どうしても気に入らない嫁のことで相談に来られた姑さんに対して、私は、「牛にひかれて 善光寺参り」という言葉があるが「お宅のお嫁さんは、その牛ですよ」と申しあげたことがあ った。嫁との葛藤に疲れ果てて、この方は解決のための「よい方法」はないかとよく尋ねられ た。私はいつも「よい方法はありません」と答え、問題と直面してゆかれるのを支え続けた。 確かに、その苦しみの中から、その人は死について老いについて、宗教的な理解を深めてゆか れたよ、つに田 5 、フ。 根源にある母・娘結合 わが国の文化のパターンの基礎にある母。息子関係について疑間を感じた人は、何とかそれ を破ろうとする。自立ということが、その際強く意識される。しかしながら、わが国における 母性の優位性はなかなか崩れないので、自立を目指しながら、かえって、母・娘のパターンへ と退行してしまうような現象がよく認められる。 4 章において、自立を目指して姑と戦い、姑 と夫との結びつきの強さを嫌いながら、結局自分は自分の母親との結びつき、つまり、母・娘 結合の世界に安住しようとする女性について述べたが、それなどはこの典型である。 娘は母と同性であるので、母に同一化しやすい反面、母親の影を生きさせられることもよく ある。ある女子中学生は暫らく登校拒否をしていたが、そのうち母親に対して暴力をふるいは
福にすることだと錯覚している親のために、子どもは家の外に出て「奉公」の苦しみを体験す るどころか、親の監視のゆきとどかぬことをよいことにして、安逸な生活をおくることになっ てしまうからである。現在の親は子どもに何かをしてやるよりも、できることでも敢てしない 愛情をもっことが必要なように思われる。 子どもに「他人の飯」を食べさせるとよいのではないか、と主張する親の中には、もう少し 考え直して欲しいと思わされることもある。よくあるのは、登校拒否の子どもをもった親が、 この子は廿えているのだから、もう少し厳しくするために他の家にあずけたり、施設にあずけ たりしてはどうだろうかと提案される場合である。こんなときにその提案に乗って、子どもを どこかにあずけるとすぐに登校し始めることがある。親も喜んで暫く様子を見た上でーー・・ある いは一年位たって進級してからーーー家に引き取ると、再び不登校が始まってどうにもならない ときがある。これは、子どもの方は家から離れることによって多少の進歩が期待できるにし ろ、親の方に全然変化が生じていないので、元の木阿弥になってしまうのである。 一般に子どもを他にあずけようと言い出す親は、子どもだけでなく親も変わらないと問題が 解決しないということに、気づいていない人ーーーというよりも、気づきたくない人 , ー , ・・なの で、これはなかなか簡単にことが運ばないのである。このようなときは、われわれは親の希望に 反対して、子どもを他にあずけたりせず、親子ともどもに苦しみ、ともに変化してゆくことに
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さや質の差などに注目して、ある程度の共存関係を見出してゆくことも可能であろう。しか し、円の中に入れるか入れないか、ということになると共存は極めて難かしい。 相手の男性のみではなく、その両親にも非常に気に入られて結婚した女性があった。それは 何から言っても結構ずくめの結婚であった。その女性も夫の両親を尊敬できることが嬉しかっ たし、他人から見ても、嫁・姑の関係は理想的にうまくいっているようだった。しかし、結婚 して半年ほどたっと、その女性は強い偏頭痛に悩まされることになった。医者に行くと、それ は心理的なものだと言われ、心理療法家の方にまわされてきた。結婚生活も問題はないし、夫 の家族ともよい関係にあるということであったが、長い話合いを続けた結果明らかにされたこ とは、姑は彼女を自分の「円」の中に一度も入れたことはないし、彼女も姑に対してそうであ る、ということだった。ただ、この二人の「賢い」女性は、意識的、無意識的な暗闘を、他人 には決して気づかせなかったのである。彼女はこのようなことを半分、無意識的にやり抜きな がら、「よい姑をもって幸福である」ことを、他人に語り、自分にも言いきかせてきたのであっ たが、彼女の身体はそのような欺瞞に耐えられず、頭痛という警告をおくってきたのであっ 娘 嫁・姑の問題は、わが国においては親子夫婦の別居がすすんだり、考え方が「近代的」にな母 ったりして、相当解決されたように思われている。確かに一昔前に存在したような非常識な 、」 0
思春期拒食症 こ来られた。娘さんは立っているのさえ痛々 母親に連れられて、中学二年生の娘さんが相談レ しいほどに痩せていて、骸骨に皮を張りつけたようだと言っても過言ではないほどである。親 子の服装や物腰から裕福な家庭の人で、知的にも高い人であろうことが類推された。娘さんは 痩せてはいても美人という感じである。母親の説明によると、こんなことになるまでは、まっ たく何の申し分もない子であったのに、中二になって、自分の写真を見て、「太っているから 嫌た」と言い、減食をし始めた。その写真は誰が見ても、別に太ってなど見えないし、本人も むしろ標準型というよりは、スタイルのよいほうであるので、そんな馬鹿なことをしなくても よいと説得したが全然聞きいれない。今まで大人しく親の言うことに従っていた娘が、頑とし て親の意見を受けつけず、自分は「太りすぎて、かっこうが悪い」と主張する。とうとう何も 食べなくなり無理に食べさせてもすぐに嘔吐してしまうようになった。そのうちに月経もと まってしまうので、身体の病気と思い病院に行こうとしたが娘が嫌がるので、ともかくこちら にやってきたのことである。 このような状は思春期拒食症と言われており、最近、先進国において増加してきたノイロ ーゼである。が国においても、未だ数は少ないが、われわれ臨床家の実感としては、相当増
もっとも一浪した後の受験のときにもめごとがあった。息子がさんの希望する法学部か経 済学部ではなく、文学部を受けたいと言いだしたのである。息子が文学部を受験する理由とし て、今までの統計では文学部の方が入学しやすいから、と言ったので、さんは激怒した。そ れは頑張りズムに反する行為である。父親の権幕に押され、息子は法学部を受け、見事に合格 した。家中大喜びであったし、さんは息子が跡継ぎの道をすすんでくる楽しみを味わった。 しかし、その後が悪かった。自 5 子は小説を読んだり、音楽にこったりしてほとんど勉強しな い。 << さんは妻からの報告で気にはしていたが、大学というのはそれほど勉強しなくてもいい ところだからと、あまり気にしなかった。二年間経た後でさんは息子がほとんど単位をとっ ていないことを知った。怒鳴りつけるさんに対して、息子は今度は負けていなかった。文学 をやりたいので、文学部に変りたい、聞きいれてくれなかったら退学し、家を出るという。 「お父さんは会社の跡継ぎは息子でなくっていいといつも言っているではないか」、だから自分 は自分の好きなことをするのだ、と息子は主張する。さんは息子の決意が強いのを感じただ けではなく、妻も娘も息子の側に立ち、自分だけが家族から「のけ者」にされているような感 じさえ受け、ショッグを感じた。言いたいことが胸の中に一杯ありながら、何も言えす、「勝 手にしろ」と怒鳴りつけるだけであった。 息子は文学部に転部した。その後家庭の様相は別に何の変化もないようであったが、さん 71 父と息子
は他の家ではそうではないことを知って驚いた思い出をもっていることであろう。父親という ものは毎晩お酒を飲むものだと思っていたのに、お酒を飲まぬ父親が居ることを知って驚いた り、母親は皆と一緒に食事をせずに、後で一人で食べるものだと思いこんでいたら、家族と一 緒に楽しみながら食事をする母親がいることを知って驚いたりする。そして、自分の家より親 類の家の方が何かにつけていいなと感じたりしているうちに、夜になってあたりが暗くなると 急に家が恋しくなり、涙を流したりしてしまう。やつばり自分の家、自分の母のいるところが いいことを感じながら、喜び勇んで家に帰る。このような経験をほとんどの人がもっているで あろう。 昔から、人間が成長して大人になるためには、「他人の飯を食べる」経験が必要であると考 えられていたのは、家族の保護から離れた生き方を味わうことの意味が認められていたからで あろう。これは多くの場合、「奉公に出る」形をとるものであったが、他人の飯を食べ、他人 と の厳しいしつけに耐えてこそ一人前になれるという発想である。現在でも、大学に入学して下そ ち 宿生活をして帰省してくる息子や娘に接して、急に大人になったような感じをもっ親もあるこ の とであろう。やはり、家庭の外に出てみることは、今でも意味をもっているようである。 ところが、折角家を出る経験をしても、むしろ逆効果のようなことが、この頃では増えてき家 ている。それは経済的に豊かになったのと、子どもに物質的苦労をさせぬことが、子どもを幸
ないとか、子供を棄てておく冷たい母親だろうとかいうように、何か道徳的な判断をもって考え ないようにして頂きたいと思う。それはむしろ「運命的」とさえ言いたいものである。前章 天なる父と土なる父という言い方をしたが、母についても同様のことが言えるだろう。こ の母親は土なる母の要素があまりにも少ないのである。こんな場合に、娘は思春期になって身 体の変化が始まってくると、無意識的に、母Ⅱ土Ⅱ肉体、といった図式で表わされるものに、 強い嫌悪感や恐怖を感じることになる。彼女は土なる母性を否定しようとして、自分の肉体を 否定し、ひいては自らの生命をさえ否定しようとする。 このことは次のようにも一言えるかも知れない。既に述べてきたように、子どもは男であれ女 であれ、母親との結びつきということが、まずもっとも大切なことである。しかも、この結び つきは動物的なものであると言ってよいほどに、われわれの意識以前の深い次元のものであ る。この事例の娘さんが、これまで普通に育ってきたことは、この母と娘との間に、ある程度 の望ましい結びつきが存在したことを示している。しかし、思春期という大変な時期にお、 て、母・娘の結合の在り方を、食物の摂取という人間にとって根源的な次元において、もう一 度確認することを、否定的な形においてではあるが、娘は母に対して間いかけているのだ、と 考えられるのである。このような問いかけに応えるために、治療者の助けによって、母子とも に努力を続けねばならないのだが、それは、素人考えで、母が娘に親切にしてやればよいと思
とにな 0 てしまった。最初の意図の片鱗は、本書のなかに少しずつ認められると思うが、ー家族・ カら く一」とは、日疋非とも , 4 日国と , のことをが、の やってゆきたいことと思っている。ともあれ、本書によって、家族間題に苦しんで居られる方 方が、それは小さいことではなく、わが国の文化や社会の問題にもつながる大きいことである と自覚され、それと取り組んでゆかれる際に、本書が少しでも役立てば、著者としてまことに 幸である。 『本』に連載中は講談社の編集者、天野敬子さんに随分とお世話になった。天野さんは読者と のパイプ役として情報を伝えるとともに、著者をうまく励まして仕事を完成させて下さった。 本書の出版にあたっては、学芸図書第一出版部の鈴木理氏にお世話にな 0 た。ここに厚くお礼 申しあげる。 一九八〇年八月 著者 188
危思想ーー美婦の絆は親子の絆と十字に切り結ぶものである。 新しい合は、古いものの切断を要請する。若いニ人が結ばれるとき、 それは当然な , がら、それぞれの親子関係の絆を切り離そうとするものである。 一度切り離された絆は、各人の努力によって新しい絆へとっくりかえて 行かねばなあない。この切断の痛みに耐え、新しい絆の再製への努力を わかち合うことこそ、愛と呼べることではないだろうか それは多くの人の苦しみと痛みの体験を必要とするものである。 このような努力を前提とせす、ただニ人が結ばれたいとのみ願うのは、 愛などというよりも「のぼせ」とでも呼んでおく方が妥当であろう。 他の何事をしてもいいが、「愛するニ人が結ばれると幸福になる」という 危険思想にだけはかぶれないようにして欲しい、と願いたくなってくるのである。 カバー・カットⅡ・、 / ウスナー「オデッセイの箱」〈部分〉 R ( 三三一・ Ha ラ ne 一・ 1 本書より