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検索対象: 教養の基礎としての一般人間学
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1. 教養の基礎としての一般人間学

なのです。 さて表象の映像的性質を考察する場合、これを何よりもまず質的にとらえる必要があります。皆さ んは表象の移動し易いことをお考えにならなければなりませんし、活動するという概念が、必ずしも 存在物の場合にあてはまるような意味では、ここにはあてはまらない事を捉えていなければなりませ ん。しかし私達は、思考的活動の中には映像的活動 (bildhafte T gke 一 ( ) しかないという事も考えてお かなければなりません。すなわち、表象の中で動くものは、みんな映像の動きなのであります。しか し映像とは何かの映像なのであって、何ものとも関係のない「映像ただそれ自身」というものは在り 得ません。もし皆さんが鏡に映る像と比較してごらんになるならば、次のように言うことがお出来に なるでしよう。「鏡からは鏡像が生ずるが、鏡像の中にある総ては一つとして鏡の背後にあるもので はなく、鏡とは無関係にどこか別の所にある。そして何が鏡に映るかは、鏡にとっては別にどうでも 良いことなのである。どんなものでも鏡に映ることができる」と。これと全く同じ意味で、表象する 働きが映像的なものであることを知ると、私達は次のような問いを発せざるを得なくなります。「表 象とは何を映した像なのだろうか ? 」と。これに対しての答えは普通の学問からは出ません。これに 答え得るのは、ただ人智学を基礎とする学問だけであります。表象とは、誕生以前ないしは受胎以前 に体験した総ての体験の像なのであります。皆さんは誕生以前ないしは受胎以前に一つの人生を生き 抜いて来たという事を明瞭に認識しない限り、表象というものを本当に理解することは出来ないので あります。そして普通の鏡像が空間的に鏡像として生じて来るように、死と新しい誕生との間の皆さ

2. 教養の基礎としての一般人間学

表象複合体の目覚めであります。忘却とは何でしようか ? ・それは、この表象複合体の眠り込みのこ とであります。このように言うとき初めて皆さんは、一つの真実を真実の体験に照らし合わせること新 が出来るのであり、単なる言葉の説明から脱却するのであります。皆さんが常に目覚めと眠りとにつ いて考察し、眠り込む時の自分を体験したり他人が眠り込む所を見たりされる時、皆さんは真実の出 来事を手中にしておられるわけです。皆さんが、この真実の出来事に忘却という内的な心性の働きを 関係づけられーいたずらに言葉と結びつけることなくーこの両者を比較されるならば、次のように言 うことがお出来になるでしよう。「忘却とは、或る別の場で起る眠り込みであり、想起とは或る別の 場で起る目覚めに過ぎない」と。 皆さんは、真実を真実と比較することによってのみ、霊性的な意味での世界理解に達することが出 来るのです。肉体と霊性とを本当に関係づけることが出来るために、少なくともその末端の部分だけ でも明らかにするため、皆さんは子供の時期を老年期と比較して見なければならないのですが、それ と同じように、想起作用と忘却作用とを比較し、これを眠り込みと目覚めという現実に関係づけるよ うに試みていただきたいのです。 人間が現実の中へ、または事実の中へ入り込んで行くようになることは、人類の将来にとって非常 に必要なこととなってまいります。今日の人間はほとんど言葉だけで考えておりまして、事実で考え ることをしておりません。私達が想起を問題にする時は私達の目の前に一つの事実、つまり目覚めと いう事実があるのですが、今日の普通一般の人間はどのようにしてこの事実に気付くのでありましょ

3. 教養の基礎としての一般人間学

前回にお話し申しあげました観点から、皆さんは人間の肉体の本性を、霊性と心性から概観するこ とがお出来になるのでありますが、これがお出来になりますと、人間の肉体本性を構築し発達させる 営みの中へ、必要なものを容易に採り入れることがお出来になるでありましよう。でありますから、 この霊的心的側面からの あと何日か残っております講演の中で肉体の問題に入って行きますまえに、 観察を、もう少し続けてみようと思うのです。 昨日皆さんは、人間が頭部的人間、胸部的人間、四肢的人間の三層より成り、この三層のそれぞれ が、心性と霊性の世界に違った関わり方をしていることを御覧になりました。 人間の頭部の構造を眺めて、私達は昨日、「頭部はまず何よりも肉体そのものである」と申しまし た。胸部的人間を、私達は「肉体的」であると共に心性的であるとみなさなければなりませんでした 3 し、四肢的人間を「肉体的」心性的、霊性的であると見なさねばなりませんでした。しかしながら、 第十一回 頭部、胸部、四肢部と、それらの肉体的・心的・霊的成長。教育は眠りを覚ま す仕事。母乳。芸術的授業により意志を経て本能を目覚ませる。成長の促進と 抑制。それとファンタジーおよび記億との関係。

4. 教養の基礎としての一般人間学

れらの場所において、私達は私達の好感と反感とによって心的なものの中へと組み込まれるのであり ます。そしてまた私達は、交感神経系中の神経節が発達している場所で、もう一度同じように心的な ものへの組み込みを受けるのであります。 私達は体験という営みによって宇宙の中へ組み込まれております。私達が諸々の仕事を展開し、こ れらを宇宙の中で発展させて行かねばならないのと同じように、宇宙は私達を手段として諸々の作用、 すなわち好感と反感の作用を展開するのです。私達が人間としての私達自身を眺めてみるならば、私 達自身が宇宙の好感と反感の作用の作り出した結果であることがわかります。つまり「私達は私達の 内部から反感を育て上げる。宇宙は私達を手段として反感を育て上げる。私達は私達の内部から好感 を育て上ける。宇宙は私達を手段として好感を育て上げる」ということなのであります。 さて私達は人間として外形的に言うならば、頭部組織と胸部組織と、そして四肢をそなえた本来の 意味での肉体組織とから成り立っております。ここで注意していただきたいのは、こういう分け方に 対して異論がすぐに出るだろうという事なのですが、それは今日、分類と一 = ロえば各部分が截然と別れ ていなければ気がすまない人が多いからであります。そういう人々は、頭部組織、四肢を含む下腹部 組織を区別するのなら、それそれの組織は他と明瞭な境界を作っていなければならないとするのであ ります。区別するときには線を引こうというのでありますが、これは現実を対象とするときには出来 るものではありません。頭部の中では主として頭部的性格が支配するのでありますが、しかし人間を 全体として見れば全体が頭部なのだと言えるのであって、ただ頭部以外の部分は頭部的役割を主とは

5. 教養の基礎としての一般人間学

るのです。もしも皆さんが神経組織をそれ以外の腺、筋肉、血液、骨格などの要素から、 ( 骨格組織 はむしろ神経組織と一体にしておいてもよいでしよう ) 切り離してみることがお出来になるとするな らば、神経組織は生きている人間において、すでに屍体となっている部分なのであります。絶えず屍 体化していると言ってもよいのです。神経組織の中では絶えず人間の死が生じているのです。神経組 織は、霊的・心的なものに全く関係を持っていない唯一の組織なのであります。血液、筋肉等々は総 て、常に霊的・心的なものと直接の関係を持っておりますが、神経組織は、これらと直接には何の関 係をも持っていないのです。これが霊的・心的なものと関係を持っているのは、これが常に人間の肉 体機構から分離し死減して行くので「体内に存在していない」という形においてのみなのであります。 ほかの肉体部分は生きております。ですから、それらは霊的なものや心的なものと直接の関係を形づ くります。神経組織は絶えず死減しつづけます。そして人間に向かって絶えずこう言うのです。「お 前が成長することが出来るのは、私がお前の邪魔をしないからだ。私が私自身の生命を持って存在す ることをしないようにしているからだ」と。これが先に言った実に特異な点なのであります。ー心理 学や生理学の本の中には、「神経組織は、感受作用、思考作用、ないしは精神的・心理的作用一般を 仲介する器官である」と書いてあります。ですけれども、どういう機能のゆえに神経組織は仲介器官 の役を果すのでしようか ? ・それは絶えず生命から自分自身をしめ出すことによってであり、思考や 感受作用に何の妨害もしないことによってであり、思考や感受作用と何の関係をも結ぼうとしないこ とによってであり、神経組織の存在する箇所において、人間を霊性や心性の働きに関して虚の状態に 148

6. 教養の基礎としての一般人間学

して自分は馬車にでも乗せてもら 0 ているように肉体の中に乗りこんでおり、この乗り物によ「て運 んでもらっているのです。頭部が馬車に乗っているようにして肉体という車に運んで貰っていること によって、また、そうやって運ばれながら静かに坐して仕事をすることによってのみ、人間は明瞭な 意識を持って行動できるのであります。このように事実を総合されることによってのみ、皆さんは人 間の肉体の形姿についても、本当に正しい理解に達することがお出来になるのです。

7. 教養の基礎としての一般人間学

本当の意味での完成体に達することはあり得ず、生まれ出る 過程ですでに再び解体しなければなりません。これはあくま で種子でなければならないのであって、この種子は成長しす ぎてはならないのです。ですから、これは生まれる瞬間にす でに解体しなければなりません。ここで私達は、人間の本質 の中での非常に重要な部分に行きあたったのです。私達は人 間総体を、霊的 ( 精神的 ) 、心的 ( 感性的 ) 、物質的 ( 肉体 的 ) に理解することを学ばなければならないのです。すなわ ち、人間の中には霊的になろうとする傾向を持っ何かが絶え ず形成されています。しかしながら、人間はこれを大変大き な愛情をもって、しかも利己的な愛情をもって、肉体の中に 確保しておこうとするがゆえに、これは決して霊的なものに なり得ないのであります。これは人間の肉体性の中で解体流 出してしまうのであります。私達は私達の中に物質的な或る ものを持っておりますが、この物質的な或るものは物質的状 態から出て霊的な状態へ移行しようと絶えず意志しているの です。これを私達は霊的なものにさせないで、これが霊的な 血液 意志 好感 ファンタジー イマジネーション 識感起念 認反想概 経

8. 教養の基礎としての一般人間学

とって或る大きな意味を持っております。これを図式的に 描いてみますならば、次のように言えるでありましよう。 「頭部の形は、いわば内から外に向けて圧力がかけられ、 内側から外側に向けて風船玉のようにふくらまされて出来 上るのだ」と。人間の四肢を考える場合には、「外側から 内側にむけて圧力がかけられ ( これは人間の生において実 に大きな意味を持つのですが ) この圧力の方向が、ちょう ど額のところで入力と正反対の方向を向く」と考えてよい のです。内部にある人間的なるものは、内部から額へ向か って進むとお考えください。また手のひらの内側の面や足 の裏の内側の面を考えてごらんになりますと、それらの上 には絶えず一種の圧力がかかっているのがおわかりになる でしよう。この圧力は皆さんの額の部分を内側から押す圧 力と同じものでありますが、その方向が正反対なのであり ます。すなわち、皆さんが手のひらで外界を受けとめ足の 裏で大地を踏む時、手のひらや足の裏を通って外側から流 れ込んだものは、内側から額を圧迫するものと全く同じも 部 ← 243

9. 教養の基礎としての一般人間学

は一体どのように体験しているのかと申しますと、実 は従来インス。ヒレーション ( 直感 ) とか、直感的表象 とか、または無意識的に直感された表象とか呼ばれて 来たものの中で、私達はこれを体験するのです。芸術 家において、感情から出て目覚めた意識へと立ち昇っ て来るものは総て、ここにその火もとを有しているの です。ここで、感情的に体験されるものが最初に体験 されるのです。目覚めている人間において、しばしば 突然のひらめきとして覚醒的意識の中へ立ち昇って来 て像と化すものも、総てここで体験されるのです。 私の著書『いかにしてより高き諸世界の認識に達す るか』の中で「直感」と呼ばれている営みは、どんな 人においても意識下の感情生活の中に無意識的に直感 の姿をとって存在しているものを明るみに出し、完全 な意識へと高めて体験することに外ならないのです。 ですから特に素質に恵まれた人達が「自分達にはイン ス。ヒレーションがある」と言うとしても、そのインス 感情生活 無意識的直感的表象の中で の夢視的覚醒 思考的認識 像の中での完全覚醒 我 自 意志的行動 直覚の中での熟陲的無意識

10. 教養の基礎としての一般人間学

Ⅲ熟睡的ー直覚的ないし直覚された意志作用 もし皆さんが図を正しく描こうとされるならば、下図のようにさ れれば、事実を割合に易しく理解なさることができます。 なぜなら、皆さんは次のように言うことがお出来になるからです。 「矢印 1 の方向にむかって映像的認識作用は直感の中へと下り行く。 そしてそれは再び直覚の中から立ち昇って来る ( 矢印 2 ) 。但し、 この矢印 1 で示された認識作用は、肉体内への下降である。」と。 ここで考えてみて下さい。皆さんは静かに坐っておられるか立って おられるかしながら、ひたすら思考的認識作用にひたり、外部世界 の観察に没頭しておられます。皆さんは像の中に生きておられるの です。それ以外の場で諸々の事象に関して自我が体験していること は、肉体の内部へと下りて行きます。まず感情作用の中へ、次に意 志作用の中へ : 。けれども感情の中にあるものに皆さんはお気づ きになりません。意志の中にあるものにも始めは気づかれません。 ただ皆さんが歩き始めたり行動し始めたりなさいますと、その時に 皆さんは最初に感情作用ではなく意志作用を御覧になります。肉体 覚醒的 像による ( 映像的 ) 認識作用 Ⅲ 睡眠的夢視的 直覚的直感的 意志作用感情作用 130