ー 10 聖痕を受ける聖フランシスコ 1585 ~ 95 年 ( 図 31 ) ェル・エスコリアール修道院 グレコが聖フランシスコの画像を描いた数は , 彼のアトリエ制作まで加えると , イタリ ア時代から始めて晩年にいたるまで夥しい数に上っている . グレコは聖フランシスコの画 家の一人であるということも , グレコ芸術の解明の鍵である . この聖痕を授かる聖フランシスコの主題を中世以来の伝統に従って , 天空の十字架上の キリストの傷痕の発する光の線条を身に受けて , 聖痕を授かるという画像を改めて , この ェスコリアールの聖フランシスコでは , 暗褐色のバックに灰色の修道士服をまとった聖者 が天啓に打たれて , 顔をあげ , 左上の空間の閃光のなかに十字架のキリストを凝視する姿 で , 聖者伝説の説明要素を排除し , 宗教的瞑想の直接体験の表現に踏み切っている . 右下 端 , 署名のある紙片は画布の縁と共に切断された . 聖母戴冠 1590 年 ( 図 32 ) マドリードプラド美術館蔵 三日月を足許に踏まえて , 聖母は合掌しながら , 天上の光雲にかこまれて , 白衣の父な る神と相対して坐る子なる神 , および黄金の聖霊の鳩の三位一体から冠を授かるところ・ 周囲の雲の間に天使たちが現われて , 奉讃する . グレコは , 聖母の栄光を讃える構図をい くつも描いているが , 天上における聖母の戴冠の儀式も , 中世以来盛んに行なわれてきた 主題であるが , これを伝統的図式から解放して , 一度 , 自然主義の視覚から眺めた画像と した上で , 心の映像へと昇華している . ウェゼイはこの画が , 引き続いて描かれるタラベラ , サン・ホセ , イリエスカスの諸 「聖母戴冠」の最初の試作であろうと言っている . 署名は断片的に残る . 聖母戴冠 1591 ~ 92 年 ( 図 33 ) トレドタラベラ・ラ・ビエハ教会 1591 年 , グレコはトレドのタラベラ・ラ・ビエハの教区会堂の主祭壇の制作の契約をし て , 聖母彫像と聖母戴冠 , 聖アンデレ , 聖ペテロの 3 画が 1592 年に納められたとされてい る . 後補が甚だしく加わっている上 , 元来の作柄があまりよくないとして , グレコがデッ サンを作り , それによって弟子たちの描いたものとの説 ( ウェゼイ ) がある・上半部が天上 における聖母の戴冠で , 下半部は , 左から聖フランシスコ , 洗礼者聖ヨハネ ( 後ろ向き ) , 福音書記者聖ヨハネ , 聖セバスティアヌス , 聖パオロ ( ? ) , 聖アントニウス , 聖ドメニコ の聖者たちの群像 . く聖痕を受ける聖フランシスコ》 を 0 《聖母戴冠 > く聖母戴冠 > く聖ペテロ > く聖アンデレ >
図版目次 原色図版 ・ 2 ・ 107 ・ 2 ・エ 07 ・ア・エ 07 佐端の数字は図版番号 , 右端は作品解説掲載ページ ) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 20 21 22 23 トレド風景 VISTA DE TOLEDO CRISTO ARROJANDO A LOS MERCADERES DEL TEMPLO 神殿から商人たちを追い払うキリスト CRISTO ARROJANDO A LOS MERCADERES DEL TEMPLO 神殿から商人たちを追い払うキリスト EL EXPOLIO 聖衣剥奪 ASUNCION DE LA VIRGEN 聖母被昇天 LA TRINIDAD 三位一体部分 LA TRINIDAD 三位一体 —detalle— ビンセンティオ・アナスタジの肖像 ゼ R RANIMARE LA FIAMMA GIOVINETTO SOFFIANDO UN TISSONE 火を撚すためにもえさしを吹く若者 LA DAMA DEL ARMINO 毛皮の婦人 RETRATO DE JULIO CLOVIO ジュリオ・クロヴィオの肖像 EL CABALLERO DE LA MANO AL PECHO 手を胸にあてた貴族の肖像 SAN SEBASTI Å N 聖セバスティアヌスの殉教 SAN ANTONIO DE PADUA パドヴァの聖アントニウス RETRATO DE VINCENTIO ANASTAGI ア・ 93 2 ・ 99 ア・ 99 2 ・ 99 ア . 98 2.98 竊 98 竊 97 ア・ 96 2 ・ 95 2 ・ 95 2 ・ 95 竊 94 2 ・ 94 悔悟の聖ペテロ SAN PEDRO EN LLANTO 25 年長の聖ヤコプ SANTIAGO EL MAYOR 寄進者を伴う磔刑のキリスト CRUCIFIXIÖN CON DONADORES 24 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 オルガス伯の埋葬 オルガス伯の埋葬 オルガス伯の埋葬 祈る聖ドメニコ < ケース : 表 ( 部分 ) > くケース : 裏 ( 部分 ) > ・ EL ENTIERRO DEL CONDE DE ORGAZ 部分 EL ENTIERRO DEL CONDE DE ORGAZ 部分 EL ENTIERRO DEL CONDE DE ORGAZ 聖痕を受ける聖フランシスコ SANTO DOMINGO EN ORACIÖN ー de ″← —detalle— ロドリゴ・テ・ラフェンテの肖像 ? ( ある医者の肖像 ) DON RODRIGO DE LA FUENTE? ()N MÉDICO) フェリーベニ世の夢 ( イエスの御名の礼拝 ) EL SUENO DE FELIPE Ⅱ 聖マウリシオの殉教 MARTIRIO DE SAN MAURICIO 無原罪のお宿り INMACULADA CONCEPCIÖN 19 聖家族 SANTA FAMILIA 郷土 HIDALGO カスティリヤ枢機院議長ロドリゴ・バスケスの肖像 RETRATO DE RODRIGO V Å ZQUEZ, PRESIDENTE DE CASTILLA ・ 2. 工 00 ・ 2. 工 00 ・竊工 05 ・・ア . 106 ・ア . 106 ・ 2.106 フリャン・デ・ロメロ・デ・ラス・アサニャスと聖フリャンの画像 RETRATO DE JULI Å N ROMERO DE LAS AZANAS SAN LUIS, REY DE FRANCIA フランス王サン・ルイ CON SAN JULIAN SAN FRANCISCO RECIBIENDO LOS STIGMATES 聖母戴冠 CORONACIÖN DE LA VIRGEN 聖母戴冠 CORONACIÖN DE LA VIRGEN 聖家族とマグダラのマリア SANTA FAMILIA CON MAGDALENA 聖アンナと幼児ヨハネのいる聖家族 SANTA FAMILIA CON SANTA ANA Y SAN JUAN BAUTISTA 死について瞑想する聖フランシスコと修道士レオ SAN FRANCISCO Y FRAY LEÖN MEDITANDO A LA MUERTE 瞑想の聖フランシスコ SAN FRANCISCO EN MEDITACIÖN 瞑想の聖フランシスコ SAN FRANCISCO EN MEDITACIÖN 聖イルデフォンソ SAN ILDEFONSO 聖処女マリア LA VIRGEN MARIA 救世主 EL REDENTOR 福音書記者聖ヨハネ SAN JUAN EVANGELISTA 聖バルトロメオ SAN BARTOLOMÉ 聖ルカ SAN LUCAS 聖アンデレと聖フランシスコ LOS SANTOS ANDRÉS Y SAN FRANCISCO 聖母子と聖女マルティナと聖女アニエセ LA VIRGEN Y EL BAMBINO CON SANTA MARTINA Y SANTA AGNESE ・ 2 ・エ 07 ・戸・Ⅱ 4 ・ 2 ・エ 14 ・ 2 ・ 113 ・ 2 ・エ 13 ・ 2. 1 工 2 ・ア・エ 12 ・ 2. 1 工 2 ・ 2. 工工 2 ・ 2. 工工 0 ・ 2. 工 10 ・戸 . 工工 0 ・ 2 ・エ 09 ・ 2. 工 08 ・戸 . 108 ・ 2. 工 08 ・戸 . 108 ・ 2.108
聖家族とマグダラのマリア 1590 ~ 95 年 ( 図 34 ) オハイオクリーヴランド美術館蔵 このマグダラのマリアを添えた聖家族は , デッサンも色彩も優美な , いかにもマニエリ スモ風の作品である・ヨセフの差し出すガラス鉢の中から聖母の取り出す果物を受ける小 児のイエスはいかにもあどけない・黄色い衣をまとうョセフの慈しみ深い表情と身振り , 青い衣を着たメランコリックな聖母の眼差しと気取った両手の仕草 , 赤い外衣をまとって 身を聖母にもたせるように寄り添うマグダラのマリア , これら人物たちのリズミカルな組 み合わせ . バックの雲の漂う青空は清楚な感じを与えるが , 足許を暗くぼかして , 地上的 な限定を故意に避けている . 聖アンナと幼児ヨハネのいる聖家族 ~ 1600 : 年 ( 図 35 ) 1590 マドリードプラド美術館蔵 トレドのサンタ・クルス美術館のく聖家族 > ( 図 19 ) とほとんど同じ構想であるが , この図 では右側にヨセフが居り , 左側の聖アンナの仕草を見つめている・彼女は , ヴェールをと って , 眠っている赤子のイエスを見つめて , 劇的な表情をしている . 聖母マリアも悲痛な 顔をしている・眠るイエスは , 将来の救世主の死を象徴するというもので , すでにヴェネ ツィア派のジョヴァンニ・ベルリーニやヴィヴァリーニによって広められた画題であり , グレコはこれを取り上げて , 彼独自の深刻な表現を達成している・聖母の膝元に立って , 子供の洗礼者ヨハネは右手に果物鉢を持ち , 左手を口にあてて , 身近な家庭情緒を添えて いる・右下の石の上に草書体で署名が記されている・保存状態は良好ではないが , 優れた 作品である . 死について瞑想する聖フランシスコと修道士レオ ( 図 36 ) ~ 90 年 1585 マドリードプラド美術館蔵 髑髏を持って瞑想する聖フランシスコは , 膝元に合掌する修道士レオを控えさせる構図 で , 数多くの作例が伝えられ , その中にはグレコのアトリエの作や弟子の作も多いが , 死 について黙想するという画題は , 旧教改革以来 , 重要な新画題の一つとなったもので , そ の最も典型的なものが , これらグレコの聖フランシスコの画像である . あまり激しく宗教 的情熱を外に現わさず , 静かに髑髏を持って考えこむ姿は , 傍の修道士をも控え目に納め て , 堅牢な造形表現を達成している・観者を , 隲髏を中心に静かな省察に引き込んでゆく 造形力を備えている・署名は右下隅にある・ 瞑想の聖フランシスコ 1595 ~ 1614 年 ( 図 37 ) マドリード個人蔵 これは髏と十字架のキリスト像とを前にして , 瞑想する聖フランシスコの半身像で , 修道士の厚い毛衣をまとう聖者は , 右手を胸に , 左手を下にのばして , 暗い洞のバックの 左上隅の明るい天空の一角を凝視するが如く , 恍惚とした境地に沈む・署名は髑髏の上に 草書体のギリシア小文字にて記されている・ コ ス ン フ 聖 想
福音書記者聖ヨハネ 1595 ~ 1600 年頃 ( 図 42 ) マドリードプラド美術館蔵 トレド大聖堂の救世主と十二使徒のシリーズのなかにある聖ヨハネの画像と同じタイプ であって , 美しい若者の姿の聖ヨハネは緑衣に赤い外衣をまとい , 右手に小龍を載せた金 の宝杯を持ち , 頭をやや下にうつむき加減に右方を見ながら , 開いた左手の掌を上に向け 宝杯を指差している . 深刻な表情を鋭く顔面に凝集させ , 光をやや左正面からいつばいに 浴びている . 背後は , ところどころ閃光に明るくなっている暗青色の空で , 赤衣の白く波 うつ大きな襞と黄色の右袖に緑の陰影で整った襞をつける具合は対照的で , われわれの注 意は自ずからヨハネの顔に集まる . グレコは暗褐色の陰影色で暗部を一様に仕上げる技法 を破って , 色彩の鮮かな構成を意図し , 赤黄の暖色に対し , 緑や青の寒色で陰影付けする というような大胆な方法を試みている . 聖バルトロメオ 1610 ~ 14 年 ( 図 43 ) トレドグレコ美術館蔵 グレコの使徒シリーズの中では , 聖バルトロメオの画像は , このグレコ美術館の画像し か彼の真筆のものは伝わらない . 聖バルトロメオは , 光のうちに輝かんばかりの白衣を大 きくまとい , 黒髪 , 黒髯に囲まれた鋭い顔を右に向け , 主の声に耳を傾けるが如き , 緊張 した瞬間である . 右手に彼の殉教の器具である小刀を持ち , 左手でアルメリアの王女から 追い出した悪魔を鎖に縛って持つのは , 通例の聖バルトロメオの持物である . ウェゼイ は , グレコが最も遅く描いた画像ではないかと言っているが , 使徒像 , 聖者像のなかでも 際立って気迫に漲った画像である . 単純な白・褐色・黒の配色で , 顔面のすさまじい筆勢か ら聖者の精神が溢れ , みごとな衣の襞の筆法にモニュメンタルな響が満ちている . ( 図 44 ) 聖ルカ 1602 ~ 05 年 トレド大聖堂 暗褐色のバックに青緑色の衣を着た聖ルカは , 尖った白襟の中から濡れた眼差しの鋭い 表情の蒼白な長顔を傾け大きな本を開いて左手で支え , その 1 ページに細密画風に描かれ る聖母子の像を示している . 右手に画筆を持ち本の縁に寄せ , 向かいあう本文ページの枠 に筆の影が投ぜられて , 今にも描き続けるのかと思わせる . 聖母の青い外衣の下から膝の 赤衣が鮮かに現われ , 白い衣に包まれた赤子のイエスを抱いている . 書中の画像でありな がら活き活きとしていて , しかも遠い世界の色合いである . 聖ルカは , 伝説によれば , 聖 母の画像を描いたのであるから , 画家のパトロンの聖者であり , この画像にグレコは自分 トレド大聖堂の使徒たちの画像のな の姿を託したのではないかとの説もある . とにかく , かで最も注意を引く . ここでもグレコは , 人物を肉体的に , 写実的に描き写すというより は , 簡潔な筆線で色と形と明暗の適確な配置を作り , 緻密に充実しながら , 人物の心を暗 示し , 喚起させ , 画面全体に響き渉らせている . く聖ルカ >
10 プ 、ゞゞ 1 い も影く これらの大小二つの作品について , 両方とも左下端にドメニコス・テオトコプロス , ク レタ人 , 作れりと同文の署名があるが , ロンドンの画ではギリシア大文字で , ェスコリア ールの画はギリシア小文字の筆写体で , 制作年代についてはロンドンのものを 1578 年頃 , ェスコリアールのものを 1579 年頃とウェゼイは推定している . グレコは , トレドのサント トレド大聖堂のく聖衣剥奪》 ( 図 7 ) と ドミンゴ・エル・アンティグオの一連の祭壇画と , いう数々の大制作を仕上げているかたわら , この制作にも着手したことになる・しかも , 引き続いて , 1580 年にはく聖マウリシオの殉教》 ( 図 17 ) の大制作に着手するのである・ 聖マウリシオの殉教 1580 ~ 82 年 ( 図 17 ) ェル・エスコリアール修道院 この大作は , フェリーベ二世の注文で描かれたもので , 1580 年 4 月 25 日に , ェスコリア ールの修道院主事に , 金額の一部を前払いして顔料の購人にあて , 仕事の速かに進行する ことを計る旨の記録があり , 1582 年 9 月 20 日に祭壇画が完成して引き渡されたとウェゼイ は見做している ( コシオは 1584 年 8 月 17 日に引き渡されたとする ) ・ 聖マウリシオの聖遺物がエスコリアールにあって , 聖者のために一祭壇が捧げられてあ った上 , 16 世紀のカトリック教会改革の運動が , 原始キリスト教時代の殉教者崇拝を教会 護持のために再び熱心に興すので , この画の発注される事情が理解される・ 聖マウリシオは , ローマのテーベ軍団長であったが , 異教の神々に犠牲を供することを 拒否したため , ディオクレティアヌス皇帝の命令で 6666 名の彼の軍団の将兵とともに , 回に渉って , 今日のスイスのアゴーヌとよばれたところで処刑されたので , この殉教事跡 が主題である . 『黄金伝説』によれば , 聖マウリシオとともにカンデイドウス , ェクスウペ リウス , ヴィクトルの三人も殉教の聖者として挙げられているので , ここでも鋼鉄の鎧を 着た聖マウリシオの傍に三人物を描き , 四人の間で神聖なる会話が交わされているところ を主題として , 中景 , 左端に彼らの殉教場面をやや小さめに描き添え , 遠景にはさらに小 さく軍団の兵士達の群れを続けている・天空の左半分には天使たちが現われ , 瑞雲を作 り , 中央の勝利の冠と棕櫚の葉をかざす天使に対し , その左では奏楽の天使たちが殉教を 讃美する . 雲間をついて , 栄光の輝きが地上まで達する . 画の右下端に蛇のくわえる紙片 に , doménikos theotok6poulos krös e'pofei と草書体のギリシア文字で署名が言己されてい る . その傍の切株と草花の図柄とともに象徴的なイメージである . なお , 聖マウリシオの背後に見える顔のうちに , グレコ自身の顔が描き込まれていると いう . 二世はこの画が気に入らなかったらしい . イタリア画家ロモロ・チンチンナ フェリ ト ( R 。 m010 Cinc ⅲ nat 。 ) に頼んで同じ画題で描いてもらい , 1584 年 8 月 31 日に , グレコの画 と取り換えて祭壇に置いて , 今日に及んでいる・ くフェリーベ二世の夢 > ( 図 16 ) とともにグレコの最も凝った構想になる作品で , 中世的幻 想に富んだ独特な構図は , プリューゲルの作品と照合しても興味深いものがある . 《聖マウリシオの殉教 > く聖マウリシオの殉教 > 部分 ~ 爻 く聖マウリシオの殉教》部分
工 2 瞑想の聖フランシスコ 1595 ~ 1600 年 ( 図 38 ) サンフランシスコ美術館蔵 暗褐色の洞窟の岩壁を背景に , 灰青色の修道衣をまとった聖フランシスコは , 両手を胸 にあて , 跪いて , 岩の上に置かれた髑髏と十字架のキリストと聖書を目の前に祈るが如く 黙想している・数多いグレコの聖フランシスコの画像のなかでも , 特に優れた作品と言わ れている . 署名は , 右下隅の紙片に草書体ギリシア小文字で記されている . 筆触が瑞々し く鮮かで , 後期の描き方がよく現われている・ く瞑想の聖フランシスコ > 聖イルデフォンソ 1605 ~ 10 年 ( 図 39 ) ェル・エスコリアール修道院 聖イルデフォンソは司教杖を右手に支え , 左手に書物を開いて持ち , 読みながら立って いる・バックの青空に , 黄金の刺繍模様のある豪華な司教の衣装 , その袖裏の淡紅色 , 杖 をつつむ布の緑などと鮮かな色彩の対照が美事である . 聖イルデフォンソは , 606 年に生 まれ , ヴィジ・ゴート王レケスウイントに請われてトレドの司教となった高僧で , 『聖母 マリアの純潔処女性について』という著書で名高く , 聖母被昇天の祭日に , 聖母が多勢の 聖処女たちを従えて降り来給い , イルデフォンソに式服を齎し授けたという言い伝えがあ る・なお , 図 57 および図Ⅳ参照 . 聖処女マリア 1594 ~ 1600 年 ( 図 40 ) ストラスプール美術館蔵 単純な小品であるが不思議なほど印象深いしつかりとした重味ある画像で , 灰青色の地 に , 黄色の光に包まれ , 青い頭布を被った聖母が悲痛な眼差しをして , 口をつぐむ . マドリードのプラド美術館にも , これと同じ形式の聖母の画像があり , 右側に草書体ギ リシア小文字で doménikos theotok6polis e'pofei と , 署名がある . 出来栄えはむしろスト ラスプールの方がよく , プラドの作品はこれに倣って描いたものと推測されている . 救世主 1610 ~ 14 年 ( 図 41 ) トレド グレコ美術館蔵 グレコは , トレド大聖堂とグレコ美術館に伝えられているように , 2 組の救世主キリス トと十二使徒の画像シリーズを描いた . この他にもいくつかのコレクションに分散されて いる使徒たちの画像があるが , 主要なものは上記の 2 組のシリーズである . これら画像の 制作にあたって , グレコは全体として , 中世後期からルネサンスを通じて , イタリアにお いて救世主や使徒たちの画像がすでに伝統的に描かれてきた慣例に従って , その上で彼自 身の独自の表現を強調している . これら 2 組の救世主と十二使徒の画像の中には , 弟子の 協力した作も窺われるが , すべてグレコの構想 , 指導のもとに描かれたものであるとされ ている . このキリストの画像は , 正面向きのビザンティン系のタイプをとるが , ラテン教会流の 祝福の型を右手でとっている . 頭光に菱形の光背をつけて , 使徒たちと区別され , 赤衣に 青布をまとう通例の色彩で塗られている . 入念に描き上げられた優品である . 1 く聖イルデフォンソ > < 聖処女マリア》 く救世主 > く救世主 > トレド大聖堂
1 0 8 年長の聖ヤコプ 1585 ~ 90 年 ( 図 25 ) トレドサンタ・クルス美術館蔵 スペインの守護聖者である年長の聖ヤコプは , 中世風に巡礼姿で杖を持って立ってい る . 龕のなかに置かれた立像の如く描かれているのは , トレドのサン・ニコラ教会堂の三 連祭壇画の上段中央の画像であったからである・真赤な衣服が聖者の激しい信仰心を語っ て , すさまじい・ 寄進者を伴う磔刑のキリスト 1580 年頃 ( 図 26 ) パリルーヴル美術館蔵 このルーヴルの名画は , キリストのトルソの丁寧な明暗調による描法が , サント ンゴ・エル・アンティグオの作品やパレンシアの聖セバスティアヌス ( 図 13 ) のトルソを想 わせ , 早い時期のグレコの制作であるとする理由がわかる・雷光閃く暗雲の漂う空と対照 的に , 十字架上のキリストの叫びを耳に聞くが如き劇的な磔刑図である . 下縁 , 二寄進者 が誰であるか , 多く論ぜられてきたところであるが不明である . コバルビアス兄弟とする 推測は , 両人の肖像画と比べて似ていないので一般の賛成は得ていない . グディオールは グレコが当時親密な関係にあったディエゴ , およびルイス・デ・カステイラとする方が適 切であろうという . なお , ギリシア文字による署名が十字架の下端に残っている . 後年グ レコはしばしば聖女 , 聖者たちを伴う磔刑図や景色を伴う磔刑図を描き , 彼の画房の作も 数多いが , 寄進者を伴うこのタイプの磔刑図は他に例がない・ オルガス伯の埋葬 1586 ~ 88 年 ( 図 27 , 28 , 29 ) ・トメ教会堂 グレコの最大の傑作であるのみならず , 西洋油彩画史上に独特の地位を占める名品であ る . 制作年代は , 1586 ~ 88 年にて彼が 45 ~ 47 歳の時である . 構図は , 地上におけるオルガ ス伯の遺骸埋葬の場面と , 天上におけるオルガス伯の霊魂が使徒 , 聖者たち , 天使たちに 見守られつつ , 神の御許に迎えられるところで , 天上界と地上界 , 霊魂と肉体の相対する 世界の結合がこの大構図のうちに示されている . ・トメ教会堂の一礼拝堂のドームからの適切な採光法が画面の天空からの光線と 合致して , この大壁画の鑑賞にこの上ない好条件を与えている . 画題を提供する物語は , 1323 年頃 , この教会とこれに奉仕したアウグステイヌス派の修道士たちのために数々の寄 進を行なってきたオルガス伯ゴンサロ・ルイス (Gonzalo Ruiz) が死んで , サント・トメの教 会堂に葬る際 , 聖アウグステイヌスと聖ステパヌスが現われて生前の善行の報いとして , 手ずから遺骸の埋葬を行なったという事跡を描いたもので , 鋼鉄の鎧を着けたオルガス伯 の遺骸は , 豪華な黄金の刺繍で飾りたてられた司教服の聖アウグステイヌスと , 同じく黄 金の助祭服を着た聖ステパヌスに支えられて , まさに墓に納められようとするところ . 傍 に , 可憐な黒衣の小童が松明をもち , 顔はこちらに向けながらオルガス伯を指差してい る・小童は , まさにグレコの息子ホルへ・マヌエルである . そして , この小童のポケット から出ている白布に「 doménikos theotok6polis e'pofei 1578 」と署名があり , 1578 とはホ ルへ誕生年に相当するというコシオ説が認められている . なお , 小童の前 , 聖ステパヌス の裾に描かれているのは , ステパヌスの石打ちの場面 ( 使徒行伝第 7 章 58 ~ 60 節 ). また聖ア ウグステイヌスの衣に描かれているのは聖ペテロ , 聖ヤコプ , 聖女カタリナ . 小童の後 ろ , 左端は修道士姿の聖フランシスコ・反対側には十字架を先端につけた杖を持って , 祈 くオルガス伯の埋葬 > 部分
ード , ラザロ・ガルディアーノ美術館藏 ) , くパドヴァの聖アントニウス》 ( 図 12 ) などは , 自然主義的傾向の目立つ聖画 像であるが , やがて彼は精神的性格を強化し , 同時に光の効果を記す強いタッチの目立つ描法に移って , くオルガス 伯の埋葬》からその直後の時代の聖画像 , ェスコリアールのく聖痕を受ける聖フランシスコ》 ( 図 31 ) など , 特徴的な作 品が相次いで描かれ , デフォルマシオンさえ加えたく聖ヒ工ロニムス》 ( ニーヨーク , メトロポリタン美術館蔵 ) , 晩年の トレド大聖堂やグレコ美術館の十二使徒の単独像のシリーズにまで至って , 精神的な緊迫感に満ちた作品を生んでい る . 開に輝く光に照らされて瞑想するレンプラントの福音書記者マタイ像も , その重厚な姿のうちに神秘的な趣を秘 めているが , グレコの福音書記者マタイ像は , より抽象的な色彩と激しい明暗の対照から , より精神的な表現に達し ている . 書中の聖母子の画像を示しているトレド大聖堂のく聖ルカ》 ( 図 44 ) は , 肖像画的な顔貌から , しばしばグレコ の自画像ではないかといわれることもあるほどである . この聖ルカの画像は , 鮮かな色面 , 明暗の対比とその動勢に よって , 現実を矯正し脱物質化を行ない , 抽象化の操作で芸術表現を高揚して聖ルカの精神的現存を露呈する . 聖ル 力の画像でも , 聖ョノ、ネの画像 ( 図 42 ) でも手の表情が雄弁な身振りとなって , 顔の方向とともに身体の動勢を主導 し , 彼の精神表現の重要な要素をなしていることが注意されるであろう . 大構図の場合はもちろんであるが , 単独像 の場合は単純であるだけ , 手の役割が明瞭に理解できる . 手は , 顔貌の表わす精神生活に対して , 補足的に意味内容 を説明する . しかし , その純芸術的な処置がこれに劣らず大切である . ジュリオ・クロヴィオの指差す手の仕草は単 純素朴であるが , 後のトレド大聖堂の十二使徒の画像における両手の処理は実に凝ったものである . 両手が顔ととも に , それぞれの使徒の動勢と形姿の重要な拠点になっているのに気づく . グレコは , イタリア時代から室内の人物像を描いて , 環境表現を加える肖像画を手がけている . ラファェルロの くジュリオ二世》の坐像のように , 彼は椅子に坐っている人物を室内の環境ごと描いた全身肖像画の傑作を残してい ーヨークのメトロポリタン美術館のく枢機卿ニ ニョ・デ・ゲノヾラの肖像》 ( 図 58 ) では , 赤衣の枢機卿の厳し る . い姿と , 同時に室内の雰囲気が描き出されて , モニメンタルな大きさをもって圧倒的印象を醸成する . ポストン美 術館のく修道士オルテンシオ・フェリクス・パラビシーノの肖像》 ( 図 59 ) も , 椅子に腰掛けて考え込むこの学僧の存在 が , 周囲の雰囲気描写まで取り入れて描かれている . このような室内画的要素が肖像画に加わった著しい聖者像の例 は , 同じく晩年の傑作であるイリエスカスのく聖イルデフォンソ》 ( 図 57 ) 像で , 豪勢な貴金の刺繍をした赤紫色の天鵞 絨のテープル掛けをかけた机に向かって , 当世風の飾椅子に掛け書き物をしながら , ふと顔をあげて眼前の聖母マリ アの像を凝視する聖者は , 当時の学者風の一聖職者の肖像画そのものである . 窓から入る光線は , 彼の黒い上衣の肩 からペンを持った右手 , 机の上の書物 , 開かれたページの上に置かれた美しい左手 , さまざまの文房具を明るく照ら し , テープル掛けの赤紫色を穏やかに , しかし力強く示している . 半ば禿上がって後頭にのみ白髪をふつくりと残す 頭部と鼻の尖った眼の比較的小さい横顔を , 光は , 背後の室内のほの暗い空間から浮き出させている . 実際のモデル に拠って描いたとしか考えられない . 背後は頑丈な木の扉で , 半ば奥に開かれている . 白い大きな外套を着て , 御子 を抱いて立っ姿の聖母マリアの像も , まさに室内の置物である . その聖母マリアは幻のように光のうちに漠然と描か れていて , しかも離れて見ればまさに現存している . 聖イルデフォンソは恍惚として聖母マリアの言葉に耳を傾けて いる様子である . 彼の顔を , 画家の筆は光のうちにためらうことなくタッチを進め , 白晳な老師の顔を光に従って描 ョ・デ・ゲノヾラの肖像やオルテンシオ・パフビシーノの肖像と並ん いている . まさに , 真実の肖像画の傑作 , で論じられるかと思うほどの作品である . ドミンゴ・エル・アンティグオの大祭壇に , 洗礼者と福音書記者の両ヨハネの立像を描いてから , いくつ リ く瞑想の聖フランシスコ > マドリードラザロ・ガルディアーノ美術館蔵 く聖ヒェロニムス > ョークメトロポリタン美術館蔵
加 9 書を読む司祭とその左 , 背中を向けたもう一人の聖職者が立ち合う . 第二列に左端から 右端までぎっしりと黒衣の会葬者たちの顔が並んで , そのいずれも特定の個人を示す肖像 の如くに描かれている・事実 , これらの顔に当時のトレドの名士たちを跡づけようとする 試みが学者たちによって繰り返されている . グレコの肖像によって知られているコバルビ アス兄弟 , アントニオとディエゴの顔は容易に認定される・右側の二人目の背を向けた聖 職者の肩の前 , 斜め正面を向いた白髪混り , 白髯混りの老紳士がアントニオ・コノヾルビ アスで , 左端から五番目 , 黒頭布の修道士の隣がディエゴである . 聖職者では , 右端の祈 トメのアンドレアス・ヌニエス・デ・マドリ (Andreas Nüfiez de 疇書を読む司祭がサント・ Madrid) で , 彼の肩にかけた衣の刺繍縁飾の円輪のなかに , 斜十字をもつ聖アンデレが描 かれているという説と , 大工の 1 形物指を持つ聖トマが描かれている説があるが , 前者と すればヌニエスに関わり , 後者とすれば , このグレコの教区会堂サント・トメに関係があ る画像である・ 1564 年 , ここの司祭アンドレアス・ヌニエスがオルガス村との訴訟に勝っ て , 村はサント・トメの会堂になにがしかの金額を支払う義務を負うこととなったので , これが「オルガス伯の埋葬」の画を注文する機縁になったという・ 1584 年 10 月 23 日 , 大司教 から画を描く許可がおり , 1586 年 3 月 18 日 , 教会と画家との間に契約が結ばれ , 1588 年 6 月 20 日 , 1200 ドゥ力の支払いがなされた・もう一人の助祭は , 画の下に記された墓碑銘 の中に出てくるペドロ・ルイス・ドウロン (pedro ・ Ruiz ・ Dur6n) と認定され , アントニオ ・コバルビアスの右側の紳士は , 文学者フランシスコ・デ・ピサ (FranciscodePisa) の肖像 と推定される・またセルバンテスも会葬者の一人にいるはずといい , グレコ自身も描かれ ているのではないかという・人々のうちには , オルガス伯の魂が黄衣の天使に抱かれて天 上に昇りゆくのを見上げている者もいる・ 地上の光景が , 重々しい暗い , 黒い色彩で閉ざされているのに対し , 天上の光景は鮮か な , 透明な色彩を主調として , 精神の世界を描き出すことに努めている・黄色の光雲に包 まれて , 白衣のキリストは天の頂上に坐り , すぐ足許の裸の洗礼者聖ヨハネと赤衣に青の 外衣を着た聖母の言葉に耳を傾け , オルガス伯の魂を迎え入れ給わんとする . 聖母の後ろ には黄衣の聖ペテロ , 洗礼者の後ろには青紫の衣に赤上衣をつけた聖パオロが使徒たちの 群れの先頭となり , 聖パオロの後ろに 1 形定規を持つ緑衣を着て黄外衣を腰にまとう聖ト マが目立つのは , サント・トメの教会堂だからで , 聖トマの列の四番目に白飾襟を頸にま いたフェリーベ二世の顔が挿人されている . 幾重にも重なる雲の襞に , 随所に天使や頭だ びまん けの天使の群れが霊魂の瀰漫する天上界を象徴している . 左側の雲の間には立琴を持つダ ビデ , 青銅柱を持つモーゼ , ノアが現われ , これに対して右端には , 裸体の聖セバスティ アヌス , 赤衣のマグダラのマリアが認められる・ 祈る聖ドメニコ 1598 ~ 1603 年頃 ( 図 30 ) トレド大聖堂 聖ドメニコは白服を着 , 黒い外套をまとい , やや左に向いて身を屈め , 石の上に斜めに 立てられた小さな十字架のキリストを拝んで , 合掌して祈りを捧げている・トレドの大聖 堂祭器室のこの画像は , 筆触の跡をそのままに残す後期のスタイルを示すもので , これに 先立つ作品として , マドリードの個人コレクションのく祈る聖ドメニコ》は 1585 ~ 90 年頃の 作で , このタイプの画像の最初の作例と考えられる・ともにグレコの署名が記されてい る・ポストン美術館の例は , トレドのものより , 更に後年の優れた作で同じく署名があ る・この画も多く注文された作品の一つとして , 彼の自筆の外に , 助手の協力をもって描 かれたもの , 彼のアトリエの作 , 模作など , 数点が知られている・ く祈る聖ドメニコ》
( 図 45 ) ~ 1600 年 聖アンデレと聖フランシスコ 1590 マドリード プフド美術館藏 二人の聖者の並び立つ画像をいくつか描いているが , そのなかで最も優れた グレコは , ほとんど等身大の二聖者を画面いつばいに描き , 足許に雪山を遠望する山地 作品である . 風景を添え , 大きく背面を占める空の左半分を暗く右半分を青空として , 随所に雲を漂わ せる . 聖アンデレの緑色の外衣が鮮かな色調を作り , 右腕を包む青い衣服と黒い布で引き 締められ , 白髪白髯の顔面の積極的な精神へと注意を集める . 黒い布を伴った殉教の斜十 字架が際立ち , 褐色の衣に身も頭も包んで聖痕の手を胸にあて , 慎ましやかに頭を傾ける 聖フランシスコの姿と対照的である . この重厚な姿は色調が単純であるだけ , 太い繩や衣 の襞 , 右側の陰影に強調されて , 頼もしい感を備えている . 右下の紙片に署名がある . 聖母子と聖女マルティナと聖女アニエセ 1597 ~ 99 年 ( 図 46 ) ワシントンナショナル・ギャラリー蔵 トレドのサン・ホセ礼拝堂はマルティン・ラミレスの創建するところで , はじめ聖女テ レジアとその修道女たちのために修道院を建てる意図であったが , 施主が 1569 年に死んで 遺言執行人は計画を変更して , この礼拝堂を建立することとし , 1594 年に献堂された . グ レコは , 1597 年 11 月 9 日の契約で , ここの主祭壇と両側の祭壇の制作を引き受けた . 1599 年 12 月 13 日に支払いが行なわれた . ここには , 主祭壇のく聖母戴冠》とく父ョセフとキリス ト》の 2 作が名指されているのみであるが , 両側の祭壇のく聖母子と聖女マルティナと聖女 アニエセ》およびく聖マルティネス》 ( 図 47 ) の作もこの時に発注され , 出来上がったものと されている . この画は , 右側の祭壇を飾っていたもので , 美しい聖母子を囲んで , 左右に雲の中から 天使が現われ , 拝んでいる . 聖母の頭を囲む黄金の光のまわりに , 多数の小天使たちの頭 が浮かび出る . 聖母の赤い衣服に青い上衣の色合いが深味のある優美さを示す . 足許の二 聖女の姿も優れている . 仔羊を抱く聖女アニエセの繊細さ , 棕櫚葉を持ち獅子の頭をなで ている聖女は , 獅子の頭から , 聖女テクラと見做されたこともあったが , 寄進者との関係 から聖女マルティナとするのが通説 . 幾分 , 後補の筆を認め , 例えば聖女アニエセの赤朱 色の衣をウェゼイは後補とする . 優秀な出来栄えの作で , グレコの晩年の聖画像の神秘的 な画境に入ろうとするところが窺えて興味深い . 聖マルティネス 1597 ~ 99 年 ( 図 47 ) ワシントンナショナル・ギャラリー蔵 この名画もトレドのサン・ホセ礼拝堂のために描かれたもので , 右下端に署名がある . フランスのトゥールの司教であった聖マルティネスは , 少年時代 , ローマの軍務に服して いた折 , 北仏の冬の日 , 裸の乞食に出会って , 自分の外套を裂いて半分与えた . 夢にこの 半分の外套を着て , キリストが現われて , 天使たちに告げたという奇跡である . グレコは 騎士の国スペインの現実のなかに , 昔の聖者伝の一節を鮮かに描き出している . 青年騎士 の鎧姿もその白い乗馬もすばらしいデッサンで , 彼に寄り添う裸の少年も柔軟な弾力ある トルソを対照的に生かしている . 馬の足許には , 青空の下に , トレド遠望を織り込んだ暗 い幻想のような景色が描かれ , その暗いバックから , 夢幻の如き鮮かな白馬の姿が聖マル ティネスと乞食の少年と共に現われてくる . 《父ョセフとキリスト》 トレドサン・ホセ礼拝堂 く聖マルティネス〉