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検索対象: 家族関係を考える
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1. 家族関係を考える

れる。従って、女神のアマテラスは、その背後にタカミムスビという男性的な神格をもって、 事にあたっているのである。このように、日本神話の構造を少し見てみるだけでも、父・娘の ハターンが、日本人の心性を理解する上で重要なものであることが解るであろう。 フロイトが西洋文化における父・息子のパターンの重要性に気づき、その葛藤から生じるエ デイプス・コンプレックスを主要な鍵として、西洋の文化の謎をとこうとしたことは周知のこ とである。しかし、日本ではこれと異なり、母・息子のパターンを第一の鍵とし、父・娘のパ ターンを第二の鍵として考えてみる方がよいように思われる。 わが国における経済の急成長は、核家族化を促進した。西洋のモデルを心に描いている人々 はこれを進歩であると考えたのも当然である。しかしながら何度もくり返すように、日本の男 性はまず母性原理を身につけることを訓練されるのだから、若い男性たちが本来的な意味で父 親役を果たすことは、極めて困難である。いきおい家庭には母性原理が強くなりすぎ、それを 補償する父性原理の風は、どこからも吹いて来ないのである。日本の大家族制において自然に 生じていた多くの補償作用を破壊してしまったのだから、これから核家族をつくってゆく人 は、相当な反省と覚悟の上に立って家庭をつくっていくべきである。安易な核家族化によっ て、多くの家庭に悲劇が生じていることは周知のとおりである。 110

2. 家族関係を考える

をみることができる。ただ、守り神は一生を通じて一定とは限らない。今までアテーネの庇護 のもとにあった女性が、それを失ったときは随分と苦しまねばならない。あらたな守護神を見 出すまでの苦難は、時に、あまりにも厳しく、その人を死に追いやるときさえある。 逆に、父があまりにもみじめであったり、父にあまりにも拒否されたりしたために、天なる 父の存在に気づく女性もある。ある中年の女性は信仰心もあっく、幸福な家庭を築いてきてい たが、あるとき、世の中でお金というものには、一番多くの細菌がついているのだと聞かさ とこの誰が手に触れているか解らないと思 れ、それ以後お金が汚なく思えて仕方なくなった。。 うとたまらなくなって、遂にはアルコールで拭いたりするようになった。そのうちお金に触れ た手でさわったものまで、すべて汚ないように思われて、たまらなくなってきた。 これは不潔恐怖と言われているノイローゼの軽い症状であるが、彼女はカウンセラーのとこ ろに相談にゆき話し合っているうちに、夫の持ち帰ってくる月給に対して、有難いと思う気持 、 , 彼女はこのことか と汚ないという気持が交錯して、一番強い葛藤に襲われることに気づした。 , ら、夫をはじめ男性一般に対する根深い不信感の存在に気づいた。結局のところ、話は父親の ことにまでさかのばり、彼女は天なる父の助けによって生きてきたものの、彼女を拒否してい た実の父に対する復讐心ともいえるものが、心の中に底流として流れ続けていたことが明らか になった。男性に対する信頼感と不信感の葛藤は、彼女の「二人の父」の像から生じていたも 107 父と娘

3. 家族関係を考える

の心はますます近くなるのだが、遺書という言葉がでてきたのはやはり意味深く感じられる。 結婚は乙女の死を意味するものとして、結婚式が古来から葬式と類似の点を多くもっことは 4 章に述べたところである。 結婚にあたって、父・娘結合はどこかで切らねばならない。 しかし、日本においては、それ が切られてしまうことはない。母性的な裏づけはあくまで、そこにはたらいており、言語的説 明を超えた次元で存在している。いかに西洋の劇をよく演じ得る宇野重吉氏にしても、日本人 であるかぎり、家庭においてはエレグトラの出番はないように思われる。 父の娘 すべての男性は心の中に、「永遠の女性」の像をもっている。内なる女性像は外界の現実の 女性に投影され、そこにいろいろな関係が生じる。すべての女性の心の中にも男性像が住んで いる。このような内なる異性像は、一般に自分の親をモデルとして形成されてゆく。娘にとっ て、父親は内なる男性像のモデルとなる。娘はその後の人生経験の中で、これらの像を発展せ しめ、それに呼応する男性を見出し結婚してゆく ところで、父親が自分の内なる異性像を娘に投影することがある。わが国では夫婦間に内な る異性の投影が存在することは少ないようである。もちろん、恋愛中や結婚してしばらくは、

4. 家族関係を考える

がどれほど素晴らしい男性を選んでくるとしても、そこに生じてくるスサノオの怒りの存在を 知って欲しいと思う。『父親』 ( 河出書房新社刊 ) という本には、いろいろな人の親子関係が描 かれていて興味深い。その中で宇野重吉氏の「娘・志野の結婚」から少し引用させて頂こう。 娘の志野さんの結婚が決まるまでの父親の心の動きの記述は、父・娘の関係を手にとるように 描き出されているが、それは省略して、ひとつのエビソードを紹介しよう。もう結婚式も近い というある日、宇野重吉氏は奥さんを他のことで強くなじった。翌朝、重吉氏は自分の仕事部 屋に人ってゆくと、志野さんからの「手紙」がおかれていた。その中には、母親に対する弁護 が書かれ、お母さんを大事にして欲しいということが述べられてあった。 重吉氏は手紙を読んだ後で、金魚に餌をやりに庭に出た。「ひょいと顔をあげると、すぐそ こに志野がニャリと笑って立っていた。このニャリは彼女独特のもので、それですべてがこっ ちに伝わる。 ・『手紙があったでしよ』と娘が言う。『うん』と私は答える。『読んだ ? 』 「うん』『遺書だと思った ? 』私は吹き出した。『お前が何で遺書を書くんかい』私と一しょに 娘も面白そうに笑った。」これは何とも言えぬ素晴らしい親子関係である。そして、やはり日 本的であると思う。スサノオほどの激変ではないけれど、娘さんの「ニャリ」がすべてを説明娘 父 してしまい、そこには言語的なコミュニケーションを必要としていない。それにしても冗談と いうものは素晴らしい。娘さんの「遺書」という言葉で父も娘も吹き出し、それによって二人

5. 家族関係を考える

が、ここでもあてはまるようである。既に例示したように、父・娘結合は日本でも強いのであ るが、その在り方は精神分析学者の述べるような、父、母、娘間の明白な三角関係として見ら れるものではない。ハ 乂・娘結合の背後に、母性的なものが常に存在しているのである。このた め、娘が父への愛のために、母親殺しをするほどの凄まじさは生じて来ない。 日本神話の中で、オオクニヌシがスサノオの娘、スセリ姫と結婚しようとする話は、父・娘 結合の姿を見事に示しているものである。スサノオの住む根の堅州国を訪ねていったオオグニ ヌシは、そこで出会ったスセリ姫とすぐに愛し合うようになる。ところが、スサノオは若いオ オクニヌシにつぎつぎと難題を出し、彼も命を失いそうになったりするが、その度にスセリ姫 に救われる。二人はとうとうスサノオが眠っている間に、彼の財宝を盗んで手に手をとって逃 げ出そうとする。眼覚めたスサノオは追いかけてくるが、ヨモッヒラサカを越えて逃げてゆく 二人に対して、突然、祝福の言葉を投げかける。二人が仲よくオオグニヌシの国に帰り、そこ を治めるようにと願うのである。 娘の恋人に対するスサノオの態度の突然の変化は、多くの日本の父親たちにとって共感され るのではなかろうか。敵意から友情への変化が、何の説明もなく急に語られるところが、かえ って感動的である。芥川龍之介も、この話に心を動かされたのか、これをもとに「老いたる素 戔鳴尊」という短篇を書いている。結婚する前の娘さんには是非読んで欲しいものである。娘 102

6. 家族関係を考える

の症状を契機として、彼女の母は父・娘結合を解消し、はじめて夫との結婚をなしとげるし、 それを通じてこの家の二極分解作用にも終止符が打たれることになったのである。 それにしても、この母親の結婚を決定するときの彼女の父親の心の在り方を推察すると興味 深い。彼は意識的には、娘の幸福のためには少しくらい妥協しても結婚させなくてはと思い 無意識的には、彼女が不満足な結婚にあきたらず、父親のもとに帰ってくることを期待してい たのではなかろうか。しかし、実のところ、それらを超えた父なるもののはからいによれば、 この父と娘にとって自らを成熟させる上で、もっともふさわしい相手を選んでいたのである。 結婚において、当事者たちの意図をはるかに超えた選択の意志のはたらきを感じさせられるこ とは、実に多いものである。 スサノオの怒り 先の例に示したように、、 父・娘の結合があまりにも強いときは、いろいろと間題を生ぜしめ る。フロイトは、母・息子関係に注目してエデイプス・コンプレックスの存在を強調したが、 これを父・娘の場合にもあてはめて、エレグトラ・コンプレッグスと呼んでいる。エレグトラ娘 はギリシア悲劇の女主人公で、父への愛のために、母を殺害した人物である。ところで、 5 章父 にエデイプス・コンプレックスは日本人にとってあまり大きい意味をもたないと言ったこと

7. 家族関係を考える

いっ帰ってきても構わないよ」とつけ加えるのを忘れなかった。 父・娘結合の解消 こんな話を聞いていると、はじめにつくられた父・娘結合のパターンが破られないままに、 娘の結婚が生じ、そこにまた二代目の父・娘結合が生じていることは明らかである。家族の中 に起こる問題は、このように先代から継承されたものであることが多い。夫よりは父親の方が 素晴らしいと言いながら、そのような夫との結婚をすすめた父を非難しようとしない妻に対し て、それではあなたはどうして離婚して父親のもとに帰らないのかーーーそれは父親のひそかな 願いを成就することにもなるはずだが と問いかけてみた。これに対して、彼女は自分はい ま、夫に対してあらたな魅力を感じつつあると答えた。男らしいということは、父のように派 ハリ行動することだけではなく、夫のような地味な仕事を忍耐強く続けることかも知 れない、 と思い始めたのである。 これを聞いて、私は少女の嘔吐の謎がとけたように思った。二代にわたる ( ひょっとすると、 もっと続いていたかも知れない ) 父・娘結合の歴史も、そろそろ変革すべきときがきつつあったの である。そのときにあたって、小学三年生の小さい革命家はひとつののろしをあげたのだ、彼 女は、そのような歴史の繰り返しに「へどをもよおす」ことを宣言したのである。彼女の嘔吐 100

8. 家族関係を考える

嘔吐に苦しむ少女 最近は子どもの相談に両親がそろって来られる場合が多くなったが、ずっと以前に、両親そ ろって小学三年生の娘さんのことで相談に来られたことがあった。最近では母親が一人で喋り たて、父親は相づちの打ち役のようなことが多いのだが、そのときは父親が熱心に話をされ、 いかにも娘のことが心配でならないという様子であった。その少女は給食が嫌なのに無理に食 べさせられた後で、嘔吐したのがはじまりで、その後、まったく原因不明の嘔吐をくり返すよ うになった。父親が小学校教師なので、言葉は控え目であったが、給食を無理強いした担任に 対する非難は強く感じられるものがあった。ところで、父親の一生懸命な態度に比して、横に 坐っている母親が何だか他人の話をきくような感じであるのが気になってきた。みると、父親 の地味な感じに対して、母親は華やかな感じで、どこかに娘さんのような感じを残している。 娘さんの方をみると、母親の好みなのか派手な服を着ているのだが、くり返す嘔吐で気持が沈 むのか、暗い表情で何ともちぐはぐな感じを受ける。 この親子に会い続けているうちに、次のようなことが明らかになってきた。父親は小学校の 教師で、この長女を特別に可愛がり、小さいときから字が読めるとか、書けるとか喜んでいた が、小学校人学後も随分と成績がいいので大喜びだった。母親は子どもはもっとのびのびと明

9. 家族関係を考える

じめた。中学生といっても随分と体格がいいので、本気でなぐられたりすると母親もたまらな とうとう父親に訴え、今まで我関せずの態度をとっていた父親も、娘を叱りつけた。とこ ろが、娘の方は負けていない。逆に父親に喰ってかかる始末である。果は父と娘のなぐり合 一来ることになっ いにまで発展し、たまりかねて両親は娘を引き連れて専門家のところに相談に た。娘の暴力はそれでもなかなか止まずに両親を手こすらせたが、話合いを続けているうちに 母親の気づいたことは、娘が父親に当たり散らしていることは、本当は自分が夫に対してやり たかったことではないか、という事実であった。 母親は夫に従うことが大切と考え、いろいろと言いたいことも言わずに、ひたすら夫に仕え てきた。それが女の生き方だと思っていた。ところが、その間に無意識内に貯めこまれたもの は、そのまま娘が引き受けていたのである。といっても、娘が意識して母親の代弁をしたので はない。彼女にしてみれば、ともかくわけの解らないのに気持がふさぎ、自分の気持の解って くれぬ両親に文句を言ったまでのことである。母親がそのような事実に気づき、娘の力に押さ といっても口論になることが多かったが , ・・・・、ーを続けてゆくうちに、 れながら父親と話合い 娘の暴力はまったく消失してしまったのである。娘に背負わせていた自分の影を母親が自らの娘 と こととして引き受けることによって、問題は解決していった。母親の成長にとってどうしても 必要な、このようなことを生ぜしめるために、娘の暴力が起爆力として作用したのである。

10. 家族関係を考える

どうしても気に入らない嫁のことで相談に来られた姑さんに対して、私は、「牛にひかれて 善光寺参り」という言葉があるが「お宅のお嫁さんは、その牛ですよ」と申しあげたことがあ った。嫁との葛藤に疲れ果てて、この方は解決のための「よい方法」はないかとよく尋ねられ た。私はいつも「よい方法はありません」と答え、問題と直面してゆかれるのを支え続けた。 確かに、その苦しみの中から、その人は死について老いについて、宗教的な理解を深めてゆか れたよ、つに田 5 、フ。 根源にある母・娘結合 わが国の文化のパターンの基礎にある母。息子関係について疑間を感じた人は、何とかそれ を破ろうとする。自立ということが、その際強く意識される。しかしながら、わが国における 母性の優位性はなかなか崩れないので、自立を目指しながら、かえって、母・娘のパターンへ と退行してしまうような現象がよく認められる。 4 章において、自立を目指して姑と戦い、姑 と夫との結びつきの強さを嫌いながら、結局自分は自分の母親との結びつき、つまり、母・娘 結合の世界に安住しようとする女性について述べたが、それなどはこの典型である。 娘は母と同性であるので、母に同一化しやすい反面、母親の影を生きさせられることもよく ある。ある女子中学生は暫らく登校拒否をしていたが、そのうち母親に対して暴力をふるいは