ていしゅ 僕のまわりにはどういうわけか面喰いの女の人が多い。僕としては三十すぎて亭主持ちで 何が面喰いだよと思うんだけど、気が弱いからそういうことはロに出せなし 心て思うだけ 堂である。 日僕はこういう女の人たちをフリオ症候群と名付けている。 朝某出版社で僕の担当をしている女性もフリオ病患者の一人である。この人はフリオの前は ふせ 上イプ・モンタンのファンで、モンタンが日本へ来た時には病いに臥っている御主人のキャッ 村シュカードから黙って二万円引き出して、切符を買って一人でコンサートに行って、「もう 亭主なんかどうなってもいい」と感涙にむせんだというすごい人である。それで、たぶんそ うなるんじゃないかと心配していたのだけれど、この人が最近案の定フリオ・イグレシアス のファンになった。 「ねえ、村上さんね、フリオの年収って何百億で、自家用飛行機も持っていて、別荘なんか 一ダースくらいあって、世界じゅうに何十人って恋人がいて、それですごいインテリなんで すよ。どう、うらやましいでしょ ? 」とその人は言う。 114 フリオ・イグレシアスのどこが良いのだ ! ① めんく
僕は二十代の前半から八年くらいジャズ喫茶を経営していて、けっこうたくさんのアルバ ほとん イトの人たちを使った。だいたいが学生だから、はじめのころは殆ど僕と年齢差がなく、終 堂りごろにはひとまわりくらいの差があった。うちの店はかなりアルバイトの定着率の高い方 日だったから、一人一人のことはわりによく覚えている。まあいろんな人がいる。 朝経験的にみて絶対に雇ってはいけないタイプというのがいくつかある。「ただでもいしカ 上ら働かせて下さい、というタイプもそのひとつである。そんなのいるわけないじゃないか、 村と思うでしょ ? でもちゃんといるんだよね、これが。例えば「将来お店をやりたいんで給 料いらないから働かせて」とか「どうしてもここでバイトしたいのでーとかいう人が毎年一 人くらいはくる。でもまさか無給で働かせるわけにもいかないので、ちゃんと人なみの給料 は払、つ 0 さて、こういう人がきちんとした良い仕事をするかというと、だいたい逆である。仕事は 手を抜く、不平を言う、休む、遅刻する、あげくの果てには「給料が安いーなんて言いだす。 そりゃあないよな、と僕なんか思っちゃうんだけど、「給料はいらない」なんて非現実的な 報酬について
電車とその切符その④ 切符を失くす話を四回っづけて、これが最終回。 この前切符を折り畳んで耳に入れておくと失くさないという話を書いたが、時々耳に切符 ぼうぜん 堂を入れているとすごく変な目つきで健のことを見る人がいる。茫然とした顔で見る人もいる 日し、気持悪がって離れていく人もいる。 朝まあその気持はわからないではないけれど、僕が切符をポケットに入れようが耳に入れよ 上うが、それはあくまで僕の勝手ではないか。そんなことくらいで、いちいち人のことを変な 村目つきで見ないでほしい。こちらだってそれなりの事情があって、そういうことをやってい るわけである。 あと困るのは居眠りしてる時に検札にこられた時で、「お客さん、切符お願いします」な んて急に言われて耳からさっと切符を出したりすると、車掌もまわりの人も、ものすごくび つくりしてしまうみたいである。 びつくりするのは仕方ないにしても、車掌によっては汚いといって怒る人もいる。 そんななにやかやで面倒になってしまって、結局耳に切符を入れることもやめてしまった。
「荒野の七人」問題 181 オー し " 一印 サン牛ョス ア、、、ーコ ーいローいい ( いーーい ーいい【いい ! Ⅱ ( ロ凵卩 七人」を繰りかえして見ているという物好き な人間もいるわけだけど。 しかし、最近ではハリウッドの事情もかな り変ってきて、映画の中のドイツ人はドイツ を、フランス人はフランスをちゃんと話 すようになった。だから「ソフィーの選択」 なんかは、映画の中のかなりの比重を占める アウシュヴィッツのシーンはぜんぶドイツ語 である。 先日在日アメリカ人と「ソフィーの選択」 の話をしていたら、彼は「ばくドイツ語わか らないし、日本語の字幕読めないから、あの アウシュヴィッツのシーンぜんぜんわからな かったよ」とこばしていた。気の毒な話であ る。リアリズムというのはわりに疲れる不便 なものなのだ。
173 拷問について ( 3 ) 工ャめ - しつこ ( いじ 、ゝ小 ~ ニ乙 、一 2 が出マく弓 0 るかである。ユダヤ人について言えば前者の代表 がイスラエルのべギン首相であり、後者の代表が マルクス・プラザーズとメル・プルックスであり、 その中間あたりにウディー・アレンが位置する。 僕はメル・プルックスとマルクス・プラザーズが 大好きである。 メル・プルックスの「世界の歴史、ではユダヤ 人が延々といじめられる。ローマ編ではユダヤ人 どれい のコメディアンとユダヤ教徒と自称する黒人奴隷 ( もちろんサミ ー・ディヴィスがモデルである ) が独裁者シーザーにいたぶられるし、スペイン編 ではさっきも言ったようにユダヤ教徒がトルケマ ダに拷問されるし、フランス革命編ではユダヤ人 の小便係がルイ十六世のかわりに首を切られかけ かわい る。とても可哀そうである。でも最後に「スター ウォーズ、風にユダヤ人が宇宙レベルで解放され ちゃうんだけど、これは映画を見てのお楽しみ。
ミケーネの小惑星ホテル 153 6 しょわを 彼は爆撃機に乗っていたのだけれど、キプロス いや 紛争の時に戦争がつくづく嫌になって空軍を除 隊し、ホテルのオーナーになったという人であ 小さな娘が二人いて、二人ともとてもかわ ゝゝ 0 夜になるとミケーネ村は真暗になる。こんな やみ 闇はちょっとないんじゃないかと思うくらいの 暗さである。僕はべランダの闇の中で手さぐり で米を添えた魚料理をつつきながら、アガメム なが ノン山上のかがり火を眺め、主人と世間話をす る。彼は楽しそうに日々の生活を語る。 「幸せそうですね」と僕はたずねる。 「もちろん」と彼は言う。「とてもとても幸せ だよ」 僕は思うのだけど、日本人のいったい何人が 「幸せか ? 」ときかれて、こんな風に答えるこ とができるだろうか ?
ジョン・スタージェスに「荒野の七人ーという映画がある。黒澤明の「セプン・サムラ イ」をスタージェスが脚色し、ユル・プリンナーとかスティーヴ・マクイーンが出演した有 堂名な映画だから、御覧になった方も多いと思う。僕はあの映画の中ではジェームズ・コバ 日ンのクールぶりと、ロバート・ヴォーンのオ ーバーな臭い演技がわりに好きなのだけど、そ 朝れはこの話の本筋には関係ないのでここでは追求しない。 上僕が問題にしたいのはこの映画の最初のほうの部分である。映画はまずメキシコの村をメ 村キシコ人の山賊が襲うシーンから始まる。それはそれでぜんぜんかまわないんだけど、その メキシコ人同士が英語でしゃべりあうのだ。それも実にむちゃくちゃなメキシコ訛り英語で、 「わしとお前、友だちである」「お前ら収穫とっていく、村飢える」といった感じである。そ んなアホな会話するくらいなら、きちんとしたスペイン語で話しゃいいのにと思うんだけど、 ぎら アメリカ人の字幕嫌いはかなり徹底しているので、どうしてもこういうことになってしまう。 そのくせ「アディオス , とか「バイヤ・コンディオス、なんていうあいさつだけはちゃんと スペイン語である。もっとも僕みたいにそのアホくささが気に入って何度も何度も「荒野の 180 「荒野の七人」問題 くさ
231 すすったりしているときに、「そんなことしてちゃいかん。ちゃんと働きなさいーというメ ッセージを送ろうとしているのではないだろうか ? たしかにヤクザな生活をつづけて、昼 前に目をさまし、一人でばそばそと食べる昼食というのは、あれはムナシイものである。太 陽はチカチカするし、まわりを見まわしても働いている人の姿ばかりだしね。そういうとき に「日刊アルバイトニュースーの O が流れたりすると「いっちょう心を入れかえてバイト でもしてみるか , という気分にならないでもない。 もしそういう理由で「日刊アルバイトニュース」の 0 がお昼どきに流れているのだとし たら、これはなかなか鋭いことだと思う。「日刊アルバイトニュース」の宣伝の人は偉いと 思う。おい、山口昌弘、読んでるか ? 君のことをほめているんだぞ。 僕は本文中ではっきりと山口昌弘のことを悪く書いたけど、べつに悪意があったわけでは あないし、そのことで山口くんが重役に呼ばれて厳しく注意されたことについては本当に申し わけなく思っている。 それから本文中に「最近バレンタイン・デーにチョコレートがひとつももらえなくて、切 干し大根を作って食べている」という文章を書いたら、それ以来このコラムを担当してくれ た山崎さんと清水さんという二人の女の子からチョコレートをいただくようになって、請求 したみたいですみません。安西水丸さんは人の顔を見るといつも「作家は女の子にもててい にようぼう いよねえ」と言うけど、そんなことはないのだ。それに僕の女房にまで「いや奥さん、作家
豆腐のいちばんおいしい食べ方とは何か ? と暇なときに一度考えてみたことがある。答 はひとっしかない。青事のあとである。 すべ 堂 えーと、これははじめにきちんとことわっておくけれど、全て想像である。本当にあった 日ことではない。経験談だと思われるとすごく困る。仮定の話である。 朝まず昼下がりに町を散歩していると、年の頃は三十半ばの色つほい奥さんが「は卩と息 上をのんで僕の顔を見るのである。「なんだろう」と思っていると、その人のつれていた五つ 村くらいの女の子が僕のところに駆けよってきて、「お父さん」なんて言う。よく話を聞いて みると、去年亡くなったその人の御主人が僕にそっくりだったらしいのである。 その人は、「これこれ、その人はお父さんじゃありませんよ、と女の子に言うんだけど、 女の子の方は、「お父さんだ い」と言って、僕の手を放さない。 でも僕もこういうの嫌じゃないから、「それではしばらくのあいだお父さんになってあげ よう」なんて言っちゃったりして、みんなで公園で遊んでいるうちに女の子が疲れて寝てし まう。 106 「豆腐」について④ ころ
電車とその切符その ( 3 ) ( 0 わャけを . 耳・ゞ 4 イ そういう感じがよくわからないという人は、こ めしに一度やってみて下さい。国電の切符なら ( も ちろん厚紙のはダメ。あんなのでやったら耳が傷 つく ) 横に二回、縦に一回折れば耳に入ります。 その際インクが耳につかないように、裏かえし て折ることを忘れないように。耳のうぶ毛がちり ちりと音を立てて、少し気恥ずかしいという気が するでしよう ? くく、くすぐったいという人も いるかもしれない。 しかしこの僕の「切符耳入れ運動」が全国的に 広まり、何万人もの女子高校生が毎朝耳の中から 三つおりにした切符をとりだす光景を想像すると、 僕の心は踊るのである。こういうのってやつばり どこか異常なのかな ? よくわからない。 ( * この文章を書いたあとで読者から「女子高校生は定期 券を持っている」という投書がきました。そういえばそう ですね。定期券は残念ながら耳に人らない。 )