が描かれ , サント・トメの壁画の天上界の先駆をなすものであろう . それより更に奇妙なのは , このく聖マウリシオ の殉教》の一年前に描かれたとされるくフェリーベ二世の夢》 ( 図 16 ) で , これは , 天空に現われたイエス・キリストの御 名を周囲に群がり参じる天使の大群が拝し , 下界では , 前景に教皇ピウス五世 , フェリーベ二世 , ォーストリアのド ン・ファン提督 , ヴェネッィア総督らが中心となって , 背後に連なる無数の大衆と一緒にいっせいに跪いて , 天空に 現われたイエス・キリストの御名を仰いで拝する . 奇妙な構図で , すばらしい想像力の所産だと驚嘆する . フェリー 二世たちの一群のすぐ右側の背後では , 地獄の怪魚レヴァイアサンの巨大な口が開かれて , そのなかで多数の裸の 人体がうごめき , なかにはまだ骸骨が肉体で覆い尽されていない人体もある . 最後の審判に先立って死んだ人々全体 の復活の場面で , 天使たちの吹くラッパの音に墓石をあげて死んだ人々が蘇生してくるマタイ伝に拠るラテン教会系 統の復活に対して , これはヨハネ黙示録に拠るギリシア教会系統の復活の図像の一要素で , 「海はその中にある死人 よみへデース を出し , 死も陰府〔地獄〕もその中にある死人を出したれば , 各自その行為に随ひて審かれたり . かくて死も陰府も火 いのちふみ の池に投げ入れられたり . この火の池は第二の死なり . すべて生命の書に記されぬ者はみな火の池に投げ入れたり . 」 と黙示録第 20 章の終りに記されている怖ろしい光景が展開している . 地獄の中から人々が蘇生してくる光景の背後は 真赤に燃える火の湖で , すでに小さく黒く幾人かの人が投げ込まれている . その傍 , 中ごろに「死」があって , そこで 多勢の群衆がひしめきあい , それに隣接する左側の遠方は「海」で , そこから丘辺の彼方に無数の群衆が続々と蘇生し くフェリーベニ世の夢》 部分 て来る . 中景では , もう近くに集まってきた群衆が一緒になって , 天空に現われた御名を仰ぎ拝している . 光はこの 御名から放射され , 発散して , 天空の天使の大群を照らし , 暗闇の地獄や地上世界まで神秘の光にほの暗く照らし出 されている . キリストの御名は , 最後の審判の預言として天空に現われる . プラント教授が指摘しているように , 1571 年のレバントの海戦の勝利を記念し , 勝利の指揮官オーストリアのドン・ファン提督の死 ( 1578 年 ) を悼んで描か れた図とすれば , ドン・ファン提督の私審判図であるが , 何れにせよビザンティンの「最後の審判」図像に従って構成 された極めて幻想的な画面である . 天上界や , 地獄・煉獄・海・火の湖といった現実を超えた世界に , フェリー 世や教皇ピウス五世たちまで喚び入れられ , まさにフェリーベ二世の夢幻である . 《オルガス伯の埋葬》の天上界は , まぐ 10 年足らず以前に描いたこのくフェリーベ二世の夢》の天空の場面から発しているものであろう . ともに審判図に関係 するものである . グレコは , かの言い伝え通りなら , ミケランジェロの描いたシスティーナ礼拝堂のく最後の審判 > の 大壁画に非常な感銘をうけ , この圧迫感に反挑する心の奧底の秘かな反抗心が暴発して , あの不遜な言葉となって現 われたのであろうが , 中世以来の図像伝統の上に , 彼なりに「最後の審判」図の構想をば秘かに練っていたに相違な い . それが , スペインに来て , このような作品となって現われたので , ここでも以前のイタリア時代からの考えが初 めて実を結んだことになる . ミケランジェロの《最後の審判》でも , 階級式に , 天使の群れ , 審判のキリスト , その両 側に並ぶ使徒たち , 次の階に審判を待つ蘇生した善悪の男女の群れ , さらに天国と地獄と配置される中世以来のラテ ン教会の図像配置の反映を残している . いくつかの群れに分けて , 中央の高所に立って審判を行なうキリストの周囲 に , 下から左右二列に積み重ね , 高所で連結する方式をとっている . ミケランジ = ロは , ルネサンスの合理的な遠近 図法による方式と彫刻家らしい群像および高浮彫りの方式とを併用してこの大構図を組み立てたのであるが , 画家グ レコは , 専ら , 線的遠近図法の方式と明暗調による空気遠近法の方式とをもって , この伝統的な多層 , 多区劃の構図 を近世的な統一あるヴィジョンに溶解しようと工夫している . 彼はミケランジェロよりも , もっと視覚的なイメージ としての統一を求めたのである . たしかに , 幾つものグループが繋ぎ合わされているぎこちなさはあるが , 天空は御 名を中心に半円形に大きく天使の大群が見事な遠近法をもって配列されて統一を作り , 下界の分立する光景を覆っ リムネー くフェリーベニ世の夢 > 部分
9 聖処女の婚礼 1613 ~ 14 年 ( 図 60 ) プカレストルーマ ニア国立美術館蔵 呪われた都市風景を通じて露呈されている . ラオコーンの画は彼の遺作第一目録に大小 3 城門の前に木馬が立っている . グレコの劇的感情が救済のない人々の肉体を通じ , また , は , さらに三人の裸体人物が立って見つめている . 遠景のトロヤはトレドの遠景で , その ーンは倒れ , 一人の息子はすでに息絶え , もう一人は大蛇に腰を噛みつかれる . 右端に も深い感銘を与えたに相異ない . 最晩年になって , これの追憶がここに結品する・ラオコ しい作品を残している . ヴァティカンのラオコーンの群像はローマ滞在中の若いグレコに 語を取り上げて , 物怖ろしい都城風景を背後に , 死と戦い悶える肉体の群れを描き出す珍 これを阻止せんとして大蛇に噛み殺されるトロヤの神官ラオコーンとその二人の息子の物 最晩年のグレコは , 古代ギリシアの叙事詩『イリオス』の初めに語られる木馬の策略と , ワシントンナショナル・ギャラリー藏 ラオコーン 1610 ~ 14 年 ( 図 62 ) て描き記す心理的肖像であり , 同時にそれを越えた霊魂的な映像である . に近い , 対者の観察を深めて , 肉体的 , 物質的な外貌を越えて , その精神的性格に共感し と最晩年を提案した・少なくとも 1600 年代初めのくアントニオ・デ・コバルビアスの肖像 > とあまり似ていない . 制作年代について 16 世紀末年とする説が多いが , マイエルは 1609 年 するが , 他のいくつもの作品のうちで指摘され , 彼の自画像ではないかと推測されるもの へ・マヌエルの目録に記載されているくわが父の肖像》という作品にあたるのではないかと この一老人の肖像は , グレコの自画像ではないかと従来言われてきたものであり , ホル ニューヨークメトロポリタン美術館蔵 ある老人の肖像 ( グレコの自画像 ? ) 1595 ~ 1600 年 ( 図 61 ) ドのく五旬節》 ( 図 51 ) の中で右から二人目に現われていることを指摘している . 人がグレコの顔であろうとウェゼイは推定している . また彼は全く同じ老人の顔が , プラ 品に見られるような細々した神経はない . なお , ョセフとシメオンの間に現われている老 引き立てている . タベーラ病院のための一連の制作としているのが通説であるが , 他の作 豊かに響き渡り , 床の粗い碁盤目とバックの縦縞の建築細部の明暗が人物たちの生動感を さくした姿にかえってモニュメンタルな大胆さが現われている . ョセフの衣服の黄金色が る . 三人の立像を中心に , 立ち会う人々も背後に添える . 単純な構成であるが , 頭部を小 いたという生々しい感じがする . 神官シメオンがマリアとヨセフの手をとって結び合わせ この画はグレコの最後の作品の一つであろう . ョセフの左手は描いている途中で筆を擱 点 , 第二目録に大作 3 点が記載されている . くラオコーン》
派な画に描き直すと言って , ローマ中の怒りを買ってスペインに逃げて行かねばならなかったというジリオ・マン チニの伝える有名な挿話は , 若いグレコがこの壁画に非常な関心を持ち , 生意気な競争心を密かに燃やしていたこと が暴露したものと見做すことができよう . ティントレットの芸術の核心である激情的な人体表現の根源にぶつかった のである . システィーナ礼拝堂では , 天井といわず壁といわず , さまざまの思想を担ったあらゆるタイプの人体のあ らゆるポーズの尨大なコレクションが展開されている . 下の地面から上は , 大壁面が真空を想わせる青一色のノヾック に , ただ褐色の人体の無数の塊だけで作り上げている一大世界である . また , 若いミケランジロの傑作 , ヴァティ カンのサン・ピエトロ大聖堂のピエタの彫刻をはじめ , サン・マルティノ・ソプラ・ミネルヴァ聖堂の復活のキリス ト像 , サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリのモーゼ像など親しく観察していたに相違ない . なぜなら , これらの彫像 か後のスペイン時代のさまざまな制作のうちになんらかの影を投じているからである . ミケランジロの影響は , や はりスペインへ行きトレドで最初の大制作を手がけた時にも , はっきりと現われてくる . サント・ トミンコ。・ .- 工ノレ・ アンティグオの祭壇画で , く三位一体》 ( 図 4 ) でもく復活 > でも , ミケランジ = ロの美しくしかも堂々としたトルソの反 映が窺われる . < 復活 > ではミケランジロのデッサンを知っていたのではないかという . トレド大聖堂のく聖衣剥奪 > ( 図 7 ) のキリストの権威ある姿もミケランジェロ的である . ドヴォルシャックの名論文が指摘しているように , グレコには確かにマニエリスモの側面がある . 美しい大理石の トルソをそのまま写し出したような優美な姿のく聖セノヾスティアヌスの殉教 > ( 図 13 ) や , ニアルコス・コレクションの くピエタ > ( 参図 9 ) のキリストは , ミケフンジ = ロのトルソを模倣しながら , 優美なアラベスクの旋律を加えた先輩の マニエリストたちの作品と一緒に並べることもできるかも知れないほどである . 彼らのようにグレコもく聖衣剥奪》の 構図でデ = ーラーの版画からヒントを得ている . くフリーベ二世の夢》 ( 図 16 ) やく聖マウリシオの殉教 > ( 図 17 ) では , 中景 , 遠景と主人物たちとの空間的関係は , 合理的な実際的な遠近関係を無視して , 観念的な配置に服従している . ミケランジェロの晩年の大作 , ヴァティカンのパオリーナ礼拝堂のく聖ペテロの磔刑》やくサウロの回心》の壁画に見ら れるような , 主場面とその周囲の中景 , 遠景の諸場面との非合理的空間関係が , これらグレコのスペイン時代初期の 作品では一層誇張されて取り上げられているといってもよい . 画に観念的内容を豊富に複雑に盛りこんで説明的に物 トレチェント 語らせるために , 1300 年代の聖者伝図絵では , 主場面の周囲にそれと時間的に前後する事件を中景 , 遠景として別個 の小場面に配置するという便法をしばしば採用しているが , マニエリスモの時代には , このような説明的絵画がしば しば宗教上の新画題の提示のためとか , 文学上思想上の凝った新主張の提示のために用いられたのである . グレコは , やはりサント・ドミンゴ・エル・アンティグオの祭壇画制作で , もう一人のイタリアの大家の影響を明 らかに示している . それはく牧者礼拝》の画におけるコルレッジオのく夜》の影響であって , 当時はこの名作がまだパル マにあったのであるから , グレコはヴェネッィアからここに立ち寄って十分に観察したのであろう . く夜》の構図とと もに光線法が , 後の時代のグレコの同じ主題の作品のみならず , 他のさまざまの作品のうちにも反映しているのであ るから重要である . この場面も , ノヾロック的な現実の人物 , 物体の存在を強調するという光線法ではなく , むしろ人 物たちゃ諸物を包む暗闇のなかに , 光自体を意識させる神秘的効果が意識されているので , マニエリスモの観念性に 連なる関心が現われている . さらにパルマの大聖堂やサン・ジョヴァンニの天井画の構想も後の彼の天空の構図に無 関係ではない . こう見てくると , グレコがイタリアで学んだところがいろいろと現われ , 花開き実を結ぶのは , スペインへ行って からで , トレドの最初の 2 , 3 年間にそれらが一斉に現われている . しかも , 多様な大作の数々となっている . サント く聖衣剥奪 > 部分
がれて墓に降ろされようとするところが , 会葬者たちよりも一層鮮かに , 同じく肖像画的な画法で写実的に描き出さ れている . ただ一人 , 息子のホルへ・マヌエル少年がこれら三人に対抗する現実性をもって最前列に現われている . 聖ステパヌスは , 美しい青年の顔で天使のようであるが , もっと個性化されている . 聖アウグステイヌスは厳かな白 髯の老人で , サント・ドミンゴ・エル・アンティグオのく三位一体》 ( 図 4 ) の父なる神のタイプを借りて , やはりもっ と鋭く現実化している . 真黒な衣装の会葬者たちを背景にして , 黄金色の二聖者の姿が鮮かに現われ , オルガス伯の 光沢ある鎧姿と , 左端の修道士姿と , 右側の黒服に白い薄い上衣をはおった助祭の姿が中間調の役割をする . 黒と暗 灰色と白の配合の中から黄金色を厳かに輝き出させようというので , まことに珍しい色彩の組み合わせである . しか も , 光沢ある暗緑色の鎧を着けたオルガス伯を , 地上では最も輝かしい黄金色の間に置いて静かに納め , 色彩効果と 色彩の象徴主義を二つながら満たしている . グレコが色彩を重要視したことは , べラスケスの岳父で画家であると同 時に美術論にも優れたパチェーコとの対話で , デッサンよりも色彩が重要であると語った事が伝えられているが , 確 かに , グレコは色彩に重要な役割を担わせていた . 彼は肖像画のように人物を描写しながら , 単なる明暗調のモドレ で仕事しているのではなく , 色点 , 色斑点 , 色面が暗黒色の陰影のなかから光に照らされた形を記して , 極端にいえ ば色彩のタッチを主として , 形は暗示的に描いてゆくので , しばしば何か意味を担ったほとんど抽象的といえるよう な色の面が画面のなかで叫び声のように響き出る . く聖衣剥奪》のキリストの衣の赤がその著しい例である . くオルガ ス伯の埋葬》の下半部の中央に輝く主色調の黄金色がそうである . この地上の埋葬の場面は , 夜中 , 松明をともして 行なわれた儀式で , この場面の光は奇跡の光明であって , その光源が上半部の天空の場面にある . この天空の最上段にキリスト , その下の左右に聖母 , 洗礼者聖ヨハネが並んで中軸となり , そこに下界から白い人 形のようなオルガス伯の魂を捧げて戻ってくる黄衣の天使が参加する . 私審判の場面であって , 左右には多数の天使 たち , 使徒たち , 預言者たち , 聖者たちが群れをなして , 厚い雲の幾重もの層の間に現われる . キリストの上半身を 包む黄金色の光がそのまま全体の光源となる . 実際には教会堂聖所の天井の窓から採光されているので , この自然光 線の下降する方向と一致して , 画面はすこぶるよい光線で照らされている . しかし , 天上界は地上の場面とは全く違 った光に照らされて , 霊魂の世界を象っている感じがする . 天上は , 無数の大小の存在の姿で満たされながら , 黄金 の光をはじめ , キリストの白い衣も , 聖母の赤と青の衣も , さまざまの人々の黄や青 , 赤の衣も , 抽象的な色彩とし て透明に感じられ , 物質性から最も解放された光に近い存在 , 霊的な存在として感じられる . グレコは , サント ミンゴ・エル・アンティグオのく聖母被昇天》やく三位一体》で , 天使たちの群がる瑞雲たなびく天上の光景を描いた が , 天に昇る聖母でも , 天上の三位一体でも , 天使たちでも , 特に天上的な姿態はとっていない . ルネサンスの美術 家たちが描いてきた天上の神や聖母 , 天使たちの姿を踏襲して , わずかに衣装の色彩の純度を強くして天上的な表現 を与えようと試みているのみである . サント・トメのくオルガスイ白の埋葬》に見られる天上界の表現は , これからのグレコの大形の宗教画像に重要な要素 として存在することとなるので , 注意して考察しなければならない . 晩年の聖画像では , く牧者礼拝》やくキリストの 洗礼》からくキリストの復活 > , く聖母被昇天 > , あるいはく無原罪のお宿り》等にいたる大聖画像に , この天上界の表現 方法の影響が著しく現われるのである . サント・ドミンゴ・エル・アンティグオの大祭壇画制作と , トレド大聖堂の く聖衣剥奪》の大祭壇画制作を実現した後 , フェリーベ二世のためにく聖マウリシオの殉教 > ( 図 17 ) を描いたが , この複 雑な構図をもった大作は国王の御気に召さず , ついにその国王からの注文を断念するに至ったが , この大構図の天空 には光輝く瑞雲のうちに , 殉教者たちの勝利を讃える天使の群れが棕櫚の葉や月桂樹の冠を手にして舞っている光景 0 くオルガス伯の埋葬 > 部分 くオルガス伯の埋葬 > 部分
( 図 45 ) ~ 1600 年 聖アンデレと聖フランシスコ 1590 マドリード プフド美術館藏 二人の聖者の並び立つ画像をいくつか描いているが , そのなかで最も優れた グレコは , ほとんど等身大の二聖者を画面いつばいに描き , 足許に雪山を遠望する山地 作品である . 風景を添え , 大きく背面を占める空の左半分を暗く右半分を青空として , 随所に雲を漂わ せる . 聖アンデレの緑色の外衣が鮮かな色調を作り , 右腕を包む青い衣服と黒い布で引き 締められ , 白髪白髯の顔面の積極的な精神へと注意を集める . 黒い布を伴った殉教の斜十 字架が際立ち , 褐色の衣に身も頭も包んで聖痕の手を胸にあて , 慎ましやかに頭を傾ける 聖フランシスコの姿と対照的である . この重厚な姿は色調が単純であるだけ , 太い繩や衣 の襞 , 右側の陰影に強調されて , 頼もしい感を備えている . 右下の紙片に署名がある . 聖母子と聖女マルティナと聖女アニエセ 1597 ~ 99 年 ( 図 46 ) ワシントンナショナル・ギャラリー蔵 トレドのサン・ホセ礼拝堂はマルティン・ラミレスの創建するところで , はじめ聖女テ レジアとその修道女たちのために修道院を建てる意図であったが , 施主が 1569 年に死んで 遺言執行人は計画を変更して , この礼拝堂を建立することとし , 1594 年に献堂された . グ レコは , 1597 年 11 月 9 日の契約で , ここの主祭壇と両側の祭壇の制作を引き受けた . 1599 年 12 月 13 日に支払いが行なわれた . ここには , 主祭壇のく聖母戴冠》とく父ョセフとキリス ト》の 2 作が名指されているのみであるが , 両側の祭壇のく聖母子と聖女マルティナと聖女 アニエセ》およびく聖マルティネス》 ( 図 47 ) の作もこの時に発注され , 出来上がったものと されている . この画は , 右側の祭壇を飾っていたもので , 美しい聖母子を囲んで , 左右に雲の中から 天使が現われ , 拝んでいる . 聖母の頭を囲む黄金の光のまわりに , 多数の小天使たちの頭 が浮かび出る . 聖母の赤い衣服に青い上衣の色合いが深味のある優美さを示す . 足許の二 聖女の姿も優れている . 仔羊を抱く聖女アニエセの繊細さ , 棕櫚葉を持ち獅子の頭をなで ている聖女は , 獅子の頭から , 聖女テクラと見做されたこともあったが , 寄進者との関係 から聖女マルティナとするのが通説 . 幾分 , 後補の筆を認め , 例えば聖女アニエセの赤朱 色の衣をウェゼイは後補とする . 優秀な出来栄えの作で , グレコの晩年の聖画像の神秘的 な画境に入ろうとするところが窺えて興味深い . 聖マルティネス 1597 ~ 99 年 ( 図 47 ) ワシントンナショナル・ギャラリー蔵 この名画もトレドのサン・ホセ礼拝堂のために描かれたもので , 右下端に署名がある . フランスのトゥールの司教であった聖マルティネスは , 少年時代 , ローマの軍務に服して いた折 , 北仏の冬の日 , 裸の乞食に出会って , 自分の外套を裂いて半分与えた . 夢にこの 半分の外套を着て , キリストが現われて , 天使たちに告げたという奇跡である . グレコは 騎士の国スペインの現実のなかに , 昔の聖者伝の一節を鮮かに描き出している . 青年騎士 の鎧姿もその白い乗馬もすばらしいデッサンで , 彼に寄り添う裸の少年も柔軟な弾力ある トルソを対照的に生かしている . 馬の足許には , 青空の下に , トレド遠望を織り込んだ暗 い幻想のような景色が描かれ , その暗いバックから , 夢幻の如き鮮かな白馬の姿が聖マル ティネスと乞食の少年と共に現われてくる . 《父ョセフとキリスト》 トレドサン・ホセ礼拝堂 く聖マルティネス〉
( 図 49 ) では明暗と色彩を激しく対立させる . また白昼の事件であるくキリストの洗礼》 ( 図 48 ) も , グレコは大胆に画面 の地色を黒仄色で満たし , その中に地上の大きな裸形のキリストと洗礼者聖ヨハネの姿を墨色で囲みながら表わし , 青や赤の衣を持って降りてきた赤や黄や緑の衣を着た天使たちも , 闇の中から現われ出たかのように描いている . 天 上の神も , 無数の天使たちも , 暗闇の中から精霊の光で照らし出されたかの如くである . プラド美術館のく牧者礼拝 > ( 参図 13 ) では , 夜の厩に生まれたての御子を訪れる牧者たちも , 聖母マリアとヨセフ , 空の天使たちも , みな , イエ スの発散する光に照らされて夜の深い闇の中から , 強く彩られて現われる . ここで , グレコの人体の丈長いデフォルマシオンにも触れなければなるまい . 色面と陰影とが覆う画面構成の上か ら要請されるところが大きいから , サント・ドミンゴ・エル・アンティグオの祭壇画は , デッサンでも彩色でも , ル ネサンス以来の古典的な様式の基準が守られているし , くオルガス伯の埋葬》でも , 地上の人物たちは自然な姿態が保 たれ , 天上界の彩色やデッサンにおける脱物質性の強調とともに , 一部 , たとえば洗礼者聖ヨハネの姿などに丈長い プロポーションが現われてきた . その後 , 16 世紀末に近づくにしたがって , 頭部の小さい丈長いプロポーションが頻 繁となり , 縦長の構図をいよいよ好む彼の傾向とともに , それを満たすためにも増長された . トレドのサン・ホセ礼 拝堂のための制作く聖マルティネス》 ( 図 47 ) やく父ョセフとキリスト》 ( 参図 (1) , マドリードのドニア・マリア・デ・ア ラゴンの修道院教会堂の祭壇画《キリストの洗礼》 ( 図 48 ) , くお告げ》 ( 図 54 ) など , この丈長いプロポーションの人体で 調和よく縦長の画面に納まっている . デフォルマシオンが目立つのは , 最晩年のイリ = スカスの病院のための祭壇画 トレド郊外のタベーラ病院のための祭壇画くキリ ( 図 56 ) , プラド美術館のくキリストの復活》 ( 図 50 ) , く五旬節》 ( 図 (1) , ストの洗礼》 ( 図 52 ) やトレドのサンタ・クルス美術館のく無原罪のお宿り > ( 図 55 ) であるが , 数多くの人像群がそれぞれ の担う意味と役割に応じて配置されながら , すきまなく全画面を満たしているので , 最も美術的に充実した感を与え る . ミケランジロの最晩年のくピエタ》像で , 物質性を脱した丈長い人体が霊魂の上昇する動勢に従ったごとく , グ レコの最晩年の人間像も , 光のうちに物質の闇を脱却して , 霊魂のリズムに協和する丈長い姿をとるに至った . これ らは , かってロマネスク彫刻の一部で到達した形態であった . グレコは , 有名なネオ・プラトニスム神学のプシウド ・ディオニシオス・アレオパギテースの『天上の階級』を所有していたので , 彼もまたこの光の神学を読んで , 九階級 の天使群に満ちた天空 ( 図 55 参照 ) を想像し , 闇から光へ , 物質から霊魂への上昇を夢みていたであろう . グレコは , その心的雰囲気を伴った肖像画的人間像の絵画で , スペイン絵画史の父となった . べラスケスがグレコ に学んだところは大きい . しかも , グレコを真に理解するためにはイタリアに留学して , 空気遠近法の妙を識る必要 があった . さらにグレコの光の絵画を理解し , グレコの色彩の精神性を知るまでには一生涯かかった . ゴヤもまた , グレコによってべラスケスが「魂」の肖像画を教えられたごとく , べラスケスを通じて絵画のうちに深い心理の世界の 展開することを教えられ , 人間を心理的 , 生理的魔力のうちに把えることを知った . ゴャの「黒い画」は 19 世紀の , 17 世紀に対する答案 , グレコに対する答案であり , く裸のマノ、》がく着衣のマハ》より神秘的なのは , 肉体が露呈されてい るからではなく , それによって魂そのものが露呈されているからである . ピカソはグレコによって「青の時代」を作っ ールレアリズム的人像は , 人体に獣心を求める 20 世紀の , グレコに対する解答である . 20 世紀はグ た . ピカソのシュ レコを復活して , ふたたび祭壇に祀った . うまや く無原罪のお宿り > 部分
ものペテロやアンデレの立姿の聖画像を描いているが , 彼らの雄弁な身振りをしたタイプに現存感を与えようと , 直 接に光線にあたった老人の顔を観察したかの様に , 光と陰の効果を細かく追求した姿に仕上げている . く三位一体》や く聖母被昇天》 , く復活 > , く牧者礼拝》のような大構図で , 神やキリスト , 聖母の如き神聖な存在の描出にも , このよう な点が窺われる . 聖家族の画 ( 図 34 , 35 , 46 参照 ) では , 彼が近親者たちの間から , ョセフやマリア , アンナなどのモデ ルを求めて描いたのではないかと思うほど , 中流の家庭の雰囲気が漂っているものがある . 聖画像における約束的に定まったタイプをとる聖者たちの画像が , 多くの場合 , 肖像画的筆法をもって描出される ということを指摘したが , 逆に宗教画の大構図に現われる世俗人物の群像が肖像画的筆法で描かれながらも , その人 物たちの属している社会的なカテゴリーの一タイプにならって , 皆同じような顔立ちや仕草をしているという点が注 意される . く聖衣剥奪》 ( 図 7 ) の卑賤な群像でも , くオルガス伯の埋葬》 ( 図 27 ) に列席するトレドの紳士たちの群像でも , それぞれ皆似通った顔をしていて , いわばある類型的な顔を中心にそのヴァリエーションで成立している感じがあ る . 正面向き , 横向き , 仰ぎ見ているタイプ , 下を見ているタイプと変化をつけるが , く聖衣剥奪》でキリストを取り 囲む卑しい群衆は , 親類同士のような顔立ちをしている . オルガス伯の会葬者たちも , 似通った顔つきの紳士たちの 間に , アントニオとディエゴのコノヾルビアス兄弟とか , サント・トメの司祭ヌニエスとか数名の際立った本当に肖像 らしい顔が混っているのである . 紳士たちも , 人間集団のあるカテゴリーを代表する顔つきに拠っている . その中心 のモデルは騎士階級の代表としてのオルガス伯の顔らしい . この人間カテゴリーの類型という考えは , これを極端に 固定すれば中世美術の常套手段になる . ルネサンスもこれに写実的な姿態を与え , 自然らしく生かすが , 安定した類 型である点では変わりない . カルバッチオのヴェネッィアの祭礼行列など , 男女貴賤それぞれのいわば新しく作り出 された理想的タイプが繰り返されている . 近世の画家たちは , もっと現実らしさを与えるため , 実際に写生して得た ような画像をもって類型を表わすことになる . ルーベンスの《村の祭り》は踊り騒ぐ農民男女の大群を写生画のように 描きながら , 全体を通じる農民タイプを出している . 類型というものについては無意識的に考えていて , 背後から筆 を操作したに相違ないが , もつばら現実の興味に惹かれて筆を走らせたの観がある . レンプラントのく夜警》でも , 自 警団の一人一人が勇敢な市民だという個人的な姿で力強く描出されながら , 市民階級というカテゴリーは結果として 現われる . グレコの群像では , 類型という観念が先行して , 類型を現実化するために肖像画的描法を援用している . それだけ , マニエリスモ的側面があるといえる . この人間類型への関心が , 特に肖像画的手法による一群の聖者画像 を描かせることになる . く聖アンデレと聖フランシスコ > 部分 宗教画構図の特殊性 くオルガス伯の埋葬 > 部分 ここで再び , グレコ芸術の最高峰といわれるくオルガス伯の埋葬》を振り返って見よう . 下半分は地上の光景で , 居 並ぶ会葬者たちは群集肖像の形式をとっていることはすでに述べたが , そこでは最初の殉教者聖ステパヌスが現実の 豪華な衣装をつけた若い助祭の姿で , 聖アウグステイヌスがこれまた現実の司教の一層豪華な衣装をつけ , 司教帽を 被った司教の姿で , 14 世紀に死んだ高徳のオルガス伯がこれまた当時の鋼鉄の鎧を着せられて , 二人の大聖者にかっ
復活のキリストが光源となって発散する光線に照らされて描かれている . そして , この兵士たちが示すようなイタリ アで学んだモデル臭の残っている人体を , 本当にグレコ自身の人体に消化し尽すのも , 彼自身の観照体験を深化して ゆく過程からであって , その到達点がくオルガス伯の埋葬》 ( 図 27 ) なのである . そして , これに至る過程でいくつかの 祭壇画を描きながらも , 彼の「視覚」の深化を一歩一歩示すものは有名なく毛皮の婦人》 ( 図 9 ) , く口ドリゴ・デ・ラフ ェンテの肖像 ? 》 ( 図 15 ) やその他一連の無名の紳士像 , 単独聖者像など優れた肖像画的制作である . すでにジュリオ・クロヴィオの肖像でも , 執拗に描き出された顔の与える印象は , 執念深く眼底に残るものである が , グレコは , 肖像画のうちに相手の性格をとらえ , 心理の機微を抉って描き出すということはもちろんであるが , 彼の人物には共通な強い精神的表現があって , スペイン時代の初期から急にこの特徴が目立ってくる . 眼差しに深い 精神集中の表情が現われる顔が見出されるのもこの頃からで , 大きな眼をして , しばしば濡れたような眼球の表情に 内的感動の激しさを示すことも , 女性の場合のみならず , く聖衣剥奪》のキリストの顔や , 初期の聖フランシスコ , 悔悟の聖ペテロの顔などに見出される . 同時に内省的な内に沈んだ眼差しも思考の深さを現わす表情として , より広 く , く聖女ヴェロニカの聖顔》 ( 参図 7 ) はじめ , 聖母や聖者たちの顔に現われてくる . く毛皮の婦人》では世俗の一婦人 の表情に , 慎ましやかで感受性豊かな内省的な精神の機微を示して , 神秘的な雰囲気で包んでいる . グレコは外的相 貌の類似や , 単なる性格の描写ということだけではなく , 顔貌を一種の精神的雰囲気で包む相手の魂の肖像画へと近 づいていった . アビラの聖女テレジアや , サン・ファン・デ・クルスなど , 当時の宗教家が , 熱烈に神の愛の恵みを 個人の魂に直接に感受する願いを喚び起こしていたトレドの精神的環境に , グレコがまったく無関心でいたはずはあ るまい . これと同時に彼の肖像画は , 光のなかに相手の顔貌をとらえてゆくので , この観察は , 同時に観照している自分の 意識が相手の深い心理と共鳴し , 霊的なものと共感しているかの如きグレコを感じさせるものがしばしばある . くア ントニオ・デ・コノヾルビアスの肖像》とか , く参事員ポシオの肖像》とか , 晩年の彼の肖像画の傑作を眺めていると , 別にこれといった特に神秘化を装うものはないのに , 深い観照に導きこまれて , 魂の肖像画とでも名づけたくなるよ うな体験をする . これらは何れも , 「印象派」的なタッチで光を記し , 明と暗の微妙な響きを記しながら , すばらしい 顔を浮かび出させている . 0 くアントニオ・デ・コパルビアスの肖像》 パリルーヴル美術館蔵 物・一一 1 ア く福音書記者聖ヨハネ》部分 このような心理的 , 精神的な肖像画法がグレコの聖者画像に独特な迫真性を賦与している . キリスト教聖画像にお いて , キリスト , 聖母 , 十二使徒から聖フランシスコ , マグダフのマリア , パドヴァの聖アントニウスなど高名な聖 者たちは , 中世以来 , 教会で定められた相貌のタイプがあり , しばしば定まった服装 , 持物が附随して表わされるこ とになっていて , ルネサンスはこれに自然主義に基づいた現実の人間らしい顔貌 , 姿態 , 服装を性格と業績に応じて 与え , あるいは古典的な様式美を加味した . さらに宗教改革はその現世的表現を強めたが , 各聖者像の性格 , 特徴の 約束は乱さなかった . グレコのトレド時代初期のく悔悟のマグダラのマリア》 ( 参図 5 ) やく瞑想の聖フランシスコ》 ( マド 聖画像と宗教画における人物像
120 リ第 黙示録第五封印 1608 ~ 14 年 ( 図 63 ) ニューヨークメトロポリタン美術館蔵 ヨハネ黙示録第 6 章 9 ~ 11 節の「第五の封印を解き給ひたれば , 曾って神の言のため , あかし 又その立てし証のために殺されし者の霊魂の祭壇の下に在るを見たり . 彼ら大声に呼はり て言ふ『聖にして真なる主よ , 何時まで審かずして地に住む者に我らの血の復讐をなし給 しもペ はぬか』ここにおのおの白き衣を与へられ , かっ己等のごとく殺されんとする同じ僕たる 者と兄弟との数の満るまで , なほ暫く安んじて待つべきを言ひ聞けられたり . 」という内容 を描いたもので , 左端 , 両手を挙げて天を見上げているのは聖ヨハネ , その腕の下から右 端まで , 彼の幻想に現われた殉教者たちの霊魂の群れである . 傷んでいた上部が 1880 年ご ろ修理の際に切り取られたので , かっては天上の場面があったと推定されている . また , サン・ロマンはこれをトレド城壁外のタベーラ病院教会堂の祭壇 , 聖牘の設計と関連して 作られた祭壇画の一つと推定している . トレドの景観と地図 1608 ~ 14 年 ( 図 64 ) トレドグレコ美術館蔵 グレコのトレド風景は , 本巻の最初にニューヨークのメトロポリタン美術館の名品 ( 図 1) を掲げたが , その他 , 数々の宗教画やラオコーンなど他の画題の作品の背景に , トレド景 観にインスパイヤーされたすばらしい風景を描き添えている . ここでは , 自由な構想を大 胆に描きつける最晩年としては珍しく緻密な筆でタホ川をめぐらす丘陵に建てられた旧都 トレドの景観を記し , 郊外の緑の丘まで細かに描写している . しかし , 赤褐色の地塗りを 生かして薄手に彩色してゆく技法も巧妙を極めたもので , 白雲と晴れやかな青の天空から 舞い降りるイルデフォンソの式服を携える聖母と天使の群れの突然の出現 , 下半分は左に タホ川の擬人像を控えさせ , 右にはトレドの都市図を広げ支える若者 , 中間には「模型の ように」白雲に乗ったタベーラ病院が表わされている . そして , この城壁外のタベーラ病 院の管理者ペドロ・サラサール・デ・メンドサがこの画のもとの所有者であったとウェゼ イは推測している . ことば たましび まこと みつ く黙示録第五封印 > くトレドの景観と地図 > 現在のトレド風景 (Photo—R. Viollet, Paris)
0 6 無原罪のお宿り 1580 ~ 85 年 ( 図 18 ) トレドサンタ・クルス美術館藏 トレドのサンタ・クルス美術館には , もうーっ , この「無原罪のお宿り」のテーマで最晩 年に描かれたグレコの最高傑作 ( 図 55 ) がある . それに対して , この作品はトレド時代前期 のもので , 画の右下に草書体のギリシア小文字で記された署名 doménikos theotok6poulos e ' pofei の残欠が認められるが , すでに損傷のひどかったカンヴァスを 1948 年の修繕ではな はだしく加筆して , 整えたので , 現状では「無原罪のお宿り」という 16 世紀の宗教改革の後 に , 重要主題として取り上げられた図像上の興味から解説の対象となる・聖母マリアは , 原罪の現われる以前に , 宇宙の始源で聖霊によって妊られるというテーマを取り扱ったも ので , 天空の光雲に包まれ , 光のなかには無数の霊魂が宿るなかで , まだヴェネッィア画 派の奏楽の天使を想わせるような楽器を持った天使たちに伴われ , 聖母は慎ましやかに合 掌して , 軽く頭を傾けながら立っている・太陽に包まれ , 足下に三日月を踏むヨハネ黙示 録の「太陽の女」が聖母マリアの象徴であるとするから , 左下から聖ヨハネがこのヴィジョ ンを仰ぎ見ている・地上には薔薇の花や閉じられた庭 , 泉水などの象徴が描き添えられた 清らかな景色が展開する . 聖家族 1580 ~ 85 年 ( 図 19 ) サンタ・クルス美術館蔵 トレド グレコは , 聖母子を中心にヨセフや聖アンナ , あるいは他の聖者聖女をも添えた「聖家 族」の画を数点描いている . そのなかで , この作品は草書体ギリシア小文字で署名され , 比較的に早いトレド時代のものであるが , すでに劇的な深刻な表現をしている・暗い雲の 漂う空を背景に黄色の衣をまとった聖アンナは , 膝に眠る赤子イエスの布をあげて注意深 く見守る・赤と青の衣を着た聖母マリアは左手をイエスに添え , 右手を聖アンナの肩にお いて , 慈しみと悲しみを含んだ表情でわが子を見守っている . すでに十字架上の死を予感 する劇的な瞬間だという・また , 右端の幼児ヨハネは後に描き足されたという . グレコ は , 後年このテーマをョセフを加えて , 描いている ( 図 35 参照 ) ・ 郷士 1585 ~ 90 年 ( 図 20 ) マドリードプラド美術館蔵 グレコの芸術の核心は , 人体であり , 顔貌である・小さな肖像画であるが , 非常によく 人物の顔貌をまざまざと , 深く鮮かに捉え , 精神の生動するが如き筆触に生かしているの で名高い・彼の筆触は , つねに肉体を越えて精神的なものを発動させるために最後の仕上 げを加える・右側に草書体のギリシア小文字で署名が記されている・ く郷士 >