聖母マリア - みる会図書館


検索対象: 世界美術全集〈14〉エル・グレコ
38件見つかりました。

1. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

ビラヌエバ・イ・ヘルトルのバラゲル美術館蔵 ( プラド美術館寄託 ) のくお告げ》は , もと , マドリードのドニア・マリア・デ・アラゴン妃修道院教会堂の祭壇の中央画をなしていた もので , 制作年代も 1596 ~ 1600 年と文献上跡づけられ , 署名は下端 , 籠の傍に記されてい る . 「お告げ」の図像上 , 初期のイタリア・ルネサンスの例に倣った単純な構図とは異なる . 燃ゆる叢をいれた籠を間に , 両腕を祈りの仕草に胸に組んだ天使ガプリエルと , 両手を開 き驚いて彼を凝視する聖母マリアの劇的な動きある動作 , ことに黄金の光に包まれた精霊 の鳩とその下に無数のケルビムの頭に縁どられた雲の幕 , さらに天空は活き活きと奏楽に いそしむ天使たちの群れに満たされている . 聖母マリアの衣装の赤と青 , 天使の衣服の緑 の輝き , 灰青色の雲に輝く精霊を包む黄金の光 , 天空の天使たちの赤 , 黄 , 緑の鮮かな配 色 , さらに白のハイライトと灰青色の陰影の交錯が , グレコの色彩と明暗の巧みな技術で 奏でられている . しつかりした勢いよいデッサンで , この画面の強い色彩の対比と明暗効 果を引き立てている . 無原罪のお宿り 1607 ~ 13 年 ( 図 55 ) トレドサンタ・クルス美術館蔵 グレコ最晩年の大祭壇画で , 彼の最も円熟した豊かな構想になり , 彼自身の手で完成さ れた最高傑作の一つである . トレドのサン・ビセンテのオバリエ礼拝堂の祭壇のために作 られたもので , 天井には円形のく訪間》の画が添えられていた ( ワシントン , ダンバー トン・オ ークス所蔵 ). 聖母マリアは赤衣に大きく青衣で身を包んで天空の中に立ち , 上には精霊の 白鳩が黄金の光を放射しながら飛翔し , 周囲に無数のケルビムの小さな顔を連ね , 聖母の 両側に奏楽の天使が立ち並び , 下から更に黄色い衣布をまとった天使が舞い登ってくる . 宇宙の闇のなかから天空の光景は精霊の光に照らし出され , 天使の足許には , 聖処女の象 徴である白百合と紅薔薇の花束が鮮かに現われ , 遠方にトレドを想わせる山と城壁 , 塔 , 橋がほのかに栄光を浴びている . デッサンは流動的で , 形よりも色が優先し , しかも , 暗 い半色調と陰影のなかに鮮かな純粋な色彩がハイライトとともに輝きでている . 憐みの聖母 1603 ~ 05 年 ( 図 56 ) イリエスカスカリダー病院蔵 イリエスカスの聖母の慈愛病院 ( カリダー病院 ) の教会堂の聖所を飾る祭壇画で , グレコは この画のほかくお告げ > , く聖誕生》 , く聖母戴冠 > を描いて , 聖母の栄光を讃える意味を与え ている . それぞれ龕のなかのシメオンとイザヤの像をも含めて , 綜合的な設計はバロック 礼拝堂装飾の先頭に立つものとも見做されている . 1603 年 6 月に着手し , 翌 8 月に出来上 がる契約であったが , 期日には出来上がらず , 係争となって , 1605 年と 1607 年に評価 , 支 払いの記録があるので , 1605 年には完成していたとする . なおグレコは , 息子ホルへ・マ ヌエルを画家として , 二人で契約しているから , 息子が参加したことは確かである . 聖母 の拡げた外套の下に信者たちを入れて , 疫病から信者たちを護る慈悲の聖母の図像は , 中 世末 , ルネサンス時代から存在している . この古いテーマにグレコは当世風の明暗対立の 激しい表現を与えた・ く無原罪のお宿り〉 ワシントンダンノヾートン・オークス蔵 く訪問 > い第、 く憐みの聖母 > 、ノ く聖母戴冠》 く聖誕生》 くお告げ >

2. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

聖家族とマグダラのマリア 1590 ~ 95 年 ( 図 34 ) オハイオクリーヴランド美術館蔵 このマグダラのマリアを添えた聖家族は , デッサンも色彩も優美な , いかにもマニエリ スモ風の作品である・ヨセフの差し出すガラス鉢の中から聖母の取り出す果物を受ける小 児のイエスはいかにもあどけない・黄色い衣をまとうョセフの慈しみ深い表情と身振り , 青い衣を着たメランコリックな聖母の眼差しと気取った両手の仕草 , 赤い外衣をまとって 身を聖母にもたせるように寄り添うマグダラのマリア , これら人物たちのリズミカルな組 み合わせ . バックの雲の漂う青空は清楚な感じを与えるが , 足許を暗くぼかして , 地上的 な限定を故意に避けている . 聖アンナと幼児ヨハネのいる聖家族 ~ 1600 : 年 ( 図 35 ) 1590 マドリードプラド美術館蔵 トレドのサンタ・クルス美術館のく聖家族 > ( 図 19 ) とほとんど同じ構想であるが , この図 では右側にヨセフが居り , 左側の聖アンナの仕草を見つめている・彼女は , ヴェールをと って , 眠っている赤子のイエスを見つめて , 劇的な表情をしている . 聖母マリアも悲痛な 顔をしている・眠るイエスは , 将来の救世主の死を象徴するというもので , すでにヴェネ ツィア派のジョヴァンニ・ベルリーニやヴィヴァリーニによって広められた画題であり , グレコはこれを取り上げて , 彼独自の深刻な表現を達成している・聖母の膝元に立って , 子供の洗礼者ヨハネは右手に果物鉢を持ち , 左手を口にあてて , 身近な家庭情緒を添えて いる・右下の石の上に草書体で署名が記されている・保存状態は良好ではないが , 優れた 作品である . 死について瞑想する聖フランシスコと修道士レオ ( 図 36 ) ~ 90 年 1585 マドリードプラド美術館蔵 髑髏を持って瞑想する聖フランシスコは , 膝元に合掌する修道士レオを控えさせる構図 で , 数多くの作例が伝えられ , その中にはグレコのアトリエの作や弟子の作も多いが , 死 について黙想するという画題は , 旧教改革以来 , 重要な新画題の一つとなったもので , そ の最も典型的なものが , これらグレコの聖フランシスコの画像である . あまり激しく宗教 的情熱を外に現わさず , 静かに髑髏を持って考えこむ姿は , 傍の修道士をも控え目に納め て , 堅牢な造形表現を達成している・観者を , 隲髏を中心に静かな省察に引き込んでゆく 造形力を備えている・署名は右下隅にある・ 瞑想の聖フランシスコ 1595 ~ 1614 年 ( 図 37 ) マドリード個人蔵 これは髏と十字架のキリスト像とを前にして , 瞑想する聖フランシスコの半身像で , 修道士の厚い毛衣をまとう聖者は , 右手を胸に , 左手を下にのばして , 暗い洞のバックの 左上隅の明るい天空の一角を凝視するが如く , 恍惚とした境地に沈む・署名は髑髏の上に 草書体のギリシア小文字にて記されている・ コ ス ン フ 聖 想

3. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

0 6 無原罪のお宿り 1580 ~ 85 年 ( 図 18 ) トレドサンタ・クルス美術館藏 トレドのサンタ・クルス美術館には , もうーっ , この「無原罪のお宿り」のテーマで最晩 年に描かれたグレコの最高傑作 ( 図 55 ) がある . それに対して , この作品はトレド時代前期 のもので , 画の右下に草書体のギリシア小文字で記された署名 doménikos theotok6poulos e ' pofei の残欠が認められるが , すでに損傷のひどかったカンヴァスを 1948 年の修繕ではな はだしく加筆して , 整えたので , 現状では「無原罪のお宿り」という 16 世紀の宗教改革の後 に , 重要主題として取り上げられた図像上の興味から解説の対象となる・聖母マリアは , 原罪の現われる以前に , 宇宙の始源で聖霊によって妊られるというテーマを取り扱ったも ので , 天空の光雲に包まれ , 光のなかには無数の霊魂が宿るなかで , まだヴェネッィア画 派の奏楽の天使を想わせるような楽器を持った天使たちに伴われ , 聖母は慎ましやかに合 掌して , 軽く頭を傾けながら立っている・太陽に包まれ , 足下に三日月を踏むヨハネ黙示 録の「太陽の女」が聖母マリアの象徴であるとするから , 左下から聖ヨハネがこのヴィジョ ンを仰ぎ見ている・地上には薔薇の花や閉じられた庭 , 泉水などの象徴が描き添えられた 清らかな景色が展開する . 聖家族 1580 ~ 85 年 ( 図 19 ) サンタ・クルス美術館蔵 トレド グレコは , 聖母子を中心にヨセフや聖アンナ , あるいは他の聖者聖女をも添えた「聖家 族」の画を数点描いている . そのなかで , この作品は草書体ギリシア小文字で署名され , 比較的に早いトレド時代のものであるが , すでに劇的な深刻な表現をしている・暗い雲の 漂う空を背景に黄色の衣をまとった聖アンナは , 膝に眠る赤子イエスの布をあげて注意深 く見守る・赤と青の衣を着た聖母マリアは左手をイエスに添え , 右手を聖アンナの肩にお いて , 慈しみと悲しみを含んだ表情でわが子を見守っている . すでに十字架上の死を予感 する劇的な瞬間だという・また , 右端の幼児ヨハネは後に描き足されたという . グレコ は , 後年このテーマをョセフを加えて , 描いている ( 図 35 参照 ) ・ 郷士 1585 ~ 90 年 ( 図 20 ) マドリードプラド美術館蔵 グレコの芸術の核心は , 人体であり , 顔貌である・小さな肖像画であるが , 非常によく 人物の顔貌をまざまざと , 深く鮮かに捉え , 精神の生動するが如き筆触に生かしているの で名高い・彼の筆触は , つねに肉体を越えて精神的なものを発動させるために最後の仕上 げを加える・右側に草書体のギリシア小文字で署名が記されている・ く郷士 >

4. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

工 2 瞑想の聖フランシスコ 1595 ~ 1600 年 ( 図 38 ) サンフランシスコ美術館蔵 暗褐色の洞窟の岩壁を背景に , 灰青色の修道衣をまとった聖フランシスコは , 両手を胸 にあて , 跪いて , 岩の上に置かれた髑髏と十字架のキリストと聖書を目の前に祈るが如く 黙想している・数多いグレコの聖フランシスコの画像のなかでも , 特に優れた作品と言わ れている . 署名は , 右下隅の紙片に草書体ギリシア小文字で記されている . 筆触が瑞々し く鮮かで , 後期の描き方がよく現われている・ く瞑想の聖フランシスコ > 聖イルデフォンソ 1605 ~ 10 年 ( 図 39 ) ェル・エスコリアール修道院 聖イルデフォンソは司教杖を右手に支え , 左手に書物を開いて持ち , 読みながら立って いる・バックの青空に , 黄金の刺繍模様のある豪華な司教の衣装 , その袖裏の淡紅色 , 杖 をつつむ布の緑などと鮮かな色彩の対照が美事である . 聖イルデフォンソは , 606 年に生 まれ , ヴィジ・ゴート王レケスウイントに請われてトレドの司教となった高僧で , 『聖母 マリアの純潔処女性について』という著書で名高く , 聖母被昇天の祭日に , 聖母が多勢の 聖処女たちを従えて降り来給い , イルデフォンソに式服を齎し授けたという言い伝えがあ る・なお , 図 57 および図Ⅳ参照 . 聖処女マリア 1594 ~ 1600 年 ( 図 40 ) ストラスプール美術館蔵 単純な小品であるが不思議なほど印象深いしつかりとした重味ある画像で , 灰青色の地 に , 黄色の光に包まれ , 青い頭布を被った聖母が悲痛な眼差しをして , 口をつぐむ . マドリードのプラド美術館にも , これと同じ形式の聖母の画像があり , 右側に草書体ギ リシア小文字で doménikos theotok6polis e'pofei と , 署名がある . 出来栄えはむしろスト ラスプールの方がよく , プラドの作品はこれに倣って描いたものと推測されている . 救世主 1610 ~ 14 年 ( 図 41 ) トレド グレコ美術館蔵 グレコは , トレド大聖堂とグレコ美術館に伝えられているように , 2 組の救世主キリス トと十二使徒の画像シリーズを描いた . この他にもいくつかのコレクションに分散されて いる使徒たちの画像があるが , 主要なものは上記の 2 組のシリーズである . これら画像の 制作にあたって , グレコは全体として , 中世後期からルネサンスを通じて , イタリアにお いて救世主や使徒たちの画像がすでに伝統的に描かれてきた慣例に従って , その上で彼自 身の独自の表現を強調している . これら 2 組の救世主と十二使徒の画像の中には , 弟子の 協力した作も窺われるが , すべてグレコの構想 , 指導のもとに描かれたものであるとされ ている . このキリストの画像は , 正面向きのビザンティン系のタイプをとるが , ラテン教会流の 祝福の型を右手でとっている . 頭光に菱形の光背をつけて , 使徒たちと区別され , 赤衣に 青布をまとう通例の色彩で塗られている . 入念に描き上げられた優品である . 1 く聖イルデフォンソ > < 聖処女マリア》 く救世主 > く救世主 > トレド大聖堂

5. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

6 光を源として照らし出す . 現世の関係を棄てると同時に , 物語の限定も超越して , 不信仰 者に対する「復活」の真実を主張する画像となる . キリストの足許に仰向けに倒れている肉 体がすさまじい . 右下隅に署名がある . 五旬節 1605 ~ 10 年 ( 図 51) マドリードプラド美術館蔵 キリストの昇天後 , 五旬節の日 , 弟子たちが家のなかに集まって悔い改めをしていた折 , 大きな音響がして , 各々の頭上に舌の如き焔がたち , 精霊に満ちて , 忽ち各自はそれぞれ 異邦の言葉を喋り出し , この奇跡によって弟子たちが世界伝導に乗り出すという事跡を取 り扱う聖画像であるが , ここでもグレコは縦長い画面にこれを描いて , 下の手前に後ろ向 きの人物たちを置いて , われわれも彼らと共に , 奥で演ぜられている奇跡の感動に引きず り込もうとしている . 図 50 のくキリストの復活》と同じ大きさであるので , ともにマドリードのドニア・マリア ・デ・アラゴン妃の修道院教会堂のために作られたかと想定されたが , ウェゼイはこれを 否定しているし , く復活 > がアトッチャの聖母院の祭壇画であったことから , これもそうで はないかと推測されるが , ウェゼイはこのく五旬節 > はく復活》より約 10 年後の作品で , 子ホ ルへ・マヌエルの協力が認められ , デッサンが弛んでいるところがあると指摘している . キリストの洗礼 1608 ~ 22 年頃 ( 図 52 ) トレドタベーラ病院蔵 このくキリストの洗礼 > はグレコの最晩年の制作で , 城外のサン・ホアン・バウティスタ 病院 ( タベーラ病院 ) 教会堂の主祭壇中央の聖画像として計画された大作で , 1608 年頃から着 手して完成せずに死んだので , 息子のホルへ・マヌエルが引き続いて完成させたものとさ れ , ウェゼイは , 全体の構想から構図 , デッサンまでグレコが仕上げ , 上半部 , 天空の父 なる神とそれを取り囲む大小天使の群衆も優秀な出来栄えから推察して , グレコ自身の筆 で描き上げられたもので , 未完成のままで残された下半部では , 洗礼者の脚部の拙いデッ サン , キリストの誇張された様子 , その前の天使の姿勢などホルへ・マヌエルの筆が目立 っとしている . 野心的な構想になるだけ , 完成に至らなかったのは残念である . お告げ 1608 ~ 14 年 ( 図 53 ) マドリードウルキーホ銀行蔵 く五旬節》 くキリストの洗礼》 くお告げ》 お告げ 1596 ~ 1600 年 ( 図 54 ) ・ヘルトルバラゲル美術館蔵 ( プラド美術館寄託 ) ビラヌエノヾ・イ この最晩年のくお告げ > ( 図 53 ) は非常に大きな画で , トレドのサン・ホアン・バウティス タ病院 ( タベーラ病院 ) 教会堂の側祭壇に置かれる聖画像として描かれたものであるが , グレ コの歿年 1614 年には着手されたところで , 1622 年頃 , 息子ホルへ・マヌエルによって仕上 げられた . 次のビラヌエバ・イ・ヘルトルのノヾラゲル美術館藏のくお告げ > ( 図 54 ) に比べれ ば解るが , 画面は簡略化されて空所が多く , 彩色で埋めている上 , 聖母マリアも天使もデ ッサンが甘くなっている . 天空の奏楽の天使の集まりを周囲の光線と陰影の交叉する具合 などと共に複雑にし , 高く遠ざけて , 精霊の鳩をより強く示し , 聖母マリアに劇的なポー ズをとらせるなど , 構想の深さは認められよう . くお告げ》

6. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

和のうちに清らかに厳粛に現存している . これからのグレコの芸術のすべての要素がすで に備わっている . シカゴ・アート・インスティテュートのく聖母被昇天》は , ヴェネッィアのサンタ・マリ ア・ディ・フラリの大祭壇のティッィアーノの名画に倣ったものとして知られるが , 若い グレコはもう堂々と自分の芸術を作って , 師の画にはない表現を出している . 使徒たちの 驚き打ち騷ぐ地上から , 天使の群れに付き添われて , 天上の神の許に導かれる構想は同じ であるが , グレコは , ティントレットのように空間の奥行を取り入れて , 地上では斜めに 空虚な石棺を置いて , それを囲むように中をのぞいて驚く使徒たちを配置し , 漠然たる前 後配置により , 現実的な集結の様子を示している . 左側の一群と右側の一群を対照させ , 左は背後を大きく見せる一使徒の向かいに小さく五人の頭部を一列にならべ , 右は手前に 正面向きに跪く使徒と上から身をかがめて語りかける使徒を組み合わせ , すぐ後に二人ず っ四人の使徒の語り合う姿を配置する . ティッィアーノの古典的な様式に対して , 感動の 激しさを現実化させようと , っとめて身振りによって使徒たちに個別的な性格表現を与え ようとしている . 跪く使徒はペテロであろう . 強い明暗の対比のうちに , 光の効果を強調 する . 激しいタッチが一層この顔面や手足の肉体らしさから , さらに精神的なものの表現 を執拗に追求している . すでに後年の使徒たちの像 , 聖者像が始まっている . 大祭壇の左 右の両ヨハネの立像がそうである . グレコはフィレンツェのドウオモの鐘塔を飾ったドナ テルロの預言者像を知っていたのかと想わせるほど , 時代を遡ったゴシック的精神表現に 達している . 被昇天のマリアは , もっと下から仰ぎ見た姿となって , 両手を一層開いて天空の一点を 見つめ , グレコが神の姿を表わさないだけかえって , この聖母の姿勢に重味がかかってく る . ここでも , 天使たちは奥の空間に並んで , 聖母を前方に押し出し , 天空でも地上にお けるが如く積極的に自己主張している . 聖母は , それを巡る天使たちの群れとともに , 地 上の使徒たちに対して , 天上の存在を積極的に示すこととなる . 三日月を踏まえる聖母 は , 黙示録の「太陽の女」として , 原罪の彼方の絶対存在なのであり , 後のグレコはやが て「無原罪のお宿り」 , 「純潔懐妊」のテーマを展開させることとなる . く聖母被昇天》の右下 に , doméⅲ長 os theotoköpoulos krös 6 defxas 1577 とギリシア文字の署名がある . さらに二つのテーマ , く牧者礼拝》とく復活 > については後にそれぞれの作を取り上げる際 に述べるが , く牧者礼拝》の夜景には , 彼がパルマで見たコルレッジオの名画で , く夜》とよ ばれていたく牧者礼拝》 ( 現在ドレスデン国立美術館蔵 ) の影響が認められることはよく知られ ているところであり , く復活》では左下に描き添えられた白い衣を着た聖イルデフォンソ に , トレド大聖堂の参事員ディエゴ・デ・カステイラの姿を写しているという ( コシオ ). 聖衣剥奪 1577 ~ 79 年 ( 図 7 ) トレド大聖堂 ドミンゴ・エル・アンティグオの祭壇画の大制作のためにマドリー グレコが , サント・ ドからトレドに来たのは 1577 年の春と推測されるが , 同じころトレド大聖堂のためにこの 大作の注文をうけ , 1579 年の 6 月には出来上がり , 引き渡しに際し金額の点で折り合いが つかず , また画中に三人のマリアの居合わせることや , 群衆の頭がキリストの頭より高い ことを咎められて , 係争となって , 9 月に大聖堂当事者側との話し合いがつき引き渡され ることになった . 枠となる祭壇建築も , プレデルラとして配置されたく聖イルデフォンソ の奇跡》 ( 図Ⅳ ) もグレコの設計になったが , 祭壇建築の方は , 17 世紀の聖器室改築の際に 別のものに変更され , さらに 19 世紀初めに改装されてしまった・ く聖衣剥奪》は , 中世後期に行なわれた受難シリーズの一画題であるが , 当時としては全 ティッィアーノく聖母被昇天》 く牧者礼拝 > コルレッジオく牧者礼拝 ( 夜 ) 》 ドレスデン国立美術館蔵

7. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

ード , ラザロ・ガルディアーノ美術館藏 ) , くパドヴァの聖アントニウス》 ( 図 12 ) などは , 自然主義的傾向の目立つ聖画 像であるが , やがて彼は精神的性格を強化し , 同時に光の効果を記す強いタッチの目立つ描法に移って , くオルガス 伯の埋葬》からその直後の時代の聖画像 , ェスコリアールのく聖痕を受ける聖フランシスコ》 ( 図 31 ) など , 特徴的な作 品が相次いで描かれ , デフォルマシオンさえ加えたく聖ヒ工ロニムス》 ( ニーヨーク , メトロポリタン美術館蔵 ) , 晩年の トレド大聖堂やグレコ美術館の十二使徒の単独像のシリーズにまで至って , 精神的な緊迫感に満ちた作品を生んでい る . 開に輝く光に照らされて瞑想するレンプラントの福音書記者マタイ像も , その重厚な姿のうちに神秘的な趣を秘 めているが , グレコの福音書記者マタイ像は , より抽象的な色彩と激しい明暗の対照から , より精神的な表現に達し ている . 書中の聖母子の画像を示しているトレド大聖堂のく聖ルカ》 ( 図 44 ) は , 肖像画的な顔貌から , しばしばグレコ の自画像ではないかといわれることもあるほどである . この聖ルカの画像は , 鮮かな色面 , 明暗の対比とその動勢に よって , 現実を矯正し脱物質化を行ない , 抽象化の操作で芸術表現を高揚して聖ルカの精神的現存を露呈する . 聖ル 力の画像でも , 聖ョノ、ネの画像 ( 図 42 ) でも手の表情が雄弁な身振りとなって , 顔の方向とともに身体の動勢を主導 し , 彼の精神表現の重要な要素をなしていることが注意されるであろう . 大構図の場合はもちろんであるが , 単独像 の場合は単純であるだけ , 手の役割が明瞭に理解できる . 手は , 顔貌の表わす精神生活に対して , 補足的に意味内容 を説明する . しかし , その純芸術的な処置がこれに劣らず大切である . ジュリオ・クロヴィオの指差す手の仕草は単 純素朴であるが , 後のトレド大聖堂の十二使徒の画像における両手の処理は実に凝ったものである . 両手が顔ととも に , それぞれの使徒の動勢と形姿の重要な拠点になっているのに気づく . グレコは , イタリア時代から室内の人物像を描いて , 環境表現を加える肖像画を手がけている . ラファェルロの くジュリオ二世》の坐像のように , 彼は椅子に坐っている人物を室内の環境ごと描いた全身肖像画の傑作を残してい ーヨークのメトロポリタン美術館のく枢機卿ニ ニョ・デ・ゲノヾラの肖像》 ( 図 58 ) では , 赤衣の枢機卿の厳し る . い姿と , 同時に室内の雰囲気が描き出されて , モニメンタルな大きさをもって圧倒的印象を醸成する . ポストン美 術館のく修道士オルテンシオ・フェリクス・パラビシーノの肖像》 ( 図 59 ) も , 椅子に腰掛けて考え込むこの学僧の存在 が , 周囲の雰囲気描写まで取り入れて描かれている . このような室内画的要素が肖像画に加わった著しい聖者像の例 は , 同じく晩年の傑作であるイリエスカスのく聖イルデフォンソ》 ( 図 57 ) 像で , 豪勢な貴金の刺繍をした赤紫色の天鵞 絨のテープル掛けをかけた机に向かって , 当世風の飾椅子に掛け書き物をしながら , ふと顔をあげて眼前の聖母マリ アの像を凝視する聖者は , 当時の学者風の一聖職者の肖像画そのものである . 窓から入る光線は , 彼の黒い上衣の肩 からペンを持った右手 , 机の上の書物 , 開かれたページの上に置かれた美しい左手 , さまざまの文房具を明るく照ら し , テープル掛けの赤紫色を穏やかに , しかし力強く示している . 半ば禿上がって後頭にのみ白髪をふつくりと残す 頭部と鼻の尖った眼の比較的小さい横顔を , 光は , 背後の室内のほの暗い空間から浮き出させている . 実際のモデル に拠って描いたとしか考えられない . 背後は頑丈な木の扉で , 半ば奥に開かれている . 白い大きな外套を着て , 御子 を抱いて立っ姿の聖母マリアの像も , まさに室内の置物である . その聖母マリアは幻のように光のうちに漠然と描か れていて , しかも離れて見ればまさに現存している . 聖イルデフォンソは恍惚として聖母マリアの言葉に耳を傾けて いる様子である . 彼の顔を , 画家の筆は光のうちにためらうことなくタッチを進め , 白晳な老師の顔を光に従って描 ョ・デ・ゲノヾラの肖像やオルテンシオ・パフビシーノの肖像と並ん いている . まさに , 真実の肖像画の傑作 , で論じられるかと思うほどの作品である . ドミンゴ・エル・アンティグオの大祭壇に , 洗礼者と福音書記者の両ヨハネの立像を描いてから , いくつ リ く瞑想の聖フランシスコ > マドリードラザロ・ガルディアーノ美術館蔵 く聖ヒェロニムス > ョークメトロポリタン美術館蔵

8. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

た同じく最初のくお告げ》 ( 図Ⅲ ) はティッィアーノの《お告げ》の一つが手本になっているといわれるが , く神殿追放》の 奥行を強調する建築物の遠近法や人物たちの誇張気味の姿勢はむしろティントレットを想わせるし , く火を吹く若者》 ( 図 10 参照 ) のような民衆タイプのリアリズムの導入のみならず , 輝きと陰影の振動を狙う効果もバッサーノの画風を 想わせる . けれども師匠ティッィアーノからは何をおいても豊かな自然主義の画風と堂々たる古典様式を学んだはず ドミンゴ・エル・アンティグオの大制作 である . しかもティッィアーノの影響は , スペイン時代に入って , サント・ をするようになって , 再び , 否むしろ初めて本格的に現われたといってもよい . 祭壇の形式そのものはヴ = ネッィア のそれに倣ったといわれ , 中心画題であるく聖母被昇天 > ( 図 6 ) は , ティッィアーノの名作 , サンタ・マリア・ディ・ フラリ聖堂の主祭壇画に全体的構想を負っていることはよく知られているところである . また < 手を胸にあてた貴族 の肖像 > ( 図 14 ) というスペイン時代初期の名高い肖像画でも , 素直に師匠の画風を考えながら描きあげた作品である・ グレコは青年時代を過ぎてから , 落ち着いて師匠の芸術を追想している感がある . しかも , 晩年のティッィアーノ の , 筆触の激しいバロック気味な作風ではなく , 溯って若い頃のティッィアーノの形の整った丁寧な画風の作品を参 考にしているし , 彼自身 , いわゆるマ = ェリスモ的な滑らかな膚の肉体や優美な姿態をもって最初のスペイン時代の 聖画像を描いているから , く悔悟のマグダラのマリア》 ( 参図 5 ) とかく聖セバスティアヌスの殉教》 ( 図 13 ) のうちに , テ ィッィアーノの若い頃の麗筆の反映が認められるのも当然であろう . しかし , この大画家が暖かい色調で人物も自然 も悠然と自然な姿そっくりに描き出しながら , 豊かな芸術の様式美を具現しているところは , グレコにすっかり理解 された訳ではない . グレコは自己流から脱しきれなかったらしい . この点についてはまた後に論じよう . ミケランジェロとコルレッジオの影響 く三位一体 > 部分 .. ~ ローマに移ったグレコは , ミケランジ = ロの芸術に感心した . ティントレットを通じて , 人体のさまざまに強調さ れた動勢や誇張された姿態の表現に興味を惹かれ , 自らもいろいろと試みていた . ミケランジ = ロの壁画や彫像に接 して , 堂々たる人体像の表現力を本当に知り , このような人体像が理念の担い手としての役割をしていることはよく ームの天 心得て , 構図を組み立てるようになる . プラド美術館の初期のくお告げ》 ( 図Ⅲ ) の画では , 堂々たるヴォリ = 使がお告げの役目を権威をもって果たしている . 受けるマリアも , しつかりした体躯をねじって演劇的な誇張を持っ ているのはやむをえない . かのフィラデルフィアのジョンソン・コレクションのくピエタ》 ( 参図 3 ) では , キリストの 遺骸を抱える三人の群像が , 明らかにミケランジ = ロのフィレンツ = 大聖堂にあるピエタの結合法に倣っているもの で , アリマティアのヨセフの代わりに聖母を描いているが , 若いグレコはヴネッィアでは味わえなかった真の感動 に打たれたに相違ない . 筆触もローマに行ってから , 幅のある筆法に次第に変わっていって , 以前のような縞状の条 を残す筆痕で画面に神経質な皺のよったような様相はなくなっていった . この《ピエタ》にはまだ , ごく初期の時代の 条を残す筆触が認められるので , ミケフンジ = ロの影響を受けた当初の作品であるかと思われる . 前述したローマ時 代に描かれたく神殿追放》 ( 図 3 ) でも , もとファルネーゼ家蔵のパルマ国立美術館のく盲人の治癒》 ( 参図 6 ) でも , 幅のあ る筆触になっている . グレコがミケランジ = ロのく最後の審判 > の大壁画の前で , これを壊したらもっと行儀正しい立

9. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

聖イルデフォンソ 1600 ~ 03 年 ( 図 57 ) イリエスカスカリダー病院蔵 これもグレコ晩年の傑作である . 書き物をしている聖イルデフォンソは , ふとペンをあ げ , 神秘な言葉に耳を傾ける . 黒い僧服を着た白髪の老聖者の姿は , 緋色の天鵞絨の布を 掛けた大きな四角い机を前にどっしりと徴動だにしない . 背後に , 壁の前に黄金の冠を被 り純白の衣服を着た聖母マリアの像が , 御児を抱きながら , 生けるが如く徴笑んでいる . 飾革の壁と暗い奥の前に , 白と黒と赤紫の形が黄金の飾りと白のハイライトで振動してい る . 聖画像というより , 真実の肖像画で , 細かい観察を記す筆触が顔面に , 両手に , 細々 した文房具に跡づけられる . この画は , イリエスカスのカリダー病院の一連の祭壇画より 先に描かれたとすることは , 祭壇画支払いの係争などとあわせて , 画の描法から見ても推 定できよう . 聖イルデフォンソは 7 世紀のトレドの大司教であって , 『聖母マリアの純潔 処女性について』の著書がある . ニョ・テ・ゲ′ヾラの肖像 1596 ~ 1600 = 年 枢機卿ニ ( 図 58 ) ニューヨークメトロポリタン美術館藏 枢機卿フェルナンド・ ニョ・デ・ゲバラの肖像は , 17 世紀西欧肖像画の中でスペイ ン肖像画の特質を最初に発揮した傑作である . グレコは , すでに数多くの肖像画を描き , くオルガス伯の埋葬 > ( 図 27 ) の群像肖像画のような大作を描いてきたが , ここに至ってその 頂点に達したかの如き観のある密度の高い作品である . 赤い僧服を着た枢機卿は硬い椅子 に坐っている . 周囲は床も壁も背後も褐色と黒の色面構成で , 光を受けた赤服と赤ら顔に 黒縁眼鏡 , 底光りのする眼差し , 肘掛けにもたせた両手 , 白レース付きの下服が簡潔に大 きな形の中に小さな細かい輝きと動きを与えている . ョ・デ・ゲバラは 1541 年に生 まれ , 1596 年サン・マルティノ・アイ・モンテの枢機卿となり , 1600 年宗教裁判官に任ぜ られ , 1601 年から 1609 年までセビーリヤの大司教となった人で , この画は彼がトレドから セビーリヤに去る前に描かれたと推定されている . 修道士オルテンシオ・フェリクス・パラビシーノの肖像 1609 : 年 ( 図 59 ) ポストン美術館蔵 これもグレコの肖像画の傑作で , 詩人であった修道士パラビシーノは , 「クレタは彼に 命を与え , トレドは筆を与えた」という有名な言葉をグレコに捧げた詩の中に語っている が , 29 歳の彼は感受性と知性の豊かな顔貌をして , 白い僧服に黒い外套を着た姿で , 大き な椅子に腰掛け , 左手で肘掛けに置いた大きな本と小さな本を支え , 友情に満ちた親しい 画家の筆に信頼しきっている . バックは赤褐色の地塗りを薄く覆う程度で , ほとんどスケ ッチ風の筆使いを重ねて仕上げている・最晩年のグレコは , 勢いよい筆使いで , この修道 士の精神を画面全体に剌と活かしている . く聖イルデフォンソ > く聖イルデフォンソ > 部分 く修道士オルテンシオ・フェリクス・パラビシーノの肖像 >

10. 世界美術全集〈14〉エル・グレコ

9 。々 , い ネ 書 福 三位一体 1577 ~ 79 年 ( 図 4 , 5 ) マドリード プラド美術館蔵 聖母被昇天 1577 ~ 79 年 ( 図 6 ) シカゴ・アート・インスティテュート蔵 トレドのサント・ ドミンゴ・エル・アンティグオ教会堂の大祭壇画は , グレコのスペイ ンに来て最初の重要な制作であったのみならず , イタリア時代にこれといっためぼしい大 作を描く機会に恵まれなかった彼にとって , これが彼の美術家としての生涯最初の本格的 な作品だったのである . 36 歳から 38 歳の頃の仕事である . ドミンゴ・エル・アンティグオは , カルロス五世のイサべラ王后の女官 , ドニ ア・マリア・デ・シルバの寄進によって , 1577 年から 1579 年にかけてトレド大聖堂の建築 家ニコラス・デ・ベルガラの設計で建立されたもので , 国王の建築家へルレラも建設中に介 人している・この造営の管理にあたったトレド大聖堂の参事員ディエゴ・デ・カステイラ から , グレコは 1579 年 3 月までに引き渡す条件で , 大祭壇のく三位一体 > , く聖母被昇天 > な ど 6 画と左右の祭壇のく牧者礼拝 > とく復活》の制作を契約し , 三つの祭壇の建築計画と 5 体 の装飾彫像の下絵まで作っている . 大祭壇の中心をなす図像はく聖母被昇天》 ( 図 6 ) で , 左 右に聖ベルナルドウスと聖ベネディクトウスの胸像を配し , その次にく三位一体》 ( 図 4 ) が 配置された . これら大小 4 点の画は 1827 年に尼修道院が売却し , そのうちく三位一体》が国 王の収集に , 他の 3 点も一王族の収集に人った . 現在 , 大祭壇下段の左右には洗礼者聖ョ ハネと福音書記者聖ヨハネの大画像が残り , 中央はく三位一体》に代わって , く聖母被昇天 > のコピーが置かれている . その上の楕円形にく聖骸布》が掲げられた . 左壁の祭壇にはく牧 者礼拝 > ( 現在サンタンデルのエミリオ・ポティン収集 ) , 右壁の祭壇にく復活》が配置された . グレコがその後 , 最晩年まで繰り返して大画面に取り扱うく聖母被昇天》やく復活 > , く牧者 礼拝》のような主題がここではじめて堂々と取り上げられ , 彼は先例の影響を受けながら も , 自分の聖画像を作り上げた . く三位一体》はグレコの芸術の厳かな誕生である . 黄金の光に包まれた精霊の鳩の下に , 天上の雲の中に父なる神が坐る . 地上で , 十字架の上で人類の罪を贖われて , 永遠のもと に帰ってきた御子イエス・キリストの傷ついた肉体を , 神はその膝の上に抱きかかえ給 う . 天使たちが左右から寄り添い , 悲しみを包み隠しきれず , 激しく嘆きあう . キリスト の両肩や足許には頭と翼だけの霊的な智天使 , 熾天使たちが雲の端から下界を見降して , 沈痛な表情をしている . キリストと父なる神の構成にミケランジェロのピエタの構成が窺 われ , キリストのトルソはミケランジェロの大理石のキリスト像を想わせるし , くの字型 に曲げた右腕を腰にあてる具合も , 階段の聖母の赤子のイエスからメディチの墓廟のロレ ンツオの姿態に見られるかの巨匠の癖を反映したものである . さらに全体の構想にデュー ラーの三位一体の版画の影響があるという . グレコは偉大な先輩たちの作例から熱心に学 びとっているし , 同時代のイタリアのマニエリストの画家たちとも歩調を合わせている . キリストの身体の曲がりくねった姿勢 , 光線と陰影を強調する明暗描法 , 天使たちの顔面 のさまざまの角度から見た短縮図法の駆使 , 類似化をさける現実描写を基調とする努力が ヴェネッィア時代の修業を想わせるが , また , 他方では衣布に塗られた鮮かな色彩のコン トラスト , 肉体の大理石像のような冷たい色と光沢など , フィレンツェ派のマニエリスト 画家たちの抽象的な色彩構成を想わせる . グレコも人物たちの組み合わせに , キリストの 身体を中心に左右の奥の上方から降る斜線を交叉させ , 両翼を開いた精霊の鳩の姿を要点 とする幾何学構図に苦心している . 折り重なる灰色の大きな雲の塊を背景に , 鮮かな衣を まとう天使たちにかこまれ , 精霊の鳩と父なる神の前にキリストの肉体が黄金と白色の協 く三位一体》 く聖骸布》 0 く聖母被昇天》 4 く聖ベルナルドウス》 く聖ベネディクトウス》 く洗礼老聖ヨハネ >