一角獣 - みる会図書館


検索対象: 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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1. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

167 角があるわけだものね。またレオナルド・ダ・ヴィンチによれば一角獣の捕えかたはひとっ しかなくて、それはその情欲を利用することなの。若い乙女を一角獣の前に置くと、それは ひざ 情欲が強すぎるために攻撃することを忘れて少女の膝に頭を載せ、それで捕えられてしまう のね。この角が意味することはわかるでしょ ? 「わかると思う」 ほうお・つ ン 「それに比べると中国の一角獣は縁起の良い聖なる動物なの。これは竜、鳳凰、亀と並ぶ四 ずいじゅう 種の瑞獣のひとつであり、三六五種の地上動物のうちではいちばん上の位にあるの。性格は ンきわめて穏かで、歩くときはどんな小さな生きものをも踏みつけないようにするし、生きた 草は食べず、枯れ草しか食べないの。寿命は約一千年で、この一角獣の出現は聖王の誕生を みごも レ 意味する。たとえば孔子の母が彼を身籠ったときに一角獣を目にしているのね。 イ かりゅうど きりん 『七十年後、とある狩人たちが一頭の麒麟を殺したところ、その角には孔子の母が結びつけ ひも ておいた飾り紐がまだついていた。孔子はその一角獣をみに赴き、そして涙を流した。なぜ 9 ならこの無垢の神秘な獣の死が何を予言するのか感じとったし、その飾り紐には彼の過去が あったからだ』 おもしろ どう、面白いでしょ ? 十三世紀になっても一角獣は中国の歴史に登場してくるのよ。ジ せつこう ンギス汗の軍隊がインド侵入を計画して送り込んだ斥候遠征隊が砂測のまん中で一角獣に出 会うの。この一角獣は馬のような頭で、額に角が一本あって、からだの毛は緑色で、鹿に似 ていて、人間のことばをしゃべるのよ。そしてこう言ったの。お前たちの主人が国に帰るべ かめ

2. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

「われわれは宇宙の意味について無知なように、竜の意味についても無知である」と彼女は 読みあげた。「これがこの本の序文ね」 「なるほど」と私は言った。 それから彼女はずっとうしろの方のしおりをはさんであったページを開いた。 「まず最初に知っておかなければならないのは一角獣にはふたつの種類があるということな の。まずひとつはギリシャに端を発する西欧版の一角獣であり、もうひとつは中国の一角獣 ンなの。そのふたつでは姿かたちも違えば、人々の捉え方もぜんぜん違うのよ。たとえばギリ シャ人は一角獣をこんな風に描写しているの。 おじか 『これは胴体は馬に似ているが、頭は雄鹿、足は象、尾は猪に近い。太いうなり声をあげ、 ポ一本の黒い角が額のまん中から三フィート突き出している。この動物を生け捕りにするのは 一不可能だといわれている』 それに比べて中国の一角獣はこんな具合。 の「これは鹿の体をしていて、牛の尾と馬の蹄を持つ。額に突き出している短かい角は肉でで かっしよく 世きている。皮は背で五色の色が混じりあい、腹は褐色か黄色である』 ね、ずいぶん違うでしょ ? 」 「そうだね」と私は言った。 「姿かたちだけではなく、その性格や意味あいも、東洋と西洋ではがらりと違うの。西洋人 ど・つも・つ の見た一角獣はひどく獰猛で攻撃的ね。なにしろ三フィートっていうから、一メートル近い 166 ひづめ いのしし

3. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

げる。その前に一角獣の話をしましよう。そもそもはそれが私を呼んだ本来の目的だったん でしよ、つ ? ・ 私は肯いて空になったふたつのグラスを手にとって床に置いた。彼女は私のペニスから手 ートランド・クー をどかし、枕もとの二冊の本を取った。一冊はバ ーの『動物たちの考古 学』で、もう一冊はボルへスの『幻獣辞典』だった。 「ここに来る前に私はこの本をばらばらと読んでみたの。簡単に言うと、こちらの方は ン りゅう ( と言って、彼女は『幻獣辞典』を手にとった ) 「一角獣という動物を竜や人魚のような空想 とら ンの産物として捉えたものであり、それからこちらの方は ( と言って『動物たちの考古学』 の方を手にとった ) 「一角獣が存在しなかったとは限らないという立場から、実証的にアプ ルローチしたものなの。でもどちらも一角獣そのものについての記述は残念ながらあまり多く 垰はないの。竜や小鬼なんかについての記述に比べるとちょっと意外なほど少ないわね。たぶ 一ん一角獣という存在がすごくひっそりとしているせいじゃないかと私は思うんだけど : 申しわけないけど、うちの図書館で私が手に入れることができたのはこれだけなの 「それで十分だよ。一角獣についての概略がわかればいいんだ。ありがとう」 彼女はその二冊の本を私の方にさしだした。 「もしよかったら君が今その本を簡単にかいつまんで読んでくれないかな」と私は言った。 「耳から入ってきた方がアウトラインをつかみやすいんだ」 彼女は肯いて、まず『幻獣辞典』を手にとって、はじめの方のページを開けた。

4. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

私は一角獣の頭骨を手に入れた やれやれ、と私は思った。どうしてこんなに妙なことばかり起るんだろう ? 私が何をし たというのだ ? 私はただの現実的で個人的な計算士なのだ。とりたてて野心もないし、欲 もない。家族もいないし、友だちも恋人もいない。なるべく沢山貯金をして、計算士の仕事 を引退したらチェロかギリシャ語でも習ってのんびりと老後を送りたいと思っているだけの ン 一男なのだ。いったいどんな理由で一角獣とか音抜きとか、そんなわけのわからないものに関 ンわらなくてはならないのだ ? ワ 私は二杯めのオン・ザ・ロックを飲み干してからへ 、、、ツドルームに行って電話帳を調べ、 ル図書館に電話をかけて、「リファレンスの係の方を」と言った。十秒後に例の髪の長い女の 子が出てきた。 「「図説・哺乳類」ーと私は言った。 「アイスクリームど、つもありかと、つ」と彼女が言った。 ししカはワ・ 「どういたしまして」と私は言った。「ところでもうひとっ頼みがあるんだけど】 ) 、 「たのみ ? 」と彼女は言った。「頼みの種類によるわね」 「一角獣について調べてほしいんだけれど」 「いっかくじゅ、つつ・・と彼女は繰りか、んした。 「頼めないかな ? と私は言った。 139

5. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

しているの。いわば片輪のようなものね。でもそういった欠点にもかかわらず犀が生きのび おお ているのは、それが草食獣であって、硬い甲板に覆われているからなの。だから防御の必要 がほとんどないのね。そういった意味では犀は体型的に見ても三角恐竜によく似ていると言 えるの。でも一角獣は絵で見るかぎり確実にその系列にはないわね。甲板に覆われてもいな いし、とても : : なんてい、つか : : : 」 「無防備」と私は言った。 ン 「そう。防御に関しては鹿と同じくらいね。そのうえに近眼ときたら、これは致命的よ。た きゅうかく ンとえ嗅覚や聴覚が発達していたとしても、退路をふさがれたら手も足も出ないわね。だから ワ 一角獣を襲うのは高性能の散弾銃で飛べないあひるを撃つのと同じようなものなのよ。 それから一角であることのもうひとつの欠点は、その損傷が致命的だという点にあるのね。 要するにスペア・タイヤなしでサハラ砂漠を横断するようなものなのよ。意味はわかる ? 」 一「わかる」 「もうひとつの単角の欠点は、力を入れにくいという点にあるの。これは奥歯と前歯を比較 すると理解しやすいわね。奥歯の方が前歯に比べて力を入れやすいでしょ ? これはさっき もいったカのバランスの問題なの。末端が重くてそこに力が入れば入るほど総体は安定する のね。どう ? これで一角獣が相当な欠陥商品であることがわかったでしょ ? 」 「よくわかった」と私は言った。「君はとても説明が上手いよ」 彼女はにつこりと笑って、私の胸に指を這わせた。「でもね、それだけじゃないの。理論 171

6. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

170 ちあたると、力学上三本とも相手の体につきささらないという可能性も生じるわけ。 だれ それから、これは複数の敵を相手にする場合のことなんだけれど、角をぶすりと誰かにつ きたててそれをひっこ抜き、次の誰かに向うのに三本の角ではやりにくいのね」 「抵抗が大きいから時間がかかる」と私は言った。 「そのとおり」と言って彼女は私の胸に三本の指を突き立てた。「これが多角獣の欠点。命 題その一。多角獣よりは一一角獣あるいは一角獣の方が機能的である。次に一角獣の欠点ね。 いや、その前に二角であることの必然性を簡単に説明しておいた方がいいかもしれないわね。 ワ 二角であることの有利な点は、まず動物の体が左右対称にできていることね。あらゆる動物 ルは左右のバランスをとることによって、つまりカを二分割することによって、その行動。ハタ ポ ーンを規定しているの。鼻だって穴はふたつあいてるし、ロだって左右対称だから実質的に 一はちゃんとふたつにわかれて機能しているわけ。おへそはひとつだけど、あれは一種の退化 器官だしね」 たず の「ペニスは ? 」と私は訊ねた。 世「ペニスとヴァギナは、これはあわせて一組なの。ロール。ハンとソーセージみたいにね」 「なるほど」と私は言った。なるほど。 「いちばん大事なのは眼ね。攻撃も防御もこの眼をコントロール・タワーとして行われるか ら、その眼に密着して角がはえているというのがいちばん合理的なわけよ。いい例が犀ね。 犀は原理的には一角獣だけれど、ひどい近眼なの。犀の近眼はそれが単角であることに起因

7. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

きときが来たってね。 『ジンギス汗の中国人の大臣のひとりが相談を受け、その動物は麒麟の一種で《角瑞》とい うものだと彼に説明した。〈四百年の間、大勢の軍隊が西方の地で戦ってきた〉と彼は言っ きら た。〈流血を忌み嫌う天は、角瑞をとおして警告を与えているのです。後生ですから帝国を お救い下さい。中庸こそ際限なき喜びを与えるのです〉皇帝は戦いの計画を思いとどまっ ン せいひっ ダ 東洋と西洋では同じ一角獣といってもこれだけ違うのね。東洋では平和と静謐を意味する ン ワ ものが、西洋では攻撃性とか情欲とかを象徴することになるんだもの。でもいずれにせよ、 ふよ 一角獣が架空の動物であり、それが架空であればこそ様々な特殊な意味を賦与されたという ポことには変りはないと思、つわ」 「一角の獣はほんとうに存在しないの ? 「イルカの一種にイッカクというのがいるけれど、正確に一言うとこれは角ではなくて、上顎 のの門歯の一本が頭のてつべんで成長したものなの。長さは約二・五メートルで、まっすぐで、 世角にはねじ模様がドリルみたいに刻みこまれているのよ。でもこれは特殊な水生動物だし、 ほにゆうるい 中世の人々の目に触れることはあまりなかったでしようね。哺乳類でいうと、中新世にあら われては次々に消えていった様々な動物の中には一角に似たものがいなくはないわね。たと えば と言って彼女は「動物たちの考古学』を手にとって、前から三分の二あたりのところを開 うわあご

8. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

は今のような台地の形をしておらず、いわば外輪山のような格好をしていて、その中に特殊 な生命体系が存在していたという仮説をたてたの。つまりあなたの言、つ「失われた世界』 ね , 「外輪山 ? 「そう、まわりを険しい壁に囲まれた円形の台地。その壁が何万年という歳月を経て崩れ落 ち、ごくあたりまえのなだらかな丘になったのね。そしてその中に進化の落とし子たる一角 ン みず 獣が天敵もなくひっそりと棲息していたというわけ。台地には豊富な湧き水もあったし、土 ひょく ン地も肥沃だったから、この仮説は理論的には成立し得るわけ。それで教授は計六十三項目に ワ わたる動植物・地質学上の例証をあげ、一角獣の頭骨も添えて、「ヴルタフィル台地におけ に提出したわけ。 ルる生命体系についての考察』という題の論文をソヴィエト科学アカデミー これが一九三六年の八月のことなの 「たぶん評判が悪かったことだろうね」と私は言った。 「そうね、ほとんど相手にもされなかったみたいね。それから具合の悪いことに、その当時 モスクワ大学とレニングラード大学のあいだでは科学アカデミーの実権をめぐる争いがあっ て、レニングラ 1 ド側はかなり旗色が悪く、そういったいわば「非弁証法的』な研究は徹底 して冷や飯を食わされていたのね。でもその一角獣の頭骨の存在だけは誰にも無視すること はできなかった。というのはなにしろ、仮説とはべつにちゃんとまぎれもない現物かそこに 存在しているわけだものね。それで何人もの専門学者が一年がかりでその頭骨を調査したの せいそく

9. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

したくちびる しばらく沈黙がつづいた。たぶん下唇をかんでいるんだろうと私は想像した。 「一角獣について、私が何を調べればいいの ? 」 「ぜんぶ」と私は言った。 まぎわ 「ねえ、もう今は四時五十分で、閉館間際のすごおく忙しいときなのよ。そんなことできな いわ 9 どうして明日の開館いちばんに来ないの ? そうすれば一角獣だろうが三角獣だろう ン 一一か、なんだって好きに調べられるじゃない」 ン 「とても急いでるし、とても大事なことなんだ」 ワ 「ふうん」と彼女は言った。「どの程度大事なことなの ? ル「進化にかかわることなんだ」と私は言った。 ポ「しんか ? と彼女は繰りかえした。さすがに少しは驚いたみたいだった。たぶん私のこと ←を純粋な狂人か狂ったように見える純粋な人間のどちらかだと思っているのだろうと私は推 測した。私は彼女がどちらかと言えばあとの方を選んでくれることを祈った。そうすれば少 終 しは私に対して人間的な興味を抱いてくれるかもしれない。しばらく無音の振子のような沈 の 世黙かつついた。 「進化って、何万年もかけて進行するあの進化のことでしょ ? よくわからないんだけど、 それがそんなに急を要することなの ? 一日くらい待てるんじゃないかしら」 「何万年かかる進化もあるし、三時間しかかからない進化もあるんだよ。電話で簡単に説明 できるようなことじゃない。でも信じてほしいんだけど、これはとても大事なことなんだ。 140

10. 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

るよ、つだった。 は何度もそれを叩いて、やっとその正確な位置をさぐりあてることができた。そのくう んという音は頭骨の額にあいた直径二センチほどの浅いくばみから聞こえてくるのだ。私は 指の腹でくばみの中をそっとなでまわしてみた。普通の骨とはちがう少しざらりとした感触 があった。まるで何かが暴力的にもぎとられたような、そんなかんじだった。何か ン とえば角のような : 角 ? ン ワ もしそれがほんとうに角だとすれば、私が手にしているのは一角獣の頭骨ということにな ルる。私はもう一度「図説・哺乳類』のページを繰って、額に一本だけ角のはえた哺乳類をさ がしてみた。でもどれだけ探しても、そんな動物はいなかった。犀だけがそれにかろうじて 一該当したが、 大きさと形状からして、それは犀の頭骨ではありえなかった。 AJ 私は仕方なく、冷蔵庫から氷をだしてオールド・クロウのオン・ザ・ロックを飲んだ。も かんづめ 終 う日も暮れかけていたし、ウイスキーを飲んでもよさそうな気がした。それから缶詰のアス の 世パラガスを食べた。私は白いアスパラガスが大好きなのだ。アスパラガスを全部食べてしま うと、カキのくんせいを食。ハンにはさんで食べた。そして二杯めのウイスキーを飲んだ。 私は便宜的に、その頭骨のかっての持ち主を一角獣であると考えることにした。そう考え ないとものごとが前に進まないのだ。