海軍省 - みる会図書館


検索対象: 坂の上の雲 7
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1. 坂の上の雲 7

260 水兵が食事がますいということで暴動寸前のさわぎをおこし、それに対して当直将校の 一少尉がどなりつけたために水兵のひとりが飛びだし、少尉の脇腹にナイフを突っこん ひんし だ。少尉は瀕死の重傷を負った。 この老朽艦隊の司令官を命ぜられたネボガトフ少将は、顔半分を覆った雪のように白 いひげのために、まだ五十五歳ながら齢よりもはるかに老けてみえる。 しかし、海軍とはどういうものであるかということを体験的に知りぬいているという 点で、宮廷の秀才であったロジェストウエンスキーよりもすぐれた船乗りであるという ア . ド・、、、一フル 評判が一部にあった。提督というものの最大の資質が人格的魅力にあるとすれば、ネボ ガトフは水兵にいたるまで自分たちのポスとして敬愛されていた。 かれがリバウ港を出港したのは、このとしの二月十五日である。見送りも、さきのロ ジェストウエンスキーの出発のときにくらべ、満州における戦況の悪さや急に高まって きた社会不安なども手伝って華やかさというものがまるでなかった。しかもかれの出港 はとうおか の日は風がつよく、海上は荒れ、波濤を冒してゆくこの孤軍の姿は悲壮を通りこしてむ しろ不吉な印象すらひとびとにもたせた。 かれらはバルチック艦隊主力が喜望峰まわりのコースをとったのに対し、地中海コー スをとった。理由は簡単である。ネボガトフ艦隊は中型艦のみであるため、スエズ運河 の通過が可能なためであった。

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332 がら薩摩藩の軍艦「春日」の砲術士官として幕府海軍と戦った。当時、東郷は阿波沖海 戦 ( 幕府の「開陽」と「春日」が戦った近代日本史上最初の海戦 ) に参加し、さらに奥州 ) ) りようかく 宮古湾においては旧幕府軍艦「回天」と交戦し、函館および五稜郭攻撃では艦砲射撃 ま - っとう・ をもって陸上の敵軍と戦った。日清戦争では「浪速」の艦長として従軍し、とくに豐島 海戦の花形というべき役割をはたした。かれは維新早々、軍人よりも鉄道技師になるこ とを希望していたといわれているが、しかしその半生は砲火と砲煙のなかでつくられた といってよく、しかもほんの一時期鎮守府司令長官をしていたことをのぞいてはつねに 海上にあり、艦隊勤務者として終始したというめずらしいほどの経歴であった。そうい うかれの半生の経験が、かれ自身に対し、「やるだけの準備をととのえた以上、ばたば たしても仕方あるまい」という玄人だけがもちうる心境ーーー・第二艦隊司令長官の上村彦 之丞は東郷のそういう人柄を男性的信仰家ということばで表わしていた , ーーに達してい たのかもしれない。 一方、ロジェストウエンスキーはその東郷とはできれ遭、 。、したくはなかった。遭うに しても、ごく短時間であることを希望した。 ロジェストウエンスキーが、 「対馬へ」 という運命的な針路を艦隊にとらしめたのは、二十五日午前九時、細雨のなかにおい てであった。艦隊は五ノットの低速ですすみ、ときに八ノットになることもあったが、 くろうと

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るこの日本の戦争のやりかたのばかばかしさについて、かって外相小村寿太郎の書生で ますもとうへい あった桝本卯平工学士が、アメリカ留学から帰って小村にそのことをほとんど詰問する よ , つに問 , った。ト村はそれに答え、 「この国家に金や兵が備わり、その独立が十分に出来ていたら、戦争などをするには及 びません。そんなものがないから、気が狂ったようにこんな戦争をしているのです」 と、 いった。それを横できいていた酒亭の女将が、「私どもの世帯もそうでございま す。私どもこのように夜もろくに寝ずに働いているのは貧乏だからでございまして、お 金があって困らなければこんなに働きは致しません」と、大真面目な顔でこたえた。 言がかわるが、英国というのは、英国の機能そのものが一大情報組織といっていいほ ど、各国の情勢を精力的に収集し、それを、現実認識についてはもっとも適したその国 民的能力をもって分析していた。 くろうと 英国の情報組織は、その外務省がいわばその玄人であったが、しかしその海軍省も情 報室に大きな機密費をあたえて海外情報の掌握についてはいかなる国の海軍よりもすぐ 却れていた。 さらに、「世界の代表者」という美称まであたえられている新聞「タイムズ」がある。 退「タイムズ」は日露戦争の取材についてはたとえば東郷艦隊が旅順を封鎖しているとき、 一人の特派員に「ハイムン号」 ( 海門号 ) という一二〇〇トンの汽船をチャーターさせ、

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234 ときにルーズヴェルトは旅行中で、ワシントンにはいなかった。タフトはすぐルーズ ヴェルトの出先まで手紙を書いた。 ルーズヴェルトはそれを読み、 ( 意外なことだ。日本海軍はその程度なのか ) と、おもった。かれは日本海軍の実力についてそれまで高い採点をしていたのだが、 この高平発言以後、見方を変えた。 ルーズヴェルトはたしかに、日本海軍の実力を高く評価していた。 かれは日露戦争がはじまるや、日露両国の戦力の実態をつかむべく、陸軍関係の調査 を参謀本部のチャップ少将に命じ、海軍関係のそれをニューヨークの海軍大学校に命じ てそれぞれ詳細な報告をえていたため、たとえば金子堅太郎や高平小五郎よりも軍事面 からみた日本をよく知っていたのである。 海軍については、当初ルーズヴェルトは、 「ロシア海軍に勝つだろう」 と、金子堅太郎にも語っていた。かれは金子とおなじく法科出身で弁護士あがりであ 力しレ ったが、その海軍知識の該博さはなみはずれたもので、金子がそのことにおどろいてみ せると、君、忘れてくれてはこまるなあ、私は以前海軍省の次官をしたことがあるんだ よ、と K った。

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許可しようとも ( 絵空事だが ) 砲塁を築くような時間的余裕はまったくない。であるの に「タイムズ」がわざわざこのような忠告をかかげるというのは、東郷艦隊の必敗を見 透し、 「何とか決戦を避けて海軍力を温存する方法を講じよ」 という判じもののつもりであるのかもしれなかった。この観測なり忠告なりの背後に はおそらく英国海軍省筋がかかわっているにちがいなく、とすれば英国海軍省筋は日本 艦隊の勝利があぶなくなっていると見はじめたということもいえる。 米国の海軍省でもそうであった。米国の海軍省は最初は日本の勝利について楽観的で あったが、バルチック艦隊の内容がわかるにつれてやや悲観論にかたむき、それにつれ てルーズヴェルト大統領の観測も微妙に変化しはじめているのである。 「どこか、遠洋において待ち伏せせよ」 というのは、日本に好意をもっ海軍専門家ならたれもが東郷に忠告したいところであ つつ ) 0 ところが滑稽なことは ( あるいは当然なことに ) 航海中のバルチック艦隊の幕僚室に へおいても、 「東郷はかならずポルネオかどこかに待ち伏せしている」 東と考えたことであり、その恐怖の予想をたれひとり否定することができなかったので ある。

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298 東郷艦隊の目をくらますことができてうってつけである、海軍をすこしでも知っている ならたれでもこの海峡をえらぶだろう、とゾトフはいうのである。 「対 2 」 と、ゾトフは両掌を胸もとまであげた。 「この海域にどのような運命が待ちかまえていようと、われわれは甘受せねばならない。 理由はひとつである。この航路以外にとるべきみちがないということで。 戦いを考えるにはまず敵の気持にならなければならない、とゾトフはつづける。 「東郷がわれわれより馬鹿でないとしたら、かれはわれわれにとってこの航路が唯一の ものだということを知るはずである」 「しかし」 と、たれかがした 「われわれはいまからでも方針を変えることができるではないか。たとえば第一、第二 戦艦戦隊は対馬コースをとり、他は太平洋コースをとるといったふうに。要するにウラ ジオストックに入りこむということが戦略上のポイントである以上、危険を分散すると いうことも決してわるくはない。東郷はわれわれがこれをやると思って悩んでいるので 「悩んではいるだろう」

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と、ゾトフは答えた。 「しかし東郷にしてその手に両脚規をもち、数学の簡単な応用問題を解く能力をもって いさえすれば、たとえわれわれが太平洋迂回という策に出てもこれを航路変更以前に察 知することはたやすく、察知すればただちに全艦隊をその方角に走らせるということも 簡単である」 き、、らこ、 , つ。 「東郷はどこに待っているか」 ゾトフは卓上の海図の一点に人さし指を突きたて、くるりと円をかき、 「このあたりだろう」 と、対馬北方あたりの海域を示した。その航海士の一人で美しいまっげをもったバー リ少尉がちょっと海図をのぞきこみ、 まさんば 「たとえば朝鮮の馬山浦」 と、すばやくいったのは、じつに正確な推測をしたということになる。馬山浦という 港は、東郷が待っている鎮海湾の一支湾にのそんでいるのである。 影鎮海湾一帯は湾入部に富んでリアス式海岸を形成しているが、概して海底が浅いとい う欠陥がある。しかしひとり馬山浦のみは水深がふかく、大船の出入が自由で、むかし こうらいぐん 艦蒙古・高麗軍の水軍が日本を襲ったときもかれらはこの馬山浦から出発した。 ただ韓国がここを明治三十二年に開港場としたため商港として栄え、とくにロシア人

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262 僚にさえその悩みをもらしたことがなく、「訓練のあとに戦闘があるのみだ。その結果 については神のみが知りたもうところである」といっていただけであった。 ただネボガトフ少将にとってこまることは、ロジェストウエンスキーの艦隊がどこに いるかとい , っことである。 ノシベまではわかっていた。 それ以後がわからない。 すでにのべたように、一月十八日、フランス外務省を訪ねて外相デルカッセらに会っ パソフ少将は、話題 たロシア海軍の大本営参謀ヒョードル・ワシリエーウィッチ・ドー バルチック艦隊のことになったとき、 「ああ、かの愛すべきベトローウィッチ ( ロジェストウエンスキー ) 、かれの艦隊はいま どこにいるのでしょ , つ」 と、フランス側に逆に質問したりして、フランスの外務省や海軍省関係者を唖然とさ せたことがあるように、ロシアの官僚機構は運営能力を欠き、艦隊を出すと出しつばな しで、進行中の艦隊に対して誘導をしてやったり、情報を提供してやったりすることは ほとんどなかった。 ネボガトフ少将の場合もそうであった。航海中の石炭はドイツの石炭会社から補給を うけ、航路については各地に駐在しているフランス海軍の武官から教えを乞うたりして、

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238 にすぎない水面がはてしもなくひろがり、陸地を見ることもなかった。 途中、わずかに小群島をみた。チアゴス群島であった。「チアゴス群島に日本の巡洋 艦がかくれているのではないか」といううわさが乗組員の神経をいらだたせたが、そう いうこともなかった。ときどき波の上をトビウオが群れをなして跳んだ。それが、この 単調な風景をやぶる唯一の景物であった。 インド洋の航海にはむかしから投身自殺者が出るといわれていたが、この航海でもそ うであった。汽船キエフの水兵が海へとびこみ、それを救助すべくキエフは旗艦へ信号 して艦隊の停止を乞うたが、ロジェストウエンスキーは投身の事情がどうやら自殺らし いとい , っことを知ると、 「自殺者の希望のごとくせよ」 と信号して艦隊を停止させなかった。 ロジェストウエンスキーのこの航路は、ロシアの海軍省がきめたわけでもなく、同盟 国であるフランス海軍省が助言したわけでもなく、かれ自身がきめた。もともとフラン ス海軍省は、 「以下の三つの航路が戦略的に最良である」 と、艦隊がノシベにいるとき、ロジェストウエンスキーに助言したことがある。三つ の第一はロンボク海峡とセレベス海を越える航路。第二はチモル海とトレス海峡をぬけ てゆく航路。第三はオーストラリアの南と珊瑚海を越えてゆく航路である。この三つな さん′ ) かい

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と、かれはおもった。かれは、退路や自軍の補給路をみずから断って乾坤一擲の大勝 負をするという将軍ではなかった。 かれのいう「後方連絡線である鉄道」に脅威をあたえつづけているのは、乃木軍に臨 時に編入されている秋山好古の支隊であった。その支隊の実勢力をかれがもし知れば、 これほど大がかりな作戦の模様替えはしなかったに相違ない。 かれはこの鉄道防御のために、第一軍と第三軍から大きな兵力を間引きし、第八軍団 長ムイロフ中将にこの指揮をとらせた。このため前線の兵力はいちじるしく減少した。 「乃木と奥を追っぱらえ。そのために奉天西方に兵力を集中する」 というクロ。ハトキンの作戦はどう考えても拙劣というはかない。日本側の作戦の手に かんばっ 乗ったとはいえ、かれは気でも狂ったように前線から兵力を簡抜し、かれの幻覚した 「危険個所」にどんどん送りこみ、このため会戦初期の防御線の安定性が、はなはだし くうしなわれた。 ふりかえって会戦初期のロシア軍の兵力と配置をおもうと、重厚そのものであった。 却その兵力について日露双方を各プロックごとに比較してみると、つぎのようになる。 リネウィッチ大将の第一軍は、黒木軍にむかいあっている。黒木軍はリネウィッ 退チ軍に対し、歩兵において三分の二、騎兵において三分の一弱、砲兵において三分の二 にすぎない。 けんこんいってき