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検索対象: 実存主義入門
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1. 実存主義入門

か、その区別はどこに根拠をもち、どの程度まで区別しうるか 思想にとり、課題という意義をもっています。 存在的と存在論的 いまのべたように、実存的と実存論的の区別は、存在的と存在論的の区別に対応して考えら れており、存在者に関わる態度が存在的であり、存在者の存在に関わる態度が存在論的であり一 ます。存在者を存在者として規定するものは存在です。存在者と存在とは同次元ではありませ場 ん。存在者からすると、存在は超越であります。したがって、与えられた事実としての存在者一 に関わる広義の経験的な態度を存在的と考え、この経験を成り立たせている本質的な制約な , り、根源的な条件なりに関わる超越論的な態度を存在論的と解してもよいでしよう。そう考え ますと、実存的とは、存在者つまり現存在に関わる態度であり、実存論的とは、この存在者の一 存在つまり実存に関わる態度であるということができます。 前にも > いましたが、・ トイツ語のエクシステンツィエールとエグシステンツィアールは、どの ちらも実存の形容詞です。ことに後者には、日本語で実存論的というときのロゴスないし理論実 を示す意味あいはまずありません。実存論的と訳すのは存在論的という言葉の意味にあわせた 5 からです。また存在的というのも、ギリシア語で存在者を示すオンからの造語です。 この吟味は現在でも、実存

2. 実存主義入門

うと、なおざりにしようと、現存在はそのつど自分自身を決めています。 実存問題はいつでも、実存することによってのみ決着がつけられます。ひとから自己への転 化は、実存がっかみとられたことです。自己からひとへの頽落は実存がなおざりにされている ことです。実存の様態は実存することによって変容します。実存することを先導する了解は、 実存的な了解とよばれます。 場 実存的と実存論的 ふたたび実存的と実存論的という区別に立ち帰るときがきました。実存的も実存論的も、と一 もに実存という名詞から出た形容詞であり、ドイツ語としては等義です。しかし、ハイデッガ , ーは区別して使います。 実存の存在論的な構造を理論的に透察すること、つまり実存の実存論的性格についての了解→ / イデッガーの存在的 (ontisch) と存 が実存論的な了解とよばれます。実存的と実存論的は、、 在論的 ( on ( 0 一 0 ch ) の区別に対応するといえます。存在者に関わる態度は存在的、存在者のの 存在に関わる態度は存在論的とよばれます。ハイデッガーは、キルケゴールの実存問題の提出実 は実存的であるといいます。実存の問いを実存することで決着をつけるのは、現存在の存在的 0 な心がけのひとつであるともいいます。

3. 実存主義入門

のとして明瞭につかみとり、徹底的に思索し抜きました。しかしキルケゴールにとり、実存論 0 的な問題提出は極めて疎遠なものであります。存在論的な視点からすると、彼は全く〈ーゲル 9 と、ヘーゲルから見られた古代哲学の統治権下にあるほどです。そこで、不安の概念について の論述を除けば、哲学的に学ぶべきことの多いのは、彼の理論的な著作ではなく、むしろ《教 化的》な著作の方です」と。 実存問題 (Existenzproblem) についてのキルケゴールの提出の仕方は、実存的 (existenziell) であり、自分のは実存論的 (existenzial) である、とハイデッガーはいいたいのです。 それでは実存的と実存論的とはどう異なるでしようか。ハイデッガーの抱負は、どこにメリ ットがあるでしようか。 3 実存的と実存論的 現存在の存在と存在了解 現存在が存在している事実は、構造を欠いた平板なものではありません。現存在はそれが存 在していることにおいて、存在することそのことを的としてどこまでも関わりをめぐらせてゆ

4. 実存主義入門

の類型論として把握するなら、その哲学的な傾向は全く見誤られてしまうといいます。それは 人間が何であるかを、人間がもともとそれでありうるものに基づいて間い求め、規定しようと ースの世界観論は実存論的 しているのだ、と批評しています。ハイデッガーによると、ヤス。ハ な人間学という問題構成の方向ではじめて開拓されたものです。事実的で実存的な諸可能態 を、その主要傾向と連関の点で叙述し、その実存論的な構造へと向かって解釈すること れが実存論的な人間学の課題となります。 二司 そこでハイデッガーは、ヤスパ ースのいう限界状況、つまり闘争や死や偶然や罪は、実存論 的で存在論的な意義をもっていることを強調します。ハイデッガーの考えでは、限界状況は実 存の実存論的な構造となりましよう。ともかくハイデッガーは『存在と時間』で、ヤスパ の「世界観の心理学』は実存論的な人間学への方向にある、と批評しています。 ャスパースのハイデッカー評 ところでヤスパ ースは、『哲学』のなかで名前こそあげませんが、ハイデッガーの実存論的 な存在論を拒否しています。ハイデッガーは、実存の構造、つまり実存論的性格を理論的に見 す ースにいわせると、実存論的な態度は、対象を認識す 透かそうとも・ていました。しかしャス。 る理論的な態度でしかありません。 6

5. 実存主義入門

ール、オントローギッシュ ともかくハイデッガーは、オンティッシュとエクシステンツィエ とエグシステンツィアールを対応させて使用しています。たとえば、実存論的な分析論は、そ れとしては究極的に実存的、つまり存在的なところに根ざしているといいます。これは実存論 的な分析論は現存在に根ざしているといいかえられます。現存在は存在者です。 なぜ現存在的といわず、実存的というか しかしすぐ疑間がおきるでしよう。実存とは現存在という存在者の存在でした。したがっ て、実存論的という態度が実存の構造を理論的に把握しようとすることはよくわかります。こ れに対して、実存的という態度は、実存を存在とする存在者、すなわち現存在に関わる態度で あります。存在者に関わる態度を存在的というなら、現存在という存在者に関わる態度は実存 的といわずに、現存在的とでもいえばよいことでしよう。それをなぜ実存的とわざわざいうの でしようか。この疑間はもっともです。以下しばらくこの疑問に答えなければなりません。 現存在の存在が実存です。現存在は実存します。むしろ現存在という存在者は実存するとい う活動に融解しています。前にもいいましたが、現存在者という表現が採用されないのは、人 間にあってはもともと存在する働きが優位を占めているからです。実存する活動こそ人間の本 質を示すともいえましよう。実存する活動にとって、手許に存在するか手前に存在するかで、 ー 00

6. 実存主義入門

し、そこで仕事をし、そこで他人のあいだに存在し、そこで死ぬという必然性です。 これらの必然的で普遍的な、つまりア・プリオーリな諸限界は、人間が存在するところにか ならず姿を示しています。これらの限界は、主体的なものでも客体的なものでもありません。 むしろそれらは、各自によって生きられるものとしては、主体的なものであり、いたるところ で出会い、いたるところで認めうるものとしては、客体的なものであります。人間はその実存 において、これらの諸限界と関わりながら自分を自由に決めます。つまり実存は、右にのべた ような諸限界との関わりを生きることによって実存なのであります。 実存は、これら諸限界の全体である人間の境涯、あるいは人間の基本的な状況と関わりをも っことによって、主体性として存在します。この人間の境涯ないし基本的な状況こそ、実存と いう個別的な主体性が出会い、認めることができ、それと関わりながら自由に決めている普遍 的なものにほかなりません。 4 投企と自由 すべての投企はすべての人に了解てきる ー 88

7. 実存主義入門

世のなかや伝統や公開的な既成の解釈に基づく存在了解や実存了解も、世のなかや伝統や既 成の解釈の真ん中にありながら、それにさからって根源的な経験を受け取り直そうとする存在 了解や実存了解もーー・・前者は了解の日常態であり後者は根源態であるという差異はありますが 現存在の、存在としての実存を構成する契機であることにはちがいがありません。実存す ることは、いつもそのつど、このような存在了解と、それに基づく実存了解とを含みかっ伴っ ています。実存することを先導する実存的な了解は、このような存在了解ないし実存了解を含 みかっ伴う了解であります。そして、このような存在了解ないし実存了解は、日常態であろう と根源的であろうと、かならずある特定の姿をとった存在の了解であり、特定の可能態での実 存の了解であります。したがって実存的な了解は、必然的に、ある特定の姿の存在の了解また はある特定の可能態にある実存の了解を含みかっ伴っております。 実存的な了解は、こういう構造のものであります。このことを明示することこそ、ハイデッ ガーの実存論的な了解のねらいといえます。ともかく、実存的な了解は、ある特定の姿の存 在、ないしある特定の可能態の実存の了解であります。このことは、実存的な了解の構造が事 実態に基づく実存態であり、被投態に基づく投企であること、簡単にいって、被投的投企・事 実態へ投げられて可能態を投げ開く事実的投企・被投的実存という逆説的な事態であることを 示します。

8. 実存主義入門

の境涯または基本的な状況においてこれらの諸限界に出会い、それらと関わり、それらと関わ りながら自分を作りあげてゆくこと これが投企の了解の前提となる共通のことでありま す。 人間の普遍性はこの意味で語ることができます。 人間の本質は作りあげられるべき普遍性 しかし、この人間の普遍性は与えられたものではありません。それは永続的に作りあげられ てゆくものです。選択について前にいったことを考えあわせてみましよう。私は、私を選択す ることによって、普遍的なものを作りあげてゆきます。私は、どんな時代の人であっても、他 の人間すべての投企を了解することによって、普遍的なものを作りあげてゆきます。行為の選 択はある価値の肯定であり、普遍性を要求しうる人間性のある型を実現しています。この型は ひとつの投企ではありますが、普遍的に了解することができます。 サルトルにとっては、自由であること、投企として存在すること、自分の本質を選択する実 存として存在すること、絶対的であること、これは同じことを意味しています。具体的で歴史 的な状況のなかに存在する歴史的な実存は、人間の普遍的で基本的な状況または境涯との関わ りを生きてゆき、自分の本質を選択し作りあげてゆく実存なのであります。 ′ 90

9. 実存主義入門

大切なのは世界観を生み出す人間を、当時のヤスパースがどう見ていたかということです。世 界観は信念や態度や世界像を含む具体的なものであって、その数はかぎりがありません。した がって、それを分類し、類型化し、秩序づけることは、どうしても具体的な世界観を抽象的に することになります。また分類や類型はどうしても有限なものとならざるをえません。世界観 がかぎりなくあるのは、人間が無限なものそのものであるからであります。世界観の諸形態は この無限なものそのものに属しているか、あるいはそのなかに潜在しているかです。この諸形 態を世界観の類型は分類して秩序づけなければなりません。しかし無限なものとしての人間に とっては、類型は有限であり、さらに抽象的であります。個々の人間は、類型としての世界観合 へ向かって決断するのではありません。高々その態度のなかへ入りこみうるだけであります。の ここから世界観の心理学の体系は、人間が無限なものである以上、ヘーゲルのような閉鎖的な一 ス 体系とはなりえません。 しかし世界観の普遍的な考察であるためには、世界観の心理学はできるだけ包括的で全体的一 で体系的でなければなりません。人間が無限なものである以上、この人間の完全な体系化は拒 否されます。しかし人間が生み出す世界観の類型は、何らかの仕方で体系化しなければなりま実 せん。そこで ( 類型に関して ) 体系的であろうとしながら、いかなる体系をも ( 人間に関して ) 支 配的としないように試みなければなりません。こういう逆説的な課題が生じます。

10. 実存主義入門

はこの分節に引き裂かれています。実存はこの分節の緊張した関わりあいであります。実存は この関わりあいにたえず身をさらしています。投げられていて投げ開いてゆく緊張した関わり あいというもともとの構造が目に見えるようになるのは、存在了解を含み伴う実存の構造が、 ほかならぬこの存在了解そのものによって示現せしめられ、見て取られるからであります。 私たちは実存的と実存論的との区別のより所を存在了解に求めました。存在了解を含みかっ 伴う実存の構造を手がかりとして、私たちは被投的投企という実存のもともとの構造にまです すみました。現存在が含み伴う実存的な了解は、被投的投企という実存の構造の了解によって 可能となります。被投的投企は実存のもともとの構造であります。実存はそのつどたえず被投 的投企でありつづけます。それゆえ、事実態、実存態、頽落という三つの契機は、そのつどた えず被投的投企でありつづけることを構成する契機であります。そのつどたえず被投的投企で ありつづけることが実存であります。投げられた事実態に基づいて、そのつど、たえず自己の 可能態を関わりの的とする実存は、もともと関心なのであります。ハイデッガーはくりかえし ていいます。現存在にとっては、それが存在することにおいて、この存在することそのことが 関わりの的となっている、と。 私たちはこの被投的投企のなかに、現存在の存在としての、実存のもともとの構造を見よう と思います。このもともとの構造に基づいてこそ、ある特定の実存的な了解が、実存すること ー 20