これを軍の予備隊にします、さらに重砲が必要です、ですから、 も , つ一個師団ください、 「野戦重砲兵を一個大隊配属してください」 つつ ) 0 このやりとりをしているとき、乃木希典もやってきた。乃木はむろん津野田案を承認 しており、その交渉の経過を見にきたのである。 松川は立ちあがって乃木のためにイスを用意した。乃木は、腰をおろした。 松川にすれば、日本軍はロシア軍にくらべて兵力が寡少であり、黒木軍ほか各軍とも 兵力不足でなやんでいる。乃木軍に対してはかって旅順攻撃を担当させ、日本軍として は最優先のかたちで乃木に対して兵力をたつぶり割き、砲弾も野戦のぶんを削ってまで 送った。乃木軍は優遇されることに馴れている、と腹が立った。 このとき松川は、津野田にとってわすれがたい一言を吐いた。 「総司令部は、第三軍に多くを期待していない」 と、 いったのである。 さすがに乃木のほうを見ず、津野田を凝視しながらいった。旅順における乃木軍司令 へ部の無能を批難しつづけていたのはこの松川であった。その鬱憤をこのとき、吐い 天津野田はさすがに顔色を変えた。乃木はまぶたをあげたまま窓外の楊樹を見つめてい 奉た。表情はふだんのままであったが、内心の衝撃は小さなものではなかったにちがいな 3
260 で乃木のサインの入った招待状がとどいていた。晩餐にまねくというのである。 この晩餐会では、ハミルトンは乃木の右に席が用意されていたため、乃木と親しく話 すことができた。話は旅順要塞の防御と攻撃についての専門的な内容が主で、そのあと 乃木は、ハミルトンが従軍した南阿戦争についていくつか質問した。それが礼儀という ものであり、乃木はそういう点では優雅といってもし 、いほどにゆきとどいた神経をもっ ていた この席上、ハミルトンがもっとも感動したのは、かれが、 「旅順攻撃中、夜ねむれなかったのは、どういう時でしたか」 と質問したことに対する乃木の答えであった。 「旅順が開城したのは一月二日でしたが、その夜はねむれませんでした。あれほど激し や かった砲声が歇んでしまって、私はついに一睡もできませんでした」 そういうものであろう。戦闘者が常人にもどるときはそういう夜であるにちがいない。 以下、ハミルトンの文章である。 「親しく接すれば接するほど、乃木将軍の印象が深められてゆく。威あって猛からずと めいそうてき いう風半のうちに、高潔な人格と瞑想的な英雄精神がにじみ出ている。あくまでも謙譲 で、勝利に驕っているというようなところはみじんもない。 ・ : もし私が日本人であっ たなら、乃木将軍を神として仰ぐであろう」 たしかに乃木には、初対面の外国人に対してさえ神秘的な衝撃をあたえるところがあ ふうばう おご ばんさん たけ
242 旅順を陥した乃木軍は、北進しなければならない。 「君たちはまだ戦わねばならないのか」 と、ステッセル麾下の一将官が、乃木軍の若い参謀にむかっておどろいてみせた。 すもう ( さすがは大国だ。角力とおなじらしい ) これしげ と、その若い参謀ーー津野田是重ーーはおもった。角力はその場所にさえ出ればあと 、ゝよゝっこ。 は休める。兵力のすくない日本軍はそうま 乃木軍はまだ戦わねばならぬかどころのさわぎではなかった。 満州平野における決戦用の兵力が極度に欠乏しているのである。 満州軍総司令部の児玉源太郎は、乃木軍の手があくのを待ちに待っており、乃木軍の 参加なしではあたらしい大作戦はたてることができなかった。 しやか り・よ、つよ、つ 遼陽会戦があり、沙河における両軍 乃木軍が旅順に縛りつけられているあいだに、 乃木軍の北進 おと
とつだったかもしれない。 この煙台における軍司令官会同は、この大作戦発起にあたっての儀式のようなもので あった。 乃木が、もっとも早く到着した。 シナ家屋の玄関にあたるところから入ると、すぐ暗い廊下になる。児玉がひょいとあ らわれてすれちがおうとして気づいたらしい 「なんだ、乃木のジジイか」 と、児玉はうれしそうにいった。児玉にとって乃木はおなじ長州人というだけでなく、 若いころから軍歴を共にしてきて、のちの表現でいえばただ二人きりの同期生というに ちかい。児玉は無帽で剣も帯びていなかった。 「こんどは乃木、おもしろいそ」 と児玉がなぐさめたのは、旅順のあなぐら住いでなくどんどん敵にむかって運動でき るのだ、という意味らしい へ乃木はだまって微笑していた。 天「詩ができておるんじゃ、乃木」 奉と、児玉はいった。児玉がこのところ詩に凝っていることは、さきに児玉の指揮で二 しげたか 〇三高地をおとしたあと、乃木の軍司令部で志賀重昻をまじえて詩の会をしたことでも
った。このあと乃木に接触する米人記者スタンレー・ウォッシュバンなどは、はとんど さんぎよう 神のようにかれを崇拝し、のち「乃木」という全編、鑽仰の文字で埋まった書物を書 ハミルトンもウォッシュバンも、進行中の旅順攻撃を見ておらず、その作戦上の推移 も概括的に知っているだけであるという点で一致していた。旅順は乃木の人格によって 陥されたのではなかったが、結果から見れば、旅順の百倍の敵でさえ陥すかもしれない 神秘的ななにかを乃木の人格はもっていた。日露戦争の象徴的な人物として、大山や黒 木、児玉よりも、乃木がつよい印象を世界にむかってあたえたのはそういう機微による のであろう。 戦争がおわればなにをしたいか。 という問いに対し、乃木は、 「もし生きて帰れるなら、故郷の長州に帰って隠退するつもりです」 と答えた。おなじ問いをハミルトンが第一軍の黒木に発したとき、黒木は「故郷の薩 進 摩に帰って」とはいわなかったが、「なるべく世間からひっこんで邪魔にならぬように 軍暮らします」 乃と、乃木と似たようなことをいった。さらに黒木は、 「この戦争に勝てば世間は軍人をもてはやすでしよう。しかし世間というものはすぐ忘 おと
274 松永が着任したのは、二月一日であった。乃木は軍司令部でささやかな歓迎宴をひら いたが、このときどの参謀も松永の顔色がひどく黄色いことに気づき、どこかお悪いの ではないかとささやきあった。 後送された小泉正保少将にかわって乃木軍の参謀長になった松永正敏少将は、着任 早々、病床の人になった。 おうだん 軍医部長の診断では、黄疸であった。それもよほど重症で、とても野戦の勤務に堪え られる容体ではなく、回復もますむずかしい、 という。むろん後送ということになった。 が、松永は乃木に懇願した。 武士の情におすがり申します。どうしてもこのままおらせてください。 という。べッドに寝たままで勤務し、軍司令部が前進すれば、タンカに乗って前進し 、というのである。が、この症状では思考力が減退してしまうのが当然だし、また 戦闘中の激しい参謀勤務に堪えられるわけがない。 しかし乃木は承知した。 乃木には統率力はあったが、近代戦の作戦能力となればとてもそういう材ではなく、 はんせいはんみん すぐれた参謀長が必要であった。その参謀長が、熱のために半醒半眠の状態では旅順の 不幸がふたたび乃木軍を見舞うであろう。 乃木はこの松永の懇願を容れたようにたしかに仁者であり、武士の情に動かされると
350 わかる。児玉は乃木が無類のいくさ下手であることは、西南戦争以来の戦友として知り つくしていたが、しかし児玉は乃木をふしぎに軽侮したことがない。 「一段落ついたら見てくれ」 と、児玉はいった。詩稿のことである。一段落がつくとはこの奉天作戦がおわれば、 ということであった。 「 , つん」 と、乃木はうなすいた。乃木は端正な容貌のもちぬしだが、むかしから泣いているよ うな顔で、それが一種の人間的愛嬌にもなっていた。このときも、泣きつつらのまま微 笑して児玉の顔をじっとみていた。 児玉はいそがしかった。 かれにとってきようは祭礼の氏子代表のようなもので、祭礼の用意万端をとりしきっ てゆかねばならない。 「床〈にいらっしやるよ」 と、乃木にいって児玉は去った。奥にいらっしやる、というのは総司令官大山巌のこ とである。 大山は、部屋にいた。乃木が部屋に入ったとき、大山はちょうどシナ犬の仔を追っか けているところだった。大山は一月ほど前、この総司令部の庭にまぎれ込んできたこの 仔犬をひろったのである。犬ずきな点では、大山はその従兄の西郷隆盛と似ているのか
参謀たちは出かけて行った。 乃木は、停車場に残った。 「一時間後に煙台までゆく列車が参ります」 という連絡があったから、かれはそれに乗って総司令部にあいさつにゆくつもりであ った。もっとも若い参謀の津野田是重が随員として乃木のそばにのこった。 列車は、時間どおりにきた。 乃木と津野田はそれに乗って煙台へゆき、総司令部を訪問した。 この日、あたかも負けいくさ一歩前ともいうべき黒溝台会戦がはじまりつつあったと きであり、参謀たちは殺気立っていた。乃木閣下が来られると縁起がわるい、とささや いていた参謀もあった。 が、大山巌と児玉源太郎は心からうれしそうに乃木を迎え、歓待した。 乃木軍司令部は遼陽であたらしい司令部を設営したものの、兵隊が来ない。 かいめつ 日本軍の左翼一帯は、グリッペンベルグ大将指揮の大軍南下のために潰滅寸前の危機 にあった。 車乃木は、煙台の総司令部で大山や児玉と歓談しながら、気が気ではなかった。 乃かれの麾下の各師団や旅団は、かれよりずっと以前に旅順を出発しているのだが、列 車不足のためにほとんどが徒歩行軍しており、まだ遼陽城に入っていないのである。
いよいよ旅順を去るのかと思うと、若い参謀将校の津野田是重は列車の窓に顔をつけ、 真っ暗なそとをながめて、涙がしきりにこみあげてくるのをどうすることもできなかっ っ ) 0 「死霊が、ひきとめようとしているのだ」 という、思わぬ感想まで湧いてきて、疲れているせいだと自分に言いきかせたが、そ ういう不吉な思いをふりすてるのに難渋した。 乃木は、終始端正な姿勢をくずさずにすわっていた。乃木にとっても二児をうしなっ しかし津野田の角度から たこの地を去るについては多少の感慨があったに相違ないが、 みえる乃木の横顔には、そういう気配は感ぜられなかった。 乃木希典たちをのせた列車はきっかり一時間走って、金州駅についた。 へいたん そこでいったん下車し、ストーヴが真っ赤に燃えた兵站司令部で遅いタ食をとった。 そせい ところが食事をとっているあいだに機関車の水が凍ってし みんな蘇生の思いがしたが、 まい、出発できなくなった。 「やむをえない」 軍乃木は表情を変えす、責任者を叱りもしなかったが、乃木軍主力がすでに遼陽付近に 乃集結運動をおこないつつあるとき、軍司令部の一団のみが遅れるというのは、司令官に とってつらいことであった。乃木にはつねに不運がっきまとっているようであった。
と、乃木は、電信機のそばにいる津野田の肩をたたいていった。一戸は少将で旅団長 ひょうえ であり、その一格下の連隊は大佐によって指揮されている。乃木がとくに一戸兵衛を名 指ししたのは、一戸が戦争の名人であることを旅順攻略で十分に知ったからだった。 すべては、手配どおりにすすんだ。 一戸兵衛は第七連隊をひっさげて遼陽に入り、あとは臨時に総司令部の指揮下に入り、 急行軍して日本軍左翼の急場をすくう部隊のひとつになった。 遼陽の乃木軍司令部の防衛は、相当きわどいものであった。たまたま第一師団 ( 東 京 ) が予定よりも早く二十七日に遼陽に入った。ただ師団司令部だけで、歩兵の兵力は つれていない。 ひ 乃木は、二十七日には遼陽にもどっていた。そこへ野砲が一個連隊、砲車を曳き、砲 身をはねあげるような勢いで入ってきたので、かれはこれを部署し、遼陽停車場の西側 の畑地に放列を布かしめた。 この黒溝台会戦においては、乃木軍は右のように第七連隊に次いで第三十五連隊 ( 富 山 ) をおなじく左翼に急行せしめたが、他は兵力の集合がおくれ、すべて行軍中であっ た。やむをえないことながら、乃木はこの場合も幸運ではなかった。 の 乃 たしかに乃木軍は、不時におこった黒溝台会戦にこそ間にあわなかったが、総司令部 川が乃木軍に命じたところの , ーーすみやかに遼陽に兵力を集中せよーーという命令は、み