334 なれ、沖へ去った。 護衛艦のむれは、現場からややはなれたところにいる。ただし、蛟竜丸を現場まで送 った駆逐艦群でなく、作業中の護衛は第二駆逐隊があたっていた。作業をする船も護衛 をする艦もたがいに無燈火でいるため、蛟竜丸が作業をおわったかどうかまではわから ない。そろそろ夜が明けようとするころ、 「もうおわったろう」 いかずち と、駆逐艦雷の艦橋でつぶやい去の二郵逐隊司令石田一郎中佐であ「た。駆逐 艦は、うごきだした。雷を先頭に、朧、電、曙という三四一トンの同型艦群である。 同型艦は一つ行動すべしという海軍戦術の原則により、第二駆逐隊を構成していた。 この隊は、護衛が終わったあとは、その日常のしごとである港外バトロールしなけれ ばならない。 れいめい 黎明の海を航走するうち、東方に敵駆逐艦が一隻港へ近づいてゆくのがみえた。敵も またマカロフの命令で、駆逐艦が港外バトロールしているのである。この艦は、その帰 りであろう。 あとでわかったことだが、このロシア駆逐艦は、 「ストラーシヌイ」 であった。「雷」級よりうんと小型で、二四〇トンしかない。速力もおそく、二六 五ノットにすぎす、雷の三一ノットにくらべれば、その能力のひくさがわかるであろう。
の夜まったく無警戒であった。そのくせ戦争がちかいというので、夜があけたら出港し っしま て対馬海峡あたりへ警戒に出よという命令はうけていた。夕刻までに石炭を満載した。 あすは出港ということで、艦内の緊張はそれなりにあったであろう。 この夜、何人かの高級士官が上陸していた。 当直士官の一人は任官早々の若い少尉で、かれが最初に日本の駆逐艦群の接近を見た。 四隻であった。まさかそれが日本の駆逐艦であるとは、おもわない。煙突が四本であっ た。艦形は、ロシアのネーフスキー造船所製の駆逐艦に似ていた。 「あの駆逐艦はなんだ」 と、少尉は信号兵をふりかえろうとしたとき、その怪船から閃光がきらめくのがみえ た。いくら末経験の少尉でもそれが魚雷発射時におこる閃光であることは、わかった。 魚雷の白い航跡もみえた。 「左舷に魚雷」 と少尉は叫んだが、艦はイカリをおろしてすわりこんでいるため、避けることができ ない。その直後、天地が裂けたかとおもわれるような大轟音がおこり、六七三一トンの ロバルラーダの艦体がはげしく震動し、甲板が坂になった。艦体が右にかたむいた。爆発 順にともなって海水が巻きあげられ、やがて大水柱になるのだが、それがくずれて滝のよ 旅うに甲板にふりそそいだ。 艦内は大さわぎになった。兵や下士官がかけまわり、砲員たちは士官の命令もきかず せんこう
日本ではストラーシヌイはど足のおそい駆逐艦は一隻もない。 「かれは、帰港しようとしている」 石田は、戦闘を決心した。 っせいに砲火をあびせた。ストラーシヌイも 日本側の四隻は機敏に駈けて近づき、い 勇敢にたたかったが、たちまち無数の命中弾をうけ、全艦火につつまれた。わずか十分 の戦闘で進退の自由をうしない、沈没しかけた。 「救助」 と、石田は命令し、雷がますこの不幸なロシア駆逐艦に近づいた。 すでに、洋上はあかるくなっている。ロシア駆逐艦はこのあと三十分後に沈むのだが、 その前におどろくべき事態がおこった。 砲声をききつけて港内から、駆逐艦のにがてである巡洋艦があらわれた。それも、勇 敢をもって知られるウィーレン大佐が艦長の一等巡洋艦バヤーンである。 海戦のばあい、軍艦の大小ははとんど絶対にちかい。巨大な艦にはそれに相応した巨 フ大な砲がつまれており、さらに装甲もあっく、これに対し、ちつばけな艦がちつばけな 大砲でもっていかにむらがって挑みかかっても、勝負にはならない。 カ マ 「バヤーン」 の出現は、それであった。七七二六トンの威力は、三四一トンの四隻がいかに戦術の
360 駆逐隊・艇隊は略す 参謀などは一部略す 連合艦隊および第三艦隊編成表 ( 日露開戦時 ) ( 第三艦隊 ( 旗艦厳島 ) 連合艦隊司令長官東郷、平→八郎 ( 中将 ) 司令長官東郷平八郎 ( 中将 ) 司令長官上村彦之丞 ( 中将 ) 司令長官片岡七郎 ( 中将 ) 参謀長島村速雄 ( 大佐 ) 参謀長加藤友三郎 ( 大佐 ) 参謀長中村静嘉 ( 大佐 ) 参謀有馬良橘 ( 中佐 ) 参謀佐藤鉄太郎 ( 中佐 ) 参謀岩村団次郎 ( 中佐 ) 参謀秋山真之 ( 少佐 ) 参謀下村延太郎 ( 少佐 ) 参謀松本直吉 ( 少佐 ) 笠参謀松村勇 ( 大尉 ) 雲参謀山本英輔 ( 大尉 ) 隊巡洋艦厳島 ( 旗艦 ) 戦装甲海防艦鎮遠 艦副官永田泰次郎 ( 少佐 ) 艦副官舟越楫四郎 ( 少佐 ) 五巡洋艦橋立・松島 旗 司令官梨羽時起 ( 少将 ) 司令官三須宗太郎 ( 少将 ) 第通報艦宮古 隊隊参謀塚本善五郎 ( 少佐 ) 隊隊参謀松井健吉 ( 少佐 ) 隊司令官東郷正路 ( 少将 ) 戦参謀吉田清風 ( 少佐 ) 艦戦参謀飯田久恒 ( 大尉 ) 艦、一戦艦三笠・朝日・富士 六巡洋艦和泉 ( 旗艦 ) ・須磨 一一一装甲巡洋艦出雲・吾妻・浅間第 一第八島・敷島・初瀬 ( 旗艦 ) 秋津洲・千代田 通報艦竜田 八雲・常碆・碆手 ( 旗艦 ) 第 第 司令官細谷資氏 ( 少将 ) 通報艦千早 司令官出羽重遠 ( 少将 ) 隊参謀西禎蔵 ( 少佐 ) 参謀山路一善 ( 少佐 ) 司令官瓜生外吉 ( 少将 ) 戦装甲海防艦扶桑 ( 旗艦 ) 一 = 参謀竹内重利 ( 大尉 ) 戦参謀森山慶三郎 ( 少佐 ) 七砲艦平遠・海防艦海門 第砲艦磐城・鳥海・愛宕 第巡洋艦千歳 ( 旗艦 ) ・高砂 四巡洋艦浪速 ( 旗艦 ) ・明石 海防艦済遠 笠置・吉野 高千穂・新高 砲艦筑紫・摩耶・宇治 平壤 鎮浦
「まるでありや、隼じゃが」 と、第二戦隊の三番艦八雲の艦長松本有信は、ノーウィックの単艦突っこみのすさま じさにあきれた。 むろん、ノーウィックは背後の要塞砲の援護はうけているというものの、三千トン強 の小さな三等巡洋艦にすぎず、こちらの第二戦隊は巡洋艦編成ながらもみな一万トンち かい大艦で、しかも旗艦出雲を先頭に、吾妻、八雲、常磐、磐手と五隻そろっている。 ノーウィックとしては勝ち目があるはずがなく、げんに日本側各艦はそれを無視し、は るかむこうにひっこんでいる大型艦をめがけて砲弾をおくりつづけ、ノーウィックを無 見しこ。 八雲だけがノーウィックにとりかかることにした。その主砲が、火をふいた。 初弾が、ノーウィックの中央部に命中し、艦上の施設を吹きとばしたが、おどろいた ことにかれはひるみもせずに動きまわり、射撃をつづけた。八雲は、意地になった。 八雲ほどの大艦が、この猟犬のような小艦にかかりきりになり、猛射をくわえたが、 意地になればなるほどあたらなくなり、そのうち八雲は港口をかすめ過ぎてしまい、射 程外に去った。 上村長官は、東郷直率の第一戦隊につづいて各艦を回頭させた。回頭のため運動がに ぶった。 そこが、ロシア側のつけめになった。全要塞砲がうなり、港ロの旅順艦隊各艦の発射 はやぶさ
ぎよかんがた このとき日本側は、第一から第三までの駆逐隊十隻が魚貫形をなしてすすんでいたが、 その先頭の隊があわててしまい ロシアの哨戒艦にみつけられまいとしてにわかに速度 をゆるめ、しかも後返りをはじめてしまった。このため後続する戦隊は混乱した。夜間 なのである。しかも無燈火であった。すっかり隊列がみだれ、駆逐隊のなかには自分の 艦の位置までわからなくなったのもいた。 こうなった以上、あとはばらばらで攻撃せざるをえない。各艦は闇のなかをやみくも にすすんだ。この無秩序が、ロシア側の不用意にもかかわらず、日本側の戦果が大きく なかった原因をなした。 もっともロシア側にも、信じられぬほど重大な失敗があった。せつかく日本軍の奇襲 を発見した二隻の哨戒駆逐艦が、発砲しなかったことであった。発砲しないばかりか、 現場をすて、司令部に報告すべくそのまま港ロへひきかえしてしまったことであった。 発砲しなかったため、碇泊中のロシアの各艦はそのねむりから醒まされることがなかっ た。そこを日本の駆逐艦が魚雷を抱いてつつこんだ。 この二隻の哨戒駆逐艦の行動は信じられぬほどに間抜けているが、しかし正当な理由 口があった。これより前、およそ常識外の指示が、スタルク司令長官の命令としてこの二 順隻に申しわたされていたのである。 旅これについて、この港内にいた砲艦ポープル ( 九五〇トン ) の艦長プープノフ大佐が、 のち「旅順」という回想記に書いている。
340 隊に退却を命じ、旗艦は波をさわがせつつ回頭し、要塞砲の射程内にのがれようとした。 他の艦も、旗艦につづいた。 オカマカロフはしかし入港はせず、まだ戦おうとした。 やがて要塞砲の射程内に入っこ : 、 もうき ときに海上には濛気が去り、青天が見えてきた。昨夜とはうってかわって視界がよく、 敵も味方もたがいの相手の艦とその運動を十分にとらえることができた。 ついでながら、さきにマカロフがこの朝、どういうわけか、勇敢でありすぎた。そう 書いた。というのは、かれは出港にあたっての重大な習慣をわすれた、ということであ った。港ロの掃海をしなかったのである。 いつのときも、マカロフは小艦艇をさきに走らせ、海面下に沈置された機械水雷をと りのけさせてから乗り出した。それが海軍指揮官としての当然の配慮であったが、この 日、マカロフは自軍の駆逐艦一隻が日本の駆逐艦四隻に袋だたきにあったことにます憤 慨した。かれは一等巡洋艦バヤーンに駆逐艦を救出させるべく突出させた。ところがわ るいことにそのバヤーンも、突如あらわれた日本の巡洋艦隊の挑戦を受けた。バヤーン は単艦で戦いつつあったが、この様子をマカロフは知り、その闘志が、どうにもならぬ はどの憤激にかわった。かれは掃海をしなかった。ともかく一秒でも早く戦場におもむ くべく急航したのである。 現場につくとそこへ東郷の主力艦隊が出現した。マカロフはやむなく退却を命じ、艦
を、マカロフは命じた。ベトロバウロウスクのマストには、かれの座乗を示す将旗が かま あがった。この艦は、すでに汽罐を焚いていたから、命令から出撃までの時間は早かっ かん この間、港外の様相はさらにかわっている。 日本の駆逐艦四隻は、一等巡洋艦バヤーンに追われて逃げだしたが、このときその沖 。しげとお 合にさしかかったのは、海軍少将出羽重遠を司令官とする第三戦隊の六隻 ( 一等巡洋艦 常磐と浅間が臨時に編入 ) であった。 千歳四七六〇トン 高砂四一五五トン 笠置四九〇〇トン 吉野四一五〇トン 常磐九八五五トン 浅間九七五〇トン 速力はいずれも二二・五ノットである。どの艦も、もうもうと黒煙をあげている。 フ出羽は、雷ら四隻の駆逐艦をすくおうとし、バヤーンにむかって突撃を命じた。 カ 本来なら、バヤーンは逃げるべきであったであろう。ところが艦長ウィーレンは、信 マじられないほどの勇断をもって単艦で敵の巡洋艦六隻と駆逐艦四隻と戦おうとした。波 を蹴り、接近し、速力をゆるめない。
246 大きな体の島村が、感心したように声をあげたのは、一種の人徳だったかもしれない。 このため、幕僚の気分が、やわらいだ。 ロシア側ののんきさは、前夜に日本の水雷奇襲でやられたときの姿のまま港口にかた ざしよう まっていたことであった。大破三艦が座礁したままであるのは仕方がないとして、他の 諸艦もたいてい錨をおろしている。戦艦が七隻、巡洋艦が七隻、その他駆逐艦、砲艦が 雑然として一団をなしている。 東郷は、それを双眼鏡でとらえつづけていたが、やがて敵との距離が八千五百メート ルになったとき、針路を転じた。東より西にむかい、敵の正面を通過するかたちをとっ 。挑発のためであった。 敵は、やっと狼狽した。あわてて錨をあげる艦もあれば、黒煙を吐いて右転しようと する艦、左転して港内へのがれようとする艦など、まるで無統制であった。 これについて、ロシア側のプープノフ大佐は手記をのこしている。 これよりすこし前、日本の偵察部隊である四隻の巡洋艦が港ロの様子をさぐりにきた とき、ロシア側の三等巡洋艦ポャーリン ( 三〇二〇トン ) が突出してそれを追ったりひ っこんだりしたさわぎがあったのだが、 プープノフ大佐の手記によると、 「このときロシア側は、かんじんの司令長官が艦隊にはいなかった」 という。司令長官スタルク中将は旗艦に座乗していたのだが、このさわぎの最中に極 東総督アレクセーエフによばれるという奇妙な事態になった。
「信じられない」 と、この光景をみて一様に叫んだのは、この水域のそばにある黄金山砲台の陸兵たち であった。マカロフは所属のちがう陸兵たちにまで評判のいい男だった。 砲台の陸兵たちがみた光景というのは、戦闘を終えていわばしずかに帰港しようとし ている旗艦ベトロバウロウスクと、大小十数隻のその艦隊であった。その旗艦が、ロシ ア側でルチン岩といっている岩礁のそばまできたとき、突如大爆発をおこしたのである。 あが 海水が壁のように騰って艦をつつみ、やがて第二の爆発がおこり、艦体は青みがかった 黄色の猛煙を噴きはじめ、すぐさま艦首が沈み、艦尾がたかだかとあがって、そのスク リューが非常ないきおいで空中で回転した。とみるまに沈み、あとの海面には煙だけが のこった : 黄金山砲台の陸兵たちが目撃した沈没の光景というのはそういうものであった。 かれら陸兵はいっせいにひざまずき、脱帽し、右手の指三本をあわせて胸で十字を三 度えがくというロシアふうの祈疇をして、かれらが誇りにしていた世界的名将の最期を とむらった。 フ一方、日本艦隊のほうでも、この光景を遠望していた。 遠景としてみたこの光景は、当然ながら不明瞭であった。ベトロバウロウスクとおば カ マしい一艦が急に黒煙につつまれ、轟音が水をひびかせつつ日本側にもったわったが、し 粥かしそのつぎの瞬間には艦影がなかった。