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検索対象: ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE
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1. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

出品作品リスト / List 0fWorks No 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1 1 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 146 作品名 / T Ⅲ e お座りくたさい、マダム Asseyez-vous madame お祭り騒ぎ La féte 家族の肖像 FamiIy Portrait ピンクのヌードとドラゴン Pink Nude with Dragon 女性の肖像 ( 自画像 ) Portrait of a Woman (Autoportrait) 金属の破片 MetaI Fragments 聖セノヾスチャンあるいは私の愛人のポートレート Saint-Sébastien or Portrait Of My Lover ローラースケートに乗った肖像画 Portrait sur patins roulettes 射撃スーツ Shooting Suit オールドマスター ( 小さな射撃絵画 ) Old Master (Petit Tir) カテドラル Cathédrale モンスターのハート Cæur de monstre 赤い魔女 La sorciére rouge エヴァ・エベリの肖像 Portrait de Eva AeppeIi 顔 / 自画像 Face/Self Portrait クラリッサ Clarissa 小さな黒いクラリス Petite Clarice noire 最初のナナ Une des premieres Nana en laine 小さなワルダフ Petite Waldaff グウェンドリン Gwendolyn 逆立ちするナナ Upside-down Nana ヒッグレティー Bi g Lady クラリス / ふとっちょナナ Clarice / Nana boule ピッグへッド Grande téte 小さなアクロバット Petite acrobate 白い踊るナナ Nana blanche dansante 日曜日の散歩 Le promenade du dimanche 制作年 /Year 1963-64 1962 ー 63 1962 1962 1961 1962 1961 1961 1959 1958 1956 1954 1953-55 1952 -58 -55 -54 1963 / 64 1971 1971 1970-80 1970 1969 1968-95 1967 1966-90 1966 1965 1964-65 1964 所蔵 /COIIection シュプレンゲル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンケル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンケル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンケル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) SprengeI Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint PhaIIe Sprengel Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint PhaIIe SprengeI Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint PhaIle SprengeI Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint PhaIle シュプレンケル美術館 ( ニキ芸術財団寄託 ) 掲載頁 /Page 20 21 22 23 24 SprengeI Museum Hannover, Leihgabe Niki Charitable Art Foundation シュプレンゲル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンケル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンゲル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンゲル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンケル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) Sprengel Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint Phalle SprengeI Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint Phalle Sprengel Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint Phalle SprengeI MUseljm Hannover, Schenkung Niki de Saint Phalle Sprengel Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint PhaIle SprengeI Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint PhaIIe SprengeI Museum Hannover, Schenkung Niki de Saint PhaIle Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, Nasu 二キ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, 二キ美術館 Nasu Nasu Nasu シュプレンケル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) シュプレンゲル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) Niki Museum, Nasu ニキ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, Nasu ニキ美術館 Niki Museum, ニキ美術館 Niki Museum, Nasu ニキ美術館 Niki Museum, 二キ美術館 Nasu Nasu Nasu Nasu Nasu Nasu Nasu Nasu 25 28 ー 29 30 31 32 ー 33 34 35 36 ー 37 40 42 43 44-45 46 48-49 50 52 -53 51 54-55 58 59 56-57

2. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

6 月、ノヾーテン・ビュルテンベルク州のハイテンハイム美術館で「ニキ・ド・サン ファルとジャン・ティンゲリー、ポスター、クラウス・フォン・テア・オステン・コレ クション」展開催 ( ハンプルク美術工芸美術館に巡回 ) 。 9 月、ハノーファーのシュプレンケル美術館で「ニキとジャン : 芸術と愛」展開催 ( / ヾーゼルのティンケリー美術館に巡回 ) 。 ( 笠木日南子編 ) * 本年譜作成にあたり、 lvonne Robinson, "A Life / Ein Leben / Une vie" in Niki de saint Pha ″ e: Monographie ・ Monograph, l-ausanne, 2001 を参照しました。 143

3. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

建築プロジェクト《ゴレム》に取りかかる。翌年に完成。 1972 長く続けられるが、のちにハリゴンの息子ジェラルドが後を継ぐ。 鋳造家ロバート・ハリゴンとともに巨大彫刻の制作を開始。彼との共同制作は ジェノヴァのギャルリー・ホニエールで「ニキ・ド・サンファル : ナナ以前」展が開 ハンマー・シネマで封切られる。 ー・ホワイトヘッドとの共作により映画「ダティー」を撮影する。 11 月、ロンドンの 7 月、南フランスのクラースの近くにシャトー・テュ・モンを借り、そこでピータ 催され、初期の作品が出品される。 ギリシャを訪れる。 1973 ニキとティンゲリー、年代不詳 ベルギーの町クノッケ・ル・ズでファヒアンヌとロジャー・ネレンス夫妻のため サン・トロべのジョルジュ・プルヴィエールのスイミングプールをテサインする。 ヴァ丿レのポスターも手がける。 ク・フィルム・フェスティヴァルで上映される。ニキはこのフィルム・フェスティ マルティンらが参加。 4 月、リンカーンセンターで封切られ、第 11 回ニューヨー リジナルキャストに加え、クラリス・リヴァース、ライナー・フォン・ティーツ、ミア・ 1 月、「ダティー」の改訂版をソワジーとニューヨークで撮影する。改訂版にはオ 1974 に、子ともの遊び小屋《ドラゴン》を制作する。 138 催され、ニキの代表作品が紹介される。 テルで「二キ・ド・サンファル : 彫刻、素描、グラフィックナナ・ノヾルーン」展か開 6 月、ドイツのバーテンハーテンのギャラリー・ドクター・エルンスト・ハウスヴェ キ・ド・サンファル : 建築プロジェクト」展開催。 2 月、 / ヾリのアレクサンドル・イオラ・ギャラリーで建築モテルを紹介する「ニ ー」が付けられた。 意を表して、これら 3 つのナナに女王の名前「カロリーヌ」「シャーロッテ」「ソフィ ハノーファーに 3 つの巨大なナナ像を設置。ハノーファー市の歴代の女王に敬 長くボリエステルという素材で作品を作っていたことが原因で肺を悪くし、 スイスの病院に入院、療養する。数週間後、アリゾナを旅行し、その後スイス のサン・モリツツに行く。そこで、 1950 年代にニューヨークで友人関係にあった マレッラ・カラッチョロに再会する。二キはマレッラに彼女の夢である彫刻公 園の構想を話し、その話に感銘を受けたマレッラとその兄弟のカルロとニコ ラ・カラッチョロ夫妻は、ニキがその夢を実現できるように自分たちのトスカー ナの土地の一部を自由に使わせた。 1975 映画「夜よりも長い夢」を制作。この作品には多くの友人が関わり、二キは脚本、 美術装置を担当。ブリュッセルのノヾレ・テ・ホサールで開催された「フェスティ ウアル・ユーロノヾリア・フランス 1975 」で、映画のセットが正面に使われた。 1976 この年丸 1 年間、スイスのアルプスで過ごし、将来の彫刻公園の構想を練る。 ロッテルダムのポイマンス美術館で個展が開催され、建築プロジェクトが紹介 される。 オルボルクのノルテイラン美術館 ( テンマーク ) で「ニキ・ド・サンファルの彫刻」 展が開催される。 ジェノウアのギャルリー・ホニエールで「ニキ・ド・サンファル : 近作」展が開催さ れる。 1977 コンスタンタン・ムルグラープとともにハンス・クリスチャン・アンテルセンの 小説に基づく映画「旅なかま」の舞台装置を手がける。 メキシコやアメリカのニューメキシコを旅行する。 リカルド・メノンが彼女のアシスタントとなり、その後 IO 年間アシスタントを続 ける。 1978 トスカーナの小さな町カラヴィッキオにあるカラッチョロ兄弟所有の土地で 「タロット・ガーテン」の建設に着手する。タロット・カードのモティーフに基づい て 20 体の記念碑的な彫刻作品が二キの解釈に基づいて構想される。 ニューヨークのギャラリー・ギンベル & ウィーツェンホーファーで彫刻マケット 3 月、東京のギャラリーワタリで、日本で初めての個展開催。 やす この年のほとんとの時間をトスカーナで過こし、タロット・ガーテンの建設に費 1979 この機会に 5 月から 7 月にかけて大学ギャラリー ( ウ丿レマー美術館 ) で二キのグ ドイツのウルム大学のキャン / ヾスで、彫刻作品《詩人とミューズ》が除幕される。 かる。 4 月、タロット・カーテンの最初のふたつの彫刻《魔術師》と《女教皇》に取りか 1980 新たな彫刻のシリーズくスキニーズ ( やせつばち ) 〉を構想する。 の後コロンノヾス美術館をはしめとするアメリカ国内の 4 つの美術館に巡回 ) 。 や写真を紹介する「モニュメンタル・プロジェクト、マケットと写真」展開催 ( そ

4. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

12 ) Niki de Saint PhalIe "Die ReIigion" in Niki de Saint Phal/e ー Liebe Protest, Phantasie (exh ℃ at. ), UIm/Ludwigshafen am Rhein/Emden, 1999 , p. 22. 13 ) Niki de Saint Phalle 1999 , op. c , p. 79. 14 ) Duisburg/BerIin/ 凵 nz/Hannover/Nürnberg 1980 ー 81 , op. c / た , p. 29. 15 ) / わ / d. , p. 36. (6)HuIten, op. c , p. 65. 17 ) ドキュメンタリーフィルム「ニキ・ド・サンファル美しい獣」 ( べーター・シャモニー監督、 1995 年 ) のニキ・ド・サンファルのナレーション。 18 ) KrempeIin SprengeI Museum Hannover 2000, op. c , p. 1 1 . ニキ・ド・サンファルが寄 贈した作品はシュプレンケル美術館に所蔵されている。 19 ) Niki de Saint Phalle "Einführung von Niki de Saint PhaIle" in わ / d. , p. 13. (0) Niki de Saint Phalle ・ Niki über Niki" ( 1986 ) in SchuIz-Hoffman, op. c , p. 40. 21 ) ニキ・ド・サンファルからジャン・ティンゲリーへの手紙 in Hulten, op. , p. 156. 22 ) Duisburg/BerIin/Linz/Hannover/Nürnberg 1980-81 , op. c , p. 38. 23 ) ニキ・ド・サンファルからフルテンへの手紙 in Hulten, op. 砒 , p. 147. 24 ) 二キ・ド・サンファルから母への手紙 in 剏 d. , p. 184. (5)Niki de Saint Phalle 1999 , op. c ″ . , p. 127. 26 ) "lnterview Niki de Saint PhaIIe" in SprengeI Museum Hannover 2000, op. cit. , p. 67. 27 ) ニキ・ド・サンファルから母への手紙 in HuIten, op. cit. , p. 186. 28 ) Uta Grosenick "Niki de Saint PhaIIes Briefe- eine Einführung" in わ / d. , p. 145. 29 ) Niki de Saint PhaIIe, Mon secret, Paris, 1994 と Niki de Saint Phalle 1999 , op. cit. (0) Niki de Saint Phalle わ / d. , 扉。 31 ) "lntenv'iew Niki de Saint PhaIIe" in SprengeI Museum Hannover 2000, op. cit. , P71. 《ケネティ - フルシチョフ》 1962 年、 fig. 12 シュプレンゲル美術館 ( ニキ・ド・ サンファル氏寄贈 ) Kennedy - Kroutchev, 1962 , 20< 120X20cm, SprengeI Museum Hannover, Schenkung Nikl de Saint Phalle ( を 133

5. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

fig. 1 0 ハノーファー市に設置された 3 体のナナ ( 左からソフィー、シャーロッテ、カロリ ーヌ ) 、 1974 年 3 Nanas in der Stadt Hannover, Sophie, C わ a 「 / 0 な e , Caroline, 1974 いは苦しみを埋める方法として誤った方向に向かった症状のことでもある。 キは 1930 年、世界恐慌の最中に生まれているが、その年に父親の銀行が破綻 し、しかも、同時に父の不貞が母に明らかになった。ニキは言う。「私はテプレ ッションべイヒー [ 訳註 : 恐慌の申し子 ] 。私が生まれてくるのを待っているあ いたに、父は全財産を失い、母は父の不貞を知った。彼女は妊娠しているあい だ、泣きつばなしで、私はこの涙を感していた。そしてのちに母は私に言った。 すべて私のせい。私がこれらの問題をもたらしたのだと」。註 23 ) 父の銀行の破 綻のため、ニキは 3 歳まで祖父母のもとに預けられていた。ニキには母におろ そかにされたという思い、そして母に認められたいという強い思いがあった。 しかし、その思いは満たされることはなかった。芸術家として成功しても、それ を感しることはできなかった。「お母さん、お母さん、どこにいるの ? どうして 私を置いていってしまったの ? いつかまた私の所に戻ってくる ? 全部私の せい。どんな女性だってあなたになるのよ。ママ、ママ。私はあなたなんていら ない。あなたなしで成し遂けるわ」。註 24 ) ニキはこの作品を自身の母をモテル に制作したのたという。しかし、作品制作後、実は「むさばり食う母親」は自分 自身であったことに気づく。「私たちすべてがむさほり食う母親です母が私を むさばり食い、そして今度は私が、子ともたちにとってベストだと信しる方法に もかかわらす子ともたちを食べてしまっているのです」。註 25 ) さらにこのシリーズでは、彼女の父親に対する複雑な思いも明らかにされる。 《日曜日の散歩》 ( cat. no. 27 ) では、男性が女性に較べるとはるかに小さく表現 され、この男性は、多くの生物を愛するニキが唯一嫌いな蜘蛛につながってい る。《父の葬式》 ( fig. 11 ) で表わすのは、父を葬る彼女の思いである。この作品 は実際に父親の死と直面した経験から生まれているが、同時に、作家は父から 幼い頃に受けた性的虐待の記憶も葬ろうとしている。長年にわたり、彼女を苦 しめ続けたこのトラウマは、 1973 年に制作された映画「ダティー」で、さらに自 伝的に露わにされる。「ダティー」は、主人公アニエス ( ニキの本名でもある ) と父親とのあいだの愛憎、そして性的葛藤が主題とされ、コミカルでありながら も、かなり残酷に、伝統的な家庭における家父長の位置を徹底的におとしめ、 物語はまるでニキが自身の精神分析をするかのように進行する。制作中、 キは神経衰弱に苦しみながら、痛みに溢れる辛い過去と向き合い、苦しみの出 口を見つけようとした。 これらの作品群はニキ自身の「心の中への旅」註 26 ) であると同時に、家父長 な問題は次々と彼女を襲い、作風の変化によって内面の問題を解消するとい う、セラピー的な傾向はその後も続いていくのである。 中でも、しはしは作品に現われる彼女の精神的な問題のひとつに、恋愛にお ける激しい感情的な経験が挙けられる。ニキ・ド・サンファルは自ら、多くの芸 術家たちのように恋人との恋愛関係からインスピレーションを得ていると語っ ているが、註 ) それが最初に見られるのは、射撃絵画の直接的なアイティア源 ターケットピクチャー ともなった標的絵画《聖セパスチャンあるいは私の愛人のポートレート》 ( cat. no. 7 ) である。当時恋愛関係にあった男性への思いを断ち切ろうと制作 されたアッサンプラージュの手法による作品で、画面に男性を象徴するワイシ ャッとネクタイがつけられ、頭の部分が標的になっており、そこにダーツを投け つけることで完成されるのである。この作品についてニキは、「私は彼の頭に ダーツを投けつけるのを愉快に感しました。そしてそれは私が彼から離れる素 晴らしいセラピーになりました」註 21 ) と言っている。 このほかにも、版画の多くの作品が、愛を伝える絵手紙であったり (cat. nos. 31 , 34 , 37 , 38 ) 、失恋の苦しみをあからさまに表現したものであった りと ( cat. nos. 32 , 33 ) 、ニキにとって、恋愛における感情経験は作品のインスピ レーションを得る重要な要素になっている。 もうひとつ、ニキ・ド・サンファルにおける、作品に表われる大きな精神的な 問題は、子とも時代の家族関係におけるトラウマである。 1970 年頃に、二キの 女性像の中に大きな顔の彫刻のシリーズ ( 本展出品作品では《ビッグ・ヘッド》 [ cat. no. 24 ] が、このシリーズに属している ) が現われるが、そのいすれもが、 ひに溢れたナナには見られない悲しみに歪んた表情をしている。体を伸ひや かに広けるナナたちは、顔の表情が表現されなかったために、その反動として の顔の表現ともとれるが、ニキは、彼女たちは「体を失ってしまった」註 22 ) と言 うのである。彼女が悲しみから解放されない理由、心のトラウマは次に制作す るくむさほり食う母親〉のシリーズで決定的に明らかにされる。 くむさほリ食う母親〉のシリーズで主題とされているのは、手にするものすべ てを食べてしまう母親の姿である ( 《リヒテンシュタイン宮殿近代美術館のた めのホスター》 [ cat. no. 61 ] にはこのシリーズの作品《アンジェリーナの家での ティーノヾーティ》 [ 1971 年 ] が使われている ) 。子どもまで食べてしまうその姿は まるでメルヘンに出てくる悪い魔女を思い起こさせ、ナナとは正反対のイメー ジである。実は に表わされているのは、過食、つまり、欲望を満たすある 131

6. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

原始時代の母権社会、あるいは他の多くの太古の社会でも、妊娠は豊饒の シンホルであり、妊婦を象った多くの女性像が世界各地で発見されている。 キ・ド・サンファルのナナは、彼女が太古の女性像を知らぬまま、栄養を与える もの、あるいは保護や安心を与えるもの、そして未来への信頼を与えるものと クレートマサー いった、偉大な女神、大地母神の形象化へと向かっていったのである。 最も大きいナ大全人類の母、そして大地母神「 HON 」 1966 年、ストックホルム近代美術館のエントランスに巨大な立体作品が設置 された。高さ 6 メートル、幅 9 メートル、そして長さ 29 メートルにも及ぶ巨大な作 品で、妊娠した女性が寝そべって足を開いた形をした《ホーン》 ( fig. 9 ) である。 「 HON 」とはスウェーテン語で「彼女」という意昧の言葉である。これは、ニキ・ ド・サンファルとジャン・ティンゲリー、そしてスウェーテンのアーティスト、ペ ル・オロフ・ウルトヴェットによって制作された。中にはさまさまな仕掛けが施さ れ、観客は足のあいだの女性性器の入口から中に入り、《ホーン》の胎内を巡っ てそれを楽しむことができた。左の腕の部分は 12 席用意された映画館となっ ており、クレタ・ガルホ主演の映画「さすらいのペーター」 ( 1922 年 ) が上映され、 頭の部分には、木製の機械仕掛けの脳が、左胸の部分はプラネタリウム、左腿 にはラジオ彫刻《ラジオ・ストックホルム》、膝の部分には「愛のべンチ」と名付 けられた、赤いビロードで作られたべンチが設置され、そこには照明が当てら れ、べンチに座った観客は後ろに設置された鏡に映されるようになっていた。 そして、右胸にはミルクノヾーと、その側に瓶を自動で潰す機械が置かれ、贋作 ギャラリーが併設されていた。もう片方の足には公衆電話、軽食の自動販売機、 そしてお腹の上の部分には水槽がおかれ、それそれの場所では / ヾッハの音楽 が流されていた。註 16 ) このとてつもないスケールと / ヾラエティに富んた内容は、当時の前衛美術の アクションやノヾフォーマンスから発展した、観客が参加できる、周囲の環境を 取り込むような作品の一種であり、現在では巨大なインスタレーション作品と 言うことができる。インスタレーションは会期が終わると壊されてしまうため、 これほどの規模とユーモア溢れるエンターテイメント性を兼ね備えていなが ら、《ホーン》は現在では、記録でしか辿ることができす美術史上、伝説的な作 品となっているが、ニキ・ド・サンファルの作品の変遷においても非常に重要な 意昧をもった作品である。《ホーン》の外観で初めて施された原色のポップな 色遣いと模様は、その後の彼女の立体作品がポリエステルという素材で制作 されるようになった際の、彼女のトレードマークとなり、のちに「愛の闘い」とし て、ふたりの芸術家の個性がぶつかりあう、本格的なジャン・ティンゲリーとの コラホレーションもここから始まるのである。また、忘れてはならないのは、の ちにタロット・ガーテンという集大成に結びつく多くの建築的な作品もここか ら出発していることである。 《ホーン》によって、ニキのナナはすべてを兼ね備え、それをすべての人々に 分け与える全人類の女神となり、人々を胎内から再び生み出すことによって、 すべての人間の母となり、母性の象徴となった。ニキ・ド・サンファルがつくり出 したナナ像は、初期のものから《ホーン》、さらにその後に至るまで、精神的に自 立し、自意識をしつかりもった、自由な女性の象徴であり、同時にその多くが妊 娠した姿で表わされ、母性の象徴でもあり、女性であることのすべてを受け入 れ、肯定している。ニキは、彼女たちに、クラリス、アンナ、クラリッサ、ワルダフ 等々さまさまな名前をつけているが、実は彼女たちのすべてがナナなのである。 「ナナ」という言葉は、フランス語で時には情婦を表わす女性一般に対する通 俗的な呼称たという。「彼女たちは、突然現われ、私はナナと名付けました。ど うしてだかわからない。工ミール・ゾラのナナとはなんの関係もありません。た たそう名付けただけ」。註 17 ) 女性であることを受け入れ、力強く生きているナナ たちは女性そのものである。「ナナ」というフランス語の女性に対する呼称とお り、彼女たちはオンナなのである。しかし、ニキ・ド・サンファルが提示したナナ は、男性から見られる対象ではなく、受動的な側面は少しも感しられない。ま た、理想の女性像として男性中心社会で表現されてきた伝統的な女性表現と は全く違って、美しいとされてきた理想の女性のプロポーションからもかけ離れ たものたった。ナナは、 1970 年代に台頭する女性解放運動に先駆けた、女性 によって提示された女性像でもあったのである。 現在においては、ナナの自立して、のひのひと自由な様子、そして彼女の母 性的な姿に、政治性を感しることは難しいかも知れない。しかし、このような母 性の象徴である大地母神のナナでさえ、作品に秘められた挑発的な性格は健 在たった。《ホーン》に見られるような、女性性器を露わにし、胸やおしりを大 きくテフォルメされた「ナナ」は、女性の性を露わにしたものとして当時は大き なスキャンダルだった。 1974 年、ハノーファー市の依頼で設置した 3 体のナナ ( fig. IO ) は、市の政治的問題にまで発展した。ナナが市のモニュメントとしてふ さわしくないと、撤去を求める 18 , OOO 人もの市民の署名が集められ、市に提出 されたのである。しかし、それと同時にナナを愛する市民による、撤去反対を 唱える運動が起こり、テモンストレーションなとの激しい闘争の結果、 3 体のナ ナは撤去されることなく、現在でもハノーファー市のシンホルとして、人々に愛さ れ続けている。 2000 年にはニキ・ド・サンファルの初期から晩年までの重要な 作品 400 点近くが、市に寄贈され、ニキ・ド・サンファルはハノーファー市で、女性 て最初の名営市民にもなっている。註 18 ) 彼女の作品は「人々の論争を誘発する ことができるほど、芸術が死んではいなかった」註 19 ) ことを示したのである。常 にさまさまな面で「問題児」となるニキ・ド・サンファルの作品は、人々の愛と情 熱をも呼び起こすのである。 自分探し、愛と憎しみ、そして自叙伝としての作品 ナナの誕生によって、ニキはそれまでの自身の心の旅から解放され、より造形 的な問題に専心していくように思われたが、実際はそうはならなかった。新た 0 fig. 9 ストックホルム近代 美術館に設置された 《ホーン》、 1966 年 Hon, 1966 , 6.1X287X9.15m , Moderna Museet, Stockholm 130

7. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

マイノリテイへのシンパシーや、工イズ啓発の絵本やアニメ制作といった活動 こに表われているのは、当時の政治的あるいは社会的 にもつながっていく。 状況をも含む彼女自身の現実そのものである。彼女は世の中に怒り、それに 対して何もできない自分自身に怒って撃った。この作品においては、原爆の黒 い雨を思い起こさせるように、画面に黒い絵具が飛ひ散っている。そして、怒 りを出し切った彼女はこの後、射撃をやめるのである。 ニキ・ド・サンファルという存在と「射撃絵画」はあらゆる点から非常にセンセ ーショナルたった。当時は女性の芸術家という存在は現在ほとポピュラーでは なく、ヌーウ、オー・レアリスムに参加した女性は彼女たたひとりであったし、古く は十字軍の時代にまで遡れるというフランスの責族の家系の出身、しかも、か っては『ライフ』なとの一流雑誌の表紙を飾るほとのトップモテルであった美 豸皃の持ち主が、細い体で、大きなライフルを持ち、本物の銃弾をぶっ放すまた、 フェミ二ズムが台頭する前であり、伝統的な受け身で控えめな女性像とはかけ 離れた様子で、男性の戦争の道具であるライフルを手に撃つ姿を人々が見た 時のショックは想像に難くない。註 11 ) 花嫁の無垢な処女性を感しさせる真っ白 な石膏を撃ち、色とりどりに変豸皃させるパフォーマンスは、男性たちが女性に望 む役割に対する反発のようにも見えた。実際に《家長の死》 ( fig. 2 ) では、家長 をシンホリックに殺すことで、男性中心社会に対する反発を示している。この パフォーマンスを伴う「射撃絵画」は、のちに、性の革命とフェミニズムの台頭 とともに活発になった、女性アーティストによるアクションを伴うフェミニズムア ートの先駆的表現でもあった。怒りや心理的藤を直接表現するという特徴 を多くもっていた彼女たちの活動は、ニキ・ド・サンファルの活動をまさに追いか けるものであった。 さらに、ニキ・ド・サンファ丿レは「射撃絵画」で、西洋社会のモラルにおける大 きなタブーを冒している。本展出品作品《カテドラル》 ( cat. no. 11 ) は教会を模 したアッサンプラージュ作品であり、《キンク・コンク》の一部分にも教会が描か れているが、少女時代に聖職者になろうと思っていた彼女は自身の教育の根 幹に深く関わるキリスト教の教会も撃っている ( fig. 3 ) 。「子ともの頃、私はニュ ーヨークの聖心修道院の学校に通っていました。当時私は聖職者になろうと 決めました。しかし、 15 歳の時、最初の疑問を抱きました。 : とうして神を愛す スは未たアルジェリアと戦争をしていたし、アメリカもウェトナムでの新たな戦 争の危機に向かっていた。射撃の行為は、公的な場で、ノヾフォーマンスとして 発表されることにより、その行為が象徴する戦争なとの暴力性をさらけ出すこ とにもなったのである。「射撃絵画」が国際的に過剰なほどメティアやプレスに 取り上けられた理由のひとつは、彼女が芸術において暴力をテーマにしたた けでなく、公にそれを実施したということにもあった。註 7 ) 最初の「射撃絵画」では、絵画をシンホリックに表わした、絵具を埋め込んた 石膏レリーフを撃っていたが、次第に、レリーフに具体的な形態が表わされ、さ らにはファウンド・オプジェクトによるアッサンプラージュに絵具を埋め込み、そ れを撃つようになる。アッサンプラージュの形態の具体性によって、射撃とい う暴力の向けられている矛先が、より明らかにされるのである。 1963 年にアメリカで行なわれた射撃ノヾフォーマンスで、二キ・ド・サンファル は《キング・コング》 ( fig. 1 ) という作品を制作している。これは幅 6 メートルもあ 物 : ニ fig. 1 《キング・コンク》 1963 年、ストックホルム近代美術館 King Kong, 1963 , 276X611 X48.2cm , Moderna Museet, Stockh01m る巨大なもので、彼女の作品に繰り返し現われる多くのモティーフで構成され ている。出産する女性、遊んでいる子ともたち、愛を表わすハート、そして結婚 式の様子が画面の左側に描かれ、まるで彼女が歩んできた人生を示している ようである。しかし、花嫁の相手はメキシコの祭「死者の日」を思い起こさせる 骸骨の姿で表わされている。画面中央には仮面のような政治家たちの顔 ( フ ルシチョフ , ジョン・ F. ケネティ、ド・ゴール、カストロ ) が配置され、その下にアメ リカの国旗がおかれている。画面の上の部分には教会、太陽と死の顔、その下 にモンスターとしてのキング・コング右側には摩天楼があり、飛行機や爆弾が 「 B 〇〇 M 」という吹き出しとともに、爆発している様子が描かれている。摩天楼 の下には巨大な蜘蛛がいる。この作品について、ニキは次のように述べる。 「左側には私自身の生い立ちのひとこまを見ることができま魂 : 出産する女性、 子供時代、青春時代、愛、結婚。花嫁は死と結婚し、そうやって彼女は自らを破 滅に導く決心を示しているのです。右側には戦争の光景が描かれていま魂 ニューヨークが一匹の巨大なモンスターに攻撃されていますこれは、国家の 次元で受け取られるような問題が、未解決の個人的問題として表われている のです《キンク・コンク》は、死の蜘蛛が地球の生存者を貪り食ってしまうとい う醜悪な結末の現代のメルヘンなのです」。註 8 ) この作品が制作されたのは 1963 年 5 月のことたったが、この年の 11 月にケネ ティが暗殺されるのを予告するかのように、ニキ・ド・サンファルは彼に向かっ てライフルを向けている。註 9 ) ニキは生涯にわたって、政治的な関心を強くもっ ていた。彼女のヒューマニスティックで、平和やすべての人間の平等を熱望す る思想は、 1999 年に発行された自伝で、父親ゆすりのものであったと回想して いるが、註 1 。 ) それはのちに、作品で示される黒人をはしめとする社会における fig. 2 《家長の死》 1962 年、シュプレンゲル美術館 ( ニキ・ド・サンファル氏寄贈 ) l-amortdupatriarche, 1962 , 251 X160X40cm, SprengeI Museum Hannover, Schenkung NIki de Saint Phalle 127

8. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

。運命と情熱ど・・・”コレクターが美術館をつくる時 ニキ・トサンファルー私はここにいる、そして私は愛する 年Æ/Chronology 笠木日南子 Here / m. / am the LO レ e 「 。・ YOKÖ増田静江 ( 談ゝ 出品作品リスト / List of Works 主要参考文献 /Selected Bibliography

9. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

置髏 120X100X130cm ニキ美術館 La cabeza Sta 、 00d g は、 , 00000d 9 , 、 0 bled 0000 00d 0 Ⅱ 000 0 0d0 、 000 00 po ツ 0 00 120><100x130cm Niki Museum , Nasu 92 ステップトーテム 2001 年 塗料・金箔、ポリエステル 8()X23X40cm ニキ美術館 Step TOtem 2001 paint and gold af 00 polyester 8()X23X40cm Niki Museum , Nasu 1 19

10. ニキ・ド・サンファル展 NIKI DE SAINT PHALLE

0 90 赤し、髏ーー -- 燭台 1997 年 コンピューター・アクリル塗料・ムラノグラス、木 56.2 X 65 X 40 cm ニキ美術館 Red Skull—℃ andlestick 1997 WOOd with a computer inside, Acrylic paint, Murani glass from ltaly 56.2X65 X40 cm Niki Museum, Nasu 1 18