様式 - みる会図書館


検索対象: アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎
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1. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

たりインド人来航者たちとの間て交易活動を続けていたと思われる。現地の首長たちはこ うしたインド的原理をまねて少しずつインド文化を自分たちの日常生活の中に受け入れて いたのてあろう。 美術ては扶南時代の彫像などに後グプタ様式の痕跡が見られる。また、現在のカンポジ ア文字の原型はインド文字の僴用てあった。これらのインドの文化要素は当時のカンポジ ア社会て取捨選択され、そしてカンポジア方式に置き換えられた。たとえばカンポジアて 制作されたヒンドウー教神像は明らかにインドのそれとは異なるカンポジア風様式の彫像 となっていた。 真臘の興起 扶南国が六世紀末ごろ衰退し、次に中国史料に掲載された「真臘」国が興起したという が、この国は扶南のもとの属国てあったと記されている。建国説話ては、始祖バラモンに 由来するカンポジアの人々は六世紀半ばに独立を果たし、七世紀には扶南国を併合してし まった。 真臘国は六世紀前後からカンポジア東部から中部にかけて領域を拡張させていたようて、 六一六年ィーシャナヴァルマン一世なる王が登位し、首都を定めた。その首都というのが、

2. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

様式と遺跡 主な遺跡 様式名 プノン・ダ様式プノン・ダ ( 彫像のみ ) サンポール様式サンポール・プレイ・クック プレイ・クメン ア プレイ・クメン様式 ン プラサット・アンデット ーコンポン・プラ様式コンポン・プラ、アク・ヨム プレイ・プラサット ( 北部 ) 期クレーン様式 クレーン諸遺跡 過渡期 プラサット・コク・ポー プリヤ・コー ( 897 ) 、 プラ・コー様式 ロレイ ( 893 ) プノン・バケン、プノン・クロム バケン様式 プラサット・クラヴァン ( 921 ) 過渡期 バクセイ・チャンクロン コー・ケー様式 コー・ケー諸遺跡 東メポン ( 952 ) 、 過渡期 プレ・ループ ( 961 ) バンテアイ・スレイ様式バンテアイ・スレイ ( % 7 ) ①タ・ケウ、北クレアン アクレアン様式 ②ピミャナカス、南クレアン、王宮楼門。 ン 過渡期 プノン・チソル、プリヤ・ヴィヘア 弓ルバブーオン様式 パプーオン、西メポン 期 - ①プリヤ・バリライ、ヒ。マーイ ( 1108 ) 。。 ②べン・メリア、プリヤ・ピトウ、 アンコールワット様式 トマノン、バンテアイ・サムレ、 アンコール・ワット コンポン・スヴァイのプリヤ・カーン ①タ・プローム ( 1186 ) 、バンテアイ・クデ。。 イ、アンコールのプリヤ・カーン ( 119D ②施療院と宿駅、アンコール・トム の城壁と城門 ③バイヨン、バンテアイ・チュマール , ④王宮テラス 美術様式と年代 - 西暦 テ 山 力、 ら 400 ノ 500 600 コンポン・プラ様式 プレイ・クメン サンポール様式 700 バコン ( 881 ) 、 800 バイヨン様式 コ ! ケーアンコール・ワット様式 バケン様式バブーオン様式 プラ・コークレアイ クレーン様式バンテアイ・スレイ様式後アンコール - 1100 、 1300 1400 ・一 43 ー ア 王 ー 1500 1600 ゥードーン様式 1700 バイヨン様式 3 1800 ( 年 ) ・一 860 アンリ・ムオ踏査

3. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

城壁のそばを流れていた。 天空の都城とその宇宙観 新王都ヤショダラブラがどのように光輝あふれる都城てあったのかははっきりしない。 第一次王都の北部区域は現在のアンコール・トム都城が新しく造営されたときに、その下 に埋められてしまった。結局のところ、プノン・バケン寺院のみがおそらく当時のまま残 っている遺構てあり、後世の碑文がいう「中心なる山」と呼ばれているところてあった。 この自然の小山は高さが約六十メートルほどて、項上に登ると眼下に樹海が見え、アン コール地域を見渡すことがてきる。寺院はその山の項上に建てられ、その高さは四十七メ ートルてある。寺院の上からは約百メートルの眺望が開け、東南の方向にアンコール・ワ ットの尖塔が見える。この寺院は一辺七十六メートルの第一基壇の上に四層の基壇が積み 上げられ、東西南北の階段は七十度の急勾配てあり、この階段に沿って小塔と小シンハ ( 獅 子 ) が一列に並んている。五層目に当たる最上壇には中央に大祠堂が建ち、四隅に中祠堂が 建ち並ぶ構成てある「Ⅱ五点型」形式をつくっている。この五点型祠堂の配置は、プノ ン・バケン寺院て新しく採用された建築様式てあり、以後アンコール時代のピラミッド型 高層寺院てはこの様式が踏襲されてい

4. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

身分の高い人には輿 正式な称号の他に、官吏たちは王から栄誉の印を与えられていた。 や日傘てあった。馬車や輿などは王族や身分の高い者に限られていた。『真臘風土記』に明 記されているが、その位階の上下関係により、担架柄が金または銀て区別されていた。 高官は祭礼祝典に出席する際、まわりから日傘が差し掛けられるが、その日傘の数は高 官の官位により多かったり少なかったりした。碑文ては王妃はしばしば王と同様に称賛に あずかっている。王妃には王権そのものを息子に譲り渡すことさえ可能てあった。 になぞらえられる。十新こ アンコール時代には、王と王妃の関係はシヴァ神と神妃ウマー ハンテアイ・スレイ寺院浮き彫りに描かれたシヴァ神とその膝の上に座れる神妃ウマーが その典型てあり、王妃の特別な地位を象徴している。第一王妃の次には第一一王妃たちが続 くのてある。 碑文ては祭典儀式の様子を詳述していないが、奧義伝授儀式、潔斎のための沐浴、灌項 など欠くことのぞきない儀式を示している。王は毎年、王国を飢餓や疫病から守るための この供犠を通じて王の祝聖がなされる。その他の祝祭が一年間を通じて 儀式を執り行い 彩られている。特に王の勝利凱旋に伴う特別な祝祭は人々を歓喜させていたのだった。碑 文に掲げられた官職を比較・検討していくと、最高の官職は大臣 ( マントリン ) てある。政権 全般について権限を持っていたし、王位継承者の選出にも関与していた 156

5. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

その楯・偽扉・柱の箇所にだけ砂岩が使用され、化粧漆喰て仕上げられていた。この寺院 主要 は当時ヤショダラタターカ大貯水池の水面に美しい均整のとれた尖塔を映していた。 カンポジアの地下三 5 五メートルのところにある 建材のラテライトとは別名紅土といし 鉄・アルミニウムを含んだ紅色土壌のことてある。これを切り出し、天日干しをすれば硬 質の石材に変質する。アンコール遺跡ては基礎石や基壇・敷石などに用いられている。今 てもこの建材の使用の伝統はカンポジア南部て続いている。 九六一年に建てられたプレ・ループ寺院は、東メポン寺院と同じ建材としてラテライト とそれにレンガと化粧漆喰が用いられた。この二つの建物には様式上の類似性があるが、 その構成内容および建立の意味は異なる。 プレ・ループ寺院は、三層基壇の最上段には五点型の祠堂が配置され、その中には「ラ ジェンドラ・ 、ハドレシュヴァラ」という神が安置されていた。それはシヴァ神と王を合 祀した特別のリンガ像てあった。このバドレシュヴァラ神というのはアンコール朝の発祥 くつかの祠堂の壁 の地といわれているラオス南部のワット・プー寺院の主神てあった。い には化粧漆喰の断片が残り、上品て清楚な女神たちが描かれている。 王は九五二年から九六一年にかけてヤショダラブラ王都の東部地区て大寺院を建設する 一方て、都城内に王宮の建立を計画していた。そして王は王宮内に儀式用の寺院としてピ まぐさ

6. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

われ、屋根の棟は項華て飾られている。このような建築様式は当時のどの建築物にも見ら れた。家具といえば、四本脚のついた低い椅子のみて、足を折り曲げて座っていたのだろ う。椅子は身分の高い人や苦行者の専用てあった。 浮き彫り絵図のなかに都城周辺の様子を垣間見ることがてきる。住民のそばを馬車が進 む。御者が馬車を走らせ、一一人の男がそこに座っている。また他の場所ては象がゆっくり と歩いている。少し離れたところては、住民と思われる二人の男が、多分果物をいつばい に積み込んだ牛車のまわりてにしく働いている。 この男たちは小さな腰巻を身につけ、細かいひだのついた上品な布を腰回りに巻いてい る。神々や伝説上の人物がつけるものとは違う。民族衣裳のサンポットと同じゃり方て、 袴をまとめてたくし上げ、両足の股の間を通して背中て帯の下と結ぶのてある。 王と王族、それにバラモンの宗務者や高官、補佐官、王宮内て働く奉仕者たちが政治・宗 王の娘もしくは姉妺と結婚したインドから来航のバラモンの 教儀礼をつかさどっていた 宗務官が王に仕え、祭儀を執り行い、政治方面ても影響力を行使していたと思われる。 王の指示を受けて働く補佐官たちゃ宗務官、それに軍人たちもいた。そして官吏たちは その功績によって高い地位を獲得するのてある。王による特別なはからいは芸術家の長に も与えられ、財貨と栄誉を手にしていた。 浮き彫りが伝える十一世紀の人々の生活

7. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

王師てあった。王が成年に達したときも、この王師の影響力はそのまま残っていた。 ハンテアイ・スレイ寺院はアンコールから北東へ約三十キロほどのプノン・クレーン丘 陵のふもとのシエムリアップ川畔に建ち、当時は「シヴァプラ ( 『シヴァ神の町』の意味 ) 」と 呼ばれていた。ラージェンドラヴァルマン王の死の少し前の九六七年から建設が開始され ハラ色の砂岩て造られた寺院は、東塔門口から境内に入り、ラテライト敷石の参道を 歩き、周壁や塔門を通り、中央の祠堂へ到達する。 この寺院は東西軸を基軸に持っ建築様式によって建てられ、ほば左右対称に配置されて いる。中心部の三祠堂は〇・九メートルの基壇の上に乗っており、二つの脇祠堂、それに 中央祠堂があり、その前に礼拝堂がある。この寺院の装飾や文様は特に入念に造られてい る。バラ色の砂岩につくられた精緻な浮き彫り彫刻が素晴らしく、壁歙に彫られた門衛神 の立像があり、さらに微笑みを浮かべた容姿端麗な女神立像は清楚な美しさに輝き、「東洋 のモナリザ」といわれている。経蔵などの楯や破風の浮き彫りには、瞑想したり、戦った り、あるいは森の中に住ん・ たり、当時の日常生活の様々な場面が描かれている。 南経蔵の西面破風には、カイラーサ山の項にて瞑想するシヴァ神が描かれている。北経 蔵の東面破風ては、インドラ神が雷雨を森に降らせ、人々や動物が大喜びしているところ が描かれている。バンテアイ・スレイの浮き彫りはその図像表現の躍動的な美しさと均整 新しい都城をなぜ建設するか

8. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

論考は漢文史料による扶南と真臘の歴史像を捉え、碑文史料の欠落した年代を補い、両史 料の比較検討がなされた。一九一一年、・フィノは『隋書』 ( 巻八十一一真臘伝 ) に載る「伊 奢那城」とコンポントム市に近いサンポール・プレイ・クックが同じてあることを突き止 めた。同じころ・パルマンチェが美術様式考察から前アンコール期様式論を提言した。 また、一九三三年にコルウブゥーはプノンバケン寺院を考察し、これがヤショヴァルマン 一世治下の第一次アンコール王都てあることを突き止めた。そして・セデスは碑文の訳 出と解題、遺跡建立年代と王の登位年代の確定、王朝の系譜考証など、数え切れないほど の史実を探り出した。 一九二〇、三〇年代は、バイヨンやバンテアイ・スレイなどの遺跡の建立年代や帰属論 争に見られるように、さまざまな試行錯誤を重ねながら、組織的な発掘と碑文解読の結果 次々とアンコール時代の新知見がもたらされ、古代カンポジア史再発見年代の観があった。 その後も、こうした碑文史料を基礎に手堅い研究成果が次々と発表されている。 アンコール朝の衰退と再発見 201

9. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

『美の回廊をゆ / 、ーーー東南アジア至宝の旅」第一巻日本放送出版協会一九九一 ジャン・ボワスリエ「アジア美の様式』下 ( 石澤・中島・関根共訳 ) 連合出版一九九一 石澤良昭「甦る文化遺産ーーアンコール・ワット』日本テレビ出版部一九九二 平山郁夫、石澤良昭、松本栄一『アンコール・ワットへの旅』講談社一九九二 高崎光哲「アンコール・ワット拓本集」 ( 復刻版 ) ( 監修・石澤良昭 ) 五月書房一九九三 高垣謹之助『東甫塞物語』 ( 復刻版 ) ( 解説・石澤良昭 ) 中央公論社 ( 中公文庫 ) 一九九三 伊東照司『アンコール・ワット』山川出版社一九九三 重枝豊『アンコール・ワットの魅力ーーークメール建築の味わい方』彰国社一九九四 田村仁・写真、石澤良昭・文「密林の王土ーーーアンコー当恒文社一九九四 プリュノ・ダジャンス『アンコール・ワット亠當林に消えた文明を求めて』 ( 監修・石澤良昭、訳・中島節子 ) 創元社 一九九五 フーオッ・タット、今川幸雄編訳『アンコール遺跡とカンポジアの歴史』めこん一九九五 215 文献案内

10. アンコール・ワット : 大伽藍と文明の謎

院の内部にこうした「炉のある家」があったという。 象のテラス・癩王のテラス 往時の王宮は壮大な建物てあった。王宮の大部分はたぶん木造てあったために、シャム 軍との戦闘て消滅してしまっている。王宮跡からは火事て焦げたと思われる瓦片がたくさ ん見つかっている。現在王宮跡には樹木が生い茂り、当時の建物は何も残っていない。 王宮のすぐ近くにあった男池と女池を含む五カ所の池には、ヾ ノイヨン美術様式の彫刻が 施されている。その池の囲いの壁面上部には、ガルーダ ( 神鷲 ) 彫刻を擬人化した男女のガ ルーダ像が、下部に魚や蟹、それに神話上の海の生物が描かれている。王宮は一一重の七メ ートルもある高い壁に囲われており ( 五百五十 x 二百メートル ) 、勝利の門からの道がっきあた るところが王宮入口塔門てあろうと思われる。これら城壁と塔門は、十世紀末に建設され この王宮の前には十三世紀初めに、象のテラスと呼ばれる約三百メートルにもおよぶ大 露台が東向きに建設された。この大露台には勝利の門からの道路がつながり、北大門から の基軸道路がすぐ前を通ってバイヨン寺院へつながっている。このテラス壁面には象のさ まざまな浮き彫りが施され、さらにガルーダが並んだ浮き彫りがある。北端の内壁に彫ら 12 2