セミョーノフ - みる会図書館


検索対象: 坂の上の雲 8
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1. 坂の上の雲 8

セミョーノフは司令塔を出て、艦橋へのばった。ここからは戦場が一望のもとにみえ かれがこの艦橋にのばったとき、東郷艦隊はその十五分を要する回頭運動を終了した ばかりであった。まだ東郷は本格的な砲戦をおこなっていないその十五分間のあいだで さえ、旗艦スワロフは右のような状況になっていた。 セミョーノフ中佐がスワロフの艦橋にあがって海域を一望したときは、東郷の艦隊は 試射の段階をおわったばかりだった。 バルチック艦隊は、東郷の試射の段階においてすでに前述のような惨況を呈した。本 格的な射撃がはじまればどうなるのであろう。 セミョーノフが艦橋にのばったとき、旗艦スワロフにつづく戦艦アレクサンドル三世 と同ポロジノという、ロシア帝国の威信の象徴ともいうべき二隻の戦艦が、火災をおこ して淡黄色の煙につつまれていた。 ( なんということだ ) 海と、セミョーノフは思ったが、しかしかれの感想を吹っ飛ばすようにして例の薪が飛 の んできた。・ との薪も肉眼で見えたし、どの薪もみなかれの立っている艦橋をめがけて襲 命 運ってくるように思われた。艦橋などに立っていられるものではなかった。かれはあわた だしく艦橋を降りた。 こ 0

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136 オストックに入れたかもしれなかった。 むろん、かれは、 たど 何隻かはウラジオストックへ辿りつける。 とおもってはいた。しかしかれのとらわれは、その遁入成功の何隻かのなかにかれ自 身が乗っていなければならないと思っていたことであった。そのとらわれが、かれの戦 術思考をして尖鋭さを欠かしめ、かれの決断をして鈍重たらしめた。東郷の奇術の前に ほとんど無策でいたというかれの事情はそういうところにあったであろう。 東郷とその艦隊のスワロフへの砲弾の集中ぶりはものすごいものであった。砲戦を開 始して以来、数次にわたる戦闘中、スワロフに命中した日本砲弾は数百発以上にのばっ たであろう。これからみれば三笠が蒙った命中弾数など、比較にならなかった。 記録を担当するセミョーノフ中佐は、できるだけこの戦闘を網膜におさめようとおも つつ ) 0 セミョーノフは最初、後部艦橋にいた。 見物者であるセミョーノフの横に、さしあたっては暇なレドキン大尉もいた。レドキ ンは艦尾右舷六インチ砲の砲台長で、砲戦が左舷砲でもっておこなわれているあいだは 用がないのである。 セミョーノフの双眼鏡に映った日本側の最初の砲煙は、三笠が変針して新針路につき、

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106 隊の出雲、吾妻、常磐、磐手 ) を欠いていたことである。このため東郷が八月十日につ くった主力の陣形は、三笠、朝日、富士、敷島の四戦艦のほかに、春日、日進という二 隻の新鋭一等巡洋艦を加え、これを準戦艦とみなしての単縦陣で、あわせて , ハ隻であっ 東郷は、八月十日のようにしてやってきた。 といったセミョーノフの一一 = ロ葉は、 「やつばり、おれのおもったとおりだ」 という、自分の経験にとらわれ、その経験を誇示しようとするためにそのように見え てしまった錯覚であった。いや、錯覚ではなく、たしかに東郷はこの日も、主力の六隻 であった。しかし八月十日とちがうのは、準主力というべき上村艦隊を後方にひきいて やってきたのである。セミョーノフの目は東郷の後方が見えなかった。というより、三 笠以下の六隻を見ただけで、自分の予想を誇るように叫んでしまったのである。 しかし、セミョーノフが英雄詩の主人公に仕立てあげようとしているロジェストウェ ンスキーは、さすがにかれの宮廷詩人よりも冷静な軍人であった。 「ちがうよ。六隻だけじゃない。あのうしろを見たまえ。東郷はぜんぶ連れてきてい る」 と、双眼鏡を目からはなし、そのあとセミョーノフを黙殺して、他の幕僚全員を追い たてるよ , つに、

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200 船乗りで、海軍における正規の士官養成コースを経ておらす、そのために平素はあまり 役立っていなかった。ところが戦闘が惨烈になるにつれてかれは信じられぬほどに沈着 になり、艦内のあちこちを燕のように飛びまわっては消火の指揮をしたりした。 セミョーノフ中佐はあまり人好きのする男でなかったが、クルセリはこの男にはよく なっき、絶えず冗談を言い、茶目を演じた。セミョーノフが艦がめちやめちゃにやられ ている真っ最中に自分の私室の様子を見にゆこうとしたことがある。途中、クルセリに 出遭った。 「ぜひご案内しましよう」 と笑いながら、地理感覚を狂わせるほどに破壊された場所を通りぬけて案内に立ち、 部屋のそばまでゆくと、 「どうそ御休息を」 と、片手をのばした。部屋は一歩も踏み入れられないまでにこわされていた。セミョ ーノフはこの期になっても茶目をやめないクルセリに腹が立ち、怒鳴りつけて去ろうと すると、クルセリは追っかけてきてセミョーノフの手に葉巻を一本にぎらせた。 「そいつは旨いですよ」 言いすてて駈け去ったが、そのクルセリが、ロジェストウエンスキーの運搬を指揮し ている。かれは翼のついた天使のように提督の前後左右をとびはねつつ運搬作業をすす めてゆくのである。

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砲弾には不発のものもあった。しかしセミョーノフが呪うほどあったわけではない。 セミョーノフはさらに日本が発明した新砲弾の威力を過大なほどに評価した。 「日本の砲弾は普通の綿火薬でなく下瀬火薬を用いている。大ざっぱにいえば、炸裂せ る日本砲弾の一弾の破壊力はロシア砲弾の十二個ぶんの威力をもっていた」 とセミョーノフは、日本のもつ物理的な力にすべての原因を帰せしめようとしたが、 その動機のひとつはかれがロジェストウエンスキーの記録者として、その提督の戦術が 拙劣であったということを覆いたいというところから出ていた。 これに対し、東郷は巧妙すぎた。 両艦隊は、運動している。双方航走しつつ戦う以上、東郷にすればよほど運動を巧妙 にしなければ敵をとりにがすおそれがあったが、 かれは双方の形態の変化によって運動 を変えつつも、つねに敵の前面をおさえこんでゆくというかれの主題をかたくまもりつ づけた。この運動方法を、秋山真之は古水軍から言葉をとって、 「乙字戦法」 と名づけていた。艦隊そのものが乙字運動をくりかえすのである。このため、ロシア 側のある幕僚は悲鳴をあげるように、 「三笠はいつもわれわれの前面にいた」 と、魔術師の魔法を見たように語っている。

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という目的で旗艦スワロフ艦内のあちこちをかけまわっていたセミョーノフ中佐は、 もう一度上甲板に出て日本艦隊を見ておこうとおもった時期がある。 上甲板へおどり出たかれは、ます火とたたかわねばならなかった。死体を避けねばな らず、こわれきった構造物と構造物のあいだをすりぬけねばならなかった。かれは艦首 へ出ようとした。 ( 日本艦隊も相当やられているはすだ ) と、かれの古参士官としての堅牢な想像力がそのようにかれを予想させた。 かれは艦首へちかづいた。十二インチ砲と六インチ砲とのあいだの右舷に出ると、前 方の海が展望できた。日本艦隊はいこ。 「ところが敵艦隊は、最初見た姿とまったくおなじ姿でわれわれの前途にいるのである。 火災もなく、傾斜をおこしている艦もなかった。一艦といえども艦橋を破壊されている 艦はなかった。かれらにとってあたかもこれは戦闘ではなく、射撃演習のようであっ さらにセミョーノフはい , つ。 かん 闘「わが艦隊は殷々として砲声をとどろかせること三十分におよんでいる。この間、大量 の砲弾を発射したはすであったが、あのばう大な砲弾は一体どこへ行ったのであろう」 死セミョーノフはその原因を砲弾の威力にもとめようとした。かれによればロシア製の 砲弾は粗悪で不発弾が多かったのではないかという。たしかに日本側の観測でもロシア いんいん

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肪をかかえこんでいるウラジミール・セミョーノフ中佐であった。 セミョーノフ中佐は多少文筆の才能はあったが、かれは不幸なことに艦隊作戦やその 他の艦隊勤務に不可欠の人物であるとはおもわれていなかった。かれは作戦会議から疎 外されていただけでなく、いかなる勤務にもつけてもらっていなかった。かれはこの不 のろ 名誉を憤懣のかたちでつねに持ち、かれの仲間全員を呪わしくおもっていただけでなく、 しつよ、つ それを終生、忘れなかったという驚嘆すべき執拗さをもっていた。 しかしながらこの孤独な海軍作家の救いは、ただ一人の人間に対してのみ、そのあら ゆる欠点をむしろ長所であるとして見てやる情愛をもっていたことであった。たった一 人の人間とは、司令長官ロジェストウエンスキーのことである。 ロシアの海軍省がかれに期待している仕事は、この大艦隊が演じつつある世界史的な 壮挙を、その名文によって後世に残すことであった。 しかし結果としては、記録者としてのかれの才能は乏しかったといわざるをえない。 かれの文章は、造船技師ポリトウスキーがその新妻にあてて送りつづけた手紙の文章に くらべ、はるかに粗雑で、しかも記録性のとばしいものであった。 海「ロジェストウエンスキー航海」 の とよばれる長期の大航海の記録については、セミョーノフはまるつきり怠ってしまっ 命 運ていたし、またロシア人が軍艦という近代技術の粋をあつめた物体に乗って海にうかん だ場合の無数の課題については何等ふれるところがなかった。 ふんまん

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つづいて敷島、富士、朝日が回頭したとき三笠から騰ったものであった。 日本の砲弾は、世界のどの海軍の砲弾にも似ていなかった。下瀬火薬を詰めこみ伊 じゅういん 集院信管をはめこんでいるために細長かった。 かってこの砲弾を相手に戦った旅順艦隊の連中は、この砲弾に チェモダン 「鞄」 というあだなをつけていた。そのことはすでにふれた。以前、旅順艦隊に属していた セミョーノフ中佐は、この鞄の姿や威力についてはよく知っていた。 ところがいまあらためて目撃すると、なんとも奇妙なものであることを認識しなおし 「ちょ , つど ~ 新をほ , つり投げたよ , つに」 と、セミョーノフはその印象を説明する。薪がクルクルと空中でまわりながら飛んで くる様子で、その飛んでくる姿が肉眼でもみえるのである。飛翔音もたいしたものでは なかった。ロシアの砲弾がごうごうと鉄橋を列車が通りすぎてゆくような音響をたてる のに対し、この独特の長形弾はプーンといういかにも優しい音響をたてるだけで轟音と 海いうようなものではなかった。 チェモダン の 「これが例の鞄というやっか」 命 運と、レドキンが、あきれたように、つこ。 かばん 最初の鞄は、スワロフを飛びこえて海中に落ちた。こういう場合、ロシアの砲弾なら まき あが

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といったのである。 この一一一一口葉はすくなくとも幕僚たちを失望させたことだけはたしかであった。 夜があけると、 小さな幸運が訪れた。 ばいえん 水平線上に三隻のロシア軍艦が煤煙をあげてすすんでいるのをみた。装甲巡洋艦ドン スコイと二隻の駆逐艦だった。駆逐艦はグローズヌイと、なんと提督がもっとも寵愛し ていたバラーノフ中佐を艦長とするペドーウイであった。 すぐ信号によって連絡がとれ、四隻の軍艦は洋上でひとつになった。ついでながらこ かん の間のあやしげな幕僚会議には記録者のセミョーノフは参加せす、昏睡していたとして いる。従ってセミョーノフの手記はこの機微を語るくだりについては巧妙に海霧を漂わ くら せて自分の気持の正体を晦ましている。 どの艦をえらぶか。 ということになった。常識でいえば装甲された六二〇〇トン・十七ノットの巡洋艦ド ンスコイをえらぶべきであろう。巡洋艦だけに石炭搭載量も多く、ウラジオストックま での燃料の心配はない。途中砲戦をしても装甲があるため駆逐艦より安全であった。 島コロメイツオフ艦長も、海軍の専門家としての当然の判断から、「ドンスコイにお移 陵りねがえますか」と提督に念のためきいてみたのである。 鬱ところがロジェストウエンスキーは、はっきりと、 「ペドーウイに移る」

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198 プイヌイは、まっさきに沈んだ戦艦オスラービアに対し、弾雨を冒して接近し、海面 に漂う二百四人をすくいあげ、わずか三五〇トンという小さな艦に収容した。乗員と被 救助者で艦は満員になった。そのあとプイヌイは味方の巡洋艦隊を発見し、その殿艦に にただよっている旗艦スワロフの残骸を発見したの 追っつくべく走っていたとき、海上 である。もっとも形体こそ残骸だったが、まだ呼吸がのこっている証拠に、スワロフは 微速ながらも針路を南にとってうごいていた。 よろこびがスワロフに湧きあがった。 中央六インチ砲の砲塔の廃墟のそばにいたセミョーノフ中佐は、右脚を骨まで砕かれ ていたが、このよろこびを口提督にったえるべくカカトで歩行し、やっと右舷中部砲塔 にたどりついた。その中に入ると、ロ提督はすわっていた。頭を垂れていた。その様子 は人間というよりポロギレのようであった。 セミョーノフは、 「長官、駆逐艦がきました」 と、抱きつくようにして叫んだ。 ロジェストウエンスキーは、この旗艦からもこの戦場からも逃げ去るつもりであった。 しかし単身逃げれば軍法会議その他での批判が悪くなるかもしれない。司令部をプイヌ イに移すという形をとればよかった。ロ提督を英雄に仕立てるべき役割だったセミョー ノフでさえ、そのことに触れざるをえなかった。ロ提督がこのときいった言葉は、