松川敏胤 - みる会図書館


検索対象: 坂の上の雲 6
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1. 坂の上の雲 6

おれはあの連中をすべて信じていない。 というのが、ロジェストウエンスキーの態度であった。あの連中とは、艦隊の全員の ことであり、つまり彼の部下のことである。 「わ一 . れ、も一一一一口ド ) よ、 というロジェストウエンスキーの態度はあるいは正しかったかもしれない。 もともとロシア海軍のいきのいい現役下士官と現役水兵は、ことごとく旅順艦隊にあ つめられてあったのである。ニコライ二世が「太平洋の皇帝」たらんとしたように、そ れほどロシアは極東を重視し、その海軍については訓練の練度も高かった。 ところが北海やバルト海、あるいは黒海にいた艦隊の兵員というのは、いわば第二軍 的なもので、経験を積んだ連中の数はひどくすくない。 ロジェストウエンスキーはこの艦隊を編成するにあたって、兵員をあつめることに苦 心した。年配の予備役の下士官や水兵を大量に召集したが、なかには内陸地帯から召集 されてきて海を見るのがはじめてだというものさえまじっていた。彼はこれらに焼きを 入れて速成ながらも戦える技能者として育てねばならなかった。 かん この間、不幸な予一一 = ロ者があらわれた。 日露いずれの艦隊が勝っか。 ということについての観測が、「ノーウォエ・ウレーミヤ」紙に掲載されていた。ク

2. 坂の上の雲 6

% 「ロシアの人民の汗と血をもって建造したわが旅順海軍はいまどこにあるのだ。かれら はいささかでもロシアの名誉を発揚したか。旅順海軍の高級士官の胸にはふんだんに勲 章がぶらさがっていたが、しかしそのような胸の勲章に値いする努力や行動をすこしで もしたか」 と、ポリトウスキーは身もだえするような思いでおもった。 艦隊は、このノシベという無名の漁港に居すわりつづけている。 「この南海の星の数と位置をことごとくおばえた。われわれはそれほどに退屈である」 と、国もとへ書き送った水兵もいる。 この退屈というのは、多少の註釈が要る。 ロジェストウエンスキー提督は水兵が退屈するほどのひまを決してあたえす、たえま しようかい なく射撃訓練をさせ、外洋に出ては艦隊運動の演習をし、夜は夜で哨戒勤務を厳重に ばっぴょう 課した。が、この艦隊がいっここを抜錨するのか、抜錨して極東へゆくのか、あるい は故国へーー次第に衰えつつある希望的観測とはいえーー帰るのか。たれもみずからの けんたい 運命の位置と方角を知らなかったため、焦燥と倦怠が全艦隊をおおっていた。方角をう しなった日常ほど退屈なものはないであろう。 ロジェストウエンスキー中将は、かって旅順で艦とともに沈んだマカロフ中将の百分 の一はどの好感も兵員からうけていなかったが、しかしかれが有能な提督であることを、

3. 坂の上の雲 6

を通じてロシア帝国のすくいがたい患部を、体じゅうで知っていた。 右のことが幕僚室で話題になったとき、一人の士官が、 「海軍が忘れられている」 と、突如、怒りだしたのである。陸軍に行賞があって海軍に何の沙汰もないとはなに ごとであるか、という。かれのいう海軍とは、この戦役に参加した旅順艦隊 ( 第一太平 洋艦隊 ) のことである。あの艦隊の士官に対する行賞が無視された。これは皇帝の海軍 に対する重大な侮辱である、とその士官は演説するような口調で叫んだ。 それをきいてポリトウスキーは呼吸をわすれるほどにおどろき、その驚きは怒りに変 わった。 ( 旅順艦隊は何をしたのか ) と、叫びたかった。旅順艦隊は日本海軍とほばおなじ勢力をもちながら、その砲をも って日本海軍に対してカスリ傷一つおわせることなく海底に沈んでしまったではないか。 旅順艦隊が世界にむかって残したのは、単なる敗戦の記録ではない。史上空前の不名誉 をのこし、世界中から侮辱を買っただけではないか。 ポリトウスキーは、西欧技術を通じて西欧思想を知っていたが、しかしロシアの学生 突 煙 や兵士、労働者のあいだに浸透しつつある革命主義者ではなかった。かれは、ロシアと 黄海軍を愛した。愛するのあまり、その腐敗に対する憤りが深く、このばあいもほとんど 叫びをあげたくなったほどであった。

4. 坂の上の雲 6

その屈折した結果として、江戸期の士民を感動させた軍談は、ことごとく小人数をも めいしようたん って大軍をふせいだか、もしくは破ったという奇術的な名将譚であり、これによって ろうじようせん くすのきまさしげ 源義経が愛され、楠本正成に対しては神秘的な拠をいだいた。絶望的な籠城戦をあ えてやってしかも滅んだ豊臣秀頼の、大坂ノ陣は、登場人物を仮名にすることによって さなだ 多くの芝居がつくられ、真田幸村や後藤又兵衛たちが国民的英雄になった。その行為の 目的が勝敗にあるのではなく壮烈な美にあるために、江戸泰平の庶民の心を打ったので あろう。この精神は昭和期までつづく。 が、ロシア人の戦いの思想は、勝っ態勢にまで味方の兵力がととのわないかぎり戦う ことをしない。それでもなお作戦の至上要求として戦えと命ぜられれば、みずからを壮 烈に感じて陶酔するよりも、むしろ士気が沈滞し、ときには降伏したりしてしまう。ョ ーロッパ各国がたえまない戦争によってその文明をおこしてきただけに、日本の戦国期 のひとびとのように戦争の本質というものを知っていたからである。 この酷暑のなかで、艦隊のひとびとは、外界からくるごくわずかな情報にでも飛びつ 、つ ) 0 突 煙 たとえば、 艶「クロバトキン将軍が進撃戦を開始した」 といううわさが、艦隊をかけめぐった。技師ポリトウスキーも、そのことを二月一日

5. 坂の上の雲 6

や火力をもたなければ攻撃に出ないという固有の原則のようなものが抽きだせるような 感じがする。これは民族性によるものか。 あるいはそうではないかもしれない。 もともと戦争というのは、 「勝つ」 ということを目的にする以上、勝つべき態勢をととのえるのが当然のことであり、ナ ポレオンもつねにそれをおこない、日本の織田信長もつねにそれをおこなった。ただ敵 よりも二倍以上の兵力を集中するということが英雄的事業というものの内容の九割以上 を占めるものであり、それを可能にするためには外交をもって敵をだまして時間かせぎ をし、あるいは第三勢力に甘い餌をあたえて同盟へひきずりこむなどの政治的苦心をし なければならない。そのあとおこなわれる戦闘というのは、単にその結果にすぎない。 こういう思想は、日本にあっては戦国期でこそ常識であったが、その後江戸期にいた って衰弱し、勝っか負けるかというつめたい計算式よりも、むしろ壮烈さのほうを愛す しよ、つすい るという不健康な思想ーー将帥にとってーーが発展した。 江戸期という、世界にも類のない長期の平和時代は、徳川幕府独特の治安原理の上で 成立している。体制原理によって、幕府は諸大名以下庶民にいたるまで競争の精神を奪 った。このことが江戸期日本人全体から軍事についての感覚の鋭敏さをうしなわしめた とい , っことがいえるであろ , つ。

6. 坂の上の雲 6

「浮かぶアイロン」 ろうきゅうかん と、水兵たちから悪口をたたかれたとおり、老朽艦ばかりであった。その兵力は、 戦艦一、巡洋艦一、海防艦三のにかに、若干の特務艦を属せしめている。 この情報を東京の大本営が得たとき、 「はたして彼等は来る」 しかしロジェストウエンスキーにとっ と、その判断の正しかったことをおもったが、 ては失望以外のなにものでもなかった。老朽艦にきてもらっても艦隊運動にさしつかえ るばかりで戦力にはなりにくいというのがロジェストウエンスキーの心境であった。 旅順艦隊が全滅した。 という衝撃的な報道は、新聞をよんだ者たちの口からたちまち全艦隊にひろがった。 このあとすぐ湧きあがる当然の疑問は、 われわれの艦隊はどうなるのか。 ということであり、これは兵員のすみずみまでおよんだ。 本来、バルチック艦隊という大艦隊を極東へ回航するというこの史上最大の冒険的航 突 煙 海の計画の実施へロシア海軍があえて踏みきった理由の唯一のものは、幾度かふれてき 黄たようにこの艦隊と旅順艦隊とをあわせて東郷艦隊にあたらせるということである。 余談ながらロシアの過去の陸戦史をみてゆくと、どうやら敵に対して二倍以上の兵力

7. 坂の上の雲 6

沈んでしまったことを知った。 「ロジェストウエンスキーのひきいる第二太平洋艦隊 ( バルチック艦隊 ) は、協同すべ き味方 ( 旅順艦隊 ) をうしなったため、本国へひきかえすことになるだろう」 るせつ という流説が世界じゅうに流れた。 この流説には、あとになってみれば根拠がないでもなかった。 ロジェストウエンスキー自身、戦いの前途に希望をうしない、 どうすべきか。 ということを本国に対して訓令をもとめていたのである。 が、東京の大本営は、 ひっかえすなどということはありえない。 と、その点に一顧もはらっていなかった。ロシア帝国が、日本との交戦をつづけてい るかぎり、極東における制海権を手放すはずがないというのがその理由であった。 はたして、 「ロシアは、第三太平洋艦隊を編成した」 という情報が入った。ロシア皇帝はこれをロジェストウエンスキーに贈り物すること によってこの提督を極東におもむかしめようとした。 第三艦隊というのは、ロシア海軍が現有する黒海艦隊以外のあらゆる艦船から航海に 耐えうるものをえらび、これをネボガトフ少将にひきいさせるというもので、

8. 坂の上の雲 6

「主なる軍艦には無線電信の設備がある」 「水雷防御網をもっている」 「潜航艇はもっていない」 「工作艦、水雷母艦、病院船を同伴している。それに給炭と給水用の船ももっている」 この艦隊がマダガスカル島についたということも知ったが、その後うごく様子がない ということについて当然ながら疑問をもった。 東京の判断ではおそらくすぐマダガスカル島を出発するだろうとみていた。そのまま マレー群島方面に直航し、かれらが台湾海峡付近に達するのは、 「おそらく一月上旬だろう」 と、計算していた。 旅順陥落後、東郷艦隊が艦艇の修理をいそいだのは、この理由によるものであった。 呉と佐世保の二つの軍港では、昼夜兼行の作業がつづけられた。 この計算は、ロジェストウエンスキー自身もはじめそのように考えていた。かれは、 「マダガスカルには二週間ぐらいとどまることになるだろう」 突 煙 とみていた。給炭のこともあったが地中海まわりのフェリケルザム少将の支隊と合流 黄するにはそのくらいの期間が必要だろうと思っていた。 ところが入港してほどなく旅順の陥落と「第一太平洋艦隊」である旅順艦隊が海底に

9. 坂の上の雲 6

の支配人とロジェストウエンスキーとのあいだの直接交渉にまかされることになり、そ のためもあって居すわりとなってしまったのである。 ロシア政府は、 「現地で解決せよ」 と、ロジェストウエンスキーにまかせてしまったが、このことは本来、政府の仕事で あった。外務省もしくは海軍省がやるべきであり、これだけの遠征艦隊をひきいて極東 で大海戦をやろうという司令長官にそういう仕事と責任まで負わせてしまうのは酷であ っこ 0 石炭談判は、長びいた。 かん この間、兵員の士気は沈滞し、厭戦気分が全艦隊に満ちた。上官に対する軍属工員の こうめい 抗命事件はしばしばおこった。水兵たちはさすがに軍人としての服従心をうしなうとこ ろまで行っていなかったが、 ロシア本国で革命さわぎや暴動がおこっているというニュ ースは、むしろ一部の右翼的気質の士官たちの気分を過敏にし、水兵たちのちょっとし た一一 = ロ動にも疑惑の目でみたり、あるいは強圧的な態度に出たりして、そのことがかえっ て水兵の厭戦気分を深くした。 かん きんしよう この間、東京の大本営が入手していたバルチック艦隊についての情報は、。 こく僅少 ながらも十分なものであった。 えんせん

10. 坂の上の雲 6

として発航せしめたロジェストウエンスキーとその艦隊をして、二カ月という長期間 マダガスカル島の漁港で足ぶみさせていたのか。 その基本的理由は右にふれたとおりであろう。それに付属する理由として、この時期 「タイムズ」 ( ロンドン ) がしばしば亠珊評しているよ , つに、 ろうれつ 「ロシアの行政組織の陋劣さ」 にある。 陋劣といっても、なお抽象的であるかもしれない。陋劣とは行政組織の機能性がひく いということもあり、さらには官僚の怠慢、無責任ということもあるかもしれない。 この時期の「タイムズ」は、ロシアの戦費を計算した。「タイムズ」自身の計算とい うよりも、「タイムズ」が、フランスの経済学者レヴィーが出した数字を信頼したとい ったほうが正確かもしれない。 それによれば、ロシア陸軍三十万が満州の野で戦闘する経費は、一カ月に六百万ポン ドから七百万ポンドであるという。 ところで、その計算によると 、バルチック艦隊を東洋へくりだすについてかけた経費 は、三千二百万ポンドであるという。海軍がいかに金を食うものであるかがわかるが、 その経費の一半は艦船の整備費であった。 一半は、回航についての費用である。そのなかでも石炭の購入費が大きい。 石炭という物質そのものは値の安いものであるとしても、一万八千海里という長大な