力の重要さ、人間のいざという時の強さを、真に評価することがてきるからてある。 たとえば、筆者の経験も、ある難事業に対して行動を起こすときに、それに対して自信が ないとか、失敗したらどうしようとか、そんなめんどうなことをやらなくてもよいてはないか とか、さまざまな逃避に都合のよい考えが浮かんてくる。もしこの考えが消えて「よし、やる ぞ」という考えが浮かぶまて待つならば、結局のところ、そのような考えは浮かんてこないか ら、やらないことになってしま - フことがしばしばある。 そこて筆者は、逃避的な考えを認めたうえて、それを「あるがまま」にし、さまざまな葛藤 をもったうえて、とにかく新しい行動に自分を賭けてみようと「目的本位の行動」をとるのて しかし大切なのは、自分 ある。この場合、結果はよい目が出るか悪い目がてるかわからない カよいと思ったことに自分自身を投げ出し、行動をしてみることなのてある。 これは、筆者が自分の弱さとだらしなさを認めたうえて、どのように自分を生かしていっため らよいかという苦肉の策から生まれた「あるがまま」体験てある。しかし、不思議なものて、見 最初は「あるがまま、あるがまま」といいながら自分を駆り立てるような行動をとってきたの死 ことえ苦痛てあっ生 だが、今は〃習い性みとなって、二者択一の行動の前に立たされたときに、ナ ても自分の人間性を大切にするような「あるがまま」行動が自然にとれるようになってきた。
い切ってその不安に突入して直面し、予期不安が仮想の不安てあったということを自ら確かめ ることが大切てある。何回か「恐怖突入」を行なっているうちに、三回はうまく目的を果たせ たカ、二回は逃避してしまった、というように、うまくいったりいかなかったりの行為をくり 返す。しかしそのなかて次第に いくら予期不安をもっていても思い切って「恐怖突入」をし ていけば、自分が考えているような重大な事柄は起こらないのだということが心身を通じて納 得されていくのてある。 しつべい 不安神経症の場合、治療過程において重要なのは、疾病の背景となるストレスを充分にわき まえ、それを整理することてある。たとえば男性の場合ならば、職場における環境を充分に調 整し、自分が納得てきるようなものにしていく努力をしなければならない。 さもなければ、こ の状況から逃避したいという意識下の願望をもとにして不安症状を形成しているのてあるから、状 いくら不安症状を取り去ろうと試みてもそれはむだてある。何らかの形て、さまざまな不安症諸 の 状をつくり出し、現実から逃避をしようと試みることになってしまう。 症 したがって、まず現実の状況を自分にとって快いものにし、その現実のなかて自分が生きる質 意味を見つけながら生きていけるような「場」をつくることを考えなければならない。 その上神 て、自分が不安・恐怖とする症状を「あるがまま」にし、「恐怖突入」によって目的を果たして
けめを感じながら字を書き、ときには震えながら黒板に文字を書いたりもした。そして彼は、 よりよい内容を他の行員に伝達すべく、努力をしたのてある。その結果、かっての彼の業務上 の失策をカバーするような業績を上げることがてき、他の行員たちからも認められるようにな って、自信を回復していった。数カ月後に氏はこう語った。 「〃あるがままみという言葉を、どのくらい私は念仏のように唱えたことてしようか。自分が劣 等感にしている症状をそのままにしておくことは、たまらなく苦しいことてす。しかし、その 一方て症状をあるがままにしながら、よりよく目的を果たすよう努力し、それが実現てきたと きには、心から喜びを感じます。また、そうしたことがくり返されていくと、いつの間にか〃あ るがまま〃という念仏を唱えなくても、自分の本来の欲望を大事にして行動している自分に気 がつくのてす。症状そのものも、以前とは違って少なくなっています。気がついてみると、熱方 心に発言している自分の身体が震えてはいないし、一生懸命人前て字を書いている自分の手が治 震えていないことにも気づかされます。 " あるがままみは、私の神経症治療の最大の薬てあった 質 ように思いますし、今や私の日常生活の最大の指針てあるようにも思えるのてす」 経 以上のように、»-ä氏は現実逃避を「あるがまま」の実現によって阻止し、神経質 ( 症 ) から脱神 して、再び自分の真の欲望を生かし、自己実現の道を生きることがてきるようになったのてあ
「最後の自由」ーー・追悼・岩井寛先生ーーー松岡正剛 3 はじめに 「森田療法」とは何か : 1 ー森田療法の基礎理論 1 ー「生の欲望」と人間 2 ー人間心理の発達過程 3 ー「生の欲望」の二面性 2 ー神経質 ( 症 ) のメカニズム : 1 ー神経質 ( 症 ) 者の性格 2 ーー「ヒボコンドリ ー性基調」とは何か 目次
のただなかにあるといってもよい ところが、この後の章て紹介する神経質 ( 症 ) の人々は、ややもするとマイナスの欲望を否定 し、プラスの欲望だけを求めようとする。しかも、その求め方は、現実を無視して宙に浮いた 理想主義に走りやすい。人間は完全に安心のてきる身体を持っていないし、誰にも彼にも理解 されるという心地良い状況も存在しない したがって、現実に存在しないものを求めれば求め るほど、人間は自らの心が空しくなり、他に対して恨みがましくなり、内面的な劣等感が大き く広がる。このように考えると、神経質 ( 症 ) 者は真の欲望を無視したところから出発している といってよ、 以上、「生の欲望」について述べてきたが、この欲望をいかに見るか、いかに自分を生かす 素材とするか、いかに自分を駄目にする材料とするかによって、一人の人間の人生が変わって論 くる。その意味て、神経質 ( 症 ) 者は何らかの形て「生の欲望」と発達の関係が歪められていた礎 のてあり、また現に「生の欲望」をみる視点が歪められているということがてきよう。人間のの 欲望をきちんと把握し、それをよりよく生かすことが豊かに生きることの前提になるのてある。療
内に内在化された自己を的確につかむと同時に、より社会化された人間として生きるようにな 人間性の深みを増していくのてある。これに関して森田は、次のようにすぐれた見解を述 べている。 「三十歳四十歳となれば、子が出来、種族保存欲といふものが加はり、欲望は拡張し、自我を いわゆる 延長し、所謂小我から大我に拡がり、子の愛のためには直接自己の欲望と恐怖とを没却し、子 の生存保障のためには、隣人、社会を愛するといふ行動にも及んて来る訳てある」 この文中て、特に「小我から大我」と記しているところは、貴重な記載てある。三十歳、四 十歳代は、いわゆる人生の働き盛り、現実における自己実現の項点の一角をなすものて〃私み から、私が生かされている〃社会〃へと指向し、そこて単なる私の〃小我みを離れて社会的自 己実現の〃大我みへと自らが向いていくのてある。 したがって、この成人期の神経症は、それ以前の思春期・青年期の神経症とはやや異なった 様相を見せてくる。それは自分が〃大我をそなえた成人みとして、自分以外の他者、家族、社 会に役立つような行動をとれているかどうかが問題になってくるのてある。現実において充分 ところ力な に自分を生かしていけるのならば、もちろん神経症や心身症に陥るはずがない。 んらかの障害があって、それが実現てきないときに、過去の挫折体験とも相俟って「私は駄目
これに対し、筆者は独自の発達理論を考えており、生誕直後の人間のありかたを「生物期」 と呼んている。この時期は、知・情・意の分化が行なわれていないて、受動的にオッパイやミ ルクを与えられて生命を保持しようとする時期てある。しかし、その受動性の中ても、自ら乳 首を求め、それを吸おうとする本能的な「生への欲望」は確実に存在する。しかし、その欲望 は、もつばら本能的な生命維持に向けられているのてあって、分化した心理的な欲求てはない。 しつかん したがって、この時期の疾患はもつばら遺伝的疾患、体質の変化による疾患、細菌の感染に しんしゅう よる疾患、あるいは外からの侵襲による外傷に限られていて、生物的な存在を脅かす病てある。 筆者は、さらに次の発達段階を「家族期」と呼んて区別している。これは家族のなかての父、 母、兄弟を認知し、自分の中に同一化していく時期てある。母との出会いの時期は、受容を体 験し同一化する時期てあり、父との出会いては自律の基礎を獲得する。しかし、自律とはいっ てもきわめてプリミティヴなものて、排便・食事を規則正しく行なうという程度のことてしか おうと したがって、この時期における神経症は、もつばら不眠・嘔吐など、あるいはチック ( まばた ばつもう き、顔しかめ、頭振り、首まげなど ) や抜毛 ( 自分て自分の毛を抜いてしまう ) など、さまざまな心 理的・身体的反応による症状てある。
績を上げてきた。ところが彼は、数年前に部下の犯した失策に連座し、責任を間われたことが あった。その事件はたいしたことなく過ぎてしまったのだが、実直 ( 、気が小さい彼には、深 い心の傷を残した。 彼はもともと対人恐怖的な傾向があり、人前て緊張しやすく、酒宴の際に盃を差したり差さ れたりすることが最も苦手てあった。また彼は、一流大学を出ている仲間や部下の中て、専門 学校しか出ていない自分の立場にひけめを感じ続けていた。 しかし彼は、持ち前の負けず嫌いと、クかくあるべしみという教条主義によって仕事の能率を つまり、神経質 ( 症 ) 的な彼の傾向が、 促進し、業績を上げ出世の道を切り開いたのてあった。 むしろ彼の几帳面さと責任感をより強く自覚させ、それが彼の出世に役立ってきたのてあった。 このようにして維持してきた氏の立場は、自分が直接かかわっていたことてはないにせよ、方 仕事上の挫折ということて、一挙に心のバランスを崩し、それまての神経質 ( 症 ) 的な側面が前治 面に出てきてしまったのてあった。氏は筆者にこう語った。 症 「私は今日まて、学歴コンプレックスや、人前て緊張して身体や手が震えるなど、さまざまな質 神経症の症状に悩まされてきました。しかし何とかそれを自分なりにカバーして今日に至った神 のてす。ても、もう限界に達しました。今回私が業務上の失策を問われて以来、すっかり自信Ⅷ
から会社へ行けない」というように、不安を理由にして現実参加を拒否してしまう。 ・らに、 「いつも頭がすっきりしていなければいけない」という命題を課すると、少しても頭 しゅ カいし」、に、 どうして自分だけがこんなに頭が痛いのかと悩んだり、場合によっては、「 ~ 凶腫 瘍があるからこんなに頭が痛いのだろう」などと拡大解釈を行なう。 こうしたことは、いずれも〃かくあるべし〃という枠組を自分の心の中につくってしまって、 真実なる現実を見ていないのてある。 発達過程に潜む問題点 それては、このような性格はどうしててきてくるのだろうか。それは、森田のいう「素質」 とも相俟って、第一章て述べたような「生の欲望」に関する人間発達の過程に大きな問題が存 在するからてある。そのなかても、特に「家族期」の後期 ( フロイトは家族期の前期を重視する ) から次第に家族の影響を受け、神経質の場合、特に、「前社会化期」における家族や、他人や、 現実状況とのかかわりに重大な問題が存在すると考えられる。 ちなみに、神経質者の家族を調べてみると、従来は、父親が警察官、学校の先生、国家公務 員などが多く、さらに、サラリーマンても厳格な父親が多いということがわかった。つまり、
てした。しかしこうやって治ってみると、実際には身体が悪くないのに自分勝手に悪いと決め 込んてしまい、電車に乗れないばかりか、外出さえてきなくなってしまったんてすね。しかし、 おかしなことに、妻と一緒・ ' たとどこへても散歩がてきたんてす。 考えてみると、あのとき、身体が悪いと考えたのは、会社に行きたくないということの理由 づけだったようにも思います。私は機械が苦手て、 いくら勉強してもコンピュータに馴染めま せん。そこて、先生がおっしやられたように、 上司に話して部署を替えてもらいました。それ と同時に『恐怖突入』て不安を思い切ってあるがままにし、会社に行 くとい - フ目的を果たし ' 」 んてす。すると薄皮を剥ぐように不安から解放されて、今まてのように自分なりの仕事がてき るト - フになり・↓し 4 に」 この—氏の発言からもわかるように、日本人の不安神経症は、性を中心にした欲求不満と関状 せつれつ 係があるというよりも、現実における適応の拙劣が原因てあることが多い。また、以上のよう諸 の な不安神経症者は、幼小児期において対人恐怖症者とは異なった家族関係をもつ者が多いとい 症 質 うことも注目すべきてあろう。 経 神