だろう。でも大事なリンクかひとっ抜けている。僕には唄というものをひとっとして思いだ すことができないんだ」 「唄じゃなくてもいいわ。その手風琴の音を少しだけでも私に聴かせてくれることはでき る ? 」 「できるよ」と僕は言った。そして書庫を出てストーヴのわきにかかったコートのポケット ン から手風琴をとりだし、それを持って彼女のとなりに座った。両方の手をパネルについたバ ン ンドにはさみ、いくつかのコードを弾いてみた。 ワ 「とてもきれいな音だわ」と彼女は言った。「その音は風のようなものなの ? 」 「風そのものさと僕は言った。「いろんな音のする風を作りだして、それを組みあわせて いるんだ」 彼女はじっと目を閉じてその和音の響きに耳を傾けていた。 と僕は思いだせる限りのコードを順番に弾いてみた。そして右手の指でそっと探るように音 終階を押さえてみた。メロディーは浮かんでこなかったが、それはそれでかまわなかった。僕 世はただ風のようにその手風琴の音を彼女に聴かせればいいのだ。僕はそれ以上のものは何ひ とっとして求めないことに決めた。僕は鳥のように心をその風にまかせればいいのだ。 僕には、いを捨てることはできないのだ、と僕は田 5 った。それかどのように重く、寺には暗 いものであれ、あるときにはそれは鳥のように風の中を舞い、永遠を見わたすこともできる のだ。この小さな手風琴の響きの中にさえ、僕は僕の心をもぐりこませることができるのだ。
永遠の生ーーーと私は考えてみた。不死。 私は不死の世界に行こうとしている、と博士は言った。この世の終りは死ではなく、新た なる転換であり、そこで私は私自身となり、かって失い今失いつつあるものと再会すること ができるのだ、と。 そのとおりかもしれない。ゝ しや、たぶんそのとおりなのだろう。あの老人は何もかもを知 っているのだ。彼がその世界が不死であると言うのなら、それは不死なのだ。しかしそれで ン も私にはその博士の言葉は何ひとっとして訴えかけてはこなかった。それはあまりにも抽象 ばくぜん ノ的にすぎるし、あまりにも漠然としすぎていた。私は今のままでも十分に私自身であるよう ワ な気がしたし、不死の人間が自分の不死性についてどう考えるかなんて、私の想像力の狭い ル範囲をはるかに超えた問題だった。一角獣や高い壁が出てくるとなるとなおさらだ。まだ 垰『オズの魔法使い』の方がいくぶん現実的であるような気がする。 いったい私は何を失ったのだろう ? と私は頭を掻きながら考えてみた。たしかに私はい ろんなものを失っていた。細かく書いていけば大学ノ 1 ト 一冊ぶんくらいにはなるかもしれ ない。失くしたときはたいしたことかないように思えたのにあとで辛い思いをしたものもあ れば、逆の場合もあった。様々なものごとや人々や感情を私は失くしつづけてきたようだっ た。私という存在を象徴するコートのポケットには宿命的な穴があいていて、どのような針 と糸もそれを縫いあわせることはできないのだ。そういう意味では誰かが部屋の窓を開けて 首を中につつこみ、「お前の人生はゼロだー と私に向って叫んだとしてもそれを否定でき 233
て き知がそ つ地 る と ける かす たで ロ にと ク いやて勤をれ な巣たな 並な ちみ 、め発力 壁ま表明 とあ をす と神 はた のた厚かたみ でち い ん出 でで すき 時・宮 をた 間球あた一寄 いと れけ い誰にす でと か速 だがなか ら にあ こ向 かた 下通 で電鉄ら 鉄り かな は灯にで に抜 はけ い明 気て 。る まそ すん 奴く つ お絵 お画て面たで て よ館下に狭す 下あ と備 もが いか いな ろ間 でて 壁お んに 圧 破で局れ 線で でや時も は確 そし、 か座右ろかな お 気そ つ とし、 のれ て 131 おやわ く ろ の の は か さ ろ つ ろ し みかま り ま る わ しかすす国 出 ロ で は 約 い と ろ で よ っ の ろ は お り 27 な出れはがは お で ま折場 れ と場た の い か 。ら そかさ ら と青 り わ銀は 線 ハードボイルド・ワンダーランド り し ワ っ と は で し よ 二神手あ道参え ん ま し駄たり ケ てだ迷 し、 た い 兄兄 に技 の て少う 月リ り う方にず る と 、承ら しそ知千芫曲 て っ し、 に に折巣 か よそ ? 外 く わ ら ん いが明 に は本り す り く つ で な 冫ロ 宮 かのお 表を は道 い つ と ろ で は な い 占 ケ プ ル を 食 丁ぎく る んすが 処 月リ と 青 山 目 の ま 中 あ た り 出 る と な る と の あ た り は い つ た ど な で す ク ) と ろ 防 る と し、 っ も の な り を 晩 は ら しを唯 つ く し て ノ、 塞す り て下な お鉄こ ワ つ 地 、下カ を乗す り すはて る当知 しち世 しかな ん し ら いらな し ) る ど つ し て そ る に し ) ん で お谷やね 向 。ま 山そす多私 の道み間正 く つ い道な で のか地 る . て 、が と ・つ
「だからどこからのぶんでも払うって言ってるんでしょ ? どこからならいいんですか ? 「そんなこと私にわかるわけないじゃないですか」 たど どこにも辿りつかない論争をつづけることが面倒臭くなったので私は千円札を一枚置いて 勝手に外に出た。うしろから駅員の呼ぶ声が聞こえたが、我々は聞こえないふりをして歩き つづけた。もうすぐ世界が終ろうとしているというときに地下鉄の切符の一枚や二枚のこと でこれ以上わずらわされるのはうんざりだった。よく考えてみればだいたい私は地下鉄に乗 ン ってもいないのだ。 ン地上には雨が降っていた。針のような細かい雨だが、 地面や木はぐっしよりと濡れていた。 ワ おそらく夜のあいだずっと降りつづけていたのだろう。雨が降っていることは私の心をいく ぶん暗くした。今日は私にとって最後の貴重な一日なのだ。雨なんか降ってほしくない。 イ 日か二日からりと晴れてくれればそれでいいのだ。そのあとで—・・バラードの小説に出 てくるみたいな大雨が一カ月降りつづいたって、それは私の知ったことではないのだ。私は さんさんと陽光の降りそそぐ芝生に寝転んで音楽を聴きながら冷たいビールを飲みたいのだ。 それ以上の何かを求めているわけではないのだ。 しかし私の思いに反して雨の降り止む様子はなかった。・ ヒニール・ラップを何重にもかぶ おお せたようなばんやりとした色の雲が一分の隙もなく空を覆っていて、そこから間断なく細か い雨が降りつづけていた。私は朝刊を買って天気予報を読みたかったが、新聞を買うために はまた地下鉄の改札ロの近くまで行かなくてはならなかったし、改札口まで行けば駅員との や すき
に与えられた使命は終ったし、あとは技術的な作業にすぎんから、そろそろ辞めたいと『組 なぜ 織』に申しでた。しかし彼らはなかなかそれを許可してくれんかったですな。何故なら私は そのプロジェクトについて知りすぎておったからです。今その段階で私が記号士たちのもと すいほう に走ったら、シャフリング計画は水泡に帰してしまうかもしれんと彼らは考えたわけです。 すなわ 彼らにとっては味方でないものは即ち敵ということになるのです。三カ月待ってくれ、と彼 ン らは私に頼みました。その研究所の中で自分の好きな研究をつづけてくれ。仕事は何もしな ダ ン くていい、特別なボーナスも払う、ということでした。三カ月のあいだに厳重な機密保持シス ワ テムを完成させるから、出ていくのはそのあとにしてくれ、とね。私は生まれつきの自由人で すから、そんな風に自分の体が束縛されるというのは非常に不央だったですが、まあ話として イ ポは悪くないです。それで私は三カ月そこで好きなことをしてのんびりと暮すことにしました。 しかし人間のんびりするとロクなことはせんもんです。私は暇にまかせて被験者ーーっま りあんたがたですな・ーー・の脳のジャンクションにもうひとつべつの回路をとりつけることを の思いついた。三つめの思考回路です。そしてその回路に私の編集しなおした意識の核を組み 世こんじまったわけです 「どうしてまたそんなことをしたんですか ? 」 「ひとつにはそれが被験者にどういう効果を及ぼすか見てみたかったということがあるです な。他者の手によって秩序づけられ編集しなおされた意識が被験者の中でどのように機能す るか、ということを知りたかったわけです。人類の歴史の中でそういう明確な例はひとつも ンス
世界の終りと ハードホイルド・ ワンターランド 村上春樹 世界の終りと ードボイルド・ワンダーランド ( 下 ) 9 7 8 41 01 0 01 5 5 7 く私〉の意識の核に思考回路を組み込 んだ老博士と再会したく私〉は、回路 の秘密を聞いて愕然とする。私の知 らない内に世界は始まり、知らない 内に終わろうとしているのだ。残さ れた時間はわずか。く私〉の行く先は 永遠の生か、それとも死か ? そし て又、〔世界の終り〕の街からく僕〉は 脱出て、きるのか ? 同時進行する一 つの物語を結ぶ、思外な結末。村上 定価 : 本体 514 円 ( 税別 ) 春樹のメッセージが、君に届くか ! ? 新潮文庫 村上春樹の本 螢・納屋を焼く・その他の短編 世界の終りとハードボイルド・ ワンダーランド ( 上・一ド ) 雨天炎天 村上朝日堂はいほー ねじまき鳥クロニクル 第 1 部泥棒かささぎ編 ねじまき鳥クロニクル 第 2 部予言する鳥編 ねじまき鳥クロニクル 第 3 部鳥刺し男編 村上春樹 の本 安西水丸 象工場のハッヒ。ーエンド 村上朝日堂 村上朝日堂の逆襲 日出る国の工場 ランゲルハンス島の午後 1 9 2 01 9 5 0 0 5 1 41 ( 下 ) I S B N 4 ー 1 0 ー 1 0 0 1 ろ 5 ー 9 C 0 1 9 5 \ 5 1 4 E てい む 5 5 カ 新潮文庫 司 修 カバー印刷錦明印刷デザイン新潮社装幀室 \ 5 1 4
「人は年をとるんだ」と私は言った。「たとえ冷凍されていてもね」 「元気でね」と彼女は言った。 「君もね」と私は言った。「君と話せてなんだか少し楽になったような気がするよ」 「この世界に戻れる可能性が出てきたから ? でもそれはまだできるかどうかわからないし、 とても 「いや、そうじゃないんだ。もちろんそういう可能性がでてきたことはとてもありがたい。 うれ ンでも僕が一言うのはそういう意味じゃなくて、君と話せたのがとても嬉しかったっていうこと さ。君の声が聞けて、君が今何をしているかというのがわかったことがね、 「もっと長く話す ? 」 ポ「いや、もうこれでいいよ。時間があまりないからね ←「ねえ」と太った娘が言った。「怖がらないでね。あなたがもし永久に失われてしまったと しても、私は死ぬまでずっとあなたのことを覚えているから。私の心の中からはあなたは失 のわれないのよ。そのことだけは忘れないでね」 世「忘れないよ」と私は言った。そして電話を切った。 十一時になると私は近くの便所で小便を済ませ、公園を出た。そして車のエンジンを入れ、 冷凍されることについていろいろと思いを巡らせながら港に向って車を進めた。銀座通りは ビジネス・スーツを着た人々でいつよ、。こっこ。 ( しオオ信号待ちのあいだ私はその中に買物をして いるはずの図書館の女の子の姿を探し求めたが、残念ながら彼女は見あたらなかった。私の 338
おるし、電車もひっきりなしに走っておる。なにしろ今はラッシュアワーですからな。やっ との思いでここを抜けだして電車に轢かれてもつまらんでしよう」 「気をつけましよう」と私は言った。「ところであなたはこれからどうするんですか ? システム 「脚もくじいておるし、今外に出たところで『組織』や記号士に追いかけられるだけだ。し ドばらくここに隠れておるですよ。ここにおれば誰も追ってはこれん。幸い食料も頂きました ラしな。私は少食だから、これだけあれば三、四日は生きていけるです、と博士は言った。 「どうぞ先に行って下さい。私の心配はいらんですよ」 ワ 「やみくろよけの装置はどうするんですか ? 出口まで行くには装置がふたっ必要だし、そ ルうすればあなたの手もとには装置がひとつも残らないことになる」 もど 「孫娘を一緒につれていきなさい」と博士が言った。「この子があんたを送ってからまた戻 一つてきて私を連れだしてくれるです」 「それでいいわよ」と孫娘が言った。 の「でももし彼女の身に何かがあったらどうするんですか ? もしつかまってしまうとか、そ 世んなことになったら ? 」 「つかまらないわと彼女は言った。 「心配はいらんです」と博士は言った。「この子は年のわりには実にしつかりとしておる。 私は信用しておるです。それにいざとなれば非常手段がないわけではない。実は乾電池と水 と薄い金属片があれば、即席のやみくろよけができます。原理的にはまあ簡単なものでして、 132
「みんないろんなことを感じるけど、それを正確にことばにできる人はあまりいない 「小説を書くのが夢なんです」と彼女は言った。 「きっと良い小説が書けるよ」と私は言った。 「どうもありがとう」と彼女が言った。 「でも君みたいに若い女の子がポプ・デイランを聴くなんて珍しいね」 「古い音楽が好きなんです。ポプ・デイラン、ピートルズ、ドアーズ、 ン ソクスーーそんなの」 ン「一度君とゆっくり話したいな」と私は言った。 ワ 彼女はにつこり笑ってほんの少し首を傾けた。気の利いた女の子というのは三百種類くら いの返事のしかたを知っているのだ。そして離婚経験のある三十五歳の疲れた男に対しても 平等にそれを与えてくれるのだ。私は彼女に礼を言って車を前に進めた。デイランは『メン 一フィス・プルーズ・アゲイン』を唄っていた。彼女に会ったおかげで私の気分はすいぶん良 3 くなった。カリーナ 18 0 0 e ・ツインカムターポを選んだかいがあるというものだ。 パネルのディジタル式の時計は四時四十二分を示していた。街の空は太陽を見失ったまま 夕暮に向おうとしていた。私は込みあった道路をのろのろとした速度で私の家の方向に走ら せた。雨の日曜日でただでさえ道が込んでいる上に、緑色の小型スポーツ・カーがコンクリ わき要ら ート・プロックを積んだ八トン・トラックの脇に鼻先をつつこんでしまったおかげで、交 ) ん本 : = = ロカカ、つつカ 通は悲劇的なまでに麻痺していた。緑色のスポーツ・カ 1 は空の段ボーレ ~ 目こ隹、 まひ ーズ、ジミ・ヘン
私はまず電車で銀座に出て、〈ポール・スチュア 1 ト〉でシャッとネクタイとプレザ 1 コ ートを買い、アメリカン・エクスプレスで勘定を払った。それだけを全部身につけて鏡の前 に立ってみると、なかなか印象は悪くなかった。オリーヴ・グリーンのチノ・ ンツの折り めが消えかけているのが多少気になるが、まあ何から何まで完全というわけには、 しカはい ネイビー・プルーのフラノのプレザー・コートにくすんだオレンジ色のシャッというとりあ ン ふんいき わせはどことなく広告会社の若手有望社員という雰囲気を私に与えていた。少くともついさ ン つきまで地底を這いまわっていて、あと二十一時間ほどでこの世界から消えていこうとする ワ 人間には見えない きちんとした姿勢をとってみると、プレザ 1 コートの左の袖が右より一センチ半ばかり短 かいことがわかった。正確には服の袖が短かいのではなく、私の左腕が長すぎるのだ。どう してそうなったのかはよくわからない。私は右ききだし、とくに左腕を酷使した覚えもない のだ。店員は二日あれば袖を調節できるからそうすればどうかと忠告してくれたが、私はも のちろん断った。 世「野球のようなものをやっておられるのですか ? 」と店員がクレジット・カードの控えを渡 しながら私に訊いた。 野球なんかやっていない、 と私は言った。 「大抵のスポ 1 ツは体をいびつにしちゃうんです」と店員が教えてくれた。「洋服にとって いちばん良いのは過度な運動と過度な飲食を避けることです」 236