0 の砲架は何と木製だった。 オートバイ中隊に属するケッテンクラー ト。この車は、ハンドルは残っているものの 前輪が無くなっている。方向転換は、キ、ヤー によるキャタピラの加減で行っているのであ ろう。後にトレーラーを付けている。 朝 クルスク戦に出動中の 88 ミリ高射砲とそ の牽引車 8 トンハーフトラック ( Sd. Kfz 7 ) 。 野営地の朝の状況であろう。迷彩用ツェール マット ( ポンチョ ) 3 名分でつくられたテン トが見える。車輛のカモフラージュは、サン ドとダークグリーンのスプレー塗装。 V W ー 82 型。通称キューベルワーゲンと 呼は、れた。キューベルとは、、 / ヾケッ " の意味。 バケツでもつくるようにプレスで車体をつく ったことによるのかも知れない。 朝 ロシア戦線のキューベルワーゲン。ドイ ツ軍の正式名称は、軽乗用車 K 1 ー 82 型とい った。ポンネット上のスペアタイヤが、こ グ ) 車のトレードマークだった。キューベノレワー ゲンは、アメリカ軍のジープの見本となった。 1944 年 3 月のロシア戦線。グロースドイ ッチラント師団、ノヾンツアーフェーゼラー連 隊長専用のシュビムワーゲン。乗っている人 物は、口一レンツ大佐と同師団工兵大隊長ク ラブコフスキー少佐。ローレンツ大佐は後に グロースドイッチラント師団最後の師団長と なる。 キューベルワーゲンの水陸両用型、シュ ビムワーゲン。キューベルワーゲン以上に要 領よくまとめられた名車といえよう。正式に は軽乗用車 K 2 S といった。水上走行にはェ ンジンシャフトとスクリューをクラッチによ り連結し、陸上ではスクリューシャフトを折 りまげた。 1944 年春、ドイツ国防軍関係者のために 開催された戦闘車輛の展示会の一場面。捕獲 したイギリス軍のプレンガンキャリアー ⑩ 人力で 42 ミリ対戦車砲 ( P A K 41 ) を移 動中の空挺部隊の兵士達。この砲は、 37 ミリ 対戦車砲と同一の移動装置が付けられていた。 しかし初速は、 37 ミリ砲の 762m / 秒から 1265 m / 秒とかなり高くなっている。 Sd. Kf z 251 / 1 A 型。車体の側面に 2 つのノ ゾキ用スリットがある所からごく初期の生産 掣と思われる。又、この車輛自体、工場から 渡されたばかりの新品のようだ。 ⑩第 16 戦車師団の第 64 戦車擲弾兵連隊第 6 中隊所属の Sd. Kfz251 / 10 。この師団は 1943 年 1 月スターリングラードで壊滅したが、同年 これは 1944 年春のチェル 3 月に再興された。 ・ケッセル救出作戦当時の写真。 カッシ E の写真の続き。兵士は冬期用のジャケ ⑩ ットを着ている。 ⑩ 1944 年秋のロシア戦線におけるグロース ドイッチラント師団。左端の皮コートの将軍 は、師団長のマン・トオイフェル少将、中央 は作戦参謀、その右がノヾンツアーフェーゼラ ー連隊の副官である。簡単な作戦の打合せを 行っている所と思われる。 ① Sd. Kfz 253 に泥のカモフラージュを施し ている所。車体の基本色はサンドであろう。 これでもけっこう迷彩効果があったようだ。 ⑩ 1942 年のドイツ軍夏期攻勢当時の Sd. Kfz 251 / C 型群。 A ・ B 型との違いは、前面の形 状から明白にわかる。グレー塗装の上にサン ドを塗りつけた迷彩と思われる。ジェリ缶を 前にまでぶら下げて、余裕たつぶりの前進と 見える。 ① 1940 年当時のフランス戦に使用したグー デリアン将軍の指揮車、 Sd. Kfz 251 / 3B 型。 動く師団司令部として有名になった。車輛番 号は、 W H ー 179467 である。グーデリアンと 話をしている将校も師団長クラスであろう。 ⑩第 9 師団長車の Sd. Kfz 251 / 3 が右側の車 輛、左側が、同戦車連隊の 3 号指揮戦車 H 型。 コマンタ、、一ズキューボラに立っている人物か、 連隊長のようである。 1943 年 5 月アリョール 附近。 ア。ロケット砲中隊の一台である。ネーベル ロケット砲 41 型は、射程 7000 メートル、ロケ ット弾重量は 34 キロで、威力は 128 ミリ砲弾 に匹敵した。 ロシアの中央部ゴメル市内の駐屯部隊案 内を見る休暇帰り、又は、新たに配属になっ た兵士達。案内の中には、、ゴメル地区司令部 へ 450 メートル ' ' と書かれたもの、、ゴメル中 央駅 " などの文字が見える。 O 野戦の部隊案内板。軍団司令部や、補給 部隊の本部などの記号が多いことから、 は第一線よりかなり後方の地域であると思わ れる。 O 空挺部隊の連絡用サイドカーのように見 える。中央の看板には、、左右に退避溝あり / " それに飛行機の影絵と、、飛行機 ' ' の文字が書 かれている。敵機に遭遇した時の注意と、対 処の仕方を指示している。 朝小休止。スターリングラードへの道はま だ遠い。 一息入れて乂出発だ。第 24 戦車師団 オートバイ中隊の兵士達。 スターリングラードへ突進する、第 24 戦 車師団所属の先鋒、オーートバイ中隊のサイド カー群。 ドイツ兵達からストープノヾイプと呼ばれ た 88 ミリノヾンツアーシュレック ( 対戦車ロケ ットランチャー ) 。射手の右袖に個人戦車撃 破章が 3 っ付けられている。歴戦の勇士なの だろう。 1942 年、スターリングラードへ向う第 24 戦車師団の擲弾兵達。 80 ミリ迫撃砲を発射し ようとしている。周囲のロシアひまわりが美 朝 75 ミリ軽野砲部隊。この 75 ミリ軽野砲 16 型は 1934 年に配備された旧式なものである。 朝 75 ミリ軽歩兵砲 18 型。 この砲はゴムタイ ヤではなく、木製スポーク輪を付けている。 1927 年より製造されていたので、初期のもの と思われる。 朝 片やスープをすすり、片や砲隊鏡をのぞ く、のんびりとした砲兵着弾観測点の兵士達。 朝 クルスク戦。ドイツ軍中のエリート部隊 S S 第 2 戦車軍団は、ベルコロードよりオポ ーヤンを経てクルスクへ。撃破した T 34 / 76 戦車のかたわらから敵状をさぐる親衛隊の兵 士。独特のスモックを着ている。 1944 年 8 月、ポーランドの首都ワルシャ ワは、ポーランド義勇兵士の蜂起のため、激 しい市街戦にまき込まれていた。市民、兵士 の区別なき戦いであった。 この写真はその戦 いの一コマである。手前に見える銃はイタリ ア製べレッタ 38 A 。 朝 1944 年春のロシア戦線。兵士達が背負っ ているのは、彼等の小銃、機関銃、弾薬など である。兵士達の後方に 4 号戦車 H 型が見え る。 O ノルマンディの前線を行進中の S S 部隊。 この迷彩服は 1944 年 3 月 1 日付の S S 部隊公 報によって公にされた。迷彩のノヾターンは、 はん点状で 5 色。服地は綿とレーヨンによる 杉あや織の混紡。 中隊レベルの前線基地内の様子。 2 名の 兵士は、先方の敵陣の動きをとらえている。 腰をおろした兵士は、 T FuG ・ k という形式の ラジオ受信機を操作している。 0 北アフリカの、、砂漠のキツネ " ことロン メル将軍とその幕僚。巡察行動から帰ったば かりの様子と思われる。 0 @ 右側の Sd. Kfz 251 / 3C 型は、第 78 突撃師 団の機械化歩兵大隊指揮車で、の指揮車は 第 9 戦車師団、戦車大隊本部付師団長専用車。 師団長と大隊長が話し合っている。クルスク 戦直前の 1943 年 5 月、アリョール附近で行っ た第 2 戦車軍の演習中の写真。 朝 クルスク戦の南部狭撃部隊に仕留められ た T 34 / 76 ・ 1943 年型。友に止まっている車輛 は、 105 ミリ自走榴弾砲ヴェスペ。 朝撃破されたソ連軍装甲列車。中央の車輛 が機関車である。写真からみると、かなり厚 い装甲板が用いられている。 30 ミリはあるだ ろう。ソ連軍の装甲列車 1 編成の火力は、戦 車 1 個大隊に相当し、実際、戦車兵が乗って この列車は、対空火器が少ないところ いた から、ノヾルバロッサ作戦初期と思われる。 朝 50 ミリ対戦車砲 ( P A K 38 ) を引いて疾 走中の 1 トンハーフトラック ( Sd. Kfz 10 ) 。 砂の上を快調に飛ばしている。 @ 第 21 戦車師団所属の Sd. Kfz 222 。長距離 の進撃のためだろうか、さまざまな物が積ま れている。このような砂漠には、サンドにダ ークグリーンのはん点模様のカモフラージュ がピッタリ合うようだ 50 ミリ対戦車砲を引く 1 トンハーフトラ ック。 1942 年のロシア戦線。 20 ミリ対空機関砲を搭載した 1 トンハー フトラック。車輛の両サイドのデッキを広げ ている。砲手は位置についているが、他の兵 士達はのんびりして、一息という所であろう。 0 20 ミリ対空機関砲を装備した 1 トンハー フトラックが、 37 ミリ対戦車砲を引いている。 牽引する車輛が不足したための策であろう。 砂塵を巻き上げながら疾走中のホルヒ la 兵員車。牽引しているのは、 20 ミリ対空機関 砲のようである。アフリカ戦線。 0 北アフリカのキレナイカ地方、ティルム ン・ソルーめか、けて前進中のアフリカ軍団の 3 トンハーフトラック Sd. Kfz 11 。 ちょっとのんびりした、ロシア戦線の 4 連装 20 ミリ対空機関砲。防盾がないところか ら、まだまだ余裕のある時期の写真である。 朝 気を 144 0 121 28 / 32 センチロケット弾ランチャーの発 射準備に忙しいロケット砲部隊の兵士。発射 する高性能炸薬 ( H E ) 弾が 280 ミリ、焼夷弾 が 320 ミリあるためこの名称が付けられた。 ロケット弾の識別用として、前者はピンク、 後者はグリーンと黄色の帯が画かれていた 写真の手前のロケット弾は、信管がつけられ ていない。 10 門の 15 センチ・ネーベルロケット砲を 積んだオペル・マウルティア Sd. Kfz 4 / 1 。車 体は冬のカモフラージュが施されている。 の車両は車体が 8 ミリ装甲板でおおわれてい る。重量 7.1 トン、最高速度 40 キロの性能を もつ。 1943 年初冬の写真と思われる。 0 冬のカモフラージュを施したマウルティ 1940 年ノルウェーに進出したドイツ軍の 先鋒部隊。後部に弾薬車を引いている車輛は Sd. Kfz 252 。 Sd. Kfz 251 / IC 型。木の枝や、ヘルメット カ / ーによってカムフラージュしている所を 見ると、 1942 年乂は 1943 年頃の写真と思われ る。後部ドアの上に第 3 機械化歩兵中隊の戦 術マークが見える。 ⑩ 28 / 32 ネーベルロケット砲架を車体の左 右に 3 発すっ装備した Sd. Kfz 251 / IC 型。 135 朝警報発令。、、ヤーポ ' ' ( 地上攻撃機 ) に 備えて、空をにらむ 2 連装 37 ミリ対空機関砲 43 型 (37mm FLAKZWILLING 43 ) 。実戦 での写真は大変めすらしい。
車師団に各 20 すっ配備する予定だったが、 4 号戦車の必要にせまられ、わすか 4 輛生産 されただけだった。写真の車輛は第 3 戦車師 団に配属され、フランス戦で損傷したクルッ ノルマンディの戦場を移動中の 4 号対空 戦車メーベルワーゲン。 37 ミリ砲 1 門を搭載 している。右側のフェンダー上に Y B と書か れているが、部隊のマークではなさそうだ 乂、兵士の服装から陸軍の戦車師団に属する 部隊と思われる。 ノルマンディの戦場近くで休息中のタイ が一 I 。当時、陸軍のタイガー大隊は第 503 この写真の戦 重戦車大隊がフランスにいた。 車はこの部隊所属のものと思われる。後方に 枝葉でカモフラージュしたオペノレプリツツ・ トラックか、見える。 第 501 重戦車大隊所属のタイガー I 。タ イガー I は 1942 年内に 83 台カ { カッセノレ市にあ るヘンシェル社で製造され、第 501 、 502 、 503 の各大隊に送られた。写真のタイガーは後に 生産されたものと多少形が異なっている。後 にヘッドライト位置、フェンダーの形などが 量産向きに変更されている。 0 タイガー戦車と切っても切れない有名人 ミノ、エノレ・ヴィットマン S S 中尉。彼は 1944 年 1 月 30 日、東部戦線での活躍により柏葉付 この写真は、新 騎士十字章をさすけられた。 編成の第 501 S S 重戦車大隊第 2 中隊長時代 にベルキ、一のキャンプで写されたものと思わ れる。彼の友人の話によると、彼は常にひか え目で、酒は飲ます、タバコはロシアでの苦 闘の中で、少々おは、えた程度であったという。 静かなる男であった。 て移動中のパンサー中戦車 G 型。 S S 戦車師 団の所属ではなく、陸軍の戦車師団に属する 車輛と思われる。 木の枝でカモフラージュしながら、兵士 を乗せて移動中のパンサー中戦車 G 型。・ ク ) 写真と同し時、同し場所で写されたものであ る。 ジャッキの取付位置からも、このパンサ ー中戦車が G 型であることがわかる。 M G 42 を肩にする兵士は、若いというよりまだ少年 と言った方がよい。戦局の悪化をよく物語っ ている。以上の 3 枚の写真は同し部隊のもの。 このノヾンサー D 型は何とも考証しがたい 戦車である。ターレットナンバーは 045 であ るところから大隊本部付の戦車とも考えられ る。一応 1944 年のロシア戦線としておく。 ① 1944 年の夏。戦いはノレーマニアに迫った。 このノヾンサー A 型はグロースドイッチラント 師団の戦車連隊長車である。戦車の前に腰を おろしている将校の中で、柏葉付騎士十字章 をつけている人物は、連隊長のランクカイト 大佐。そのはかの士官は彼の幕僚達。 られた最初のタイが一部隊だった。 1942 年 11 月、 4 個小隊編成の 2 個中隊 ( 1 個小隊中に はタイが一 2 ム ロ・ 3 号戦車 2 台 ) がチュニス に到着したのが始まりだった。大隊長はルー デル少佐。第 1 中隊長が、後にアフリカの土 となるノヾロン・フォン・ノノレデ大尉だった。 この戦車ほ、この部隊の所属車。ターレットナ ーは赤に白のフチどりだったといわれる。 チュニジアの戦場を行く第 501 重戦車大 隊のタイガー 10 戦車兵の様子から小休止を しているようだ。初期生産型のタイガー I の 特徴がよくわかる。 それぞれの重戦車大隊には、 1 個中隊の 修理中隊が所属していた。 この中隊は数台の 18 トンノ、一フトラック、 6 トンクレーン付ノ、 ーフトラックなどを保有していた。しかし、 この写真のような 15 トン走行クレーンのお世 話になるためには後方の野戦修理廠まで行か なければならなかった。 0 チュニジアに出動したタイガー戦車部隊 ドイツ は、第 501 重戦車大隊だけではない。 軍は、北アフリカの戦局をばん回するため、 1943 年 3 月 7 日、もうーっのタイガー戦車部 隊・第 504 重戦車大隊を同戦線に送った。写 真のタイガーはこの大隊所属車。 0 3 号戦車を改造した弾薬補給車より 88 ミ リ砲弾の供給を受けるタイガー I 。 1944 年春 のロシア戦線。所属は不明。 0 プタベストに進出したタイガーⅡ重戦車。 このヘンシェル型砲塔をもつ重戦車は、照準 器など、コンピュ ターーシステノ、と、ユ・ンジ ンのパワーを除けば、現代戦車としても、ま だ見劣りはしない。第 2 次大戦中のドイツ戦 車技術陣が総力を結集してつくりあげた最高 の戦車と言える。 0 前の写真と同し時期、同し場所で写され たタイが一Ⅱ。キングタイガー ( 王虎戦車 ) と呼ばれた。当時、プタベストには第 503 重 戦車大隊が進駐していた。 これはその中の第 2 中隊第 3 小隊 3 号車。 捕獲した T 34 / 76 ・ 1941 年型を使用するド イツ軍。どこの国でもそうだが、戦利品とな った武器を以前の所有者に向けた国が多かっ ドイツ軍では相撃ちをさけるため、 T 34 を対戦車砲部隊の火器として使用した例が多 ⑩ 0 0 1944 年の冬、ロシア戦線で休息する対戦 車自走砲ナースホルン。 この自走砲は、エン ジン及びミッションは 3 号戦車 J 型。その他 の走行部分は 4 号戦車 F 型を利用したコンビ ネーション型で、それに 88 ミリ砲を搭載した 対戦車火器である。 クルスク戦に出動中のフンメル自走砲。 この自走砲はナースホルンと同様の 3 号と 4 号のコンビシャーシに、 15 センチ野砲を搭載 している。クルスク戦では北部挾撃軍の第 9 軍の中に、第 216 自走砲大隊が軍直属の部隊 として加わっていた ・ソ連軍の拠点を直射するフンメル自走砲。 写真のフンメルは後期生産型で、車体後部に マフラーーカゞーっし、てし、なし、。 ロシア戦線におけるドイツ軍最後の大攻 勢となった、、チイターデレ ' ' ( クルスク戦 ) を前にして、ドイツ戦車部隊の威容を誇示す る目的で、ドイツ国防軍高官たちのために開 催された戦闘車輛の展示会風景。 こでは実 弾射撃も行われた。 1943 年 4 月のことである。 ・破損した転輪を交換中のパンサー中戦車 A 型。転輪がチドリ配列になっている車輛は、 内部の転輪が破損し、交換となると大変な重 いくら高性能とはいえ、戦う 労働となった。 車には、あまり適しているとは言えないだろ う。現在、この形式の転輪配置を採用してい る主力戦車は存在しない。 朝イタリア戦線のパンサー中戦車 A 型。場 所は不明であるが、主砲にトラベリング・ロ ック ( 砲身固定金具 ) がかけられている所を 見ると作戦行動中とは思えない。カメラマン の要求で、車長がポーズをとったものと思わ れる。 ノルマンディ戦場の後方から前線に向っ 101 前の写真の続き。ター レット - 尸ンノヾーーグ ) 乗っている士官は 01 の 1 か、消されているか、、 ランクカイト大佐。また、 その手前、兵士の 肩に手をかけている将校はグロースドイッチ ラント師団のパンツアーフェーゼラー連隊 ( 戦車狙撃兵連隊 ) 指揮官のローレンツ大佐。 ・第 2 次大戦中にドイツが生産した最良の 対戦車兵器といわれるヤークトパンサー ( ノ ンサー駆逐戦車 ) 。この車両はおそらくプロト タイプ、又はごく初期のものと思われる。 ャークトノヾンサーのシャーシはノヾンサー G 型が流用されている。主砲はエレファント 駆逐戦車で、その威力を実証した 71 口径の 88 リ対戦車砲 43 型が搭載されている。車体の 形状、プタの鼻形の砲マウントなど、いかに も強力で威圧的な感しである。 ャークトノヾンサーの初陣は、ノルマンデ この戦車は、その部隊のもの ィ戦であった。 と思われる。車体は完全にセメントコーティ ングされている。威力はドイツ戦闘車輛随一 とされたこのヤークトパンサーも、生産数は わすか 382 台にとどまった。 第 3 S S 戦車師団トーテンコップ所属の パンサー戦車の戦車長。ヘッドホン、スロー トマイクロホンなど、通信用の器具がよくわ かる。 S S では袖章が左手に、陸軍では右手 に付けられていた。 いろいろと話題の多い、第 501 S S 重戦 車大隊所属のタイガー I 重戦車の写真。この 大隊以外の部隊で、楯形の中に交った鍵のシ ンポルマークをかいた部隊は現在までに見つ この部隊は、 1944 年 3 月ベル かっていない。 キ、一で編成され、ノルマンディに出動するま この写真は、移 でそこで訓練を続けていた。 動の時に写されたものと思われる。 0 ビラース・ボカージュの戦いの勝利の功 績によりヴィットマンは S S 大尉に昇進する 6 月 22 日、剣柏葉付騎士十字章をう と共に さらに、イギリス軍のトータライズ作 けた。 戦時には、第 501 S S 重戦車大隊長の任に当 この写真は、この頃のもので、タイガ った。 ー上の迷彩服姿がヴィットマン。又、彼と常 に一緒だった砲手のノヾルタザール・ポール S S 軍曹は、ヴィットマンが大隊長に昇格した 際、それまでの愛車の車長となって、二人は 別れたものと思われる。ただし、これは推測 である。なぜなら、ポール S S 軍曹は、幸連 にも第 2 次大戦を生きぬき、現在、西ドイツ に存命中だからだ。筆者は、彼に何度となく 手紙を書き、真実を知らせてほしいと願った が、彼は黙して語ろうとはしない。今でも。 写真の説明にもどる。中央革コートの将校 は、フーベルト・マイヤー第 12 S S 戦車師団 作戦参謀。その左のつなぎの迷彩服姿は、第 12S S 戦車連隊第 1 大隊長であるが、姓名は わからない。真夏だというのにコートを着て いる。この夏のヨーロッノヾは気温か、低かった のだろう。 ビラース・ポカージュを勝利に導いた 3 名。右のヘッドホンをつけた人物がヴィット マン S S 中尉。対空機銃架の上にとまってい る鳥にえさを与えている人物が装瞋手のゼッ プ・プライトル S S 伍長。その手前がポール S S 軍曹。服装を見ると、ヴィットマンは、 肩章も略章もなにも付いていないし、ポール もライプスタンタ、、ルテ ( 第 1 S S 戦車師団 ) の重ね文字の肩章もない。戦場では、パーテ ィの時のように着かざらないのだ。 0 第 501 S S 重戦車大隊は北アフリカに送 111 ⑩ 有名なロンメルの愛車 G R E I FO グラ イフとは、ワシとシシとを合わせた想像の・屋 獣である。彼はトプルク戦でこの車を駆って 戦場のいたる所に現われた。グライフのイメ ージを敵、味方に与えようとしたのだろうか。 車種は Sd. Kfz 250 / 3 。 ⑩ 1942 年夏期攻勢当時の写真。擲弾兵はノ ーフトラックをおり、反撃の様子を見ている のだろう。手前の戦車はソ連軍の T70 軽戦車 で 45 ミリ戦車砲を装備していた。 フランスの都市における戦車師団所属の 十 37 朝
① ぬかるみとなったロシアの路上で、苦戦 の 3 号戦車 G 型。手前の車両に大きな丸太が 積まれているが、こういう道路での必需品で あった。現在ソ連軍の T ー 62 戦車には、 した丸太が標準装備品の一つとなって支給さ れている。シェルツェンの型に注目。 戦車大隊所属の 3 号突撃砲 G 型。よく見 るとシェルツェン、車体ともセメントコーテ イングが施されている。手前にいるやせた牛 を引く口シア農民の姿が印象的。 長砲身 75 ミリ砲搭載の 3 号突撃砲 F 型。 車体上部の円筒は、換気装置で、 F 型の特徴 の一つである。 空軍所属の 3 号突撃砲 G 型。イタリア戦 線の風景。作戦会議中の 4 人の兵士の服装は それぞれ特徴がありおもしろい。 ① 75 ミリ砲弾を積込み中の 3 号突撃砲 G 型。 1943 年初冬のロシア戦線である。写真をよく 見ると、シェルツェンを止めるため、針金で おさえているのがわかる。出撃直前の情景で あろう。 歩兵支援に出動中の 3 号突撃砲 G 型。車 体側面に T 34 戦車のキャタピラが並べられ、 防御に一役買っている。 ルーマニア軍兵士 ( ハンがリー軍ではな い ) を乗せて出動する 3 号突撃砲 G 型。兵士 たちの表情は何となくさえない。ソ連軍重圧 下のロシア戦線である。 ロシア戦線の 3 号突撃砲 G 型である。 G 型の初期生産型は、コマンダーズキューボラが 取付けられた他、装甲の面でも強化され、前 面 50 ミリの上にさらに、 30 ミリの装甲板が追 カ日されている。シェノレツェンのラックカ { 無い ごく初期の G 型と思われる。 所を見ると、 歴戦の 3 号突撃砲のように見える。乗員 がシェルツェンを正しく取付けようとしてい る。中央の双眼鏡を胸に下げた兵士が車長で あろう。小せり合い後の一服という所だ。突 撃砲は中期生産型の G 型。 3 号突撃砲最後の生産型 G 型の中でも後 期型、ザウコップ ( プタの頭 ) 型駐退機カバ ーを付けた車輛。 1944 年冬のロシア戦線であ る。 ロシア戦線といっても、ドイツ本国に近 い 1945 年初頭の写真であろう。車上の兵士達 は疲れ切った表情である。この 3 号突撃砲 G 型は完全にセメントコーティングか、施されて いるほか、砲の固定金具が付けられていて、 シリーズの中でも最後のものと思われる。 オーストケッテ、シェルツェンなど真新 しい 3 号突撃砲 G 型。前線の配属部隊へ急ぐ 姿であろう。車体側面に付けられている予備 キャタピラを見ると、幅の広い一体となった 後期のオーストケッテであることがわかる。 すれ違っている 4 号戦車は J 型。 長い砲身を象の鼻に見たてて、マンガの かかれた 3 号突撃砲 G 型の一隊。戦場にあっ てもユーモアを忘れない西洋人的な発想であ る。それにしても、この象君達はたのもしい 感しがするではないか。 1944 年晩秋であろう。 ・ 1944 年 9 月。イギリス第 1 空挺師団を迎 え撃っドイツ軍の 3 号突撃砲 G 型。アーンへ ム市内と思われる。 イタリア戦線の 3 号突撃砲 G 型。重要な 橋頭堡を通過中といった所だ。右側にイタリ ア語の立札が見える。 1944 年夏のロシア戦線を行く 3 号突撃榴 弾砲戦車。右側面装甲板に戦車大隊本部の戦 ・燃料の入った 200 リットル・ドラム缶を 積んで前線へ急行中の 4 号戦車 H 型。この戦 車はターレットナンバーから第 2 中隊長車で あることか、わかる。 ウクライナ地方を走行する 4 号戦車 H 型。 シェルツェンが完全に付けられ、カムフラー ジュ塗装された新しい車輛ばかりのようであ る。苦戦の連続であった 1944 年ごろの写真で あるが、たのもしい姿である。 起動輪および後部大転輪の形状から見て J 型と思われる。シェノレツェンの迷彩は、サ ンドにダークグリーンとプラウンの簡単なス プレー塗装で、戦争末期の代表的なもの。 S S 戦車師団所属の 4 号戦車 J 型。ター レットナンバーがない所を見ると、工場から 引渡されたばかりの車輛と思われる。兵士の 服装がまちまちなのも、戦局が悪化している 表われで興味深い。 起動輪の形状やアンテナの位置から見る と、この 4 号戦車は G 型のようだ。 1943 年晩 秋のロシア戦線であろう。白色のフチどりだ けのターレットナンバーは第 6 戦車師団所属 の 4 号戦車に多く見られた。 シェルツェンも真新しい 4 号戦車 H 型。 サンド塗装のままで、工場から送り出された ばかりのような感しさえする。ロシア戦線に おける夏の終りの頃であろう。 左側のターレットナンノヾー 702 号車は G 型。右側の 4 号戦車は H 型である。 1944 年の 冬から春にかけて、ドイツ軍はソ連軍による 2 つの大包囲作戦を突破しなければならなか ドイツ軍のいう、、チェルカッシー った ・ケ ッセノレ ' ' と、、フーベ・ケッセノレ " である。 注 ) ケッセル - 包囲網。 の 4 号突撃砲をさらに本格的な対戦車兵器 に造り変えた 4 号駆逐戦車。主砲にはマズル プレーキのない 48 口径の 75 ミリ砲を装備して いる。兵士達を乗せて前線へ移動中の車輛で あろう。 の両側のキャタピラがはすれている。車体 上に修理作業用の道具をそろえて、これから 仕事にかかる所なのだろう。場所は不明だが イタリア戦線と思われる。 の 1944 年のイタリア。十分に木の枝でカモ フラージュして、作戦行動に移ろうとしてい る 4 号突撃榴弾砲プルムペアー。 150 ミリ榴 弾砲を完全な装甲戦闘室内に装備している。 重さは 28 . 2 トンにまで増加した これも 1944 年のイタリア戦線。ドイツ C 軍集団イタリア方面軍の総司令官であるケッ セリング元師が、自ら 4 号突撃砲の実弾射撃 を視察中。 術マークが描かれており、戦車師団所属の一 台であることを示している。 ノルマンディに出動中の 3 号突撃榴弾砲。 この戦車は 105 ミリ榴弾砲 42 型を、 75 ミリ突撃 砲 40 型に代えて搭載している。突撃砲本来の 歩兵支援兵器をエスカレートした車種といえ る。この戦車は、前面装甲板の両フックにシ ャックルが付けられている所から、故障で放 棄された車輛のようである。 ポーランド戦に出動した 4 号戦車 A 型。 この戦車は、まだ実戦の経験がないようだ。 予備キャタピラは後部車体上に積まれている し、 75 ミリ砲の砲口にもキャップがつけられ たままとなっている。それに兵士の笑顔から も、それが十分に読みとれる。しかし彼等の 前面装甲は 14 . 5 ミリしかないのだ。 ⑩ 4 号戦車 D 型。イギリス本土侵攻の、、あ しか作戦 ' ' 用の潜水戦車の 1 ム 75 ミリ砲の 防盾にゴムのカノヾーが装着されている。この 作戦は放棄されたが、、バルバロッサ作戦 " で は第 18 戦車師団に配属されプーク河を渡るこ とになる。 ロシアのクリークを渡る 4 号戦車 E 型。 重量の関係からハーフトラックのように木橋 を渡れす、苦闘している姿である。後部の排 気管が水につかり、牽引してもらうほかない ようだ。車体側面の予備転輪用ラックが変っ ている。 北アフリカの砂漠を疾走する 4 号戦車 D 型。歴戦の第 5 戦車連隊に属する戦車である。 車体側面にまだポーランド戦時代のひし形の 車輛ナンノヾーか、付けられている。このころ、 4 号戦車は、第 4 、第 8 中隊の主力を構成し ていた 43 年 8 月頃の攻勢から守勢に廻った頃の写真 と思われる。 の 1942 年夏期攻勢当時の第 24 戦車師団所属 の 3 号戦車 J 型。この師団は数ヶ月後に、ス ターリングラード ( 現ポルゴグラード ) で壊 滅することになる。 バルカン半島の都市を行く 3 号戦車 J 型。 の 1943 年秋のロシア戦線。前線へ急行中の 3 号戦車 L 型。通過する兵士達を見つめる野 戦憲兵の姿が見える。 クルスク戦で出撃準備中の 3 号戦車 M 型 の ( 中央 ) と J 型 ( 右側 ) 。左側にはシェルツ ェン ( 前垂防弾板 ) をつけた 4 号戦車が見える。 北方からクルスクへ向った第 9 軍所属の 戦車部隊。中央の戦車はシェルツェンを付け た 3 号戦車 L 型。 これもクルスク戦に出動中の 3 号戦車 N 型。所属部隊は不明だか、、ターレットナンノヾ ーから判断すると、第 4 戦車師団に属する第 35 戦車連隊のものに似ている。ターレットナ ンバーの書体や色は部隊識別のためのよい手 掛りになる。 ・ 1941 年当時のロシア戦線と思われるよう な写真であるが、実は、 1943 年の写真である。 手前の戦車は 3 号戦車を改造した戦車回収車。 この車種は、はとんどか、野戦の修理廠におい て改造された間に合わせの車輛だった。 の ⑩ ① の の ① の ① の ・ 1941 年夏のロシア戦線を行く 3 号突撃砲 セノヾストボール市を占領し、休息中の 3 号突撃砲 F 型。後方に捕獲されたソ連軍 1 ト ン半トラック ( G A Z ー A A A ) が見える。 ・ 3 号突撃砲 D 型。車長と思われる兵士の 腕の下に見えるハッチの薄さがよくわかる。 1942 年夏頃と思われる。 0 給油中の 3 号突撃砲 G 型。車体後部に 109 とナンノヾーが書かれているのはめすらしい。 イタリア戦線に出動中の 3 号突撃砲 G 型。 ッションの点検ハッチを開けて、リラック スした様子が感しられる。 春の雪どけの季節をむかえ、オーストケ ッテと呼ばれるキャタピラの先端に補助の爪 の付いた幅広いキャタピラを付けた 3 号突撃 砲 F 型 クルスク戦の情景の 1 コマ。突撃砲の乗 員たちがながめている T 34 / 76 は彼等が仕留 めたものではないようだ。 この 1943 年型の T 34 戦車は、 ッキーマウスとニックネームか・ つけられたというが、うまくつけたものだ 3 号突撃砲は G 型。 典型的なロシアの農村風景。中央の重機 関銃のみが緊張した戦場を感しさせる。後方 に見えるのは歩兵支援に向かう 3 号突撃砲 F ① 1944 年春のロンア戦線であろう。歴戦を 感しさせる 3 号突撃砲 G 型。車体右側にぬか るみ脱出用の角材が積まれている。 を第ま 4 ・第 9 戦車師団の 4 号戦車 F 2 型。 ク ) は、 4 号戦車で初めて長砲身の 75 ミリ砲を装 備した型式。マズルプレーキは単式で、球型 をしている。師団マークが黒で書かれている のはめすらしい。 朝第 1 戦車師団第 7 中隊の 4 号戦車 G 型。 1943 年夏、この師団がキ、リシャに、一時駐屯 した時の写真である。 P K ( 宣伝中隊 ) の一 名が、第 7 中隊と行動を共にしたらしく、 の中隊の一連の写真が残されている。 10 月に この師団は再び激戦の続く、東部戦線に出動 することになる。 ・ 20 ミリ 4 連装を搭載した空軍の 8 トンハ ーフトラックを追いぬきながら進む、 4 号戦 車 H 型 工兵の架橋した木橋を渡る 4 号戦車 H 型。 25 トンの戦車が左右を見ながらソロリソロリ と渡るといった風景である。 1944 年夏のロシ ア戦線。 中部ロシアの農村を通過する 4 号戦車 H 型。一雨降れば、この道路はぬかるみとなる ことが一目でわかるような写真である。車体 側面にェアフィルターが付けられている。 朝 を第 の の 朝 ⑩ の 4 号架橋戦車。架橋戦車として初めて実 戦に出動した記念すべき車輛である。 4 号戦 車 D 型のシャーシに 10 メートルの鉄橋を搭載 したもので、正確には 2 種類の形式があった。 1940 年当初は第 1 、 2 、 3 、 5 および第 10 戦 36
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