信じる - みる会図書館


検索対象: 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩
163件見つかりました。

1. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

352 まったく同じ考えかたから出ていたのであって、それはことをロノンスは思ったのだ。 「家」という閉ざされた社会にしばりつけられた女性にも 私たちは、どこでそういう男性と女性との平和を見失っ とめられた、きわめて男性本位なモラルであったのだ。 たのだろうか。これをキリスト教の偽善性にのみもとめる 制度化された「家」からの解放なしに、私たちの社会でのは、あまりにもヨーロッパ的な図式ではないだろうか。 女性と男性との人格的な人間関係の成り立ちがつくり出さ裸を恥じるどころか、七歳にして席を同じくすることすら れるとは考えられないが、女性と男性とが平等の人格としを恥じてきたのである。私のような大正生れの現代人です て交わりをもとめるところにのみ、私たちの性に純潔の観ら、恋人と二人で村の道を歩くことに恥をおぼえさせられ 念が生れてくるのである。処女性や貞節が無意味になったたことを鮮明に記憶する。私たちの社会では、それはけっ のではなく、私たちを支配してきた旧い美徳が無意味になしてキリスト教がつくり出した偽善性ではなかったはすで ったのである。 ある。 男性の側からの要求としてでも、女性の側からの哀願と 今日の若い人々が恋人と道を歩くことに恥じらいをおぼ してでもなく、男性と女性との交わりのなかでのみ、性のえることが、まだあるのかどうか。しかしそれにもかかわ 純潔は論じられなければならない。「よろめき」の善悪がらす、私たちは裸を恥じているのである。喜びを拒絶する 問題なのではない。「よろめき」を必要としないような喜ところで性の交わりをいとなんでいるのである。 びが、男性と女性との交わりのなかにつくり出されること もういちど『チャタレイ夫人の恋人』のなかで、そのこ のなかでのみ、性の純潔は意味を持ってくるのである。 とを考えてみよう。ここでメラーズとコニイとの愛のいと なみの描写がひじように大切になるのであるが、いま私の 性をけがらわしいものと感じる感覚から私たちが解放さ手許にある流布本はもちろんそこのところが削除されてい れることが、性の純潔を論じる条件なのである。 るから、ここで紹介することはできない。二人が愛撫のい 「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥すかしいとなみのなかで、完全な調和の喜びに達するということを とは思わなかった」 ( 創世記 ) アダムとイ、、フとは裸を恥じ想像しながら、つぎの引用文を味ってほしいのである。 なかった。そういうアダムとイブとの交わりをとりもどす

2. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

他者が生きることに責任を負うてゆくこと、私はそのこ人間が人間に向って発しうる言葉は、たかだか「好き 芻とのほかに、愛というはたらきはないと信じたい。生きるだ」ということだ。その「好きだ」ということを「愛」と ことに意味が感じられず、ただ死を追いもとめることだけ錯覚するところに、どのように人間の愛情は悲劇をよびお こしていることか。一 like ou•とい一つべきところを、私た が日々の生であるような、そのような魂が存在する現実に あって、私たちは、そういう魂の苦悩に、どれだけ責任をちはすぐに I 一 9 「 e き u ・と告白してしまうのである。「好 負うているだろうか。 き」という名の愛は、他者が生きることに責任を負う愛で しかしまた、こうもいわねばならない。自らが生きるよはなくて、自己が生きることに他者を召し出そうとする愛 うにされていないで、どうして、他者が生きることに責任である。そのような愛は、好きになればなるほど、不安が を負うというようなことができるだろうかと。まことにそ深くなるというべきである。 のとおりなのである。 ひとり子をたもうまでに私たちを愛して下さった。その 私たちが生きることに責任を負うて下さる方がいる。そ愛の力が私たちを生きるようにしてくれた。そしてその愛 の手が昨日も今日も、そして明日も悩める魂や苦しめる魂 れが愛である。 「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたに招きを発しておられる。私たちは自らが生きるようにさ ちを生きるようにして下さった。」 ( ヨハネの第一の手紙四れているだけではどうにもならないのであって、その愛に の九 ) 奉仕してゆくことを通して、他者が生きることに責任を負 うてゆかなければならない。そこに私たちに開かれている そこに愛がある。まこと愛は神から出るものであり、神 が愛なのである。ひとり子をあたえたもうまでに私たちを愛の実践があるのではなかろうか。 愛して下さった、その愛にふれて私たちは生きるようにさ愛への奉仕、ただそのことのなかにのみ、私たちがこの現 れたのである。そして私たちは、他者が生きることに責任代にあって、十字架を負うてゆく道がある。そして、奉仕 を負うべき存在としてその愛の前に召し出されているのでのなかに死にきることにおいて、私たちは、生きてゆくこ ある。そのことのほかに、私たちが十字架を負うているととの力強い意味を見出すというべきである。このことは、 いうことの意味はないであろう。 けっして他人ごとではなくて、私自身へのいましめとして

3. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

356 僕らは、この小さい焔を輝く白熱に燃えあがらせることが なると信じるのだ。 現代は人間が技術に支配される時代である。男性と女性できます。今はまだです。まだその時ではありません ! との性のいとなみの中にさえ、技術万能の時代がやって来今は身を清らかに保っているべき時です。」 ていないとはいえないのである。悦びはテクニックのなか ( するということ だけで保証されている。女性の性感帯はどこになるか、な どという知識さえ備えていればうまくゆくと思っている。 「私はあなたを愛しています」、私たちは無造作にこうい 私はそういう愛の技巧をかならずしもけいべつはしない。 テクニック しかし悦びが技巧にのみ保証される交わりのなかでは、性うのだが、いったい私たちが誰かを愛するということは、 の純潔はますますどこかに見失われてゆくのである。大切どういうことなのかと考えはじめると、きわめてあいまい なのは優しいいたわりの心であり、暖かい心でいとなまれになってくるのである。とくにそれが男性と女性のあいだ でのことがらとして問われてくるとき、私たちは、相手を る交わりなのである。 そのような優しいいたわりの心でいとなまれる交わりは、ただ欲望充足の対象としか考えていないときにでも、しば 内部から一夫一婦の関係を要請せずにいないのである。そしば、「俺は君を愛しているんだ」などといってしまうの れが結婚の永遠性ということである、ゆるぎなき結婚といである。 うことの意味なのである。私たちはそのような結婚の永遠愛するという言葉は、大変魔術的な力を持っている言葉 性のなかでこそ、純潔に誇りを感じることができるのであである。「君を死ぬほど愛しているんだ」などといわれる る。 と、ほろりとしてしまって、もうすっかりまかせてしまっ 若き青年たちょ、と叫びかけたい。純潔は愛すべき宝なてもよい、と気をゆるしがちなものである。とくに現代は のである、と語りたい。もういちど、あのメラーズの愛の愛という言葉の氾濫の時代である。文学の世界でも映画に 手紙の一節をくりかえしてこの貧しい省察を閉じることにおいても、いかに愛という一一一一口葉が無造作に安っぽく使われ しょ一つ。 ているかを考えてみるがよい。しかし、愛という言葉の氾 「本当に春が来て、一緒に住めるようになれば、その時は濫が、じつは、現代人が愛に飢え、愛に渇いていることの、

4. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

は、後日、この章を引用して、それらの諸間題にふれるこ実なのである。そして私たちは、情ないことに孤独の自山 とになるかも知れないことを予感させられている。しかしというもっとも個人的な自由と、全体というもっとも非個 さしあたり、私は、孤独の自由に対立するものとして、こ人的な自由との間に、分裂する。ドストエフスキイはその の世界全体が問題となる自由を提出できればそれでいいのことをよく知っていた。彼のある作品の人物は、その点に である。 おいてまことに象徴的だ。ひとりの人類愛に燃えている高 この世界全体は、いくらでも細分できる。階級全体、民貴な人物は、隣りの男が憎くて、ついにその男に平手打ち をくわせてしまうのである。 族全体、家全体、あるいはある組織全体というふうにだ。 しかし私たち個人は、この全体の自由の前には、はなはだ 弱いのだ。何故なら個人の自由といったものは、その前に 信じられないということ は、捨て去るか、捨て去らなくても向こうの方が無視して この講演では、私は一つのくわだてを くれるのである。さらにいうならば、この全体の自由の旗 一つのくわだて もっています。それは、キリスト教の のもとでは、人の一人や二人、生きようが死のうが大した ことではないのである。戦争中、戦局全体を好転させるた内部にあってとにかく軽蔑されている「信じられないとい うこと」に、「信じること」と少くとも同じ価値を見出そ めに何万という兵士を見殺しにした将軍もいたではないか。 しかもなお、私たちは、この世界全体が問題とならざるうとするくわだてであります。 を得ない時代に住んでいるということを繰り返したい。そよく人々は、教会の内部の会合のときなど、自分を紹介 れだけでなく、私たちは、この時代の諸現実に対応するたするのに「信仰のあさいものですが」とか、「まだほんと っ にめに、何かの全体に所属していなければならない運命におうに信じるというところへ行っていない者ですが」という かれているのだ。全体の自由によって、私たち個人の自由前置をなさいます。なかなか御けんそんで、私なんか、そ 生保証されるということは、ストライキ一つとりあげてもんなけんそんの美徳に接しますと、つくづく我が身をかえ わかることなのである。しかもこの全体の自由に生きるとり見てから、「信仰のあさい」とおっしやるひと以上に、 いうことこそ、私たち人間の、眼を蔽うことのできない事ほんとうに「信仰のあさい」人間のような気がして来て、

5. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

った、と神父は感慨をこめて私に語るのであった。私は なく、彼のために苦しむことをも賜わっている」 ( ビリビ たいへん感動し、今でもそのときの神父の顔を忘れるこ人への手紙一章二九節 ) とパウロがいうのもそのことにほ とができないのである。 かならないと思われる。苦難の旅でないキリスト者の人生 自殺から自由にされているということは、たしかに大きは、キリスト者の人生といえないのかもしれないのである。 な喜びであるが、しかし、その喜びには神父が体験した ような苦痛がまた、になわされているのだということを考 自殺について考えてきた私が、さい キリスト者の自殺 えなければならない。そこに、苦難を迎える私たちキリス ごに、どうしても考えておかねはな ト者の道があるのだといってもよかろうか。私たちにとつらないことは、キリスト者の自殺という問題である。戦後 て苦難とは、あの十字架の上で流された血のことである。 の私たちの日本の教会の中に、キリスト者の自殺はけっし 私たちは人生行路の中でぶつつかるさまざまな苦難の前で、て珍しいことではなく、私自身でも数名のケースを知って いる。じつをいうと、私自身この問題をどう考えたらよい いつも、十字架を見上げる。十字架の上で主イエスが受け なければならなかった苦難を思うとき、私たちの苦難は何のか、まだはっきりした意見を持っていないのである。 でもないことである。しかしその十字架の主の苦しみが、 もちろん、私にそうした兄弟姉妹の自殺をさばくことな この私自身のための苦難であったことを深く知れば知るほどができるわけはない。しかしながら、私は、キリスト者 ど、私は人生行路であうさまざまな苦難の前で、それとたの自殺を、私たちキリスト者が少しあまく考えすぎていな いだろうかと憂えるのである。たとえは、そうした自殺者 たかう勇気があたえられてくるのである。 苦それだけではない。十字架であがなわれた私たちの生は、の遺族や友人たちによって書かれた文集などを読んで、私 鮟もはや、私たちのものであって私たちのものでないのだとは、あまりにも感傷的なロマンティシズムを感じる場合が 代知るとき、いいかえるなら、私たちひとりひとりに、十字多か 0 たのである。もう少し十字架の前で恐れてもよいの 現架がになわされているのだと知るとき、私たちキリスト者ではないか。さばくことはできるはすがないが私自身はキ リスト者の自殺を肯定的に受けとることはできない。同情 の人生行路はむしろ苦難の道だと知るべきである。「あな たがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではすることはできない。それではあの十字架の主の苦しみが、 たま

6. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

に対応するように高声を発して抗議した三島由紀夫の死をもわわわれは知っているが、たとえそれが高声であったからと 言って、その死を裁く権利はわれわれにはないのだ。三島氏をして、ああいう挙に出ざるを得なかった、彼をそうさせた 世の中の現実について、われわれは静かに思いをひそめなくてはならないのだ。 自殺者の声は人々の胸にしみわたる。ここにおさめられた四人の文学者がすべて共通して″自殺れについて論じている のもそのためである。死者の思想は、彼が死者たることによって形而上的な陰翳を帯びるのであるが、それはすでに述べ たようにわれわれの心の中に死からの呼び声が無意識にであろうとも、たえずひびいていて、死者の声に呼応せざるを得 なくなるからである。 唐木順三の『東尋坊』は、そういう視点から見るならば、いよいよその語りかけの深まりを感じさせてくれるであろう。 死因すらわからぬまま自殺した友人八百清顕の最後の場所東尋坊を三十年後に訪れ、投身した友人の行為を唐木氏は知る 限り克明に模倣する。そして友人八百の死を脳裡に再現する。平面的に見れは、遠い日の友情を偲ぶ行為とも、時を隔て ての若き自裁者の魂鎮めとも見ることができようが、実はこの自殺した友人に結はれた、唐木氏自身の死への魅惑を、唐 木氏は自らの魂鎮めを行うことによって、断ち切ろうとしているのである。唐木氏自身の自殺願望が、氏を八百清顕に結 びつけていたと見るべきであろう。 《八百よ。君は死に、私は生きのびてすでに半白頭翁になった。これは或いはその所を逆にしたかもしれない場合も ありえたのである。人生別離感無量。十二月三十一日というおしせまったぎりぎりの日に君は死んだ。私はもう東尋 坊へは行かない。君のことはもう書くまい。 ( 中略 ) 君は数え年二十五で死に、私は五十七歳になった。三十年、亡 男れよう、八百》 き友のことを胸の片隅にもちつづけてきた。リ 自殺を罪悪視する佐古純一郎氏の信じるキリスト者の立場を、われわれの国は長い間持たなかった。それでも自殺を肯 定したくないという人間共通の志向が . ( これがおそらくは本来的なものであろう ) たとえば武士の自裁を美徳のように考 えた時代に、殉死を禁じる掟の成立があったことなどにうかがえるのであるが、死による罪の浄化を願う信仰のような妄

7. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

318 パウロはこのように、断じてそうではない、というのであ の不殺生戒を忠実に生きている人なのかもしれない。すべ ての生あるものを殺してはならないということになると他るが、そのことは、イエス自身の言葉に拠りどころがある 者の殺害はもちろんのことであるが、当然自己の生命にまのはいうまでもないことである。すなわち、イエスは、律 法を破壊するためにきたのではなく、律法を完成するため でそれは及ばなければならないであろう。 しかしモーセの十戒の場合にも「あなたは殺してはならにきたのだという自覚に立っていた。「もし、あなたがた がモーセを信じたならば、私をも信じたであろう。モーセ ない」ということは、他者を殺してはならないというだけ でなく、自分をも殺してはならない、という意味がふくまは、私について書いたのである。しかし、モーセの書いた れていると受けとるべきであろう。いま私は釈義的な準備ものを信じないならば、どうして私の言葉を信しるだろう に立ってこのようなことをいうのではないが、私自身はこか」 ( ョ ( ネによる福音書五章四六節 ) とイエスははっき の律法をそのようにきくのである。つまり殺してはならなりいっているのである。「あなたは殺してはならない」と いということのなかには、他殺と自殺の両者がふくまれていう律法が、人聞に無効になったわけではない。私たちは 他者をそして自己をも、殺してはならないのである。あな いると受けとるのが、この律法の精神なのだと考える。 律法を犯すことが罪であるとするならば他殺が罪であるたは自らを殺してはならない。 ことはもちろんのこと、自殺もまたまったく同じ理由によ しかしモーセの十戒とか仏教の不殺生戒 って罪であるといわざるを得ない。そういう根拠に立っと 苦難について とかいってみたところで、キリスト者や きはじめて、私は、自殺は罪である、ということができる 仏教者でない者には、何だか。ヒンとこないことになるであ のだと思う。イエス・キリストの十字架の福音によって、 人間は律法から解放された。しかしそのことは、もはや人ろう。私たちはもう少し一般的な次元で自殺の現象を考え 間にとって十戒が無意味になったというようなことではなてみる必要があるのかもしれない。ひと口に自殺といって いだろう。「信仰のゆえに、私たちは律法を無効にするのも、その原因や動機は人によって違うだろうから、あまり であるか。断じてそうではない。かえってそれによって律抽象的に判断するのはよくないが、いま私は一応それを苦 法を確立するのである」 ( ローマ人への手紙三章三一節 ) 。難の問題と考えることができるのではないかと思う。

8. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

しょ ) が の霊骨猶ほ在り。 て、遡ええとせまられ、老鼠生薑を咬んだように、呑む に呑まれす、吐くに吐かれずの思いばかりである。 これは本則としては歸な長い文章である。登場人物も多 私はとにかく読みすすんで、第五十五則の道吾漸源弔慰 ドラマティックな構成をもっている。 にいたって、ゆくりなく、さきの正受老人の末後の一句のく、 こ道吾の法嗣となった人物だが、このときはま ことを思い起した。五十五則を岩波文庫版に従って書き下漸源は後 ! だ修行時代で道吾の侍者をつとめていた。石霜はやはり道 せば次のようである。 吾の弟子たが、漸源には法兄に当る。一日、道吾は漸源を ともなって信徒の葬式にでかけた。棺を前にしての師弟の 挙す、道吾、漸源と一家に至って弔慰す。源、棺を拍 ま 問答からこの本則は始まっている。葬式の席上で棺を拍っ って云く、生か死か。吾云く、生とも也た道はじ、死と も也た道はじ。源云く、付としてか道はざる。吾云く、ての問答は乱暴な話といわねばならないが、同時にそれは かへ 漸源が日常いかに生死の問題に苦しんでいたかの証拠にも はじ遡はじ ( 不道不道 ) 。回って中路に至って、源云 すみやかそれがし なる。棺を拍って、棺中の人は生きているのか、死んでい く、和尚快に其甲がために道へ、若し道はずんば、和 尚を打し去らん。吾云く、打っことは即ち打つに任す、るのか、とまず問うのであるが、この問いに圜悟は著語し すなは 道ふことは即ち道はじ。源便ち打つ。後に道吾遷化す。て、「這漢なほ両頭に在り」とい 0 ている。『種電鈔』はこ 源、石霜に到って、前話を挙似す。霜云く、生とも也たの著語に更に「生死の両頭を離れす」と著語している。 道はじ、死とも也た道はじ。源云く、什麼としてか道は「生か死か」という問いは、生は生、死は死という分別の 上に立っているというわけであろう。この間いに応じた道 ざる。霜云く、道はじ道はじ。源、言下に於て省あり。 源、一日鍬子を将って法堂上に於て、東より西に過ぎ、吾の、「生ともまた道はじ、死ともまた道はじ」について に西より東に過ぐ。霜云く、付麼をか作す。源云く、先師の圜悟の著語は、「帽を買ふに頭を相す。老婆心切」であ 自の霊骨を覓む。霜云く、浩波浩渺、白浪滔天、什麼の先る。『種電鈔』は「所問恰好の一答」と註している。「付麼 師の霊骨をか覓めん。雪竇、著語して云く、蒼天蒼天。としてか道はざる」とせまる慚源には道吾の心はまだ解ら 源云く、正に好し、力を著くるに。大原の孚云く、先師ない。依然として、生は生、死は死というところに停滞し えんご

9. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

そこにはだいたい二つの型がある。使い古された黴くさえぬほど難解らしい高峰をなしていようとも、その発想の い思想など信ずるものかという一見力強い原始型と、訳が根源は、直ぐ眼の前に見える青い樹木と触れようと思えば 敢えて触れられる裸の岩石がころがり拡がっている一つの 解らぬほど難解でなければ一つの見事な思想ではあるまい と信じこんでいる謂わば物神崇拝的な愚味さを備えた亜流裾野である。換一 = ロすれば、目に見え手に触れ得る具体的な 型とでもいうべき二つの型である。いったい私はこの純真発想へまで遡源出来ぬ思想といったものは、敢えて断一一一一口す るが、この人間界には存しない。もしその根源的な発想が な現代の青年について悪口を云いはじめたのであろうか。 そうなのである。この生真面目な青年達をこのような境地どう探り索めようとついに発見出来ぬというほど晦渋難解 へなお保ちつづけている私達の周囲へなみなみならぬ憤怒な思想といったものがあるとすれば、これまた敢えて断言 をひそかに持ちつづけているので、しかもそんな周囲に対するが、それは必らず何処かよそで構築された思想の頂点 しては私はまったく死んだふりをしているので、私はただ乃至その途上の切れはしばかりをかきあつめてきて一見巧 この対坐している青年に対してのみ鬱憤をぶちまけるといみなセメントでつぎはぎ組みたてたまやかしものに他なら ない。こんな構築物は、もしその前に立った或る真摯な人 う余儀ない次第になるのである。私は苛らだたしさに駆り 間がかすかな息を立てるか或いはせいぜい片足をあげて蹴 たてられながら惟う、維新後そこから必死に脱出しようと してしかもなお果たし得なかった思想性の欠如という同じ飛ばしでもすれば、忽ちがらがらと崩れ落ちてしまう。と 一つの巨大な根はいまだに現代の青年の心裡の奥に二つのころでここで問題なのは、そんな奇怪な組み立て細工がと 分岐した荒涼たる裸の枝となって延びつづけているのだと。もかく一応壊れもせす流通している世界がまだこの世にあ 私が正面きってひらき直り鹿爪らしい声音をたてていうることだ。そこには恐らく真摯な人間などいず、いたとこ 望までもなく、あらゆる思想は、それが一つの思想であるかろで片足をあげるのが面倒くさいといった具合にでもなっ ぎり、明確な単純な、そして根源的な発想に根ざし、そのているのだろう。その世界とは、すべて他処で出来上った 虚上にのみ一つの石また一つの石といった具合に序列ただし思想の部分品の輸入のみにこれっとめて、ちゃちな組立て 5 く。ヒラミッドのごとく積みあげられている。如何にその最法のみに専念している植民地的風土のことである。吹けば 後に積みあげられた構築が雲の上にまでつきでて先端も見飛ぶようなまやかしものもこの風土のなかにのみは堂々と

10. 日本教養全集〈5〉 (1974年)自殺について 虚無と絶望 生と死とについて 現代の不安と苦悩

228 妙なものである。私が、戦前共産党員として検挙され、二に満足した。私は首に繩をかけながらも、とにもかくにも、 年あまりの牢獄から出て間もないころだ。特高につきまと人類発生以来の自殺者の数を考えて見ることができたから われていて就職できず、しかも転向によって精神的な根拠である。全く精神の錯乱した人間に、そんな数学ができる を失っていたので、いっそ死んだ方がいいと考えたからでわけはないではないか。つまり健康だとは言わないが、錯 ある。だが、私は、何度も首に繩をかけながら死へ踏み切乱した意識をもっていなかったということはいえるのであ ることはできなかったのだ。人類は、約七、八十万年前にる。 この地上に誕生したといわれている。それ以来、この地上 だが死の恐怖は健康な意識のなかに生れて来るのだから に生きた人間たちは、兆という数字を兆倍しても追っつか厄介である。しかし私についていえば、その恐怖は明らか ないほどの数になるだろう。そのなかの自殺者も何百万、 に少年時代からあった。それはいつも孤独な感情と結びつ 何千万という大きな数字になるだろう。それだのに自分だいていた。孤独というものが、死というものに根拠をもっ けが、死ねないわけはないはずなのだと考えても、どうしており、結局人間は、集団で死んだとしても、自分ひとり てもだめだったのである。むろん私が臆病者であるせいでの死を死ぬのだという死の性格が、孤独の性格となってい もあるだろうが、臆病な人間も自殺しているのを知っているのだ、ということなど知る由もない少年時代においてで るのだから、何故人が自殺できるのか、私にとってはいつある。青年となってもやはり同じことだった。労働者とし も不思議であった。 て非合法の共産党の運動をしていたのだから、また当時の 治安維持法という悪法には、死刑まであったのだから、 だから戦後、自殺未遂者を特志的にとつもとらえられる不安とともに死の恐怖がいつも私の心の 死の厄介さは健 り扱っている、白鬚橋病院の院長に会襞の間にひそんでいたことは事実である。だが私は、読者 康な意識から ったとき、真先にたずねたのはそのこの方々にはお信じになれないかも知れないが、少くともそ とだった。だが、院長は、その私の質間に明快な答えを与のころは純真な青年であったのだ。党の教えることをその えてくれたのである。自殺する人間は、その実行の直前にまま信じていたのである。つまりそんな死の恐怖なんか、 は、精神錯乱に陥っているのだというのだ。私はその答え資本主義社会の矛盾の反映であり、共産主義社会が来れば