山口昌弘くんはべつに有名人というわけではないのだが、ある種の有名さのありかたを示 唆していることはたしかなので、この項で特別にとりあげてみたいと思う。 こく 堂山口昌弘 ( 以下敬称略 ) は武蔵野美術大学商業デザイン科の出身で、学生時代に僕が昔国 ぶんじ 日分寺で経営していたジャズ喫茶でアルバイトしていた。山口は ( だんだん呼び方が粗雑にな 朝る ) 悪い男ではないがはっきり言って無能というに近い従業員であった。ほとんど仕事もせ 上ずに従業員割引値段のツケで酒ばかり飲み、美術的才能もなく成績も悪く、女にももてなか こじき 村った。その山口から先日僕の自宅に電話がかかってきた。どうせ乞食でもやってるんだろう と思って話を聞いてみると、なんと〈学生援護会〉の広告を扱っている会社に勤めていると 言うのである。〈学生援護会〉というのはこの「日刊アルバイトニュース」を出している立 派な会社である。で、「そこで何やってるの ? 」とたずねてみると、「広告を作ってんだよ ね」という話であった。出世したものである。 「あのハルキさんさあ、ほら、牛が出て来るテレビの広告あるじゃない。あれをさ、糸井さ んなんかと一緒にさ、俺作ってんだよね」と山口は言う。 130 僕の出会った有名人④山口昌弘くん おれ
131 僕の出会った有名人 ( 4 ) , 不、十、ん 牛のま工い ( 、ゝのや ー 2 土山の ・工くは 人な , ゞ ( きっ 、ホ ) た廴な ・く ) 1 ・グんけい は 1 ュい決イ さ 7 つ、え とさ ( ま IK 伝でナ のせつはま 4 ゞ ) ( 豕《ラ 一 0 4 〃に 僕の家にはテレビがないから、そんなこと言わ れてもなんのことかぜんぜんわからない。たいた いどうして「アルバイトニュース」の O に牛が 出てくるのか ? 「じゃあさ、富士山が学生服着てズズ ( くと出て きてさ「人間だったら良かったんだけどねえ』っ てのも知らないの ? ーだからテレビがないんだか らそんなの知ってるわけねえんだよ ! というわ けで山口昌弘はがつくり落ちこんで電話を切った のである。 この話の教訓は作カ ? ①興味のない分野でいくら有名でも、そんなこと 私は知らん ②武蔵野美術大学の成績評価はあてにならない ということである。 山口くんまた神宮球場のボックス席の切符下さ ゝ 0
とかげの話 毛虫の話 「豆腐」について①。 「豆腐」について図 「豆腐」について③ 「豆腐、について④ 辞書の話田 8 辞書の話Ⅷ 女の子に親切にすることについて フリオ・イグレシアスの どこか良いのだ ! ①Ⅲ フリオ・イグレシアスの どこが良いのだ ! 112 僕の出会った有名人田 僕の出会った有名人図 僕の出会った有名人③ 僕の出会った有名人④ 本の話① 本の話図 本の話③ 本の話④ 略語について①Ⅷ 略語について図 「三省堂書店」で考えたこと 「対談、について 「対談」について図盟 130 128 126 124
僕の出会った有名人① 僕は今までいわゆる有名人にあまり会ったことがない。 これはどうしてかというと、ただ 単に僕の目が悪いからである。それ以上の深い意味はない。目が悪いから遠くにいる人の顔 堂がはっきりと見えないのである。 日近くにいる場合でも、僕はわりにまわりの状況に対して不注意な方なので、ついついいろ 朝んなことを見すごしてしまうことが多い。だから知りあいによく「村上はすれちがってもあ 上いさつひとっしない ーと非難される。そんなわけで、有名人と出会ったとしてもぜんぜん気 村づかずに通りすぎてしまうことになる。 ところが僕のつれあいはそういうことにかけては実に目ざとい人で、どんな雑踏の中にい ても必ず有名人の存在をサッとキャッチしてしまうのである。こういうのはもう天与の才と いうことばで表現するしかないんじゃないかという気がする。それで彼女と一緒にいると りようこ くりはら′」まき 「あ、今中野良子とすれちがった」とか「あそこに栗原小巻いるわよ」とか教えてくれるの ころ だけれど、僕が「え、どこどこ ? ーと見まわす頃にはみんなもうどこかに消えてしまってい るのである。 124
僕の出会った有名人 ( 2 ) 127 あの → →よさ心の 良い笑顔だったけれど、僕にはなんのことなの かよくわからなかったので、奥に行って店長を つれてきた。 「あ、調子いいですよお」と店長が言うと、彼 女はまたニコッと笑って「よろしくお願いしま すね」と言って、新宿の夜の雑踏の中に消えて いった。店長の話によればそういうことは前に も何度かある、ということだった。それが藤圭 子だった。 そんなわけで僕はまるで演歌は聴かないけれ ど、今に至るまで藤圭子という人のことをとて も感じの良い人だと思っている。ただ、この人 は自分が有名人であることに一生なじむことが できないんじゃないかなという印象を、その時 僕は持った。あれから離婚したり改名したりし たという話だけれど、がんばってほしいと思、 ) ます。
僕の出会った有名人 ( 1 ) 125 中よっに← 上のや「・ 穹ちっスも 5 輜 9 ヒっ ( いせ 、 0 ひどい時には「さっきの喫茶店であなたの となりに山本陽子が座ってたでしよ」なんて いうこともある。そんなのその時にそっと教 えてくれたらいいのにと思う。 まあよく考えてみれば山本陽子の素顔を見 ることにどれだけの価値があるのか ? とい うことになるのだろうけれど、それでもやは り見逃して「損をした」と思う。変なもので す。次回からはそんなわけで僕が今までに出 会った数少ない有名人のことを書いてみたい と田む一つ。 ところで茨城県郡の荒川昌彦さん、御 指摘のように六月五日に新宿「びざーる」の 前であなたが見かけた男は僕です。隣りにい た女の人は幸いなことに僕のつれあいです。 あなたの手紙を読んだ時は一瞬ドキッとした によ、つぼう けど、やはり女房でした。
僕の出会った有名人 ( 3 ) 129 土吁・一まへ 1 ( 楽である。だから僕はこれまで四回くらい酒 場で吉行さんと同席したことがあるのだけれ ほとん ど、何か話を交わしたという覚えが殆どない のである。 それでは吉行さんがそういう場所で何を話 すかというと、これが本当にどうでもゝ うな無益な話をエンエンとやっているのであ る。無益な話が無益な曲折をへて、より無益 な方向へと流れ、そして夜が更けていく。僕 もかなり無益な方だけど、まだ若いのでなか しつも感 なかあそこまで無益にはなれない。ゝ 心してしまう。そういう話をエンエンとやり ながらホステスのおつばいをさりげなくさわ っちゃうところも偉い。やはりなんといって も畏れおおいのである。
安西水丸氏に聞く— 千葉県出身の有名人である安西水丸さんに、千倉のお話をうかがいたいと思います。千倉 堂というのは御存じのように千葉県の最南端にあって、漁村であります。とても静かな良いと 日ころで、僕も好きです。その昔松竹映画「影の車ーの舞台になって、それで僕は千倉という 朝町が好きになって、何度か遊びに行きました。 上 みが 村春えー、それでまずひじきで歯を磨くというところから行きたいですが。 水あ、ひじきね、こんど持ってきますよ。それ。 うれ 春嬉しいな、好きなんですよ。でもそのひじきで歯を磨くってのが、どうも映像的にうま く浮かんでこないんですが。 水僕のうちはね、千倉って言ってもずっと白浜よりで、ぜんぶ岩場なんですよ。もうぜん ぶ磯でね、そこが一面ひじきなのね。ひじきで滑って転んだりしてね、もうヴェルヴェット 194 「千倉における朝食のあり方」 ぼく しらはま ちくら
僕の出会った有名人③吉行淳之介氏 よしゆきじゅんのすけ したば おそ 吉行淳之介という人は我々若手・下ッ端の作家にとってはかなり畏れおおい人である。し かしなぜ吉行さんが畏れおおいかというと、これが上手く説明できないのである。他にも有 堂名な作家や立派な作家は星の数のごとく ( : : : でもないか ) いるのだけれど、とくに吉行さ 日んに限って畏れおおいという感じがあって、これは不思議だ。 朝吉行さんは僕が文芸誌の新人賞をとった時の選考委員でまあ一応恩義のある人でもあり、 上どこかで会ったりするときちんとあいさっする。すると「あ、このあいだ君の書いたものは おもしろ 村なかなか面白かった」とか「最近目が悪くて本が読めないんだが、む、がんばって下さい」 とか言われる。しかしいつもそういう風にやさしいかというとそんなこともなく、他の人が ちょっと余計なことを口にしたりすると「それは君、つまらないことだよ」とか「ま、野暮 はよそうよ」というようなことを軽々と言って向こうに行ってしまったりする。この辺の門 あいの絶妙さが畏れおおいというか、こちらが勝手にかしこまっちゃう所以である。 だから吉行さんのそばにいる時は僕は自分からほとんど何もしゃべらないことにしている。 たしたいが人前に出ると無口になる方なので、こういうのはぜんぜん苦痛ではない。むしろ 128 ゆえん
学生時代、新宿の小さなレコード屋でアルバイトしていた。たしか一九七〇年のことでは なかったかと思う。とにかくグランド・ファンク・レイルロードが来日して後楽園でコンサ むさしのかん 堂ートをやった年である ( なっかしいね ) 。このレコード屋は武蔵野館の向いにあって、今は 日ファンシー小物の店になっている。当時はまだ武蔵野館はなかった。隣りのビルの地下には 朝「 OLD BLIND CAT 」というジャズ ・バーがあって、仕事のあいまによくそこで酒を飲んだ。 ふじけいこ 上一度僕の働いているレコード店に藤圭子さんが来たことがあった。でもその時はその人が 村藤圭子さんだなんて、僕にはぜんぜんわからなかった。あまり目立たない黒いコートを着て、 化粧気もなく、小柄で、なんだかコソッとしたかんじだった。 今の若い人にはわからないと思うけれど、当時の藤圭子といえば流星のごとく現われ、ヒ ももえ ット曲をたてつづけに出し、ひとつの時代を画したスー ースターである。今の山口百恵ほ どではないにしても、一人で気軽に新宿の街を歩けるといった存在ではない。でも彼女はマ ネージャーもつれずに一人でふらっと僕の働いているレコード屋に入ってきて、すごくすま なさそうなかんじで「あの、売れてます ? 」とニコッと笑って僕にたずねた。とても感じの 126 僕の出会った有名人図藤圭子さん こがら