タイガー - みる会図書館


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1. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集5 ドイツ戦車戦場写真集2

車師団に各 20 すっ配備する予定だったが、 4 号戦車の必要にせまられ、わすか 4 輛生産 されただけだった。写真の車輛は第 3 戦車師 団に配属され、フランス戦で損傷したクルッ ノルマンディの戦場を移動中の 4 号対空 戦車メーベルワーゲン。 37 ミリ砲 1 門を搭載 している。右側のフェンダー上に Y B と書か れているが、部隊のマークではなさそうだ 乂、兵士の服装から陸軍の戦車師団に属する 部隊と思われる。 ノルマンディの戦場近くで休息中のタイ が一 I 。当時、陸軍のタイガー大隊は第 503 この写真の戦 重戦車大隊がフランスにいた。 車はこの部隊所属のものと思われる。後方に 枝葉でカモフラージュしたオペノレプリツツ・ トラックか、見える。 第 501 重戦車大隊所属のタイガー I 。タ イガー I は 1942 年内に 83 台カ { カッセノレ市にあ るヘンシェル社で製造され、第 501 、 502 、 503 の各大隊に送られた。写真のタイガーは後に 生産されたものと多少形が異なっている。後 にヘッドライト位置、フェンダーの形などが 量産向きに変更されている。 0 タイガー戦車と切っても切れない有名人 ミノ、エノレ・ヴィットマン S S 中尉。彼は 1944 年 1 月 30 日、東部戦線での活躍により柏葉付 この写真は、新 騎士十字章をさすけられた。 編成の第 501 S S 重戦車大隊第 2 中隊長時代 にベルキ、一のキャンプで写されたものと思わ れる。彼の友人の話によると、彼は常にひか え目で、酒は飲ます、タバコはロシアでの苦 闘の中で、少々おは、えた程度であったという。 静かなる男であった。 て移動中のパンサー中戦車 G 型。 S S 戦車師 団の所属ではなく、陸軍の戦車師団に属する 車輛と思われる。 木の枝でカモフラージュしながら、兵士 を乗せて移動中のパンサー中戦車 G 型。・ ク ) 写真と同し時、同し場所で写されたものであ る。 ジャッキの取付位置からも、このパンサ ー中戦車が G 型であることがわかる。 M G 42 を肩にする兵士は、若いというよりまだ少年 と言った方がよい。戦局の悪化をよく物語っ ている。以上の 3 枚の写真は同し部隊のもの。 このノヾンサー D 型は何とも考証しがたい 戦車である。ターレットナンバーは 045 であ るところから大隊本部付の戦車とも考えられ る。一応 1944 年のロシア戦線としておく。 ① 1944 年の夏。戦いはノレーマニアに迫った。 このノヾンサー A 型はグロースドイッチラント 師団の戦車連隊長車である。戦車の前に腰を おろしている将校の中で、柏葉付騎士十字章 をつけている人物は、連隊長のランクカイト 大佐。そのはかの士官は彼の幕僚達。 られた最初のタイが一部隊だった。 1942 年 11 月、 4 個小隊編成の 2 個中隊 ( 1 個小隊中に はタイが一 2 ム ロ・ 3 号戦車 2 台 ) がチュニス に到着したのが始まりだった。大隊長はルー デル少佐。第 1 中隊長が、後にアフリカの土 となるノヾロン・フォン・ノノレデ大尉だった。 この戦車ほ、この部隊の所属車。ターレットナ ーは赤に白のフチどりだったといわれる。 チュニジアの戦場を行く第 501 重戦車大 隊のタイガー 10 戦車兵の様子から小休止を しているようだ。初期生産型のタイガー I の 特徴がよくわかる。 それぞれの重戦車大隊には、 1 個中隊の 修理中隊が所属していた。 この中隊は数台の 18 トンノ、一フトラック、 6 トンクレーン付ノ、 ーフトラックなどを保有していた。しかし、 この写真のような 15 トン走行クレーンのお世 話になるためには後方の野戦修理廠まで行か なければならなかった。 0 チュニジアに出動したタイガー戦車部隊 ドイツ は、第 501 重戦車大隊だけではない。 軍は、北アフリカの戦局をばん回するため、 1943 年 3 月 7 日、もうーっのタイガー戦車部 隊・第 504 重戦車大隊を同戦線に送った。写 真のタイガーはこの大隊所属車。 0 3 号戦車を改造した弾薬補給車より 88 ミ リ砲弾の供給を受けるタイガー I 。 1944 年春 のロシア戦線。所属は不明。 0 プタベストに進出したタイガーⅡ重戦車。 このヘンシェル型砲塔をもつ重戦車は、照準 器など、コンピュ ターーシステノ、と、ユ・ンジ ンのパワーを除けば、現代戦車としても、ま だ見劣りはしない。第 2 次大戦中のドイツ戦 車技術陣が総力を結集してつくりあげた最高 の戦車と言える。 0 前の写真と同し時期、同し場所で写され たタイが一Ⅱ。キングタイガー ( 王虎戦車 ) と呼ばれた。当時、プタベストには第 503 重 戦車大隊が進駐していた。 これはその中の第 2 中隊第 3 小隊 3 号車。 捕獲した T 34 / 76 ・ 1941 年型を使用するド イツ軍。どこの国でもそうだが、戦利品とな った武器を以前の所有者に向けた国が多かっ ドイツ軍では相撃ちをさけるため、 T 34 を対戦車砲部隊の火器として使用した例が多 ⑩ 0 0 1944 年の冬、ロシア戦線で休息する対戦 車自走砲ナースホルン。 この自走砲は、エン ジン及びミッションは 3 号戦車 J 型。その他 の走行部分は 4 号戦車 F 型を利用したコンビ ネーション型で、それに 88 ミリ砲を搭載した 対戦車火器である。 クルスク戦に出動中のフンメル自走砲。 この自走砲はナースホルンと同様の 3 号と 4 号のコンビシャーシに、 15 センチ野砲を搭載 している。クルスク戦では北部挾撃軍の第 9 軍の中に、第 216 自走砲大隊が軍直属の部隊 として加わっていた ・ソ連軍の拠点を直射するフンメル自走砲。 写真のフンメルは後期生産型で、車体後部に マフラーーカゞーっし、てし、なし、。 ロシア戦線におけるドイツ軍最後の大攻 勢となった、、チイターデレ ' ' ( クルスク戦 ) を前にして、ドイツ戦車部隊の威容を誇示す る目的で、ドイツ国防軍高官たちのために開 催された戦闘車輛の展示会風景。 こでは実 弾射撃も行われた。 1943 年 4 月のことである。 ・破損した転輪を交換中のパンサー中戦車 A 型。転輪がチドリ配列になっている車輛は、 内部の転輪が破損し、交換となると大変な重 いくら高性能とはいえ、戦う 労働となった。 車には、あまり適しているとは言えないだろ う。現在、この形式の転輪配置を採用してい る主力戦車は存在しない。 朝イタリア戦線のパンサー中戦車 A 型。場 所は不明であるが、主砲にトラベリング・ロ ック ( 砲身固定金具 ) がかけられている所を 見ると作戦行動中とは思えない。カメラマン の要求で、車長がポーズをとったものと思わ れる。 ノルマンディ戦場の後方から前線に向っ 101 前の写真の続き。ター レット - 尸ンノヾーーグ ) 乗っている士官は 01 の 1 か、消されているか、、 ランクカイト大佐。また、 その手前、兵士の 肩に手をかけている将校はグロースドイッチ ラント師団のパンツアーフェーゼラー連隊 ( 戦車狙撃兵連隊 ) 指揮官のローレンツ大佐。 ・第 2 次大戦中にドイツが生産した最良の 対戦車兵器といわれるヤークトパンサー ( ノ ンサー駆逐戦車 ) 。この車両はおそらくプロト タイプ、又はごく初期のものと思われる。 ャークトノヾンサーのシャーシはノヾンサー G 型が流用されている。主砲はエレファント 駆逐戦車で、その威力を実証した 71 口径の 88 リ対戦車砲 43 型が搭載されている。車体の 形状、プタの鼻形の砲マウントなど、いかに も強力で威圧的な感しである。 ャークトノヾンサーの初陣は、ノルマンデ この戦車は、その部隊のもの ィ戦であった。 と思われる。車体は完全にセメントコーティ ングされている。威力はドイツ戦闘車輛随一 とされたこのヤークトパンサーも、生産数は わすか 382 台にとどまった。 第 3 S S 戦車師団トーテンコップ所属の パンサー戦車の戦車長。ヘッドホン、スロー トマイクロホンなど、通信用の器具がよくわ かる。 S S では袖章が左手に、陸軍では右手 に付けられていた。 いろいろと話題の多い、第 501 S S 重戦 車大隊所属のタイガー I 重戦車の写真。この 大隊以外の部隊で、楯形の中に交った鍵のシ ンポルマークをかいた部隊は現在までに見つ この部隊は、 1944 年 3 月ベル かっていない。 キ、一で編成され、ノルマンディに出動するま この写真は、移 でそこで訓練を続けていた。 動の時に写されたものと思われる。 0 ビラース・ボカージュの戦いの勝利の功 績によりヴィットマンは S S 大尉に昇進する 6 月 22 日、剣柏葉付騎士十字章をう と共に さらに、イギリス軍のトータライズ作 けた。 戦時には、第 501 S S 重戦車大隊長の任に当 この写真は、この頃のもので、タイガ った。 ー上の迷彩服姿がヴィットマン。又、彼と常 に一緒だった砲手のノヾルタザール・ポール S S 軍曹は、ヴィットマンが大隊長に昇格した 際、それまでの愛車の車長となって、二人は 別れたものと思われる。ただし、これは推測 である。なぜなら、ポール S S 軍曹は、幸連 にも第 2 次大戦を生きぬき、現在、西ドイツ に存命中だからだ。筆者は、彼に何度となく 手紙を書き、真実を知らせてほしいと願った が、彼は黙して語ろうとはしない。今でも。 写真の説明にもどる。中央革コートの将校 は、フーベルト・マイヤー第 12 S S 戦車師団 作戦参謀。その左のつなぎの迷彩服姿は、第 12S S 戦車連隊第 1 大隊長であるが、姓名は わからない。真夏だというのにコートを着て いる。この夏のヨーロッノヾは気温か、低かった のだろう。 ビラース・ポカージュを勝利に導いた 3 名。右のヘッドホンをつけた人物がヴィット マン S S 中尉。対空機銃架の上にとまってい る鳥にえさを与えている人物が装瞋手のゼッ プ・プライトル S S 伍長。その手前がポール S S 軍曹。服装を見ると、ヴィットマンは、 肩章も略章もなにも付いていないし、ポール もライプスタンタ、、ルテ ( 第 1 S S 戦車師団 ) の重ね文字の肩章もない。戦場では、パーテ ィの時のように着かざらないのだ。 0 第 501 S S 重戦車大隊は北アフリカに送 111 ⑩ 有名なロンメルの愛車 G R E I FO グラ イフとは、ワシとシシとを合わせた想像の・屋 獣である。彼はトプルク戦でこの車を駆って 戦場のいたる所に現われた。グライフのイメ ージを敵、味方に与えようとしたのだろうか。 車種は Sd. Kfz 250 / 3 。 ⑩ 1942 年夏期攻勢当時の写真。擲弾兵はノ ーフトラックをおり、反撃の様子を見ている のだろう。手前の戦車はソ連軍の T70 軽戦車 で 45 ミリ戦車砲を装備していた。 フランスの都市における戦車師団所属の 十 37 朝

2. TAMIYA NEWS タミヤニュース 資料写真集5 ドイツ戦車戦場写真集2

トイツ戦場写真集っ《新刊》 4 ーークしッフボクサーと 20mm 砲《新刊》 イギリスチャーし戦車 ドイツ戦場写真集 タミヤの戦車資料集 ドイツ軍の P K ( 宣伝中隊 ) が撮影した貴重 な記録写真を集めた写真集の第 2 弾です。数 多い写真の中でも、特に戦車を中に 1 6 2 点 を掲載しました。第 2 次大戦に登場した 1 号 戦車からタイガー戦車まで、順を追って編集。 それそれのバリエーションタイプも入ってい ますガら、ドイツ戦車の発達の流れも理解で きることでしよう。べージ数は 38 べージ、大 きさはタミヤの総合カタログと同じ、 1 枚 1 枚の写真も大きくて見やすく、簡単な解説も ついています。情景モテル作りに、もちろん 模型作りにも役立てていただける写真集です。 号 し 鹿 直料 岡 頭社は 静 店当合 400 円 模型店でお求め下さい。当 社に直接お申し込みの場合 は送料込て 1 冊 500 円。戦 車資料集係迄。 ☆戦車資料集をファイルす るファイルブックをご希望 の方は 1 部送料込で 800 円。 ファイル係迄。 1 店頭売り・ 1 冊 第 2 次大戦中、兵員や物資の輸送、火砲の牽 引などに活躍したドイツ車の 6 輔軽トラッワ ワルップホワサーと、大戦中のドイツの最優 秀対空火器のひとっと言われた 20 mm 対空機関 砲日 ak38 の資料写真集てす。ワルップホワサ ーの写真は 20 点。どれも第 2 次大戦中にドイ ツ軍が戦場て撮影した員重な記録写真はなり てす。情景作りのヒントにもなることてしよ う。曰 ak38 の写真は 25 点。こちらは海外の博 物館での取材写真です。細部のワロースアッ プ写真など、モテル作りにあ役立ていただけ ることでしよう。 250 円 店頭売り・ 1 冊 模型店てお求め下さい。当 社に直接お申し込みの場合 は送料込で 1 冊 350 円。戦車 資料集係迄。 ( ご希望の資料 集名、あなたの住所、氏名 をはっきりお書き下さい。 ) 第 2 次大戦中のイギリスの代表的な戦車、チ ャーチル戦車の資料集てす。大きさはタミヤ の総合カタロクと同じて 26 べージ。戦場ての 員重な記録写真をはじめ、取材写真そして高 荷義之氏のイラストも掲載しました。記録写 真は全部で 21 点。海外のファンや博物館所有 のものはかり。取材写真 62 点はチャーチル戦 車の各タイプを紹介しました。細部写真も豊 畠に掲載。さらに高荷義之氏のイラスト 80 点 で、チャーチル戦車を各タイプごとに詳しく 解説。モテルの改造にあ役立ていただけると 共に発達史もやさしく理解てきるてしよう。 店頭売り・ 1 冊 350 円 模型店てお求め下さい。当 社に直接お申し込みの場合 は送料込て 1 冊 450 円。戦 車資料集係迄。 ☆英語版もあります。海外 のお友達へのプレゼントに ご利用下さい。送料込て 1 冊 450 円。 4 実戦の記録写真を集めた写真集です。べージ 数は 38 べージ、 178 点の写真が収録されてい ます。第 2 次世界大戦中、ドイツ軍ては P K ( 宣伝中隊 ) と呼はれる部隊が、宣伝用に各 戦場でのドイツ軍の活躍ぶりを記録すること を任務としていました。この P K ガ撮影した TAM [YA NEWS 写真を選んで写真集としたものてす。ほとん どの写真が未公開のめすらしい記録写真はか り。モテル作りや情景作りの責重な資料とし て欠ガせません。もちろん、各写真の簡単な 解説もついています。第 2 次世界大戦の記録 としても責重な写真集てす。