組織 - みる会図書館


検索対象: 教養の基礎としての一般人間学
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1. 教養の基礎としての一般人間学

るのです。もしも皆さんが神経組織をそれ以外の腺、筋肉、血液、骨格などの要素から、 ( 骨格組織 はむしろ神経組織と一体にしておいてもよいでしよう ) 切り離してみることがお出来になるとするな らば、神経組織は生きている人間において、すでに屍体となっている部分なのであります。絶えず屍 体化していると言ってもよいのです。神経組織の中では絶えず人間の死が生じているのです。神経組 織は、霊的・心的なものに全く関係を持っていない唯一の組織なのであります。血液、筋肉等々は総 て、常に霊的・心的なものと直接の関係を持っておりますが、神経組織は、これらと直接には何の関 係をも持っていないのです。これが霊的・心的なものと関係を持っているのは、これが常に人間の肉 体機構から分離し死減して行くので「体内に存在していない」という形においてのみなのであります。 ほかの肉体部分は生きております。ですから、それらは霊的なものや心的なものと直接の関係を形づ くります。神経組織は絶えず死減しつづけます。そして人間に向かって絶えずこう言うのです。「お 前が成長することが出来るのは、私がお前の邪魔をしないからだ。私が私自身の生命を持って存在す ることをしないようにしているからだ」と。これが先に言った実に特異な点なのであります。ー心理 学や生理学の本の中には、「神経組織は、感受作用、思考作用、ないしは精神的・心理的作用一般を 仲介する器官である」と書いてあります。ですけれども、どういう機能のゆえに神経組織は仲介器官 の役を果すのでしようか ? ・それは絶えず生命から自分自身をしめ出すことによってであり、思考や 感受作用に何の妨害もしないことによってであり、思考や感受作用と何の関係をも結ぼうとしないこ とによってであり、神経組織の存在する箇所において、人間を霊性や心性の働きに関して虚の状態に 148

2. 教養の基礎としての一般人間学

す。神経は絶えず骨と化そうとしている存在であります。つまり人間の内部にある骨は常に高度に 「死んだ」存在でありますけれども、そのように神経はいつも死んでしまおうとする傾向を持ってい るのであります。動物の骨格は、かなり違った事情にあります。それは人間の骨格よりは、ずっと 「生きている」程度が高いのです。こうして皆さんは、人間の本性の一方の面をとらえることが出来 たわけです。すなわち、皆さんは、こう言ってよいのです。「死をもたらす流れが、骨格・神経組織 の中で作用している」と。そしてこれが一方の極なのであります。 もう一方の流れである常に生命を与える力は、筋肉・血液組織及びそれに付随する一切の器官の中 で働いております。神経が神経であって骨格では無い所以は、それが血液・筋肉組織と関係を保って おり、神経の中に住む骨格化しようとする衝動に、血液及び筋肉内で働いている力が対抗しているか らであります。神経が骨と化さないのは、血液・筋肉組織がこれと対抗して骨化するのを妨げている からなのです。もし成長の過程において、骨と血液および筋肉との間に誤った関係が生じると佝僂病 がおこります。この病気は骨格が正しく死んで行くのを筋肉・血液系統が妨害するとき生じるのです。 ですから人間の中で、筋肉・血液組織と骨格・神経組織との間に正しい相互関係が保たれることは、 非常に重要なことであります。私達の目の中へ、骨格・神経組織が入り込んで来る際、骨格組織は少 し後退して包壁の中にとどまり、骨格性の弱化したものである神経だけを目の中へ送り込んでおりま すが、これによって目の中には、筋肉と血液との中に住む意志的性格と、骨格・神経組織中の表象作 用とを結び合せる可能性が生まれます。ここでまた私達は、古い時代の学問では大きな役割を果した

3. 教養の基礎としての一般人間学

皆さんは食物を摂られる時、色々の礦物質をも体内にとり人れられます。皆さんがスープに塩で味 をつけられる時も、 ( 塩は食物の中にも含まれていますが ) 皆さんは礦物質を摂取されるわけです。 皆さんには、礦物質を摂ろうとする欲求も備わっているのです。こういう礦物質で、皆さんは一体何 をなさるのでしようか ? 頭部組織はこういう礦物類に対して関係を持っていませんし、胸・胴部組 織もあまり関係がありません。皆さんの四肢組織が、これと関係して来るのであります。四肢組織は、 これらの礦物類が体内で固有の結品形体となるのを妨けているのです。もしも皆さんが四肢組織の持 っ力を発達させておられないとするならば、塩分を塩の結品と化してしまわれることでしよう。四肢 組織、つまり骨格構造と筋肉組織とは、大地の礦物形成作用に対抗する性質を常に保持しておりまし て、礦物を解体する性質があるのです。つまり人間の体内で礦物質を解体する力は、四肢組織から生 じるのであります。 病状が植物的なものの範囲を越えますと、つまり肉体が植物的なものを体内に生成させ始める傾向 を示すにとどまらず礦物性の結品化現象をも体内に許すに至りますと、病気は一そう重大な危険な形 態をとることになります。たとえば糖尿病がこれでありますが、このような場合に人間の肉体は、宇 宙から受け取 0 た四肢組織の力を用いて絶えず分解して行かねばならないはずの礦物質を、実際には 分解することが出来ないでいるのであります。人体内部における病的な礦物化作用に起因する病気に 対して、今日の人間が何の支配力も持っていないのは、私達がこの種の病気に対して十分に治療薬を 用い得ていないことに原因があります。こういう治療薬は総て、視覚器官、脳、神経索等の生み出す 240

4. 教養の基礎としての一般人間学

ているということは、私達が脳神経に対して、より良く栄養を供給しているからにすぎないのです。 私達がより高度の認識を展開する可能性を持っているのは、私達が脳神経に動物よりも良く栄養を与 えてやることが出来るからに外ならないのです。しかしながら本来の意味での認識には、脳も脳神経 も全く関与するものではありません。脳と脳神経の関与するのは、認識を肉体機構の中に表現するこ とだけであります。 さてここで問題となるのは、「なぜ私達は頭部機構組織と、その反対側にある下腹部を含めての四 肢組織という対立関係を私達の中に持っているのであろうか」という問いであります。中間部の組織 については、しばらく措きます。この対立関係を私達が持っているのは、頭部組織が或る時点に宇宙 によって「吐き出された」からなのであります。人間は宇宙の反感によって頭部形成をしております 人間が内に持っているものに対して宇宙が、いうなれば非常な「吐き気ーを感じ、これを吐き出すと き宇宙の似姿が出来上るのです。頭部の中に実際、人間は宇宙の似姿を蔵しているのです。円い形を した人間の頭は、そのような似姿なのです。宇宙の反感を通して、宇宙は自分自身の似姿を自分の外 に作り出します。それが私達の頭部なのです。私達が私達の頭部を私達の自由を生み出すための器官 として使うことができるのは、宇宙がこの頭部をまず最初、自分から外へと追い出したからなのです。 性の領域を含む私達の四肢組織が宇宙の中へ密接に組み込まれているのと同じ意味で頭部も宇宙の中 に組み込まれていると考えていては、私達は決して頭部を正しくとらえていることにはなりません。 私達の四肢組織は宇宙の中へ組み込まれております。宇宙はこの組織を吸い込みます。宇宙は頭部に

5. 教養の基礎としての一般人間学

れらの場所において、私達は私達の好感と反感とによって心的なものの中へと組み込まれるのであり ます。そしてまた私達は、交感神経系中の神経節が発達している場所で、もう一度同じように心的な ものへの組み込みを受けるのであります。 私達は体験という営みによって宇宙の中へ組み込まれております。私達が諸々の仕事を展開し、こ れらを宇宙の中で発展させて行かねばならないのと同じように、宇宙は私達を手段として諸々の作用、 すなわち好感と反感の作用を展開するのです。私達が人間としての私達自身を眺めてみるならば、私 達自身が宇宙の好感と反感の作用の作り出した結果であることがわかります。つまり「私達は私達の 内部から反感を育て上げる。宇宙は私達を手段として反感を育て上げる。私達は私達の内部から好感 を育て上ける。宇宙は私達を手段として好感を育て上げる」ということなのであります。 さて私達は人間として外形的に言うならば、頭部組織と胸部組織と、そして四肢をそなえた本来の 意味での肉体組織とから成り立っております。ここで注意していただきたいのは、こういう分け方に 対して異論がすぐに出るだろうという事なのですが、それは今日、分類と一 = ロえば各部分が截然と別れ ていなければ気がすまない人が多いからであります。そういう人々は、頭部組織、四肢を含む下腹部 組織を区別するのなら、それそれの組織は他と明瞭な境界を作っていなければならないとするのであ ります。区別するときには線を引こうというのでありますが、これは現実を対象とするときには出来 るものではありません。頭部の中では主として頭部的性格が支配するのでありますが、しかし人間を 全体として見れば全体が頭部なのだと言えるのであって、ただ頭部以外の部分は頭部的役割を主とは

6. 教養の基礎としての一般人間学

通して来るものは皆さんの内部で一つに合体します。ですから私は別の講演の中で「四肢は挿入され たものだと考えなければならない」と言わざるを得なかったのです。私達は本当に一つの完全な世界 そのものなのですが、ただ外側から私達の中に入り込んで来ようとしているものは、その先端部分だ けが凝縮度を高めて可視化しているに過ぎないのです。すなわち、本来の存在のうちのごく僅かな部 分だけが、私達の四肢という形で可視化しております。したがって、四肢は確かに肉体的なものでは ありますが、それは本来人間の四肢組織の中に存在する霊性のほんの僅かな一分子でもあるのです。 人間の四肢組織の中には、肉体と心性と霊性とが存在するのです。肉体的要素は四肢の中に僅かに輪 廓をとどめているにすぎませんが、四肢の中には心性的要素も霊性的要素も内在しているのであって、 この事実が、本質的な意味で全世界を包摂しているのであります。 ここで人間について別の図を描いて見ることも出来ましよう。つまり、次のように言うこともでき るのです。「人間はまず第一におそろしく巨大な球であり、その球は全世界を包攝する。同時にまた 中位の球でもあり、また小さな球でもある。最も小さな球のみが完全に目に見える。中位の球は一部 分だけが目に見える。最も大きな球は、その放射線 ( 輻 ) の先端だけが目に見え、その他の部分は見 えない。 このようにして人間は、世界の中から、その形姿を得たのである。」と。 次にまた私達は真中の組織、つまり胸部組織の中に、頭部組織と四肢組織を併せ持っております。 もし皆さんが脊柱を肋骨を含めて観察なさるならば、これが自分を前面に向かって閉鎖しようとする 試みであることが、お解りになると思います。後方 ( 背面 ) は全体に閉鎖してしまっておりますが、 198

7. 教養の基礎としての一般人間学

這人らせません。もし頭部が動物的なものを作り出そうとする意図を強く持ち過ぎますと、これを受 け入れることを他の肉体機構が拒否し、頭部はそれを再び減却するために、偏頭痛その他に類する頭 部中の現象を引き起すのであります。 胴部組織も周囲の世界と関係を持っておりますが、これは動物系統とではなく、植物界の総体と関 係しているのであります。人間の胴組織 ( つまり胸部組織 ) と植物界との間には、或る不思議な関係 があります。胴組織、つまり胸部組織と言ってもよく、胴・胸部組織と言ってもよいのですが、この 部分の中で活動しているのは、血液循環の主機能と、呼吸および栄養摂取であります。これら総ての 活動は、外界の物質的・感覚的自然世界の中で植物界において生じている出来事と一種の相互関係に あるのですが、その関係は、しかし独特なものであります。 まず呼吸をとりあげてみましよう。人間は呼吸をする時、一体何を行なっているのでしようか ? 御存知のように人間は酸素を摂取し、これを生命活動の過程を通して変化させます。つまり炭素と化 合させて炭酸ガスと化しています。炭素は摂取された食物が姿を変えることによって、肉体内に存在 しています。この炭素が酸素を受けとり、酸素が炭素と結びつくことによって炭酸ガスが生じます。 人間が体内に炭酸ガスを持っている瞬間は、この炭素を逃さず体内に保持しておく良い機会であると も言えるのであります。もし人間がここで再び炭素を酸素から分離することが出来るとするならば一 体何が起るのでしようか ? ・人間が生命現象によってます酸素を吸い込み内部で炭素と結合させて炭 酸ガスを生じさせた時、もしここで酸素を再び分離して追い出し炭素の方は体内で加工するというこ 230

8. 教養の基礎としての一般人間学

しつつ破壊しようとしているからであります。霊性は総てを壊し去ろうとし、肉体は霊性のこの破壊 作用を抑制します。この霊的心的なものの破壊的な力と、絶えず肉体を作り上げて行く肉体の働きと の間には、平衡がとれていなければなりません。この破壊的な流れの中へ投入されているのが胸・腹 部組織なのでありまして、これこそは浸入して来る霊的心的なものの破壊作用に対抗し人間を物質で 満たして行く存在なのであります。しかし人間の四肢組織は胸・腹部組織をつき抜けて外に張り出し ておりまして、実に「人間における最も霊的なものである」ということが、お解りいただけることと 思います。なぜならば、ここでは物質からの形成作用が最も僅かしか生じていないからであります。 物質代謝という形で腹・胸部組織から四肢部分へ送り込まれるものだけが、四肢部分の物質的状況を 作り出しているのです。四肢部分は高度に霊的であり、それは自分自身を運動させる時、私達の肉体 を食いつぶす存在なのです。そして肉体は、誕生して以来素質として持っているものを、自分の内部 で発展させるという任務を持っております。もしも四肢が十分に活動することをしなかったならば、 もしくは適当な仕事をしなかったならば、四肢は肉体を十分に消耗することはできません。そうすれ ば胸・腹部組織は幸福な状態 ( 自分にとって気持のよい状態 ) になります。四肢によって食い減らさ れることが無いからです。こうして食い残された部分を、肉体は内部に過剰な物質性を生み出すため に使用します。この過剰な物質性は、人間が誕生以来その素質として持っているものに滲み透ります。、 この素質は、肉体に付与されているものなのですが、それが本来持つべきでは無いものによって浸透 されるのです。すなわち、地上的人間として物質的に持っているだけのもの、霊的心的な素質を何等 245

9. 教養の基礎としての一般人間学

現れておりますが、たとえば幾何学的立体の持っ線に現れる動きなどがそれなのであります。立方形、 八面体、十二面体、二十面体等々の立体は、人間が勝手に作ったものではありません。これらは、事 実として存在するものであります。ただ意識されない事実なのであります。これらの立体形態の内部 には、人間の意識下にある知識を不思議に想起させるものがあります。なぜ意識下の知識がよびさま されるのかと言いますと、それは私達の骨格組織が、ある種の本質的な認識を持っているからなので す。ところが皆さんには、皆さんの意識を用いて骨格組織の場まで降りて行くことができません。こ の認識についての意識は、消減して終うのです。それはただ、人間が意識の場で像として構築する 「幾何学上の図形像」の中に映し出されるのみなのです。人間は宇宙の中へ組み込まれております。 そして、人間は幾何学を構築することによって、自分自身が宇宙の中で実現していることをなそって いるのであります。 こうして私達は、一方では私達を含み込み常に死減を続けている世界の中をのそき込んでおり、他 方では私達の血液・筋肉組織の中へ突き入って来る総てのものの中へ視線を送っているのです。血液 筋肉組織の中へ突き入って来るものは、絶えざる運動、絶えざる変異の中にあり、絶えざる発生と生 成との中にあります。これは全く種子的なものであり、ここには死の要素は全くありません。私達は 私達の中で死に向かう過程を抑制しています。そして、ただ人間である私達だけが、この死の過程を 抑制することが出来るのであり、死に行くものの中へ、生まれ出て来るものを注ぎ込んでやることが できるのであります。もしも人間がこの地上に存在しないとしたならば、もうとっくの昔に死の過程

10. 教養の基礎としての一般人間学

さに呼吸することから出発するからです。母胎の中での呼吸は、いわば呼吸準備とでもいうべきもの で、これはまだ人間を外界との完全な関係にもたらすものではありません。本当の意味で呼吸と名づ けてよいものは、人間が母胎を離れる時に初めて始まるのであります。この呼吸は、人間の本質にと って非常に大きな意味をもっております。というのは、この呼吸の中にすでに、肉体を持つ人間の三 層構造の総てが含まれているからであります。三層構造をなす物質的人間組織の中で、私達はまず新 陳代謝をかそえますが、新陳代謝は、その一方の端において、呼吸と密接に結び合っております。呼 吸過程は新陳代謝的観点からいって、血液循環に関連しております。血液循環は、別の経路をたどっ て摂取された外界の物質を人間の肉体の内部へ運び込みますから、呼吸は一方の端にあって、結局は 全新陳代謝組織と関連しているわけなのです。 もう一方の端において、呼吸は人間の神経感覚組織とも関連しています。私達は息を吸い込むこと によって、たえず脳水を脳の中へ圧力をもって送り込んでおり、息を吐き出すことにより、これを体 内へ吸い戻しているのです。この運動によって、私達は呼吸のリズムを脳の中へ伝達しております。 このようにして呼吸は、一方で新陳代謝と関係しているのと同様に、他方で神経・感覚組織と関係し ているのです。こうも一一一〕えるでしよう。「呼吸は、物質界に入った人間と物質界との最も大切な仲介 者である , と。しかし私達は同時に次のことも認識していなければなりません。すなわち、「この呼 吸が、子供の場合には物質界での生命を維持するために人間にと 0 て必要な程度にまでは、まだ完全 に行われてはいない。少なくともある面では、まだ十分ではない。物質界に入り込んで来る人間には、