ているということは、私達が脳神経に対して、より良く栄養を供給しているからにすぎないのです。 私達がより高度の認識を展開する可能性を持っているのは、私達が脳神経に動物よりも良く栄養を与 えてやることが出来るからに外ならないのです。しかしながら本来の意味での認識には、脳も脳神経 も全く関与するものではありません。脳と脳神経の関与するのは、認識を肉体機構の中に表現するこ とだけであります。 さてここで問題となるのは、「なぜ私達は頭部機構組織と、その反対側にある下腹部を含めての四 肢組織という対立関係を私達の中に持っているのであろうか」という問いであります。中間部の組織 については、しばらく措きます。この対立関係を私達が持っているのは、頭部組織が或る時点に宇宙 によって「吐き出された」からなのであります。人間は宇宙の反感によって頭部形成をしております 人間が内に持っているものに対して宇宙が、いうなれば非常な「吐き気ーを感じ、これを吐き出すと き宇宙の似姿が出来上るのです。頭部の中に実際、人間は宇宙の似姿を蔵しているのです。円い形を した人間の頭は、そのような似姿なのです。宇宙の反感を通して、宇宙は自分自身の似姿を自分の外 に作り出します。それが私達の頭部なのです。私達が私達の頭部を私達の自由を生み出すための器官 として使うことができるのは、宇宙がこの頭部をまず最初、自分から外へと追い出したからなのです。 性の領域を含む私達の四肢組織が宇宙の中へ密接に組み込まれているのと同じ意味で頭部も宇宙の中 に組み込まれていると考えていては、私達は決して頭部を正しくとらえていることにはなりません。 私達の四肢組織は宇宙の中へ組み込まれております。宇宙はこの組織を吸い込みます。宇宙は頭部に
人間の肉体について考えてみます時には、これを、私達をとりまく物質的・感情的な環境世界と関 係づけて考える必要があります。なぜなら人間の肉体は常に物質世界と相互に関係し合っており、物 質世界によって支えられているからであります。私達の周囲の物質的・感覚的世界を眺めてみますと、 そこに見出されるのは礦物、植物、動物であります。物質的存在としての私達の肉体は、礦物や植物 や動物と近親関係にあるのです。しかしながら本当の意味での近親関係は、外面的な相似を眺めただ けで完全に解るというものではありません。人間と物質的・感覚的環境世界との相互関係を知ろうと 思うならば、自然界というものの本質の中へ、一そう深く入って行くことが必要となってまいります。 人間を物質的・肉体的な面に限って観察する時、私達は真先に、堅牢な骨格および筋肉を目にしま す。さらに深く人間の内部に入って行きますと、血液循環とそれに関係する諸器官のあるのがわかり ます。呼吸作用にも気づきます。消化機能もありますし、生物学でいうところの脈管組織より成る諸 第十二回 肉体という視点から人間を見る。肉体は生理過程から理解されなければならな 。頭部と動物界。思考形成。胸部と植物界。病気の本質。呼吸と栄養。骨格、 筋肉、礦物界。 226
いります。教師という仕事を果たすには、こういう事実も知るようにならなければなりません。さき ほどまでお話した前後二回の総括を通して、これらのことは解るようになりましよう。しかし教師は、 単に成長速度の観察だけを通して外面的肉体的に子供についての知見を得る方法にとどまってはなら ず、ファンタジーと記憶という観点を通して、「この子供は早期に身長が伸びすぎる恐れがある」 ( これは子供の記憶が良すぎる時におこります ) 「あの子供は体が未発達となる恐れがある」 ( これ は想像力が豊かすぎるときに起ります ) というようなことを学びとって行かなければならないのであ ります。肉体と心との関係は空理空論によってのみ知るべきものではなく、私達は育ちつつある人間 の中にも、肉体と心性と霊性との関係を観察することが出来なければなりません。想像力に満たされ た子供は、記憶力に恵まれた子供とは全く違う発育成長の仕方をするものなのです。 今日の心理学者達にとっては、どんなことでも総てが単純明瞭であります。記憶というものが存在 するので、心理学書の中には、「記憶とは、 かくかくしかじかだ」と記されます。ファンタジーとい うものがあるので、「ファンタジーとは、 かくかくしかじかだ」と記されます。ところが現実の世界 では、総ては相互に関係し合っております。私達が私達の理解能力を僅かばかりこの相互関係に順応 させるようにしさえすれば、この関係は捉えられるようになってまいります。言いかえれば、私達の 理解能力を、何でもかでも定義づけてしまうために使用するのではなく、理解作業自体を柔軟にして 行くように努めることなのでありまして、そうすれば、一度認識したものを再び変化させ、内面的・ 理念的に一そう高いものに作りかえて行くことが可能となるのであります。
このような心理学的観察によるよりも深くこの問題の理解にせまって行く方法があります。それは 皆さんが感受作用それ自体の本質を洞察することによって、「感受作用というものは、心性の持っ諸 々のカのうちの一体どれに一番密接に関係しているのか」という問いに答えられるようになることな のであります。心理学者達は事実を軽視しすぎております。彼等は感受作用を単純に認識作用のうち に入れてしまい、「我々はまず感受する。そして認知し、次に表象を生み、それから概念を作る : ・ ・」というのです。一見すると、そういうように事が進むようには見えましよう。ただ、このよう に捉えますと、感受作用とは本来どんな性質を持つものなのかが、全く顧みられないことになってし まうのです。 もしも私達が十分に自己省察を行い、感受作用の本質を本当に見通すならば、感受作用とは感情的 性質を混入した意志作用の性質を持つものであることが認識されます。感受作用は最初のうちは思考 的認識作用とは無縁であり、感情的意志作用ないしは意志的感情作用と近い関係にあります。現在ど れほど多くの心理学があるものかを知りつくすことは出来ませんし、感受作用の意志的感情作用ない しは感情的意志作用との近似性について何らかの洞察を行なった心理学が、どのくらいあるのかも私 は知りませんが、感受作用が意志作用と近親関係にあると言っただけでは正確とは言えないのです。 というのは、感受作用は意志と結合した感情、もしくは感情と結合した意志と近親関係にあるものだ からです。感受作用が感情作用と関係しているということに気づいていた心理学者は、しかし少なく とも一人はおりました。それはウィーンのモーリツツ・ベネディクトで、彼は実に優れた観察をする 140
いって思考的認識の中にのみ存在すること、夢視は感性作用の中に住み、熟睡は意志の中にあること を示したのでした。 理解するという行為は総て、本質的に言って、一つのものを他と関係づけることでありまして、こ の世では、一者を他者と関係づける以外に、理解ということは成り立たないのであります。この方法 論的前提を、私はあらかじめ申しあげて置きたいと思います。私達が自分自身と世界とを、認識作用 によって関係づける時、私達はまず観察を行います。観察という作業は、私達が普通の生活の中でし ておりますように感覚器官を用いて行う場合もありますし、もっと高い境地に進みますと、心性や霊 性を用いて、すなわち想像や直感や直覚の中で行うことも出来るのであります。霊的な観察といえど も観察には違いないのでありまして、これら総ての観察の補足として必要なのが、概念化して把握す る、つまり理解する作業なのであります。しかしながら私達にこれが可能となるのは、私達が宇宙の 中において、また環境世界の中において、或るものを他のものと関係づける時のみなのであります。 皆さんが人間の生を全体として捉えるようになさるならば、肉体と心性と霊性とに関する正しい概 念が得られましよう。ただ、そのような関係づけによって皆さんが得られるのは、私がこれから中し あげるように、理解のほんの入口の所にある初歩的段階のものにすぎないことを、念頭に置かれる必 要があります。皆さんは、こうして得られた概念を一そう深め高めて行かなくてはならないのです。 たとえば皆さんが、今ちょうど生まれたばかりの子供を観察なさるとします。その子供の身体の形、 動き、生命のあることを明示する表情、泣き声などを観察なさいますと、人間の肉体に関する像を皆 134
人間の肉体のこのような三層構造に注目いたしますと、頭部つまり人間の頭が、すでにそれだけで 動物の系列から脱却した完全な人間であるということが、何よりも明瞭になってまいります。 頭部には、本当の意味での頭部があります。私達は頭部に胴部を持っておりますが、鼻に関係する ものの一切がこれにあたります。そして私達は頭部に四肢部分をも持っており、これは体腔の中へと つながっております。すなわち口に関係するものの総てがこれであります。このように人間の頭部を 見ますと、人間が肉体として持っているものの全部がここに見られるのであります。ただ頭部におけ る胸部は、すでに小さく縮んで終っております。それはひどく小さくなっておりますので、鼻に属す る一切が肺臓に類するものに関係を持っていることは、ようやく漠然とわかる程度であります。です けれども鼻に属しているものは肺臓に関係を持っておりまして、この人間の鼻というものは、確かに 肺の変態したものなのであります。ですからこそ、鼻は呼吸作用を変形して、これを物質的な方向へ 向けて形づくって行くのであります。皆さんが肺は鼻より霊性的でないと考えていられるとするなら ば、それは間違いであります。肺臓はずっと精巧にできております。肺臓は鼻よりも一そう多く霊性 によって、少なくとも心性によって、浸されております。本当のことを言いますと、鼻は実際あっか ましくも顔の真中を占めて外に張り出しているのですが、肺臓は鼻よりもずっと心性的であるにも拘 らず、自分の姿を慎しやかに隠しているのであります。 物質代謝、すなわち消化作用や栄養摂取作用に属し、四肢の諸力を使って人間の内部へと作用を及 ・ほしているものの総てと近い関係にあるのは、人間のロに関連している器官であります。実際にロが、 259
すけれども霊性との関係を断ち切ることによって、それと共に 人間と世界との関係も断ち切られたのです。人間は次第に自我 性の中へと追い込まれて行きました。そのため宗教もまた次第 に利己主義的になってしまったのです。私の思うには、私達 は、今日もう一度霊的なものを見極めるところから出直して、 人間と霊性との関係を、ひいては人間と世界との関係を学び直 さねばならない時代に生きているのであります。 私達が自然科学的物質主義のとりこになったのは、誰の罪な のでありましようか ? 私達が自然科学的物質主義になったの は、主としてカトリック教会の責任なのであります。と言いま すのは、カトリック教会が八六九年に、コンスタンチノープル における公教会議で霊性を否認したからであります。そのとき 一体、何が生じたのでありましようか ? どうそ皆さん、人間 の頭部を観祭してみてください。頭部は世界生起中における地 上的事象の世界の内で、「人間の持っ外的器官中で最も古いも のである」という運命を持っております。頭部は高等動物に由 来し、更に起源をたどれば下等動物に達するものであります。 体 肉 肉体 心性 肉体 心性 霊性
るのです。もしも皆さんが神経組織をそれ以外の腺、筋肉、血液、骨格などの要素から、 ( 骨格組織 はむしろ神経組織と一体にしておいてもよいでしよう ) 切り離してみることがお出来になるとするな らば、神経組織は生きている人間において、すでに屍体となっている部分なのであります。絶えず屍 体化していると言ってもよいのです。神経組織の中では絶えず人間の死が生じているのです。神経組 織は、霊的・心的なものに全く関係を持っていない唯一の組織なのであります。血液、筋肉等々は総 て、常に霊的・心的なものと直接の関係を持っておりますが、神経組織は、これらと直接には何の関 係をも持っていないのです。これが霊的・心的なものと関係を持っているのは、これが常に人間の肉 体機構から分離し死減して行くので「体内に存在していない」という形においてのみなのであります。 ほかの肉体部分は生きております。ですから、それらは霊的なものや心的なものと直接の関係を形づ くります。神経組織は絶えず死減しつづけます。そして人間に向かって絶えずこう言うのです。「お 前が成長することが出来るのは、私がお前の邪魔をしないからだ。私が私自身の生命を持って存在す ることをしないようにしているからだ」と。これが先に言った実に特異な点なのであります。ー心理 学や生理学の本の中には、「神経組織は、感受作用、思考作用、ないしは精神的・心理的作用一般を 仲介する器官である」と書いてあります。ですけれども、どういう機能のゆえに神経組織は仲介器官 の役を果すのでしようか ? ・それは絶えず生命から自分自身をしめ出すことによってであり、思考や 感受作用に何の妨害もしないことによってであり、思考や感受作用と何の関係をも結ぼうとしないこ とによってであり、神経組織の存在する箇所において、人間を霊性や心性の働きに関して虚の状態に 148
内面から溢れ出す力によって、生徒達と皆さんとの間に「ある一つの関係」が生みだされます。最初 のうちは外面的な現実が、これと正反対な結果となる場合も起りえます。皆さんが学校に行かれると、 腕白小僧ゃいたずら娘が一緒になって皆さんを嘲笑することになるかもしれません。皆さんは、ここ で養い育てようとしている思考を通して十分に自分を強め、このような嘲笑に動じないようにならな ければなりません。このような事柄を単なる外面的な出来事として、ちょうど雨傘を持たずに外出し た時に突然雨が降り出したというような出来事と同質の事件として、受けとめられるようにならなけ ればなりません。実際それらは、いずれにせよ不愉快な出来事でありましよう。しかし普通一般に人 々は、嘲笑されることと傘を持たないでいる時に突然雨に降られて驚くこととを、同じ感情で受けと ることはしません。それとこれとは違うと区別して考えます。しかし私達は、この区別をしないよう に、嘲笑をまるで突然の雨と同じように受けとれるように、強い思考を発達させなければなりません。 私達がこういう思考によって満たされ、なかんずく思考に対しての正しい信頼の念をもつようになれ ば、前述のような境地が私達に開けてくるのです。そのために一週間かかるか二週間かかるか、ある いはもっと長い期間を要するかわかりませんし、その間中、子供達からは笑い続けられるかもしれま せんが、そのうちに必ず私達にとって望ましいと考えられる関係が私達と子供との間に開けてきます。 この関係を生み出すためには、私達は私達自身を作りかえることによって抵抗にうちかっていく必要 があります。私達はとりわけ私達自身を変革すべきであること、内面的で精神的な関係が教師と生徒 の間に成り立っていること、単に言葉や生徒にむかって発する警告や授業の巧みさばかりでなく、前
這人らせません。もし頭部が動物的なものを作り出そうとする意図を強く持ち過ぎますと、これを受 け入れることを他の肉体機構が拒否し、頭部はそれを再び減却するために、偏頭痛その他に類する頭 部中の現象を引き起すのであります。 胴部組織も周囲の世界と関係を持っておりますが、これは動物系統とではなく、植物界の総体と関 係しているのであります。人間の胴組織 ( つまり胸部組織 ) と植物界との間には、或る不思議な関係 があります。胴組織、つまり胸部組織と言ってもよく、胴・胸部組織と言ってもよいのですが、この 部分の中で活動しているのは、血液循環の主機能と、呼吸および栄養摂取であります。これら総ての 活動は、外界の物質的・感覚的自然世界の中で植物界において生じている出来事と一種の相互関係に あるのですが、その関係は、しかし独特なものであります。 まず呼吸をとりあげてみましよう。人間は呼吸をする時、一体何を行なっているのでしようか ? 御存知のように人間は酸素を摂取し、これを生命活動の過程を通して変化させます。つまり炭素と化 合させて炭酸ガスと化しています。炭素は摂取された食物が姿を変えることによって、肉体内に存在 しています。この炭素が酸素を受けとり、酸素が炭素と結びつくことによって炭酸ガスが生じます。 人間が体内に炭酸ガスを持っている瞬間は、この炭素を逃さず体内に保持しておく良い機会であると も言えるのであります。もし人間がここで再び炭素を酸素から分離することが出来るとするならば一 体何が起るのでしようか ? ・人間が生命現象によってます酸素を吸い込み内部で炭素と結合させて炭 酸ガスを生じさせた時、もしここで酸素を再び分離して追い出し炭素の方は体内で加工するというこ 230