敵 - みる会図書館


検索対象: 坂の上の雲 4
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1. 坂の上の雲 4

う剣客が大上段からふりかぶって突進し、敵と駈けぬけざま一太刀だけふるい、勢いの まま北へ去る、敵はそのままさっさと試合場をすてて南へ逃げだすようなものである。 「ウイトゲフトの肩すかし」 とよんで真之が生涯この瞬間をにがい記憶としたのもむりはなかった。艦隊はひとた び去れば容易に追っつけないのである。 行き過ぎた東郷は、ふたたび変針せねばならない。右十六点の一斉回頭をした。東郷 のアクロバットというようなものであった。こんどは旗艦三笠が先頭になった。単縦陣 である。速力をあげて南西へ航走した。どの艦も、白波が艦首たかく霧のようにあがった。 こんどは敵の陣列をさえぎって、不正確ながらも、 「丁字」 のかたちになった。この陣形は味方にとっても大きな損害をよぶが、敵の先頭艦を沈 める上ではもっとも効果的な戦法であり、これはかって真之が友人の小笠原長生から日 本の古水軍の戦法書を借り、それからヒントをえて考えだしたものであった。 敵との距離は、六千ないし八千メートルである。東郷艦隊の全主力艦は、敵の先頭艦 である旗艦ツェザレウィッチ一隻に砲弾を集中した。敵の旗艦をしずめて敵の指揮を大 塵 混乱におとし入れるというのが、日本の古水軍の戦法であった。それには敵に対して丁 黄字形をとらねばならない。以後これが日本海軍の独自の戦法になる。 砲弾はつぎつぎにツェザレウィッチに命中したが、この当時の水線甲帯をほどこされ

2. 坂の上の雲 4

旅順の消耗戦をかかえつつ遼陽でロシアに「勝った」段階であったであろう。 遼陽での日本軍の勝利は、 「地を得ただけにすぎない」 ということができるであろう。満州軍の参謀の井口省吾は、このことにふれてこの当 時、意見書を書いている。 「わが軍がいままで多大の鮮血をそそいで買いえたるものは、土地であった。敵陣地を 抜くことに大犠牲をはらいすぎた」 そのわりには敵の損害はすくない。敵はさっさと土地 ( 陣地 ) を空けて次の土地に移 っているだけのことである。 せんめつ 「今後はこういうことではいけない。敵の主力を殱滅し、敵の勢力を圧倒し、敵をして ふたたび起っあたわざるようにするところに戦いの主眼が置かるべきである」 井口意見は、当然のことであった。 しかし陣地保守主義のロシア軍に対し、攻撃側の日本軍はつねに兵力と火力において 河わすかに劣っている。陣地を砕くだけで大出血をするのに、それ以上ロシア軍を追って 戦果を拡大し敵主力を殱滅するなどは、不可能であった。井口意見の作文どおりにやる 沙とすれば、陣地保守主義の敵の倍の兵力と火力をもたなければならない。 井口の意見書を読んだ総参謀長児玉源太郎は、

3. 坂の上の雲 4

玉は疑いはじめた。 敵も、奇怪である。 敵の南下がとまっている。 ということは、奥軍の左翼にあって防御と偵察活動をつづけている秋山騎兵旅団長か らも情報が入った。 こうたいじんさんばうかこ はんきようほ 「敵の第一線は康大人山、蟒家故、板橋堡の線にまで進出し、その後停止しあり」 というのが総司令部において総合した敵状であった。しかも敵はその停止線において 陣地工事をはじめているという。 「ど一 , つい , っ音味か」 と、児玉は敵の意図をはかりかねた。敵があのままの勢いで津波のように押しよせて くるならば、このとき攻守いずれをとるかで迷っていた日本軍は、おそらくその防御線 を寸断されてしまったかもわからない。 日本軍の敗けいくさになることは、まぎれもなかった。思いあわせると、大山巌は幕 河僚をひきいて日本を発っとき、 いくさのさしすはすべて児玉サンにまかせます。ただ敗けいくさになったときは 沙私が出て指揮をとるでしよう。 といった有名なことばが、おそらく実現されたかもしれない。勝ちいくさはすべて児

4. 坂の上の雲 4

をあげて封鎖を続行せねばならず、待望の佐世保帰りができない。内地のドックで軍艦 を十分に手入れして欧州からまわってくる大艦隊を待ちうけるというその予定表以外に 勝利の道がなかった。この焦燥が、真之たちの思考カから柔軟さをうばったのであろう。 午後一時、東郷は全艦隊に対し、左八点の一斉回頭を命令した。 横陣になった。 「四時間にわたる不可解な艦隊運動のくりかえし」 と、のちにウエストコットという英国海軍の海軍史家から酷評されたふらふら運動が このときからはじまるのである。 東郷とその頭脳たちは、ひとつにはながい封鎖作戦でつかれきっていたのであろう。 ごく単純な敵の意図を誤算した。 「敵は、突っかかってくるだろう」 と、真之は沖の敵艦隊の煙をみつつ、回頭してゆく三笠の艦橋のはしからはしへゆっ くりと移動した。敵の戦意を信じてうたがわなかった。なにしろ敵は大勢力であり、日 本側より主砲が七門も多い。しやにむに突っこんでくれば東郷とその艦隊を海底へたた きこむことが十分に可能なのである。軍人として敵の心を推量すれば、敵の旅順出港の 意図が、出撃であるとおもうのは当然であった。 が、敵の司令長官ウイトゲフトは、戦士というよりも官僚であった。帝政ロシアの末

5. 坂の上の雲 4

戦場では、夜がちかづいている。 東郷は、混乱した敵艦隊を包囲しさらに激しい砲撃を加えたが、敵も必死で逃げた。 そのころには日がまったく暮れたため、東郷にすれば惜しいところで砲撃の中止命令を 出さざるをえなかった。午後八時二十五分であった。敵の各艦を大破させているものの、 一艦も沈めていないのである。 ( まずい。こんなますいことがあるか ) 真之は、濃くなってゆく闇のなかでばう然とした。 東郷はべつにいらだちもせず、この戦場のあと始末を、駆逐艦、水雷艇の群れに命じ た。かれらは夜間攻撃に馴れており、至近距離まで近づいて魚雷で敵を始末するのであ る。敵を沈めるには、上からの砲弾よりも、下からの魚雷のはうがはるかに効果があっ た。いわば落ち武者退治であった。 きか あとを小艦艇にまかせると、東郷は麾下の各艦をまとめ、根拠地である裏長山列島に むけてゆるゆると帰陣しはじめた。 真之は、遅いタ食をとった。ナイフとフォークをうごかしながら、頭のなかには、黄 海、日本海、オホーック海というこのひろい極東海域がうかんでいた。 とこへゆくのか ) 黄 ( 敵は、・ おそらく艦隊としてまとまらす、各個に落ちのびてゆくのかもしれない。いずれにし

6. 坂の上の雲 4

これまでの心理的重圧感もあって、上村の両眼は、最初から血走っていた。かれがい かにこの一戦に必死だったかといえば、かれの旗艦出雲が急航に急航をかさね、ついに 吾妻以下をひきはなしてしまったことでもわかる。かれは出雲一艦でも敵中にとびこみ、 でんかん 火ぶたを切るつもりであった。このときの殿艦は磐手であったが、磐手はだいぶひきは なされた。この磐手の一士官がはるか沖合に煙をあげる一艦をウラジオ艦隊だとおもい 写真におさめたところ、あとでみながみて、これはわが出雲ではないかと笑い草になっ た。それほど出雲はしやにむに敵に近づいていた。 上村は、出雲の艦橋にいる。双眼鏡で敵影を見つめていた参謀のひとりが、 「大きいですなあ」 と、想像以上に敵艦の艦体が大きいということをいった。上村は吐きすてるように、 「大きいから、当たるのだ」 と、 いった。この闘魂のかたまりのような男は、最初の砲撃までのあいだ、触れれば 飛びあがりそうに不機嫌だった。 敵がやっと気づいた。狼狽の色をみせ、にわかに針路を左折した。東方にむかって逃 げようとする気配だった。 上村は、艦橋で激怒した。ここで逃げられては、かれは憤死せざるをえないであろう。 上村は、敵を逃がさぬため、東南東に変針し、敵を右舷に見た。見つつ距離の短縮をは かろ , っとした。 ろうばい

7. 坂の上の雲 4

いあげたりした。 旅順というものについて、陸軍の感覚はにぶすぎる。 はやお というのが、真之がつねに感じてきたところで、つねに艦隊参謀長の島村速雄にもそ のことを言いつづけてきた。 敵の旅順港内に、世界有数の大艦隊が潜伏しているというこのおそるべき事実を、陸 軍のほうは知識としてはわかっていても、感覚上の激痛としてはあまり感じていないら 。もしこの大艦隊が自由に海上にのさばり出れば、日本は海上補給を断たれ、満州 に上陸した陸軍は孤軍と化し、敵の襲来を待たずして立ち枯れてしまうのは当然であった。 連合艦隊はその旅順のロをふさいで敵が出て来ないように封鎖している。封鎖という のはやる側にとってはつらいしごとであった。艦隊の兵員にとってこの期間休息がなく、 疲労がかさなってゆくばかりか、軍艦にとってもよりいっそうにそうであった。艦底にカ キがっき、汽罐に老廃物がたまり、出力も速力も落ちて行ってしかもドック入りができな 。もしこの封鎖が際限もなくつづけば、やがて欧州から回航されてくる敵の本国艦隊と 決戦するとき、日本艦隊は固有のスピードが出す、そのことによって負けるかもしれない。 「敵の艦隊が出てくればべつです。それを洋上でたたいて全滅させてしまうわけで、そ れでいいのですが、敵もそれを知っていてなかなか出て来ない」 と、真之は、この三笠艦上での陸海軍首脳会議で説明した。

8. 坂の上の雲 4

274 ともあれ、梅沢旅団はもっとも敵に対して接近していた。 総司令部は黒木軍に命じ、これを本渓湖の線まで後退させようとした。 「梅沢旅団のあたりが、日本軍の最弱点ではあるまいか」 と、クロバトキンはすでに察していた。かれは梅沢旅団が位置している平台子・本渓 湖間の後方連絡線を断ち切り、これを包囲して日本軍の最右翼を潰滅させることに作戦 の第一段階の主題をさだめた。 が、児玉ら日本の作戦頭脳はこれをいちばんはやく察して梅沢を後退させたのはよか ったが、しかしこの敵前退却は曲芸のように困難であった。河をはさんで、シタケリべ ルグの大軍が眼前にいる。 い / 、さには匂いがある」 と、梅沢のロぐせが、このときも出た。 黒木軍の参謀がきて、退却時期についての相談を梅沢にしたのである。 「す . ぐ退こ , つ」 と、梅沢はいっこ。 若い参謀は、一日ぐらい敵の様子をみてから退却方法をきめるほ , つが安全ではあるまいか、というと、 いくさには匂いがあるから、どう隠しても敵にわかってしまうものだ。風が持ってゆ くのだ。一日待って敵に嗅がれてしまえば、敵がよろこんで追撃してくる。これではど , つにもならない」

9. 坂の上の雲 4

夏で、日が長い。予測よりも早く午後五時三十分に追いっきえたから、あと二時間は 日没まで戦いうる。二時間という限定時間は、敵殲滅を企図している東郷艦隊にとって きわめてみじかく、十分の砲戦ができないかもしれないが、それでもなお陽のあるうち に追いっきえたことは、東郷にとってせめてもの幸運であった。 敵艦隊の最後尾艦は、戦艦ポルターワ ( 一〇九六〇トン ) である。その十二インチ主 砲が三笠にむかって火を噴いたときが、黄海海戦における第二回戦のはじまりであった。 茶黒い発射煙がポルターワをおおい、その巨弾が三笠の左舷すれすれに落ちて水煙を あげた。 東郷艦隊は速度をおとさず、敵と並進し、射ちながらすすんだ。敵の先頭をおさえる つもりであった。やがて彼我の先頭は七千メートルにちかづいた。そのころには双方す さまじい砲戦で、海面は弾着の水煙で沸きあがり、硝煙と爆煙が海をおおい、敵味方の 艦はどの艦も被弾してときに火災をおこし、また消えた。日本側としてはこの二時間の あいだに砲身がたとえ焼けただれても射って射って射ちまくらなければならない。 敵の射撃能力は、のちにきたバルチック艦隊とはくらべものにならぬほどに命中度が 高かった。旅順艦隊は旅順にひっこんでいたとき無為でいたわけではなく射撃訓練だけ は十分に積んでいた。 黄三笠の被害がすさまじい 。この交戦中に生じた三笠の破損箇所は、おもなものだけで 九十五カ所であった。たとえば交戦十五分後には後部の主砲である十二インチ砲に敵弾

10. 坂の上の雲 4

て大きく踏みこんでは多少の手傷を負いつつ敵の肉を斬った。が、敵は歩一歩しりぞく カ敵を一刀両断してその生 こんども十分に踏みこんだ。。 : のみで、すこしも衰えない。 命を断っということにはじつにほど遠く、敵はただ全身に手傷を負いつつ数歩さがった だけにすぎない。それを大山は、 「どうやら勝ちですな」 という表現をつかわざるをえなかった。沙河戦の目的は、防御のための攻勢であった。 敵はうまくしりそいてくれた。これで戦いの目的は達したということで、満足せざるを えない。 「そろそろ、このあたりで停止しますか」 と、児玉はささやいた。 沙河会戦における日本軍の損害 ( 死傷 ) は二〇四九七人にのばった。約二個師団がま るまる消滅したかっこうである。 ロシア軍の損害は、すさまじい。日本軍のそれの数倍であった。戦場に遺棄した死体 河だけで一三三三三体で、捕虜は七〇九人である。全損害は , ハ万人以上にのばった。日本 軍にすればロシア軍の骨までは斬れなかったが、肉は深く斬った。ただしロシア軍はそ 沙の豊富な補給力によって十分な回復力をもっていた。 弼「連日九列車」