将来ものを書いて生活したいと考えている若い人から時々「文章の勉強というのはどうす ればいいんでしようか ? 、という質問を受けることがある。僕なんかにきいても仕方ないん 堂じゃないかと思うんだけど、とにかくまあそういうことがある。 日文章を書くコツは文章を書かないことであるー、・ー・と言ってもわかりにくいだろうけど、要 朝するに「書きすぎない とい一つことだ。 上文章というのは「さあ書こう」と思ってなかなか書けるものではない。 まず「何を書く 村か」という内容が必要だし、「どんな風に書くか」というスタイルが必要である。 でも若いうちから、自分にふさわしい内容やスタイルが発見できるかというと、これは天 才でもないかぎりむずかしい。だからどこかから既成の内容やスタイルを借りてきて、適当 にしのいでいくことになる。 既成のものというのは他人にも受け入れられやすいから、器用な人だとまわりから「お、 うまいね , なんてけっこう言われたりする。本人もその気になる。もっとほめられようと思 だめ という風にして駄目になった人を僕は何人も見てきた。たしかに文章というのは量を 文章の書き方
231 すすったりしているときに、「そんなことしてちゃいかん。ちゃんと働きなさいーというメ ッセージを送ろうとしているのではないだろうか ? たしかにヤクザな生活をつづけて、昼 前に目をさまし、一人でばそばそと食べる昼食というのは、あれはムナシイものである。太 陽はチカチカするし、まわりを見まわしても働いている人の姿ばかりだしね。そういうとき に「日刊アルバイトニュースーの O が流れたりすると「いっちょう心を入れかえてバイト でもしてみるか , という気分にならないでもない。 もしそういう理由で「日刊アルバイトニュース」の 0 がお昼どきに流れているのだとし たら、これはなかなか鋭いことだと思う。「日刊アルバイトニュース」の宣伝の人は偉いと 思う。おい、山口昌弘、読んでるか ? 君のことをほめているんだぞ。 僕は本文中ではっきりと山口昌弘のことを悪く書いたけど、べつに悪意があったわけでは あないし、そのことで山口くんが重役に呼ばれて厳しく注意されたことについては本当に申し わけなく思っている。 それから本文中に「最近バレンタイン・デーにチョコレートがひとつももらえなくて、切 干し大根を作って食べている」という文章を書いたら、それ以来このコラムを担当してくれ た山崎さんと清水さんという二人の女の子からチョコレートをいただくようになって、請求 したみたいですみません。安西水丸さんは人の顔を見るといつも「作家は女の子にもててい にようぼう いよねえ」と言うけど、そんなことはないのだ。それに僕の女房にまで「いや奥さん、作家
昔なにかの本を読んでいて、ロンメル将軍が食堂車でビーフ・カツレツを食べるシーンに ぶつかったことがある。 堂シーンといってもべつにくわしい青景描写があったわけではなく、たとえば「パリに向う 日食堂車の中で、ロンメル将軍はビーフ・カツレツの昼食をとった」といったような文章がの から 朝っていたきりである。それに話の筋にとくにビーフ・カツレツが絡んでいたわけでもない。 上要するにロンメルがビーフ・カツレツを食べた、というそれだけの話だ。 村僕がどうしてこのなんでもない一節をよく覚えているかというと、色のとりあわせがきれ いだからである。まずロンメルの軍服はばりつとした紺サージ、白いテープル・クロス、あ げたばかりのキツネ色のビーフ・カツレッ、バターをさっとからめたメードル、そして窓の 外に広がる北フランスの緑の田園風景ーーー本当はそうじゃなかったのかもしれないんだけ れど、文章を読んでいて、ばつばつばと浮かんでくるのがそういう色のとりあわせなのであ る。だからこそとりたてて意味のないそんな文章がいつまでも頭の隅にこびりついているわ けだ。こういうのは文章の徳と言ってもゝ しいと思う。要するに広がりのある文章ですね。 ロンメル将軍と食堂車 すみ
文章の書き方 働ー■・■■ ■■■農 書けば上手くなる。でも自分の中にきちんと した方向感覚がない限り、上手さの大半は 「器用さ」で終ってしまう。 それではそんな方向感覚はどうすれば身に うんぬん つくか ? これはもう、文章云々をべつにし てとにかく生きるとい , っことしかない どんな風に書くかというのは、どんな風に 生きるかというのとだいたい同じだ。どんな けんか 風に女の子を口説くかとか、どんな風に喧嘩 するかとか、寿司屋に行って何を食べるかと か、そういうことです。 ひととおりそういうことをやってみて、 「なんだ、これならべつに文章なんてわざわ ざ書く必要もないや」と思えばそれは最高に と ハッピーだし、「それでもまだ書きたい。 へた 思えはーー上手い下手は別にしてーー自分自 身のきちんとした文章が書ける。
ロンメル将軍と食堂車 ビーフカウ・しウ・ ~ ンメー 2 たとえば小説なんかを書く時には、こうい う広がりのある一行ではじめると、話がどん どんふくらんでいく。 逆にどんなに凝った美 しい文章でも、それが閉じた文章だと、話が そこでストップしてしまう。 それはともかくとして、こういう文章を読 んでいると無性にビーフ・カツレツが食べた くなってくる。僕はビーフ・カツレツの素晴 しさについては方々で書いているのだが、な かなかその良さが認められなくて ( とくに関 東はひどい ) 、まったく残念である。 いまだに「え ? 牛肉をカツにしちゃうん ですか。なんかまずそうだなあ」なんていう に、も 、、 ) 人がいる。したがって食堂車のメニュー だいたいビーフ・カツレツは載っていない。 無念である。
ケーサツの話 ( 2 ) 147 「。 06 」 ・事ヤ、ん サ、ワイっロンワイ 0 0 あぜん の場合も本当にちょっと唖然としちゃうくら いひどい文章であった。読みあげるのを聞い ているとかたつばしから添削したくなってく る。誤字・あて字も多い しかし何にも増して屈辱的なのはこのポー ル・ニューマン氏が鉛筆で書いた下書きの上 を、それと一字一句違えずに僕がポールペン でなぞって清書しなければならないことであ った。それで僕がポールペンでその文章をな ぞりおえると、ポール・ニューマン氏は消し ゴムで自分が鉛筆で書いたぶんの字をコシコ シと消して、僕があたかも最初から自筆でそ の陳述書を書いたかのようにみせかけるので ある。 言うまでもないことだと思うけれど、警察 にかかわって、あまり口クなことはないみた
シティ・ウォーキン アルバイトについて そば屋のビールⅡ 三十年に一度 離婚について 夏について 千倉について フェリー・ポート幻 文章の書き方 「先のこと」について 18 16 タクシー・ドライハ 報酬について 清潔な生活 ヤクザについて 再び神宮球場について 「引越し」グラフィティー田 「引越し」グラフィティー図 「引越し」グラフィティー③ 「引越し」グラフィティー④新
電車とその切符その ( 3 ) ( 0 わャけを . 耳・ゞ 4 イ そういう感じがよくわからないという人は、こ めしに一度やってみて下さい。国電の切符なら ( も ちろん厚紙のはダメ。あんなのでやったら耳が傷 つく ) 横に二回、縦に一回折れば耳に入ります。 その際インクが耳につかないように、裏かえし て折ることを忘れないように。耳のうぶ毛がちり ちりと音を立てて、少し気恥ずかしいという気が するでしよう ? くく、くすぐったいという人も いるかもしれない。 しかしこの僕の「切符耳入れ運動」が全国的に 広まり、何万人もの女子高校生が毎朝耳の中から 三つおりにした切符をとりだす光景を想像すると、 僕の心は踊るのである。こういうのってやつばり どこか異常なのかな ? よくわからない。 ( * この文章を書いたあとで読者から「女子高校生は定期 券を持っている」という投書がきました。そういえばそう ですね。定期券は残念ながら耳に人らない。 )
100 このコラムはずうっと安西水丸さんに絵を描いてもらっているわけだけれど、僕としては 一度でいいから安西さんにものすごくむずかしいテーマで絵を描かそうとずいぶん試みてき 堂たつもりである。しかしできてきた絵を見ると、まるで苦労のあとというものが見うけられ 日なし : いくら苦労を見せないのがプロといわれても、少しくらいは「弱った・困った」とい 朝う目にあわせて楽しんでみたいと思うのが人情である。 上 だからこのあいだなんか、「食堂車でビーフ・カツレツを食べるロンメル将軍」というテ 村ーマで文章を書いてみたのだけれど、ちゃんとビーフ・カツレツを食べている、ロンメル将 軍のさし絵がついてきた。 それで僕は考えたのだけれど、結局のところ、むずかしいテーマを出そうかと思うから、 僕は永遠に安西水丸を困らせることができないのである。たとえば「タコと大ムカデのとっ ひげそ くみあい」とか「髭を剃っているカール・マルクスをあたたかく見守っているエンゲルス」 なんていったテーマを出したって、安西画伯はきっと軽くクリアしちゃうに違いない。 冫ししカ ? どうすれば安西水丸を困らせることができるか ? 答はひ それではどうすれよゝゝゝ 「豆腐」について①
146 その昔、ちょっと事情があって警察にひつばられて陳述書を書かされたことがある。その 時僕を担当した刑事は三十代半ばくらいの人で、どういうわけか顔つきがポール・ニューマ 堂ンによく似ていた。ポール・ニューマンに似ているとは言ってもとくにハンサムだとかそう いうのではなく、ただ単に細部の特徴がよく似ているというだけのことなのだが、それにし 朝ても似ている。それに加えてその刑事はジャケット風の白いボタンダウン・シャツを 上着ていた。ポール・ニューマンによく似た刑事がボタンダウン・シャツを着ていたりすると、 かんべき 村これはもう完璧にサウス・プロンクスの世界である。あれは今思っても、実にユニークな体 験であった。安西水丸著「普通の人」に出てくる警察署の風景とはずいぶん違うね。 まあそれはともかくとして、警察で陳述書を書かされたことのある人ならわかると思うの だが、警察官の作文能力は一般人のそれに比べて極端に低い。文法にしても「てにをは」に しても情景描写にしても心理描写にしても、実に稚拙である。陳述書というのはだいたい警 という一人称で文章化 官が質問し、それに対してこちらが答えたことを警官が「私は : し、それにこちらが署名するというしくみになっているのだが、このポール・ニューマン氏 ケーサツの話図陳述書について