めない と脱出は難しい。乗員は下車し前方ではシャベ ルで泥を掘って何とか脱出を企てているが・・ 写真は運転者のライフルの装着位置が良く分 かる面白いスナップである。ライフルはダッ シュポード左側に装着している。 西部戦線 ( ベルキ、一、オランダ ) 方面に 出動した 2 cm F L A K - 30 けん引クルップ。 味方の完全制圧地帯を移動中のものと考えら れ、砂やほこりから機関砲を守る布カバーが かけられている。自動装填式火器は砂に対・し て特にデリケートで、作動不良や回転不良を 起こしやすい為、可能な限り布カバーで保護 された。けん引される火砲は後輪から巻上げ られる砂、を浴びるのでカノヾーの無い場合はメ 朝 の ンテナンスが常時必要であった。 クルップホクサー 写真提供・ Bundesarchiv KobIenz 実車解説・菊地晟 写真解説・床井雅美 20mm 対空機関砲 写真提供・ Bundesarchiv Koblenz ・・ ・床井雅美・取材写真・ ・田宮模型・資料写真・ 解説・床井雅美 2 枚 ・・ 1 1 枚 ・・ 1 8 枚 進行・田村広幸・岩本敏夫・毛利兼治 編集・タミャニュース編集室発行・ 1978 ・ 7 ・ 28
タミャニュース資料写真集 ~ 4 クルップホクサーと 25 対空砲 ・タミャニュース ,¯集室 TAMIYA PLAST ℃ MODEL CO. 昃旡刊・ 1 ーア′、ディーンのⅣ・号単戈車 発行・株式会社田宮模型 2 ードイツ戦場写真集 628. OSHIKA SHIZUOKA-CITY, JAPAN 静岡市小鹿 628 〒 422 3 ーイギリス・チャーチル戦車 定価・ 250 円 TELEPHONE 0542 86 : 5105 ー 8 鬆ぃ , 、ゆいきて いな・第→を 第ー PRINTED JAPAN
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