買っ - みる会図書館


検索対象: フルハウス
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1. フルハウス

家中の鍵を点検してまわる。二階の窓を確かめているとき、階下で音がした。父、そ んなはずはない。多分気のせいだ。しばらく様子を窺ってから部屋に人うた。和室で仰 向けになり、目を閉じてぶっ切れになった眠りの糸の端を手繰り寄せようとしたそのと き、ある記憶が漂い出てきた。 六歳か七歳の夏。父は店、母は妹を連れて歯科に行っていて、西区の家には誰もいな かった。私は扇風機を自分のほうに向けてうつぶせになり、父が古本屋で買ってきた本 のひらがなを拾っていた。そのまま少し徴睡んだのだと思う。 おかん 物音がして目を醒ました。高熱の前にくる悪寒に似たふるえが襲ってきた。隠れなけ れば 、息を殺して玄関のほうに目を凝らしながらあとずさった。廊下に積んである ガ一フクタに身を隠すことに成功した。見つかりませんようにーーー。気のせいだった、そ う思った瞬間、ロを覆われ腕をつかまれ、私の力は男の手に奪われてしまった。男の息 づかいと自分の心臓の鼓動が聞こえた。恐怖が胃のなかで固まって吐きそうだった。私 はあらがわず力を抜いて、目を閉じた。男は下着のなかに手を人れ、木の先端のような ス 指をぐっと私のなかに押し込んだ。脚のあいだに疼痛が走ったが、私ののどは穴のあい おな フた風船のような音をたてただけだった。男はそのときふるえていた。溺れかかっている 人間が流木をつかもうとするかのように男は私にしがみついてきた。 おお まどろ とうつう

2. フルハウス

124 「その壺、この前沖縄に行ったとき、買ってきたの。ママが死んだら骨壺にしてちょう だい、約束よ」 母は私の顔を見ないでそういうと、桃が盛られた皿をテープルの上に置いた。そうい えばこの家に人ってから一度も視線を合わせていない。 やすとも 「このあいだ、血を吐いて病院にかつぎこまれたのよ。康友がたまたま帰ってこなけれ ば、ママ、死んでたかも」 弟の康友とももう三年ほど顔を合わせていない。 「 0 型肝炎ってことは電話で話したでしよ、去年人院するまえに。あら、あんた昨日お そかったの ? 顔むくんでるわよ。コーヒー飲む ? 」 「いい、水飲むから」 「ほんとうに逢うだけだよ」私はバッグからエビアンのペットボトルをとり出した。 なぜここにくる気になったのか、あの速達のせいだとしか思えない。男の妻が母とそ つくりだったら、と考えて声をたてて笑った。 「あんた、つきあってるひといるんでしよ」 台所にいる母が声をはずませた。

3. フルハウス

もう一度恫喝するようにいった。 「早く、消して ! 」 私はとなりの椅子にあったリモコンを手にとり、テレビを消した。私に向かう老女の 表情がはじめて和んだ。 「ふたりで話があるから、この子を連れて散歩でもしてきてくれるとねえ」 はせでら 「鎌倉山に美術館があるし、その先に長谷寺があるから、坂をあがって、わかるでし よ ? 」母は急に早口になった。 私が立ちあがると、ゆきとは老女の手を離れ、手紙でもたたむようにていねいに四つ 折りにしてあった上着に袖を通した。 がまぐち 「これで好きなもの買いなさいな」玄関の外まで追いかけてきた老女は、蝦蟇口から五 百円玉を一枚とり出してゆきとのズボンのポケットに人れた。 ゆきとはもう外に出てしまったのに、私は指先が汗ばんで靴ひもをなかなかむすべな い。横に立っている老女の視線を感じる。ゆっくりと私のスニーカーから膝へ、腹部か やら胸へとすべりあがってくる老女の視線は熱を帯びていた。 外は酷い暑さだ。ゆきとは私の二の腕をしつかりとっかんだ。しかし初対面の男に腕 をつかまれているという嫌悪感はまったくない。歩きはじめると指の感触を忘れたくら ひど どうかっ そで

4. フルハウス

一階で風呂掃除の道具と卵とハムと葱を買い、天井に貼られた鏡のなかの自分を見守 りながらエスカレーターに乗った。 二階でおりた私はハンバーガーやソフトクリームを販売しているカウンターに近づき、 にんぶ 立ったままハンバーガーを食べ、買物をするひとたちを見物した。妊婦に手を引かれた 五、六歳の女の子が私をじっと見ている。私は女の子から目を逸らさず、ハン・ハーガー そしやく す ひきにく を咀嚼する自分の歯の音に耳を澄ました。このケチャップと挽肉の味はいつまでも口に 残りそうだ。妊婦は女の子の手をぐいと引いてエスカレーターのほうへ歩き出した。妊 婦は女の子の耳もとになにかささやいたが、女の子は首をよじって私に小さな目玉を残 したままエスカレーターの下に消えていった。 ゴミ処理場の煙突を目印にすれば迷わないだろうと、来た道を戻るのはやめ当てずつ ぼうに帰ることにした。 空地の雑草のなかに赤い色が見える。近寄ると、屍体のように横たわった自転車だっ ビニール袋を地面に置いて自転車を起こしてみると、新品とはいえないまでもきち ス んと動く。拾うことにした。もし誰かにとがめられたら交番に届けに行くところだとい しあん フえばいいと思案して、ビニール袋をハンドルにかけて空地からひつばり出した。通りに 出て自転車に乗ろうと試みたが、ビニール袋のせいでバランスがとれないのでひいて帰 ねぎ したい

5. フルハウス

ミリはつまずいたような音をたててから、受信ランプを点滅させた。白い紙が流れてく ひっせき るより一秒早く電話線を引き抜いた。もうだれの筆跡も見たくない、だれの声も聞きた ほにゆうびん くない、だれにも逢いたくない。ペットボトルを哺乳瓶のように両手でつかんで、飲む。 すいま ぬるんだ水で胃が満たされるのを計って、睡魔は私の背中をさすりはじめる。眠気にあ らがって目を開けていようと、両手を顔にかざしたが、その両手で顔を覆い、ふたたび 眠りに堕ちてしまった。 塹壕から顔をのぞかせるようにしてあたりをうかがうと、部屋はタ闇に沈んでいる。 私は突然ゆきととの結婚を決意する。仕事をはじめられそうな気がする。ワンカット描 けたら電話のコードを差し込み、新聞と郵便物をポストから出し、食べ物を買いに行こ う。この何日かは歯も磨かなければ髪も梳かさず鏡ものぞかなかった。熱い湯とせつけ んの泡で気分がよくなるにちがいない。 浴室の扉を開ける。洗面台や浴槽にへばりついている髪の毛をトイレットペー 、。、ジャマを脱いで便器の上に置き、まだ つまみとる。栓をひねって勢いよく湯を出しノ 湯のたまっていない浴槽のなかで膝をかかえた。インターフォンが鳴っている。宅急便 か速達だろう。湯は腰のところまできている。急に眠くなる。目を瞑る。 湯をしたたかに飲み、せきこんだ。湯はざあざああふれている、栓をひねって止め、 ざんごう お

6. フルハウス

8 「もしかしてお父さんからなにも聞いてない ? 」 こんらん 、私はますます混乱した。 親戚ではないとしたらいったい しんこく 「じゃあびつくりしたでしよ」座りなおした女は、わざとらしいほど深刻な表情になっ こうない 「あのね、ここにきたのは一週間前、そのまえはあたしたち横浜駅の構内でホームレス してたんです。三週間くらいかしら、三週間もよ。夏だったのが不幸中の幸いで、冬だ ったら家族四人凍え死んでたところよ」 あいだ けいい はだの 女の話をそのまま信じるとすれば、経緯はこうだ。彼らは秦野市の春日町で〈会田電 ふわたり 気〉という電気店を経営していたが不況のあおりで不渡を出して倒産した。歩いて十分 くま - もと げきやすてん のところに開店した激安店に客を奪われたのが致命的だったという。熊本にある男の兄 の家に身を寄せようということになって荷物をまとめ、最後に残った三十万を手にして、 そうてつ おだきゅう 小田急線から相鉄線に乗り継いで横浜に着いたときに・ハッグをあけると、三十万を人れ ちゃぶうとう ておいた茶封筒がなくなっていた。掏られたのだと女はいう。 でんしんかわせ にい 「主人が義兄さんに電話かけて、郵便局に電信為替送ってくれるように頼んだの。そし めいわく たら、迷惑だからくるなっていわれたのよ。あたし、どうしようかと思っちゃった」 えんえん 「それで父とは」延々とつづきそうな女の話を断ち切って口をはさんだ。女の話がつく す かすが

7. フルハウス

あいづち は男のほうに目をやって相槌を求めたが、男は無視して庭から勝手口のほうに姿を消し た。このふたりはいったい何者なのかとぼんやり考えはじめたが、ジーンズを脱いだま までいることに気づいて、あわてて足を突っ込んだ。 「いい、いい、そのままで。暑いでしよ」男は勝手口から台所に人ってきた。 「あのね、だれか知らない男が人ってきたら、家のなかに逃げ込んじゃだめ。はだしで もなんでもいいから外にね、逃げるのよ」女はソフアのすみに腰をおろした。 「この部屋にはエアコンがついてないんだよ。でもとなりの和室のエアコンをつけて扉 せんぶうき を開けつばなしにしてさ、大型じゃなくちゃだめだけど、扇風機を廊下に置いて冷たい すず 風をこの部屋に送りこむんだよ。そうすりやけっこう涼しくなる。扇風機を買ったほう がいいな」男は鳥打帽をダイニングテープルの上に置いた。 しんせき たず 父方の親戚だろうか。幼いころに逢っている可能性があるので訊ねることはできない。 あす 「ついこのあいだもね、その先の高瀬さんち、空き巣に人られたんですって」 「二階にはどの部屋にもついてんだけどな、エアコン」 男と女の話は決して交わらない。 はな 「なにか飲みますか」と訊くと、「いいわよお、そんなこと気にしないで」華やかに笑 った女の頬骨の盛りあがりに気づき、私はそれを父の笑顔に重ねた。やはり父方の親戚

8. フルハウス

以前あなたがおっきあいなさっていたカメラマンの亀田さんの奥さまは精神を病ん で薬を飲んでいらっしやるとか。主人は、気をつけろよ、もしそうなったら僕は罪の 意識にさいなまれて自殺するかもしれない、としんみりした声で申しまして、私を抱 きしめたのです。もちろん私はそんな甘い言葉でだまされる女ではございません。ど うかご心配なさらないでくださいませ。 こんな手紙を他人さまに差しあげることがどんなにつらく恥ずかしいことか、あな たにおわかりになるでしようか。こうやって書く言葉が私を切り刻むのです。あなた みつこく と関係を持ってから、主人はたいせつなものをどんどん失っています。密告すること よめい になるかもしれませんが、主人はもう余命いくばくもないからだなのです。どうか主 人のまえではくれぐれも煙草をお吸いにならないようお願いいたします。こう書けば 病名をお察しいただけますよね。 もちろん責任の一端は主人にもあります。申しあげておきますが、私は離婚するつ もりは毛頭ございません。どうかこれ以上主人を苦しめることはやめてください。主 や人はあなたの別れるというひと言を待っているのです。このまま関係をつづけるのな もら、結果的に主人を殺すことになってしまいます。

9. フルハウス

吉春くん」 父は一家の顔をまともに見ようとはせず、そのままテープルについた。女が背後から 「タごはん、すぐしたくしますから」といってもわずかにうなずくだけだった。少女と ぎようし 少年はロを固く閉じて父を凝視している。私も父の目をのぞいているのだが、その目は かた あらぬ方に向き、唇は言葉を見つけようとしてもがいている。私は父の右手に目を止め た。包帯を巻いている。 「どうしたの」 「昨日、缶詰を開けようとして、切った」 「缶のふた ? 」 「四針も縫った」父はその瞬間を噛みしめるようにいい、立ちあがってぎこちない動作 で買ってきた食料を冷蔵庫にしまいはじめた。女は「あたしやりますから」と父を押し おおなべ 退けてビニール袋のなかのものをかたづけ、カレーが人った大鍋をレンジにかけた。 「かおる、ドレッシングつくるの手伝って」 少女は母親に手渡されたボウルを受け取り、泡立て器でかき混ぜた。それまで腰を浮 かして成り行きを見守っていた男はほっとして椅子に座り、夕刊を広げた。少年はテレ そうさ ビのリモコンでチャンネルを操作した。

10. フルハウス

ギターの内部で響く音色にも似たその声は、私に何度も何度もささやきかけてきた。そ あわだ してそのたびに私の胸は泡立ち、充たされた。ゆきとは私の額に接吻した。まぶたに、 かたよ ほほに、首にーー・・、数日前のことなのに記憶が徴妙に偏ってきている。たしかに鮮明に こんにゆう おぼえているのだが、さまざまな感覚が混人し幻覚のように感じられる。 男が内線で私を呼んだのは十時近かった。 「いまみんな帰った」 私は机の上の。ヘットボトルを冷蔵庫に人れて二階におりた。 扉を開けると、男は音をたてて鼻をかんでいた。 「ちょっとかぜっぽくて」 「この部屋冷房ききすぎじゃない ? 」 「そう ? いま、窓を開けるよ」 男は立ちあがって窓を開けると、眼鏡越しに私を見た。 「怒った ? 」 「べつに。眠ってたから」 「食べてないのかあ、おなかすいてるでしよう。ぼくはみんなと食べちゃったんだけど、 食べに行くんならっきあうよ」 せつぶん