王代思想を読む事典ー今村仁司編古代インドの神秘思想ー服部正明④ 哲学・思想 諸橋轍次 幻現代思想事典ーー清水幾太郎編中国人の知恵 廣松渉現代哲学事典 哲学入門一歩前 市川浩耜中国の名句・名言ーー村上哲見 論語 貝塚茂樹 新田義弘☆ 哲学の歴史 日・世由ー一工 カ . 十・イー / ィー 会田雄次「論語」を読む 哲学のすすめ 岩崎武雄合理主義 蜂屋邦夫 正しく考えるためにー岩崎武雄ヨーロッパの個人主義ー西尾幹一一老荘を読む 川「三国志」の知恵 狩野 ~ 旧 ( 後藤平繝ニーチ工との対話ーー西尾幹一一 哲学とは何か 坂下昇圏「韓非子」の知恵 狩野直禎 新・哲学入門 山崎耻ト観オカルト 梅原猛 ヨーガの哲学 立川武蔵眤「戦国策」の知恵 哲学の復興 森三樹三郎 人問の思想の歩みーー山崎正一巐ジョークの哲学ーーー。ー加藤尚武期「無」の思想 茅野良男超人の哲学 田原八郎 弁証法入門 弁証法は 三浦っとむ朧愛について 今道友信 1 ・ / し、つい、つ科当ナ・か 茅野良男美について 今道友信 鵬認識論入門 「分ける」こと「わかる」ことーー坂本賢三新詩のこころ・美のかたちー杉山平一 実存主義入門 茅野良男炳シモーヌ・ヴェイユーー田辺保 Ⅲ構造主義 北沢方邦うそとバラドックスー内井惣七 はじめての構造主義ー橋爪大三郎パズルとバラドックスー内井惣七 2 シャーロック・ホームズ ー内井惣七 言葉と無意識ーーーー丸山圭三郎 の推理学 ・ケン。フ ☆ 喟ダンディ 桜井哲夫訳 圏現代思想の 今村仁司☆
です。しかしここでは哲学をむしろ理性の哲学とよびたいとさえいっているのです。ャスパ スはいいます。 二十年ほど前に実存哲学について語ったとき、私はつけ加えていいました。新しい哲学、特 殊な哲学が取り扱われているのではありません。そうではなくて、ひとつの永遠な哲学が取り 扱われているのです。たんに客観的なものに迷いこんでいるこの時機にあたり、この哲学には キルケゴールの根本思想が強調されてよいのです。しかし今日では、私は哲学をむしろ理性の 哲学と名づけたいと思います。哲学のこの最も古くからの本質を強調することが緊急だと思わ れるからであります。もし理性が失われるなら、哲学そのものも失われてしまうのでありま合 す の ャスパ 1 スのこの言葉から、ヤス・ハ ースは実存哲学から理性の哲学へと転回したような印象一 ス を受けるでしよう。 ャ 学 理性を強調しつづける実存哲学 しかしャスパースは実存哲学を放棄したわけではありません。この講演でも、十五年前の実 『理性と実存』と同じように、理性とは制限されない交わりの意志とひとつのもの、とされて います。実存と実存との交わりは理性によって推進されます。したがって理性は実存の間の連
する哲学を、第二哲学または積極哲学とよびました。晩年ベルリン大学で、この立場からの神 0 話の哲学や啓示の哲学を講義しました。聴講者のなかには、キルケゴールもエンゲルスもプル 6 グハルトもいました。キルケゴールは、シ = リングが現実存在というたびごとに勇気づけられ 士した。 しかしシェリングにとっては、現実存在といいうる最高のものは神であります。神は現実に 存在するだけでなく、その現実存在の根拠をも自分のなかに含んでいます。人間を含めてい 0 さいの現実に存在するものは、それらの根拠をそれら自身のうちにもたず、神のなかにある根 拠にもとづいています。 シ = リングは、この神が自己をあらわに示現してゆくことを、神話の哲学、啓示の哲学で明 らかにしようとしました。それはしかし、ヘーゲルが死んだあと、実証主義的な傾向のきざし た十九世紀なかばの思想界にとっては、容易にうけいれられるものとはなりませんでした。へ ーゲルの合理主義の体系にあきたりなく思 0 て、はじめ講堂をうずめていた聴講者も〈り、あ わせて啓示の哲学についての訴訟事件などもあり、ついにシ = リングはその講義を断念せざる をえませんでした。 このシェリングの考え方については、またあとでふりかえることにしますが、ここで忘れら れないのは、シ = リングの哲学について、「現実存在の哲学 (Existenzialphilosophie) 」という
実存は精神と生命との総合 シェリングもキルケゴールも、神の現実存在ないし人間の実存を正面から問題としました 。、、けっして自分の思考に実存主義とか実存哲学とかいう名前は与えていません。いよいよこ れらの名前が登場してくるときになります。それは二十世紀になってからのことです。しかし ここでも、実存哲学や実存主義という名前は、あとからつけられた場合が多いのです。先行し ているのは、現実存在や実存についての思考や要求です。そうした要求や思考に対する批評や 概括の言葉として、実存哲学や実存主義という名前が登場してくるのです。名前は事柄を追っ ています。しかし大切なのは実存という事柄なのです。 実存哲学と実存主義という名前についてその成立の歴史を見ますと、実存哲学の方が早いい ハイネマンは『哲学の新しい道』 ( 一九二九 ) のなかで、二年前に公刊され い方と思われます。 たハイデッガーの『存在と時間』 ( 一九二七 ) の思想をとりあげ、ハイデッガーを「実存哲学 (Existenzphi10sophie)-J に数えました。ハイネマンのこの本が、実存哲学という名前をはじめ 1 ハイネマンの実存哲学 0
求め、超越者へ舵を向けようとしています。つぎに、実存とは人間の自己のことですが、それ は超越者と関わりをもつ者であるということです。後者の点では、キルケゴールの実存の把握 を思い出します。実際ャスパ ースは、実存哲学の近代的な根源をキルケゴールに認めていま す。ャスパ ースはさらにシェリングとニーチ工とを先行者にあげています。 ともかく現代の実存哲学のはじまりにおいて、実存哲学とは人間存在の哲学であること、こ の哲学はふたたび人間をこえ出ること、このことが宣言されています。 本来的な自己存在をさぐる実存開明 ャスパ ースのいう実存は、たんなる主観性のことではありません。それはまた、独我論的なの 自我の存在でもありません。それは自己存在です。しかしこの自己であることは、けっして対一 象としては認識されません。実存哲学が人間とは何であるかを知っていると信じるやいなや、 ~ 実存哲学はただちに失われてしまいます。実存哲学がその対象を固定してしまえば、もう実存一 哲学ではなくなります。実存哲学はそれがまだ知っていないものをたえずよびさまし、開明し ながら動いてゆきます。つまり人間とは何であるかに答える人類学や心理学や社会学などの科実 学的な認識冫 こまず方向を定め、それらの認識に即しながら、まだ現われていない本来的な人間 の自己存在へいたろうと努力します。
在意識の品化が求められていました。主観と客観との関係に基づく認識論は、流動し変転する 現実の生の内容を盛り切れなくなってきました。認識論から存在論へ、理想主義から現実主義 へ、主観主義から客観主義へという転回が生じました。ドイツ哲学の内部でも、新カント学派 に代わって現象学や生の哲学、存在論や哲学的な人間学がしだいに勢力を増してきます。 生の哲学に対するリッケルトの批判 新カント学派のひとつである西南ドイツ学派は、古代哲学史家のツェラー、近世哲学史家の フィッシャーの伝統をもち、ヴィンデルバント、リッケルト、ラスクと続き、ハイデルベルク 大学を中心に繁栄しました。リッケルトはハイデッガーがフライプルクの大学生の頃の教授での ス した。ハイデッガーはそのニーチェに関する講義を聴講したこともあります。リッケルトはハ イデッガーの卒業の年にハイデル・ヘルクへ転任し、後任にフッサールがゲッティンゲンからフ ~ ライプルグへ就任しました。ハイデッガーは新カント学派から現象学への推移を文字通り体験一 したわけです。 さてこのリッケルトは『生の哲学』 ( 一九二〇 ) を著述し、キルケゴールやニーチェの流れを実 ースの生の哲学を流行哲学と批評しました。リッケルトに くむディルタイやジンメルやャスパ 4 よると哲学は理論です。晩年のリッケルトはいっています。 ロ
私はヤス・ハースを人物の上でも著作家としても高く評価しています。彼が大学の青年たちに 与えた影響は著しいものがあります。しかしほとんどお題目のようになっている《ハイデッガ ーとヤスパース》という対比は、私たちの哲学について流布している誤解のなかで最も顕著な ものなのです。私の哲学は、あくまでも、存在の真相へと問うているのです ハイデッガーは一九二九年のハイネマンの批評以来、実存哲学を拒否し、また一九四一年の ある手稿でも、実存哲学と実存主義とを拒否しています。ハイデッガーが『存在と時間』以 降、どのように思考が変わっていったかの追求は、それだけでひとつの課題となります。 7 理性の哲学 「むしろ理性の哲学と名づけたい」 ースだけのものとなってしまい こうたどってきますと、実存哲学という名前は、全くャス。ハ ます。ところがそのヤスパ ース自身、一九五〇年の講演『現代における理性と反理性』のなか で、実存から理性へと強調点を移しているように考えられます。既に『理性と実存』や『実存 哲学』以来、実存は理性を伴わなければならないと明言していることは、これまでのべた通り ワ 0
実存哲学として一九三 0 年代のフランスへ 、イネマンの実存哲学という批評をすぐ拒否したことは前にのべた通りで ハイ一アッガーがノ ースその人によって、自己の哲学のよび名となりました。そのヤ す。そして実存哲学はヤスパ ースも実存主義という名前を拒否したことは既に明らかです。さらにまた、ヤス。 が、一九三五年の『理性と実存』以来、実存は理性と切り離しがたいとして、理性を強調しは じめたこともお話しました。 このように自分の哲学を実存哲学とよぶかよばないかにこだわることは、傍観している者か らは、どうでもよいことのように見えます。しかし、自分の哲学を自分で考えてゆく者にとっ ては、名前は自分の考えの品化したものであり、象徴であります。 ノイデッガーとヤスパ ースとをあわせて実存哲学とよぶことが ともかく一九三〇年代には、、 ースとを対比させることはお題目のようになりまし 流行となりました。ハイデッガーとヤス。ハ ドイツのこ た。もちろんそれは批評者のお題目ではあります。さらにまたこの三〇年代には、 の実存哲学が、次第にフランスでも研究されるようになりました。戦後のフランスの実存主義 ース、キルケゴール、またドイツの現象学などが、三〇年代から着 も、ハイデッガーやャスパ 実に研究され、知られていた地盤なしには考えられません。現代の実存思想は、こうして一九 二 0 年代の後半からドイツで隆盛となり、三〇年代にはフランスへとひろがってゆきました。 ′ 68
1 マルセルの立場 マルセルの出発点とその現実存在 私たちはこれまで、実存哲学または実存主義という言葉の成立は、少なくとも一九二九年以 降のことであった事実を見てきました。ハイデッガーははじめから実存哲学という批評を拒否 しました。自分で実存哲学といったのはヤスパースでした。彼は、一九三五年には、実存主義 という名前を拒否しました。また理性を強調しはじめ、戦後は実存哲学から理性の哲学へと強 調点を移していることも見てきました。そして一九三〇年代には、キルケゴールをはじめ、 ィッの実存哲学がフランスへと影響を与えはじめたことにも、ふれておきました。 ハイデッガーの『存在と時間』にしても、ヤスパ ースの『世界観の心理学』や『哲学』にし ても、キルケゴーレ。、 ノカ人間存在を実存とよび、そのあり方をえがき出して見せたことの影響は 否定できません。第一次世界大戦の直前、あるいはそのさなかに、彼らはそれぞれキルケゴー ルの著作から感銘をうけています。 さて存在と時間』が出版された一九二七年は、マルセルが一九一四年から二四年までの 厚 6
しての面と、精神としての面とに分裂します。この分裂と動揺を知ることを通して、人間は自 由に訴えかけ、この訴えかけを通して実存としての本来の自己は現われます。 3 実存哲学のはじまり 実存哲学とはどういうものか ャスパースは実存哲学をつぎのように簡潔にスケッチしました。 実存哲学は、一切の専門的な知識を利用するが、それを乗り越えてゆく思考である。この思 考を通して人間は彼自身になろうとする。この思考は諸対象を認識するのではない。そうでは なく、このように思考する者の存在を開明し、同時にそれをかちとる。存在というものを固定 してしまう世界認識の一切を乗り越え、これによって動揺せしめられることにより ( 哲学的な世 界定位として ) 、この思惟は自らの自由に訴え ( 実存開明として ) 、そして、超越者に誓うことに よって自らの絶対的な行為の場をつくり出す ( 形而上学として ) これが、『現代の精神的な状況』ではじめて公表された実存哲学の姿でした。このスケッチ からだけでも、すぐ二つのことがわかります。まずこの実存哲学は、科学的な認識冫 こ出発点を ー 50