33 眠い 「ふうん」 彼女は手にしたスプーンを宙に止めたまましっと僕の顔をみつめた。「本当 よ。あなたは信じないかもしれないけど」 「ぐっすり眠って . 起きればもっと信しるよ、つにな 「信しるよ」と僕は一 = ロった。 れると思うよ」 「たしかに少しは退屈かもしれない。でも退屈だっていうのはそんなに重い罪 しゃないわ。そうでしょ ? 」 僕は首を振った。「罪しゃないよ」 「あなたのように世の中をはすに眺めているよりすっとましだと思わない ? 「僕は世の中をはすになんて眺めてないよ」と僕は抗議した。「睡眠不足のと ころを員数あわせのためによく知らない女の子の結婚式に突然駆り出されてき ただけさ。君の友だちだっていうだけの理由でね。そもそもが結婚式なんて好 きしゃないんだ。ぜんせん好きじゃないんだよ。百人もの人間が下らないかき を揃って食ってるなんてさ」 ひざ 彼女はひとことも口をきかずにスプーンを皿の上にきちんと置き、膝の上の 白いナプキンでロもとを拭った。誰かが唄をうたい始め、フラッシュがいくっ もたかれた。
184 「だって合一言葉はかいつぶりじゃないんだから」 「しゃあ何だい ? 彼は一瞬絶句した。「それは言えない 「存在しないからさ」と僕は能力の許す限り冷ややかに言い放った。「かいっ ぶり以外に水に関係があって、手のひらに入るけど食べられない五文字のこと ばなんてひとつもないよ」 「でもあるんだよ」と彼は泣きそうな声で言った。 「ないよ」 「ある」 「あるという証拠がない と僕は言った。「それにかいつぶりは全ての条件を みたしているしゃないか」 「でもその : ・ : ・手のりかいつぶりが好きな大がどこかにいるかもしれない 「どこにいる ? そしてどんな大だい ? 」 「うーん」と彼は唸った。 「僕は大のことならなんでも知ってるけど、手のりかいつぶりが好きな大なん て見たこともない 「そんなに不味いのかい ?
ート・バカラックはお好き ?
1963 / 1982 年のイバネマ娘 「すらりとして、日に焼けた 若くて綺麗なイバネマ娘が 歩き方はサンバのリズム クールに揺れて やさしく振れる。 好きだと言いたしんたー ートをあげたいんだけれど 僕のハ 彼女は僕に気づきもしない。 こだ、海を見ているだけ」 っ 0 年、イバネマの娘はこんな具合に海を見つめていた。そしていま、 1982 年のイバネマ娘もやはり同じように海を見つめている。彼女はあれか 彼女はイメージの中に封じ込められたまま、時の海の中 ら齢をとらないのだ。 ,
・バカラックはお好き ? 103 ☆ 時計が五時を打った時、そろそろ失礼しなくちゃと僕は言った。「御主人が 帰って来る前にタ食の仕度をしなくちゃいけないんでしょ ? 「主人はとてもとても遅いの」と彼女は頬杖をついたまま言った。 「いつも真夜中にしか帰らないわ」 「忙しいんですね」 「そうね」と言って、彼女はしばらく間を置いた。 「それに手紙にも書いたと限うけれど、私たちの仲はあまりうまく行ってない どう答えていいのか僕にはよくわからなかった。 「でも、 しいのーと彼女は静かに言った。本当にそれでいいみたいに聞こえ 「長いあいだ手紙をありがとう。とても楽しかったわ」 「僕もです」と僕は言った。「それからハンバーグ・ステーキをどうもありが とう」 ☆
目次 カンガルー日和・・ 7 4 月のある晴れた朝に 田 0 バーセントの女の子に出会うことについて・・ 17 眠い・・ 27 タクシーに乗った吸血鬼・・ 39 彼女の町と、彼女の緬羊・・ 51 あしか祭り・・ 61 鏡・・ 71 円 63 / 円 82 年のイバネマ娘・・ 83 バート・バカラックはお好き ? ・・ 93 5 月の海岸線・・ 105 駄目になった王国・・ 121 32 歳のデイトリッパー とんがり焼の盛衰・・ 141 ・ 131 チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏・ スノヾゲティーの年に・・ 161 力、いつミ : り・・ 173 サウスペイ・ストラット・・ 187 ・ 151 ドウービー・プラザーズ「サウスペイ・ストラット」のための BGM 図書館奇譚・・ 197 あとがき・・ 250
・バカラックはお好き ? でしようね ? 手紙を読んでいて、僕はあなたの作ったごくあたりまえのハン ーグ・ステーキを是非食べてみたくなりました。 それに比べて国電の切符自動販売機についての文章は少し上すべりではない かという気がします。目のつけどころは面白いのですが、風景が読み手に伝 わってこないのです。どうか鋭くあろうと思わないで下さい。文章というのは 結局は間にあわせのものなんです。 全体としての今回の手紙の点数は間点というところです。少しすっ文章力は 上がっています。焦らす、焦らす、がんばって下さい。次の手紙を楽しみにし ています。はやく本物の春が来るといいですね。 3 月日 「クッキー」の詰めあわせ、どうもありがとうございました。おいしく頂いて おります。しかし当会の規則上、手紙以外の個人的な交流は一切禁じられてお りますので、今後このようなお気遣いなきようお願いします。 でもとにかく、ありかと、つございました。
230 「どうだい、おいしいだろう」 ーナツ、どこをさがしたってありません 「ええ、羊男さん、こんなおいしいド よ」と僕は言った。「羊男さんがドーナッ屋さんを始めたらすごく繁盛すると 思うな」 「うん、おいらもね、それはちょっと考えていたんだよ。そんなことができた らしいだろうなってさ」 「きっとできますよ」 羊男はべッドの美少女が腰かけていたのと同しところに腰を下ろした。べッ ドの端から短い尻尾が垂れ下がっていた。 「でも駄目だよ」と羊男は言った。「誰もおいらのことなんか好きにならない よ。こんな変な格好してるし、歯だってろくにみがいてないし : ・ : ・」 「僕が手伝いますよ。僕が売ったり、皿を洗ったり、ナプキンをたたんだり、 お金の計算したりします。羊男さんは奧でドーナツを揚げてればいいんです」 「そうなるといいね」と羊男はさびしそうに言った。彼の言いたいことは僕に はよくわかった。 でも結局はおいらはここでずっと柳の枝でぶたれるんだし、君はもう少しし たら脳味增を吸われるんじゃないか :
180 煙草を一本差しだし、ライターで火を点けてやった。 「悪いな : 、それで、何かその : 合言葉らしいものは思い出せない ? 無理な相炎ごっこ。 言オオ合言葉なんて思いっきもしない。僕は首を振った。 「俺もこういうしち面倒臭いことが好きなわけしゃないんだけどさ、まあ上の 人には上の人の考えがあるんだろうしね。わかるだろ ? 「わかるよ」 「俺の前にこの仕事やってたやつもさ、合言葉を忘れたっていう客を一人取り 欠いだだけでクビになっちゃったんだよ。今どき良い仕事は少ないからね」 うなす 僕は肯いた。「ねえ、どうだろう、少しだけヒントをもらえないかな ? 」 男はドアにもたれかかったまま、煙草の煙を宙に吐き出した。「それは禁し られてるんだ」 「ほんの少しでいいんだよ」 「でも、どこかに隠しマイクがあるかもしれない 「そうかな」 とても 男はしばらく迷ってから、小さい声で僕に耳打ちした。「いい力い 簡単なことばで、水に関係があるんだ。手のひらに入るけれど、食べることは できない
102 言った。彼女はフランソワーズ・サがンのファンで、僕にサがンの話をしてく れた。彼女は「プラームスはお好き ? 』が気に入っていた。僕もサガンは嫌い ではない。、 少なくともみんなが言うほど退屈だとは思わない。 「でも私には何も書けないわ」と彼女は言った。 「今からでも遅くはありませんよ」と僕は言った。 「私には何も書けないって教えてくれたのはあなたなのよと彼女は言って 笑った。 僕は赤くなった。二十二のころ、僕はすぐに赤くなった。「でも、あなたの 文章にはとても正直なところがありましたよ」 彼女は何も言わすロもとに微笑を浮かべた。一センチの何分の一かの、とて も小さな散笑だっこ。 「少なくとも僕はあなたの手紙を読んでハンバーグ・ステーキを食べたいと 思った」 「きっとその時おなかがすいてたのよ」と彼女はやさしく言った。 まあ、そうかもしれない。 電車がかたかたという乾いた音をたてて窓の下を通り過ぎていった。