アメリカの利益に合致する。そういう見地から、日本を支持する態度をはっきり見せた。 一九〇二年十月、ロシアはこのままずるする進めばあぶないと計算して、満州から兵 をひくと声明し、一部の撤兵は実行した。各国ともホッとしていると、いつの間にか満 州を永久に占領するという方策にかわってきた ( 一九〇三年四月 ) 。これでは日本として 引き込むわけにゆかぬ。両国の外交折衝は、ツバゼリ合いのように緊迫してきた。日本 はチョーセンに勢力を持っている以上、チョーセンの安全を要求する。そのチョーセン の側面をロシアが占領する時は、チョーセンの独立がたえす脅かされる。シナも安全で はなくなる。だから、日本とロシアはそれぞれの利益のぶつかる点を調節したい。具体 的には、ロシアは満州で、日本はチョーセンで、それそれ両国が持っ権益をお互に確認 したいと提案した。交渉は一九〇三年からはじまった。ロシアはグズグズして、なかな よよ返事をする段になると、チョーセンの問題について か土俵にのばってこない。いい 。本談にのるが、満州に対してはロばしを出すなという素気ないもので終始した。 ロシア側が急にふんそりかえって、こういう強硬案を打ち出してきたのは、専制君主 ニコライ二世が、その周囲の強硬派のためにおどらされたからである。その本心は、満 説 州はロシアのものにする。チョーセンは日本のものにはさせないという腹があった上、 日本は小国だ。タカがしれている。イギリスのうしろ楯があるにしても、いざとなれば 解ひっこむと信じていたからである。万が一戦争に持ち込むならば、すでに一八九八年以 来、着々と用意していたロシア海軍の拡張案が具現化して、日本側にグウの音もいわせ
するこの海戦において日本側がやぶれた場合の結果の想像ばかりは一種類しかないとい うことだけはたしかであった。日本のその後もこんにちもこのようには存在しなかった であろうということである。 そのまぎれもない蓋然性は、まず満州において善戦しつつもしかし結果においては戦 す・い、わう・ 力を衰耗させつつある日本陸軍が、一挙に孤軍の運命におちいり、半年を経ずして全滅 するであろうということである。 当然、日本国は降伏する。この当時、日本政府は日本の歴史のなかでもっとも外交能 力に富んだ政府であったために、おそらく列強の均衡力学を利用してかならずしも全土 がロシア領にならないにしても、最小限に考えて対馬島と艦隊基地の佐世保はロシアの 不イ地になり、そして北海道全土と千島列島はロシア領になるであろうということは、 この当時の国際政治の慣例からみてもきわめて高い確率をもっていた。 むろん、東アジアの歴史も、その後とはちがったものになったにちがいない。満州は、 すでに開戦前にロシアが事実上居すわってしまった現実がそのまま国際的に承認され、 また李朝鮮もほとんどロシアの属邦になり、すくなくとも朝鮮の宗主国が中国からロシ アに変わったに相違なく、さらにいえば早くからロシアが目をつけていた馬山港のほか のに、元山港や釜山港も柤借地になり、また仁川付近にロシア総督府が出現したであろう 運という想像を制御できるような材料はほとんどないのである。 日本海海戦は、幕末から明治初年にかけての革命政治家である木戸孝允が、生前ロぐ がいぜんせい たかよし
380 して、日本を敵にまわす場合には、イギリスが立って、第三国とその加担国を武力でた たくと約束する。 世界一の富力と武力を持つイギリス帝国とこういう同盟ができたことは、日本の立場 からいえば、特定の一国を相手どって、専心戦いうる態勢が実現したことを意味する。 もちろん各国とも腹の中は複雑である。イギリスの腹づもりでは、この同盟の結果日 露戦争がおこるとしても、それだけではイギリスはすぐに戦争に参加せねばならぬ義務 はない。イギリスにとってこわいのは、フランスの出方である。ロシアとフランスの同 盟がある以上、日露戦争となると、フランスは横槍をいれて、戦場にのりこんでくるか もしれない。 ) そのおそれに対して、イギリスとしては極力フランスと仲良くして、両国 が日露戦争にまきこまれぬよう、できるだけ気を付ける以外には、うつ手がない 一方、フランスとしては、ロシアに多額の資本投下を行なっているから、ロシアが戦 争をはじめると、経済的にフランスは打撃を蒙る。戦争に巻き込まれるのは極力避けた こうなると、同じ立場にたつイギリスと、期せすして手を握り合うような形になっ ドイツはするい。ロシアが戦争にのり出せば、ドイツに対するロシアの圧力がそれだ け減ずる。戦争はできるだけけしかけたい。 日本に対しては、ドイツを敵視する国の中 に日本が入り込まないように警戒する。 アメリカはどうか ? 日本が満州からロシアの勢力を追い払うことは、シナに対する
局は、海上は東洋の海面からロシア海軍を一掃する。陸上では機先を制し、出鼻をくじ いて戦闘に成功しているうちに、友好国の仲裁によって講和にもちこんでゆく。そうい う大戦略をうちたてた。 国民は涙ぐましいぐらいにこの大方策にしたがった。軍人は生命を投げ出して戦った。 陸戦は旅順包囲戦など、時に準備の不足のためにてこすりながら、大局の志向は、一九 〇五年春の奉天戦でほば貫いた。しかしなんといってもロシアは大国である。そのまま するずるひきのばされて、満州の奥地へひつばりこまれたら、日本の国力はもうへとへ とだから、兵資が続かない。そのきわどい時に、日本海軍が極東艦隊を撃滅しおわって、 ロシアからつづいて回航してきたバルチック艦隊を初夏には日本海で文字通りに全滅さ せた。それがきっかけになって、北米合衆国の大統領が仲裁にのり出し、平和条約が結 ばれた : それぞれ利害を打算しながら、手に汗を握ってみつめている諸外国がある。満州への 侵略のためひき出されてきたロシアの陸海軍がある。それが前景になって、いよいよ戦 火がひらかれれば、いのちがけで闘うのは人間の本性である。ロシア人だろうが、日本 説人だろうが、違いはない。 もしもこの戦争に負けたら、日本は対馬も北海道も奪われて しまい、重税を課せられ、うかうかすればロシアの属国にもされかねない。それを思え 解ば当時の日本人が生命を投げ出して闘うのは、当然である。ああその戦士たち ! それ にまた国策に対し従順に命を奉じた可憐な国民たち ! その実相を作者は語りつくそう
382 ぬ武力が完備する一九〇五年度までは、ひきのばしておきたいと考えていた。 この戦争の勝敗のみこみは、ロシアが楽観していただけでない。他の国々も、日本は 敗けるだろうと見ていた。好意的なアメリカ海軍でさえ、ロシア艦隊は一撃の下に日本 艦隊を叩きつけると予想していた。同盟国イギリス海軍の首脳部でさえ、日本艦隊がロ シア艦隊に全滅せられる地点はほばこの辺だろうと、政府当局に耳打ちしていたという 秘報さえ残っている。 日本は、英米とはたえす連絡をした。両国もまた日本に対して、好意的に考えてくれ た。ドイツは、こっそり口シアの尻押しをしながら、つかすはなれずである。フランス は何とかして戦争にならぬよう調停にのり出そうとした。 問題はシナの出方である。日本と同盟してロシアと戦うという意見も一部にはあった が、そんなことをされては西洋諸国から総スカンをくって、うかうかすれば人種戦争に なる。日本としては、そういう強硬論にはひきとっていただいて、もつばら戦場になる 東三省以外は、中立の立場をとってもらいたいと要望して、その内諾を得ていた。 ロシアの出方ま、、 。しよいよひょうたんなますである。待てば待つほどひきずられる。 もうこうなれば、時間の問題である。ロシア側は一日のびれば一日有利になり、日本側 は一日遅ければ、一日不利になる。ロシア政府は、続々と軍艦と軍隊とを極東に送って、 武力を増強した。もはや日本としては、日本の権益を守るために、必要な行動をとる以 外に策はない。
378 るには、相当の歳月がかかる。その間は戦争はおこしたくない。それにはロシアと妥協 して、ロシアの要求も多少は容れる。しかし、ことチョーセンに関しては、日本の要求 をのんでもらう。そうしてしばらく時をかせいでいるうちに、また出方もあるだろう。 イギリスは世界の大帝国で、海上武力と富力は世界一だけれど、かれは日本の実力を知 りぬいている。この成り上りの小日本を大イギリス帝国が相手にして、同盟を結ぶなど とは考えられない。ありえないものを夢みたところで仕方がない。大体そういうのが二 人の本心だったろう。 一方ロシア事情に精通する外交官や軍人たちは、ロシアをご都合主義の国とみた。自 分が有利になるためには、約束もするが、都合が悪くなれば、何もかもけとばしてしま う。ロシアの国策を、現実の歴史に即して調べてみると、フィンランドの次にはスエー デン戦争をおこした。。、 ホーランドも割取した。ロシアはいつも土地をまきあげる。シベ リアのような不毛な土地でさえうばいとった。満州から蒙古にいたる線まですでにわが ものにしてしまった。この侵略癖は、あの国の根性といおうか、国柄といおうか、とに かく油断はできない。 それに対して英人はせちがらく、自己本位で、自分の利益にならなければ、鼻もひっ しかし、約束したことは実行する。国と国との関係でも、 give and take で ある。ずるいけれど、確実だ。イギリス自体は、必すしも土地を欲しがらない。むしろ 実際の権力を手中におさめて、うらからその国を意のままにあやつる。イギリス人は利
320 古今東西のどの戦争の例をみても、日露戦争の日本はどうまくやった国はないし、むし ろ比較を絶してすぐれていたのではないかとおもわれる。 しかし、勝利というのは絶対のものではない。敗者が必要である。ロシア帝国におけ る敗者の条件は、これはまた敗者になるべくしてなったとさえいえる。極端にいえば、 四つに組んでわれとわが身で膝をくずして土をつけたようなところがある。 たとえばクロバトキンが考えていた大戦略は、遼陽での最初の大会戦で勝っことでは なかった。遼陽でも退く。奉天でも退く。ロシア軍の伝統的戦術である退却戦術であり、 最後にハルビンで大攻勢に転じ、一挙に勝っというもので、それは要するに遼陽、沙河、 奉天で時をかせぐうちに続々とシベリア鉄道で送られてくる兵力を北満に充満させ、そ の大兵力をもって日本軍を撃っということであった。もしこの大戦略が実施されておれ ば、当時奉天の時点ではもはや兵力がいちじるしく衰弱していた日本の満州軍は、ハル ビン大会戦においておそらく全滅にちかい敗北をしたのではないかとおもわれる。この 大敗北の予想と予感は、クロバトキンよりもむしろ日本の満州軍の総参謀長の児玉源太 郎自身の脳裏を最初から占めつづけていたものであり、敗北はまぎれもなかったであろ う。むろん、奉天大会戦のあとに日本海海戦があり、ロシアのバルチック艦隊は海底に 消えた。しかし海軍が消滅したとはいえ、ロシア帝国にその決意さえあれば講和をはね つけて満州の野で日本陸軍をつぶすこともできたのである。 しかし、ロシアはそれをやらなかった。ここにロシアの戦争遂行についての基本的な
296 好古が若いころフランスに留学していたとき、しばしば酒場へ行った。かれのゆきっ けの酒場は社会主義者のあつまる所で、ある日、袖をひかれた。 袖をひいた男が、社会主義者だった。かれは好古にむかって社会主義がいかに正義で あるかを説いた。やがて親しくなると、地下室に案内された。そこでその方面のいろん な連中と会った。 「決して悪いものじゃないよ。いい所もあるよ」 と好古はこのとき清岡こも、つ , ミ、 レしオカかれの晩年共産党の問題がやかましくなったと きも「悪意をもって共産党の問題を考えるようでは何の得るところもない」といったり ロシアが社会主義国になるだろうという好古のかんは、ロシアがその栄光とする陸軍 が日本のような小国にやぶれたからだという。 「ロシア陸軍は、国民の軍隊ではないからな」 ツアーリ とだけいった。ロシアのその世界最大の陸軍は皇帝の私有物であるにすぎない、とい うことであろう。その軍隊が外国に負けたとき人民の誇りはすこしも傷つかす、皇帝の みが傷つく。皇帝の権威が失墜し、それによって革命がおこるかもしれいない、という ことであるらしかった。日本の軍隊はロシアとはちがい、国軍であると、好古はよくい った。好古は生涯天皇については多くを語らなかったが、昭和期において濃厚なかたち で成立する「天皇の軍隊」という憲法上の思想は好古の時代には単に修辞的なもので、
このときロシアに働きかけたのは、米国大統領セオドル・ルーズヴェルトであった。 かれは日本海海戦におけるロシア艦隊の全滅をまるで自国の勝利であるかのようによ ろこび、その勝利から九日後に駐露大使のマイヤーに訓電し、ロシア皇帝ニコライ二世 に直接会って講和を勧告せよ、と命じた。ルーズヴェルトの友人である金子堅太郎にい ンカーンが奴隷を解放した。、 わせれば「アメリカはワシントンが合衆国を創立し、リ この合衆国大統 ずれも偉大な事業であるが、しかしそれらは国内での事業にすぎない。 領がみずからすすんで国際的な外交関係に手を出したのはアメリカ史上このときが最初 である」とし、そのことをルーズヴェルトにもいっこ。 「それによって君は世界的名誉を獲得するだろう」 と、金子はいっこ。 ルーズヴェルトより前にドイツ皇帝がニコライ二世に講和を勧告する電報を発してい るし、同時にドイツ皇帝はルーズヴェルトに対しても、 ツアーリ 「もしこの重大な敗戦の真相がペテルプルグに知れわたれば皇帝の生命もあやういだろ 坂との電報を送っている。たしかにその危険はあった。ロシアの帝政は強大な軍事力を のもっことによってのみ存在し、国内の治安を保ってきた、とウィッテもいっている。そ 雨れが崩壊した以上、日露戦争はロシア国家にあたえた衝撃よりもむしろロマノフ王朝そ のものを存亡の崖ぶちに追いこんでしまったことになる。
366 ナポレオン戦争においては、これが逆であった。ロシアに侵入したナポレオン軍は文 字どおり破竹の勢いですすんだが、「ロシアは敗けに敗けている」という情報を、英国 は流さなかった。英国を主導国とする多くの国が反ナポレオン側に立ち、ロシアに対し 全面的な同情的立場をとっていた。 それからみると、日露戦争におけるロシアは世界中の憎まれ者であった。というより タイムズやロイター通信という国際的な情報網をにぎっている英国から憎まれていた。 英国の報道機構がしつこく日本の勝利を報じ、その電報が各国の新聞に掲載された。極 端にいえば満州の陸戦における行司役はタイムズとロイター通信であった。それによっ て国際的な心理や世論がうごかされた。日本が情報操作が上手であったわけではなかっ 。世界中の同情が弱者である日本にかたむいていたし、帝政ロシアの無制限なアジア 侵略に重大な危険意識をもっていた。そういう面でのすべてが日本に有利であり、逆に いえば喧嘩というものはそういう諸条件が醸成されている場合でしかしてはならないこ とをこのことは教えているようでもある。 日露戦争を、政略・戦略・戦術ぐるみの一切合財の規模において、日本をして勝利に 締めくくらしめたのは、日本海海戦における日本側の完全以上の勝利によるものであっ た。この一戦で、両国の複雑な戦争計算がはじめてただ一つの共通の答えを出した。ロ シアが完敗した。