45 〇高地 「露助ノ野郎、大キナ大砲ヲ打ッゼ。踏切ノ下ニ居テ、汽車ノ通ルノヲ聞ク時ョリモ、 モット大キナ音ガスルンダゼ」 ということになる。このとき飛来した巨弾のために友安の旅団司令部の司令部員のほ とんどが、即死もしくは負傷した。無傷だったのは友安とその副官の乃木保典だけだっ 友安は、前線の村上大佐に前進を命じなければならないが、電話線が切れてしまった ため、副官の乃木保典少尉に伝令を命ぜざるをえなかった。 前線への伝令を命ぜられた少尉乃木保典は、剣のつかをつかんで、地下壕からとび出 した。かれは性来快活機敏な性格で、南山で戦死した兄の勝典中尉よりも軍人としては 適いていた。 保典は弾雨のなかを駈け、ほとんど奇蹟的に村上隊のすくんでいる第二歩兵陣地へと びこんだ。かれは村上大佐に対し、友安旅団長の命令をつたえた。 「前進せよ」 ということである。ほかに、い まひとっ伝えるべき命令があった。旅団司令部の司令 三部員がほとんど全滅したため村上の連隊から要員をさし出せ、ということであった。 一一村上は、承知せざるをえない。 この状況で前進できるか。 なんぎん かっすけ
新「以下は、命令である」 と言いだしたから、一座の者は動揺した。そうであろう。児玉源太郎がいかに陸軍大 将であり、総司令官大山巌の総参謀長であるにしても、要するに大山の幕僚にすぎない。 幕僚に命令権などはなかった。幕僚が命令をくだすなど、統帥権の無視であり、軍隊秩 序の破壊行為であるとしかいえない。 児玉としてはこの場合、 「私は大山総司令官の代理としてきている。それについての書状はここにある。さらに 第三軍の乃木軍司令官の軍司令官としての職権を一時停止し、私が代行する。それにつ いてのことも大山閣下の書状に書かれており、さらに乃木希典からも一札をとってい る」 といえば、一同は事態をまがりなりにも了解するであろう。が、児玉の「命令」に法 的根拠ができたとしても、その異例さはほとんどクーデターにも似たものとして、一同 は印象するであろう。そう印象されることは、避けたはうがよい。さらにその大山と乃 木の書状を児玉が出してしまえば、児玉の立場は明快になるにしても、乃木の面目はま るつぶれになる。乃木思いの児玉は、その方法をとりたくなかった。 このため児玉は、自分の立場については、 「大山閣下の指示により、乃木軍司令官の相談に 一あずかることになった」 しせいてき いっただけである。ひどく市井的な表現で、法と秩序を重んする軍隊社会に通用
「貴官は疲れているのだ。そういう砲牆づくりま、 。いくさが終わってからやれ。いまは いくさの最中だ」 と、児玉は声をひくくしていったが、じつは飛びあがって怒鳴りつけたいほどの衝動 をおさえかねていた。 「命令」 と、児玉は声をあらためた。児玉には命令権などはない。軍司令官たる乃木のみにあ る。豊島は、よほどそれを言おうとした。しかしそれを一言うだけの勇気がなかった。そ のうち、 「命令」 と、児玉が、おっかぶせるようにして、再度叫んだ。豊島は、やむなくそれを受ける べく姿勢を正した。 「攻城砲兵司令官は二十八サンチ榴弾砲をもって、ただちに旅順港内の敵艦を射撃、こ れをことごとく撃沈せよ」 ( そういうことが、できるものか ) と思いつつも、豊島は掩堆壕の中に設備された電話機にとりつき、それを各部署に対 して命じた。 その後、十分後に、二十八サンチ榴弾砲の陣地から殷殷と砲声がひびきはじめたので ある。
い 0 これをもって旅順封鎖作戦は終了せり。 というものであった。 すけゆき おりかえし、軍令部長伊東祐亨から、指示が来た。 「第三艦隊をのこして、ひきあげよ」 というものであった。第三艦隊というのは中将片岡七郎がひきいているもので、二等 巡洋艦 ( 四千トン強 ) 四隻を主力としているものであった。その艦名は厳島、橋立、松 島で、鎮遠 ( 七千トン強 ) だけは日清戦争のときの捕獲艦で、型も大きさも速力もちが っている。ほかに三等巡洋艦が四隻、砲艦や海防艦のたぐいが十隻、それに水雷艇隊が 三艇隊付属している。この第三艦隊が、敵要塞への補給路を断っしごとと、乃木軍への 協同作戦のために残留する。 かみむら べんぎ 「東郷連合艦隊司令長官は、上村第一一艦隊司令長官とともに便宜、大本営へ登営すべ と、伊東はその命令の最後に書い 三笠以下東郷の艦隊は、その根拠地であった裏長山列島を離れ、第一艦隊は呉へ、第 二艦隊は佐世保に入った。 いた どの艦も傷みようがひどかった。長期間、浮きつばなしであったことと、黄海海戦を はじめ大小の海戦のために、砲などもずいぶん傷んでいる。三笠なども取りかえねばな らない砲がいくつかあった。
「同意」 と、返答した。 が、この場合、重大なことはステッセルもフォークも命令系統を無視していたことで あった。本来、フォークは要塞司令官のスミルノフ中将の意志を問うべきであった。と ころがスミルノフは頑強な抵抗論者であるため、フォークはそれを忌避し、一段階とび こえて総帥のステッセルの判断を乞うたのである。 退却ときまるや、フォークは要塞司令官スミルノフに電話で通報した。 「君は冗談をいっているのか」 と、スミルノフは殺気立った。 「撤退するかどうかは私が判断すべきことだ。君はたれの命令をうけたのだ」 というと、フォークはさすがにステッセルの名前はもち出しにくく、 「じつはゴルバトフスキー少将の請求によるものだ」 と、うそをついた。ゴルバトフスキーは東正面の弾雨のなかにあって一歩も退くこと なく果敢な防戦をつづけている最中であり、そういう請求はしていない。スミルノフはそ 営の真偽をたしかめるためゴルバトフスキーを電話口によびだした。ゴルバトフスキーは、 師「それは陰謀です。われわれは陰謀に与することなく皇帝の軍人たるべき義務をつくす 水のみです」 と、戦闘を継続した。ステッセルとフォークの威信はこの時期にはあきらかに薄れて くみ
ものをこわしにゆくことになるのではないか。 ともあれ、大佐松川敏胤にすれば、児玉に行ってもらいたくなかった。このため、軍 隊の秩序原理から説いて反対したのである。 「まちがっちよる、松川。 と、松川の話の尻をうばって、児玉はどなりつけた。 「軍隊の命令系統の秩序の大切であることは、貴官の説明をまたなくてもわかっちよる。 とい , つのか。 しかし秩序を守って日本をほろばしてもよい 乃木はいまのままで つぶ と言いかけて、だまった。日本を潰してしまうだろう、ということを叫びたかったの だが、乃木への友情が、その一一 = ロ葉を呑みこませた。児玉の恐怖は、その一事であった。 なるほど道理は松川にある。 「陸軍大将・満州軍総参謀長」 といっても、児玉は、総司令官大山巌のスタッフにすぎないのである。乃木希典は、 統帥の源泉である天皇から第三軍に対する統帥権の執行をゆだねられた軍司令官であっ た。その乃木のところへ児玉が出かけて行って乃木の命令権を停止もしくは制限して児 玉が第三軍を好きなようにひきまわすとすれば、どうであろう。軍隊という秩序体は、 崩潰するのではないか。
がいっそう切実になったのである。千人というのは、少佐が指揮する大隊程度の人数で あり、白いひげの陸軍中将がわざわざ指揮するようなものではない。 やがて柳樹房の軍司令部につくと、児玉は会議の準備を命じ、乃木の部屋で休息した。 ひどく疲れていた。 「乃木、プランデーはないかね」 と、きくと、乃木は、 「ある」 と、微笑し、行李のそばから一罎出してきた。グラスがないため、乃木は水筒のフタ をもってきたが、それよりも早く児玉は罎のロを唇につけていた。 作戦会議が、ひらかれた。 はじめの三十分、児玉に対して状況報告がおこなわれた。児玉は報告者のほうを見ず、 どういうわけか湯あがりのように顔を赤くして、そっぱをむいていた。さっき、プラン デーをのんだ。ま、 力あの程度のアルコールで酔うような男ではなかった。 ( もはや、会議も報告も必要ではない。命令あるのみだ ) 三と、児玉はおもっている。かれはこの第三軍幕僚たちに対し、作戦の百八十度転換を 二命令しようとしていた。いまの現段階では、それだけが必要であった。 児玉はやがて報告を打ち切らせ、立ちあがった。 びん
というのはーー師団長もそうだが 天皇が親授する職なのである。天皇以外の何者も はくだっ その指揮権を剥奪することができないはずであった。 みぞう が、児玉が、この戦史上末曾有の処置をおこなうにあたって、大山巌の命令書をポケ ットに入れてきていることは、すでに触れた。満州軍総司令官である大山巌なら、 自分が乃木に代わって指揮をとる。 ということは、法的に一一一一口えないことはない。児玉のポケットにあるのは、その命令書 であった。ただし大山自身が第三軍の指揮をとるのではなく、「大山の代理としての児 玉」に指揮をとらせようというものであった。 両人は、ト机をへだててむかいあった。 児玉は、その重大な一件を切り出した。どのように切りだせば乃木の名誉と自尊心に 触れずにすむかについて児玉は心を痛めていたが、実際にロに出したときは、からりと した口調で、 「どうも、伊地知のやり方をみていると、重大な点で間違いがあるように思う」 と、伊地知を悪者にした。乃木が悪いのではなく参謀長の伊地知幸介少将がわるいの だということにしなければ、乃木の面目が立ちにくい 乃木は、だまっている。ふだんなら彼は、 「伊地知はよくやっている」
鮖とは、村上はいわなかった。軍隊における命令の重さは、日本陸軍史上、日露戦争の ときほど重かったときはないであろう。 「ただちに前進します、と復命せよ」 と、村上はいった。乃木少尉はそれを復唱しすぐさま村上の陣地をとび出した。 が、この少尉はついに友安旅団長にまで復命することができなかった。帰路、前額部 を射抜かれて戦死したのである。単独で駈けていたため、戦死の状況はついにわからな 。時刻は午後四時ごろであった。乃木希典は、南山と旅順の戦場で、二人の息子を一一 人ながら喪った。 伝令の乃木保典は戦死したが、かれが伝えた旅団命令は、村上大佐とその隊を動かし 村上大佐の突撃は、血しぶきとともにおこなわれた。その一隊は敵の第二鉄条網の前 後で一人のこらす戦死した。 すでに村上大佐のもとで生き残っている残兵は百人あまりにすぎなかった。村上は午 後六時この百人をひきいて前進を開始した。 「二十六連隊 ( 村上の隊 ) がうごいた」 ということが、西南角の堡塁にもぐりこんでいた香月中佐の部隊にわかると、香月は すぐ運動を開始した。猛進といってよかった。 猛進する以外にない。脚力がつづくかぎり駈けることによって、途中の兵力損失をわ こ 0
と、児玉はいった。 「ここ軍司令部にあっては、参謀がこの柳樹房の司令部を離れることを不利とする考え が ~ めるとい , つ」 伊地知が、攻囲戦開始以来、そういう方針をとってきた。若い参謀たちのなかには、 戦闘惨烈の現場まで偵察にゆきたいと言いだす者があったが、伊地知は、 参謀には参謀の仕事がある。戦闘の惨況をみれば、かえって作戦に曇りが生ずる。 という奇妙な説をもって、それを禁じてきた。軍司令官の乃木もまたこれにひきすら れ、歩兵の突撃用の壕のある第一線までは行っていないのである。乃木軍司令部の作戦 と命令が、事ごとに実情と食いちがいを生ずるのは、ひとつはここにあった。児玉はそ れを痛烈に指摘し、 「第一線の状況に暗い参謀は、物の用に立たない」 と、切るようにいった。さらに、 「大庭」 と、乃木軍の中佐参謀の名をよんだ。大庭は椅子を蹴って立った。 地「いまから二、三の参謀をつれて前線へゆけ。前線の実情をよくつかんで来い。あす、 三わしもゆく。そのとき報告をきく」 一一と一一 = ロってす . ぐ、 「なにをぐすぐずしている。すぐゆけ」