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検索対象: 教養の基礎としての一般人間学
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1. 教養の基礎としての一般人間学

観察してごらんになりますと、皆さんは、思考することによって常に思考形成の中へ意志を流入させ ておいでになるということを認識なさるでありましよう。皆さんが自分のカで思想を形成なさる時、 また皆さんがその思想を他の思想と結び合わせようとされる時、これらの行為の総ては、非常に繊細 な意志作用によって浸されているのであります。 それゆえに私達は本当は次のように言うことしか出来ないのです。「意志作用とは意志作用が主で ある活動であるが、その内部に思考作用の底流を含む。思考作用は思考作用を主としているが、底流 に意志作用を持っている」と。すなわち、この二つの作用を図式的にすっきり分離してしまうことは 心性の一つ一つの働きを観察しようとする時もうすでに不可能となるのです。なぜなら、一つがもう 一つの中へ流れ込んでいるからに外なりません。 心性の働きについて皆さんが認めることのお出来になる諸作用が、お互いに相手の中へ入り込んで しまっているというこの現象は、心性の働きが表現される場である身体についても、明らかに見てと れるものであります。たとえば、人間の目のことを考えてごらんなさい。私達が目を全体として観察 しますと、目の中へは神経が入り込んでおります。ところが、目の中へは血管もまた入り込んでいる のであります。神経が人間の目の中へ延びていることによって、思考作用、認識作用が目の中へ流入 します。また血管が目の中へ延びていることによって、意志作用が目の中へ流入します。このように 感覚作用の末端に至るまで、身体の中でも、意志的なものと表象ないしは認識的なものとが、お互い にからみ合っているのです。このことは、総ての感覚についてそうであり、また意志に仕えている総

2. 教養の基礎としての一般人間学

みようと思うのですが、実はそうすることによって、人間本性の別の二つの面である認識的作用と意 志作用を一そう深く理解する可能性も、また生じるのであります。 ただ私達はその際に、これまでにも色々な場合に私がくり返して述べてまいりましたことを、もう 一度はっきり思いかえしておく必要があります。すなわち、「心性の持っ能力というものは、思考、 感情、意志の三つに、そう図式的に区分できるものではない」という事を。と言いますのは、生きて 働く心性の中では、一つの働きは別の働きの中へ常に入り込んで行き移行しているものだからであり ます。 まず一方の側を占める意志について、考えて見ましよう。皆さんは、表象の、つまり認識的作用の 浸透していない何かを意志しようとしても、出来るものではないということが、おわかりになること と思います。ほんの表面的な意味で結構ですから、自分自身を観察して、御自分の意志の上へ自己を集 中してみてください。そうすれば、意志の働きの中に常に何等かの表象作用が入り込んでいることに、 そのつど気づかれることでしよう。もし皆さんが意志作用の中に何の表象作用をも混入しておられな いとするならば、皆さんは人間ではないでしよう。もし皆さんが、意志から湧き出て来る行動を表象 行動によって満たしていないとするならば、皆さんは意志から流れ出て来る総てのものを朦朧とした 本能的な行動を通して実現していることになります。 あらゆる意志作用の中に表象作用が入り込んでいるのと全く同様に、あらゆる思考作用の中には意 志が入り込んで居ります。たとえどんなに表面的にであろうとも、皆さん御自身の自己 (selbst) を

3. 教養の基礎としての一般人間学

することによってであります。霊性的心性的な意味においては、神経の占めている場所は空虚な場所 なのであります。神経が霊性や心性に全く関与しないことについて、また神経が生理学者や心理学者 の言うような働きを一切していないことについて、私達は神経に感謝しなければなりません。万一に も神経が生理学者や心理学者の言うような働きを五分間でも行うとするならば、私達はこの五分間の あいだ世界や自分自身について何一つ知ることが出来ないでありましよう。私達はその間眠ってしま うに違いありません。つまり神経は、その間は睡眠を仲介する器官、つまり感情を含む意志ないし意 志を含む感情を仲介するあの諸々の器官と全く同じ働きをすることになるからであります。 実際、生理学や心理学の中で「正しい真理」とされていることを取り扱うにあたっては、今日不愉 快なことが多いのであります。なぜなら人々は、「お前は世の中を逆さに見ている」と言うからであ ります。本当は、世の中の方が逆さに立っているのであって、これを精神科学によって正さなければ ならないのです。生理学者は「思考の器官は、神経、なかんずく脳である」と主張しますが、本当の ことを申すならば、脳組織や神経組織が思考的認識作用と関係を持つのは、それらが常に人間の肉体 機構から分離して行くという作用によってなのであり、そのおかげで思考的認識作用は自己展開をす ることが出来るのであります。 さあ皆さん、悟性の力をよく集中して厳密に考えてみてください。人間をとりまく世界、つまり人 間の感覚領域の中では、或る出来事が生じますと、それは直ちに世界の出来事の一環として、その中 に位置を占めます。たとえば、光は目を通して人間の上に作用を及・ほします。すると目の中で、つま 149

4. 教養の基礎としての一般人間学

私達は、意志が人間の肉体機構の中へ組み入れられている期間中の意志の本質について、これまで 見てまいりました。次に私達は、こうして把握した意志と人間との関係を、意志以外の本質を観察す るのに役立たせようと思うのであります。 皆さんもお気づきのように、私は人間の本質について今まで話してまいりました中で、主として、 一方に知的な、つまり認識的な働きを置き、他方に意志の働きを置いて考察いたしました。そして皆 さんに、認識作用が人間の神経組織といかに関連を持つものであるかを、また意志の強さが血液の働 きといかに関係しているものであるかをもお話し致しました。もし皆さんがここでもう一度ふり返っ てお考えになるならば、次のような間いが生じて来ることと思います。「では一体もう一つの、第三 番目の心的能力である感情作用 (Gefühlstätigkeit) はどうなっているのだろうか」と。このことにつ いては私達は確かにほとんど触れませんでした。この問題について、きようは少し立ち入って考えて 第五回 心性諸力の生命豊かな機構。好感ー意志。反感ー思考。倫理感覚の成長の本 質。感情は感覚作用、意志、および認識と如何なる関係にあるか。

5. 教養の基礎としての一般人間学

が教育学と呼んでいるものも、こういう感情から構築されなければならないのです。教育学はただの 学問であってはならず、芸術でなければならないのですが、常に感情の働きの中に生きることなしに 学びとられるような芸術が、一体どこにあるでしようか ? 教育学という名の偉大な生の芸術を実践 するために持たねばならない感情生活は、すなわち前述の教育学に到るために、私達が持たねばなら ぬこれらの感情は、偉大な宇宙を観照し宇宙と人間との関連を考察することによってのみ燃えあがる のであります。

6. 教養の基礎としての一般人間学

いう力は入胎と共に働きをやめるものだと考えられるかも知れませんが、実はこれは作用し続けてお り、私達は、相変らず私達の中へと光を送り込んで来るこの力によって表象を作っているのです。皆 さんは誕生前の存在の生命を自分の中に持ち続けているのですが、ただその生命を映し返す ( 想起す る ) 力しか持っていないのです。この力が皆さんの反感の中に生きているのであります。さてもし皆 さんが何かを表象なさるとすると、総ての表象は反感に出会います。そして反感の力が十分に強いと 内面化した像、つまり想起が生じます。想起とは、私達を支配する反感の産物の一つにほかならない のです。こうして皆さんは、同じ映し返しとはいっても、まだ漠然としている反感の生み出す気分的 なものと、はっきりした映し返しとの間の区別が得られます。後者は想起の中で今もなお映像の形で 活動している知覚作用の生み出す反映作用なのであります。想起とは反感の密度の高いものに過ぎな いのです。もし皆さんが皆さんの表象像に対して好感を持つようなことがあれば、皆さんはこれを 「のみ込んでーしまうでしようから、想起は全く起り得ないでしよう。皆さんが想起を持つのは、表 象に対して一種の嫌悪を持ち、これを投げ返すことによって表象像を現在化するからであります。こ れが表象の真相なのです。 皆さんがこの手続きを全部すまされた時、すなわち映像の形で表象を作り、これを想起によって投 げ返して像を捉えた時に生じるのが、概念 (Begriff) なのであります。このような在り方で皆さんは 魂の働きの片面、つまり私達の誕生前の生に関係する「反感」というものを所有しているのでありま

7. 教養の基礎としての一般人間学

体の状態を感知するために生命感覚をも持っております。この生命感覚によって、非常に多くの人が 影響を受けます。彼等は自分が食べ過ぎたか、食べ足りていないかを感知し、それによって、快適か 不愉快かを感じるのです。また彼等は自分が疲れているかそうでないかを感知し、それによって快、 不快をおぼえるのです。つまり自分自身の肉体の状態の感知が、生命感覚の中に反映するのでありま す。 こうして皆さんは、十二の感覚を手に入れられました。実際、人間は前述の十二の感覚を持ってい るのであります。 いくつかの感覚が認識作用の要素を持っているとする論に対して、揚足をとろうとする余地を私達 は除いてしまったのですが、それは、この認識作用的要素も、目だたない形ではあるにしても意志作 用の上に成り立っているということを、私達がおさえたからであります。そこで、これらの諸感覚を、 改めて分類して行くことが私達に許されるわけであります。まず最初に触覚、生命感覚、運動感覚、 平衡感覚の四つをとります。この四つには主として意志活動が浸透しております。この四つの感覚に よる感知作用の中へは、意志が作用を送り込んでいます。皆さんが立っという運動をされる際にすら も、どれほど強くこの運動の感知作用の中へ意志が働きを送り込んでいるかを、どうそ感じとってみ てください。静かな意志はまた、皆さんの平衡感覚の中へも作用を送り込んでいます。生命感覚の中 へも意志は強く働きを送り込んでいますし、触覚の中へも同様に意志が入り込んでいます。なぜなら ば、皆さんが何かに触れてみる時には、本質的に言って、意志と環境世界との間に対決が生じている

8. 教養の基礎としての一般人間学

明るさ (HeIIe) の中におられます。もしこれを概念的な言葉で言い表してよいとするなら、「皆さん は完全に意識化された行為の中に」おられるのであります。そして、もし皆さんが認識作業を行う際 に、もしも完全に意識化された行為の中におられないとするならば、それこそ大変に困ったことと言 わねばなりません。もし万一皆さんが、「自分がある判断を下すときには、自分の自我の意識下で何 かが働いて、その働きの結果が判断となるのだ」という感情を持たざるを得ないとしたらどうでしょ うか。皆さんが「この人間は良い人間だ」という時には、一つの判断が下されております。この判断 を下すために皆さんが必要としておられるもの、すなわち「この人間は」という主語と「良い人間 だ」という述語とは、皆さんにとっては、すみからすみまで意識の光によって照らし出されている或 る出来事の構成要素なのだということを、皆さんは明確に意識しておられなければなりません。万一 皆さんが、「自分が判断を下している時には、何だか知らない魔物か、さもなければ自然の働きが 『この人間は』と『よい人間だ』とを何となく一緒にくくり合わせるのだ」と感じなければならない としたら、皆さんは、この認識的な思考作用の中に完全な意識をもって入っておられるというわけに は行かず、常に意識下で下される判断と何がしかを共有しておられることになります。思考的認識の 際に本質的なことは、思考的認識行為の全体的活動の中に、皆さんが御自分の完全な意識をひっさげ て入り込んでおられるのだという事実であります。 意志の場合には事情は違っております。皆さんが良く御存知の例で申しますと、最も単純な意志作 用である「歩行」を実施される時には、皆さんが完全に意識しておられるのは、ただ歩行についての 114

9. 教養の基礎としての一般人間学

第十二回一九一九年九月三日 : 肉体という観点から人間を見る。肉体は生理過程から理解されなければならない。頭部と 動物界。思考形成。胸部と植物界。病気の本質。呼吸と栄養。骨格、筋肉、礦物界。 第十三回一九一九年九月四日 人間の内における霊的心的なものの働き。人間は堰堤の一種である。神経。血液。霊的な ものと肉体的なものとの関係から見た肉体的作業と精神的作業。有意義な運動と無意義な 。スポーツ。知的作業。 運動。睡眠。体操とオイリュトミー 第十四回一九一九年九月五日 人間の肉体の三層構造。各部は他部を内包せる完結体である。喉頭。言語。文法。高学年 の授業におけるファンタジーの役割。教師の生き方。 附録マリー・シュタイナーによる初版 ( 一九三二年 ) への序文 後記 273

10. 教養の基礎としての一般人間学

今までのところで私達は、子供を教育するに際して「どうしてもこれだけは必要だ」と思われる範 囲で、人間を心性という視点から理解しようと試みてきたわけです。私達はつまり霊性、心性、物質 性という三つの視点を区別しなければならないのであって、人間学を完全なものにしようと思うなら ば、この三つの視点のそれそれによって人間を観察していくことになるのであります。そして、最初 にとるべき視点が心性的観察でなければならないというのは、人間の普通の生き方では、まさに心性 的なもの ( 心の働き ) が一番手近に位置しているからなのです。そして皆さんは、私達が人間をそう いう視点から把握するために、反感と好感を主概念として用いて心性的なものを追っていったのだと いうことをも、感じとってくださったことと思います。ここで、もし私達が心性という視点から直ち に肉体性の視点へと移行して行くとするならば、それは適当とは言えないでしようが、それというの は、私達が精神科学的な考え方から、「肉体的なものは、それが霊的なものと心的なものの顕現 第六回 この連続講演の構成を概観する。霊性という観点から人間を見る。覚醒、夢 視、熟睡という各意識状態と、思考、感情、意志との関係。思考、感情、意志 の中における自我の生。