児玉は乃木の顔をみてふとそのことを思い出した。 ( この男をこの窮状から救い出してやるのは、自分しかない ) と、児玉はあらためて思った。この泣きっ面の友人をして、旅順攻略の栄光の将車た らしめることであった。 が、乃木が、児玉にもし指揮権を委譲しなければ、事は面倒になる、児玉は、大山巌 の非常命令書を乃木にみせ、その指揮権をむりやりに停止せねばならないからである。 とこか場所はないか」 「乃木、二人だけで話をしたい。。 結局、高崎山へゆくことになった。 高崎山は、二〇三高地から北へ直線三キロの地点に隆起している山で、かってはロシ アはここに歩兵陣地をきずいていたが、去る八月十五日の強襲で、高崎の歩兵第十五連 隊が奪った山である。当時、無名の高地であった。高崎の連隊がとったというので、そ の名が冠せられた。 児玉と乃木がめぐりあったこの曹家屯は、よほど戦場から後方である。高崎山まで十 キロほどはあるが、 地 高「ゆ・ / 、か」 一一と、児玉はもうシナ馬の足をうごかしはじめていた。シナ馬は西洋馬とはちがい、脚 のつかい方が犬とおなじで、自然、チョコチョコと歩く。乗り手は、馬上ゆたかにとい かん
といおうとしたが、それが口から出ることを懸命におさえた。日本軍側も、じつは攻 撃でヘとへとになっており、軍司令部は第一線を督励してずいぶん無理をさせている。 この場合、そういうあまい観測をいえば、軍参謀としてなにか腰が抜けているようにお もわれるのがいやさに、 ことさらに冷静な声で、 「では、当方へ送ってくれ」 といった。が、あわててつけ加えた。 「直接こちらへ伝騎をもって送ってくれ」 といったが、なにぶん前線の第一師団のはうはそれほどの重大な軍使だとはおもって いないため、 「いや、まだ当師団司令部としては第二連隊から電話できいただけでその文書を見てい ないのだ」 と、 いうのである。 「じゃ、師団司令部にとどき次第、伝騎をもって軍司令部にとどける」 と、第一師団参謀はいった。なにしろ前線の 0 堡塁から師団司令部のある高崎山まで 四キロある。そのあいだを歩哨の逓伝 ( 順送り ) で師団司令部へおくってくるのである。 高崎山につくまでに三時間はたつぶりかかった。 その高崎山の第一師団司令部から、後方の柳樹房の乃木軍司令部まで十キロ以上ある。 ここまで全軍が前進しているときに、軍司令部は、なおも柳樹房の後方にありつづけて
93 〇高地 児玉はその書状をちょっとおがむまねをしてポケットにおさめると、乃木軍参謀の集 合を命じた。 児玉は自分の主宰する参謀会議をこの高崎山でおこなうつもりであった。 ところが、人数が多すぎることに気づいた。乃木軍関係者だけでなく、満州軍総司令 部からも、 乃木の相談相手に。 ということで早くから少将福島安正がこの旅順の前線にきている。大尉国司伍七など さめじま もそうであった。さらに東京の大本営からきている。鮫島中将や中佐筑紫熊七などがそ うである。かれらの役目はすべて、乃木・伊地知の頑固な「二〇三高地軽視方針」を修 正するためのものであったが、みなこの現地にくると、戦闘のすさまじさに眩惑され、 さらには伊地知の強硬さにへきえきし、説得どころか、旅順の陣中でぶらぶらするだけ やっかいもの の厄介者のような存在になっていた。ともあれ、参謀会議に顔をつらねるべき人数が多 すぎた。これだけの人数を一室に収容するだけの家屋はこの高崎山の前線にない。 「では、柳樹房の軍司令部にもどろう」 一一一と、気の早い児玉はこの夜、高崎山を出発した。柳樹房についたのは、夜九時すぎで 二あった。児玉は疲れきっていた。 「会議は、あすになさってはいかがでしよう」
に済んだであろう。が、もしこの期間で児玉が乃木に代わるという非常措置をもって総 指揮をとらなかったならば、この数字はいよいよふえたにちがいない。 「もう、おれの用はすんだ」 と、児玉が随員の田中国重少佐にいったのは、この五日、二十八サンチ榴弾砲の第一 弾が、山越えに飛んで港内の軍艦に命中したときであった。 翌 , ハ日と七日、児玉はさらに作戦指導をつづけた。この七日、乃木は朝食後、前線の 高崎山を去ったが、児玉はなおも残った。 この十二月七日、乃木希典の陣中日記によると、 「七日、霧アリ」 と、ある。朝霧がふかく、あたりの山々はまったく霧のなかに没している。彼我の砲 声のみが、殷々ときこえた。ときに、大地が震動するのは、生き残りのロシア軍砲塁か ら飛んでくる巨弾が炸裂するためであった。 乃木日記の七日の項、つづく】 「朝食後、高崎山ョリ柳樹房ニ還ル。大嶋中将ョリ、カステラ、茶、沖津鯛到来。リン 地ゴヲ送ル」 = 一乃木は、後方の柳樹房軍司令部にかえったのである。ここまでは、敵の砲弾も飛んで 来なかった。乃木は連日の前線での起居で疲れきっていたが、しかし体を休めようとせ ず、執務用の机にむかった。 おきつだい
土城子 島こ 0 第家屯 大石 海車陸載砲隊 盤 . 第 高崎山〒 水師営 団山子 海鼠山 薯、化頭考山′ミ里橋 ー松樹山望台 ( 新市街 旧市街 黄金山 鵜冠山 鮮生角物【 旅順要塾図 き 28 。榴弾砲 0 シア軍 。出攻城砲陣地砲台・堡塁 要基囲壁 3km 、
140 有死無生何足悲 千年誰見表忠碑 皇軍十万誰英傑 驚世功名是此時 この詩は、この日、乃木が高崎山から柳樹房へもどるまでのあいだ、馬上で即吟した ものである。 「これはええ」 と、児玉は心から感心した。 さんせんそうもく 「ぬしの山川草木は悲傷の気が満ちちよるが、この詩はいかにも三軍の将らしく英気漫 らっ 剌たるものじゃ」 児玉は、訓みくだした。 なん 死あって生なし何そ悲しむに足らん 千年誰か見ん表忠碑 皇軍十万誰か英傑 世を驚かすの功名これ此の時 はっ
知っていた。 このため、児玉はこの日の二〇三高地巡視さえ遠慮した。第一、陥ちてしまった二〇 三高地には、もはや児玉は用はなかった。 「歯痛も加わっておる」 と、児玉は乃木にいっこ。 げんに児玉は、歯が痛かった。 この日、児玉が病いと称して高崎山に残ることについて、落合泰蔵軍医部長も職務と して残らざるをえなかった。 落合は、児玉の話相手になった。 児玉はこの落合にむかって、 「軍医部に、なぜ歯科医が加えられていないのか」 とい , っことを、くどく一一 = ロった。 「上級指揮官は多くは老人で、野戦ひさしきにわたるため、義歯が破れ、みな難渋して いる。腹の痛みには堪えられても、歯の痛みだけはかなわぬ。落合、なおせるか」 地と、なかば本気でいった。 高 一一一落合は、迷惑した。 二「ドイツでも、歯科医は軍医部に加えておりません」 というと、児玉は変に感、いして、ドイツ人は歯が痛まんのか、といった。
と、廊下の人の気配にむかってきくと、乃木はすでに一時間ばかり前に高崎山に出か けてしまったという。乃木は、重砲陣地転換の工事を督励すべく出かけたらしい ( 乃木も、やっと動きだした ) 児玉は、おかしかった。 あの重砲陣地の移動が、どれほど困難なものか、児玉はよく知っていた。砲兵だけで えいう なくエ兵隊も総動員されるであろう。予備軍の歩兵もぜんぶかりだされて、その曳行の 主力になるにちがいない。かりに一門に一万の人間がかかってロープを曳くとすれば、 どんな重量のものでも動かせぬはずがない。乃木はその曳つばり部隊の督励に行ったの であろう。児玉は、その移動の成功についてはたかをくくっていた。 めしをそこそこに済ませると、 「田中ア」 と、田中国重に声をかけた。田中はあわてて部屋の入口に立った。 「山山かけよ , つ」 。馬の支度ができております」 地児玉がそとへ出ると、総司令部から派遣されている福島安正少将がすでに戸外に出て 三児玉を待っていた。 かれらは、柳樹房を出発した。 障「福自よ」 ひ
であった。 ( この重砲陣地の位置はまちがっている ) 児玉は、砲兵の素人としての自分の眼識のほうを、砲兵の専門家とされている伊地知 のそれよりも信じた。 すでに、日が傾きはじめている。宿をみつけねばならなかった。児玉は馬をすすめて 高崎山の山脚に入ると、ちょうどその山腹に壕が掘られてあるのを発見した。 「乃木、今夜は二人でここで寝よう」 と、児玉はいった。乃木はちょっとおどろいた。乃木は戦場から遠い柳樹房の軍司令 部以外の場所で寝たことがない。ここは第一線よりなお遠いとはいえ、重砲の陣地が集 中しているところからいえば、前線であった。 児玉はかねて、 乃木軍の軍司令部は弾の飛ぶ場所から遠すぎる。あれでよく前線の状況がわかる ものだ。 と、痛烈に叱責していたが、、 しまあらためて乃木に対し、 軍司令部が本気で戦さをするつもりなら、こういう場所まで前進すべきだ。 あん ということを、暗にさとらせようとしていた。児玉は、乃木の副官をよび、この穴の なかにアンペラを敷き、寝具を置き、暖房具をもちこみ、小机、ランプなどを入れるよ
新「イシウスという意味じゃ」 と、即答した。なるほどそういわれてみると、高地群のあいだにはさまれたまるい平 地で、碾盤 ( 石臼 ) のようなかたちをしている。溝というのは、細流のことであった。 溝川程度の川が北西にむかってくばんでおり、この水を頼りに、この小部落が生きてい るのであろう。 碾盤溝をすぎると、道は坂になる。のばるうちに、あちこちの山かげを利用して、乃 木軍の重砲陣地がならんでいた。児玉が最初にみたのは、第一砲台であり、ついで二十 八サンチ榴弾砲陣地であり、さらに第二砲台、さらに十二サンチ榴弾砲陣地などが、い くつかある。二〇三高地を主攻している第七、第一師団の司令部も、第二砲台のそばに あった。ここから、南方五つばかりの山を飛びこして二〇三高地に巨砲の砲弾をうちこ んでいるのである。乃木軍はこれらの地帯をひとまとめにして、 「高崎山」 と、仮称していた。 「ー ) かしっ・も」 と、児玉は乃木に馬を寄せた。 「二〇三高地に射ちこむのに、ここを砲兵陣地にしていては、すこし間遠すぎやせん 力」 ( 桂馬の横っ飛びじゃあるまいし )