シェルツェン - みる会図書館


検索対象: TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集5 ドイツ戦車戦場写真集2
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1. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集5 ドイツ戦車戦場写真集2

① ぬかるみとなったロシアの路上で、苦戦 の 3 号戦車 G 型。手前の車両に大きな丸太が 積まれているが、こういう道路での必需品で あった。現在ソ連軍の T ー 62 戦車には、 した丸太が標準装備品の一つとなって支給さ れている。シェルツェンの型に注目。 戦車大隊所属の 3 号突撃砲 G 型。よく見 るとシェルツェン、車体ともセメントコーテ イングが施されている。手前にいるやせた牛 を引く口シア農民の姿が印象的。 長砲身 75 ミリ砲搭載の 3 号突撃砲 F 型。 車体上部の円筒は、換気装置で、 F 型の特徴 の一つである。 空軍所属の 3 号突撃砲 G 型。イタリア戦 線の風景。作戦会議中の 4 人の兵士の服装は それぞれ特徴がありおもしろい。 ① 75 ミリ砲弾を積込み中の 3 号突撃砲 G 型。 1943 年初冬のロシア戦線である。写真をよく 見ると、シェルツェンを止めるため、針金で おさえているのがわかる。出撃直前の情景で あろう。 歩兵支援に出動中の 3 号突撃砲 G 型。車 体側面に T 34 戦車のキャタピラが並べられ、 防御に一役買っている。 ルーマニア軍兵士 ( ハンがリー軍ではな い ) を乗せて出動する 3 号突撃砲 G 型。兵士 たちの表情は何となくさえない。ソ連軍重圧 下のロシア戦線である。 ロシア戦線の 3 号突撃砲 G 型である。 G 型の初期生産型は、コマンダーズキューボラが 取付けられた他、装甲の面でも強化され、前 面 50 ミリの上にさらに、 30 ミリの装甲板が追 カ日されている。シェノレツェンのラックカ { 無い ごく初期の G 型と思われる。 所を見ると、 歴戦の 3 号突撃砲のように見える。乗員 がシェルツェンを正しく取付けようとしてい る。中央の双眼鏡を胸に下げた兵士が車長で あろう。小せり合い後の一服という所だ。突 撃砲は中期生産型の G 型。 3 号突撃砲最後の生産型 G 型の中でも後 期型、ザウコップ ( プタの頭 ) 型駐退機カバ ーを付けた車輛。 1944 年冬のロシア戦線であ る。 ロシア戦線といっても、ドイツ本国に近 い 1945 年初頭の写真であろう。車上の兵士達 は疲れ切った表情である。この 3 号突撃砲 G 型は完全にセメントコーティングか、施されて いるほか、砲の固定金具が付けられていて、 シリーズの中でも最後のものと思われる。 オーストケッテ、シェルツェンなど真新 しい 3 号突撃砲 G 型。前線の配属部隊へ急ぐ 姿であろう。車体側面に付けられている予備 キャタピラを見ると、幅の広い一体となった 後期のオーストケッテであることがわかる。 すれ違っている 4 号戦車は J 型。 長い砲身を象の鼻に見たてて、マンガの かかれた 3 号突撃砲 G 型の一隊。戦場にあっ てもユーモアを忘れない西洋人的な発想であ る。それにしても、この象君達はたのもしい 感しがするではないか。 1944 年晩秋であろう。 ・ 1944 年 9 月。イギリス第 1 空挺師団を迎 え撃っドイツ軍の 3 号突撃砲 G 型。アーンへ ム市内と思われる。 イタリア戦線の 3 号突撃砲 G 型。重要な 橋頭堡を通過中といった所だ。右側にイタリ ア語の立札が見える。 1944 年夏のロシア戦線を行く 3 号突撃榴 弾砲戦車。右側面装甲板に戦車大隊本部の戦 ・燃料の入った 200 リットル・ドラム缶を 積んで前線へ急行中の 4 号戦車 H 型。この戦 車はターレットナンバーから第 2 中隊長車で あることか、わかる。 ウクライナ地方を走行する 4 号戦車 H 型。 シェルツェンが完全に付けられ、カムフラー ジュ塗装された新しい車輛ばかりのようであ る。苦戦の連続であった 1944 年ごろの写真で あるが、たのもしい姿である。 起動輪および後部大転輪の形状から見て J 型と思われる。シェノレツェンの迷彩は、サ ンドにダークグリーンとプラウンの簡単なス プレー塗装で、戦争末期の代表的なもの。 S S 戦車師団所属の 4 号戦車 J 型。ター レットナンバーがない所を見ると、工場から 引渡されたばかりの車輛と思われる。兵士の 服装がまちまちなのも、戦局が悪化している 表われで興味深い。 起動輪の形状やアンテナの位置から見る と、この 4 号戦車は G 型のようだ。 1943 年晩 秋のロシア戦線であろう。白色のフチどりだ けのターレットナンバーは第 6 戦車師団所属 の 4 号戦車に多く見られた。 シェルツェンも真新しい 4 号戦車 H 型。 サンド塗装のままで、工場から送り出された ばかりのような感しさえする。ロシア戦線に おける夏の終りの頃であろう。 左側のターレットナンノヾー 702 号車は G 型。右側の 4 号戦車は H 型である。 1944 年の 冬から春にかけて、ドイツ軍はソ連軍による 2 つの大包囲作戦を突破しなければならなか ドイツ軍のいう、、チェルカッシー った ・ケ ッセノレ ' ' と、、フーベ・ケッセノレ " である。 注 ) ケッセル - 包囲網。 の 4 号突撃砲をさらに本格的な対戦車兵器 に造り変えた 4 号駆逐戦車。主砲にはマズル プレーキのない 48 口径の 75 ミリ砲を装備して いる。兵士達を乗せて前線へ移動中の車輛で あろう。 の両側のキャタピラがはすれている。車体 上に修理作業用の道具をそろえて、これから 仕事にかかる所なのだろう。場所は不明だが イタリア戦線と思われる。 の 1944 年のイタリア。十分に木の枝でカモ フラージュして、作戦行動に移ろうとしてい る 4 号突撃榴弾砲プルムペアー。 150 ミリ榴 弾砲を完全な装甲戦闘室内に装備している。 重さは 28 . 2 トンにまで増加した これも 1944 年のイタリア戦線。ドイツ C 軍集団イタリア方面軍の総司令官であるケッ セリング元師が、自ら 4 号突撃砲の実弾射撃 を視察中。 術マークが描かれており、戦車師団所属の一 台であることを示している。 ノルマンディに出動中の 3 号突撃榴弾砲。 この戦車は 105 ミリ榴弾砲 42 型を、 75 ミリ突撃 砲 40 型に代えて搭載している。突撃砲本来の 歩兵支援兵器をエスカレートした車種といえ る。この戦車は、前面装甲板の両フックにシ ャックルが付けられている所から、故障で放 棄された車輛のようである。 ポーランド戦に出動した 4 号戦車 A 型。 この戦車は、まだ実戦の経験がないようだ。 予備キャタピラは後部車体上に積まれている し、 75 ミリ砲の砲口にもキャップがつけられ たままとなっている。それに兵士の笑顔から も、それが十分に読みとれる。しかし彼等の 前面装甲は 14 . 5 ミリしかないのだ。 ⑩ 4 号戦車 D 型。イギリス本土侵攻の、、あ しか作戦 ' ' 用の潜水戦車の 1 ム 75 ミリ砲の 防盾にゴムのカノヾーが装着されている。この 作戦は放棄されたが、、バルバロッサ作戦 " で は第 18 戦車師団に配属されプーク河を渡るこ とになる。 ロシアのクリークを渡る 4 号戦車 E 型。 重量の関係からハーフトラックのように木橋 を渡れす、苦闘している姿である。後部の排 気管が水につかり、牽引してもらうほかない ようだ。車体側面の予備転輪用ラックが変っ ている。 北アフリカの砂漠を疾走する 4 号戦車 D 型。歴戦の第 5 戦車連隊に属する戦車である。 車体側面にまだポーランド戦時代のひし形の 車輛ナンノヾーか、付けられている。このころ、 4 号戦車は、第 4 、第 8 中隊の主力を構成し ていた 43 年 8 月頃の攻勢から守勢に廻った頃の写真 と思われる。 の 1942 年夏期攻勢当時の第 24 戦車師団所属 の 3 号戦車 J 型。この師団は数ヶ月後に、ス ターリングラード ( 現ポルゴグラード ) で壊 滅することになる。 バルカン半島の都市を行く 3 号戦車 J 型。 の 1943 年秋のロシア戦線。前線へ急行中の 3 号戦車 L 型。通過する兵士達を見つめる野 戦憲兵の姿が見える。 クルスク戦で出撃準備中の 3 号戦車 M 型 の ( 中央 ) と J 型 ( 右側 ) 。左側にはシェルツ ェン ( 前垂防弾板 ) をつけた 4 号戦車が見える。 北方からクルスクへ向った第 9 軍所属の 戦車部隊。中央の戦車はシェルツェンを付け た 3 号戦車 L 型。 これもクルスク戦に出動中の 3 号戦車 N 型。所属部隊は不明だか、、ターレットナンノヾ ーから判断すると、第 4 戦車師団に属する第 35 戦車連隊のものに似ている。ターレットナ ンバーの書体や色は部隊識別のためのよい手 掛りになる。 ・ 1941 年当時のロシア戦線と思われるよう な写真であるが、実は、 1943 年の写真である。 手前の戦車は 3 号戦車を改造した戦車回収車。 この車種は、はとんどか、野戦の修理廠におい て改造された間に合わせの車輛だった。 の ⑩ ① の の ① の ① の ・ 1941 年夏のロシア戦線を行く 3 号突撃砲 セノヾストボール市を占領し、休息中の 3 号突撃砲 F 型。後方に捕獲されたソ連軍 1 ト ン半トラック ( G A Z ー A A A ) が見える。 ・ 3 号突撃砲 D 型。車長と思われる兵士の 腕の下に見えるハッチの薄さがよくわかる。 1942 年夏頃と思われる。 0 給油中の 3 号突撃砲 G 型。車体後部に 109 とナンノヾーが書かれているのはめすらしい。 イタリア戦線に出動中の 3 号突撃砲 G 型。 ッションの点検ハッチを開けて、リラック スした様子が感しられる。 春の雪どけの季節をむかえ、オーストケ ッテと呼ばれるキャタピラの先端に補助の爪 の付いた幅広いキャタピラを付けた 3 号突撃 砲 F 型 クルスク戦の情景の 1 コマ。突撃砲の乗 員たちがながめている T 34 / 76 は彼等が仕留 めたものではないようだ。 この 1943 年型の T 34 戦車は、 ッキーマウスとニックネームか・ つけられたというが、うまくつけたものだ 3 号突撃砲は G 型。 典型的なロシアの農村風景。中央の重機 関銃のみが緊張した戦場を感しさせる。後方 に見えるのは歩兵支援に向かう 3 号突撃砲 F ① 1944 年春のロンア戦線であろう。歴戦を 感しさせる 3 号突撃砲 G 型。車体右側にぬか るみ脱出用の角材が積まれている。 を第ま 4 ・第 9 戦車師団の 4 号戦車 F 2 型。 ク ) は、 4 号戦車で初めて長砲身の 75 ミリ砲を装 備した型式。マズルプレーキは単式で、球型 をしている。師団マークが黒で書かれている のはめすらしい。 朝第 1 戦車師団第 7 中隊の 4 号戦車 G 型。 1943 年夏、この師団がキ、リシャに、一時駐屯 した時の写真である。 P K ( 宣伝中隊 ) の一 名が、第 7 中隊と行動を共にしたらしく、 の中隊の一連の写真が残されている。 10 月に この師団は再び激戦の続く、東部戦線に出動 することになる。 ・ 20 ミリ 4 連装を搭載した空軍の 8 トンハ ーフトラックを追いぬきながら進む、 4 号戦 車 H 型 工兵の架橋した木橋を渡る 4 号戦車 H 型。 25 トンの戦車が左右を見ながらソロリソロリ と渡るといった風景である。 1944 年夏のロシ ア戦線。 中部ロシアの農村を通過する 4 号戦車 H 型。一雨降れば、この道路はぬかるみとなる ことが一目でわかるような写真である。車体 側面にェアフィルターが付けられている。 朝 を第 の の 朝 ⑩ の 4 号架橋戦車。架橋戦車として初めて実 戦に出動した記念すべき車輛である。 4 号戦 車 D 型のシャーシに 10 メートルの鉄橋を搭載 したもので、正確には 2 種類の形式があった。 1940 年当初は第 1 、 2 、 3 、 5 および第 10 戦 36