状況 - みる会図書館


検索対象: 実存主義入門
41件見つかりました。

1. 実存主義入門

それでは、現代の精神的な状況について語ることは無意味でしようか。そうではありませ ん。人間はだれでも状況のなかにいます。具体的な状況のなかで、現存在としての人間はいか なる状況にあるか、意識ないし精神としての人間は状況についてどれだけ知りうるか、これは 把握できます。私たちは、この可能的な展望の限界を知ることを通して、この状況のなかで本 来何が問題であるかによびさまされます。現存在の状況も、精神の状況も、それだけで状況の 全体像だと誤認してはなりません。現存在の状況開明も精神の状況開明も、自己が状況のなか むち で本来の自己に目覚めるのに不可欠な鞭なのであります。 場 の 科学の対象としての人間 現存在としての人間は、個別科学の認識の対象として探究されます。しかし人間は、現存在一 であるだけでなく、意識をもっ精神であります。人間は精神をもっことにより、ただ知るだけス でなく、自分が何であるかを行為において自由に決定します。人間についての諸科学は、現存一 在を認識の対象とします。しかし科学は意識と精神の所産です。人間は科学の客体として現存哲 在であり、科学の主体として意識をもっ精神です。人間は精神をもっ現存在です。しかし科学実 は、人間の現存在を部分的に対象とするだけです。精神をもつ人間は自由であり、行為しま 9 す。科学の成果はそれを所有する人間いかんで有意義にも有害にもなります。人間は現存在と

2. 実存主義入門

数多くなります。権威は失墜しました。誠実と義務感は薄れました。批判は責任のない非難と 自己主張に変わります。徹底的な危機の意識とは、危険と実体の喪失の意識です。 これらはヤスパースが把握した時代の状況の一部と考えてよいでしよう。しかし状況を把握 するということは、状況を変更することを可能とします。 人間と状況 ャスパ ースは人間存在をいくつかの段階に分けて考察します。『現代の精神的な状況』で ースのいう現存在は、ハイデッガーの意味での現 は、現存在、意識、自己の三つです。ャスパ 存在とは異なっています。生存または現存くらいのごく普通の意味です。また意識は、この本 では精神と考えてよく、自己は実存にあたると考えてよいでしよう。 現存在としての人間存在は、経済や社会や政治の状況のなかにあります。しかし人間は、意 識をもち知識をもっことにより、意識でき知ることのできる空間という状況をつくり出しま す。さらに人間は、自己あるいは実存として、だれと出会うか、信仰はいかなる可能性に訴え るか、という状況から制約されています。状況は、人間存在の段階や個々の人間に応じて、異 なっています。したがって、ある時代の人間すべてにとり、ただひとつであるような状況は存 在しません。 ー 48

3. 実存主義入門

す。サルトルは社会学や精神分析学などの提示する経験についての資料を、全体化という総合 へと統合し、現存のマルクス主義をあるべきマルグス主義へと変え、たかめねばならないと確 信しています。 実存主義がおかれた基礎的状況 私たちはここで「弁証法的理性の批判』の内容をくわしく点検する必要はないでしよう。こ れまで見たことからも明らかなように、サルトルの実存主義は、現存のマルグス主義のふとこ ろに寄生するとされ、それを生きたマルクス主義へとたかめようとする理想をいだいています。一 対自存在は即自存在に対して存在し、即自ー対自という理想をかかげてたえず挫折するもので場 した。この構造は、ここにいきなりあてはめてはならないでしよう。しかし実存は必ずある特ル 定の状況のなかに存在しています。かっ必然的で普遍的な基礎的な状況との関わりにおいて存ル 在しています。マルグス主義を生み出した状況は、今日でも乗り越えられていません。サルト 義 ルは実存主義が位置する人間の境涯ないし基礎的な状況をこのように把握しているわけです。主 実存はたえず自己の外へと乗り越えてゆき、たえず自己から距離をとって存在することを欲実 しています。人間の存在は自由です。そしてこの自由はいつもある状況内での自由です。自由 8 はいつも与えられたものからの脱出であり、事実からの脱出であります。そして人間は自由の

4. 実存主義入門

刑を宣告され、自由のなかへ投げこまれています。自由は人間の事実態です。しかも人間は自 由として以外には存在しえません。この自由から見ると、即自としての所与は、自由の原因で も理由でもなく、自由の動機です。自由は状況のなかにしか存在しませんし、状況は自由によ ってしか存在しません。 この自由と状況との関わりあいは、そのまま実存主義と、実存主義がマルグス主義の余白に 寄生する状況との関わりあいとなっています。 なぜ寄生しながら生かそうとするか さらに、対自は他の対自に対し、また、対自でない即自に対して存在するものでした。私た ちが自分で作り出したのではない障害や抵抗は私たちの状況を構成しています。サルトルは即 自は変えられないが、即自に対する対自の関係は変えられるといいます。即自としての所与 を、自由の原因や理由としてでなく、まさに自由の動機として受け取ることは、即自に対する 対自の関係を変えることでしよう。しかしこれによって、即自はやはり即自であっても、対自 からの意味づけは変わっているわけであります。自由とは、存在のなかにおけるある拘東から の脱出であります。 こう考えますと、自由は、ある与えられた存在に対しては、存在の欠如であります。この意

5. 実存主義入門

⑧存在の意味は時間である ⑨『存在と時間』の意図 パースの場合・ 6 実存哲学ーヤス 6 実存哲学の成立状況 ①『現代の精神的な状況』 実存哲学のはじまり ④「世界観の心理学』 ⑤理性の強調 ハイデッガーとヤスパース ①理性の哲学 7 実存主義ーサルトルの場合 : ①マルセルの立場 ①実存は本質に先立っ ③主体性と状況 141 175

6. 実存主義入門

味で存在の穴であり、存在の無であります。そうだとしますと、自由は、存在の中心にひとっ の穴として出現するためには、全存在を必要とします。この自由な投企は私の存在でありま す。そして自由な投企において、私はたえず私の外に乗り越え、存在のなかにおけるある拘東 から脱出します。 実存主義がなぜマルクス主義の余白に寄生するのか、しかもマルグス主義を生きたマルグス 主義たらしめようとするサルトルの動機はどこにあるのか これは、自由は状況づけられて いるというサルトルの考えに基づきます。 合 場 の 9 人間学としての実存主義 ル ル サ 人間は投企てあり、投企によって実存てある 義 人間的な実在を対自存在と考え、対自と即自との差別と間柄を現象学的に分析する『存在と主 無』も、実存の構造を必然的で普遍的な諸限界の全体である基本的な状況との関わりあいで考実 える「実存主義はヒューマニズムである』も、状況をマルクス主義を生み出した状況という 8 ように限定して把握してはいません。しかし、この把握の変化の動機を、サルトルの著作と行

7. 実存主義入門

かなければなりません。 境涯という人間の基本的な状況 先はど、サルトルはけっして人間における普遍性を否定していないとのべました。それにも かかわらず、実存主義という名前を耳にするとき、実存と主体性という言葉を口にするとき、 私たちは人間の個別性が強調されていることを疑っていません。実存、つまり主体性は各自の ものです。実存が各自のものであるかぎり、理性とか感性とか精神とか生命とかいう普遍的な 本質を個々の実存のなかに見いだすことはできません。また実存が各自のものであるかぎり、一 普遍的な人間本性という本質をいくら限定していっても、この私の自己という独自なものは出場 てきません。さらに、実存としての主体性から出発し、それを存在するかぎり、実存したあとル ル で各自の自己が普遍的な本質に変わるということもありえません。いったいサルトルはどこに サ 人間というものの普遍性を認めているのでしようか。 サルトルは人間本性という普遍的な本質ではなく、境涯 (condition) という人間の普遍性を主 語ります。境涯とは、宇宙のなかの人間の基本的な状況 ( 。一 ( ua ( ぎ n ) の下図となっている、ア ( 実 プリオーリな諸限界の全体のことです。わかりにくい説明ですが、歴史的な状況がさまざまに 変化しても、人間の基本的な状況は変わらないと考えられます。つまり、世界のなかに存在

8. 実存主義入門

まず現存在の時間性は、実存の構造の分析からわかるように、有限な時間性です。死という 終末〈向かう実存、死の可能態を見越して覚悟をきめている実存ーーこの本来の自己において こそ、現存在の存在の意味である有限な時間性が読みとられます。終末を見越して覚悟をきめ る実存は、覚悟をきめることによ 0 て現在の状況〈、行為の状況〈と立ち戻ります。現在の状 況、行為の状況への立ち戻りとは、出発点であった日常態のひとへと再び頽落するのではあり ません。覚悟して、日常態のひとには被覆されていた伝統と世界の真相を受け取り直すので す。 現在の状況〈の立ち戻りは、現存在が帰属する諸世代の、伝統の、遺産の受け取り直しを意 味します。覚悟して、自己が帰属する共同体の運命を引き受けるのです。有限な時間性は、終 末という将来を見越して、現在〈の到来であり、現在〈の覚悟した立ち戻りであり、過去の積 極的な受け取り直しであります。有限な時間性こそ本来的な時間です。本来的な時間において は、将来とは現在〈の到来です。現在とは過去の受け取り直しです。現在〈と到来しつつ、過 去を自己固有のものとして受け取り直し引き受けること、これが現存在の時間性です。 実存の有限性は時間の有限性に基づく 現存在の存在としての実存の本来態は、右のような時間性を根拠にしています。それゆえ実 ー 34

9. 実存主義入門

ればなりません。 ところが実存としての考え方は、すべて私たちの精神的な風土から生まれたものではありま せん。私たちはさらに、私たちの状況のなかで生きてゆかなければなりません。私たちが私た ちの状況のなかで、何が現にあるのか、何が本当にあるのか、と問い求めてゆくかぎり、私た ちは私たち自身の実存から出発しているのです。 それでは、私たちの実存としての生き方は、私たち自身の状況のなかで形成されてゆくので あって、よその風土で生まれた実存についての考え方は不必要なのではないでしようか。 まず実存についての考え方は、たしかにまだはじまったばかりのものです。そもそも実存を たえまのない超越や投企とみなすかぎり、実存についての考え方の完成をまってこれを自分の 生き方に適用しようとする考えは矛盾しています。さらに実存はいつも事実や所与を離れられき ません。それどころか、投企された目標や目的自身が、やがてまた所与や事実のなかにいつもと え くりこまれてきます。 こうした構えそのものは、私たちの精神的な風土であろうとなかろうと、人間に共通な構えの のものであります。むしろ問題は、立ち出でるとか、超越するとか、投企するとか、そういう実 構えをもっ実存が、人間の本質として、これまでとらえられたことのない精神的な風土そのも のにあります。

10. 実存主義入門

の境涯または基本的な状況においてこれらの諸限界に出会い、それらと関わり、それらと関わ りながら自分を作りあげてゆくこと これが投企の了解の前提となる共通のことでありま す。 人間の普遍性はこの意味で語ることができます。 人間の本質は作りあげられるべき普遍性 しかし、この人間の普遍性は与えられたものではありません。それは永続的に作りあげられ てゆくものです。選択について前にいったことを考えあわせてみましよう。私は、私を選択す ることによって、普遍的なものを作りあげてゆきます。私は、どんな時代の人であっても、他 の人間すべての投企を了解することによって、普遍的なものを作りあげてゆきます。行為の選 択はある価値の肯定であり、普遍性を要求しうる人間性のある型を実現しています。この型は ひとつの投企ではありますが、普遍的に了解することができます。 サルトルにとっては、自由であること、投企として存在すること、自分の本質を選択する実 存として存在すること、絶対的であること、これは同じことを意味しています。具体的で歴史 的な状況のなかに存在する歴史的な実存は、人間の普遍的で基本的な状況または境涯との関わ りを生きてゆき、自分の本質を選択し作りあげてゆく実存なのであります。 ′ 90