が、すぐ敵ではないことがわかった。索敵に出ていた味方で、海軍戦術を最初にひら いた山屋他人を艦長とする笠置以下の巡洋艦四隻 ( 第三戦隊 ) であった。旅順閉塞で知 りようきっ られた有馬良橘を艦長とする音羽、それに千歳と新高である。かれらは東郷の戦列に いそぎ参加すべく高速で近づいてきた。 ほどなく西方の冲に、点々と艦影がうかびはじめた。艦橋はふたたび緊張したが、こ れも味方であった。 バルチック艦隊を誘導すべく接触をつづけていた片岡七郎の第三艦隊の主力第五戦隊 である。旗艦厳島がみえた。鎮遠、松島、橋立とならんで艦影を大きくしてきた。さら 、二、三千トンのちつばけな三等巡洋艦もあらわれた。第三艦隊の第六戦隊であった。 この日の早暁から敵にしつこく食いさがっていた和泉がいそぎあしでもどって来つつあ よりひと る。ほかに、須磨、千代田、秋津洲がつづいている。千代田の艦長は東伏見宮依仁親王 という皇族であった。 「第三艦隊のうしろにバルチック艦隊がつづいている」 と、三笠艦橋でたれかがいった。まだ敵の艦影が見えるまでにいたってないが、第三 艦隊がかれらを誘導していることは間断なく入っている入電によってよくわかっていた。 海 の第三艦隊の任務は、この誘導でなかばおわったというべきであった。かれらはいわば こぶね 運敵戦艦の主砲をくらえばひとたまりもない老朽艦と小艦のあつまりで、主力決戦の役に 立つような軍艦ではなかったから、誘導の役がすめば舞台を三笠以下の主力艦隊にゆず
やがて上甲板に出てきて、艦橋の下にすわった。 艦首に波がくだけ、ときどき霧を噴きあげるように飛び散った。上甲板はかすかに一 高一低している。そのなかにあって軍医は撥をたたき、「川中島」を弾じはじめた。 艦長の奥宮にすれば士気を鎮静させるつもりで琵琶を弾じさせたのだが、聴いている うちにかれ自身がひどく昂奮してきた。艦は風浪を衝いて走っている。曲は一急一緩し つつ、やがて琵琶歌が佳境に入って上杉謙信が長剣をあげ、単騎馬をあおって敵陣に突 入するあたりになると、艦のあちこちにいる士官からかけ声がかかったりした。松島の 立場はあたかも単騎敵陣に突入する謙信に似ていた。ただし突入が任務ではなく、敵に どうきらわれようとも、東郷の主力部隊が出現するまでのあいだバルチック艦隊に密着 するのがこの第三艦隊のしごとであった。密着とはいえ、敵の射程内外に位置している 以上は、突入以上に危険であった。 つづいて中将出羽重遠がひきいる第一艦隊の第三戦隊も第三艦隊の第五、第六戦隊に 続く形で接触していた。かれらは敵が射って来ないためにしだいに図々しくなり、さら に敵との距離をちちめた。わすか三、四千メートルまで接近したとき、右正横の敵艦隊 から閃々と火光がきらめき、やがて海を圧する砲声がきこえ、笠置や音羽の前後左右に 巨弾が落下しはじめた。 第三戦隊は巡洋艦のあつまりだけに、敵主力との砲戦ではとてもかなわない。あわて て遠ざかった。しかし遠ざかりすぎても敵を見うしなうおそれがあり、この間のかねあ ばち
艦橋にある東郷は、一文字吉房の長剣のコジリを床にコトリと落し、両足をわずかに ひらいたまま動かなかった。足もとの床は飛沫でびしょ濡れであった。ちなみに東郷は 戦闘がおわってからようやく艦橋をおりたのだが、東郷の去ったあと、その靴のあとだ けが乾いていたという目撃談がある。 海戦史上、片岡の第三艦隊ほど捜索部隊としての能力を高度に発揮した例はなかった。 「敵を見ざる前に敵の陣形その他を知ることができた」 という旨の大本営への報告文を、のち秋山真之起草で東郷が出している。 「敵は二列縦陣でやってくる」 という旨の無電が片岡から入った。 しかし整然たる二列縦陣といえるかどうか。 じようせき ロジェストウエンスキーはじつは定石どおりに単縦陣でもって戦いたかった。 ところが、すでにのべたように、かれが出羽の第三戦隊を追っぱらおうとして艦隊に 陣形を指示したとき、戦艦アレクサンドル三世が信号を見誤ったことから大混乱がおこ り、陣形が変なぐあいになった。 スワロフ以下の第一戦艦戦隊が先行し、その左翼に並航して ( つまり二列になって ) オスラービア以下の第二戦艦戦隊が走り、それにつづいて第三戦艦戦隊が息せき切るよ うにしてあとを追うというぐあいであった。二列である。
242 やく と、加藤がいうと、東郷がうなずいた。針路は敵の前途を扼すべく指定された。三笠 のうしろに、無傷の主力艦隊 ( 第一、第二戦隊 ) がつづいている。 午前八時四十分になった。 なお見つからなかったため、「前途を扼」するといっても前途がありすぎたのかもし れないという不安が、三笠の艦橋を占めた。 敵の所在地点は、見張りの第五戦隊から打たれてくる無電でわかっている。東郷は、 ふたて 二手にわかれることを決意した。 上村彦之丞の第二戦隊をしていきなり敵の所在地へ急航せしめようとした。ただし命 じたのは戦闘ではなく、「接触を保て」ということであった。戦闘は、第一戦隊である 東郷直率の戦艦戦隊がやらねば討ち洩らすおそれがある。東郷はそこまで用心ぶかかっ 上村の装甲巡洋艦出雲以下が、針路を変えた。その場所へ波を蹴って急航した。戦闘 とりもの というより捕物にちかかった。 ネボガトフは戦闘指揮の位置につくべく、旗艦ニコライ一世の司令塔に体をうっして 艦長のスミルノフ大佐はきのうの戦闘で負傷していたが、押して艦橋に立っていた。 この艦長とネボガトフのあいだを参謀長のクロッスという中佐がひどくいそがしげに二
しかし右折しつばなしではどうにもならないから、針路をもとへもどすべく左八点の 一斉回頭をしなければならない。 ところがこの後段の回頭において、混乱がおこった。 つまりアレクサンドル三世が、旗艦スワロフにあがった信号を誤認した ( 練度の高い はずの大海軍国の戦艦にありえない現象だが ) のである。アレクサンドル三世はそのまま 旗艦スワロフの尻にくつついて走りだした。 他の後続戦艦の艦長たちはおどろき、 「アレクサンドル三世がスワロフにくつついているじゃないか」 と、むしろ自分たちが信号を誤認したとおもってしまった。かれらはせつかく左八点 の運動を正しくやりつつあったのをあわてて中止し、まちがっているアレクサンドル三 世の艦尾にくつつく針路に訂正したのである。 「馬鹿艦長どもが」 と、ロジェストウエンスキーは艦橋にあってどなった。西方から吹いてくるつよい風 が、その声をふきとばした。 この陣形の混乱はどうにもならなかった。とくに航行中の艦隊の、それも首脳部とい 島 うべき第一戦艦戦隊が、それにつづく第二戦艦戦隊および第三戦艦戦隊に対してわずか 沖前方に位置しつつ、しかしあたかも並航しているかのような、なんともいえない陣形し なってしまった。これでは戦争ができるカタチではなかった。
旗艦三笠は第一戦隊の先頭に立つべく速力をあげていた。 第二艦隊の上村彦之丞は旗艦出雲に座乗して加徳水道に仮泊していたが、東郷の出港 命令の入電とともにそのあたりに所在する全艦艇に出港を命じた。 各艦がいっせいに動きはじめた。 そのあいだを戦艦戦隊である第一艦隊第一戦隊の敷島、富士、朝日、春日、日進がす すみ、やがて東郷の三笠が追いついて先頭に立った。三笠のななめうしろをちつばけな 通報艦竜田が従った。巨大な戦艦群がおこす波のために竜田ははげしくゆれた。 この第一艦隊に属する駆逐艦および、水雷艇は、 あられ おばろいなずまいかずちあけばのしののめ 春雨、吹雪、有明、霰、暁、朧、電、雷、曙、東雲、薄雲、霞、漣、千鳥、 はやぶさ 沖隼、真鶴、鵲である。 第二艦隊第二戦隊は五隻の一等巡洋艦が波を割ってすべり出している。出雲、吾妻、 沖ノ島 か ) さぎ さざなみ
常磐、八雲、磐手で、八代六郎大佐を艦長とする浅間がこの編制に加わっているが、他 に任務があったため出港のときは姿がなく、午前十時すぎに全速力で駈けてきてこれら の僚艦に加わった。通報艦は千早である。千早は出雲と並航して走っていた。 つづいて第二艦隊に所属する二等巡洋艦浪速 ( 三六五〇トン ) を旗艦とする四隻の第 四戦隊が、白波を蹴立てていた。浪速、高千穂、明石、対馬である。 この第二艦隊に所属する駆逐艦および水雷艇は以下のようである。 むらくも しらめ かげろうあおたか つばめはとかもめ 朝霧、村雨、朝潮、白雲、不知火、叢雲、タ霧、陽炎、蒼鷹、雁、燕、鴿、鵐、 おおとりきじ 鴻、雉 このうち朝霧以下四隻は対馬の尾崎湾で待機中で、この湾にいない。 中将片岡七郎を司令長官とする第三艦隊はくりかえしのべているように対馬で待機し ていたが、この日いちはやくバルチック艦隊に接触してそれを東郷のひきいる主力勢力 のもとに誘導すべく運動を開始していた。第三艦隊の旗艦は二等巡洋艦厳島 ( 四二一〇 トン ) で、日清戦争のときの戦利軍艦である鎮遠がこれにつづき、松島、橋立という一 時代前の旧式主力艦をもって第五戦隊が編まれている。通報艦は八重山であった。 あきっしま 同じく第三艦隊の第六戦隊は、須磨、千代田、秋津洲、和泉で、和泉のはたらきでも わかるようにこの戦隊はここ一週間ほど哨戒索敵のために多にであった。 つづいて第三艦隊の第七戦隊というのは、老朽艦で編成されている。扶桑、高雄、筑 ちょうかい 紫それに鳥海、摩耶、宇治で、鳥海以下は , ハ百トン程度しかなかった。 まや
艦に座乗して司令官になり、二十七日の主力決戦をやったときも、あとあとまで艦長の 川島の功のみをいった人物である。 追いましよう、と川島が気負いこんだときばかりは、 「まあまあ」 と、大きな体で川島をなだめるようにして、 「武士の情だ」 といった。島村のこのときの言葉を、川島は後年、古典劇の名場面を語るようにして 五ロっこ。 同時期に、第二艦隊旗艦出雲の艦橋上でも似たような情景があった。 同艦隊の司令長官上村彦之丞が、とっさに撃て、あれを撃て、と叫んだとき、参謀の 佐藤鉄太郎中佐が諫めた。佐藤自身が語っているところでは、「長官。あれはネボガト フ提督が、皇帝に最後の上奏をするために出した使者ではないでしようか。もはや一隻 ぐらい逃がしてもかまうまいと思います。武士の情です」といった。すると上村はみる みる後悔の情をうかべて、 フ「気がっかんじゃった。射っちゃいかん」 ガ と、大声でいった。もっともイズムルードを第六戦隊の一部が追ったが、脚が及ばな ネ かった。同艦はウラジオストック付近までゆき、座礁した。艦長は艦を破壊して陸路乗 員を引率してウラジオストックへ入った。
と、ロジェストウエンスキーはいった。すでにせまりつつある主力決戦のためにかれ は全力をあげようとしていた。それまで敵の走卒のような艦艇があらわれてもこれを黙 殺したほうがよい。それらにとらわれて砲弾その他の戦闘エネルギーを浪費することは 無用の沙汰だとおもっていた。このことについてロジェストウエンスキーの態度は終始 一貫していたという点で正しかった。 ところが午前十一時二十分ごろ、日本の出羽重遠の第三戦隊の巡洋艦群がいちじるし く接近してきたのである。とくに戦艦アリヨールこ し近かった。 戦場に近づくにつれて全艦隊の士気があがり、あの惰気にみちた航海中のこの艦隊と はまるで別の軍隊のようになった。とくに戦艦アリヨールは士気が高く、砲員たちは動 作のすみずみまで闘志をみなぎらせ、どの男もうまれながらに神がそのように作りあげ た理想の戦士のようであった。 ことに左舷中部の , ハインチ砲の砲員は、眼前に日本の巡洋艦が白波を蹴って走ってい るのをみて、堪えきれなくなった。 「どうして射撃命令が出ないんだ」 と、口々に一一一一口いさわいだ。 照準手は、頭が割れるほどに緊張していた。かれはいまにも号令がくだるものと信じ ていた。このためまわりの怒声が、かれの耳を錯覚させた。 「撃ち方始め。
この時期の東郷艦隊の位置にふれておく。 東郷の連合艦隊は、三つの艦隊に区分されていた。 第一艦隊は東郷がこれを直率し、そのうち第一戦隊が主力部隊であった。三笠以下四 隻の戦艦のほかに、装甲巡洋艦春日、日進それに通報艦一隻が加わっている。この二隻 の装甲巡洋艦はかってこの艦隊が戦艦八島、初瀬を触雷でうしなったために戦艦のかわ りのようなかたちで主力部隊に参加していた。この時代の決戦は戦艦の巨大な砲力と防 見御力が担当するというのが常識であった。この場合、春日と日進が問題であった。両艦 は装甲巡洋艦でありながら戦艦の代用をさせられていた。ただしこの両艦には戦艦に準 敵 ずるだけの攻防力があるとみとめられていたので、いわば無理をおして第一艦隊第一戦 敵艦見ゅ