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検索対象: 実存主義入門
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1. 実存主義入門

木村敏跖〈つきあい〉の心理学ー国分康孝① 異常の構造 む理・精神医学 池見酉次郎〈自立〉の心理学ーーーー国分康孝 黼自己分析 ーー・ターーシッ。フ 国分康孝 人問の心のふしぎーー村松常雄自己実現の方法 石塚幸雄 6 心理学 咸情はいかにして 大木幸介自己コントロールーー成瀬悟策川チームワークの心理学ー国分康孝 っ・、、りれるか 原野広太郎フロイト 鵬記憶力 宮城土日弥訳 岩原信九郎れコントロール ・クピリヤノヴィッチ 0 - = - ロ コし 2 ・刀 + 原野広太郎新甦るフロイト思想ー佐々木孝次 自己弛緩法 金光不二夫訳 ュングの心理学ーー秋山さと子 新崎盛紀人問関係の心理学ー早坂泰次郎 繝直観カ 小此木啓吾ュングとオカルトー秋山さと子 集中力 山下富美代ェロス的人問論 ュングの性格分析ー秋山さと子 朧秘密の心理 小此木啓吾 詫摩武俊 性格 秋山さと子 *-Ä・・ルクロン夢診断 / 川推之催眠のすべてー 川性格分析 目昜・り肥 宮城音弥 ノ , ・士キ 岩井寛うその心理学 人はなぜ悩むのか 福島章 相場均殀ー・ーー創造の 宮城音弥川異常の心理学 芻ノイローゼ 、、、 2 レエ′う ) ン 「村博 自閉症 玉井収介「誤り」の心理を読むー海保博之症候 ーー森崇 青春期内科診療ノート うつ病の時代ーーー・大原健士郎刪好きと嫌いの心理学ー詫摩武俊 中西信男 詫摩武俊躓ナルシズム 自己不安の構造 石田春夫川咽性と適性の 笠原嘉 セルフ・クライシスー石田春夫期「らしさ」の心理学ーーー福富護馴退却神経症 「ふり」の自己分析ーー石田春夫「出会い」の心理学ーー・都留春夫矚正常と異常のはざまーー森省一一 ス -z—レス 内沼幸雄 1 対人恐怖 磯目 ( 芳郎 内山喜久雄Ⅲ集団の心理学 0 ーコ、 / -z—ローー - ル 宮城音弥自己抑制と自己実現ー唄貝務 5 ストレス 岩井寛バニックの心理 安倍北夫 森田療法

2. 実存主義入門

よ、つになりました。 4 『世界観の心理学』 世界観についての普遍的な考察 ところでヤスパ ースは、自分にとっては、一九一九年の『世界観の心理学』が、すでに実質 的な実存哲学のもっとも早い著作であったと回想しています。前にものべましたが、この本は合 リッケルトから、一切の固定的な体系を拒否する生の哲学として批判されました。ャスパ ス は一九一六年からキルケゴールに影響をうけており、この本のなかにも実存という言葉は使用一 ス されています。しかし、実存哲学という名称はもちろんありません。 ャ ではどういう点で現代の実存哲学のもっとも早い著作だといわれるのでしようか。 題名は「世界観の心理学』です。それは世界観を立てることを目ざしていません。世界観をに 与え、意味と意義を示し、価値の表を設定するのは、予言的な哲学の任務とされています。こ実 の本は世界観を立てることでなく、世界観を普遍的に考察することを任務としています。その 立場は心理学とよばれています。世界観をその信念、態度、世界像、その根源としての精神な

3. 実存主義入門

道具や物の存在がきまります。つまり、実存することは、現存在固有の存在を示します。実存 することの様態は、現存在の存在の様態です。 キルケゴールの実存的な了解 キルケゴールのいう実存の感性段階も、倫理段階も、宗教性の段階も宗教性の段階も、 実存することの様態にほかなりません。キルケゴール自身、これらの段階を実存の変容ともよ一 んでいます。ところでキルケゴールを例にとりますと、実存することの最高の段階は彼のいう場 逆説宗教的な宗教性の段階でした。この段階はたんに人生行路の諸段階の類型論ではありま一 せん。それかといって、キルケゴール個人の歩んだ人生の諸段階の決算的なあとがきでもありッ ません。 キルケゴールの著作は人生の真実をえぐり出した心理学です。ニーチ = の著作もそうです。→ しかし、宗教性の段階は万人すべての理想でしようか。一歩譲って、キリスト教徒にと 0 て の理想でしようか。しかし、少なくともキルケゴールにとっては、宗教性の段階こそ実存すの ることの理想であり、最高の段階であります。キルケゴールの実存することを先導しているの実 は、キルケゴールにとってあるべき実存、永遠にして時間のうちにあり、神の子にして人の姿 0 をまとう絶対の逆説としてのイエスの実存ではないでしようか。

4. 実存主義入門

ハイデッガーのヤスパース評 実存思想が実存哲学とよばれるようにな 0 たのは、ドイツの一九二〇年代の終わりのことで した。まずハイネマンが、一九二七年にハイデッガーの『存在と時間』で展開された実存の分 ースは一九三〇年に、自分の哲学を実存哲学とよび、合 析論を実存哲学と批評しました。ャスパ さらに一九三二年の『哲学』では、実存開明を真正面に掲げました。前にものべましたがヤスの ース自身は一九一六年からキルケゴールの影響をうけ、一九一九年の『世界観の心理学』で一 は、人間存在をすでに実存ともよんでいました。一九二五年には、その第三版の序言で、実存 ~ ースの実存一 を体系的に開明する仕事を別の本にゆだねたいといっています。したがってャスパ 哲学の構想は、 ( イデッガーの『存在と時間』の公刊よりも早いわけです。ただし、『世界観哲 の心理学』は生の哲学の立場からの世界観論と受け取られていました。それを実存論的な分析実 6 として了解したのは、ほかならぬハイデッガーでした。 ースの『世界観の心理学』について、世界観を構成する態度や世界像 ハイデッガーはヤスパ 6 ハイデッガーとヤス。

5. 実存主義入門

世界観の心理学は、このように、どの類型の把握においても体系的でなければなりません。 しかし世界観は、無限な人間に対するある態度でしかありません。そこでその類型の体系をふ たたび流動せしめないかぎり、無限なものである人間は、ゆがめられたり有限化されたりして しまいます。どんなに世界観の類型をきっちりと組み立ててみても、世界観の根源である人間 は、類型の組み合わせや結合によって全面的に秩序づけられたり体系化されたりはしません。 しかし世界観が人間から生み出されたものであり、その類型化が可能である以上、類型化し体 系化するという間接的な手段に訴えることにより、無限なものとしての人間を、たとえ間接的 にではあれ、開明してゆかなければなりません。世界観の心理学の体系は、人間が無限なもの であるために、あくまでも理念という形でしか構想されえないものです。 実存哲学の実質的な誕生 人間が無限なものであるという考えは、人間は形式や類型や体系で秩序づけ対象化しようと しても、いつもそれらをはみ出てしまうという考えと結びついています。ャスパースが、人間 の実存は対象として認識されえず、人間の自由に訴えることによって開明されるだけである、 とあとでいうのも、『世界観の心理学』での、このような人間の把握と深い連関があります。 もちろんこの本はまだ人間をそのまま実存とよんでいるわけではありません。 ー 56

6. 実存主義入門

いし生命という構造およびそのあらゆる可能態において考察し了解しようとするのです。その かぎりこの心理学は経験科学としての心理学ではありません。しかし、もし全体的なものと関 、刀 . を わることを哲学とよぶなら、やはりこの本は哲学の本といってよいのです。しかし、 て生きるべきか、この間いの答えを直接求めたい人は、予言的な哲学にゆくことがよいでしょ この本の示す世界観の普遍的な考察は、生きることを方向づける手段、自己省察のための手 段を示します。それを通して、生きることをささえている自由な精神と活動に訴えているだけ です。『世界観の心理学』は世界観を立てることは目的としていません。それは世界観につい ての普遍的な考察であり、哲学的な世界観理論と批評できましよう。 世界観を立てることは特定の価値から評価することです。したがって世界観を立てることの 拒否は、特定の価値からの評価に対する禁欲です。これは当時のヤス。ハースの精神面の指導者 であったヴェー ーの態度とも共通です。ヴェー ーの講演『職業としての学問』も、やはり この本の出た年のものでした。 無限な人間と世界観の類型化 ところでヤスパースの提出する世界観の構造や類型そのものは、ここでは問題としません。 ー 54

7. 実存主義入門

ースが「世界観の心理学』で精神または実存とよんだ無限なものとしての人間を、明確に 実存としてうけとり直そうとしたのは、一九二〇年代の半ばであり、その計画の最初の公表 ースの実存哲学に関するかぎり、実存という言葉がはじ は、右の第三版の序言でした。ャスパ めて登場するこの『世界観の心理学』こそ、実存哲学の実質的な誕生なのでした。 5 理性の強調 人間は包括者てあるということ ャスパースは『理性と実存』 ( 一九三五 ) で、実存は理性を欠いてはならないことを強調しま す。これと『実存哲学』 ( 一九三七講演、一九三八公刊 ) とで、ほばャス・ハースの人間存在の把握 がわかります。ャスパースは人間存在は個別科学の対象として認識されるものをいつも超えて いるといいます。『理性と実存』では私たち自身としての包括者と、存在そのものとしての包 括者という区別がなされています。 包括者とは私たちがどんな立場をとり、どんな視界をもっていても、それを端的に包囲し包 含してしまうものです。私たち自身包括者であり、それは現存在・意識一般・精神という特殊 ー 58

8. 実存主義入門

かしキルケゴールの『哲学的な断片のための結末となる学問外れなあとがき』 ( 大谷長氏訳・新教 出版社一九五九 ) や、引用文献表の松浪信三郎氏訳のサルトル『存在と無』、同じく引用文献表 でわかるように現在四種の訳があり、やがて原佑・渡辺二郎両氏の新訳 ( 中央公論社 ) が加わ るハイデッガーの『存在と時間』、それに引用文献表のヤスパースの『哲学』などは、実存主義 にもっとも大切な本です。まず訳のあるものはそれに向かい、その上でぜひ原文なり欧語訳な りに体あたりしていただきたいと思います。一般的な参考書は、原文と格闘するまでの手びき となれば幸いなのです。実存主義の文献目録は、「実存主義」一一六号 ( 一九六一 l) ・三七号 ( 一九 六六 ) があります。 なお、著者の実存に対する考え方として、つぎのようなものがあります。『情態性としての 気分』実存主義講座理想社第四巻一九七一 l) 、『実存の哲学についての一考察』 ( 哲学雑誌『実存 哲学』特集一九六七 ) 、『ハイデッガーと伝統』 ( 日本倫理学会編「伝統』一九六七 ) 、『ハイデッガー から見たサルトル』 ( 実存主義三九号一九六七 ) 、『生きること・考えること・哲学すること』 ( 理想 第四〇四号一九六七 ) 、『現代哲学・ドイツ・フッサールからハイデッガーへ』 ( 小松摂郎編「思想 の流れ』文林書院一九六七・芸林書房一九六八 ) 、「へーゲルの歴史観』 ( 理想第三七七号一九六四 ) 、 「精神現象学以前』 ( 哲学雑誌第七五一号「へーゲル哲学の再検討』一九六四 ) 、『ャスパ ースと「世 界観の心理学」』 ( 実存主義一一七号一九六三 ) 、「ニーチェーーー反キリスト者ーーー』 ( 講座「現代の哲 256

9. 実存主義入門

大切なのは世界観を生み出す人間を、当時のヤスパースがどう見ていたかということです。世 界観は信念や態度や世界像を含む具体的なものであって、その数はかぎりがありません。した がって、それを分類し、類型化し、秩序づけることは、どうしても具体的な世界観を抽象的に することになります。また分類や類型はどうしても有限なものとならざるをえません。世界観 がかぎりなくあるのは、人間が無限なものそのものであるからであります。世界観の諸形態は この無限なものそのものに属しているか、あるいはそのなかに潜在しているかです。この諸形 態を世界観の類型は分類して秩序づけなければなりません。しかし無限なものとしての人間に とっては、類型は有限であり、さらに抽象的であります。個々の人間は、類型としての世界観合 へ向かって決断するのではありません。高々その態度のなかへ入りこみうるだけであります。の ここから世界観の心理学の体系は、人間が無限なものである以上、ヘーゲルのような閉鎖的な一 ス 体系とはなりえません。 しかし世界観の普遍的な考察であるためには、世界観の心理学はできるだけ包括的で全体的一 で体系的でなければなりません。人間が無限なものである以上、この人間の完全な体系化は拒 否されます。しかし人間が生み出す世界観の類型は、何らかの仕方で体系化しなければなりま実 せん。そこで ( 類型に関して ) 体系的であろうとしながら、いかなる体系をも ( 人間に関して ) 支 配的としないように試みなければなりません。こういう逆説的な課題が生じます。

10. 実存主義入門

ーマンやヤコービなどで生命という原理へ、ゲーテとフンボルトにおいて実存という原理へ転 換しました。十九世紀のドイツ観念論の合理主義は、ロマン主義の生命の哲学へと解消され、 このロマン主義はふたたびマルグスやフォイエルバッハやキルケゴールの実存哲学へと解消さ ィネマンにとっての現代のリズムは先にの・ヘた通りです。さらに現象学派の内部 れました。ハ だけでも、フッサールからシェーラー、そしてハイデッガーへという進展は、まさしくこのリ ズムを確証します。ハイネマンは右のように、精神から生命へ、生命から実存へという図式が 適用される例をあげています。 さらにハイネマンは、六つの実存段階を考えています。自然と調和して生きている神話的な 実存、神を原理とする宗教的な実存、人間が自分の世界のなかで労働し制作するときの実践的 な実存、知性を原理として世界を了解する知性的な実存、時間と歴史から自分を了解する歴史 的な実存、意味や価値を否認する、空虚となったニヒリズム的な実存です。 ( ィネマンはその 例をあげていますが、くわしい説明はいらないでしよう。またハイネマンの図式があたってい るか、いないかを吟味することも、当面の課題ではありません。 しかし、実存から発し実存をめぐり実存へとうちかえしてゆく思想は、実存や現実存在はた んにひとつの実例であり、例証にすぎないと考えている普遍的な本質への信頼、さらに普遍的 な本質をとらえるのは広義の知性であり精神であるという確信、こうした本質主義と合理主義