千秋も田中もふんがいし、この善後処置をどうすべきかについて協議した。 そのうち、真之が突如、海軍省にやってきて、人事局の部屋に入ってきた。 「君は、 ったいど , っしたのだ」 と、千秋恭二郎はいきなり怒声をはなち、真之に椅子をあたえてすわらせた。真之は 椅子を前後反対にし、背のもたれの上に両腕を組んで、なにを朝つばらから怒ることが ある、というと、千秋は昨夜東郷邸にゆかなかったことを責めた。 真之は、理由をいった。 「わかった。君は軍務局の山口鋭に会ったろう。山口に、開戦情勢がどうこうというこ とをきいたろう」 真之がうなずくと、 「いっとくが、こんどのこの人事は、軍務局の連中も知らんのだ。この省内ではわれわ れ人事局だけが知っている」 そこへ、東郷中将が、所用で省内にやってきているということを、他の者がいった。 雲「ち一よ , つ」、 と、千秋はさきに立ち、真之をうながした。 風 秋山真之が、東郷平八郎という人物とたがいに一対一で顔をあわせたのは、このとき
ワシントンで大尉時代の真之に会ったことがある。 「君は、海軍大学校に入らんのかね」 と、坂本はきいた。 海軍大学校の甲種学生は少佐か大尉でえらばれるから、この質問はふしぎではない。 が、真之はふしぎそうな顔をしてこの老先輩の顔を見つめ、 「私に教える教官がいるのでしようか」 と、反問した。 坂本は、一瞬考えてしまった。 ( なるほど、そうかもしれんな ) と、思いなおした。ワシントンでの滞在中、公使館の広間でずっと真之の話をきいて いたのだが、いちいち感嘆した。 ( これは学生というより、教官だ ) とおもい、戦術講座を開設するにあたって考慮するまでもなく海軍少佐秋山真之を指 名した。 真之は艦隊勤務から離れ、東京にもどり、大学校につとめることになった。 夜 七家は、それ以前から借りていた芝の高輪車町のそれである。母親のお貞は、気に入り + の末っ子である真之と一緒にすむことを楽しみにしていたから、この東京勤務は、お貞 にとっては重大事件であった。
288 おそらく五月ごろになるはすだ」 さねゆき と、二月二十日という日付入りで、好古は、海上で作戦海域にいる三笠の弟真之にむ かって手紙を出した。遺言のような激励のような文面で、その書き出しは、 「海軍の連戦鏈勝は、国民をして狂喜せしめている。陸軍の進発は氷のためさまたげら れていたが、漸次出発、数カ月ののちに大決戦の時機がくるだろう。わしの出発 よ : と、前文につづく ついで、東郷平八郎の参謀である真之に対し、参謀たる者の心得を説く、このあたり 頭ごなしの説教調子は、真之が松山から大学予備門に入るべく上京してきたころとすこ しもかわらないが、真之のような人を食った男には、好古の存在は必要だったかもしれ ず、げんに好古のいうことだけは、子供のような素直さできいた。 「参謀の要務というのは、円転滑脱として上と下との油にならなければならない。功名 を断じて顕わしてはいけよい 自分の功名にするなということは、真之のその後の生涯をみると、かれは忠実にまも った。日本海海戦は秋山真之がやったということをいったのはつねに海軍部内の他のひ とたちであり、ついに真之の口からこのことばが出なかった。 さらに好古はやや遺言めいた重要なことを書いている。 「国家が衰退するのは、つねに上流社会の腐敗よりおこる」
120 最初は、真之が勝ちつづけた。むろん、相手の手である。勝ちにげはできないから、 なおもつづけているうち相手がトリックをつかいはじめ、このため真之がどんどん負け はじめた。 真之はポケットの金だけでなく、ついにカバンのなかの巨額な金まで手をつけはじめ たころ、相手のいかさまに気づいた。 気づいても、だまっていた。 しに一文なしになるまで捲きあげられてから、真之は立ちあがり、 「ちょっと、話がある」 と、そのギャングの頭目らしい紳士を自室につれこみ、すばやくカギをかけた。 見そこなうな」 真之は、どなった。てめえのトリックぐらいは先刻見やぶっていたが、わざとだまっ ていてやった。考えてみろ、いかさまにだまされて金を捲きあげられたとあればサムラ しらさや イの名誉が立つか、金はぜんぶかえせ、さもなければこれだ、と、腹のあたりから白鞘 の短刀をぬきとり、キラリと鞘をはらった。 すさまじい殺気である。 頭目はよはどおびえたらしく、この種の稼業人としてはめずらしいことに、金をぜん ぶ吐きだして真之にかえしてしまった。 この話を、好古は耳にしたのである。
「おまえは、書生のころとかわらん」 と、好古はその大きなまぶたを、ギョトギョト動かしながら、説諭した。 真之は、うつむいてきいている。兄貴は言うだけいわせておけばあとは上機嫌になる ことも、真之は知っている。 真之の帰りぎわになって、好古は、 「ちかく、あしはシベリアへゆく」 と、ひとことだけいった。 真之は、内心おどろいた。シベリアといえばロシアのシベリア・満州占拠で世界中が 沸騰しているこんにち、問題の地帯ではないか。 「シベリアへ、なにをしに」 「御用だ」 ( 御用はわかっている ) とおもったが、好古が話したがらない以上こちらからきくわけには、かよ、。 雲「風邪を召しませんように」 と、玄関で言い、真之は辞した。 ウラジオ 風それから数日のち、九月四日、好古は横浜から船にのり、浦塩へむかった。 同行の大庭二郎歩兵少佐は、のちに陸軍大将になった男である。
「もうこれだけのぶんをさして仕わせ」 と頼み、残っていたぶんを放尿した、という話が町にのこっている。それをその学生 は知っていたのである。 ふきゅう 真之の海軍大学校における戦術講義は、不朽といわれるほどの名講義だったらしい どういう原典もっかわなかった。 かれ自身が組織して体系化した海軍軍学を教えただけでなく、それをどのようにして 組織しえたかという秘訣をくりかえしおしえた。 「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理、諸原則はおのずからひきださ れてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。戦術は借りものではいざというとき に応用がきかない」 と言い、試験をして学生の回答がかれの意見とちがっていても悪い点はつけなかった。 海軍の先輩までが、聴講生で入ってきた。 やしろ 八代六郎などは、真之が兵学校の生徒だったころの教官であったが、選科の聴講生と して入校し、真之の講義を熱心にきいた。 夜 ようしゃ 七八代は、豪傑をもって知られている。疑問におもうところは容赦なく質問した。 + 真之も答え、八代にそれが気に入らないと、八代はさらに立って真之に食ってかかり、 壇上と壇下でけんかのような議論になる。あるとき双方ゆすらず、ついに真之はこの兵 つか
と、襲撃部隊を代表して応答の信号をかかげたのは白雲 ( 三七二トン ) に乗る第一駆 逐隊司令の大佐浅井正次郎であった。 全襲撃部隊が、白い航跡を弧にえがいて艦隊主力からはなれた。 やがてそれらの駆逐隊が暮れてゆく水平線のかなたに消えたとき、連合艦隊は予定の 針路をすすんだ。。 とうせあとからこの主力も旅順へゆくのである。それまでは洋上で時 間つぶしをしなければならない。 「どうだ、成功するだろうか」 と、島村参謀長が真之にきいた。 「天のたすけを祈るばかりですな」 と、真之は無愛想にこたえた。真之としてはこの駆逐艦群による奇襲でロシアの軍艦 を五隻は沈めたい。敵の軍艦をへらしておかねば、きたるべき洋上での主力決戦でこち らがひどく不利になる。敵を減らすということに、この奇襲作戦の主題のすべてがあっ ところが結果は、おもわしくなかった。一隻もしすめることができず、戦艦二隻、巡 ロ洋艦一隻に相当な手きずをあたえただけにおわったのだが、真之としては、かれがうま 順れてはじめて実施するかれの作戦計画の成功を祈るような気持であった。 旅作戦家は、実施部隊が出発したあとは、ややひまができる。真之は、そのあいだに睡 眠をとろうとした。軍隊である以上、就寝時間はきまったものなのだが、真之はそんな
と言ったほど、いわば中国人ごのみの東洋的豪傑の風のある男だったが、しかしこの 真之にだけは、日本の家長らしく実にロやかましい ( あしを、いくつだと思っているのだ ) ごうがん と、真之はおもうが、これほど他人に対して傲岸な男が、兄の好古に対してだけは少 年のころと同様、頭があがらないのである。 「おまえ、アメリカからロンドンへ渡る船中で、ばくちをしたろう」 と、好古はいった。好古は清国からもどって早々、真之のうわさをどこかでうんと仕 入れたらしい 真之にすれば、海軍軍人である以上、ばくちぐらいするのが当然だとおもったが、好 古はそういうことをいっていないらしい なるほど、その船中でばくちをした。 ヨーロッパふうの紳士を気どっている。最初、ご退屈じゃあ 相手はアメリカ人だが、 りませんか、とたくみにさそってきたので、つい乗った。 その相手というのはそれそれ他人同士にみえるようにふるまっていたが、あとでわか 雲ったことは、イタリア系のギャングで、むろん、一味であった。 かれらが真之に目をつけたのは、明治のこのころの日本の海軍軍人は軍艦の買いつけ 風で欧米にゆく者が多く、出張費もふんだんにもっていることを知っていたからだった。 ポーカーをやった。
の表情で真之を見ていた。唇を閉じ、両はしにわずかに微笑を溜めている。 この東郷という人はおそろしく無ロな人物であることを、真之はきいていた。日清戦 争のとき、国際法に反した英国汽船を撃沈したことでもわかるように、すぐれた決断力 をもっている。平素も戦場にあるときも無駄ロというものをたたいたことがなく、無ロ こそ将兵を統率する上での大きな条件であるということからすれば、東郷は将としてき わめてふさわしい 対面は、それだけでおわった。 あとで人事局の千秋恭二郎が感想をきくと、真之はしばらく考えてから、 「あれは大将になるためにうまれてきたような人だ」 っ ? ) 0 と、 「あの人の下なら、よほど大きな絵をかけそうだ」 と・もいっこ。 人には持ち前がある、と真之は思っている。かれ自身、三軍を統御していっさい不平 を言わしめず、おのおのに分をつくさしめて死地におもむかしめるような、そのような 雲将才はないと思っている。真之にあるのは、東郷の統御力をつかって、思いきった作戦 を展開してみるということであった。 風 東郷平八郎という、世間でさほど名のある存在でもないこの人物が、常備艦隊司令長 ぶん
144 郷に会わせるがいい。幸い東郷はいま上京中である。真之にそれを言いふくめればいし とし、田中保太郎局員と千秋恭二郎局員のふたりが、人事内定の翌日、海軍大学校につ かいを出し、真之を海軍省によんだ。 「じつは、こ , つだ」 と、人事秘密をうちあけた。 司令長官が東郷平八郎であるときいたとき真之は意外な感じがした。東郷は地味な存 在で、このような場合を想定しての下馬評にその名がほとんど出たことがない。 「その東郷閣下をたすけて作戦の大任を完うするのは君である」 と、千秋局員が小声でいったとき、真之はこの件は当然だとおもった。海軍ひろしと いえども、自分以外にロシア艦隊を破りうる作戦家はいないとつねにおもっている。 「ところでだ」 と、千秋ま、つこ。 「東郷閣下と君とは、同じ艦に乗ったこともなく、同じ職務世界にたがいに身を置いた こともない。不安はそのことである。そこで、あすといわず今夜、君は東郷閣下を訪ね て閣下の厚誼を得てもらいたい。君がたずねるということについては、閣下も存じてお られる」 ( 妙なことを言う ) と、真之はおもった。司令長官といい参謀と、 、 ) うギ」 ふね まっと しし公務であるのにわざわざ私邸にた