日露戦争 - みる会図書館


検索対象: 坂の上の雲 7
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1. 坂の上の雲 7

218 みもん じゅんばうしゃ 日本はこの戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始し、 戦場として借りている中国側への配慮を十分にし、中国人の土地財産をおかすことなく、 さらにはロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した。その理由の最大のものは幕末、 なおすけ 井伊直弼がむすんだ安政条約という不平等条約を改正してもらいたいというところにあ り、ついで精神的な理由として考えられることは、江戸文明以来の倫理性がなお明治期 の日本国家で残っていたせいであったろうとおもわれる。 要するに日本はよき国際慣習を守ろうとし、その姿勢の延長として賠償のことを考え た。欧州にあっては戦勝国が戦敗国から戦費をまきあげることは当然なこととされてお り、まして欧州各国が十九世紀以来、中国その他アジア諸国に対しておこなったことは、 たとえば英国が香港をまきあげ、フランスがベトナムを領土化し、ロシアが遼東の地を とり、ドイツが膠州湾をかつばらったのは、すべて小さなトラブルを言いがかりにして ときには戦争に訴え、ときには武力でおどしあげてそれらのことをやってのけた。幕末 の日本にあっても、長州藩が四カ国艦隊と戦い、薩摩藩が英国艦隊と戦ったときも、幕 府はその賠償金を支払わされ、幕府瓦解後は明治国家がその残金を支払った。 ところが日本がロシアに対して戦勝してその賠償金をとろうとしたとき、 「日本は人類の血を商売道具にし、土地と金を得る目的のために世界の人道を破壊しょ , っとしていつつ」 と米紙は極論して攻撃したのである。米紙のいう「人類の血」とは、白人であるロシ ホンコン

2. 坂の上の雲 7

道の兵員輸送能力が一日二千人として百日を要するというほどのものであり、もし他日 へいそく ロシア軍が決戦を再開するとしてもそれだけの期間は閉塞しつづけていなければならな 、刀学 / 、ったい奉天作戦は日本軍にとって勝利だったのかどうなのであろう。 さらに戦いにおいて「勝つ」ということはどういう基準で成立するのか。 日本側の総司令官大山巌は、この世界戦史はじまって以来の規模をもつ大会戦をおこ すにあたって、二月二十日各軍の首脳を煙台の総司令部にあつめ、この会戦の主題をつ ぎのように規定し、訓示した。 ぜんせんえき 「来るべき会戦は、日露戦争の関ヶ原なり。ここに全戦役の決勝を期す」 というのである。ついでな 日露戦争そのものをこの一戦で締めくくってしまいたい、 がらこの当時の軍隊用語は、その後の日本軍のような「敵ヲ殲滅」とか、猛攻、猛撃と いったたぐいの作文的な形容過剰主義の修辞法はいっさい用いられなかった。大山は、 画家が必要欠くべからざる線を、たとえばわずかに一線だけ引いて無限の量感を表わそ 却うとするように、この淡々とした実質的表現のなかに日本国家の運命という、名状しが こいほどに大きなものを盛りこんだ。 退さらに、かれはつづいて、金州・南山の戦いいらい幾度かロシア軍主力と会戦をかさ ねてきて、結局はロシア軍の陣地をうばったにすぎないという、この戦いの実相につい せんめつ

3. 坂の上の雲 7

て外交上の勝利ーーそれもあまくない勝利ーーを買おうとした。軍事的勝利ではなかっ た。児玉は元来、日露戦争を純粋な意味での軍事的勝利で解決できるとはおもっていな つ 0 、刀チ′ かれが開戦に踏みきったときも、 「とうていロシアには勝てない」 という常識的判断をうしなってはいなかった。ただ、このままでゆけば国が亡びる、 そのために立ちあがるにしてもよくやって五分々々という目を、なんとか作戦の優越に よって六分四分までもってゆき、そこで同情国を恃み、外交の手をもって一挙に終戦へ こぎつける、という政略的計算があったればこそ開戦へふみきった。 ともあれ、日露戦争の陸戦は、児玉のいう、 「 , ハ分四分」 というわずかな勝星を得つづけてこんにちまできた。が、連戦一年あまりで、もはや 日本の戦争遂行能力はぎりぎりのところまできており、いま遂行しつつある奉天会戦と いう世界史上空前の会戦をやりおえたあとは、日本の戦力は勝つにしろ負けるにしろ一 挙に衰えてしまうにちがいない そのために、児玉はこの奉天会戦における流血にのみ勝利を期待していた。 し力にこの戦いが惨烈であ すでに作戦計画が成った以上、あとは実施諸部隊に対し、、ゝ ろうともいっさい退却させす、ひた進みに進ませて戦闘の形態を「優勢」という判定へ たの

4. 坂の上の雲 7

させるべく、戦争継続を説きつづけてきたのである。 皇帝が沈黙したのは、ひとつには横にいる皇后アレクサンドラへの遠慮からであった。 ロシア皇帝は日本の天皇とはちがい、戦争をやめようとおもえば即座にでもその意志に よってやめることができた。アメリカのこの大使がこう提言したのに対して、たとえば、 「卿にまかせよ , つ」 と、言いさえすれば、アメリカは講和調停にむかってうごくのである。 ロシアの運命は、この専制皇帝の声帯から出る肉声にのみゆだねられているのである。 この日露戦争がロシア帝国にとっていかに不利なものであるかは、この帝国の前途を 憂える官吏のすべてがそうおもっていた。 想起すれば と明治調の言葉を使おうーー・あの旅順要塞の攻防戦において、ロシア 側のコンドラチェンコ少将は兵卒にもっとも人気のあった将軍で、しかも的確な防戦指 揮をし、日本軍があとでこの将軍のために戦死の場所に慰霊碑をたてたほどであったが、 この勇敢な将軍でさえ、 「この戦いはロシアのためにならない」 ということを思いつづけ、かれはその意見が皇帝のもとにとどくよう、上司のステッ セル将軍にまで上申したことがあった。ウィッテもこの事実をのちになって知り、以下 のようにその回想録に書いている。「わが旅順の英雄コンドラチェンコ将軍は勇をふる ってステッセルに哀願的な手紙を送り、事態を率直に上奏してロシアを大不幸から救う

5. 坂の上の雲 7

オストックを喪失することがあれば、回航中のバルチック艦隊はもぐりこむべき巣をう しなうことになるのである。 児玉は、滞京中、重臣たちのあいだを走りまわった。その説くところはただ一つであ 「この戦争をなんとかしろ」 、、もはや日本国家の陸戦能力は竭 ということであり、あとは政略で片付けるほかなし きょ , っとしている、とい , っことであった。 この意見は、満州煙台の地で野戦軍を統率している大山巌の意見とすこしもかわらな さんだい 。大山はもともと満州へ出征するにあたって参内したとき、 「かならずロシア軍を満州から駆逐してみせます。しかしながらそのあとのことはそれ がしの測りうるところではございませぬ」 と、奉答した人物である。その前後にかれが海軍大臣山本権兵衛に、「軍配をあげる ほうをよろしくねがう」と、戦況の進展とにらみあわせて講和交渉の政機をとらえるこ 却とをわすれるな、と念を押してから戦場にむかったということはすでにのべた。 児玉の報告をきいた参謀総長山県有朋はことごとく児玉の意見に賛成し、首相桂太郎 退に対し長文の手紙を書いている。その手紙は戦勝側の参謀総長の手紙ともおもえぬほど に苦渋にみちたものであった。 る。 っ

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176 すすめさせるという。かれがおそれたのは、東京の要人たちが「大勝」の気分に酔って うつかり講和工作を怠りはしないかということであり、このさい彼等に日本軍の戦力の 実体を耳打ちして気持をひきしめさせておかねばならない。 兵学上の定義がどうであれ、奉天会戦が日本軍の大勝のもとに終結したということを、 世界じゅうの新聞がみとめた。 戦争の実体そのものよりも、国際世論という、かっての戦争ではさほどの役割を占め ちゅうちょ ていなかった要素が大きく登場して、躊躇なく日本軍のほうに軍配をあげたのである。 さらにはロシアの国内世論も、ロシア軍の戦敗をみとめた。もっともロシアに公然た る世論というものはなく、政府は相次ぐ戦敗についてひたかくしにかくしてきたが、し かし外国新聞の報道で満州におけるロシア軍の実態を知った国外のロシア人が、そのニ ュースを国内にもちこむことによって人民たちはしだいに知りはじめた。 「帝政の危機がきた」 と革命家たちはよろこび、政府は窮地に追いこまれた。戦敗の情報がひろがるたびに、 ロシア国内の社会不安は深刻になった。 ロシアの仕組は、そういうものであった。開明家ウィッテでさえ、 「ロシア国家は、強大な軍隊で統制する以外に治めようのない国である」 という意味のことをいっているとおり、軍隊の栄光と強大さがゆらげば物理的作用の ようにして国内に反乱がおこる。その世界最強の陸軍が極東において負けつづけている おこた

7. 坂の上の雲 7

、 ) ぶし 1 伝授するのに的確であった。拳が破れるかわりに窓ガラスをぶちゃぶることができる。 ゃぶるについては用兵者および実施者は騎兵の全滅を賭さなければならないが、運用さ え妙をえればこれほど効果のある兵種はない。 好古は大尉、少佐のころから日本騎兵を育て、その用兵思想を陸軍幹部に説きつづけ てきたが、 ついにかれ自身は日露戦争という、大会戦の連続する戦役期間を通じ、その 思想とする冒険と襲撃をやったことがなかった。 この大房身の戦闘でもそうであった。 「勝っためには防御戦闘をしなければならない」 として、防御戦法に徹底した。 かれはかれの騎兵たちをみな馬からおろし、馬を後方にあつめて兵のみを防御陣地に 入れた。 防御陣地と火力をもって、前進してくるロシア軍をなぎたおすという方法である。こ の方法はロシア軍の得意とする戦法であり、急襲と奇襲をもって騎兵の本質と考えてい る好古の思想とはおよそ逆であった。 が、好古はみずからの思想を圧殺することによって、勝っための道をえらんだ。かれ の兵力はつねに微弱であり、敵の兵力はつねに大きかった。さらにはかれの支隊の置かれ かいらん ている全体のなかでの位置が、潰乱と敗北を賭けた冒険的戦法に出ることをゆるさなか った。もし秋山支隊が潰乱すれば、乃木軍の旋回 ( 繞回 ) 運動は一挙にくずれるのである。

8. 坂の上の雲 7

戦場として貴国の領土を借りるという申し入れはした。もっとも借りるといってもロシ アはすでに満州における鉄道敷設権を得ており、その鉄道の沿線で戦うということであ るために、日露とも清国の許可までは得る必要がなかった。あいさっ程度であった。自 然、戦場は満州におけるロシアの勢力範囲に限定され、いわば土俵ができているような ものであった。たとえば満州の蒙古地域がその限界のそとであり、両軍とも兵を入れる ことは国際法上できないわけであったが、しかし陣地を作らないだけで、両軍の騎兵は そのはみ出た部分をも通過してそれそれ敵地に接近した。清国政府としては黙認せざる をえなかった。 皇帝ウイルヘルム二世にとっては、シナは国家というより捨てられた大地にひとしく、 き ) んしよく 列強がしきりに蚕食している土地であり、遅れて統一帝国として成立したドイツとし こうしゅうわん ては、すでに獲得した膠州湾のほかにもっと多くの土地を欲していた。前時代のドイ ツを運営したビスマルク首相は植民地獲得ということにさほどの食欲をもっていなかっ たが、皇帝ウイルヘルム二世としては、大ドイツの偉大さを顕示するためにももっと多 くの土地がほしかった。 却皇帝は、日本などの存在をさほどには評価していなかった。ただその素朴な人種論に よって、世界の主人は白色人種であるべきであるという前提のもとに黄禍論というもの 退を唱えていた程度にすぎない。ただ、奉天会戦が日本の勝利におわったことはい、 ても、英国やフランスがこの戦争の調停者として割りこみ、どさくさにまぎれて戦場で

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日本と日本人は、国際世論のなかではつねに無視されるか、気味悪がられるか、ある 、ははっきりと嫌悪されるかのどちらかであった。 却たとえばのちに日本が講和において賠償を欲するという意向をあきらかにしたとき、 アメリカのある新聞は、 退「日本は人類の血を商売道具にする」 ばとう という深刻な罵倒をおこなった。 もし日本が大勝した場合でも、賠償を大きく要求させてはならない。そのためにルー ズヴェルトとしては日露の和平のテープルをかれみすからが用意する必要があり、日本 の過当要求をルーズヴェルト自身が削ってゆく必要があるためにかれは調停者になろう としていた。 かれの本心は、当然ながらアメリカの利益に支点がおかれていた。かれは自国の海軍 を拡充せねばならないという政策をもっていたが、このため日露戦争中からすでに、 「わがアメリカの太平洋艦隊を拡充しなければならない」 と考え、戦後鋭意そのことにあたった。そのことは、かれがのちに米国海軍をして日 本を仮想敵とする遠洋決戦戦略をたてしめるにいたったことでもわかる。日露戦争にお けるルーズヴェルトの胆略は、日本人が想像するような幡随院長兵衛式のものではなか つ ) 0

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172 て痛烈な反省をし、 「戦略目標は敵の塁壕に非ず、敵の野戦軍にあり」 と、訓示している。いままでの経験では、日本軍が惨烈な戦いをしてやっとロシア軍 の「塁壕」をうばったときは、ロシア軍はさっさと逃げて、より北方の塁壕で待ってい る、というものであった。たしかに日本軍は勝ってきた。しかしその勝ちは戦略的観点 からの「勝ち」という必要かっ十分な条件を具備しておらず、このようないわば追っか けっこを繰りかえしているかぎり、国力の微弱な日本側としてはやがては軍事的体力を 消耗し、最終的には大負けに負けてしまうというおそれが濃厚にあった。大山巌訓示の この項はそのことを痛烈に指摘し、 「敵の野戦軍そのものをやらねばならない」 という意味のことを一言う。ついでながらこの場合も、撃滅、殲滅という過大表現はっ かっていない。 しかしながら内実はクロバトキンの軍隊をこなごなにくだいてしまう以 外に日露戦争の勝利はありえないといっているのである。 が、この目的は、結果としてはついに達成できなかった。ロシア軍は一大損害をうけ たとはいえ、十分に戦力を残した主力が、鉄嶺へ逃げさらにその北方へ逃げるという過 去のくりかえしをこのときも繰りかえした。 ついで、大山訓示はいう。 「堅固なる陣地を直攻せず、機動進出して、敵の背面より攻撃すべし」 るい ) 」う