松川敏胤 - みる会図書館


検索対象: 坂の上の雲 6
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1. 坂の上の雲 6

「敏胤を漢学者にしたい」 と、千仞はいっていたが、維新後松川家が微禄したために学資の要らない陸軍士官学 校に入った。明治十三年の入校である。のち少尉で陸軍大学校に入ってひとをおどろか おんし せた。大学校は首席で出た。当時首席で出ると恩賜の望遠鏡をあたえられる慣例があり、 松川もその望遠鏡組であった。 こうち 松川の作戦はつねに積極的であった。しかしながら内容は巧緻でありすぎ、その巧緻 な点が、津野田是重大尉にいわせれば実戦的ではない。 津野田は、乃木軍にあたえられた役割について問いただしつつも、一一一一口外に松川作 " = ⅱ 画の欠陥をそれとなく指摘した。 かん これが、松川の癇にさわった。松川は陸軍大学校戦術教官をしていたころ、この津野 田が学生であった。 「おまえは乃木軍のことをやっているだけでいい」 と、松川は大声でいった。 いっかっ 津野田もさすがに恩師の一喝には抗しかね、それは当然です、私は乃木軍のことだけ やります、しかしながら乃本軍の兵力は、この作戦を遂行するにははなはだしく不足で す、といっこ。 「各軍とすこしも兵力の差がないじゃよ、 と、松川がいうと、津野田はさらに食いさがり、繞回連動をやるには不足です、ぜひ

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と、予定よりもこの作戦の発動の日を早めた。 この大攻勢の作戦案を立案したのは、総司令部作戦主任の松川敏胤少将であった。 二十余万が三十余万にぶちあたる以上、その作戦は正統的思考法から外れざるをえな 立案中、松川は何度も児玉に相談した。はじめ松川がその思想を説明すると、 「なるほど、奇じゃなあ」 と、児玉はさすがにおどろき、この一声を発したまま沈黙してしまった。児玉には癖 が多く、かれの沈黙はかれが同意したことをあらわすものだというのが、参謀たちの通 = = しなってした しかし、このときの児玉はかならずしもそうではない。 ( それしか良案がないか ) と、考えこんでしまったのである。 はず 奇策というのは、あたれば大きいが、同時に外れる可能性も大きく、外れれば収拾の つかぬ大損害をうける。 へ 天 なるほど、奇じゃなあ。 奉と、児玉源太郎をしていつもの明快さを失わしめ、しばらく考えこませてしまったと 引いう松川敏胤の作戦案は、簡単にいえば中央突破作戦である。

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軍ぜんたいをあやうく崩壊寸前の危機にまで追いこんだいわく付の軍司令部であり、さ らに伊地知参謀長時代に乃木の幕僚たちのふんいきがはなはだよろしくないというのが 総司令部で評判だったために、 ( なんだ、こいっ ) という気持が松川にあった。松川は児玉がもっとも信頼していた作戦家だが、 性格に 偏狭なところがあり、感情を露骨に顔にあらわしたりして、作戦家ならともかく、一軍 の将帥にはとてもむかない男であった。 「わが第三軍の運動についてでありますが」 と、津野田が総司令部案を復唱するようにして念を押し、やがて、 じ亠う力し 「つまり繞回運動 ( 敵に対してまつわりめぐる運動 ) ですね」 と、 いった。松川は面倒くさそうに、つまりもなにもあるか、繞回運動だ、と最初か ら喧嘩腰であった。 松川敏胤が仙台人であることはすでにふれた。 へ仙台藩士松川安輔の長男で、安政六年、仙台土樋の屋敷にうまれ、昭和三年、かれが 天出生したその土樋の屋敷で死んでいる。 奉 かれは藩の養賢堂にまなんだころは神童といわれたらしい。当時仙台第一等の漢学者 せんじん 岡千仞に愛され、

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352 なければならない、と大まじめに駈けまわって、ひょうきん者の曹長をあわてさせたり した。総司令部付の下士官や兵にまで、この会同が日本軍と日本国家の運命を決する容 易ならざるものであるということは、なんとなくわかっていたようであった。 会同は、陸軍大将である四人の軍司令官のほかに、少将の各軍参謀長に少佐参謀か大 尉参謀がそれぞれ随行しているために、総司令部幕僚をのそいても十五、六人が居なら び、それに総司令部側が十人ほど参加している。 中央に大山巌がすわっていた。 作戦に関する説明役は児玉源太郎であり、松川敏胤少将がそれを輔佐した。 このあと簡単な会食があり、一時間ほどしておわった。作戦計画についてはすでに計 画書が各軍にわたされているから、この会同の意義は軍司令官にかぎっては顔あわせで あり、参謀長以下にとっては総司令部幕僚との質疑応答だけであった。 ざっとおわってから、乃木軍参謀の津野田是重大尉が、総司令部の松川敏胤をさがし 松川は作戦室ともいうべき大きな部屋にもどっていた。 「なんだ、津野田か」 と、机ごしに津野田を見た。イスがあまっていたが、松川は掛けろともいわない。松 川は津野田というこの生意気な小僧を好んでいなかっただけではなく、乃木軍司令部と いうものをむしろ憎んでいた傾向があった。あれはど下手ないくさをやりつづけて日本

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358 の点で破天荒な作戦といっていし それでもなお乃木・津野田は、 「一個師団、予備軍がほしい」 と、要求したのである。 カカ 松川が抱えこんでいる日本軍の現実から、そういう要求をかなえられるはずがなかっ た。松川が、「否」と答えるよりも、痛烈な皮肉をもってむくいたのもむりはなかった。 「野戦重砲兵を一個大隊」 と、なおも津野田は要求した。松川はよほど、 「総司令部をみろ」 と、言いたかった。総司令部がもっている砲兵といえば、人力でひつばってゆく軽砲 が数門あるだけであった。が、松川はそれをいわなかった。松川は味方にも総司令部に 予備兵力ゼロという実情を知らしめなかったのである。 しかも味方をだますために、 「第三師団長ヲモッテ総予備隊ヲ指揮セシム」 という命令を出していた。師団長職は中将である。中将が指揮する以上、一万以上の 兵力に相違ないということはたれでも考えることであり、げんに軍司令官たちも、 「そういう次第か」

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これを軍の予備隊にします、さらに重砲が必要です、ですから、 も , つ一個師団ください、 「野戦重砲兵を一個大隊配属してください」 つつ ) 0 このやりとりをしているとき、乃木希典もやってきた。乃木はむろん津野田案を承認 しており、その交渉の経過を見にきたのである。 松川は立ちあがって乃木のためにイスを用意した。乃木は、腰をおろした。 松川にすれば、日本軍はロシア軍にくらべて兵力が寡少であり、黒木軍ほか各軍とも 兵力不足でなやんでいる。乃木軍に対してはかって旅順攻撃を担当させ、日本軍として は最優先のかたちで乃木に対して兵力をたつぶり割き、砲弾も野戦のぶんを削ってまで 送った。乃木軍は優遇されることに馴れている、と腹が立った。 このとき松川は、津野田にとってわすれがたい一言を吐いた。 「総司令部は、第三軍に多くを期待していない」 と、 いったのである。 さすがに乃木のほうを見ず、津野田を凝視しながらいった。旅順における乃木軍司令 へ部の無能を批難しつづけていたのはこの松川であった。その鬱憤をこのとき、吐い 天津野田はさすがに顔色を変えた。乃木はまぶたをあげたまま窓外の楊樹を見つめてい 奉た。表情はふだんのままであったが、内心の衝撃は小さなものではなかったにちがいな 3

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謀の松川敏胤大佐にも、多少弁解の理由がないでもなかった。「ロシア軍の大攻勢」と よしふる いう予兆が、現地にあっては秋山好古から騎兵情報が来るのみで、福島安正少将が統轄 ちしきフほうもう する戦場諜報網のほうにはひっかかって来なかったのである。 「現地の諜報と一致しない」 と、松川はそれで黙殺した。この点にかぎっていえば、この時期、戦場諜報よりも国 際諜報のほうにすぐれていたといえるであろう。 しばらく諜報活動について触れてみる。 日本はロンドンにおいて、 「情報集積所」 を置いた。その主任は駐在武官の宇都宮太郎中佐であることはすでにのべた。 宇都宮はヨーロッパに駐在する各武官と連絡をとりつつ、かれ自身は英国およびヨー ロッパの有力紙を懸命に読み、その記事の裏からロシアの政情および軍事上のうごきを さぐろ , っとした。 報さらに宇都宮は英国の陸海軍省に出入りしてその諜報をほとんど無制限に提供しても 諜らったため、軍事を通じてのヨーロッパ事情にこの当時の宇都宮ほど精通していた者は 大なかった。 あかしもとじ この宇都宮に対し、ロシアそのものに接して国内革命を煽動した者に、大佐明石元一一 としたね せんどう

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370 ばまで出かけてゆき、その戦いぶりに接するのである」 と、 いった。川村には作戦能力はなく、たれよりもかれ自身がそれを知っていた。師 団長のしごとは統率であるが、かれの統率は後方でやるのではなく、散兵壕に出かけて ゆくことでそれをやった。それをワラジがけでゆくために、兵たちはこの将軍を自分の 出身の村の村長のように親しんだ。 川村は満州にもどって煙台の総司令部にゆき大山や児玉と会った。 このとき、川村は、あっさり、 「臨機に満州軍の命令に従います」 と、 いってのけた。かれは東京の山県や長岡にいわば逆らうかたちになったが、しか し山県も、児玉からのはげしい抗議で、そこは多少柔軟性のあるワクを川村にあたえて . し子 / 「鴨緑江軍は、韓国西北境を防御するをもって任務とする。しかしながら本任務にさま たげのないかぎり、敵軍の左翼に策動して、わが満州軍の作戦を有利ならしめる」 というもので、この奉天作戦に参加してもはなはだしくは命令違反にならない。 これによって、児玉・松川作戦にのっとり、鵯緑江軍は日本軍の最右翼に展開し、敵 の左翼を圧迫することによって、奉天にあるクロバトキンをして状況判断を混乱せしめ よ , っとした。 しかしながら、この鴨緑江軍をあてにできるかどうかについては、松川敏胤などは最

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と、認識していた。 この実体を、大山・児玉・松川が、味方にさえ知らせなかったのは、なにかの拍子で 幹部から兵に洩れ、兵の口から現地人の耳に入るかもしれない。そのことをおそれたの である。 ついでながら、この時期クロバトキンがもっていた総予備隊は、第十 , ハ軍団という重 厚な兵力であった。これだけをみても、日本軍の奉天作戦というものが、薄氷の上を走 りわたるようなきわどいものであったということがわかるであろう。 津野田は、さらにしつこく食いさがった。乃木軍はそのあたえられた命令によって奉 天城の西郊に接近する。やがては城壁やロシア軍の半永久陣地にぶつかる。それをぶつ こわすために野戦重砲が必要なのだが、津野田は、 へき 「一個大隊がむりでしたら、シナ囲壁だけを破壊するためにせめて一個中隊でもくださ と、嘆願した。 が、松川には無い袖はふれなかった。 へ ついに松川は、余計なことをいわざるをえなかった。 天「この作戦における第三軍の役目というのは、たいしたものではない。できるだけ多く 奉の敵の予備隊を第三軍においてひきつけておいてもらいたいだけだ。敵の攻撃が猛烈で しんみんとん あれば、むりに進襲せずともよく、新民屯付近において急造の野戦陣地をつくり、それ そで

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まえば、ロシア軍はほっとして日本軍左翼への運動を新鮮にするであろう。そのあいだ とうじほ に黒溝台より七キロ南方にある侈二堡に立見師団の全力を集結し、しかるのちにカラに なった黒溝台を回復すればよい」 というのが、その戦法であった。 戦法としては、まるで諸葛孔明の戦法かなんそのように複雑すぎるという難がある。 次いでこの複雑な操作をやったところで、相手のロシア軍がうまく乗ってくれるかどう かということであった。つまり口シア軍は種田大佐がすてた黒溝台をカラにして西方へ 去ってくれるか、ということである。 由比は、立見に相談した。立見はどの男が、つい 君がそ , っ思 , つなら、そ , っしょ , つ。 といったことが、失敗であった。なにぶん立見も満州の戦場にあたらしく、ロシア軍 ロシア軍の習性は、一定の線まで前進すればそこで防御陣地を の習性にあかるくない。 構築し、さらに機をみて陣地をすすめるというところにあり、日本軍のようにむやみや たらと走りまわらない。日本軍が黒溝台をすてれば、ロシア軍は黒溝台における日本軍 陣地を強化して居すわるであろう。 台 溝由比は、総司令部に電話をかけ、同期の松川敏胤をよび出して、その許可を乞うた。 黒「捨てるのか」 松川はおどろき、それは好ましくないといったが、しかし由比は、一時だけだ、その