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検索対象: 坂の上の雲 2
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1. 坂の上の雲 2

230 は確実であり、そういう面の上昇カーヴと海軍拡張とが符合している。 真之が渡米したのは、そういう時代であった。 真之は、戦略戦術の天才といわれた。 が、ひょっとすると、天才ではないかもしれない。そのことはかれ自身が知りぬいて いたし、第一、明治海軍に天才などはついに居なかった。 まず真之の特徴は、その発想法にあるらしい。その発想法は、物事の要点はなにかと いうことを考える。 要点の発見法は、過去のあらゆる型を見たり聞いたり調べることであった。かれの海 軍兵学校時代、その期末試験はすべてこの方法で通過したことはすでにのべた。教えら れた多くの事項をひとわたり調べ、ついでその重要度の順序を考え、さらにそれに出題 教官の出題癖を加味し、あまり重要でないか、もしくは不必要な事項は大胆にきりすて た。精力と時間を要点にそそいだ。真之が卒業のとき、 「これが過去四年間の海軍兵学校の試験の問題集だ」 といって同郷の後輩竹内重利にゆずりわたしたということはすでにのべた。このとき 同座した同級の森山に、 「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすて るという大胆さだけが問題だ」

2. 坂の上の雲 2

までも朝鮮に対するおのれの宗主権を固執しようとしたため、日本は武力に訴えてそれ をみごとに排除した」 前者にあっては日本はあくまでも奸悪な、悪のみに専念する犯罪者のすがたであり、 後者にあってはこれとはうってかわり、英姿さっそうと白馬にまたがる正義の騎士のよ うである。国家像や人間像を悪玉か善玉かという、その両極端でしかとらえられないと , つのよ、、 しまの歴史科学のぬきさしならぬ不自由さであり、その点のみからいえば、 歴史科学は近代精神をよりすくなくしかもっていないか、もとうにも持ちえない重要な 欠陥が、宿命としてあるようにもおもえる。 他の科学に、悪玉か善玉かというようなわけかたはない。たとえば水素は悪玉で酸素 は善玉であるというようなことはないであろう。そういうことは絶対にないという場所 ではじめて科学というものが成立するのだが、ある種の歴史科学の不幸は、むしろ逆に 悪玉と善玉とわける地点から成立してゆくというところにある。 日清戦争とはなにか。 その定義づけを、この物語においてはそれをせねばならぬ必要が、わずかしかない。 そのわすかな必要のために言うとすれば、善でも悪でもなく、人類の歴史のなかにお ける日本という国家の成長の度あいの問題としてこのことを考えてゆかねばならない。 ときに、日本は十九世紀にある。 列強はたがいに国家的利己心のみでうごき世界史はいわゆる帝国主義のエネルギーで

3. 坂の上の雲 2

と言い、それをさらに説明して、 「従って物事ができる、できぬというのは頭ではなく、性格だ」 と 7 もいっこ。 真之のいう要点把握術は、永年の鍛練が必要らしい 真之が死んでその追悼会が芝の青松寺でおこなわれたとき、席上、かれの日露戦争の はやお ときの上司であった島村速雄は真之を追憶し、評価した。その速記録によると、 「日露戦争における海上戦の作戦はすべてかれの頭脳から出たものであります」 と、当時の艦隊参謀長 ( 後半のこの職は加藤友三郎 ) としての立場から明言し、 「かれが前述の戦役を通じ、さまざまに錯雑してくる状況をそのつどそのつど総合統一 して解釈してゆく才能にいたってはじつにおどろくべきものがありました」 これが、真之の兵学校入校以来鍛練してきた要点把握術であろう。 さらに、島村は真之を世評どおり「天才」といった。 「かれはその頭に、滾々として湧いてつきざる天才の泉というものをもっている」 その「天才」と島村がいう頭の構造は、島村がそれを解説して、 米「目で見たり、耳できいたり、あるいは万巻の書を読んで ( 真之は米国でもそうだった が、もの狂いじみた読書家だった ) 得た知識を、それを貯えるというより不要なものは 渡洗いながし、必要なものだけを貯えるという作用をもち、事あればそれが自然に出てく るというような働きであったらしい」 こんこん

4. 坂の上の雲 2

ながらも勝利をおさめられるかもしれない。 ところが、日本の全面的勝利を予想した専門家がいる。米国海軍の少将ジョージ・ ・ベルナップであった。 ベルナップは、日本通であった。安政四年にはじめて日本へ来航し、その後慶応三年 から一年間滞日し、さらに開化後の日本を、明治二十二年の段階と同二十五年の段階と でみた。かれは黄海海戦後、「ニューヨーク・サン」に寄稿している。 「日本人の素質を知るには過去千年のあいだの日本歴史を知る必要があろう。それによ って、この民族における献身的武勇と戦略的才能、それに英雄的行動がいかにすぐれて いるかを知ることができる。その歴史は英国史もしくはヨーロッパの各国史といささか そんしよく の遜色もない」 かれは、源義経、加藤清正、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の例をひき、かれらは西 洋史におけるプラック太子、クロムウエル、ウエリントンと質においてかわりがないと ひと だんうら し、さらに日本戦史におけるたとえば壇ノ浦の海戦はトラファルガーと均しく重要であ るとし、その決死熱闘の状についてはその上に出るとし、関ヶ原の戦いはウォーターロ 、とし、日本人は英国人とその質においておとらな ーの戦いよりも戦史的価値は大きい 争 戦いとする。さらにベルナップは維新後の日本陸海軍の訓練の精度が英国陸海軍にかわら ぬことを説き、とくに海軍については、 「自分はかって日本の海域においてたまたま英国海軍の司令官が十隻の艦隊を指揮して

5. 坂の上の雲 2

もとで働く以外のことを考えたことはなく、結局はこの「日本」新聞社の社員としてそ のみじかい生涯をおわることになる。 もっとも給料については羯南はその約東どおり入社数カ月ですぐ二十円にしてくれた し、やがて三十円にあげてくれた。 勤務については、羯南は子規が病身のことでもあり、 「べつにこれという仕事もないから、毎日出る必要はありませんよ」 といってくれた。これは子規にとってありがたかった。 ところがのちの話 ( 明治二十七年二月 ) になるが「日本」は、「小日本」という家庭新 聞を出すことになった。もともと「日本」は論説新聞で、しかも政府攻撃についてはも っとも尖鋭で勇敢な新聞であり、このためしばしば発行停止処分をうける。そういうば あいの社の経済を救う別種の刊行物が必要ということでこの「小日本」の発行が企画さ れた。「家庭むきで上品な」というのが編集方針であり、ある意味では論説新聞より作 りかたがむずかしい。 その編集主任に子規がえらばれた。 当初、「日本」の編集主任の古島一念は子規のことを、 争 戦 どうせ浮世ばなれした文学青年だろう。 日とみていたのだが、「小日本」を編集するようになった子規を見て意外におもった。 古島と子規については、かれが入社早々のころに挿話がある。古島は、新聞人に学歴

6. 坂の上の雲 2

346 ただし、かれが心酔する無制限な独裁国家におろかな君主があらわれた場合はどうで あろう。 「その国はもっともおそるべき試練をうけねばならない」 とし、その「おろかな君主」として、ウィッテは、かれの反対をしりそけて日露戦争 をやってしまったニコライ二世を見本においている。 「破壊はど容易なしごとはない。三歳の幼児でも大人が十年も百年も考えてつくったも のをまたたくまにこわすことができるように、おろかな君主は、かれの先行者がつくっ たよきものをたちまちにこわしてしまう」 よき独裁君主とはどういうものか。 「強い意志と性格が必要である。つぎに高潔な感情と思想、それから智恵と教養と訓練 が必要である。ただし、智恵と教養うんぬんの条件はとりたてていうほどではない。十 九世紀から二十世紀にかけてのヨーロッパ各国の貴族や富豪においては普通の属性であ るからだ。要するに普通の頭脳でも独裁政治はりつばにやってゆけるのである。プロシ ヤの大帝ウイルヘルム一世がなによりの証拠である」 ウィッテは、独裁君主においてはなによりも、つよい意志と高潔な思想、感情を第一 条件とする。 「これなしで、自分の国や、自分自身に幸福をもたらすことはできない」 その逆がニコライ二世である、と言いたいような語気である。

7. 坂の上の雲 2

Ⅱ 0 水師営西方の高地より進入せしめねばならない。ただこの攻撃法における最大の困難は、 標高五百メートルあまりの高地を、よじのばることによって攻撃占領せねばならぬ点で ある。さらにこの攻撃法をとる場合、水師営西方高地にある諸道路をくわしく偵察して おく必要がある」 好古の意見書は、さらに詳細をきわめている。日本軍の習慣としてエ兵を軽視しがち な点に留意し、「どの攻撃方法をとるにしても、各攻撃部隊にはエ兵を付属せしめねば ならない」とい , つ。 また、騎兵をつかいこなす能力をもたぬ軍司令部のことを考え、 「各攻撃部隊の連絡がとだえるおそれがある。このため各部隊には騎兵をすこしずつ分 属せしめる必要がある」 と、書いている。 ( 以下、略 ) 日露戦争においては、好古は旅順を担当しなかった。日露戦争において旅順攻略をす るにあたってこの程度の捜索報告があればその死傷はおそらく半減したであろう ( もっ ともこの日清戦争における旅順攻撃のなかには旅団長として少将乃木希典がくわわっている。 乃木はのち日露戦争のときの旅順の担当者になった。かれはすぐれた統率者でありえても戦 略家としての資質がとばしかったようである ) 。 ともかく、第二軍司令官大山巌は、この好古の意見書によって攻撃計画をたてた。攻 撃開始は、十一月二十一日ということにきめられた。

8. 坂の上の雲 2

293 米西戦争 ふうに、その情勢を理解していた。 もっとも、他の労働者が、 「なあに、枡本はスパイだよ。こいつはこの軍艦の底にドリルで穴をあけるために日本 からやってきたのだ」 と、ひやかしたりした。 こういうのんきさは、それぞれが故国の束縛からはなれてアメリカの市民社会の自由 さのなかでくらしているという、そういうことが基盤になっているらしかった。かれら はたとえ枡本がスパイであってもかまわないのである。 もっとも枡本はスパイではなかった。日本海軍にとってロシア軍艦の生能、構造など、 そのとしどしの海軍年鑑をみればわかることであり、枡本にそれをたのむ必要はない。 枡本は造艦技術を習得すればよかった。ただその練習台が、やがて日本海にうかぶであ ろうロシア戦艦であるということだけが、めぐりあわせの奇妙さであった。

9. 坂の上の雲 2

138 子規のこのねだりは戦地にいる同僚にまできこえて、そういう方角からも反対してき いったん戦地に病 「戦地のおそるべきものは砲煙弾雨にあらずして病魔の襲来にあり。 めばとうてい十分の療養はなりがたし」 ということであった。 それでも子規は耳を藉さなかった。子規の性分であった。 虚子はいう。 「子規居士は自分たちをあのように説諭したが、思いたてばひとの忠告もあらばこそ、 矢もたてもたまらなくなるのは子規居士こそそうである」 編集室のたれもが反対した。 ところがわるいことに ( 子規にとっては好都合かもしれないが ) 年があけて二月ほどた このえ っと、従軍記者がいま一人必要なことになった。近衛師団か大阪師団のどちらかが動員 されることになったのである。 「ぜひ、あしに」 と、子規はまたまた羯南にねだった。羯南も根負けして、 「それなら考えてみましよう」 と、つい言った。その拍子に子規が、当の羯南が息をわすれるほどによろこび、目の 前であまりうれしがってしまっているために羯南もそれ以上なにもいうことができなか か こんま

10. 坂の上の雲 2

かきがら とはこう、という固定概念がついている。おそろしいのは固定概念そのものではなく、 固定概念がついていることも知らず平気で司令室や艦長室のやわらかいイスにどっかと すわりこんでいることじゃ」 真之は、アメリカ海軍の話をした。 「アメリカ海軍は、素人じゃと思うた」 と、 「日本のほうが玄人か」 「世界一の玄人であるイギリス海軍に学んだため、当然ながら玄人じゃ。あしの玄人の しかし、おそろし 目でアメリカ海軍をみると、やることなすことがじつに素人くさい さはその素人ということじゃ」 素人というのは智恵が浅いかわりに、固定概念がないから、必要で合理的だとおもう ことはどしどし採用して実行する。ある意味ではスペイン海軍のほうが玄人であったが、 その玄人が、カリブ海で素人のために沈められてしまった、と真之はいう。 真之のこの感想については、かれの帰国後の奔走が裏うちされている。 へいき 「兵棋演習」 という、そのことである。 かれがアメリカ海軍で見聞したもののなかでもっとも感心したのは兵棋演習であった。